古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

経過順調です

2016-05-26 | Weblog・人生・その他
「前立腺がんはどうなったかな」。5月25日朝、9時前家を出て、自転車を転がして9時西部医療センターに着きました。
 例により受付で、診察券を受付機に通すと「13番、採血・採尿室にお越しください」と指示票がプリントアウトされる。⑬に行き、ここでも診察券を受付機に通すと、氏名の記載された紙カップと採血の順番票がプリントされ出てきた。尿を提出後、採血室はびっくりするほど混雑していました。、順番票は87とプリントされているが、採血中の番号は、20番台です。30分ほど順番待ち。
 指示票には次に「⑫の泌尿器科受付へ」とある。⑫の窓口で指示票と診察券を示すと、「検査結果が出ると再診しますので再診②の窓口近くでお待ちください」という。椅子に座りバッグから持参した本を取り出して読みながら2時間待った。順番がきて、診察室に入り氏名を告げる。
 医師がなにやらパソコンを操作すると、「検査詳細情報」なる文書がプリントされます。
PSA値は0.032だから前回の006よりさらに低い。「経過順調です」と医師は言う。
「この病気はどんな症状がでるのですか?どこも痛くもかゆくもないのですが・・・」
だから、本当に前立腺がんなのですか?と言わんばかりに質問したので、
「症状が出るのは腰の傷みですが、症状が出たら終わりですよ」と反応する。
「今日は午後3時からCTを撮影します。結果は6月1日か8日にお知らせします」、「では8日にしてください」。まだ12時過ぎなので「それまで一旦外出してもいいですか。」、「どうぞ」と言うので、外に出て、カレーライスの昼食をすませ、北スポーツセンターに行き、1時間ほど泳ぎを練習した。
3時前、病院に戻り、CT診断室に行くと、今度は待ち時間ゼロで画像撮影が終わった。結果は6月8日に知らせるとのことなので、会計を済ませて3時半帰宅しました。
翌日、処方箋をかかりつけの薬局に持参し、薬を貰う。、
薬代は35日分1700円。35錠が1割負担で1700円は高いなぁ
高い薬を飲み続けなければならないが、年をとると、自分の身体とだましだまし付き合っていくしかなさそうです。


前立腺がんはどうなったかな

2016-04-07 | Weblog・人生・その他
「前立腺がんはどうなったかな」思いつつ、4月6日自転車で9時家を出て、9時10分西部医療センターに着きました。
 前回の診察は3月1日、一月以上経っているので、自分の病気を忘れているくらいです。
受付で、診察券を受付機に通すと「13番、採血・採尿室にお越しください」と指示票がプリントアウトされる。⑬に行き、ここでも診察券を受付機に通すと、氏名の記載された紙カップと採血の順番票がプリントされ出てきた。採血室が混雑していて、順番票は92とプリントされているが、採血中の番号は、30番台です。30分ほど順番待ち。
 指示票には次に「⑫の泌尿器科受付へ」とある。⑫の窓口で指示票と診察券を示すと、「検査結果が出ると再診しますので再診②の窓口近くでお待ちください」という。バッグから文庫本を取り出して読みながら1時間待った。順番がきて、診察室に入り氏名を告げる。
 医師がなにやらパソコンを操作すると、「検査詳細情報」なる文書がプリントされます。
PSA値は0.061です。前回よりもさらに少ない。
「PSA値は良いのですが、前回CT検査で肺にみられた白い影が気に名ります。影の大きさが小さくなっているのが、薬の効果であるとすれば、それは転移されたがんということになり、前立腺の治療だけしていればいいということにならない。放射線治療しても意味がない。従って再度CTスキャンする必要がありますので、次回の再診日5月25日に再度CT検査をします。」という。
「えっ、5月ですか?」、「機械の予定が混んでいて5月になります」。
いくら機械の予定が混んでいても、転移が疑われるのなら、検査を早める筈だ。5月でよいと医師が考えているのなら、その確率が低いのだと勝手に解釈しました。
「PSAが下がっていますから、現在の治療を続けましょう。今までと同じ薬を処方します。⑬で今日は注射をしていってください」で、診察が終りました。
⑬で診察券を機械に通すと、注射の順番票がでてきます。順番がきて、処置室にはいると、看護師が氏名を確認してから「今回は左にしましょう」と左のおなかにリューブリンという注射をしました。チクリとした。「腕にすると、「痛い!」と言う人がいますからお腹にします」と、前回いっていたが、小生、おなかに脂肪がないからどちらでも同じだろう。後は「指示票に従い「⑥会計へ」。
領収書を見て驚いた。7千7百円の請求のうち注射代が6709円。1割負担でですよ。チクリとやっただけで6万7千円の注射です。これではお腹がいたむのではなく、懐が痛む。
12時帰宅。向かいのかかりつけの薬局に行きました。
かかりつけ薬剤師に薬を頼み、「高い注射をやってきた!」。彼女が言った。
「でもね、注射で転移を防ぐのです。これで命が伸びるなら高くてもいいんじゃない」。それはそうだが、その後私の耳元でささやいた。
「胸に異常を感じないですか。」、「別に」、「薬の所為ですから、異常を感じても心配ないですよ」。
男性の胸が膨らんできたとしても、別に内緒話にするほどのことではない。
薬代は2300円。49錠が1割負担で2300円は高いなぁ


名古屋はさくら開花宣言

2016-03-19 | Weblog・人生・その他
 今日、名古屋気象台は、さくら開花宣言をだしました。
気象台のそめいよしのは開花したようですが、我が家の近くはまだ。
白木蓮は満開になりましたが、後ろの桜はまだ開いていません。
開花は2~3日後でしょう。
25日にウオーキングの花見を計画していますので、その頃には開化を期待しています。

前立腺がんの再診

2016-02-25 | Weblog・人生・その他
2月24日、9時半過ぎ自転車を転がして西部医療センターに行きました。前立腺がんの再診です。病院に着きロビー中央に店開きしている受付で、保険証を確認してもらい、診察券を出すと、看護師が自動受付機に診察券を入れ、予定表がでてきた。「⑬の受付で検体検査をしてください」とある。死具⑬へ行くと、ここにも自動受付機があって、診察券を通すと、採尿コップと採血順番票が出てきた。もちろんコップには氏名が印刷されている。ただちにトイレに行き、尿を採って窓口に提出。採血待合室に行き順番を待つ。採血時、予定表のファイルの中の順番票を見て、氏名を聞く。氏名を確認する。採血後、予定表ファイルを返してくれたので、次を見ると、「泌尿器科窓口⑫へ行ってくれとあるので、10時、⑫窓口に行くと、「泌尿器科②診察室近くで待ってください」と言う。
 ここまでは機械化されているので早かったが、ここから待たされる時間が長かった。診察室に入れたのは、11時半、1時間半ほど待たされた。
 前回と同じ先生で、私が席に座るとすぐコンピュータから先ほどの検査結果がオウトプット、渡してくれた。
 見てみると、PSA値は0.279です。前回3.421でしたから。びっくりするくらい良くなっている。
「PSA値がすごく良いのですが、薬の効果ですか?」、「そうでしょうね」
「薬は女性ホルモンですか」
「いや、男性ホルモンの機能を弱くする薬です。男性ホルモンを少なくすると、もともと体内で作られる女性ホルモンが結果として増えます。」
 先日読んだ福岡伸一さんの本にこんな記述があったことを思いだした。。
『近年、明らかになってきた免疫系の注目すべき知見のひとつに性ホルモンと免疫システムの密接な関係がある。主要な男性ホルモンであるテストステロンは、免疫システムに抑制的に働く。』
「来月も検査の結果、PSA値が低ければ、半年後予定の放射線治療は必要なくなりますか」
「薬と放射線とを組み合わせると効果が大きい。薬だけだと治療期間が長くなり、少なくとも3年はのみ続けることになります。治療法は、手術と放射線と薬(注射も含む)ですが、一般に75歳以上は手術しません。80歳以上は放射線治療も行いません、あなたの場合、80歳前で、ぎりぎり放射線治療が可能ということになります。放射線といえども体を痛めるわけですから、あまり高齢の人には出来ないのです。ですから。あなたが希望されれば、薬のみの治療にしてもよいのですが、その前にCTスキャンで病状を確認したいと考えます。今日CTを撮っていってください。結果は1日にお知らせしますので、3月1日午後、再診に来てください」。その後画像診断室にいきCTを撮影して12時半終わりました。

最近大病院事情

2016-01-14 | Weblog・人生・その他
 「前立腺がんのその後」の報告です。
13日午前10時、自転車を転がして西部医療センターに出掛けました。治療は昨年12月25日から1日1錠の薬を飲むことで始まりましたが、注射も併用する必要があると、この日から注射を始めるようになったのです。
受付で、診察券と保険証を出すと、当日の受付番号と指示をプリントした紙をくれました。「⑬の処置室で検体検査を受けなさい」とある。⑬の受付機に診察券を通すと、血液検査の番号票と小生の名前を記した採尿紙コップがでてきた。トイレで採尿し窓口に出した後、採血室で順番を待つ。番号表が表示された窓口に行き採血。ここでも採血前名前を確認する。ここまでは流れ作業的に進行したが、ここからが時間がかかる。指示プリントには「泌尿器科の窓口へ」とある。窓口に行くと「②診察室の前で待ってください」という。予定時刻は11時~11時半で、まだ1時間ぐらいありそうです。②診察室前の待合室に座って、バッグから本を取り出した。ここで待たされるだろうと、昨日北図書館で本を借りてきた。新潮新書の曽野綾子著「風通しの良い生き方」。著者が「新潮45」に連載したエッセイをまとめた本です。
 11時半になったが、私の受付番号がまだ診察室入り口に表示されない。表示でデイスプレイに「混雑中」と出ている。受付に行って聞くと、予定より「1時間ほど遅れそう」というので、先に昼飯を済ませようと思い、4Fのレストランに行き、簡単なランチを済ませた。
 待合室に戻って、曽野さんの本をほぼ読み終える頃、私の番号が表示された。
入室して自分の名前を言うと、採決検査の結果のプリントをくれた。見ると、PSA値は3.421(ng/dl)。健診で引っかかった結果は5.6だったからから随分良くなっている。「良くなっているのは薬のせいですか」。「そうでしょう」。
高い飲み薬だった(直径5mmぐらいの小さな錠剤が1粒500円もした(1割負担だから50円で済んだが)が、高いだけの効果があったのかも。
「体調はどうですか」、「異常ありません」、「肝機能も異常ないので予定通り注射をやりましょう」
「⑬の処置室でリュープリン注射」という指示書と次回診察予約2月24日及び4月6日の注射予約、次回まで42日間の飲み薬の処方箋がプリントされて出てきた。待ち時間は長かったが、あっという間に診察は終わる。
処置室に行き、注射をしてもらう。看護師が「おなかに注射します」、「皮下注射ですか」。「そうです。注射量が多いので腕だと痛がる患者さんが多いのでお腹に注射します」、「今日午後プールに行く予定ですが、注射後泳いでもかまいませんか」、「いいですよ。日常生活を変える必要はありません」。 小生の腹にズブリと注射針を刺し、11.5mlと記入された薬液を注射した。
 帰宅後、処方箋を持って向かいの薬局に行った。入り口が閉まっていたので、どんどん叩いて開けてもらった。「水曜午後は定休日なんです」と言いながらおなじみの薬剤師が出てきた。「すまないがこれ頼む」と処方箋を出すと、「これ、注射と併用ですね。注射はしたのですか」、「今済ませてきたところ」「高い注射だったでしょう」。
よく知ってるなぁ、と思った。実は請求書を見た時吃驚した。8千円を超す金額だったからです。1割負担だから、注射料は8万円近い。今までの人生で最高価格の注射だった。
 先日妹と逢った時、妹は5年前脳腫瘍を患い治療を受けたが注射が高くて月数十万円になったと言っていたから、がんの薬や注射は高価なのかもしれない。
という状況で、治療は順調に進んでいるようです。

CT検査の結果と薬剤師の言葉

2015-12-26 | Weblog・人生・その他
 前立腺がんは転移しているか、CT検査の結果を聞きに行きました。
診察券を再診受付機に通すと、「泌尿器科窓口に行ってください」とプリントアウト、それを持って窓口に行くと
「②診察口の前でまってください」とプリントを呉れる。1時間ほど待っていたが、順番が来て入ると、
「CT検査の結果、はっきり転移とわかるものはありませんが、右肺の一部に疑わしい影がみえます。これが真正のがんかどうか、3ヶ月後、もう一度CTを撮ってみましょう。」と言う。「プールに行けば1km泳げるのだから、肺が悪いはずない」と思ったが、ここは、医師の言葉に素直に従う。
「では、3ヶ月後お願いします」。
「治療はホルモン療法を内服薬(1日1錠)と注射(注射は3ヶ月に一度)で」。
放射線照射は、必要なら6か月毎に行いますが、必要があるかどうかは、後日判定します」。
「治療を2年半実施し、あと半年経過をみます」。
「ということは最低3年の治療が必要ということですか」
「そうです」。という。
「それから前回問い合わせのあった前立腺組織の写真ですが、担当の医師がおくってくれました。」
と、PCの画面に組織の写真を大きく映し出した。「ここががん細胞、こちらが正常な細胞です」。
言われてみると、がん細胞は正常部分と明らかに違う。納得した。
薬を飲むだけなら、痛いわけではないから、2年半辛抱して飲んでみるか、と観念しました。
 齢を取ると、具合の悪い箇所は出てくるものですね。

26日午前、向かいの薬局に処方箋を持って薬を頼んだ。
薬を渡してくれるとき、馴染みの薬剤師が言った。
「注射と併用ですね」。良く知ってるなぁ「注射は、正月明けから」
「一生飲み続けるのですね」
「一生?医師は2年半続けてくださいと言ったんだけど」
「そうっ、2年半で治るといいね。でも、この薬止められた人ってうちでは、いなかった」。
彼女の言ってることが正しいのかも。
医師は立場があって、簡単に言えないことも薬剤師は経験に基づきあっさり言えるのだろう。

「副作用で、顔がほてってくるかもね。それに顔が膨らんでポチャとした顔になる」
「天皇陛下の誕生日の記者会見見てたが、顔がまるくなってた。薬の副作用かな?」
「そうかもね。陛下は前立腺がんやったからね」
なにしろ、日本人男性の2割は年をとると、前立腺がんになるという。
今日から、小生の治療の始まりです。




残念!生検の結果

2015-12-18 | Weblog・人生・その他
「残念ですが、がんです」。医師が言いました。17日午後、西部医療センターに出掛け前立腺生検の結果を聞きました。「16か所の組織を採り、顕微鏡で調べましたところ、1か所にがんが見つかりました。1か所でも見つかれば、がんという診断になります」。という。
 「その写真を見せてください。ここの画像がこうなっているからがんであるという説明をお願いします」、と小生。「写真はありませんが、ご希望なら撮ります。顕微鏡検査をした先生にお願いしますから、多分年明けになると思います」。
「えっ、写真がない!ということは先生が見て、がんという判断をしたということしか記録されていない!」、「写真を見せろとまでいう患者さんは少ないのです」。
ここの病院は、驚くほど自動化、コンピューター化が進んでいる。
例えば診察結果について、「あなたの症状はこうです」と、いくつかの項目が印刷されて出てきて、医師が該当項目にチェックを入れて渡してくれる。続いて診療方針についてもプリントが出てくる。それを渡せば、医師は病状について患者に説明の義務を果たしたということになるようです。
また、MRIを撮るということになると、医師はPCを操作して「何日、何日が開いています。どの日にしますか」、患者の希望を聞いてクリックすると、何日何時に来てください、結果の説明は何日です」という予約表がプリントアウトされる。
 もちろん血液検査や尿検査の結果もPCに記録されている。ですから、生検の結果もデジタル画像がPCに入っていて、頼めば、画面に呼び出して説明してくれると思っていたのです。でも、考えてみれば生検は人間が行います。CTやMRIは機械がやりますから、デジタルデータにするのは簡単ですが、人間が行う生検結果の記録の方は難しい。
医師は言う。「がんであるということを納得して頂いたとして、次にすることは、このがんが他の臓器、例えば肝臓などに転移していないかをCTで検査する必要があります。何時検査しますか」と言うので、「なるべく早くお願いします」と言うと「では、明日午後4時半からでいいですか」、「お願いします」
CTの予約表と結果の説明日、25日の診察予約がプリントアウトされた。
「治療方針について、説明します」。と「推奨される治療法」なる文書をくれる。
放射線療法、ホルモン療法、手術療法が記載され、「手術療法は75歳以上は行いません。内服薬によるホルモン療法と3~6か月に1度放射線治療を行います」。
次にpCを操作して、「手術、検査、治療に関する同意書(正と控え)なる書類も出てきた。これにサインすれば治療を始めるというわけ。
「前立腺腫瘍にてホルモン療法を受けられる患者さんへ」という書類もでてきた。
「【ホルモン療法とは】前立腺腫瘍はおもに男性ホルモンを栄養として成長しています。その男性ホルモンの分泌を抑え、前立腺腫瘍細胞を消失せしめる治療を前立腺ホルモン療法といいます。
【治療の方法】使用する薬剤は内服薬、注射薬と様々で宇。(以下略)
【副作用】体内のホルモンバランスが女性ホルモン優位になります(以下略)」
「今年はついていないなぁ」帰途、そう思いました。
「でも人間最後は、必ず病気になって死ぬのだから、前立腺がんという病気は楽な方かもしれない」。
 25日、午後4時過ぎ、自転車を転がして西部医療センターに行きました。夕方になると、午前中の混雑がうそのように管さんとしています。診察カードを自動受付機に通すと、「⑰晩窓口に行ってください」とプリントが出てくる。窓口でその書類を出すと、「CT待合室でまってください」。行くと待ち時間ほとんどゼロで、CT撮影の部屋に呼びこまれ、上着をぬいてベッドに寝かされ「ズボンは足首までさげてください」。
 ベッドがCTの機械の中に滑り込んでいく。「息をとめてください」、「楽にしてください」。この辺りはレントゲンの撮影と同じ。数回、撮影を繰り返して終了。MRIと比べると、音も静かだし、短時間で終わる。「こんな程度でわかるのかな?」と思うほどだ。支払いをすませ、帰途イオン・モールに寄ったが、5時には帰宅できた。さて、25日はどんな結果になるでしょう。

生検

2015-12-14 | Weblog・人生・その他
 前立腺がんの生検に行ってきましたが、大変でした。
10日9時半、連れ合いと連れ立って、タクシーを拾い、名古屋市西部医療センターに行きました。受付を済まし6F西棟に上がり、ナースステーションに書類を提出すると、すぐ右手の手首に名前のバーコードの入ったテープを巻きつけられます。部屋に案内されました。4人部屋ですが、ベッドの周囲はカーテンに覆われ一応プライバシーは保たれるが話声は聞こえる。「担当の”川原“です」。看護師が挨拶に来た。
寝間着のパジャマに着替えると、医師が来て点滴の針を左手に刺した。夕方まで続けると言う。点滴スタンドにつながるからトイレに行くにもスタンドを引っ張って行くことになる。
「オペが済んでから点滴するならわかるが、オペ前から点滴の必要があるのかな?」
薬剤師が薬品の説明に来た。
「処置は12時半。手術室で行います」。まだ2時間もある。連れ合いはハンドバッグから文庫本を取り出して読み始めた。この辺りは亭主の行動パターンに似てきた。
「結果として面倒かけ続けてきたなぁ」と、白髪の横顔を見つめた。

12時半、看護師が迎えに来た。車椅子に載せられ、3Fへ。手術室がたくさん並んでいる。
看護師が右腕のテープのバーコードをリーダーで読み取る、「お名前をフルネームで仰って」
読み結果と患者の声で名前を確認する。更に医師が、名前と手術内容を読み上げ患者に確認を求める。
数年前、患者を間違えて手術をするという事故が名古屋の大病院であって(この病院ではないが)本人確認はうるさいくらい繰り返す。
診察室に入る都度、名前をフルネームで言わされる。実際、診察ごとに医師が代わっているので、医師は前の診察医師の書いたカルテを読んでから診察する。手術する医師も診察の時の医師とは別人で、これでは、医師は患者の名前と顔を覚えられない。患者を取り違える事故があっても不思議ではない。
ベッドの上に寝かされ、ズボンとパンツを脱がされる。手術が始まった。顕微鏡用の試料として前立腺の組織を切り取るのだ。そのための装置を肛門の穴に押し込むのです。
それがめっちゃ痛いのです。
肛門の内部から前立腺の組織を採るのだ。これは聞いていなかった。
「いたーい」と叫ぶと、医師は「お尻の穴が小さいのですね」と言う。痛いのは、小生の尻の穴の所為、といわんばかり。
痛いけれど、医者だって好んで他人の尻の穴をのぞきこんで医療機器を操作しているわけではない。尻の穴をのぞく仕事で妻子を養わねばならないから、我慢してやっているんだろう。俺も我慢だ。
やっと入ったと思ったら「ちかっ」と痛みを感じた。針を刺して組織を採取すると言っていたから今針を刺したのだろう。その後肛門内部に猛烈な痛み。へそ辺りに力を入れ、両脚を踏ん張って「ううーん」と耐える。しばらくして「プシュ」という風船をつぶしたような音がする。そして痛みが停まる。「プシュ」で組織を採り終わるのだ。やれやれと思ったが、また「ちかっ」と痛み。別の箇所で組織を採るのだ。「ちかっ」、「ううーん」、「プシュ」の繰り返しが10数回繰り返した。
「終わりました」と言われた時には、ぐったりしてしまった。歩けないぐらい疲労困憊、車椅子に載せられ病室まで戻された。時刻は1時だった。
最後に医師に聞いた。「プールには何日後から入っていいですか?」
「1週間はいけません」。
1週間いけないと今月は29日でプールは終わりになるから年内10日ぐらいしか泳げない。年間の水泳距離は250㎞がやっとということになる(昨年は300km、一昨年は365km泳いだ)。
「早かったね」と連れ合いがいう。30分弱だから早いと言えば早いが、地獄の攻めみたいな30分。「麻酔はやってたの?」と聞くと、看護師が「局所麻酔はやりました。
「2時まで安静にしていてください」
 1時間ほどうとうとして2時になると、看護師がやってきて「オシッコの都度、時刻と量を記録してください」と、記録用紙と計量コップを持ってきた。
連れ合いはもう帰るというので、「タクシーなら今朝¥500だったから,それくらいで玄関まで着ける。バスなら病院の前から「栄行き」で脳北橋で降りればいい」と言うと、「バスは本数が少ないので歩いて帰る」という。バス停で2区や3区の距離ならさっさと歩く。これも亭主の行動パタンが移ったらしい・
6時の夕食まで、寝ていた。途中でトイレの度に尿の量をみたが、大体2時間おきで150cc
一番多い時で200ccだ。「こんなにタンク容量が小さくなっているの」と、手術が終了した時に医師の言った言葉を思い出した。
「膀胱に水がたまってます。前立腺の治療が終わったら、治療を相談された方がいいですよ。」、「どういうことですか」
「年をとると、タマに水の溜まる人がいます」、「水が溜まっても、痛くなければ治療の必要はないのでは?」、「水が今以上にふえなければいいのですが」。
医師の言った意味が分かった。「水が溜まったため、有効容量が少なくなっている。水がもっとたまると、容量はもっと減る」と言う意味だ。年の所為だろう、あちこち不具合なところが出てくる」。
小生、泌尿器関係の臓器が設計寿命を越えているのかな?
夕食前、点滴を外しに来た。いろいろな菌による炎症、化膿、感染症を抑える薬品を点滴でいれていたのだが、手術後5時間経過後は飲み薬に切り替えるという。スタンドを引きずらなくてもよくなったのでほっとした。
後の回復は順調だった。就寝前は体温は微熱(37.2℃)だったし、血圧も150を超えていたが、翌朝は、36.6℃、血圧も120台になっていた。朝、医師が顔をだし、「もう退院していい。結果は17日午後しらせます」と言った。
もう痛いことはやらないだろう。75歳以上は手術はやらないといっていたから、仮にがんの診断が出ても放射線治療になる筈だ。
10時、退院し、バスで帰宅しました。

前立腺がんの疑い

2015-12-13 | Weblog・人生・その他
 「前立腺がんの疑いがあります」。「前立腺の組織をとって顕微鏡検査が望ましい。一泊2日の入院が必要です。」。医者がこういいました。12月10~11日、名古屋市立西部医療センターに入院することになりました。
 事の起こりはこうです。
9月末、後期高齢者保健の特定診断、つまり健康診断を受診したら、血液中のPSAが高い!5.64ng/dl(正常値は4以下)。若先生は一度MRIで画像診断した方がいい、と言い西部医療センターを紹介してくれた。帰宅後パソコンでPSAを検索してみたら、PSAは前立腺がんのマーカーで、4を超えていた場合がんである確率は30%程度とある。
 多分大丈夫と思ったが、せっかく若先生が進めるから受診するだけ受診しようか。紹介状をもって医療センターに行ったのが、先月の15日。すぐMRIを取ってもらえるのかと思ったら、尿検査、血液検査(MRIは造影剤を入れるので使っても大丈夫か肝機能、腎機能をチェックするのだそうです)、問診、触診(お尻の穴から指を入れて前立腺が大きくなっているか触ってみる)。その結果触診だけではわからない(当然だろう)。MRIの画像診断をやってみるから11月10日に来なさい。結果は1週間後の17日に知らせるというのです。
10日に行き、MRIの診断室に入る。着替えをして、「閉所恐怖症はありますか」。「ない、ない」。ベッドに寝て機械の中にもぐる。
以前頭部のMRI受診をしたことがあるが、機械の騒音がものすごく、まるで耳元でジェット機のエンジンが回っている感じで閉口したのですが、今回は機械が頭部でなく、腰部ですから、音はさほどでなかった。
機械が停まって、これで終わりかと思ったら、「造影剤を入れます。」と腕の静脈に針をさした。
「なんだこれから本撮影だ」。その後機械が動いて撮影終了。
 17日午後、結果を聞きに行きました。
「画像には11mm程度の影がうつっていますが、これががんかどうかはっきりしないのです」と医師が言う。
「ですから生検、つまり前立腺の組織をとって顕微鏡で見る必要があります。」
「真のがんである確率は?、「3割です」
おいおい、それじゃ、写真を撮るまえとおなじじゃない。写真を見ても判断できないの?と不満だったが、ここはおとなしく質問した。
「ほうっておいて半年後の血液検査でPSA値をもう一度みるというのはどうですか」
「がんでなければ全く問題ありません。しかし真のがんであれば手遅れです」
「がんであった場合どういう治療をやるのですか」
「75歳以上の場合手術はやりません。従って放射線治療と飲み薬ですね」
「医者としては生検をすすめるわけですね」。「そうです。生検するには、前立腺から組織を採る手術が必要です。そのため一泊二日の入院が必要です」
結局12月10日入院することになりました。検査入院ですから11日には退院できるそうですが、入院とは大ごとになったものです。青天の霹靂ですが、もう80歳に近い。平均寿命ぐらいまでは生きているから、どんな病気になっても不思議ではない。
次便は?11日の退院後に報告します。


年とったなぁ

2015-12-07 | Weblog・人生・その他
師走に入ってもう一週間が過ぎました。例年この時期になると「喪中につき年賀は辞退します」という挨拶状がきます。今年も5通到来しました。「母が亡くなり」とか「義母が永眠し」とか言うのは毎度ですが、今年は1通「長男が永眠しました」という便りがあって愕然としました。子どもに先立たれるほどの高齢者の仲間に自分もなったのか、とおもったからです。
あぁ、俺も年とったと思った第一です。

 5日、午前中にかかりつけの若先生を訪れました。特にどこが悪いということでなく、月に一度は血圧の薬を貰いがてら健康相談をしているのです。
 先月はpSAが増えたことから前立腺のmRIを受けることをすすめられたものですから、早速「MRIの結果は?」と聞かれました。
「生検が必要だから一泊二日で入院するよう言われました。10日に入院し、結果は17日に知らせるということでした。と報告した後、「大したことはないだろうと思ってましたが、入院という大ごとになったので閉口しています。」と返事して、「何が悪くて前立腺が悪くなったのでしょう。何も悪いことはした覚えはないのですが・・・」。
「病気というものは、因果応報でなるものではないのです。別に悪いことをしてなくても、年をとれば病気がでます。」
「人間はすべて死にます。“自然死”という言葉は、正確な言葉ではありません。すべての臓器が自然であれば死ぬはずないからです。死ぬときにはどこかが病気になって死ぬのです。前立腺がんになったとしたら、その原因は「強いて言うと“長生き”したからですよ」
「それに前立腺がんは難しい病気ではありませんから、がんであったとしても治療をすれば治る病です」。あぁ、俺も年とったと思った第二です。
第三があります。
 6月13日、駅ちかウオーキングにでかけたのです。東海通り駅がタスタートで、七里の渡し、白鳥公園、熱田神宮を回って堀田に戻る9㎞ぐらいのコースでしたが神宮まで歩いて、後、左足の裏が痛くて歩けなくなりました。
 それ以後、5~6㎞歩くと左足の裏が痛くなる。何故痛くなるのか?それも左だけ痛いのか?
70年以上歩いていますが、そうした体験がない。両脚ともに足裏が痛くなったことはあります。
30年前、フルマラソンを走ろうと思い立ち、練習を始めました。毎日練習していたら、足の裏が腫れてきたのです。腫れた部分が地面に接触すると痛い(この時の痛さと今回の左足裏の痛さと同じなのです)。つまり足裏を酷使した所為らしい。
でもあの時は両脚です。今回は左足だけ酷使しているのだろうか? 思い当たるのは、頸の怪我です。頸は沢山の神経が走っている。左足を動かす神経に異常をきたして左の腰・太ももの筋肉に力が入らない?そのため、歩くときの衝撃が、左腰や太ももで受けることが出来ず、すべて足の裏にかかり、足裏を酷使することになる。それで、5~6㎞も歩くと足裏が腫れてくるのでは?
 それに水泳があります。怪我以後バタフライの泳ぎが出来ない。泳ぎ仲間に診てもらうと左足が動いていないという。コーチに聞くと左足の水を押す力が弱いという。
 でも、歩きの異常は怪我してから何故1年以上経ってそうなったのか。説明がつきません。
しかし左足に異常が生じていることは間違いない。いつも行っている整形外科医に聞きました。
「足裏の痛みは頸の怪我とは無関係と思う。通常、脚を動かす神経が異常になるのは、腰の神経を痛めた場合は起こりうる。また、怪我でなく、年をとったため、腰の神経の異常が起きることはありうる。腰のMRIを撮ってみる手はあるが」。
 もしかすると、泳げなくなったのは、頸の怪我の所為と思っていたが、老齢化が頸の怪我と同時に起きたのかもしれない。