Motoharu Radio Show #175

2014年02月07日 | Motoharu Radio Show

2014/02/04 OnAir - 1st. Week - 大滝詠一追悼特別番組 ~ありがとう、大滝さん~ 第二回
01.Crosby, Stills, Nash & Young:Woodstock
02.Neil Young:The Loner
03.Stephen Stills:Love the One You're With
04.Eagles:Take It Easy
05.James Taylor:You've Got a Friend
06.大滝詠一:乱れ髪
07.ナイアガラ・トライアングル:A面で恋をして
08.Little Feat:Dixie Chicken
09.Van Dyke Parks:Occapella
10.はっぴいえんど:さよならアメリカさよならニッポン
11.Dr. John:Iko Iko
12.Johnny Rivers:Rockin' Pneumonia and the Boogie Woogie Flu
13.金沢明子:イエロー・サブマリン音頭
14.ナイアガラ・トライアングル:幸せにさよなら(シングルバージョン)
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■内容の一部を抜粋

佐野元春 : さて、昨年末、大滝詠一さんが亡くなりました。とても残念なことです。突然の訃報に驚いた方も多いと思います。謹んでお悔やみを申し上げます。'70年代から現在まで大滝さんは独特の美学と方法論を持って日本のポップ・ミュージックにひとつの可能性を開いてきました。Motoharu Radio Showでは前回から4週に渡って大滝詠一追悼特別番組「ありがとう、大滝さん」を放送しています。今夜はその第二回目。'80年代、Motoharu Radio Showから現在まで、過去30年間に渡る貴重なアーカイヴをもとに、リスナーのみなさんと大滝さんの思い出を振り返ってみたいと思います。

大滝さんといえば「ゴー・ゴー・ナイアガラ」。ミュージシャンとしてだけでなく、ディスク・ジョッキーとしても素晴らしい仕事をなさっていました。選曲、構成、そしてトーク。大滝さんの番組「ゴー・ゴー・ナイアガラ」は時代を超えて多くの音楽ファンを魅了しました。最近ではここNHK-FMで「大瀧詠一のアメリカン・ポップス伝」という番組をやっていました。エルヴィス・プレスリー、デビュー前後からはじまって、'60年代のポップスまで、大滝さん独自の視点で米国ポップ音楽の歴史を追究していました。話によるとシリーズはこれからも続く予定だったということ。こうしてラジオDJとしてオールディーズを体系的に語れる人は今とても少なくなっています。それだけに大滝さんのDJがこれからは聴けないというのはとても残念なことだと思います。さて、ラジオということでいうと、大滝さんはこのMotoharu Radio Showとも深い縁がありました。1986年9月。僕が海外レコーディングでどうしても番組に出られないときがありました。そのとき番組リスナー・ファンのために代理としてDJをやってくれたのが大滝さんでした。大滝詠一追悼特集、ここで、Motoharu Radio Show、1986年9月29日の放送から大滝詠一、ディスク・ジョッキーとしての彼の名調子を振り返ってみたいと思います。

●「Motoharu Radio Show」1986年9月29日放送アーカイヴ

大滝詠一 : さて先週は'60年代中期から'60年代後半までのフォーク・ロック・ムーブメントを中心に、フラワー・ムーブメントを中心にお送りしました。で、最後は我々はっぴいえんどというグループを作ってましたが、そのはっぴいえんどのアイドルであったところのバッファロー・スプリングフィールドの曲をたくさんかけましたけども、そのへんの流れが'70年代に入ってどういうふうに流れていったかというのを本日は特集していこうと思います。

・Woodstock

大滝詠一 : クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤングでお送りしました。「Woodstock」でした。で、僕らちょうどこの辺が大学の時代でしたけれども。ですから個人的に申しますと僕の場合はエルヴィスでロックを知って、そしてビートルズを経て、ビートルズ・ジェネレーションでもあり、そしてウッドストック・ジェネレーションとも呼ばれるところの範疇に入ってるはずですけれども。というくらいこのウッドストックのコンサートはすごかったということですね。それではこのニール・ヤングも、このクロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤングにも参加したり、個人的にもソロ・アルバム出していましたけれども、ニール・ヤングの曲を聴いてみましょう。ひじょうに好きな曲でございます「The Loner」。

・The Loner

大滝詠一 : ニール・ヤングでお送り致しました「The Loner」という曲でした。ひじょうにかっこいい曲でねぇ、これははっぴいえんど時代に「春よ来い」という曲を作りました、この曲に影響されて。というふうに、途中で入るストリングスなんかも、ひじょうにロックの中でこう入ってくるという、まぁもちろんビートルズなんかいろいろやってましたけれどもね。ストリングス・アレンジャーとして、またこれが僕が大好きなフィル・スペクターというプロデューサーがいますが、そこでアレンジャーとして活躍していたジャック・ニッチェの名前を、大体そう7,8年ぶりぐらいにこのニール・ヤングのアルバムで見たというのも、ひじょうに感激したものでございました。さて、クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤングの中でもちろんリーダー格はスティーヴン・スティルスでしたね。バッファロー時代からも彼がリーダーでしたけれども。彼もソロ・アルバムを出しています。この曲聴いてみましょう「Love the One You're With」という曲でございます、スティーヴン・スティルス。

・Love the One You're With
・Take It Easy

大滝詠一 : ジャクソン・ブラウンのペンによりますところの「Take It Easy」、イーグルスのデビュー・ヒットでした。この曲がものすごくヒットしていた頃というのはちょうどはっぴいえんどが解散する頃でして、イーグルスの曲がよくかかっていました。イーグルスも最初はこういうふうにどちらかというとカントリー・ロック的な感じのデビューをしておりますね。で、ウエストコースト・グループにひじょうに特徴的なのはやはりコーラスがこうキレイという感じが、ビーチボーイズ以降ずっとあるような感じがありますけれどもね。で、イーグルスといいますと現在でもご存知の通りグレン・フライとか、それからドン・ヘンリー、この人たちが在籍していたグループでありましたね。さて、こういうふうにグループから独立してソロ活動するというのが、だんだんこういうブームになってきたわけですけれども。うーん、ソロ・シンガーといいますかね、フォーク・シンガーの人たちもだんだん出てまいりまして、その人たちを大体シンガー・ソングライターというふうに今度呼ぶようになりました。ですからシンガー・ソングライターの時代というのが来るわけです。それのいちばん代表曲というふうになったのは、たぶんこの曲ではないかと思います。ジェームス・テイラーの「君の友だち」というタイトルでしたかね、「You've Got a Friend」1位になりました。ジェームス・テイラー。

・You've Got a Friend

佐野元春 : 「Motoharu Radio Show」1986年9月29日の放送から大滝さんのDJを振り返ってみました。オンエアした曲は当時全て大滝さんが持ってきたアナログ盤でかけています。途中、プチプチプチというアナログ盤特有のノイズが聴こえていたと思います。懐かしいですね。Motoharu Radio Show、番組ではこれまで何回かゲストとして大滝さんを招きました。僕の拙い質問に大滝さんはいつも誠実に、また時折ユーモアを交えて優しく答えてくれました。この放送は1986年6月7日、音楽の普遍性について語っています。

●「Motoharu Radio Show」1986年6月7日放送アーカイヴ

大滝詠一 : どうなんだろうな? だからメロディとしてさ、割に生きるものっていうのは長く残るみたいだよね。リズムがすごく強烈なものは瞬間的に時代に突き刺さる威力が強いみたいだけど。メロディとして残るか残らないかというのはひとつのアレになるみたいだね。

佐野元春 : 普遍性があるかどうかの証になるね。

大滝詠一 : それは時代と共に変わっていく部分も、普遍性に変わっていくものを入れるのはひじょうにおかしいとは思うけどもさ。普遍性の中にも少しずつ変わっていかざるを得ないところがあるわけでしょ。だからその時代その時代でどう読めるかというのはちょっとわかんないんだけどね。

・乱れ髪

佐野元春 : 作詞松本隆、作曲大瀧詠一。1972年リリース、アルバム『大瀧詠一』からの曲「乱れ髪」聴いてみました。このあとはナイアガラ・トライアングルについて語っています。

ジェイムス・ダーレン、シェリー・フェブレー、ポール・ピーターセンのアルバム『Teenage Triangle』のもじりが大もと。「3」という数字には三人寄れば文殊の知恵とか(長嶋茂雄の背番号「3」そういうの)もあったかもしれない。役割意識というのは誰が入ってもあるようで、ひとりが中心で右と左というのは据わりがいいし、見た目の数としても。決して前にいた人間の位置だというのではなくて「3」という限られたときの各々の役割分担というというのがある。そういうことなんじゃないかと大滝さん。

トライアングルの3人が全部上向きのベクトルがないと、どんなにビッグなアーティストが集まっても、それなりの強い力が出て来ない。弁証法という言葉にもあるように三角形にも当てはまると思うんだと元春。

みんな1ぐらいの力を軽く出したとしても、せーのでピッタリ合ったりすると10ぐらいの力になったりすることもある。例えば二人が10ずつ出しても、ひとりがマイナスのベクトルを持ってたりすると0にもいかない。20の力もなくなってしまうぐらい恐いもの。そういう発想から下げてきた企画がほしい。今だとあるものをどうしたらいいのかというものしか出ない。そういうのだったら発想なんて出るわけない。これとこれしかいないから何やろうか、そうじゃない。最初にこういうのあったらどうだろうかというところから持って来なければいけないと大滝さん。

・A面で恋をして

佐野元春 : 曲は大瀧詠一プロデュース『Niagara Triangle Vol.2』から「A面で恋をして」。さて、『Niagara Triangle Vol.2』が出た同じ年1982年、僕はアルバム『SOMEDAY』を出しました。そのアルバム『SOMEDAY』のリリース20周年のときに、大滝さんから何かコメントをいただきたいと思って頼んだところ、快く引き受けてくれました。このコメントをいただいたときは本当にうれしかったですね。僕の曲「SOMEDAY」について語ってくれています。ラジオをお聴きのみなさんにも紹介したいので是非聴いてみてください。

大滝詠一 : 佐野くん、そして佐野元春ファンのみなさま大滝詠一でございます。先日は僕のラジオ・プログラム「スピーチ・バルーン」にゲストで出ていただきまして、どうもありがとうございました。実に久し振りに杉くんとも3人でトライアングル対談を行いましたけれども、実に楽しいものでしたね。なかなか音楽でも3人とも、コンビネーションうまくいきましたけれども、ああいうトークでも我々はうまくいけるなという感じがしますね。レツゴー三匹の後がまも狙えるというか、例えが古かったです。脱線トリオの後がまも狙えるかという(笑)、ふふふ、さらに古いですけれども。さて、そこで『トライアングル』もそうでしたが『SOMEDAY』も20周年ということでおめでとうございます。リマスタリングされましたこのアルバムを久々にまたじっくり聴きましたけれども。この前の「スピーチ・バルーン」の中でも佐野くんは、たまたま僕のセッションを見に来て云々ということを、僕を立てて発言しておられましたけれども。こと「SOMEDAY」をまた聴き直しましたが、やはりひじょうに佐野元春そのものが出ているといいますか、多少のきっかけになりましたけれども、直接的には僕は何の関係もなく、佐野元春が中に眠っていたもの、それから常に思っていたもの、こうしたいというものが、この一曲に集約された、そういう時期だったんだなというようなことを思いますし、聴けば聴くほど本当に名曲だと思いますね。アーティストというのはあまり1曲、それだけを語られるというのはね、ある種面映いものがあるんですけれども、しかし20年も経ったことを考えてみますと、他の楽曲はもう消えつつあるというか、ほとんど消えてるものばかりですので、これは本当に'80年代の名曲として残っているベスト3に入る名曲だというふうに思いますし、それはそれで本人もそうですしょうけれど、大事にしていきたいと思ってるでしょうし、大事にしていってほしいなと思う楽曲でございます。大滝詠一でした。

佐野元春 : そうですね。思い返せば「SOMEDAY」というこの曲、大滝さんのレコーディングを見学したことがきっかけで曲のデザインが決まりました。まだ自分の経験が浅くて何もわからなかったときに、レコーディングの方法を教えてくれたのが大滝さんでした。「SOMEDAY」という曲は大滝さんとの出会いがなければ生まれなかった曲だと思っています。Motoharu Radio Show、大滝詠一追悼特集続いてます。ではここで再びDJ大滝詠一に登場願って、1986年10月6日の放送からはっぴいえんど時代の海外レコーディングについて、またヴァン・ダイク・パークスとの出会いについて語っている貴重な証言といっていいと思いますね、ちょっと聴いてみたいと思います。

●「Motoharu Radio Show」1986年10月6日放送アーカイヴ

大滝詠一 : さて、先週バッファロー・スプリングフィールドの第二世代ということでイーグルスをかけたりしましたけれども、やはり他にも第二世代のグループが出てきまして、特に素晴らしかったのはリトル・フィートというグループでした。で、ちょうどこのときにはっぴいえんどは解散するために3枚目のアルバムを作りにロスへ行ったんですけれども、このリトル・フィートがちょうどこの『Dixie Chicken』というアルバムを製作中でした。

・Dixie Chicken

大滝詠一 : リトル・フィートでお送り致しました「Dixie Chicken」でした。名曲ですけれどもね。ロスのクローバー・スタジオでしたかね、そこへ見に行ったときにレコーディングやってました。この曲ではなかったんですけれども、そのレコーディングがこういう名作中の名作といわれるアルバムになるとは、そのときは気がつきませんでしたけれども。しかしこのタイトなリズム隊とか、それからリード・ヴォーカルがロウエル・ジョージという人でしたけれども、この人の声とか、それからギターとかなかなかに見るからにすごいものがありました。で、リトル・フィートのアルバムなどにはヴァン・ダイク・パークスの名前、クレジットなども見られまして、大体ヴァン・ダイク・パークスという人はそういうふうにいろんなセッションに顔を出すというか、割合トラブル・メーカー的にいろんなところに、お呼びでないのにしゃしゃり出るというパターンもけっこうあったようですけれども。まぁ、しかしながらこのリトル・フィートはなかなか素晴らしく、で、伊藤銀次がリーダーだったグループ、ココナツ・バンクというグループがいまして、そのグループはリトル・フィートをお手本にしようと、はっぴいえんどがバッファローをお手本にしたので、ココナツ・バンクはリトル・フィートをお手本にしてバンドのサウンド作りというのをやりました。さて、当のヴァン・ダイク・パークスという人もちょっと前ぐらいにレコーディングを終えてまして、アルバムが出ておりました。それが『Discover America』という、これはまた名作中の名作で、マニアのあいだではひじょうに評判が高いアルバムですけれどもね。当人のヴァン・ダイク・パークスのアルバムから1曲聴いてみましょう。「Occapella」。

・Occapella

大滝詠一 : ヴァン・ダイク・パークスでお送り致しました「Occapella」でございましたけれどもね。こういうふうにロスの音楽というのは割合ニューヨークなんかに比べるとのんびりとした感じありまして、で、やっぱりウッドストック以降は、どういうんですかね、進歩というかそういうのではなく、少しゆっくりしようという感じみたいなのが全般的にありまして、レイドバックなどという言葉も流行ったりしました。さて、ちょうどこの頃にロサンジェルスのサンセット・サウンド・スタジオというとこへ行って、鈴木茂、松本隆、細野晴臣と最後のアルバムを作っていたんですけれども。みんなひとり、茂と細野と僕と4曲ずつ書けば12曲になるというので、みんな分担が4曲というふうに決まったんですが(笑)、僕は曲がなかなかできなくて、2曲しかなくて3曲目を作ろうと、なんかいろいろセッションみたいなのをやっていたところにふらりと現れたのが、実はヴァン・ダイク・パークスがふらりと現れたわけなんです。それで急にその曲のプロデュースを突然はじめたんですね。そこで、さっき「Do Re Me」という曲のアレンジャーで、カービー・ジョンソンという人がアレンジしてましたけれども、その人が突然現れて、突然セッションになったというのがこの曲でございました。はっぴいえんどの「さよならアメリカさよならニッポン」。

・さよならアメリカさよならニッポン

大滝詠一 : はっぴいえんどの「さよならアメリカさよならニッポン」でしたけれども。このときにスライド・ギターで、ライ・クーダーよりうまいスライド・ギターがいるというんで、えへ(笑)、スタジオに来たのがそのリトル・フィートのロウエル・ジョージでして。この曲でロウエル・ジョージがスライドを弾いてます。それからピアノはヴァン・ダイク・パークスが「Remember Pearl Harbor!」などと怒鳴りながら自分でひとりで弾いておりました(笑)。というようなことで僕らはここで、まぁヴァン・ダイク・パークスはブライアンなんかとも一緒にやってたわけですけれども。フィル・スペクターもロサンジェルスのスタジオでゴールド・スターというスタジオでやってましたし。ですからフィル・スペクターから、ブライアン・ウィルソンから、それからヴァン・ダイク・パークスとこう、ロサンジェルスのひとつの曲のプロデュースの仕方というか、そういうようなものが一線に繋がったというか、目の当たりにすることができたという、そういう貴重な体験をこのはっぴいえんどの最後のアルバムですることができたわけでした。で、ヴァン・ダイク・パークスの『Discover America』にしても、リトル・フィートの『Dixie Chicken』にしても、行く前に聴いてたんじゃなくて、帰って来てからこんなにすごかったのかなってな感じで聴いたわけです。

・Iko Iko

大滝詠一 : Dr.ジョンでお送り致しました「Iko Iko」でした。Dr.ジョンという人もひじょうに活動が古い人でリトル・リチャードの頃に本名のマック・レベナックでいろいろとやっていた人ですけれどね。'70年代に出てきましたけれども。今のようなドラミング、このマーチのようなドラミングをセカンドライン・ドラミングと言いました。僕は未だにこのドラムが大好きです。さて、他にもたくさんニューオーリンズにはいろんなリズム&ブルースのアーティストがいたわけですけれどもね。特にヒューイ・スミスとクラウンズという人たちは割合ニューオーリンズではすごく有名です。で、ポップ・チャートでの大ヒットはないんですけれども。その曲をカヴァーするという白人ロックンローラーが現れました。ジョニー・リバースという人でこの人は「Memphis」というヒット曲、チャック・ベリーの「Memphis」をカヴァーして出てきたロックンローラーですけれども。この人がヒューイ・スミスとクラウンズの「Rockin' Pneumonia and the Boogie Woogie Flu」というひじょうに長いタイトルの曲をカヴァー致しました。ジョニー・リバース!

・Rockin' Pneumonia and the Boogie Woogie Flu

大滝詠一 : ジョニー・リバースでお送り致しました「Rockin' Pneumonia and the Boogie Woogie Flu」でございました。

佐野元春 : 大滝さんの音楽といえば僕が感じるのはちょっとしたユーモアのセンスです。ご存知のとおり大滝さんはクレイジー・キャッツの研究家でもあります。実際「実年行進曲」というクレイジー・キャッツの曲を曲プロデュースしていました。大滝詠一音楽の中にある諧謔の精神ですよね。それがどこからきてるのかこんなふうに語っています。

●「Motoharu Radio Show」1986年9月1日放送アーカイヴ

元春が前から訊きたかったとして「いちばん失敗したと思う作品は何だったのか」と質問。

ナイアガラのヒストリーは圧倒的に成功が少なくて失敗談でできてる。8割以上失敗談で1,2割の成功もあまり成功と呼べるものでもない。1個、1個についてこれはこう失敗したというのは全部明確にある(笑)。例えば1枚目のシュガーベイブの『Songs』だったら、山下くんとぶつかって「あそこメロディックにしたかったのにリズミックにした」と未だに怒られたりもするんだけどね(笑)。『Niagara Moon』だったら音をもうちょっとよくすればよかったとか、『Go Go Niagara!』だったら一晩で5曲詩を書いて歌入れてミックスしたとか、『Go Go Niagara!』のときがいちばんひどかった。例えば今、時間をかけて、お金もかけて、ふんだんにどうのこうのと言うけれども、一晩で5曲詩を書いて歌入れてミックスという悪夢は一生拭い去れるものではないですけれどね、と大滝さん。

「逆に自分でいちばん成功したと思われるチューンは?」と元春。

「自分のものはあまり成功しないんですよね」と大滝さん。

「最近、他の人をプロデュースしたのは小林旭さん?」と元春。

クレイジー・キャッツの「実年行進曲」を今年1曲書いて、今年はそれ1曲だけ。本当に1曲だけ。普通シングル書くときはB面も一緒に書くでしょ。私は書かないの。去年は小林旭の「熱き心」1曲だけ、と大滝さん。

「このふたりというのは大滝さん個人的に関わりのあった...」と元春。

クレイジー・キャッツがなければこういうふうにひねくれた精神になってなかったと思うし(笑)、小林旭のようなああいう、歌うことの気持ちよさというのかな、とにかく目一杯声出して、張り上げて。それで両方とも共通しているのがコミカルなものが半分、クレイジー・キャッツはメロディックなものはないけれどね(笑)。メロディックなものがあるし、思想的なところもあれば、エンターテインメイントみたいなところもある。そっちの方が自分でおもしろいんですよ、と大滝さん。

・イエロー・サブマリン音頭
大瀧詠一プロデュース、金沢明子の歌で「イエロー・サブマリン音頭」。

CD聴いて思ったけども、レコードってすり減るでしょ。本なんかも何度も見ると手あかがついて真っ黒になるけども、そういう種類のことができなくなるというのは、あまりにもセンチメンタルな意見かなと思いましたね、大滝さん。

「思入れの度合いがビジュアルで見える(笑)」と元春。

これからもちろん思い入れの回数ってあるんだけどね。そういうこと自体がいいか悪いか別にして、ある種の楽しみ方というのはひょっとすると残念なことにジェネレーション的なことになるかもしれないですね。どんなジェネレーションにも思い込みはあるんだけれども、CD以降の人たちの思い込みというのは、どういうふうなかたちとなって現れるのかなって、と大滝さん。

「それは興味深いです。CDに指紋つけるとか」と元春。

何度か聴いていくと変色するとかね(笑)。千回超えるとだんだん光ってくるとか。そういうのがあるのかと思ったりしましたね、と大滝さん。

佐野元春 : CDの次の世代ということで、現在はダウンローディングの時代ですよね。しかし、どんなに時代が変わってもレコードは愛情を込めて作るもの。それを教えてくれたのも大滝さんでした。大滝詠一追悼特集、その第二回目。'70年代に出した『Niagara Triangle Vol.1』。山下達郎、伊藤銀次が参加しました。このアルバムからシングル・カットされたこの曲。伊藤銀次作詞作曲、達郎、銀次、大滝さんと一小節ずつ交代でヴォーカルを取っています。「幸せにさよなら」シングル・ヴァージョン。今夜はこの歌を聴いてお別れです。

・幸せにさよなら

佐野元春 : 今夜のMotoharu Radio Show、楽しんでもらえましたか? しかし、不思議ですね。僕は未だに大滝さんにメールを出せば、いつものようにすぐ返信があるような気がしています。ですのでこうした追悼番組をやっていることがな何か不思議な気がしますね。来週も引き続き大滝詠一追悼特別番組「ありがとう、大滝さん」その第三回目をお届けします。お楽しみに。
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