Sunday Songbook Playlist

2006年07月16日 | Sunday Song Book

<07月16日プレイリスト>
[アリフ・マーディン追悼 PART 1]
アトムの子/山下達郎 "ARTISAN" '91
[BGM]THE RETURN OF THE PRODIGAL SON/
FREDDIE HUBBARD "BACKLASH" '66
A GIRL LIKE YOU/THE YOUNG RASCALS "GROOVIN'" '67
RAINY DAY/THE RASCALS "ONCE UPON A DREAM" '68
UNTIL YOU COME BACK TO ME/ARETHA FRANKLIN
"LET ME IN YOUR LIFE" '73
I KNOW, IT'S YOU/DONNY HATHAWAY
"EXTENSION OF A MAN" '73
PICK UP THE PIECES/AVARAGE WHITE BAND '74
SHE'S GONE/DARYL HALL & JOHN OATES
"ABANDONED LUNCHEONETTE" '73('74)
HEAVEN/THE RASCALS "FREEDOM SUITE" '69
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■内容の一部を抜粋
・アリフ・マーディン
アリフ・マーディンは1932年にトルコのイスタンブールで生まれた。20代前半だった1956年、イスタンブールでディジー・ガレスピーを見てインパクトを受け音楽の道を志すようになった。1958年、26歳の時に渡米しボストンのバークリー・ミュージック・スクールで学ぶ。1961年、アトランティックに入社。

・THE RETURN OF THE PRODIGAL SON
アリフ・マーディンはアトランティックで最初はジャズのミュージシャンを多くプロデュースしていた。フレディ・ハバードの『BACKLASH』は日本では一世を風靡した名盤。このプロデュースをしたのがアリフ・マーディンだった。「THE RETURN OF THE PRODIGAL SON」の邦題は「放蕩息子の帰還」。

・ヤング・ラスカルズ
1960年代になってアリフ・マーディンはヤング・ラスカルズをプロデュースする。ヤング・ラスカルズはニューヨーク出身の4人組のロックンロール・グループ。アトランティック・レコードはジャズ、ブルース、ロックンロールといった黒人音楽専門のレーベルであったが、ヤング・ラスカルズはアトランティックがはじめて契約した白人のロック・グループだった。アリフ・マーディンが関わった最初の仕事で「グッド・ラヴィン」(1965年)という大ヒットが生まれた。以降5年間アリフ・マーディンとラスカルズは切っても切れない関係を築く。ラスカルズにとってアリフ・マーディンはビートルズにとってのジョージ・マーティンのような存在である。

・A GIRL LIKE YOU
タツローさんがはじめて聴いたヤング・ラスカルズの曲は「グッド・ラヴィン」。中学生の頃だったという。2枚目のアルバム『コレクションズ』を買って聴いた時、ヤング・ラスカルズはタツローさんの青春にとって最も重要なグループになったという。
すごくグルーヴのある白人のR&Bで、ダンス・バンド的なロック・グループだったヤング・ラスカルズだが、3枚目のアルバム『グルーヴィン』の1曲目「A GIRL LIKE YOU」は、フルオーケストラで演奏が始まり、タツローさんの度肝を抜いたという。「この素晴らしいアレンジは誰がやってるのだろう?」それがアリフ・マーディンの名前を自覚した最初の瞬間だったそうだ。
ベースなしのオルガン、ギター、そしてヴォーカルという変わった編成の4人組だったヤング・ラスカルズ。まるでスタジオ・ミュージシャンが演奏しているかのような華麗なオーケストレーションに変貌した。その音楽的な指導力を発揮していたのがアリフ・マーディンだった。

・RAINY DAY
1968年にヤング・ラスカルズはラスカルズに名前を改める。もともとラスカルズという名前だったがデビューする時に同名のグループがいたためにヤングをつけて「ヤング・ラスカルズ」と名乗った。デビューして数年、そのラスカルズは影も形もなくなっていたので、もとの「ラスカルズ」に戻した。
4枚目のアルバム『ONCE UPON A DREAM』はラスカルズにとっての『SGT. PEPPERS』で、夢の世界を辿ってゆくトータル・アルバム。更にアリフ・マーディンの存在力が発揮され、いろいろな曲調、いろいろなオーケストレーションが縦横無尽に行き交う。
「この素晴らしいストリングスとオーケストレーション、それから雨のS.E.、わたしにとって[雨の歌]というとどうしてもこのラスカルズの『RAINY DAY』にいつも戻ってしまいます。アリフ・マーディンのオーケトスレーションは自己主張しないで、歌に寄り添うように出しゃばらず、でも引っ込みすぎず、そういういい塩梅のオーケストレーションでございます」とタツローさん。

・アレサ・フランクリン
アリフ・マーディン、トム・ダウド、ジェリー・ウェクスラーというスタッフ・プロデューサー、エンジニア、アレンジャーの三人組で、アレサ・フランクリンをデビュー当時から手がけていた。そうして『レディ・ソウル』という金字塔を打ちたて、アレサは'60年代最大の女性R&Bシンガーに成長してゆく。

・UNTIL YOU COME BACK TO ME
タツローさんの好きなオーケストレーションということで「UNTIL YOU COME BACK TO ME」。1973年、ソウル・チャートNO.1、全米チャートNO.3。スティービー・ワンダーの作品でプロデュース&アレンジはアリフ・マーディン。アレサ・フランクリン自身のピアノと歌、バーナード・パーティーのドラム、チャック・レイニーがベース、ヒュー・マクラケンがギター、ダニー・ハザウェイがエレクトリック・ピアノ。当時のアリフ・マーディンの仕事の常連の名前が並んでいる。

・ダニー・ハザウェイ
ダニー・ハザウェイはもともとシカゴの生まれだが、ニューヨークでアレンジャー、キーボード・プレイヤーとして活躍していた。シンガーとして本領発揮をするにはアリフ・マーディンの存在が重要であった。

・I KNOW, IT'S YOU
アルバム『EXTENSION OF A MAN』はプロデューサーがアリフ・マーディン、ほとんどの曲はダニー・ハザウェイが編曲しているが、B面最後の「I KNOW, IT'S YOU」だけはなぜかアリフ・マーディンがすべてのオーケストレーションを担当した。リオン・ウェアの曲のカヴァーで、ダニー・ハザウェイ自身のピアノ、リック・マロッタのドラム、スタンリー・クラークのベース、デビッド・スピノザのギター、プロデュース&アレンジはアリフ・マーディン。
タツローさんは国内盤の発売が待てず、新宿の帝都無線で1枚だけあった輸入盤を見つけて、胸に抱くようにして帰宅して聴いたことを、昨日のことのように思い出すのだという。

・ブルー・アイド・ソウル
白人がやるソウル・ミュージックを「ブルー・アイド・ソウル」というが、アリフ・マーディンはブルー・アイド・ソウルに対しての造詣が深い。アリフ・マーディン自身が純粋なアメリカンではないから、白人音楽と黒人音楽の間に垣根を持たなかった。差別意識を持たずにクロス・オーバーを盛んに許容できたのはそういう背景があった。

・PICK UP THE PIECES
'70年代のブルー・アイド・ソウルの代表的なバンドがアベレージ・ホワイト・バンド。スコットランド出身の6人組の白人R&Bバンド。デビューの時からアリフ・マーディンがプロデュース。番組でかけたのはアルバム・ヴァージョンをタツローさん自らシングル・ヴァージョンに短く編集した「PICK UP THE PIECES」。

・SHE'S GONE
'70年代のブルー・アイド・ソウルを代表するもうひとつのグループがホール&オーツ。フィラデルフィアを代表するグループでもある。最初はアトランティックで何作か作ったもののなかなかヒットが出ずRCAに移籍した。そこからアメリカを代表するグループに成長してゆく。アトランティックでの初期の作品にはアリフ・マーディンが深く関わっている。「SHE'S GONE」は1974年全米60位という成績だったが多くのカヴァーが存在する。この曲もシングル・ヴァージョンがCD化されてないのでタツローさん自ら編集しシングル・ヴァージョンを作りオンエア。

・HEAVEN
アリフ・マーマーディンのアレンジはストリングスよりブラスのオーケストレーションが好きだというタツローさん。特にフルバンド系のアレンジが上手なのだという。そういった編曲手法の代表作。

■リクエスト・お便りの宛て先:
〒102-8080 東京FM「山下達郎サンデー・ソングブック」係

■今後の予定
07月23日は、「アリフ・マーディン追悼 PART 2」
コメント (2)
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