昨日に続いてのC寺様の走り書きによる記録をご紹介する。
これは所謂「島原大変肥後迷惑」といわれた、前嶽山体崩壊による津波の大災害に関する記述である。
寛政四子歳四月朔旦嶋原山前嶽クズルヽツナミニテ長濱河内梅トウ小嶋ヨリ二ケ川筋濱
一通リウチクズシ家人畜類死スル事数不知 濱邊ニテ諸宗吊(弔)ノ読経度々ニ方ヨへり 公儀ヨリ
三ヶ寺ニ仰セ有テ吊ノ御経有諸宗大寺小寺共ニ持佛堂ニテ吊ノ経アリ 法中ヨリテ三日三夜ノ法事
執行致ケリ 御本山ヨリハ御使僧浄林坊被下 延壽寺ニテ三日三夜ノ吊アリ 五里四方ノ配下打寄
読経三部
説法中座ニ
ツトムル事
この年の「3月1日、熊本では地震が六十余度起こり、島原温泉岳に煙が見えた。4月1日肥後沿岸一帯に温泉崩れによる津波来襲、2,250軒流失、5,250人死亡」(年譜)した。
「川尻では泰宝丸の新造出帆式あるも津波で二丁村陸地に突上げる」と肥後近世史年表は記している。
島原大変肥後迷惑