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寛永十七年六月一日付で細川忠利は幕府に対し、白川から川尻大川までの間に、高瀬船が行きかうことのできるよう既設の井手(はば二間計、深さ一二尺)を広げたい旨の申請をしている。その時に提出されたのがこの絵図である。(新熊本市史・資料編第三 p194)
これに対し六月十四日付で幕府からお許しが出ている。
もっとも藩内で反対意見が出て工事は差しとめられている。なんとも大雑把な図面に思わず笑ってしまった。(失礼)
寛永十七年六月一日付で細川忠利は幕府に対し、白川から川尻大川までの間に、高瀬船が行きかうことのできるよう既設の井手(はば二間計、深さ一二尺)を広げたい旨の申請をしている。その時に提出されたのがこの絵図である。(新熊本市史・資料編第三 p194)
これに対し六月十四日付で幕府からお許しが出ている。
もっとも藩内で反対意見が出て工事は差しとめられている。なんとも大雑把な図面に思わず笑ってしまった。(失礼)
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