津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■御恵贈御礼 「大坂落城異聞―正史と稗史の狭間から」

2016-03-28 15:34:32 | 書籍・読書

                 大坂落城異聞—正史と稗史の狭間から

 ご厚誼いただいている国立歴史民俗博物館名誉教授の高橋敏先生から、新刊のご恵贈を賜った。厚く御礼申し上げる。
昨27年は大阪城落城400年にあたり、時を得ていろいろな「稗史」に光をあてて上梓のご意向を伺っていた。
熊本藩家老有吉家の霊樹院さまは秀頼公のご息女だという伝承が残されている。このことにも興味を持たれて筆を進められて、その成果が第二章にまとめられている。誠にささやかな、お手伝いとはいいがたいお手伝いをしたが、このような立派な刊本をご恵贈を賜り感無量である。

以下発行元・岩波書店のサイトから内容その他をご紹介するが、諸兄のご一読をお願い申し上げる。

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内容紹介

大坂落城の後、豊臣秀頼とその一族は九州に落ちのびたという伝承が、まことしやかに囁かれた。果たして豊臣家は本当に滅んだのか。大坂の陣を、徳川による大義名分のいくさと位置づける「正史」との緊張関係のもと、敗者たちの視点に立った、多彩な「稗史」が創られ続けた。その生成の実態に歴史学からのアプローチを試みる。

目次

序章 大坂落城—敗者たちのその後
第1章 大野主馬治房の逃亡と一類の摘発(消えた大野主馬治房
    『箕浦誓願寺記』から見た大野主馬妻子の摘発
    大野主馬穿鑿と妻子の摘発
    大野主馬妻子潜伏の謎)
第2章 豊臣国松と霊樹院—豊臣秀頼一類の九州方面逃亡(豊後国日出藩木下家と豊臣国松伝承
    熊本藩細川家家老有吉家と秀頼息女霊樹院伝承)
第3章 大坂落城の記憶と慰霊(徳川方戦死者の慰霊と供養
    大坂方戦死者の慰霊と供養)
第4章 大坂落城の記憶とその変容—稗史「大坂落城異聞」の成立(大坂落城の慰霊と儀礼の変容
    浄瑠璃・歌舞伎大坂落城物の成立—甦る大坂落城後の豊臣主従
稗史「大坂落城異聞」の系譜と成立)
結語 甦る敗者たち—正史と稗史の棲み分け

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■再開「我が家検索リスト」  68-9 京町

2016-03-28 07:23:08 | 地図散歩

                     熊本県熊本市中央区京町本丁     

 絵図の下方が熊本城。二の丸を抜けて新堀橋から京町台へ入り、氏家甚左衛門の屋敷を迂回して北へ進むのが豊前街道である。氏家甚左衛門屋敷裏手からそのまま東へ進むと観音坂、こちらは豊後街道へ至る。二つの街道の出口である。
氏家家の屋敷跡は後錦山神社(加藤神社)となったが、屋敷を通り抜ける道が出来京町の町屋筋の道路に一直線に繋がって国道三号線となった。
京町の出口には勢屯をはさんで家老職有吉家の下屋敷と澤村家の屋敷があり、その他有力家臣の家が甍をつらねた。

往生院裏 内藤平左衛門・沢村数衛 光永寺南 小山一太郎 出京町東側 田中九郎兵衛・香山角之助・中山金右衛門・小笠原美濃下屋敷・富田典太

東側ブロック 
      ■有吉将監下屋敷
      ■ 遠坂関内・藤懸喜八郎・額田権次・荒瀬市之助・加々尾市太・佐々布左門
      ■富田十郎右衛門・小代五郎右衛門・奥田快・芳沢黙平・沢村数衛・財津権右衛門・吉弘加左衛門・安井準左衛門・高野文之助・林清次郎・白木大右衛門・藤原隆平・
           原田小平・ ■藤掛新七郎
      ■筑紫弥一右衛門・牧多門助・都甲佐平・中原佐兵衛・藤本十右衛門・木下信十郎・香山角右衛門・林権之助・城十右衛門・松本助左衛門・首藤十次郎・池永喜三右衛門
      ■原田九郎助・山崎平之助・安藤敬之丞・平野三郎兵衛・梅原丹七・中津海仁右衛門・平野専右衛門・小川源左衛門・中村九右衛門・松野孫三郎
      ■松野孫三郎・河喜多助三郎・早川助作・阿蘇大宮司・大里隼之助・荒木善左衛門・加賀山太郎兵衛・平野英兵衛・平野右衛門・浜治寿平・不破太直
      ■佛厳寺・坂巻栄之允・岩佐善左衛門
      ■服部武兵衛・森本儀十郎・古賀宗貞・岩崎貞衛・伊藤十助・魚住助左衛門・山田郷之助・遠藤元俊
      ■牧野安之進・芦村嘉左衛門・松田九郎助
      ■仙勝院・和田権五郎・匂坂平右衛門
      ■安東弥太郎・松村十之進・瀬戸熊助・観音堂
      ■氏家甚左衛門・桑木又助・田中典儀・星野四郎左衛門・奥村少兵衛・吉弘貞之允・小崎十郎左衛門・横田吉次左衛門・吉村嘉善太

西側ブロック 
      ■沢村数衛・手島荒五郎・岩瀬猶太郎・横田利兵衛
      ■中村進士・藤本志津馬・荒木甚四郎・猿木勘左衛門・磯谷太左衛門・村松藤八・松原五左衛門・永谷猪兵衛・菅七之助・松尾市八
      ■藤本学之助・上田新兵衛・垂水嘉平太・田屋治部左衛門・横井五左衛門・木原繁左衛門・小野伝丞・宇野孫太郎・永良弥角・大河原儀右衛門・狩野角左衛門・
       瀬崎猪(一)郎
      ■渡辺作之允・遠山彦助・池辺悰右衛門・須佐美半之助・内藤庄十郎・薮田八郎左衛門・木下織部下屋敷・松岡左一右衛門・下河辺次郎太郎
  (西側出張部分)
      ■吉田作助・中村郡助・藤崎弥右衛門 魚住武兵衛・国武大之丞・松浦治右衛門 船津東平・宮脇儀兵衛・池辺軍次・堀田権十郎・鯛瀬十左衛門
       林常之允・堀田市衛・宇野甚太郎・松野孫三郎・山野平八郎・平野萬之助
       吉田鳩太郎・山内佐左衛門・蒲池喜左衛門・寺尾九郎左衛門・志賀何右衛門・安野藤作・平野直太郎・平野角左衛門
       平野太郎四郎・真鍋重左衛門・吉田少右衛門・郡夷則下屋敷
  (中央通り西側)
      ■津田平助・村松尉助・築山与左衛門・三宅藤左衛門・澤村衛士添屋敷・原田十次郎
      ■飯銅左門・益田才右衛門・佐分利彦右衛門・一宮儀兵衛・笠喜左衛門・米田勘十郎・緒方勘右衛門・門池三七郎・朽木太郎右衛門・新居七左衛門・三宅藤右衛門下屋敷
      ■沢村数衛下屋敷・中路新左衛門・松岡喜兵衛・三宅藤右衛門下屋敷・釈将寺・河内山京助・河田儀右衛門・森田啓八・田屋慎右衛門・守本四郎右衛門・藤本忠次郎
  (二丁目町屋裏)
      ■友田源之助・安田新次郎・沢村数衛下屋敷・野上文吾
      ■加藤元之助・田中半隋・田辺平太郎・西方寺円光寺・米田甚右衛門借置
      ■宇野武一郎・浦津右衛門・板垣三郎助・狩野源内・藤掛秀雄・内藤守礼・塩山牛右衛門・池辺平太郎・内山又助・向台寺
  (南西角)■吉見九郎四郎・前原大九郎・佐々半十郎・山形典十郎・源水玄門・佐藤作馬・小野呈左衛門・大里八郎次・片野安左衛門・安田市助・下津縫殿・愛染院

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■吉浦郷右衛門覺書(五・了)

2016-03-28 07:21:27 | 史料

一、藤右衛門様御妹子様御一所に御座候 唐津にて陰山源
   左衛門様ト申仁に五百石御越被成 源左衛門様ヘハ島子ニ而御働
   宜敷 其後原之城夜討之節 藤右衛門様御働之場ニ而御討
   死被成候 御家来高添作左衛門ト申者 於島子働宜敷敵を鑓
   付候 鑓を持富岡に御供仕帰申候様子 祖母并一提能見候而
   折々物語仕候 其後御妹子様御当国ニ御越被成 六ヶ村之中
   ニ御在宅被成 右作左衛門御供ニ而罷越 御奉公仕 御死去被
   成候御跡迄六ヶ村に居申候 法躰仕 浄蓮と名を改申候
   悴高添角左衛門と申候 御当地にハ越不申 本国唐津
   ニ居申候 浄連老病ニ而果申候處 六ヶ村へ罷越 浄連死
   後之萬事の埒を相究 唐津へ帰り申候 近年傳へ
   を以承り候得者 唐津横町と申ニ職人に罷成候而居申候
   子供二人御座候 何レも武家へ奉公仕居申候由 此子共ハ浄
   連ゟ五代に而可有御座候 浄連六ヶ村にて勤方宜敷
   委細ハ事永ク御座候ニ付省略仕候 御妹子様被成御死去
   候而 同村之中 権兵衛様百姓屋敷内ニ而四五間程之地
   を自分仕置候 田開一畝程ニ替へ候而御墓を築 廻り
   を不囲垣に仕候 御印に梅木を植置申候 此方の御知行庄
   屋喜次左衛門屋敷中にも立福寺と申 小き阿弥陀堂御
   座候 御菩提之ためと申候而 御堂ニ上置候而 田開少し付
   置申候 三十三年之御法事料をも御寺に上置候而 病死
   仕候 惣躰一生之様を当世の忠義之臣と申候而可有御
   座候 御妹子様へ御男子御壱人御早世 御女子御壱人被成
   御座候 松野四郎太夫様御祖父松野善右衛門様へ御越被成候
一、故新兵衛様御家来橋本惣右衛門ト申者 本戸ニ御供仕
   能付添申敵を鑓付 血之付候鑓を富岡に持参仕候を 一提
   も見申候 原之城夜討之節 能付添働申候由 此もの男無
   御座 女子一人御座候に婿を取 鎌田喜近右衛門と申候 九
   郎兵衛様御代迄相勤病死仕候 此者男子御座候得共
   生付不調法にて妻をも持不申 中年廻り候而病死仕候
   喜近右衛門娘も一人御座候 仙石被縁付仕候 此子孫御座候哉
   承り不申候
一、同御家来城戸半四郎と申者も 御場所ニ而能付添
   相働申候由ニ御座候 以上
   右者 一提折節物語仕候中 荒増承覚申候通書記
   置申候 以上
         三宅藤兵衛家司先祖之由
   元文四年五月     吉浦郷右衛門
                  季行(花押) 

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