津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

小楠の絶筆・・?

2011-01-07 21:01:56 | 歴史

 維新十傑の一人とされる横井小楠は、明治2年正月5日に暗殺された。その数日前に書いたと思われる書を、熊本在住の小楠研究家・徳永洋氏が京都で発見されたことが、TVで報じられている。明日の新聞紙面を賑わすことになりそうだ。
御軸に仕立てられているが、状態が素晴らしくまた見事な書である。
はたしてこの後公開の機会はあるのだろうか。お目にかかりたいものではある。

              ja.wikipedia.org/wiki/徳永洋

 

1/8熊本日日新聞より 追記

                  元旦偶作
                 萬里祥雲旭日晴
                忽聞黄鳥報春聲
                南山清気深無限
                都傍高堂盃酒生
                     横存拝 印      印・小楠堂主

       意訳  遠方にめでたい雲がたなびき、朝日が昇って晴れわたっている。
            ふと、ウグイスが春を知らせる声を聞いた。
            南山の清気の深さが限りない。   
             御所のそばで杯に酒を注いでいる。

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「佐弐役」という役職について

2011-01-07 18:18:02 | 歴史

 有吉文書を勉強する中で「佐弐役」という文言が登場、具体的な職務の内容がわからずにいた。垣塚文兵衛成章が文化八年に著した「官職制度考」に、直接的ではないがその内容を窺わせるものがあった。

 奉行所は「政府」と呼ばれ「家老之府」とされる。其の中に機密局という部局があるが「制度考」は「漢名秘書省の類」と記している。機密局とは「國中の大事誥諭の號令士の選授動封考課積分三年大比の政令を司る凡事は蜜を以成り洩露して敗る故機密局あり家老の文書を取調す奉行六人都て此局を指揮す」とある。ここに「佐貮役二人、根取一人、書記八人」が所属し、佐貮役は官印の保管を負かされていたようだ。秘書課長といった役職であったのだろう。「士席以上名録」では一名の名前が挙げられ階級は中士(平士・・知行取)である。

 機密局は目安などを取り扱いこれを担当部局に仕分けをしたり、家老・大御奉行・奉行の会議の招集などを行うことを勉強した。藩政の中枢である。

 ちなみに「佐貮役」が存在するのはこの部局だけである。その他の部局は根取が二名・書記が四名から八名配されている。根取は漢名・主事、書記は史とある。下士(中小姓)がこれを務めた。(例外的に中士の場合もあったが・・)

 

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藩主の居間

2011-01-07 09:29:16 | 歴史

 「官職制度考」は藩主の居館「花畑館」について、次のように記している。

      花畑館
          主君の館なり本丸外山崎にあり
           主君在國の時は家老以下百官有司日々交番して諸事
      の政令を掌り用事を達す官員左に詳なり
        傳へ云此館は先國主加藤主計頭清正同肥後守忠廣
        在城之時遊宴華圃の地なりと
      寛政九壬申冬妙解公襲封の初在城し給ひ其後此館を
      営造ありて居宅となし代々住し給ふ常居の所を陽春
      と名づけて又披雲閣と云表の書院を
      九曜間・中柱間・佐野々間・鷹間・弓間・鐡砲間・廣間
                              (以下略)

この記述から藩主の常の間が、陽春之間(披雲閣)であることが判る。
しかしながらこの部屋は完全な私的なものではなく、有吉文書に見られるように、しばしば公的に使用されたことが判る。当然の事ながらこの部屋に入れる人は限られた人たちであったろう事は想像に難くない。また彼の表現からすると、陽春之間が別名披雲閣と称して一室であるかのようであるが、まったく別室で二室が存在する間取り図も存在し、模様替えが種々行われたことが窺える。(地震の間があったことは以前ブログでご紹介したが、何時の時期に取り壊されたのかいまだ知り得ないでいる)

寝所についての記述は無いが、花畑館の間取図からすると「上御錠口廊下」を経た、「裏御殿」の「上段之間」あたりではないのか・・推測の域を出ない。

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有吉家文書「年中行事抜粋」(十八)御発駕之式・二

2011-01-07 08:33:42 | 有吉家文書

一御發駕被為済候上御小姓頭より案内
 有之御一門衆初中柱之御間江罷出
 南側東頭北向ニ座着御用人
 一人北之御給仕口御衝立之際ニ控居
 いつれも之座着を見受罷出候得者
 御歓謁夫より直ニ御小姓組一人御熨斗
 持出坐順之通致頂戴御熨斗ハ不及取御三方を戴
 右之引取懸御一門衆同席中向合
 恐悦申述候事
     但本行御歓ハ
     上々様まてニ而
     御隠居様若殿様江者
     御留守居、大頭同列以上便状勤
     有之組ニ不入御中小姓以上即日
     御家老、御中老廻有之候事
           御歓事等之節御熨斗蚫
         頂戴ハ御省略中被差止
         候得共熊本
         御發駕者格別之御事ニ付
         此御歓ニ限頂戴有之候事
一夫より御一宿江罷出候同席へ御一門衆
  同席中三家嫡子御迎之節之通
  奉得御機嫌候且又大奉行
  大御目附以下例之面々口之間ニ而
  右同断之事
     御備頭、御留守居大頭者伺御機嫌
     無之候右者文化十四年御發駕
     前沼田江承候處如此
     但御一宿江御歓状仕出は一切
     無之
一夫より御一宿江罷出候同席ハ御機嫌
  伺之稜付佐弐役より御用番江差出
  候を受取早々退出之事
一大御奉行、大御目附を初例之面々詰所へ
  罷出御用番江御歓謁候事
一御備頭、御留守居、大頭詰間江出方
  有之候事
     但壱里山江出方之両人茂以前ハ詰間へ
     出方有之候處、近年ハ其儀無之
一御發駕後御同日御間内見分
  有之御用番一人ニても左之通
一前以御用人江懸合置候得者
  御發駕後御 等を付候上案内有之
  候事

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