津々堂のたわごと日録

わたしの正論は果たして世の中で通用するのか?

■御侍帳・家紋から考える(64)

2022-12-03 07:19:54 | 家紋

                     

                             新・細川藩侍帳【ひ】の部

平井左大夫は、(南東53-6)平井太郎八家の8代目・左大夫(典助)。用人などを勤めた。前回(63)に登場した平井氏の一族、家紋は「陰丸に五つ木瓜紋」

平井伝十郎は、【丹後以来】(南東53-21)平井甚十郎家の8代目か。家紋は「隅立角に三つ引き紋」 

平山亘理は、(南東53-18)平山伊一郎家の5代目・藤五(亘理)。家紋は表示がない。
       このお宅の家祖は、豊臣秀吉室・高台院の兄・木下家定系の足守藩主・木下家の分家である。
       以前、この事実を発見して
細川藩士平山氏の出自は足守藩主木下氏を書いた。

平川伝左衛門は、(南東53-22)平川貞四郎6代目・傳吉(傳左衛門)、家紋は「鬼菊紋」?「亀甲紋」

平川丈助は、(南東53-17)平川弥丈家の5代目・名は惟延、武勇にして忠孝を心とし邊幅を修めず、気象灑然、桜花を絶愛し咲花居士と号す。
       頗る狂歌を善し、口を衝いて出づ。嘉永五年二月二十日没す。年七十八。家紋は「丸に■文字紋」「舵紋」

平塚孫四郎は、(南東53-15)平塚孫四郎家の7代目。家紋は「陰隅切り角に■■紋」

東 尉左衛門は、(南東53-12)東 太郎平家、同名名乗りのものが多く人物の特定に至らない。家紋は「六つ丁子紋」「蕨桜紋」

日隈助之進は、(南東53-8)日隈次雄家の7代目、北条流兵法師範を勤めた。家紋は「隅切り平角に浜洲紋」

樋口元貞は、御医師 (南東57-36 医)樋口立卓家の6代目、家紋は「壽文字紋」か

久武喜内は、(南東53-16)久武白川家の8代目、家紋は「三つ茶の実紋」「鬼浜洲紋」
       喜内の父が久武綺石 名は兼者、権之助と称し、致仕して綺石と号す。藩に仕へ小姓組を勤む。
       禄二百廿石。叉俳諧を善くし其流を汲む者頗る多し。  
久武太郎右衛門は、同上分家、(南東53-14)久武卓爾家の4代目大助(太郎右衛門)、家紋同上

久光八助は、(南東53-23)久光善太家の6代目、家紋は「丸に一文字紋」

東 英助は、(南東53-35)東 英四郎家の6代目か、家紋は「子持ち隅切り平角に丸紋」 

平野源左衛門は、平野甚兵衛家の6代目・源左衛門(甚兵衛長金)、家紋は「一つ左巴紋」

久野立玄は、御医師(南東57-34 医)久野主敬家の7代・太郎次(玄碩・玄立)。家紋については表示がない。  


        新・細川藩侍帳【も】の部

元田尉大夫は、【丹後以来】(南東24-7)元田貞太家の8代目・尉太郎(尉大夫・八右衛門)、家紋は「隅立角に登り藤紋」 

元田弥一兵衛は、【丹後以来】(南東24-7)元田岳人家の5代目。家紋は「隅立角に登り藤紋」「子持ち隅立角に剣唐花紋」

諸井景淳は、「細川家家臣略系譜」に名前が見えない。家紋は不表示。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ■オートミルを食する | トップ | ■江戸煩い »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

家紋」カテゴリの最新記事