津々堂のたわごと日録

わたしの正論は果たして世の中で通用するのか?

■御侍帳・家紋から考える(65)

2022-12-09 06:52:29 | 家紋

     

        新・肥後細川藩侍帳【も】の部

森田角兵衛は、(南東24-11)森田一郎家、数人が角兵衛を名乗り人物特定は不可能である。家紋は「丸に片喰紋」

森脇小兵衛は、(南東24-14)森脇錠次郎家の3代目、家紋は「丸に橘紋」

森下儀太夫は、森本儀太夫の誤植か、加藤清正十六将の一人・儀大夫を祖とする(南東24-13)森本儀十郎家の4代目・森本一瑞 名は昌栄、
      儀太夫と称し、致仕して一瑞と号す。食禄百五十石、藩の軍学師範たり。文武に通達す。藩内を廻歴して肥後国誌三拾巻を著す。
      家紋は「」「隅切り立角に本文字紋」

森崎喜左衛門は、(南東64-101 *)森崎杢大夫家並びに(南東24-12)森崎萬五家に同名の人物が有り特定できない。家紋は「三つ鱗紋」「源氏香(花散里)紋」か

森井惣右衛門は、「細川家家臣略系譜」に名前が見えない。家紋は「丸に武田菱紋」

森 十左衛門は、(南東24-10)森 四郎家の7代もしくは8代目、人物の特定は出来ない。家紋は「違い角紋」

森 小平太は、(南東60-25 一代御中小姓)森 弥十郎家の8代目。家紋は「丸に六曜紋」

森 角右衛門は、御馬方 (南東59-23 茶・鷹・馬)森 角右衛門家の7代目・喜兵衛(角右衛門)。
       2代目四郎次郎は【田辺城籠城】した。家紋は「隅切垂れ角に六つ星紋」「陰の隅切垂れ角に六つ星紋」

門司源七郎は、(南東24-9)門司源七郎家の6代目。家紋は「   」

守田藤兵衛は、(南東64-107 *)守田孫之允家の8代目。家紋は「毬挟み紋」

        新・肥後細川藩侍帳【せ】の部
        新・肥後細川藩侍帳【し】の部

妹尾寛太は、(南東24-23)妹尾寛太家の7代、奉行副役を務めた。家紋は「違い矢筈紋」

小代平之丞は、本来は【し】の部にあるべきだが、当時は「せうだい」としたことにより【せ】の部に分類されている。
      小代氏は蒙古襲来を契機に肥後国野原荘に移住・定着したとされる。肥後の国衆として活躍した。
      (南東52-16)小代八郎家の6代と8代が同名、人物の特定は出来ない。家紋は一族の「団扇紋」
小代清兵衛は、同上分家、(南東52-17)小代常勝家の初代。家紋は同上。

千場八郎右衛門は、(南東24-22)千場次郎家の6代目、玉名郡郡代を勤めた。家紋は「隅立角に蝶紋」「二つ丁子丸紋」

関根俊助は、(南東24-20)関根 左五郎家の4代・関根叢蘭 名は之玄、俊助と称す。武道諸技に通じ、刀剣甲冑陶器を自製し、
      キュウ工に巧なり。又墨蘭、隷書を善くす。家紋は「隅立平角に違い鷹の羽紋」

関野万悦は、「細川家家臣略系譜」に名前が見当たらない。家紋は「七宝に花角紋」

関 角之進は、(南東24-16)関 角三家の7代目・新左衛門(角之進)。家紋は「丸に隅立一つ目紋」
関 素兵衛は、(南東24-17)関 繁家の5代目、託麻・飽託・山鹿・山本郡の郡代などを勤めた。家紋は同上。

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