(36)
一(磯貝)十郎左衛門又被申候は、原宗右衛門足輕を預り居申候、常々足輕とも召仕候樣子、氣味能き事共多く有之、先内匠頭闘諍の刻、
傳奏屋敷の諸道具、宗右衛門働にて、即刻埒仕候と噺被申候處、宗右衛門被参、何を御咄被成候哉と被申候故、箇樣々々と申候へは、
宗右衛門被申候は、拙者は前廉側用人勤居申候故、道具の樣子有増存居申候に付、舟を數多借り寄、道三橋の下に付置候て、船印夫々
に付置、諸道具片付させ、其夜早速赤穂に參候、大學申付候日より、六日ぶりに參候と被申候故、扨々夫は早い事、いか樣に被成候や
と申候へは、惣體公儀の御法度にて候へとも、内匠頭事は、代々傳馬町問屋共に、兼て金銀を遣置候に付、右の通無滯參候、扨々無力
早使を仕候と被申候事
(37)
一或時(富森)助右衛門被申候は、私衣類の中に、女小袖の白袖口なともせはく有之候が御座候、いな事と可被思召、是は老母著物にて
候、其夜遠方え罷越候、殊更寒候間、下著に仕度迚借候て著仕、罷越候と被申候、扨々御尤成る御事、母の衣と書候て、母衣と申傳
候へは、御孝心の程感入候と申候、其後寒氣強候故、何れもの枕本に、立させ可申と、御小屏風の中に、鶏の子を育申處を書たる繪を、
助右衛門見被申、此方へ被申候は、扨々口惜事御座候、皆共はとくに果たるものにて候、今迄存命、此御屏風の繪を見候て、不圖忰事
を存出候と被申候故、御尤至極にて候、貴様も凡夫と思召御心にて、夫程の事は御心にて御免被成候へ、各樣の御忠義、古今無雙の
御忠臣と、末々迄奉感候事は、此頃非番の時分、遠方へ用事有之、町屋敷ゟ出駕に乘候て參候道すがら、駕舁共申候は、四十六人の
御衆は、辨慶、忠信に増たる人がら男ぶりまて揃大男にて、就中大石主税殿と申は、若輩に候へとも、大男大力にて、其夜も大薙刀に
て、辨慶にも増りたると承り申候と、寔にこゝろ無き其日暮しの駕舁、日雇の者まても奉感候、日本神(此處不明)屋敷出入の町人共
も、此咄専ら仕候と申候へは、助右衛門被申候は、扨々傳右衛門殿へは、御頼母敷、何れも打寄忝きと申事に候、御身上被捨、今時の
世上侍出家に至迄、當世のなかれ渡者多候間、能々被附御心、御噺被成候樣に、誠に大事の儀にて候と被申候故、扨々御心入忝、成程
被仰聞候通、私も神以存居候と、返答申候事、
(38)
一助右衛門一子長太郎とて、二歳にて候、愛宕下田村右京大夫様御家中、菅次右衛門と申仁の所に居被申候、同御屋敷の内に、峰宗扑と
申御茶道有之、江村節齋小屋にて、知る人に成居申候、右宗扑小屋にて、長太郎に逢申度、兼々案内いたし置候得とも、悦にて幼少
の人に初て逢申候故、われら町宅近所に、小西十兵衛被居候故、前夜に人形を調給候樣頼遣候得者、其儘調參候に付、鋏箱に入參候て
長太郎に逢申候、扨も/\助右衛門に能く似たる生付にて候、其後助右衛門母儀も、此方御屋敷出入いたし候竹屋惣次郎宅にて逢申候、
惣次郎先祖は、内匠樣御先祖、仔細有之、東國邊に暫御座候節、輕き奉公人にて候由、夫故宗次郎所の者一列の衆中用事をも承申段、
兼て存じ申候段、若き衆中咄被申承居候故、右之通助右衛門母儀へも彼者宅にて對面申候、母儀被申候は、御尋被下初て懸御目、助右
衛門無事に居申候段を承候儀、寔に氏神の御引合と存候、助右衛門儀、其夜出立再遭可申やうも無御座候へば、猶以左右も同前之事に
候私の女心さへ、内匠殿は切腹、上野助殿は其儘被相置候と承り、片手打之御仕置、不及是非事と存候、助右衛門は男子に生れ、今度
の振廻、尤成る儀と存候て罷在候私の影にて無事に居申段々結構成御馳走共に預り候へば何ぞ存殘事も有御座間敷と被申候故、神以拙
者は、兎角の返答成兼及落涙、漸々挨拶をいたし、初對面の口上、片手打の御仕置なとゝ被申儀、珍敷女性、流石助右衛門の葉は義と
感心申、母儀之親は、山本惣右衛門とて、何方へか千石にて、口をきゝたる侍と承候、助右衛門親父も、歴々筋の仁にて、江戸町人の
福人にて、御用杯承候、住江仙右衛門なとゝ、一類にて候、福田浄慶咄承候、侍たる者の子は、女子なりとも、能々嗜度事に候、我等
嫁共にも、此段可被申聞候事
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