津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

こんてむつすむん地

2012-06-11 20:41:12 | 歴史

 三浦綾子の「細川がラシャ夫人」を読むと、ガラシャが侍女佳代(清原マリア)にキリスト教に関する書物をたずね、佳代は「こんてむつすむんぢ」を提供するくだりがある。三浦は脊椎カリエスに罹って、キリスト教の洗礼を受けた人であり、この様なものの存在に詳しかったのであろう。生方たつゑ著の「細川ガラシャ」も、佳代なる人物が登場しこの書物も同様に登場している。側室おりょう(古保の生母・藤)が登場するなど、二つの作品が非常に類似しているところが多い。

さてこの「こんてむつすむんぢ」、実際は1610年に京都で出版されたというから、創作上の話である。

インターネットでは全部ではないが、其の一端をを見ることができるからありがたい。(古活字版から)
              http://www.screen.co.jp/ga_product/sento/pro/typography2/fukawa01/F01_001_023.pdf

内容については次のような論考も見受けられインターネット様々である。
              http://ci.nii.ac.jp/els/110004678963.pdf?id=ART0007411172&type=pdf&lang=en&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1339413434&cp=

この時代にこの様な国訳本が出版されていたことは驚きであるが、同様の教えをもってガラシャがキリスト教に帰依したとすれば、まさに三浦綾子氏のこの引用は当を得たものといえる。そしてガラシャを書く上ではキリスト教の視点が重要であることを実感させられる。

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昭和も遠くなりにけり

2012-06-11 11:55:51 | 書籍・読書



                               降る雪や明治は遠くなりにけり   草田男

 これは誰でもご存知の草田男の句である。 
下手な句作もスランプということがある。最近はまったくの大スランプで、少し刺激を与えようと、中村草田男の句集を取り出して読んでみたりしている。
昭和6年草田男はどういう感慨を以ってこのような句を作ったのであろうか。明治34年生まれだからこの時期30歳である。明治・大正・昭和と世の中の換わり行くさまは思いがけぬスピードであったのだろう。降る雪のかなたの景色にしばし在りし日の姿を見出したのかもしれない。

昭和が63年、平成の御世も24年経過したが、時間の経過がよりいっそう早く感じられる齢となると、昭和という時代も遠く感じられるようになった。
大正天皇が崩御され改元の年号が、「光文」か「昭和」かでマスコミではスクープ合戦がすごかったという。「昭」という文字は一般的ではなく、電話で説明するのに苦労したという話がある。書経の「万邦協和 百姓昭明」から取られたものだが、「日へんにおめしの召」と伝えられたという。

                                   機影去り直視為し得る冬日あり

                             焼跡のこゝが眞中の春日差     草田男

草田男のつらい昭和の句であるが、戦争を知らない私(3年7ヶ月戦中派)たちは遠くなり行く昭和という時代を、どう伝えなければならないのだろうか。
わが心の中なる昭和をなんとか句にしてみたいとあがいている。 



 

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