津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

浪費家・萬どの

2012-06-06 19:17:02 | 歴史

 松本壽三郎先生の「肥後細川家侍帳(一)」の「御侍帳并軽輩末々共ニ」を見ると、「無役ニ出し被置知行」として十九人の人たちに壱万五千五百余石が給されている事が記されている。主なものは次のとおりである。

          五千石余            妙解院殿忠利公御前様奥ノ知行
          三千石              休無様
          二千石余            萬 三齋様御姫様烏丸大納言藤原光賢卿北ノ方
          千石               坊 (立允)
          千石               こぼ 三齋様御息女・長岡佐渡守興長室 

 この侍帳は限りを寛永九年十二月九日としているが(いわゆる小倉時代)、この時期とて細川家は手元不如意で、寛永五年二月には大阪の塩屋藤兵衛の女房なる人物が貸し金の取立てにわざわざ小倉に乗り込んだりしている。(福岡県史・近世史料編 細川小倉藩(一)p384) 忠利は妹萬に借金を申し込んでいるし、三齋とて同様でその死去後萬はお金は返済しなくても良いといっている。
京都での派手好みベスト3というものがあって、なんといっても一位は東福門院(秀忠娘和子)でこの着物道楽は並みの事ではなかったようだ。
後水尾上皇とは仲もよく長寿を保たれたが、この浪費癖は幕府に対してのあてつけとも思える。
後の二人の中に烏丸大納言廉中・萬の名前が登場するから驚きである。(熊倉功夫著・後水尾天皇)

烏丸家の俸禄は千石に満たない。萬がもたらす二千石が烏丸家にとっては誠にありがたい収入であることは云うまでもないが、その有り余る財産がこのような使われ方をされている事を知ると、納得がいかない。細川家中は手元不如意で喘いでいる。

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書状を読む(十ニ) 餘あらけなき儀

2012-06-06 08:59:20 | 地図散歩

隆慶一郎の小説「花と火と帝」では、将軍秀忠と柳生一族はすっかり大悪人に仕立てられている。将軍秀忠の娘・和子(東和門院)の入内後、後水尾帝の周辺にある幾人もの局衆やその御子たちの死に様が、なんとも悲惨で衝撃を受けたものである。

熊倉攻夫はその著「後水尾天皇」で、大日本近世史・細川家資料の寛永六年十二月廿七日書状(785)から、この事件に関する文章を全文ではないが紹介している。三齋はこの悲惨な事件を素直な感想として文章に託している。

       (前略)
一 禁中御譲位之儀立 御耳 始は事之外御腹立にて候てれとも 左候而別ニ可被成御沙汰様
   も無之ニより 何と成共御心任と 御意之由 國師(以心崇傳)物語にて候 替儀候は可申事
一 京ニ而 禁中向之儀承候 主上之御事ハ不及申 公家衆も事之外物之きれたる躰と申候
   主上御不足之一ツニハ 公家中官位御まゝに不成との事 又ハ御料所加増にて被進金銀も
   折/\被進候へ共 是も毛頭御まゝニ不成候 右之分ニ候ヘハ何を以公家衆へ感不感可被
   成御立様も無之候 其上八木金銀御遣なきニよりたまり申候を 利分を付奉行共より人ニ借
   付申候 如此之故人の口にて候ヘハ 王之米何程借候 金銀いかほと借り候と口すさみ申候
   神代より 禁中ニ無之例ニ候を 今 主上之御代ニ當り加様之事出来無御存知事故 後代之
   そしり御請被成候事 何より口惜思召候由 又ハ大徳寺・妙眞(心)寺之長老なり不届と武家
   より被仰 或衣をはかれ又ハ被成御流候へは 口宣一度ニ七八十もやふれ申候 主上此上
   之御恥可在之哉との儀 又かくし題ニハ 御局衆之はらニ 宮様達いか程も出来申候をおし
   ころし 又ハ流し申候事 事之外むごく御無念ニ被思召由候 いくたり出来申候共 武家之御
   孫より外ハ 御位ニは付被申間敷ニ 餘あらけなき儀とふかく被思召由候 此外未數御入候
   へ共忌申候 此前いつの時分哉覽
     おもふ事なきたにやすくそむく世にあハれすてゝもおしからぬ身を
   と被遊由候 此はてのとまりハ残ルてにをはと申物かと存候 よせいかきりなき 御製と世上
   ニ申之由候 案のことく 御位をすへらせられ候後ハ不存 つよき御事と存候事
      (以下略)

東福門院の次女が明正天皇となることにより、秀忠の想いは遂げられたかに見えるが、その実は後水尾帝の院政の影響下にあり、又女帝の婚姻が認められていないことからその血は途絶えた。明正天皇即位後二年ほどで秀忠は亡くなるが、どのような夢を描いていたのか、それにしてもこれらの事件はこのように語り続けられ、秀忠の汚点になったことは間違いない。


 

 

  

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