津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

忠興公を読む

2012-06-01 10:37:03 | 史料

                           元和五年六月廿七日書状(193) 忠興が内記(忠利)に宛てたものである。
                           現物はたて35センチ×よこ49.5センチ
 
                                                  より
                                       内記殿        越 

                                      已
                                    たヽ今からす丸殿まて著
                                    土大炊殿先へ
                                    はや哉いまヽにて
                                    此返事ニ 人を
                                    遣ため
                                          謹言
                                      六廿七


                            大変くせのある字で、なかなか読みづらい。
                           いくつかのコピーを並べて悪戦苦闘しても完読には至らない。 

                           先のオークションの軸は忠興公が木工(一色杢-槇嶋云庵弟)に宛てた書状と思われますが、
                           これとて現在半分も読めていません。
                           皆様もしお読みになれたらお教えください。 

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ゑんじゃごのみ

2012-06-01 08:39:25 | 地図散歩

 忠利が息・光尚の結婚相手として、忠利の妹万(烏丸光賢)女・禰々姫を選び忠興に報告すると、忠興の喜びようは一方ならぬものがあった。

       (寛永六年)二月吉日書状(729)

       已上
 追而書之状見申候 其元之様子披見候ニ ゑんじゃごのみを仕候ハあしさうニ御入候由
 さやうニ可在之候 たがいニ力ニ成ことくのゑんしやハしうの為ニハわるき事候 又 公儀
 むき其外おもハしからぬ衆と申合候ハ 事之外いやなる儀候 むかしよりゑんしやニ付よき
 事ハまれ成物候 心安候て物之不入が上々にて候 からす丸殿二番めのむすめと六と御申
 合有度由 一段尤之儀と存候間 万所へおんみつにて可申遣候 定而可為満足候 我々より
 申まてハ堅をんみつめさるへく候 右之むすめ禰々と申候 そう一りハつニ御入候間
 かた/\可然候 大い殿と御たんこう有へく候 恐々謹言
                                       三齋 花押
     二月吉日
   未めかすみ 此中ハ猶々ほれ申候付 書中わけみへ申ましく候 此儀めてたきと申事候
       已上
            越中殿
               進之候

 

 「ゑんじゃ(縁者)ごのみを仕候はあし(悪)そう」 とするのは、江戸において大名が有力者と縁組を望む風潮に対しての想いである。
忠興も近い身内との縁が最良であり、そう一利発な孫娘禰々との結婚話に目出度いことと喜んでいる。

元和六年頃の書状を見ると、黒田長政が徳川家や有力家臣との縁辺を求めて、いろいろ活動していることを苦々しい思いで記している。

   ・三月廿六日書状(207)
        黒筑(黒田長政)むすめ 若君様(竹千代・家光)へ御上候由 十か九ツもこれにて可在之候 ミとの少将殿(徳川頼房)の
        事ハいかヽ候ハんや 若君様への事十の内にて一はづれ可申事も可在之と存候 是又きゝ被届次第可承候事
   ・六月八日書状(212)
        黒筑縁邊之事 若君様ハ中/\さたも無之候 ミとの少将殿へ才覚候由候 これハとくりとしれ申ましく候 いな事候 念を
        入立きかれ又可被申越候事
   ・七月三日書状(215)
        戸左門(戸田氏銕)と黒筑縁者ニ被罷成才覚之由 若調候ヘハ左門大炊殿(土井利勝)と知音ニ付 取つゝ■■かるゝ
        之由 色々様々之才覚奇特不始于今候事
   ・八月十日書状(216)
        黒筑ミとの少将と縁邊之才覚之由 其外 御前衆と入魂申才覚之由 始于今不申候事 

元和九年長政は死去、それぞれが成就することなく終わっている。

 

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