狭山朝焼け夕焼ラン練習報告

毎週土曜日朝7時から(朝焼けラン)
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狭山池周回を皆と楽しく走っています。

2016年5月2~4日 萩往還マラニック完踏記(250Kの部)♪

2016-05-10 | 2016年~萩往還マラニック完踏記♪
2016年5月2~4日 萩往還マラニック完踏記です。

250kの部(3名)・140kの部(6名)・70kの部(1名)が出場した長編大作の完踏記です。
今後、萩を目指す方の参考になるでしょう。
暇な時に、じっくりお読みください。

★文字数オーバーのため、250Kの部と140K・70Kの部に分けて掲載しました

250kの部(OHIEさん記)
遅くなりましたが、結果ご報告と今後参加される方の参考に、記憶鮮明なうちに完踏記を記しておきます。長文お許し下さい。

2016年萩往還マラニック250キロ完踏記録
【プロローグ】
初めての140K(2年前)、初めての250K(昨年)ともに同じく初めてのたかちゃん、はっちゃんと3人で手探り状態から参戦し、完踏に至ったものの、唯一心残りはともに参戦したたかちゃんが昨年250Kに完踏出来なかったこと。このリベンジは1人で行かせる訳にはいかない、3人で喜びを分かち合えて萩シリーズは完結するとの思いから、今年もエントリーしました。
仕事も休まないといけない上、安くないエントリー代、遠征費、シューズ等の物品費を考えると一旦今年で区切りをつけようと考えラストチャンスの意気込みです。
完踏の秘訣は「折れない心」です。そのため、参加する仲間を増やし、お互い励まし合えるようにしようと考え、今年は140Kに狭山池から7名もの参加者に加え、サロマツアーにも参加されているYMRCの萩メンバーの方々とも交流し、練習会兼懇親会、夜間走、情報交換等々事前準備を行い、準備万全でいよいよ当日を迎えました。

【1日目(5月2日)】
恒例のエイエイオーの掛け声とともに18時スタート。序盤はキロ6分から6分半と想定より少し早めのペースですが、集団の中で進んだ方が楽なので、流れに任せます。疲れてきたのは、24時を超えた頃、50K過ぎから徐々にペースが落ち、歩きも交えながら、何とかCP1豊田湖畔(58.7K、食事:うどん)に到着し暫し休憩。この頃は、たかちゃんと一緒にいましたが、前後してラン友さんも沢山いましたので集団になることもありました。

【2日目(5月3日)】
休憩の甲斐もあって、また走れるようになり、夜明け後初のエイドでもあるCP2油谷(87.1K、食事:牛丼、ドロップバック受取)到着は5時41分。シャツのみ着替、食料補充、ライト入替、また2日目は日中雨が降るとの天気予報であり、雲行きと風の強さから雨に備えてレインジャケット装着(結果すぐに降り出し正解)し、出発。この頃から、たかちゃんとYMRCのたにあきさんの3人で行動し、数時間後に、今大会最大の佳境となる台風並みの想像を絶する暴風雨に突入していくのでした。
CP3俵島(98.5K)、CP4川尻岬(107.8K 、9時33分着、食事:カレー)前後にはアップダウン多く、辛いところですが、追い打ちのように段々と雨風が強くなってきます。
そして、CP5立石観音(117.8K)、CP6千畳敷(中間点)、CP7湯本温泉(144.6K)の道中は、向かい風となる箇所が多く、風を受けまともに進めません。レインジャケットに加えて、途中からレインパンツまで着込み、低体温症にならないようにも気を付けます。高機能のレインウエアなので防水、透湿性があり、雨水と蒸れは防げますが、雨の冷たさは伝わってくるので、止まると寒さを感じます。
突風が体を揺らし防御姿勢を取りじっとしていないと吹き飛ばされそうになったり、横殴りに突き刺さる雨、時にバケツをひっくり返した土砂降りの雨、海岸沿いでは歩道にまで乗り上げる波しぶき、国道に出てからは車が跳ねた水を丸かぶり等々の脅威は、雨が止む16時過ぎ頃まで続き、降り始めから8時間程度、自然の猛威を肌で感じ、戦いました。長い時間、疲れが倍増した感じです。
湯本温泉を折り返す頃に雨がやみ、晴れ間も見えてきました。そして、この先、仙崎公園(152.2K)からCP8静ケ浦(158.3K)までの往復約12Kが高波で危険のためコース短縮になったとの情報。
昨年たかちゃんがリタイアした場所。アップダウンの厳しいコースを回避できて正直ほっとしましが、長時間の暴風雨で体温も奪われ、疲労困憊の上、これから2回目の夜間に突入し、眠気も増してくるため、心配は尽きませんが、進むしかありません。
仙崎公園から宗頭文化センター(176.2K)まではフラットな道でほぼストレートなので苦手な道です。自分のペースで走りたく、2人と距離を取って単独走にしてもらいました。日中の雨で水を吸った足の爪が痛い。今回もやられたかな(昨年は2本脱皮)、と思いながら見る勇気も無く、陽が落ちライト点灯、ひたすら直進。そのうち、2人とも自然と合流し、一緒に宗頭文化センターに入ります。ここで、たかちゃん、たにあきさんは仮眠、僕は食事、ドロップバックから荷物の入替だけで寝ずに進むため、別れる予定でした。
ところが、たかちゃんが「一緒に行っていいですか?」と聞いてくるので、断る理由もなく一緒に行くことになりましたが、この後の鎖峠など140Kの部と合流する玉江駅までは、道も分かりにくく、真っ暗闇でライトのみが頼りの区間が多く、怖くて一人で行けないそうです。意外な一面もありますね。ここでたにあきさんとは今生の別れとなりましたが、一言声掛けとけばと後悔の念でやみません。
ここまで3人で頑張ってきたのに、大会説明会では夜は女性を一人にしないことと言われていたのに、と後からは思うのですが、そんなことすら考えれないほど疲弊していました。
宗頭を出て、前後のランナーもまばらになり、たかちゃんと二人でCP9藤井商店(179.5K、21:25着)、明かり一つなく静まり返り神秘的な鎖峠を越え、CP10三見駅(188.6K)から林道を繋ぎ、5カ所の夜の踏切を跨ぎ、140Kの部と合流する玉江駅(エイド)に向かう間に日付が変わり、3日目に突入しました。この区間にある私設エイドは真っ暗闇の不思議な空間にあり、ランナーはまばらとなり一対一で話もできるので落ち着きます。そして、雲も無くなり星がきれいに見えたのを覚えています。

【3日目(5月4日)】
段々と眠気が襲ってきます。玉江駅からCP11浜崎緑地公園(198.5K)を経由しCP12虎ヶ崎(207.4K、食事:カレー)に行くまでの間は、意識朦朧となり、走っていても前に進んでいません。辛うじて平衡を保ち、こけないようにし、道はたかちゃんに任せ引っ張って貰い、休憩をしながら漸く虎ヶ崎に到着。少しロストもあり、この区間は一番時間がかかったと思います。あまり記憶もありません。
そして夜が明ければ快晴、少しづつ復活してきました。虎ヶ崎からの戻りで140Kに参加のたーさんとすれ違い声を掛け合います。防寒着として着ていたレインウェアを脱ぎ、CP13金照苑(215.7K)には6時22分着、店のお姉さんが開店の準備をし始めたところに一番乗りでした。今年も会えてよかった(昨年はもっと遅い時間)。
意識も戻り、しっかり走れてます。CP14陶芸の村公園(216.6K)で最後のチェック(パンチ)を行い、完踏の条件が揃いました。あとはゴールを目指すだけです。
ところが、簡単に終わらせてくれず、次のエイドの明木(226.9K)に行くまで胃の調子が悪くなり、食べ物を受け付けなくなります。ここで、完踏の見えたたかちゃんには先に行ってもらい、胃薬を飲み、胃を揺らさないように早歩きで回復を待ちます。徐々に35Kや70Kの部の方々とすれ違うようになり、250Kの白ゼッケンを見ると「ナイスラン」とか「お帰り」と拍手しながら出迎えてくれます。苦労が報われたようで嬉しくて、涙が溢れて返す言葉も言葉になりません。また、たかちゃんと別れた直後、70K参加のあっちゃんにも会い、元気貰いました。
歩いている場合ではありません。格好つけてゆっくりでも走るようにし、往還道のトレイル区間に入ると快走してました。
最後のエイド佐々並(236.8K)では名物佐々並豆腐を食べれるまで回復し、最後の難関、板堂峠への上りも歩きを交えつつも走り切り、ゆっくりながらゴールまでは気持ちよく走り抜けました。
(5月4日13時29分着、記録:43時間29分58秒)
ゴール後、たーさんとあっちゃんのゴールは見届け、その後暫く間が空くので、一旦、着替え、シャワーのためホテルにチェックインするといつの間にか寝ていたようです。打ち上げの時間のため起こしてくれたTERAちゃんの電話まで全く起きれませんでした。140K参加の方々、連続して制限時間直前に滑り込みゴールしたはっちゃん、ともに暴風雨を戦ったたにあきさんのゴールに立ち会えず、またも申し訳ない気持ちで一杯です。

【エピローグ】
打ち上げの酒は最高でした。翌日行った湯田温泉ものんびりできました。仲間と大勢で旅行気分で最高のGWとなりました。
これで、一旦萩往還マラニックへの参加はお休みとしますが、何らかの形でお役に立てるよう関わっていきたいなと考えています。大会関係者や参加全員がみんなで作り上げていく、みんなが仲間になれるアットホームな良い大会で、毎年行きたくなる魅力があります。この後、狭山池からも参加される人が出てくれば微力ながら力になれるかと思いますのでお声がけ下さい。喜んでお応え致します。
たかちゃん、はっちゃん、又とない貴重な経験となった大会に3年に渡りご一緒頂きありがとうございました。またいつの日か忘れた頃に行きましょうね。
最後になりましたが、夕焼けランからご一緒いただいた参加の皆さん、YMRCの萩メンバーの方々、道中何度かお会いし励ましあったサロマツアーでお馴染みのせいごさん、忍者のブラニーさん、そして、大阪から声援を送っていただいた皆さんには本当に感謝しております。ありがとうございました

250Kの部(はっちゃん記)
OHIEさんに続いて私も萩往還完踏記を書かせていただきます(長文失礼いたします)。

萩往還チャレンジは3年前の8月にターさんから萩往還140参加するので一緒に行きませんかの一言からでした。以前から興味はあったのですがまったく自信なく、すでにUTMF完走の実力者のOHIEさん、ウルトラ大好きでこれまた実力者のたかちゃんと意気投合し、のりだけでエントリーしました。ただ、女性(おばはん)一人なのでTERAちゃんにも参加をしつこく迫りましたが、そのころ足底筋膜炎に悩んでいた(現在もですが)ため練習は付き合うよ(感謝してます)と言ってもらい夜間走も一緒に練習していただきました。

その後、ターさんは福岡国際マラソンに向けてフルマラソンに集中するため、萩往還は先送りする決意をし、、誘われた三人で翌年140キロに挑戦、天気にも恵まれて、私自身も絶好調で完踏することができました。参加する前は、私の走力で140キロはなんとか完踏できたとして250キロは到底無理と思っていたのですが、復路の往還道でボロボロ(身体もゼッケン)になりながらも一歩づつ進み瑠璃光寺のゴールを目指す250キロのランナーの姿に大きな感動を覚え、私も来年250キロに挑戦しようと決め、すでに250挑戦のために140キロに参戦していたOHIEさん、たかちゃんと来年のホテルの予約もして帰阪したのでした。

昨年の初の250キロ挑戦は、OHIEさんは苦しみながらも完踏、私もいろいろ大変でしたがまぐれで完踏、ただ2日目に大雨となって、レインウェアの持参なかったこと、萩往還直前に連戦が続いたことで、なんとたかちゃんが途中リタイアしていました。絶対リベンジすると決意するたかちゃんは、翌日マリオパパ(250完踏者)の車でコースの試走をお願いし、再度挑戦のためにすでに始動、後部座席のOHIEさんと私はまったくその気はなく(再度250キロ参戦)、ぐっすり寝ておりました(笑)。

そして、7月千ちゃんに萩往還250完踏祝勝会を開催していただくと、当初の言いだしっぺのたーさんがついに参戦を決意、TERAちゃんはリベンジ(夫婦で140キロ参戦も旦那様の故障のためリタイア)、はるか遠方まで応援に駆け付けてくれた つっちゃん・あっちゃん、新たなメンバー すっちゃん・はまちゃん・ひがPもエントリーすることになりました。こうなるとかなり悩みましたが、たかちゃん一人で250キロリベンジさせるのではなく、やっぱり3人で250キロ完踏しなければと参戦を決めました。

その後、フルマラソンシーズンが終了、3月からは萩に向けて中辺路トレイルレース、ダイトレフル、夜間走と練習しても萩が近づくと不安は増大するばかりでした。でもマイナスのことは考えないようにして、やれることは必至で頑張り、絶対に完踏するぞと思っていました。

前置きが長くなりましたが、ようやく今年のレースについて
朝焼けのお立ち台でお話しさせてもらいましたが、ふじもっちゃん(コナミの友人、5年前に140、250完踏)がサプライズ応援に駆け付けてくれ、スタートすると50メートルほど車で伴走し、「頑張ってや~。みんな完踏してや~」と熱い応援、もう絶対何があろうとも諦めへん。ここに帰ってくるんやと決意を新たにするのでした。
最初のエイド(上郷13、2K)までは50M前にOHIEさん、たかちゃんがいて、私はYMRCのヨネパパ、サロマメンバーのセイゴさんと一緒に6‘30で走行、その後は前後しながら、夜間に突入していきました。今年は第一ウェーブスタートだったので自転車道(狭い)も走りやすく、序盤は順調でしたが、なんと足元がひっかかり、3回も転倒(両肘・両膝の出血打撲でロキソニン投入)、エイドのたびに水道で洗浄しました。

CP1豊田湖畔58.7Kには昨年とほぼ同じ時刻(1:30)くらいに到着、CP2油谷中87.1Kでモンベルのバーサライトを着込み、雨に備え出発しました。明るくなってきたのでこれから走っていく俵島がはるか遠方に伸びて見えてきて気が遠くなりそうでしたがそんなこと初めからわかってるやんと言い聞かせ、前に進みます。だんだん、風雨はきつくなり、帽子につけたままのライトごと飛ばされそうになったので抑えながらの走行となりました。昨年、アイスを食べた場所ではホットコーヒーを買い、どうなってるんやろ、この時期に台風?と思ってました。

途中ですがこのままゴールまで書くとどれくらい長くなるのか想像つかないので申し訳ありませんが終了といたします。

萩往還は萩往還を心から愛する人々に支えられている素晴らしい大会です。私のような蛇足なランナーでも皆様の支えを力に変え、大きな感動を味らうことができ、一生の思い出とすることできました、皆様に感謝しております。ランナーそれぞれに目標があり、それぞれのラン人生がありますが、機会あれば是非とも萩往還の感動を皆様にも味わっていただきたいと心から願っています。
最後に天国から見守ってもらったモーリさんいつもありがとうございます。

250Kの部(たかちゃん記)
たくさんの応援いただきありがとうございました。
完踏記遅くなりました。
あまりに苦しかったので、記憶がおぼろげで誤りも多いと思いますが、ご容赦願います。長文乱文ですいません。

去年、はっちゃん、OHIEさんと3人(マリオパパすいません)で挑んだ萩250でしたが、奥熊野100のダメージや悪天候で低体温症になりかけたりなどあり、自分だけリタイア。
今年は1人で追試を受けに行かなければならないと思っていたところ、お2人が再度250を走ってくださることとなり、また140、70のメンバーも増えました。
OHIEさんの計らいでYMRCの皆さんの知遇も得て、心強い体制で臨むことが出来ました。

これだけしていただいてるのだから、失敗するわけにはいかないと、今年は奥熊野をやめ、悪天候用にレインウェアなど装備を揃えました。
その他、去年の細々とした失敗、時間ロスの原因、思いつくものすべてに自分なりに対策を施しました。
去年と同じ天候ならまず大丈夫!という余裕を持っていました。それに、正直、去年と同じような悪天候にまたなることはないと思っていました。準備のしすぎだと。
しかしまさか去年をはるかに超える悪天候に見舞われるとは・・・。
人生って何が起こるか分かりませんね。備えは大事です。


自分のレースプランとしては、ほぼ中間の千畳敷までは安全運転で。
そこから余力があれば上げてみよう、というつもりでした。

2日18時スタート 自分以外の皆は第1ウェーブ。自分は5分遅れでスタート。
スタートから夜半までは去年より涼しく快適に進めました。
途中、OHIEさんとYMRCのよねパパさん、卜部さん、たにあきさん、もりりんさんと併走。

その後、OHIEさん、卜部さん、たにあきさんの4人で進みました。

夜半過ぎから、風が強くなってきていました。
追い風だったのですが、79.8kの新大坊エイドを過ぎた4:30あたりから強烈な向かい風に。進むのが困難になってきました。

だんだん雨も強くなってきました。
俵島周回を終える手前で卜部さんと別れ、OHIEさん、たにあきさんと3人で進みました。

雨、風、ますます強くなってきました。
この後、川尻岬(107.8k)-立石観音(117.7k)-千畳敷(125.4k)-日置(131.2k)-湯本温泉への入り口あたりまでは人生で経験したことのない暴風雨にさらされる時間が続きました。

それなりにキャリアあるので、今までのレースで大雨の中を10時間走ったこともありますし、台風が迫る強風の中を走ったこともあるのですが、それらとは異次元のひどさでした。
寒いし、まともに歩くこともできないし、雨が雹みたいに痛いし、しょっちゅう突風はくるし、去年苦労した悪天候がかわいく思えるくらいでした。
去年と同じ装備だったら低体温症でアウトだったでしょう。
大会が打ち切りになるのでは?と心配でした。

長時間になるにつれ、きつさに耐え切れず、精神的にもギリギリで危なかったです。

しかし、ここを走っている中で、千畳敷⇒日置までは下りで前を見渡すことが出来るのですが、前方に、1歩進むのも大変な嵐の中を黙々と完踏を目指して、ただ進んでいくランナーたちを見たときに、1人1人のランナーの精神力の強さを感じました。「なんて強い人たちだろう!」
萩往還という大会の奥深さ、真髄に触れた気がしました。
一生忘れないだろう、感動的な光景でした。

この後ようやく湯本温泉(144.6k)あたりで雨がやみました。
そこで、この先の仙崎公園→静が浦往復の12.2kが強風で橋が渡れずカットされたことを知りました。
心配していた打ち切りではなかったのですが、今回は250kを最初から最後まで完踏する!というのが唯一の目標だったのでそれが失われ、大きな落胆がありました。
去年のリタイアの地である静が浦を踏めない、というのもショックでした。

とにかく切り替えて進まねば!と頭では分かっているのですがやはりダメージあり、疲れもどっと出てきました。
「とにかく最後まで行く!」と頭の中で繰り返しながら進みました。
OHIEさんが少し下がったので、たにあきさんと話ながら宗頭まで進みました。本当に助かりました。1人なら歩いていたと思います。

ようやく宗頭にたどり着き、お風呂に入り、ひとごごちつきました。

少しですが回復して考えました。
ここで仮眠していくべきか。
このままOHIEさんに道の分かる玉江まで連れていってもらうべきか。
仮眠するつもりだったのですが、暗くて怖いので有名な鎖峠を1人で行くには自分はもう疲れすぎている、と思い、ご一緒させてもらうことにしました。

ここで大変な失態をしてしまいました。
決断するまで時間がなかったので、ここまで一緒に走ってきたたにあきさんに連絡入れ忘れて出発してしまったのです。
3人でいけば良かったのに・・・。頭がまわってなかったです。自分の責任です。本当に申し訳なかったです。

ともかくOHIEさんと2人、21時あたりに宗頭を出発しました。
玄関で今回ボランティアされている旧知のランナーさんがこのままいけば完踏できるよと励ましてくれました。
実際は時間、かなり余裕があったのですが、自分はもうそんなことも分からなくなっていました。

鎖峠→三見駅 真っ暗でしたがOHIEさんに引っ張っていただいたおかげで迷わずいけました。
ただ宗頭で仮眠とらなかったため、2日の朝から40時間近く寝ていなく眠気が襲ってきました。
幻覚を見ながら、半分眠りつつ歩いていました。
自分が眠りながら歩けるということを発見しました。

あまりにつらいので三見駅でOHIEさんに「10分だけ寝かせてください」と泣きを入れ、寝させてもらいました。
なんとか進みました。
その後、玉江の駅でも10分眠りました。
ここから虎が崎までは2人とも猛烈な眠気の仲でふらふらと進んでおり、時間かかりました。

夜明けに虎が崎を出発、復路でたーさんに会えました!
その後萩市内を移動、ついに2年ぶりの往還道へ!あと30k!
ようやくこの長い苦しみにも終わりが見えてきました。
もう距離が短いとかそんなことはどうでもよく、ただただ元気にゴールしたいとだけ考えていました。

往還道に入って少ししたところで、ここからなら絶対ゴールできるということで、体調不良のOHIEさんと別れ、1人でゴールを目指すことになりました。

その直後、前から走ってくるあっちゃんと遭遇、速かった!
元気をもらって一気にペースアップ。
明木エイドから一升谷に突っ込みました。てっぺんまでいっきに登ろうとしましたが7合目でつぶれ、歩くことに。
その後、35k、70kのランナーから元気もらいながら進み、ラスト3.6k 天花畑から往還道を抜けゴールへ。
42時間54分の長い長い旅がようやく終わりました。

去年の無念を晴らすことができました。

その後、復活したOHIEさんから、次々にゴール。
ラスト数分、はっちゃんのゴールには泣きそうになりました。

今回、自分は(自分としては)入念な準備、強い覚悟を持って臨みましたが。この大会の厳しさ、自然の力の前には残念ながら及んでいませんでした。
完踏できたのは、ひとえに一緒に走ってくださったOHIEさん、たにあきさん、まわりのみなさんのおかげで自分ひとりの力ではゴールにたどり着くことはできませんでした。

本当に感謝しています。
精神力の弱さの克服、という課題も見え、良い経験となりました。
いつかは自分の力で完踏せねば!と思います。
これで3年間の旅はいったん終了。また数年後に来たいな、と思います。

萩往還は250k、140kは修行僧の世界ですが、70k35kはファンランでも大丈夫な間口の広い大会です。
興味ある方はいかがでしょうか?

今回ご一緒していただいた140.70のメンバーの皆さま、良い旅をありがとうございました。
250に挑戦される時には、何らかのお手伝いさせていただきます。

YMRCの皆さま、ブラニーさん、せいごさん、一緒に走っていただき心強かったです。

最後になりましたが、3年前たーさんの一言から始まった3人のこのチーム、この3年間、ヘタレでみそっかすの自分を、導き、引っ張ってくださったはっちゃん、OHIEさん、本当に本当にありがとうございました!
心から御礼申し上げます。感謝。

コメント
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