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地場・旬・自給

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楽観農園の棚田の作り方

2021-12-16 04:00:12 | 楽観農園


 上から見た溜め池。すこしづつ水が溜まってきている。以前は上からはまったく見えなかったのだが、草を刈ったので水の反射が見えるようになった。もう半分草刈りが必要だ。おもしろいから良いのだが、なかなか時間がかかる。何でこんなおもしろいことに挑戦しないのか不思議だ。

 楽観農園ではまだ実際の工事は始まっていない。早く始めないと、来年の稲作に支障が生じるので、この点では少し気持ちがせいている。ブルドーザーやユンボを借りて工事を始める予定なのだが、操作が自分ではできないので、今は焦りながら待っているだけの状態である。

 昨日は、農業委員会の許認可の為の現地確認と言うことで、6人の農業委員会の方が崎枝の農園予定地まできてくれた。きちっと説明は出来たので、大丈夫だとは思う。三,六町歩とは随分広いと驚かれていた。私だって広いと思っている。広いことは広いが、これで丁度良いぐらいなのだから、水牛の食欲はすごい。

 毎日勇んで草刈りをしたり、全体の面積を測ったりはしている。草刈りは昔道路だったと思われる場所と溜め池の周囲とを草刈りしている。だんだん昔の形が戻っている。戻ってくると昔家があったという時代の姿まで見えてくる。大事に使わせていただかないと行けないと、ますます思う。

 広いので何日もかかっている。一日に一時間ぐらいの作業にしていると言うこともある。やり過ぎないようにまだ注意している。草刈り機の一回の充電時間と言うことになる。といいながら昨日は途中で充電して二回草刈りをした。それでも昨日は絵をかなり描いた。年賀状も大分描いた。

 19日にはシーラ原田んぼの参加者が崎枝に集まるので、車が止められるようにできるだけ草刈りをしている。高梨さんが2日間随分広く刈ってくれた。道路に停めておいても車はすれ違えるから大丈夫だとは思うのだが。それでも一応下の田んぼまでの道は草刈りをした。将来田んぼまで車が下ろせなければ、作業も困るはずだ。

 ユンボがきたときに安心して降りれるようになっていた方が良いだろう。私は溜め池の上側の石積みの当たりが気になって刈っている。良い場所になりそうに見えるので、ついつい力が入る。30㎝もある犬ビワが何本もある。この木は虫が大量発生して、葉を食べ尽くす。

 切った方が良いという意見もあるのだが、切ったら寂しくなりそうで簡単には切れない。回りのいらない茂みから切っていって最後にどうしてもいらないと分かってから切ればいい。これだけの太さになるということはこの石積みが出来たときにはすでにあったはずだ。ここに家があったときもあったはずの木だ。

 細いススキのような草の枯れ草がかなり生えているので、刈払機に巻き込んでしまう。これを防ぐ巻き付き防止アタッチメントがあるというので、購入した。これでかなり改善された。改善されたとはいえまだ巻き付く。作業がはかどらない。

 田んぼになる場所の大きさを測った。長さが125メートル幅が33メートルの長方形になる。全体では4125㎡に成る。そのうちの2000㎡が田んぼになる予定。完成をすると、一人が田んぼ200㎡畑が130㎡で10人が自給のための体験を出来る広さになる。

 海に向かっての緩やかな傾斜地で高低差は6から8メートル程度。起伏はいくらかあるので、棚田の1枚ごとの段差は1メートルから、10㎝ぐらいと差がある。田んぼの均平を出すのがなかなか大変そうだ。だんだんにやればいいことだと思っている。

 横幅になる33メートルにも西側の小川に向かって、かなりの傾斜があるのだが、これは直さなければならない。一番上部に溜め池が出来る。50坪くらいの溜め池にする予定である。そこから牧場の西側の端を小川になって下っていたようだ。今は水が少ないためか、真ん中当たりで水が消えている。

 この消えている当たりに下に2つめの溜め池を作ろうと考えている。水がそこでは湧いてこないとしても、上にある牧草地からそのあたりに水が集まる。雨をうまく貯められる場所になりそうだ。そこは田んぼの内側になるので、青い睡蓮が育てられるかもしれない。

 溜め池自体が長い間に土砂で埋まっている。水は湧いているのだが、水を貯水する量が少なくなってしまったのだ。溜め池を深くしてできるだけ広げてやる必要がある。溜め池は沈殿池でもある。赤土が海に流出しないためには、田んぼと溜め池で一度水を溜める必要がある。

 溜め池周囲に溜まっている土は良さそうなので、田んぼに入れたいと思う。田んぼの形が出来たならば、耕土として溜め池から土を運べば良いだろう。溜め池の貯水量も増えるし、好都合である。溜め池で腐植や肥料分を増やして、それが田んぼに入るようにしたい。

 田んぼまで水が行く間に、水が土中に染み込んでしまわないように配管する必要があるだろう。溜め池の中は一度水を抜いて、ユンボで中に入り石をどけたり、回りを固めたりする必要がある。どこかで水が湧いているカ所があるので、その当たりも埋めているものを取り除いてよく見てみる必要があるだろう。

 小川の途中に2カ所ほど小さなダムのような場所がある。ここをもう少し広げて、2つめ溜め池を作りたい。そこからも田んぼへの水路を作り、5段目の田んぼに水が入るようにしたい。そこまで出来れば、10段の田んぼに水が入るだろう。これは第2期工事になるのだろう。

 いずれにしても、雨が振ったときに田んぼにも、溜め池にも水が充分溜まるようになれば、10段の棚田が耕作できることになるはずだ。将来充分に棚田が充実すれば、さらに下にある。5反の水田にも水が行くことになるはずだ。当然昔はそこまで耕作していたと言うことになる。

 丁寧な日々の里山の管理をしていれば、田んぼの水の維持は出来ることになる。山の管理がされなくなった。舗装道路や大きな土木工事が行われ、昔の水道を切ってしまったので水が来なくなったのだ。里山の管理の手を抜けばいつの間にか水は失われてしまう。水土を守ることが、里山の一番大切な暮らしを守る手入れの術だ。

 もう一度この地域に水が戻るように溜め池の整備から始めたい。それは溜め池より上にある斜面から雨の度に溜め池に水が溜まるようにしなければならない。山が昔のようにうっそうとしたものになれば、水持ちも良くなるのだろう。

 斜面の水をうまく集めるように斜面の調整も必要なのだと思う。本来であればその斜面が森になっていれば、保水力も高まるはずだ。木を植える必要もある。水牛は日陰が好きだ。風に強い木をうまく移植したい。木の沢山ある草地を作りたい。


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牧草が無くなる危機がくる。

2021-12-15 04:23:32 | 暮らし


 石垣島の牧草地である。飛行機が降下するときに上から見える。幸福牧場当たりだろうか。石垣島では牧草の生産が盛んになっている。荒れ地が牧草地に変わり、サトウキビやパイナップルが牧草地になったところもある。草を育てれば、それの刈り取りをして、買い取ってくれるらしい。

 それだけ石垣牛が高値に販売できるからだろう。これから自給飼料はますます重要になる。石垣島は輸入飼料を使わない、肉牛生産を目指す必要があるのかもしれない。それは石垣牛のブランドとしての、販売戦略にも成るはずだ。

 いま日本中から輸入の牧草が消えようとしているそうだ。家畜の飼料となる乾燥牧草はほとんどが輸入しているものだ。つまり、日本の肉は実質は大半が輸入と言うことになる。エサが輸入で、働いている人も外国人が多かった。その外国人もいなくなった。もう元には戻らないに違いない。

 そして、関東以北ではもう牧草の生産は出来ない季節だ。果たしてこの冬は乗り切れるのだろうか。コロナで輸送が滞り、牧草のような大きさの割には価格の低いものが後回しにされているからだ。結果として肉の輸入となるのだろう。牛乳だった飲めなくなるのかも。

 コロナで港湾労働者が世界中で集まらなくなっているらしい。輸入に頼ることの危うさは至る所にある。牧草だからまだ良いとも言える。これが小麦とか、大豆とか、トウモロコシとなれば、日本人は何を食べれば良いと言うことになるのだろうか。食糧自給は差し迫った国の安全補償の問題である。ミサイルよりも先にやるべき事だ。コロナ危機の次には食糧危機が来るのだろうか。

 同時に日本における牧草の生産にも、労働力不足問題が生じている。石垣島の草地でも外国人技能実習生の姿を見なくなっている。これはたぶん全国的なことなのだろう。今後の日本の農業は外国人に肉体労働を依存するという形は限界に来ているとみて良いだろう。

 アジアの国々の賃金と日本の賃金の差が少なく成っている上に、韓国の方が高賃金というのが日本の実態の姿である。日本の出稼ぎで来てくれるという考えは捨てなければならない。もし来て貰うなら、日本に移民をして貰うと言うことになる。そこをはっきりと認識すべきなのだ。

 畜産農家の一戸あたり経営規模の拡大。牧草の品質や収量確保に必要不可欠な草地の植生改善や収穫調製作業には大きな労働力が必要になる。牧草地は良く管理しないとたちまち雑草が入る。 日本人が肉体労働が出来なくなっている以上、規模拡大も限界に来ていると考えなくては成らない。

 アメリカ、ブラジル、オストラリア。日本向けに牧草が生産されている国々では、輸出作業が滞っている。多く輸出されているアメリカのシアトル港・タコマ港でも沖合で10日以上のコンテナ船の滞船が発生している。コロナにより港湾労働者や輸送トラックの乗員の確保が出来なくなっている。

 同時に世界的な異常気象の結果、長雨などの影響が起こり、牧草の乾燥度合いなどに問題が出てきていることも少なくない。牧草の生産に様々な角度から障害が起き始めている。もう肉食傾向を改めざる得なくなっていると言うことなのだろう。

 果たして日本人に昔の日本食に戻ることが出来るのかどうかである。出来ないとしても、やらざる得なくなる日は遠くない。肉は江戸時代のようにせめて二本足のニワトリまでにしたらどうか。ニワトリならば、何とか国内の食品残渣を飼料にすればしのげるはずだ。

 食糧など価格の安いところから購入すれば合理的だとする、日本の競争経済優先の考え方の危うさが、現実的危機になり始めている。日本はもうそんな贅沢な事が言える国では無くなっている。食糧は一定量の自給をしなければ、安心して暮らすことができない。それが当たり前の健全な国なのだ。

 ひいては食糧問題が戦争の引き金になる。まさに世界における食糧危機の始まりが見え始めている。食糧自給を考えれば、肉食を止めるほかないところだが、世界中が肉食の傾向を強めている。こういうところでも仏教の思想の優秀さを感じる所だ。できる限り、お米を食べなければ人類は生き延びることができない。

 食糧生産は地球環境を崩壊させるところまで拡大されている。温暖化の主要な原因でもある。牛のゲップが地球を温暖化させているのだ。その状況下に世界の人口は増え続けている。誰が考えても食糧不足にちかいうちになる。世界で食糧の取り合いが始まると考えなければならない状況だろう。

 日本にはお金があるから輸入すれば大丈夫だというような考えが、もうできなくなっている。日本の世界最悪の財政事情である。日本の経済力の低下。労働人口の減少から考えれば、いよいよ食糧自給率を高めなければならない緊急事態、そうでなくて当たり前の国なる日が近づいている。

 日本の状況はコメ余りというような贅沢なことは言っていられないのだ。米を作り、米を食べるほかない状況が近づいていると考えておくべきだ。そうならなければ幸いなことだが、お米を食べてこれから来る食糧危機をしのぐほか無いのだ。

 と言いながらも、専業農家でのコメづくりは一層困難になるに違いない。燃料も高騰する。機械の購入維持もコメ作りをしてゆくには経済的に難しくなるはずだ。そして労働力の確保できなくなる。日本に来てくれる外国の人たちは先細りがはっきりとしてきている。

 世界中で労働人口は取り合いが起こるだろう。日本の経済が落ち着くところに落ち着けば、世界の大抵の国と横並びになる。資源が豊かという事でもなく、労働人口も減少してゆく日本の経済的優位さは失われてゆかざる得ないはずだ。

 そうなれば、食糧生産は人に任せて置くものではなくなると考えておいた方がいい。一定量の食糧生産を市民が普通に行うような国にならなければ、食糧の確保の安心が得られない事になる。それは暮らしという事を考えれば不幸なことではなく、むしろまともな暮らしを取り戻すという事になるのだろう。

 石垣島では年間5回から6回の牧草の刈り取りが出来るという事である。冬でも生草のある石垣島での畜産の有利さは、今後ますます大きくなるという事も考えられるのだろう。一方現在畜産の中心地である北海道の畜産は、輸入飼料が高騰して難しくなると考えて置いた方が良いのかもしれない。

 畜産も発想を転換して、食品残渣を飼料として利用できる養豚や養鶏を中心に考える必要が出てくるのだろう。私が想像していた食糧危機の時代はコロナで一挙に現実化してきた。もう始めなければ遅い。政府はまったく準備などする気も無いから、それぞれが自分で取り組み他ない。

 誰かに作って貰うことが出来ない国になった以上、自分で作らなければならない時代になる。食糧自給の時代が来る。一人100坪の自給を真剣に考えた方が良い。石垣島にその体験農場を作っている。是非興味ある人は見に来て貰いたい。やってみたい人も受け入れる。

 食糧自給は遊びの延長で可能だ。デズニーランドに行く代わりに、田んぼに行けば良い。楽しい食糧自給が日本を救う。水牛を使う伝統農業である。農薬も、化学肥料も無かった時代の農業の再現である。何もかも自給する農業。これでも人間は生きれると言うことを、証明したいと思う。

 今日は農業委員会が現地確認にきてくれる。どのように見てくれるのだろう。少し緊張する。石垣島で無事に農家になれることを願っている。
 
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年賀状を描き始めた。

2021-12-14 04:10:27 | 水彩画


 今年も年賀状を描いている。水彩で大判ハガキサイズで描いている。サイズを大きくしたのは年賀状にさらに力を入れたくなったからだ。年賀状を描くのは自分の水彩画の勉強の気分。250枚くらいまとめてあれこれ描くと言うことに意味がある。

 年賀状でいつも何かしら気がつくことがある。色々の水彩画を気楽に試しながら描いている。気楽というところが年賀状を描く良い所だ。それでは貰う方が迷惑かもしれないが、まあ大目に見て貰って描いている。偶然に良いのも出来るし、ダメなのも沢山出来る。

 この偶然というのが絵を描くことには大切なことだ。まあ、どっちもどっちなのだが。ダメなものが何故ダメなのかはとても参考になることだ。偶然良く出来たよりも、案外にダメという意味が深い。描いた絵はすべて同じはずなのだが、そうでもない。良いこともあれば、悪い事もある。おかしな事である。

 書道家と称する方々は沢山書いて一枚を選ぶらしい。何か書の精神というものはそういう物ではないような気もするのだが、今の書というのは代書屋さんのようなものだから、沢山書いてうまそうに見えるものを選ぶのが普通になったのでは無いだろうか。囲碁の棋士であった藤沢秀行さんの書は下手で良かった。松坂屋の展示で見た中でも、特に下手な字は今でも思い出す。棋士藤沢は待ったをすれば最強と言われた人だ。アル中だとも言われていた。

 絵には良いも悪いも無いはずだ。そんなつもりで年賀状を描いている。下手な絵が届いたら、そう思って我慢して貰えば良い。描く前から言い訳ではしょうが無いが。言い訳をして気持ちを維持しているのだから仕方がない。それほどいいものなど出来るはずが無いから、しょうが無いことだ。

 あと10日ぐらい描ける時間がある。250枚描くつもりだ。今100枚くらいは出来ている。ということは一日15枚くらい描く事になる。年賀状は絵を描いている合間に描いている。経験の無い水彩表現が出来ると一つ自由になれた気持ちだ。思いも寄らない発見が、絵の中に潜んでいるのだ。毎年何かを見付けている。

 いつもはハガキサイズなのだが、今回は大判ハガキにしているので何か違う。少し大きさに余裕があって絵らしくなっているようでもある。ハガキサイズではさすがに絵と言うには小さすぎるのかもしれない。すると大判ハガキサイズは一番小さい繪のサイズと言うことになるのか。

 大きい絵の限界サイズが中判全紙で、小さい繪の限界サイズが大判ハガキ。それぐらいかもしれない。小さいとどちらかというと抽象性が高まる気がする。小さい画面に、こちょこちょ描く気にはなれない。エイとやると画面をすぐにはみ出る。

 小さい繪は大まかに、大きい絵は細々と。根拠は無いがそんな風に感じる。大まかにやると木を描いたつもりでも、緑の面のようになる。色面の構成した抽象画のようにも見える。木の一部分なのだ。自分ではすべて具象画のつもりで描いている。

 海と思って描いていて、空にするかというような変更はあるが、青い色面という意識では無い。たいていの場合描いているものは具体的な意味がある。具体的には空なのだが、色面に見えても良いとは思っているが色面を意図しているわけでは無い。

 絵が自分の今の状態を一番表していると思っている。だから年賀状には水彩画を描いている。楽観農園を作っている喜びのようなものが絵に現われているに違いない。そもそも楽観農園で年賀状は描いている。アトリエ車を農園の中に停めて描いている。

 さすがに12月だと炎天下に車を止めていても、30度ぐらいまでだ。風があるから気持ちよく絵が描ける。年賀状の方に時間はとられてはいるが、一日一枚は水彩画も描いている。一昨日は何故か戸隠山のあの不思議な稜線を思い出しながら、紅葉の戸隠を一日描いた。昨日は戸隠から少し下った当たりにあった紅葉に埋もれた2軒の小屋を描いた。

 絵を描いているとやはり、年賀状と違うと思う。頭の中に戸隠山が現われてきた。あの不思議な山塊の様子が現われる。霞んでいた崖の様子や、鋭い稜線の姿。裾模様の紅葉の木々。どんどん世界がはっきりしてくる。戸隠キャンプ場から描いた戸隠になった。

 戸隠も何度も描きに行った場所だ。人の来なくなった頃のキャンプ場は絵を描くには絶好の場所だった。何度も絵を描いた場所は忘れないものだ。絵を描き出すとどんどん記憶が引き出されてくる。こうして頭の中に湧き出たものが絵に描くものとなる。

 これは目の前に海を見て海を描いていても同じことである。見ているのに見ていない。見ていて海を思い出している。今見ている海も、思い出している海も、絵の上では同じことである。絵に描くべき事は自分の中にある海である。写し取る意識は無い。

 年賀状を描くときは手に委ねている感じだ。頭の中に湧いてきた景色をそのまま考えずに手が描いている。試行錯誤はしない。湧いてくる勢いに委ねている。そうして絵を描く頭を刺激している。絵に反応する頭と手の訓練のようなものなのだろう。年に一回はこうした訓練が必要だと思っている。

 年賀状の絵を作ることの方に熱中していて、余り受け取る人のことは考えていなかった。これは別段自己顕示というわけでも無い。その時々に出し切りたい思いのようなものが押し寄せてくる。こうしてブログを書き続けているのと年賀状は同じことだ。

 何かになると言うことでも無い。日々の修行のような気持ちだ。朝の動禅とも変わらない。一日一枚の絵を描くと言うことも同じだ。やると決めたことを継続する。止めることが怖いような気持ちもいくらかあるかもしれない。自分の覚悟のようなものを見ている。決めたことが出来なくなれば、そこまでのことだと思っている。

 歳をとったからもう良いというような気持ちになりたくない。新たに楽観農園作りに取り組むことにした。よほどの覚悟で無ければ関わった方々に迷惑をかける。やり抜くという覚悟を強く持って進まなければならない。楽観農園の完成までは年賀状も止められない。

 水彩画を一日一枚描くのはさすがにいくらかは違う。年賀状を描くこととも違う。むしろ、一枚の自分の絵を描く為に楽観農園作りに取り組んだのだ。やりたいと思う夢に挑んでゆくことが無ければ、絵は描けない。絵は希望であり、日々の絶筆である。その一日をやり尽くす思いだ。

 今日も楽観農園作りに出掛ける。今日は道の整備をしたい。道の草刈りが進めば、車が溜め池のそばまで降りることが出来る。昔はそこまで道があったようだ。田んぼの脇まで車で降りられるようにしたいものだ。


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崎枝の溜め池の整備について

2021-12-13 04:17:22 | 楽観農園
 

 崎枝の新しくお借りした牧場のことばかり考えている。弁当持参で牧場で一日絵を描いている。実に良い気分だ。石垣島の今の季節は最高の季節だ。といってもこのところ30度あるのだから驚く。陽の高い内は作業も無理なくらいだ。風があるので日陰なら大丈夫だ。これでもこの時期は農作業に頑張れる季節ということになる。

 崎枝の溜め池がだんだん形を見せ始めた。「ゆず」と「ゆずまめ」が水遊びをしている内に水面が見えてきたのだ。数日前の写真より随分広がった。ゆずは紐に繋がれている。ゆずマメは紐には繋がれていない。子供の水牛は親のそばを離れないので、紐で繋がなくても逃げてしまうことは無い。

 それで離れた場所にいるわかばの所に行ってしまう。ゆずは鳴いて呼び戻そうとするが、かまわずわかばにくっついてゆく。わかばはゆずマメをかわいがっていて、まとわりついても怒ることは全くない。水牛はみんなで子供を守る動物のようだ。

 少し下の方に、「わかば」は繋いである。わかばとゆずは直接顔を合せたら、喧嘩をしてしまうかもしれないので、近づけない距離で繋いである。溜め池からの小川が、がけの下に沿って流れているので、どこでも水牛が水の中で遊んでいると水が溜まる。水牛には理想的な環境になっている。がけの所には上部に木があって川を覆っているので、いくらか日陰になっている。

 今の季節日陰で無くても、水でゴロゴロ出来る環境があるなら水牛は大丈夫のようだ。水牛が一日50㎡は草を食べてくれるので、だんだん小川に沿って道が出来てきた。なかなかうまくつなげる木が無いので、その点がちょっと難しいのだが、紐の長さで調整している。

 下の方はノボタンの群生地のようになっている。花の時期にはすばらしい景観になるだろう。ノボタンは水牛は食べないので、その当たりを歩かせていれば、ノボタンだけになるだろう。この当たりも将来は田んぼになる予定なので、ノボタンは田んぼの畦に移植して防風林にするつもりだ。

 12月中には溜め池は完成させたい。溜め池がすべての基本だから、ここは念には念を入れて完成させたい。できるだけ大きくするつもりだ。水が無ければ、田んぼは無論の事、水牛も飼えない。畑だって難しいことになる。この場所に水が湧いていると言うことが本当に尊いことだ。溜め池の湧き水は水神様をお祭りしたい。

 溜め池が十分なものになれば、たぶん全体では4反ぐらいの田んぼが出来るのではないかと思っている。牧場の中に200㎡の田んぼが10できれば2反。牧場の下にある田んぼが5反。そんなに田んぼを広げるつもりも無いのだが、やりたい人がいればやれると言うこと。

 先ずは100坪の中に60坪の田んぼが一つできればよい。来年の作付けに2段目まで、つまり4畝だけでも出来れば目標は達成である。やりたい人が現われれば、だんだん下に一段一段と広げて行けば良い。面積的には溜め池から下に120メートルあるから、10段ぐらい出来るようだ。水に余裕があればだんだんに広げてゆきたい。

 溜め池が出来たならば、青い睡蓮を栽培したいと思っている。熱帯睡蓮の中でもひときわ美しい睡蓮である。水牛と共存できるかどうかが問題であるが、一部田んぼのそばで、水牛は入れないような場所を作っても良いだろう。

 田んぼの脇には水牛が入れない柵を作る。それはイノシシも防いでくれるかもしれない。田んぼの脇は見た目も美しい柵が良い。柵が有刺鉄線では子供などには危ない。小田原の溜め池が青いカキツバタならば、石垣の溜め池は青い睡蓮である。

 溜め池は北側の上部に石積みがある。たぶん牧場のあちこちに転がっていた石を邪魔だからこの谷間に落とし込んだのではなかろうか。大正年間の可能性が高い。それが石積みの崖のように自然になったように見える。長年そのままなのだから、崩れることも無いのだろう。

 その石積みの間からは太さが20㎝はある樹木が10本ほど生えている。それがまるで庭木のような状態で、溜め池との関係が造形的で、よほどの名人の庭師が、自然風の庭作りをしたかのようである。風の強いところでは自然に樹木が庭木のようになる。水場には水牛が遊んでいる。これはちょっと自慢できる景色ではないだろうか。

 モネは睡蓮池を作り、それを描いたと言うが、私も溜め池を作りそれを描くことになるのだろう。溜め池回りの草刈りをしている内に、あたりの空気が自分の身体の中に染み込んできている。それは見て描かないでも同じことだ。溜め池の印象はきっと絵に影響してくることだろう。 

 田んぼには防風林が必要である。ハイビスカスにしようという考えだったのだが、牧場を整備していて気がついたことは、沢山のノボタンがある。ノボタンを先ずは防風林にしたい。その場にある植物なら、環境に適合しているのだから、強健にちがいない。

 福仲さんに相談したら、月桃も良いよと言われた。たしかにそうだ防風林は月桃も使おう。月桃も牧場のあちこちに沢山生えている。土地に合っているのだろう。月桃も葉もいいし、木姿も花もなかなかいい。ノボタンとのバランスが大事だ。そういえば月桃は強い風の所にあっても葉が破れていない。防風林向きかもしれない。

 薬草でもある。月桃はショウガ科の植物でショウガと同じような薬効があるらしい。月桃の敷物で昼寝すると足の疲れが抜けると聞いたことがある。月桃とノボタンを良い具合に混植して植えれば強い防風林が出来るのではないだろうか。

 田んぼ一枚が10メートル幅、長さは33メートル。現地で糸張りをしてみた。これで100坪である。一人100坪の自給の田んぼ畑である。その一番南側に月桃とノボタンの防風林である。あとからハイビスカスがくるのかな。すばらしい景観の防風林。日本で一番美しい田んぼを作ることにする。それは崎枝という美しい場所に相応しい田んぼである。

 将来、この美しい場所で水牛車をやりたいと思っている。楽観農園を見学に来た人を水牛車で一回りできるように成れば最高である。水牛を飼っているのだから、何かに利用しなければいけない。家畜は一緒に働いてこそ喜びもある。代掻きをしたときには、水牛は何か得意げな感じの態度である。

 何も働かないで、繋がれているだけでは水牛は可哀想だ。水牛車を引っ張ったり、代掻きをしたり、水牛も嬉しいに違いない。水牛と共に楽しめる体験農場が良い。考えるだけで楽しくなってきた。132㎡の畑には防風林に花が咲く。大豆だろうか。カボチャだろうか。里芋だろうか。田んぼからひしゃくで水を汲んで水やりだ。

 楽観園は修学院離宮に匹敵する次の時代の模式図になる。きっと後水尾さんなら分かってくれることだろう。天皇家は江戸幕府に権力支配されるなかで、日本の文化の神髄を文化を持って残そうとして。庭と言う形として残し、伝えようとしたに違いない。

 百姓の国の日本人として、自給農業の姿を楽観農園として実現するつもりだ。形が残ればこの意味をいつか分かってくれる人がいるはずだ。5年間自分が動くことが出来れば、楽観農園は一応の完成まで行くだろう。自分に10年あるのならば、それは根付いた活動になっているはずだ。


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第86 回 水彩画 日曜展示

2021-12-12 04:25:34 | 水彩画
第86 回 水彩画 日曜展示






535「水源地」
2021.11






536「コップに入れた花」
2021.11







537「カトレアとリンコステリス」
2021.11






538「透明な海」
2021.11






539「岩礁」
2021.11







540「岬の眺め」
2021.11







541「加部島」
2021.11







542「海に続く道」
2021.11







543「端午の節句」
2021.11








544「和布刈山」
2021.11


 小田原に行く前に描いた絵だ。絵が溜まってしまい来週もそういうことになる。どうも一日一枚どころでなく絵を描いている。絵が描ける内はどんどん描こうと思っている。描けなくなれば、たちまち描けなくなるものだ。

 最近なるほどと思ったことがある。中川一政や梅原龍三郎の汚い線の描き方についてである。汚いけど素晴らしい線のことだ。あの大雑把でうまくもない線には深い意味がある。ああで無ければならなかった必然の線の意味にやっと気付いた。

 ちょっと似ていて、否成る線が、須田克太や松田正平である。もちろんこの二人も素晴らしい画家なのだが。巧みさが見えてしまうのだ。その人の癖のような線の匂いがしてしまう。あたりまえのことだがそれが絵を絵にしている。この巧みさが絵の精神をいくらか小さなものにしている。もちろんうまく見せようなどと言う低俗な絵でもない線とは違うのだが。

 中川も梅原も、少しも巧みに見せない努力をしている。だからこそ精神の崇高だけを表わす事ができている。やっとそう言うことが分かった。下手なのに、心底すごい絵を描くと言うことは一番難しいことだろう。うまさに依存しないで描く絵というのは、純粋に行き着くことだけを描こうとしていることになる。
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石垣島楽観農園の進め方。

2021-12-11 04:05:14 | 楽観農園

  写真は楽観農園の溜め池になる場所である。1970年の航空写真を見るとこのあたりに溜め池があったこと事が分かる。たぶん大正時代にはあった溜め池なのではないか。崎枝に集落が出来て、このため池の周辺に人が住み始めたはずだ。公図の地目もこのあたりから下は田んぼで3反である。

 その後崎枝集落は廃村になり、そして戦後開拓で宮古からの人が中心にまた集落が出来た。その人達の暮らしが始まった井戸がこのため池の上にある。井戸には今も水があるのかはまだ確認が出来ない。井戸に水があれば、ポンプアップできるようにしたい。ということは電気も引くことになる。井戸の下にある溜め池には水が湧いていて、川になってすこしづつ下に流れ出ている。

 ここに溜め池を作りすこしづつ広げてゆく。溜め池の上には斜面があるので、斜面の水がうまく溜め池に集まるように、傾斜を調整したいと思う。溜め池の上部はか3反ほどある斜面なので、溜め池は雨の度に満水になるはずだ。

 問題は溜め池の深さと広さをどのくらい広げられるかである。溜め池作りが最初の作業になる。溜め池の上には一坪ぐらいある巨石が置かれている。不思議な光景である。石の周りを木が取り囲んでいて、その石は座禅石に見えてきた。

 楽観農園は修行をしろと言うことのようだ。早速今日からため池の周辺を整備しようと思う。独特の空気の場所になりそうだ。霊異のある池で遊ぶ水牛。これは悪くないと思う。溜め池はできる限り深く、広くしたい。溜め池で水を作りその水が田んぼに入るようになるのが一番である。

 現在の、楽観農園は水牛の親子、ゆずとゆずマメが草を食べてくれている。昨日の夕方には、シーラ原田んぼからわかばも連れて来てくれた。昔溜め池に水がいくらか湧いているので、ヌタ場にして遊んでいるので、水が溜まるようになってきたのだと思う。もう少し水牛が遊んでいれば、土がだんだんしまってきて、水がもっと溜まるようになるだろう。溜め池を広げてやれば、水牛が遊んで水漏れを抑えてくれる。

 いずれにしてもこのあたりに溜め池を作ることが一番良いようだ。溜め池の大きさは地形に合わせてと言うことになるのだろうが、できるだけ広く100坪は欲しい。田んぼにも水牛にも最善だろう。水牛は水に濡れることが出来れば陽射しが強くても先ずは安心である。

 わかばは水路沿いに繋いで、だんだん下の方へ下ろしてゆくつもりだ。水牛耕耘である。餌を食べながらきれいに整備してくれるのだから、ありがたいものだ。小川で水が飲めるので、水を運んでやる手間がかからない。1日10メートル進めば、下まで、一週間あればきれいになる。

 どのくらいの深さの池にすれば良いか。どうすれば水漏れがしないのか。これからの課題だ。溜め池の水が、稲の生育に敵した水になるようにしなければならない。田んぼに良い水草があるのも良いかもしれない。落ち葉や草を入れて、水牛がかき回して、その水が田んぼに入るというようなことも良いのかもしれない。

 シーラ原田んぼで作った。堆肥や落ち葉は今度崎枝に運ぶつもりだ。溜め池が出来たらばそこに入れてやれば水漏れを防ぐのに役立つかもしれない。溜め池を腐食増加の場所に出来るかもしれない。今後の観察を続けたいと思う。素晴らしい溜め池が出来そうである。

 溜め池から棚田に水が入るるようにするのだが、代掻きの時には水が一気に必要なので、一段一段に入れられる水路と、各田んぼを回って落ちてゆく水路2系統が必要になるのだろう。この2本の水路の調整は現地で調整してゆかなければならない。

 最初の段階では先ずは一段目だけを作ると言うことになるのだろう。棚田の六段はじめから、ぜんぶに水が回ると言うことは無いはずだ。先ずは上部から水が入る田んぼだけを耕作する。一年一段ずつでも広げてゆくことで良いのかと思う。

 水の量が可能な範囲で、六段でも七段にもで成れば良いと考えている。田んぼとしては一カ所2畝だから、10段になったとしても、2反までと言うことで、昔よりは狭いと言うことになるのだから、可能なはずだ。それでも水が余るようならば、さらにしたの、昔田んぼだったところまで水を流したい。

 下の田んぼは地主さんの田んぼなので、使うならば貸してくれると言うことになっている。現在は水がないので、耕作できない状況である。水さえあれば、そこには5反の田んぼがあるそうだ。水がどれだけ溜まるかと言うことなので、それは将来の楽しみである。

 計画は一人100坪の自給のための田んぼと畑である。防風林が必要なので一枚は100坪よりいくらか広くなるかもしれないが、東西に長い長方形にする予定である。その方が水牛が耕しやすいからだ。内法で60坪くらいの田んぼである。これで100~120キロの収穫を目指す。

 60坪は200㎡、6メートル×33メートルの大きさ。上下の隣より30㎝くらいの高低差が出来ると思われる。10段になれば、3メートルの差。田んぼには南側に4メートル×33メートルの幅の広い畦をとることになる。この4メートルの中に畑を作る。先ずは大豆や里芋を作る。

 南側一列には防風林であるハイビスカスを植える。つもりだったが、ノボタンのような灌木が沢山ある。これを先ずは防風林に使えないか思っている。ハイビスカスは挿し木をして増やして混ぜてゆけばより美しいかもしれない。

 わかばもつれていって将来田んぼを作る当たりの草を食べさせようと繋いだ。一度草が無くなったら、田んぼが出来る土があるかどうかを調べようと思う。どこが田んぼの出来そうな土があるところから、土は集めようと思う。これは時間をかけてやればいいことかもしれない。

 1月前半までには溜め池を作りたい。そのそばに苗代を作り、種まきをする。2月初旬にはまず1段目の田んぼを完成させて、田植えをしたい。今年完全な稲作が出来るとは思わないが、ともかく田植えが出来るところまでは第一弾として実現したい。そうしなければ活動の継続性が無くなる。

 折角水牛を使った伝統農業を復活させたのに、これを途切れさせてはならない。なんとしても今年の一期作も田植えをしたい。もう田植えまで、二ヶ月を切っているのだから、集中して作業をしてゆきたいと思う。12月中に溜め池の完成。1月10日までに苗代完成。2月10日までに田んぼを完成。

 将来は国仲さんの下の田んぼを耕作させて貰うのも良いかもしれない。牧場から下に降りる道が昔はあったららしいから、その道を復活させて、下の田んぼの方に水牛が行きやすいようにする必要がある。この草刈りも始めて見たい。

 全体の草が片づいてきたら、作業道を作る。これが重要な作業になるだろう。大きく草地を分けた方が良いかと思っている。その方が良い草地管理が出来るはずだ。水牛牧草地に関しては、福仲さんと栗林さんにお任せしようと思う。良い草地にするのは大変な作業になるだろう。当面はその辺には手を付けず、水牛に草を食べさせてきれいにしてからのことにする。


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中国が民主主義を目指しているのかどうか。

2021-12-10 04:16:25 | Peace Cafe


 「全過程人民民主」という概念を掲げ、中国には自国の実情に根ざした民主主義があると主張を始めた。これは重要なことで、将来中国が民主主義国家になることを目指していると少なくとも表明したのだ。世界の平和のための福音である。世界一の経済大国になろうという国が、独裁国家を目指しているかのように、他の国からは見えているのだ。

  アメリカ、英国、オーストラリア、カナダが北京オリンピックへの外交ボイコットを決めた。アベ氏は日本も外交ボイコットを表明しろと主張している。日本はそんなことをしてはダメだ。あえて外交を行うべき時だ。日本の平和主義を示すべき時だ。

 まず、世界中の大半の国が民主主義国家など実現していないと考えなければならない。いつも民主主義の代表の様な顔をしている、アメリカはいまだ民主国家には程遠いいものがある。大統領選挙が不正に行われたと、いまだに前大統領が叫んでいる国である。まともな民主主義が行われているとは言い難い。

 先日もアメリカ軍の三沢基地のジェット機が、不時着をするために、燃料タンクを民家のそばに落下させた。こんなことが繰り返し起きている。すぐに米軍に対して原因がはっきりするまで、戦闘機の訓練を中止するように要請した。完全に無視をして翌日から訓練をしている。この態度の何処が民主主義であろうか。

 中国が民主主義国であるとすれば、軍事政権と言われるミャンマーは民主主義国家なのであろうか。異端児に見える北朝鮮だって、中国流に言えば民主主義国家という事になりやしないだろうか。民主主義国家であるかどうかのバロメーターは、誰もに発言の自由があるかどうかでわかる。

 アメリカは大統領が都合の悪いニュースはフェークニュースと叫んでいた。たぶん民主主義がだいぶ後退している。中国では天安門事件については発言できない事になっている。北朝鮮となれば、将軍様以外には発言の自由はないのだろう。

 ロシアではプーチン批判をしたジャーナリストが、暗殺されるような事件が相次いでいる。批判の自由のない国は民主主義度が低い。クリミヤ半島のロシア化を軍事支配だとして、アメリカおよびEU諸国はロシアを経済制裁している。

 一体、ロシアを選択したクリミヤの住民の意思は民主主義ではどのような評価をすべきなのだろうか。この世界の争いの中で、クリミヤの住民の意思というものを、誰がどのように確保することが出来るのだろうか。本当の生の声は聞こえてこない。

 もちろん日本の民主主義も達成されるにはまだまだ遠い。石垣島では自衛隊基地の誘致を巡って、3分の1以上の市民が住民投票を求めて署名を提出した。住民投票を行えば、圧倒的に基地反対が上回るとされていた。沖縄においては辛い戦争体験がある。軍事基地を望む住民など極めて少数派である。

 ところが、住民投票は拒否された。その上に自治基本条例の住民投票条項の不備を理由に、最高裁判所まで住民投票をしなかったことを正しいと判断を下した。まさに、民主主義国家の司法制度の根幹が腐っている。行政と司法が民主主義を軽視した結果である。こんな日本国が民主主義国家になるためにはまだまだ時間が必要である。しかし日本にはこのような意見を表明する自由はある。まだしもの民主主義国家と言えるのだろう。

 国家主義の代表と目される中国で言えば、香港の自立した政治体制を、習近平体制のもとに併合した。香港の住民の選挙で選んだ香港の議員も、国の方向に反する思想を持つ人間として、逮捕されてしまった。これが民主主義国家の行う事であるとは、一般的な考えであればゆがんでいるとしか思えないだろう。

 そして、台湾を5年以内に武力を持って併合するとまで宣言している。今まで考えられてきた民主主義の理解とは、おおきく異なる民主主義が中国にはあるというのだろうか。「全過程人民民主」というものがどんな民主主義なのか、わかる範囲で調べてみる。
 
 中国共産党新聞の文章を読む限り、変わった観念の民主主義が中国にあるという訳ではないようだ。少なくとも表明されている文章では、目指すところは少しも日本の民主主義と変わらない。むしろ社会主義に基づく、理想的な民主主義が行われていると、思いがけない主張をしているのだ。

 ではなぜ香港を軍事的に威圧して、香港の住民の発言の自由を奪うのであろうか。民主主義的に形成された議会を閉鎖してしまったのか。それは香港では反国家的思想が蔓延しているという事なのだろうか。そこでの自由を求めた香港市民の声はすべて、反国家的な主張だったという事になるのか。

  台湾問題で考えた時に、台湾では中国が理想とする社会主義国家には反する思想が蔓延しているので、中国政府が正しく指導する必要があるから、軍事的に支配すべきという事になるのであろうか。もしそうであるならば、これは独裁国家の思想であるとしか言えない。私には台湾の方が国民に発言の自由があると断言できる。

 中国共産党の考える考え方だけが正しく、そのほかの考え方はすべて指導し、正して行かなければならない「間違った思想」という事が中国政府の考え方のようだ。「全過程人民民主」は間違った思想を持った人民を正すものということになる。この考え方は民主主義からほど遠いものである。

 民主主義では人間の多様性をまず受け入れなければならない。必ず少数派というものが存在する。少数派の意見を尊重することが、民主主義の重要な考え方の原則である。国家の正しいとする方向と異なる、少数派をどれだけ国家が認めて受け入れることが出来るかが、民主主義国家としての熟度という事なのだろう。

 台湾を中国の一部とするのであれば、中国自身が早く民主主義の実現をしなくてはならない。妙な屁理屈を述べていれば、中国という国の民度が疑われることになる。民主主義は目標であり、到達など出来ないものである。繰り返し民主主義を問うてゆくのが、民主主義国家である。民主主義国家こそ、いまだ未熟であるという自覚がなければならない。

 今の中国が民主主義を達成した国という認識は間違っている。民主主義に向かう過程にあるという事なのだろう。一日も早く自らが民主主義国家を実現すれば、台湾は喜んでその一部になることを望むだろう。もし既に民主主義国家であると強弁するのであれば、それではアメリカや日本よりさらに未熟な民主主義国家という事になる。

 中国に別の民主主義が存在するという事ではないことは言えるようだ。そう思いたいではないか。そうであれば、永遠に対立が広がるという事ではないだろう。互いに民主主義に向かって努力して行けば、いつか思想合一できる時代が来る可能性はある。

 中国は聡明な人の国である。禅宗を生んだ国だ。独裁政治をいつまでも受け入れている人たちではない。まして、今の状態を民主主義を目指す国家であると強弁するのであれば、その矛盾が自らを苦しめるだろう。そうでないから、独裁国家という事になる。その矛盾に必ず気付く時代が来る。

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「親ガチャでなく、国ガチャ」

2021-12-09 04:16:26 | 暮らし


 ガチャというおもちゃ自動販売機がある。不愉快なものだと以前から思っていた。この時代らしいのかもしれないが、なんと親ガチャなどという腹立たしい言葉が登場した。何が出てくるかわからない、自動販売機でゴミになるかもしれないようなものを何故販売するのかが不愉快だった。

 たぶん、中にはとても高価なおもちゃが入っていて、それが当たるのかもしれないと思い買ってしまうのではないか。昔の縁日に、紐を引っ張るくじ引きの様なおもちゃ売りがあった。紐の先には目を見張るようなものがつられている。当然それは弾くことができない。

 子供のころの私はやりたいとも思わなかった。どうせ、仕組みがあっていいものにはひもは結ばれていないと疑っていた。嫌な子供と言えばその通りである。もしかしたら偶然が自分に味方してくれるかもしれないという期待感が嫌だったのだ。

 親ガチャ背景には今の社会の自己肯定感の問題が潜んでいる。どこかにある欠落感の代償として、偶然性の中に自分の幸運を期待する。自分の力ではないものに、期待する気持ち。同時に残念な自分の理由付けということにもなる。もしかしたら宝くじが当たるかもしれない。そうすれば人生の道が開けるだろうというあたりにしか希望が持てない時代。

 自分の人生は自分で決めるほかない。親ガチャなど言う発想はしてはいけないことだ。生まれてきたこと自体が、稀有な幸運なのだ。良い親とはたぶん金持ちの上級階級の親を意味しているのだろう。江戸時代であれば、武士階級に生まれ付いたものと、百姓に生まれ付いたものの、身分かもしれない。現代も上級国民という言葉が出て来る階層社会だ。

 百姓に生まれたから、つまらない人生に決まっている。今であれば富裕層の親の子供でなかったから、どのみちつまらない人生であるという思い込みがあるのだろう。こんな間違った考え方を増長しているのが、親ガチャなどといういやらしい言葉を使う連中である。

 確かに私は両親に恵まれたと思う。しかし、兄は両親に恵まれなかったと言ったことがある。同じ親である。要するに受け止め方の問題だ。好きなことを探せといつも言われて育った。私は絵が好きだと思う事にした。そう思う事に決めたのだ。好きだったとわかったのは60年もやってみた最近のことだ。

 祖父は日本画家に弟子入りした人だったし、叔父は彫刻家であった。そうしたこともあったのかもしれない。絵が好きだと言えば喜ばれると感じていたのかもしれない。実際はそうでもなかったかもしれないのだが。兄が好きだと思う事と両親の好みがずれていたかもしれない。

 絵が上手かったわけではないが、絵を描くことには熱中できた。誰かに決められたわけではないが、自分で絵を好きだと決めることにした。好きという事が良く分からなかったのだが、ここで自分で決められる性格だったことが幸いしたと思っている。

 自分で行く先を決めることのできた理由は、自分のどこかに自信が潜んでいた。自分にはできないことはないと思い込んでいた。それは絵描きになれなかったのだから、間違いでもあったわけだが、生きるという道では正解でもあったわけだ。絵を描くという事は誰にでも、いつまででもできることであった。

 社会的な評価は低いものであるとしても、絵を描き続けるという事は自分の問題としては何の問題もなかった。物は考えようで、都合よく考えてみれば、文化勲章を受章するいわゆる大画家の絵の大半を評価できない。世間の評価など生きる上では無意味だと思える。

 親ガチャどころか国ガチャだというのには驚いた。どこまでも人のせいにしてしまう。私は日本人に生まれたことを喜びにしている。稲作日本には誇りがある。江戸時代に構築した、循環型社会には大きな可能性を感じている。そして日本の文化としての絵画にも、深く感謝している。
 
 そうした文化を生み出すことが出来たのは、日本列島というたぐいまれな自然環境だと思っている。世界中には日本をはるかにしのぐ、絶景がいくらでもある。しかし、日本のように自然の中に融合した暮らしを、完結した美し場所は大切なものだ。見事に自然と人間が調和した暮らしがあった。

 国ガチャというのであれば、日本の藤垈の向昌院で生まれたことには感謝して生きている。結局のところすべてを良い方に受け止めているのだ。藤垈は生活の厳しい場所である。陽の当たらない、北斜面の標高350メートルの場所である。そこでの自給自足は大変なものであった。しかし、そのことに感謝している。その厳しい実態を見ることができたことに感謝している。

 何とかなると思えるようになったのは藤垈の暮らしを知っていたからかもしれない。どのような環境であるとしても、生きるという事の価値は少しも変わらない。そう考えることが出来るようになった。自分を幸運だと思えて生きてきた。そして楽観に至ることができた。

 自分の自給が出来たら、次はみんなの自給である。自然とそう考えることができた。自分の為よりも、みんなの為を考えた方が、元気が出てきた。絵を描くにしても私の絵が、みんなの何かになるようにという事をいまは考えている。

 どこまでも自分の為であることが、みんなのためにに繋がっているという意識である。私の絵など何の役にも立たないと現状では思っている。しかし、いつかは自分というものの底まで到達すれば、絵を見た人が楽観を感じてくれるような絵が描けると考えている。

 誰もが幸せに生きることが出来る。どのような産まれであろうとも、人間に生まれた以上、幸せな生涯を求め続けることが出来る。好きなことをやることが出来る。そうした社会にしなければならない。全体のことを考えると、確かに悲しくなるようなことが多いのだが。

 それでも自分の人生を他人のせいにしたところでなにも始まらない。そう考えるようになれたのは私の幸運である。石垣島でなかなか田んぼが借りられないできた。これは運の悪いことに見えた。ところが巡り巡って、崎枝の農地が借りられるようになった。これほどの幸運は無いだろう。

 多くの人の手助けがあったから実現できた幸運である。今までまとまりそうで、ダメになっていたのは、崎枝の農地にたどり着くためだったのだと気づく。ここで全力で最後の冒険を出来ることが、自分の幸運である。まだ体力が残っている間に楽園の農園に挑戦できる幸せ。

 自給農業の体験農園ができれば、どれほどの喜びかと思う。そこを目指して頑張れるという事が、何より面白い。この歳での挑戦なので、実現できるかどうかは危ういものである。全力でやってみるものができたと言うことが嬉しい。

 しばらく国全体ではどうにもならないだろうと思っている。それでも人間はそれぞれに暮らしてゆけるはずだ。その時に自分一人でも自分の人生を自由に希望に満ちて暮らして行ける技能を身に着ける。悪名高い技能研修生ではないけれど。

 それが、楽園の農園「楽観園」だと思っている。石垣島に戻り、いよいよ始める覚悟である。まずは正式契約はできた。次は今日農業委員会への申請である。つつがなく進むことを祈っている。
 
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人間ウイルステロ

2021-12-09 04:06:14 | Peace Cafe


 国の安全保障で今後一番重要になるのは、「人間ウイルステロ」である。嫌な想定であるのだが、遠からずどこかで起こりそうで怖い。バイオテロというらしい。今すぐの危機は原爆でも大陸間弾道ミサイルでもない。バイオ自爆テロが怖い。

 テロリストが自らを、潜伏期間の長く、感染した死に至るにウイルスに感染させる。そして標的に近づき感染させる自爆テロである。そういうことをやりかねない不満が存在する。そうした自爆の思想が世界でははびこっている。それはイスラムの思想ではない。貧困格差からくる絶望から産まれている。

 人間ウイルス攻撃に対して日本の安全保障の考え方は全く無防備である。多分考えたところで何もできないので放棄しているのかと思う。何万人もの人が集まる場所にウイルステロリストが紛れ込む。こうした危険はさし迫っている。

 ミサイルどころではない危険が迫っているのが世界の現実である。生物化学兵器と言われている。実際に炭疽菌を送りつけるようなテロがアメリカでは起きている。自爆テロでなかったことで蔓延はしなかった。本気で敵国をせん滅するというではなかったことが幸いしただけだ。

 WHOは多数の人々を殺傷する可能性があるという意味で注目されているのが、天然痘、サル天然痘、フィロウイルス、アレナウイルス、リフトバレー熱、ニッパウイルス、ダニ媒介脳炎、アルファウイルス等のウイルスと、炭疽、ペスト、野兎病、チフス等のリケッチア疾患等としている。

 生物化学兵器が世界で開発される理由を上げられている。
1)製造が安価である。大量の殺傷を行うのに要する費用は、通常兵器で2,000ドルかかるとすれば、その200分の1の費用で済むのが生物兵器1ドルである。
2)種々の搬送手段(ミサイル、散布、郵便、食品、水、感染者)がある。
3)攻撃を関知されにくい。ウイルス感染自爆テロリストであれば感知は不可能。
4)感染により増幅されて被害が感染爆発によって無限に拡大される。
5)自然発生か人為的なものかがわかりにくい。 

 米国の資料によれば、ロシア、中国等10数カ国が少なくとも“生物兵器”保有国としてあげられている。もちろんアメリカはその筆頭である。コロナウイルスのワクチンの製造がすぐにできた国は生物兵器の研究が進んでいる国と考えていいのだと思う。生物兵器の研究の蓄積が、ワクチン製造へと応用できたはずだ。

 ワクチン製造が遅れた日本はそうした研究はしていないという事になる。国の安全保障が化石化しているのが、日本の国防である。憲法違反の状況下での敵国基地攻撃など構想している内に、考え方がガラパゴス化しているのだ。できもしない攻撃をもやもやしながら考えている内に、頭が干からびてミイラ化している。軍人というものは身体を使い過ぎている内に頭の乾燥が進み固くなる。

 これからの国の安全保障は、1,IT攻撃と漏えい防衛。2,自立経済と経済連携。3,食糧自給。4,生物化学兵器。5,格差のない自由な国民生活。6、平和外交。こうしたことを考える必要がある。ミサイルや原爆を持つ必要があるなど、全く頓珍漢なたわ言だ。

 相変らず琉球列島の自衛隊配備だなどと考えている国防意識はどれほど世界情勢から外れているか。敵基地先制攻撃などと真顔で主張している人の時代錯誤はひどいものなのだ。真珠湾攻撃をして、アメリカとの戦争を始めた80年前の日本軍人の世界の情勢を見失った蒙昧とあまりによく似ているので笑えない。

 国の安全保障はいまや直接的武力の時代でない。何故このことに気づかないのだろうか。生物化学兵器を考えれば、10人のテロリストがいれば、敵国を壊滅させることが出来ると言える。もし国家が追い込まれ自暴自棄になれば、そうした無謀な攻撃を行う可能性が出てくる。

 それはオウム集団のことを考えれば、狂気がすぐ傍にあることがわかる。サリン攻撃が、生物化学兵器の攻撃であれば、地下鉄の同乗者は感染していたはずだ。そして、感染に気付く間に、何万人に感染を広げたはずだ。その時東京全体が、終わっていたのかもしれない。私はあの場所を1時間前に地下鉄で通過した。

 オミクロン株の世界への広がりの速さを見ると、生物化学兵器が使われるという事は世界が忽ちに危機に陥るという事がわかる。アメリカではオミクロンウイルスの感染者が5万人規模の集会に参加していたという。その後どういう事になるかを考えたら、もう時間がないという事だろう。

 日本へ2例の感染者が来ている。その飛行機の同乗者は濃厚接触者という事で隔離された。こうして日本でも感染が広がる前に時間を稼いで、対応策が見つかるのを待つほかない。もしオミクロン株が感染したら死んでしまうようなものであったならば、世界は崩壊することになる。幸いそうではないだけのことだ。日本への外国人の渡航を禁止したとしても、侵入は必ず起こるとしなければならない。感染を防ぐ手立てはないのである。

 もしこれが生物化学兵器であれば、どのような結果になるか。アメリカの5万人の集会参加者全員が感染源になる。しかも、そのウイルスはチェックもできない。患者が発症して気付いた数日後には、5万人のひとが、次の感染を広げる役割をさせられている。

 多分その時にはアメリカ全土に感染が広がっている可能性がある。どうやって生物化学兵器を防ぐことが出来るのかである。自衛隊では国防の研究をしているのだろうから、その生物化学兵器の防御方法を国民に示してもらいたい。迎撃ミサイルでも、敵基地攻撃ミサイルでもない。危険は未知のウイルスの方にある。

 通常兵器の防御態勢など、的外れだと言いたいのだ。隣国と仲良くなり、互いを攻撃などしようと思わない関係になるほかないのだ。平和外交である。日本を崩壊させたいなどと考える国を無くすほかない。日本が世界にとってありがたい国になる以外に日本の平和はない。

 武力をもって世界と対抗しようなどと考えること時代が、日本の危険を増しているのだ。日本は武力的に対抗などしませんという状況の方が、むしろ日本を攻撃しようなどという思いを抱かせないのだ。日本は平和国家であり、迷惑を決しておかけしませんという事を世界に示してゆく。

 これ以外に日本の安全保障はない。日本の平和憲法に書かれている通りのことだ。この日本国憲法の理想主義がむしろ、現実になり始めている。それくらい、世界の危機は迫っているという事だ。余りに兵器の開発が進んでしまい。生物化学兵器にまで進んだ。

 もう対立を解消する以外に安全保障はない。その努力を不断に行う以外に、日本の行く道はない。そのことを示してくれたのが、コロナウイルスなのかもしれない。いまならまだ、安全保障の道を変えることはできる。政府は目を覚ましてほしい。

 
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石垣島で農地を借りる申請をした。

2021-12-08 04:02:45 | 楽観農園
 崎枝に以前八重山農林高校の小峰先生が放牧牛の牧場をされていた、3,6ヘクタールの土地がある。ここで日本で一番美しい体験農場を作るために、昨日、地主さんとの賃貸契約は済ませた。10年間の賃貸契約である。お借りした以上全力で素晴らしい場所にしてゆくつもりだ。

 農業委員会が許可してくれればいよいよ進むことになる。お借りして石垣島農の会の活動拠点を作る為である。活動を一歩進めるためには自由に長く使える田んぼがどうしても必要になる。短期間では良い土壌を作ることができない。活動の中心になる場所がみつかった。

 理想的な場所である事は確かなのだが、余りに広いので、どのように他の活動と連携できるのかが課題になる。今相談している組織が2つある。一つはゆんたくガーデンという石垣島移住の相談などを運営している組織である。運営者の大倉さんは是非一緒にやろうと言ってくれた。

 もう一つの組織が水牛を飼われている福仲さんと栗林さんである。崎枝が遠くて、現実的かどうかが問題になっている。もう少し細かく話を詰めてゆかなければならないが、協力して上げようと言うことになった。まだ実際の運営は相談しなければならない。

 崎枝のその場所ではいつも絵を描かせて貰っていた。今年の3月頃に牧場を辞められたらしい。シーラ原で田んぼをやるようになり、いつも行っていた崎枝の牧場にはしばらく行っていなかった。それで牧場を止められたことに気付かなかったのだ。

 あるとき、新聞に崎枝の牧場用地貸しますという広告が出ていた。TY商事が掲載主であった。TYさんは家のすぐそばにあるので、社長は一応知り合いぐらいの関係なので、話を聞きに言った。丁度その農地を借りたいという若い方がみえていた。それでその話はしないで帰った。

 荒れ地になってしまう前に借りてくれれば良いなと思っていたのだが、牧場が始まっているかと思い崎枝に絵を描きに言ったのだが、借りた様子は無かった。TYさんの貸しますという看板が立っていた。牧場も随分草が茂り以前の様子では無くなっていた。良い場所なのだから、早く誰かが使ってくれれば良いのにと思った。

 最近改めて田んぼが出来ないか、水の様子を見せて貰った。小川は流れていた。相変わらず借主はいないようだった。ここで田んぼが出来るのではないか。ため池を作り、うまく管理すれば、5セぐらいの田んぼを3枚の棚田に出来るのではないかと思えた。当然その下に水牛の池も出来るだろう。しかし、夢のような話で、現実化するにはまだハードルは高いと思っていた。

 崎枝は日本一美しい集落である。至る所を絵を描いて歩いた結果そう決定した集落である。そして日本でも有数の風の強い集落かもしれない。サラダ記念日の歌人もこの集落に住まわれていたらしい。名蔵湾と崎枝湾との間にある。屋良部半島の付け根の乗越のような地形の、尾根筋に家が点在している。風が強い地形である。この南斜面に牧場はある。

 集落には崎枝小中学校がある。この学校が出来た頃の教師だった安間繁樹さんは「石垣島自然誌」という、若い時代の離島の教師とその生徒の交流の物語を書かれている。安間繁樹さんはイリオモテヤマネコの生態を調べたくて、崎枝小中学校の教師になられた方だ。

 今は動物生態学の日本の第一人者である。その石垣島自然史に書かれた生徒だった野生児達が今崎枝に暮らしている。戦後開拓のそれは大変な暮らしだったはずだ。今は移住者が多くなって、しゃれたレストランが3つもある。ハーブガーデンをやりながら、そのハーブ料理を出すという、珍しいレストランもある。

 崎枝に絵を描きに行っていた頃よく食べさせて貰っていた、イタリコというお店はスパゲッティーがとても美味しい。また、お店をやられている方の印象がとても優しい感じで良い。明るい抜けるような海と空。そして気持ちよいお店。すべてが集落の魅力を高めている。

 シーラ原田んぼの仲間の内2人がなんとこの崎枝の住人である。そんなこともあり、崎枝にいよいよ気持ちが惹きつけられてきた。崎枝での田んぼに惹きつけられると、小峰先生の牧場の跡地がますます気になりだした。牧場で水牛を飼い。畑や田んぼが出来ないかと思うようになった。

 この牧場の一番良い所は湧き水があるところだ。こういう場所は滅多に無いだろう。それだけでも借りる価値がある。その昔はその湧き水のそばに地主さんの家があったらしい。そこには井戸があり、集落のみんながその水を使っていたと言うことだ。1950年頃の話らしい。

 登記簿を調べると田んぼという地目の土地が、3反ほどある。今は水が減っているとしても、2反までは田んぼが出来るのではないだろうか。そうであれば、理想的な自給農業のための体験農場が出来る。ため池を上部に作ることが、必要だと思われる。

 今は家があった形跡は無くなっている。地目上にも無い。開拓小屋のような作りだったのかもしれない。崎枝は戦後開拓で出来た集落である。しかしさらに古い時代にも集落はあったらしい。ところがマラリアが流行して人が住めなくなった。それでも崎枝小学校には120人もの生徒がいた時代があるらしい。今は確か12人になっているのではないか。

 借りる以上農地として立派な管理をしなければならない。出来れば岩手の兄に一度来て貰って、牧場の作り方を相談に乗って貰えないか相談してみよう。兄は牛の専門家なのだから、良い意見が聞けるかもしれない。先ずは周囲の柵と作業道である。

 絶好の場所なのでやりたいことは次々出てくるが、ますます一人では出来ない。水牛の管理に関してはその地域に住まわれている方が協力してくれなければ不可能だ。そのことを崎枝の住人のひとりの方に話したところ、そこで田んぼや畑をぜひともやりたいと言って喜んでくれた。それなら出来るのかもしれないと思い、さらに借りる気が増した。

 4ヘクタールもあるから、牧場と組み合わせなければ無理だ。水牛を飼われている福仲さんや栗林さんは水牛牧場用地に利用できると言われている。ただし、家から遠いので大変ではないかと思う。日常の管理を私と崎枝の3人の方とうまくローテーションを組みたいと思う。福仲さんは以前、小峰先生の牧場は八重山農林の同僚同士だから、牧場の管理にきたこともあり、よくご存じだった。

 水牛の牧場が出来るのであれば、草地をいくつかに区切り、しっかりした管理道路と柵で囲いを作る。そして水はいつでも飲めるようにしたい。出来れば水牛のヌタ場も欲しい。ヌタ場は臭くなるから、人家から離れたところで無ければダメだろう。

 そして、機械小屋と農業用倉庫と、水牛の日陰を作る林も考えてやらなければならない。この点は第2弾になる。そして車が入れる道を田んぼまで作る必要もある。あれこれ考えると、胸躍るモノがある。水牛に乗って美しい屋良部半島の道を歩くことも出来るかもしれない。この場所は事業としては素晴らしいものになる可能性がある。

 4ヘクタールの農地を自給農業者の研修場所にできる。田んぼや畑や果樹の試験栽培をここで行い。石垣島での農業体験塾の研修場所になるだろう。研修事業を以前から石垣島でやっている、ゆんたくガーデンという組織と連携することは決まっている。

 ヌタ場のような池を作る必要はあるだろう。そこは日陰で無ければならない。そして人家から離れていた方が良い。匂いがするからだ。これは田んぼのさらに下に作った方が良いだろう。木陰があるのかどうか。無ければ木を移植すると言うことも出てくる。あれこれやることがありそうだが、どうだろうか。

 これは一大事業になる。この歳になってこのような大事業に取り組むとは思っていなかったが、やるだけの価値がある事業になる気がしている。この崎枝の活動が、石垣島に若い農業者を呼ぶ一つの道を付ける可能性がある。残りの力を振り絞り軌道に乗せたい。
 
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小田原の冬の農作業

2021-12-07 04:25:56 | 自給

 
  小田原で行った農作業のことを書いておく。大豆の収穫をして、15キロの大豆を石垣島に持ち帰った。家の脇の畑でとれた分である。渡部さんが作ってくれたという方が本当の所である。何とか蒔くところと収穫は一緒にできた。縁側で十分干してあったので、良く乾いている。これで一年分の納豆大豆が確保できたことになる。

 石垣島生活では毎朝納豆を食べる。常に納豆を仕込んでいることになる。自分でやっているのではないので偉そうなことは言えないのだが。小糸在来の納豆である。日本で一番おいしい納豆である。健康の源である。その貴重な納豆大豆が収穫できたことは大きな喜びである。もうユーパックで送った。

 大豆のあとには麦の播種を行った。大麦、小麦、ライ麦とすべてに蒔いたのだから、3反ほどである。大麦はもう発芽している。上手く出来れば、600キロぐらいになるのだろう。除草が大変なので、除草には小田原に来る約束をした。やろう遣ろうと言いだしぺがそうしなければみんなに迷惑をかける。

 小麦は家庭用製粉機を買う事にしている。今まで精粉所に出していたので、活動がうまく続かなかった。製粉代が高いし、時間がかかりすぎる。持ち込んだ小麦が工場の隅で虫だらけになっていたこともある。持って行く場所も遠い。

 これからは食べる前に粉にするという方式にするつもりだ。これならうまく行くかもしれない。粒のままでもいいという人もいて、その人は醤油を作る人だ。私も醤油は作りたいのだが、その時期寒すぎて、小田原に居られないかもしれない。

 ライ麦は緑肥として蒔いた。寒くても生育が良いので、一番陽の当らないところがライ麦である。3月5日にジャガイモの植え付けが行われる場所である。3ヵ月で30センチくらには成長しているかと予想している。冬の間少しでも草がある方がいい。風で表土が飛ばされることを防いでくれる。そして漉き込めば、緑肥となり腐植を増やしてくれる。

 大麦は地ビールを作る活動の前哨戦のようなものだ。黒柳さんが小田原地ビールを取り組んでいるので、それに便乗させてもらっている。いつか小田原の大麦で、地ビールが作れるかもしれない。麦芽を輸入している地ビールではどうも違う。

 今回麦はすべて45センチ畝幅で撒いた。草取りが追い付かなくなったならば、一畝潰してしまう事にした。90センチ畝ならば間を耕運機が間を通れる。収穫は減るだろうが、草取りが追い付かなくなれば仕方のないことだ。私は1月末と3月初め、そして5月ごろと2カ月おきには草取りに小田原に行くつもりだ。

 タマネギは大豆の後に植え付けた。1メートル幅で14メートルぐらいの長さがあるベットを作った。実際に植え付ける場所は50㎝幅くらいである。そこに4本ずつ並べて植えたから、500本ぐらいの苗を植えたことになる。今までで一番多く植えたかもしれない。その内150本ぐらいが自前の苗である。苗が充分には出来なかった。後の400本は購入した苗。中晩生ネオアースが300本、紅葉3号100本。農の会苗は赤玉ねぎとネオアースと早生。

 鶏糞を深めに一袋入れて、ベットを30㎝ぐらいと高くした。高い方がいいという渡部方式を取り入れている。そこに植え付けてから燻炭を播いた。そして雨を待ってからトンネルをかけた。トンネルをかける前にそば殻を敷き詰めた。草抑えと乾燥防止である。

 トンネルは2穴にした。玉ねぎは黒マルチで作るのが普通かと思うが、穴あきトンネルの方が良く出来る気がしている。気がしているだけで良く理解はできていない。玉ねぎは舟原では寒すぎることと、冬の乾燥した風とで、よくできない。そんなことは無いという意見もあるのだが。

 そして、今回の溜池作業としては改修工事をした。上下の池を繋ぐ太い塩ビ管の周辺から、水が漏り始めてしまった。3本並んでいたのが良くないようなので、今度は1本にして、その一本の周りを土とセメントを混ぜながら埋め戻した。現状では水を戻したが、漏れ出してはいない。心配はまだあるのだが。

 水が戻らなければ、カキツバタがだめになってしまう。今は十分水が溜まり、美しい溜池が戻った。そもそも3本配管したことが間違っていた。意味なく3本にしたために、水漏れが起きやすくなったのだ。1本でも洩れるようなら水路を迂回させるしかないと思っている。工事して10日が経過しても漏れていないので、先ずは大丈夫だろう。

 欠ノ上田んぼの直しでは3日に水路の詰まりを直した。道路側にある水路が、地中を通るところで詰まっているために、田んぼの中央を通る水路が水が多すぎて、壊れている。何とか道路側の水路の詰まり部分を抜いて水を迂回させたい。実は欠ノ上田んぼを始めた時から考えていたことだ。

 今回、半日かけて何とか水が通るようになった。しかし、まだ完全に中煮詰まっている何かが取り除けたようでも無い。完全に水が通ったようでもないので、一応という事で注意しながらやってゆくほかない。こうした地中を通る田んぼの水路はどうしようもないものだとと思う。地中が20メートルくらいあると、何かで詰まるもうどうしようもないことになる。

 それでも相当の苦労して、大きな石を取り除いた。30センチの管の中に、45㎝の大石があった。こんな大きな石が何故入ったのかと思うが、入っていたのである。その石の上部に大袋1杯になるプラステック系のごみが詰まっていた。まだ石があるともうのだが、そこは曲がっているあたりでどうしても届かなかった。ついでに水路掃除もしたが、すごいごみの山であった。道路からごみを放り投げる人が後を絶たない。

 作業最後の12月5日に明星が岳見晴登山道の看板設置作業をした。案内看板は登山道を作った時に設置してあったのだが、壊れてしまって建て直しを行った。そもそも登山道を作ることには反対だった。登山道を作ればその整備を続けなければならない。自分にはその自信がなかった。

 小田原市行政にはそういう事に補助してくれることがない。南足柄の登山道整備作業には補助金が出ている。それでも11年経過した今も、登山道は維持されている。草刈り作業は大変なことになる。最近は参加できていない。申し訳ない思いだ。

 美しい久野里地里山協議会が行った事業である。時々この登山道を利用する人を見かけるようになった。歩く人が増えると踏み分け道がしっかりとしてくる。新しく登山道を管理する人が出てきてくれている。素晴らしいことだ。私には思いもよらない福音であった。次の時代に希望を感じることだ。

 渡部さんからは大量の干し椎茸と、里芋を頂いた。いつも頂くのだがやはり美味しい。いつも帰るときは農産物で一杯である。石垣で試験栽培する予定のイネの種籾もサトジマンと、ハルミを持ち帰った。

 これからは石垣島の農作業と小田原の農作業の日程調整をしてゆかなければならない。次の予定が1月後半の味噌の仕込み。その次の予定が3月の初めのジャガイモの植え付け。そして小田原のイネの播種から田植え。その間に、石垣のイネの播種と田植えが入ることになる。オミクロンが広がらなければ問題ないのだが、気がかりなことである。
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熱海不法残土流出事件報告会

2021-12-06 04:07:14 | Peace Cafe


 この写真はコンクリートの下が水でがらんどうになった舟原溜池の上の部分。5年ぐらいの間にこういう事になった。今回埋め戻した。水みちを止めると何が起こるのかが良く分かる。熱海で起きた建設残土流出事件の生の声を最後の夜にお聞きすることができた。
 
 今日の午後の飛行機で、小田原を離れる。17日間の小田原生活は充実していた。短期間ではあるが、こんな日を送ることができることは幸運としか言いようがない。あしがら農の会の皆さんのお陰である。もうしばらくこんな暮らしが出来ればと思う。邪魔かもしれないが、もう少し宜しくお願いします。

 最後の日の夜、熱海の土砂災害の被害者の会の方の話を聞せてもらう会が行われた。県会議員になった佐々木ナオミさんが企画したものである。佐々木さんも農の会のメンバーである。ぜひ建設残土の不法投棄に関して、とことん研究をして法律の制定まで頑張ってほしいものだ。

 驚いたことに、神奈川県ではここ20年間の航空写真での地形のの変化から推測して、不法に残土が捨てられたと思われる箇所が、1万か所を超えるそうだ。神奈川県の調査だから間違いないことに思われる。このままでは第2第3の熱海の流出事故が起こる可能性が高い。

 ここから2つのことが見える。建設残土を捨てる場所がないままに、大規模土建工事が続いている現実と、耕作放棄された農地が建設残土の捨て場になっていること。新東名高速の残土が山北周辺では農地造成に使われている。トンネルを掘ればその土の行き場がない。

 それはリニアモーターカーのようにトンネルばかりだと、その土の行き場は不法投棄以外に方法がない。原発の放射性廃棄物と同じことである。先ず残土をどこに捨てるかを明確にしてから、大規模開発の許可を行うのでなければ、不法な残土処理が続くことになる。

 高度成長期のコンクリート建造物は、耐用年数が過ぎて、建て直し時期に来ている。東京の大量の建設廃材はもう捨てる場所がない。結局のところ弱い場所が狙われて、投棄場所になっている。そしてその上に住宅地や墓地が作られてゆくことになる。

 この違法で裏でも表でも儲けの出る仕事に、反社会的人たちがうごめいている。それが政治や行政と実は結び付いていて、なかなか有効な阻止が出来ていない。膨大な献金や賄賂が行われていると想像できるではないか。表では東京オリンピックは成功したと言われる裏で、何が行われたのかを考えなければならない。

 ダンプ一杯の残土を捨てさせると20万円だそうだ。そうした違法行為に反社会的勢力がかかわっているらしいこと。耕作放棄地になっている場所に、直接的に残土を捨てさせてくれればいくら払うというような話も後を絶たない。もう農地に戻らなくても構わないというような心理が生まれている。

 農業をやるのでという希望のある話で、喜んでお貸ししたら、何と残土を捨てられて業者は消えたというような話も後を絶たない。私たちも農地を借りるときには事前に掘ってみなければならない。表土だけ良い土をかぶせて、下はコンクリートガラばかりというところも実際にあった。

 農地を貸したのに残土を捨てられてしまったが、報復が怖くてそのままにしてしまうケースが沢山あるようだ。小田原久野でもそうした事件がいくつもあることを聞いている。そして残土を埋め立て跡が、墓地になったり、住宅地として販売されたりしているところもある。

 これを見逃してきた一番の責任は行政にある。熱海市行政も不法に建設残土が捨てられていることを知らなかった訳ではない。しかし、恫喝されたのか、あるいは誰かを忖度したのか、形式としての注意程度にしていた。その結果26名の方がなくなり、1名の方がいまだ行方不明という恐ろしい事故になってしまったのだ。

 建設残土の処理に関する有効な法律がない。県には残土の条例はあるのだが、静岡県の条例は建設残土の不法投棄を止めるだけの効力がない。神奈川県の方がまだ強い行政の指導や認可権限があるから、神奈川県の建設残土が、静岡県に持ち込まれて捨てられるという事になったらしい。

 熱海市盛り土流出事故被害者の会の会長瀬下雄史氏は頭脳明晰な方だった。実にわかりやすく事件の全貌を語られた。お母さまをこの事件で無くされている。その悲しみが広がった。事件で肉親を無くすという悔しさに、黙祷するばかりであった。

 この方がいれば、被害者の方々も心強いだろうと思われた。心をあわせてきちっと加害者に責任を取らすまで、行きたい。被害者の様子を語られたときには、本当に辛そうだった。聞かせていただいた全員が悲しみに包まれていた。

 加害者である現残土を捨てた土地の所有者は熱海の有力者であり、地元での影響力極めて強い方という人物。それで被害者の中には忖度してしまう人もいるかもしれない。最初に建設残土を捨てた責任の重い加害者は小田原の人で自民党と連帯している保守系の団体「自由会」の人物。

 自由会の小田原の人物は、久野のよく知っている耕作放棄地にも、建設残土を投棄していた。名前も実は知っているが書くことは今は出来ない。小田原では有力者と言われるような人物である。その農地でも熱海流出事故と同じ時に、積み上げられた残土が農道に流れ出し、反対側の農地迄流れ出している。

 以前から、何故農地をむやみに借りようとするのか不思議でならなかった。やたらに借りたとしても何をやるのかが不思議でならなかったのだ。結局のところ借りて偽装農業を行っていたというようなことになる。例えば貸した土地の草とりなどしてくれれば、年間いくら払うなどと地主さんを説得していたのだそうだ。どう考えてもおかしい。

 私の知るある人物も、農地を理由なく借りて耕作もしないので、不思議でならなかった。今思えば手先になって動いていたのではないかと思っている。悪いことを考える人物は自身が歩くのではなく、あれこれ人を上手く動かすのだ。このように、農地を貸して建設残土を入れられてしまうという事件は50年以上も続いていることだ。

 昨日は小田原早川の農地への反社会的勢力による、4年前の起きた建設残土投棄事件の被害者からのお話も聞くことができた。この時は小田原市の農政課が対応したのだが、農政課の方からこの事件の話は久野でも注意してくださいという事で聞いていた。弱くなった場所にはこうした驚くべきことが起こる。

 小田原市の方も一生懸命対応はしていた。そのことは私もよく知っている。ところがその人自身が騙されたのか、小田原の耕作放棄地を熱海の残土投棄事件を起こした人物が、小田原の耕作放棄地をあちこち借りるのを見逃している。怪しまなかったのだろうか。残念なことだ。

 たぶん日本中で起きていることなのだろう。建設残土処理に関する法律を整備するほかない。こうしたことには利権が絡んでいる。だから自民党は対応をしない。あの安倍記念小学校の下には残土が埋められていたではないか。埋めてぼろ儲けをして、掘り起こしてさらに儲ける。

 安倍記念小学校らしい、仕組みがある。いかにも自民党的土建の実態を知ることのできる小学校ではないか。あれもたしか、暴力団まがいの右翼団体が絡んでいた。そんな自民党を選び続けている、選挙民が結局は悪いのだ。もう気付かなければ、日本は住めない場所になる。
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第85 回 水彩画 日曜展示

2021-12-05 04:26:58 | 水彩画
第85 回 水彩画 日曜展示





525「風の木」
2021.11







526「房総半島」
2021.11







527「田ノ原湿原」
2021.11








528「座喜味城跡 」
2021.11







529「大里の谷」
2021.11







530「シーラ原」
2021.11







531「シーラ原」
2021.11






532「崎枝の田んぼ」
2021.11







533「崎枝の湿地」
2021.11







534「崎枝の牧場」
2021.11

 選んだわけではないのだが、崎枝の絵がだいぶある。崎枝の楽園の農園計画が頭にあるからかもしれない。崎枝の景色は記憶の中に沁み込み始めているようだ。たぶんこれから、一番描く場所になるのだろう。

 絵を見てくれた人に楽観の気持ちが伝わるところまで行きたい。そんな風に思う事はもう私絵画というより、楽観園のポスターという事になるのかもしれない。そうなるのであれば、それでいいと思っている。自分の絵が出来るようになれば、人のための絵である。

 問題は自分の絵にいまだ至れないのに、人の為どころではないという事かもしれない。人のための絵画という問題を避けてきたのは、それが出来ない自分に行きあたるからだと思う。絵画というものが、社会的な力を失っているからだ。この問題はすぐには結論は出ないが避けないで考えること。
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「SDGs(エスディージーズ)」とは田んぼのことだ

2021-12-04 04:02:04 | 石垣島
「SDGs(エスディージーズ)」とは田んぼのことだ。

 SDGsは国連が決めた17の目標である。2030年までに達成が望まれている。石垣市は、令和2年度の「SDGs未来都市」(33都市)及び、「自治体SDGsモデル事業」(10事業)に選定された。ぜひ国連の目標を石垣市が達成してもらいたいものだ。

 このことで石垣市の担当部署に伺い説明をしてもらい、質問をさせて貰った。何故石垣市のSDGsの推進の計画のなかに水田の維持が入っていないのかという疑問である。担当としては意外な質問だったようで答えはなかった。市の担当者自身がSDGsにある永続性のある世界の意味を理解していないのではないかと感じた。

 石垣市では、統合的取組み事業として、地域における社会課題をSDGsというツールを用いて解決していく石垣SDGsプラットフォームを構築します。多様な主体の存在する石垣市において全てのステークホルダーに配慮した最適解を導出するとともに、多層化しがちな各主体を包摂的に地域社会に取り込んでいくことを目指します。ーーー石垣市ホームページより

 正直建前だけのようで、いったい何を当面の具体的な目標にしているのかが、私の頭ではよく理解できない。想像であるが、コンサル会社の下請け作業に見受ける。石垣の市民が生活感覚で書いた文章とは到底思えない。「ステ―クホルダーに配慮する」などと言われても私の頭では難しい。

  国連がSDGsを作った意味は世界がこのまま進めば危うくなるという認識がある。だからこそ未来に続く社会を作るには17の目標が必要という事だ。現状に対する危機意識から産まれたものだ。どれひとつとってもこのまま行けば、世界は終わってしまうかもしれないと思える。

 永続可能な社会と言えば、江戸時代の日本には、そのモデルがある。特に人口5万人の石垣島がどうすれば持続可能であるかは江戸時代の循環型社会こそモデルにしなければならないはずだ。それは石垣島の歴史的文化に反映されている。むしろ石垣島の住民の方々にはよくよく理解されているはずだ。

 石垣市の未来計画に、何故水田稲作を重要なものとして取り上げていないのかが不思議な気がする。未来社会の一番の不安は食糧不足である。食糧自給の中心になる水田の意味に言及しない、未来への計画があり得るだろうか。SDGsを通してもう一度、水田の意味を考えてみる必要があるのではないか。17の目標のすべてに水田は関連してくるのではないかとおもうほどである。

 少なくとも10の項目には深くかかわっている。水田が無くなれば、石垣島ではなくなるとまで思っている。伝統と歴史を捨ててしまう石垣島の未来の計画などあり得るだろうか。5穀豊穣のない豊年祭などあり得るだろうか。

 ヨーロッパの環境学には農業という視点がかけていると言われている。ヨッロッパの農業が牧畜や麦であり、環境というものと対立的な産業という傾向があるからのようだ。その典型的な農業の形が植民地におけるプランテーション農業である。農業を行う事で地域の文化を崩壊させ、食糧すら生産できない地域になる。そして、近代農業ではさらに永続性が疑問視される農薬と化学肥料が広がってゆく。

 ヨーロッパの文明では農業というものは環境を破壊してゆくものとしてとらえられている。しかし、東洋4000年の循環農業の歴史は、環境を育みより豊かにして行く産業としての農業が存在する。農業がおこなわれることで、環境の多様性が維持され、人間の成長もそこにあるとされてきた歴史がある。

 国連がSDGsを考えた時にも、農業の意味合いを深く考察していないのだろうと思う。永続性のある世界とは永続性のある食糧生産の続く世界である。食べる物の生産が地球を破壊してゆくのであれば、未来の世界は閉じられたことになる。稲作農業は地球の環境を豊かなにして行くものなのだ。

 具体的に考えれば、もし世界中が肉を主体の食事になるとすれば、間違いなく地球の環境は歪んでゆき崩壊してしまうだろう。増え続ける世界人口の元で、人間が永続性を考えるのであれば、米を主食にする文化を考えざる得ないのだ。コメづくりを支える田んぼの環境には、地球を守り育てる力がある。

 水の星地球である。SDGsも水を中心に考える必要がある。特に石垣島の環境を考えた時には限りある水をどのように循環させるかが、永続性の為には目の前の重大な課題になる。当然石垣島で人が暮らせる人数は水の有効利用が大前提になるだろう。

 水がなければ島には人は住むことができない。今石垣島の水はかなり危ういところにあると考える必要があるだろう。雨は降ってくれるが、どちらかと言えば、一気に降ることが多くなったといわれている。島の自然が保水できる限界を超えてしまい、一気に海に流れてしまうような雨が多くなっていると多く農業者や環境を保全されている人たちは見ている。

 それは牧草地が増えたという事もあるだろう。サトウキビやパイナップルが増えて、田んぼが減少しているという事もある。島に降った雨を田んぼが一時的に溜めて、地下水になるというようなことが減り始めている。田んぼが減るという事は、水の循環という観点から極めて危ういことになる。

 ではどうすれば田んぼの維持が出来るか。市民がイネ作りに参加してゆかなければならない。それはこれからはいよいよ農業者にはイネ作りの経営が出来ない事になってゆくからだ。農業者がやれる間はその農業者を支えなければならない。しかし、経営の困難が予想される中、稲作農家の減少は近いうちに起こると見なければならない。

 その時に田んぼを維持できるのは自給として田んぼにかかわる市民になる。市民が行う自給の田んぼであれば、自分の労働時間を楽しみの時間と考えることが出来る。楽しんで食べるお米が作れるのであれば、やりたいという人は必ずいる。

 主食であるコメ作りを家庭菜園を希望する人以上にいるはずである。実際に石垣島田んぼ勉強会をフェースブックで呼びかけたところ3日間ぐらいの間に30人を超えることになった。必ずやりたい人は居るはずである。石垣市の3%の人が田んぼをやれば、1500人である。どんな事でもすくなくとも3%の人は興味を持つと言われている。1500人いれば石垣島の田んぼ可能地域はすべて耕作可能だ。

 子供でも女性でもお年寄りでも田んぼでは役割がある。それぞれの人が尊重され役割を担うものが、イネ作りであ。安寿と厨子王の盲目の母は佐渡島で干したお米に来るスズメを追い払う、鳥追いをさせられていたと物語にある。誰もが役割を持ちうるという事を教えてくれるのが、イネ作りである。

 質の高い教育と言えば、それこそイネ作りの中にある。水土にまつわる自然と環境を知らなければイネ作りはできない。人間が暮らすための食糧生産の意味を知る。食糧生産から子供たちが遠くなった今、学校田における「作務の授業」こそ、最も大切な教育なはずである。ぜひ石垣市で自給農業を実現し、SDGsの一翼を担いたい。

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篠窪に描きに行く

2021-12-03 04:14:34 | Peace Cafe


 小田原に来て、22日は一日雨だった。篠窪に絵を描きに行った。しみじみ日本のしっとりとした景色を眺めた。雨も良いものだ。紅葉が始まっている。いつも描いている場所なのだが、どこか見る気持ちが違った。

 篠窪を描きたくなる理由は、自然に溶け込むように耕作地があるからだ。修学院離宮が造営された背景にある、日本の理想の水土の姿であるとするならば、篠窪の景色は里山に暮らす日本人の原風景と言ってもいい気がする。ここに戻らなければ日本人はダメになる。

 なぜ里地里山が大切なのかをもう一度考えてみる必要がある。そこには暮らしというものが、形になって表れているという事がある。食べるものがなければ人間は生きられない。食べ物を作る場が自分を取り囲んでいる。生きることの安心立命ではないだろうか。

 子供のころ自給自足的に暮らす体験をした。そして、40歳前後にもう一度自給自足を試みてみた。人間が生きるという事を自分の身体で試してみた。生を明らめようとした。食べ物だけで人間は生きているわけではないが、食べ物がなければ生きることはできない。先ずはそこからやり直してみたかった。

 自分自身で確認のために、やってみなければ納得が出来ない性格である。私には自給自足が出来るのか。ここから試してみるほかなかった。近所のおばあさんはみんな自給自足している。こう言った人がいた。おばあさんは果たして田んぼをやっているのか確認しなければいられないのが、私の性分だ。

 まずは田んぼをやっている近所のおばあさんは居なかった。鶏を飼っているおばあさんもまずいない。自給自足と言えば、あくまで食べ物を購入しないという事だ。お米、味噌醤油、野菜、そしてたんぱく質。それが私に出来るのかどうか。やってみなければわからない。

 人間は100坪の土地と2時間の労働時間で自給自足が出来る。これが結果である。その確認をして初めて絵を描いて良いと言われた気がした。絵を描く方角が変わった。しかし、その体験も、あり得ない嘘だという人が何人もいた。しかし、私自身が分かればそれで良いことである。

 みんなで行う自給活動になって、1時間で良いという事が分かった。もちろんこれは食べ物だけの話だ。問題は後の23時間をどう生きるのかという事だ。後の時間は好きなことを好きなだけやって生きても良いという事になる。絵を描くために生きても良いという確信になる。

 この時楽観に到達したのかもしれない。そういう自覚はなかったが。不安というものは無くなった。食べる物さえ確保されていれば、後の生き方は自由である。好きなことに費やせる。「もふもふさん」のように引きこもってウエッブで音楽を作るのも良いのだろう。私も水彩画をウエッブで日曜ごとに発信している。

 私の場合だけのことかもしれないが、引きこもるその前に、食べ物の自給だけはしなければと考えた。それをしないと、生きるという事の意味を見失かったままの創作になる。道元禅師だって福井の山の中に引きこもったわけだ。達磨大師だって9年間も穴の中に引き籠った。

 たぶんこれからの時代の発信は、画廊で展覧会をするというような発信ではなくなると20年前に考え個展は止めた。私が今やっているような、ウエッブでの発信はいい加減なものだし、未熟でつたないものであるが。それでもやらないよりは、不十分であれやった方がいいと思って始めた。

 芸術としての絵画は私絵画になる。このあくまで個人的な世界を突き詰めてゆくための方法としての、ウエッブでの発表。絵画は大きな変化を始めている。描くという行為の意味が、絵そのもの役割以上になっている。精神を活性化させるために描いているようなものだ。

 私にとっては体には体操が必要なように、人間の心を育てるためには、深いところでの創作活動が必要だった。未だかつてないものを掘り起こす行為が人間を人間にする。確信はないが、人間の疎外が進む世界で人間を確認して生きるためには必要なことだと思う。

 その結果が今描いている絵だ。恥ずかしいものであるのは分かっているが、今の自分の描く絵を発表してゆくひつようがあると思う。ウエッブというのは私絵画にはちょうどよい場だ。だから、年賀状だけは希望者には現物として送ることにしている。生の筆触を確認をここでしてもらう。

 曾祖父と祖父は闡幽會という組織を作り「心の聲」という短歌の雑誌を明治時代から昭和まで出版していた。短歌の組織としては当時大きな方だったと聞いている。心の聲が自ずと短歌になるという意味なのだろう。今私が心の聲を絵にしようとしているのは何か繋がりのようなものを感じる。

 話がずいぶんとそれてしまった。思い出したので書き留めておこうと思った。石垣島の風景に眼がなじんでいて、実に篠窪に、小田原久野の風景に日本を感じてしまったのではないだろうか。石垣島の風景は子供のころから目になじんだ日本の風景ではないという事になる。篠窪は穏やかで溶け込みやすい風景だ。何か風景に許されているような気になった。

 小田原に居る間に、もう一度できれば篠窪に絵を描きに行きたいと思う。生まれた場所の風景がどのように見えるのかを改めてみてみたいと思った。今回はもう無理かもしれない。また1月には来ることにした。その時にも篠窪と笛吹市には描きに行きたい。

 一度離れたからこそ見えてくるものがあるようだ。心の中の風景が醸成されてくる。静かに発酵を続けているような気がする。時々心の中をかき回す必要がある。その為には小田原に来て絵を描くことは必要なようだ。

 そのことが石垣島で描いている絵にとっても大切なことのような気がしている。石垣島でこれから農園の準備に入る。5年はかかると考えている。きっと農園が出来る頃には石垣の農業のことが見えてくるかと思っている。

 農業が見えてこなければ、心の中に石垣島の風景が沸き上がってこないのだと思う。今はあこがれの石垣島の景色なのだろう。自分の場としての石垣島の景色が描けるためには、石垣島の農業が身に着かなければだめなのだと自覚した。

 今こうして二つの場を行き来しながら農業をして、暮らすことが出来るという事は2か所の仲間の存在のお陰である。有難いことである。大したことはできないのだが、私にも私なりの役割がある。動ける間はその役割を果たさなければならない。

 そしてその時に心の中から湧きだす風景を絵にしたい。それが出来るかどうかはまるで分らない事であるが、自分の残された時間にやるべきことの方角は見えた気がしている。今日は水路の詰まりを取り除く工事をする。抜けるかどうかは分からない。水路の中の状態が分からない。それでも試みて、何とか挑戦するほかない。



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