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牧草が無くなる危機がくる。

2021-12-15 04:23:32 | 暮らし


 石垣島の牧草地である。飛行機が降下するときに上から見える。幸福牧場当たりだろうか。石垣島では牧草の生産が盛んになっている。荒れ地が牧草地に変わり、サトウキビやパイナップルが牧草地になったところもある。草を育てれば、それの刈り取りをして、買い取ってくれるらしい。

 それだけ石垣牛が高値に販売できるからだろう。これから自給飼料はますます重要になる。石垣島は輸入飼料を使わない、肉牛生産を目指す必要があるのかもしれない。それは石垣牛のブランドとしての、販売戦略にも成るはずだ。

 いま日本中から輸入の牧草が消えようとしているそうだ。家畜の飼料となる乾燥牧草はほとんどが輸入しているものだ。つまり、日本の肉は実質は大半が輸入と言うことになる。エサが輸入で、働いている人も外国人が多かった。その外国人もいなくなった。もう元には戻らないに違いない。

 そして、関東以北ではもう牧草の生産は出来ない季節だ。果たしてこの冬は乗り切れるのだろうか。コロナで輸送が滞り、牧草のような大きさの割には価格の低いものが後回しにされているからだ。結果として肉の輸入となるのだろう。牛乳だった飲めなくなるのかも。

 コロナで港湾労働者が世界中で集まらなくなっているらしい。輸入に頼ることの危うさは至る所にある。牧草だからまだ良いとも言える。これが小麦とか、大豆とか、トウモロコシとなれば、日本人は何を食べれば良いと言うことになるのだろうか。食糧自給は差し迫った国の安全補償の問題である。ミサイルよりも先にやるべき事だ。コロナ危機の次には食糧危機が来るのだろうか。

 同時に日本における牧草の生産にも、労働力不足問題が生じている。石垣島の草地でも外国人技能実習生の姿を見なくなっている。これはたぶん全国的なことなのだろう。今後の日本の農業は外国人に肉体労働を依存するという形は限界に来ているとみて良いだろう。

 アジアの国々の賃金と日本の賃金の差が少なく成っている上に、韓国の方が高賃金というのが日本の実態の姿である。日本の出稼ぎで来てくれるという考えは捨てなければならない。もし来て貰うなら、日本に移民をして貰うと言うことになる。そこをはっきりと認識すべきなのだ。

 畜産農家の一戸あたり経営規模の拡大。牧草の品質や収量確保に必要不可欠な草地の植生改善や収穫調製作業には大きな労働力が必要になる。牧草地は良く管理しないとたちまち雑草が入る。 日本人が肉体労働が出来なくなっている以上、規模拡大も限界に来ていると考えなくては成らない。

 アメリカ、ブラジル、オストラリア。日本向けに牧草が生産されている国々では、輸出作業が滞っている。多く輸出されているアメリカのシアトル港・タコマ港でも沖合で10日以上のコンテナ船の滞船が発生している。コロナにより港湾労働者や輸送トラックの乗員の確保が出来なくなっている。

 同時に世界的な異常気象の結果、長雨などの影響が起こり、牧草の乾燥度合いなどに問題が出てきていることも少なくない。牧草の生産に様々な角度から障害が起き始めている。もう肉食傾向を改めざる得なくなっていると言うことなのだろう。

 果たして日本人に昔の日本食に戻ることが出来るのかどうかである。出来ないとしても、やらざる得なくなる日は遠くない。肉は江戸時代のようにせめて二本足のニワトリまでにしたらどうか。ニワトリならば、何とか国内の食品残渣を飼料にすればしのげるはずだ。

 食糧など価格の安いところから購入すれば合理的だとする、日本の競争経済優先の考え方の危うさが、現実的危機になり始めている。日本はもうそんな贅沢な事が言える国では無くなっている。食糧は一定量の自給をしなければ、安心して暮らすことができない。それが当たり前の健全な国なのだ。

 ひいては食糧問題が戦争の引き金になる。まさに世界における食糧危機の始まりが見え始めている。食糧自給を考えれば、肉食を止めるほかないところだが、世界中が肉食の傾向を強めている。こういうところでも仏教の思想の優秀さを感じる所だ。できる限り、お米を食べなければ人類は生き延びることができない。

 食糧生産は地球環境を崩壊させるところまで拡大されている。温暖化の主要な原因でもある。牛のゲップが地球を温暖化させているのだ。その状況下に世界の人口は増え続けている。誰が考えても食糧不足にちかいうちになる。世界で食糧の取り合いが始まると考えなければならない状況だろう。

 日本にはお金があるから輸入すれば大丈夫だというような考えが、もうできなくなっている。日本の世界最悪の財政事情である。日本の経済力の低下。労働人口の減少から考えれば、いよいよ食糧自給率を高めなければならない緊急事態、そうでなくて当たり前の国なる日が近づいている。

 日本の状況はコメ余りというような贅沢なことは言っていられないのだ。米を作り、米を食べるほかない状況が近づいていると考えておくべきだ。そうならなければ幸いなことだが、お米を食べてこれから来る食糧危機をしのぐほか無いのだ。

 と言いながらも、専業農家でのコメづくりは一層困難になるに違いない。燃料も高騰する。機械の購入維持もコメ作りをしてゆくには経済的に難しくなるはずだ。そして労働力の確保できなくなる。日本に来てくれる外国の人たちは先細りがはっきりとしてきている。

 世界中で労働人口は取り合いが起こるだろう。日本の経済が落ち着くところに落ち着けば、世界の大抵の国と横並びになる。資源が豊かという事でもなく、労働人口も減少してゆく日本の経済的優位さは失われてゆかざる得ないはずだ。

 そうなれば、食糧生産は人に任せて置くものではなくなると考えておいた方がいい。一定量の食糧生産を市民が普通に行うような国にならなければ、食糧の確保の安心が得られない事になる。それは暮らしという事を考えれば不幸なことではなく、むしろまともな暮らしを取り戻すという事になるのだろう。

 石垣島では年間5回から6回の牧草の刈り取りが出来るという事である。冬でも生草のある石垣島での畜産の有利さは、今後ますます大きくなるという事も考えられるのだろう。一方現在畜産の中心地である北海道の畜産は、輸入飼料が高騰して難しくなると考えて置いた方が良いのかもしれない。

 畜産も発想を転換して、食品残渣を飼料として利用できる養豚や養鶏を中心に考える必要が出てくるのだろう。私が想像していた食糧危機の時代はコロナで一挙に現実化してきた。もう始めなければ遅い。政府はまったく準備などする気も無いから、それぞれが自分で取り組み他ない。

 誰かに作って貰うことが出来ない国になった以上、自分で作らなければならない時代になる。食糧自給の時代が来る。一人100坪の自給を真剣に考えた方が良い。石垣島にその体験農場を作っている。是非興味ある人は見に来て貰いたい。やってみたい人も受け入れる。

 食糧自給は遊びの延長で可能だ。デズニーランドに行く代わりに、田んぼに行けば良い。楽しい食糧自給が日本を救う。水牛を使う伝統農業である。農薬も、化学肥料も無かった時代の農業の再現である。何もかも自給する農業。これでも人間は生きれると言うことを、証明したいと思う。

 今日は農業委員会が現地確認にきてくれる。どのように見てくれるのだろう。少し緊張する。石垣島で無事に農家になれることを願っている。
 
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