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篠窪に描きに行く

2021-12-03 04:14:34 | Peace Cafe


 小田原に来て、22日は一日雨だった。篠窪に絵を描きに行った。しみじみ日本のしっとりとした景色を眺めた。雨も良いものだ。紅葉が始まっている。いつも描いている場所なのだが、どこか見る気持ちが違った。

 篠窪を描きたくなる理由は、自然に溶け込むように耕作地があるからだ。修学院離宮が造営された背景にある、日本の理想の水土の姿であるとするならば、篠窪の景色は里山に暮らす日本人の原風景と言ってもいい気がする。ここに戻らなければ日本人はダメになる。

 なぜ里地里山が大切なのかをもう一度考えてみる必要がある。そこには暮らしというものが、形になって表れているという事がある。食べるものがなければ人間は生きられない。食べ物を作る場が自分を取り囲んでいる。生きることの安心立命ではないだろうか。

 子供のころ自給自足的に暮らす体験をした。そして、40歳前後にもう一度自給自足を試みてみた。人間が生きるという事を自分の身体で試してみた。生を明らめようとした。食べ物だけで人間は生きているわけではないが、食べ物がなければ生きることはできない。先ずはそこからやり直してみたかった。

 自分自身で確認のために、やってみなければ納得が出来ない性格である。私には自給自足が出来るのか。ここから試してみるほかなかった。近所のおばあさんはみんな自給自足している。こう言った人がいた。おばあさんは果たして田んぼをやっているのか確認しなければいられないのが、私の性分だ。

 まずは田んぼをやっている近所のおばあさんは居なかった。鶏を飼っているおばあさんもまずいない。自給自足と言えば、あくまで食べ物を購入しないという事だ。お米、味噌醤油、野菜、そしてたんぱく質。それが私に出来るのかどうか。やってみなければわからない。

 人間は100坪の土地と2時間の労働時間で自給自足が出来る。これが結果である。その確認をして初めて絵を描いて良いと言われた気がした。絵を描く方角が変わった。しかし、その体験も、あり得ない嘘だという人が何人もいた。しかし、私自身が分かればそれで良いことである。

 みんなで行う自給活動になって、1時間で良いという事が分かった。もちろんこれは食べ物だけの話だ。問題は後の23時間をどう生きるのかという事だ。後の時間は好きなことを好きなだけやって生きても良いという事になる。絵を描くために生きても良いという確信になる。

 この時楽観に到達したのかもしれない。そういう自覚はなかったが。不安というものは無くなった。食べる物さえ確保されていれば、後の生き方は自由である。好きなことに費やせる。「もふもふさん」のように引きこもってウエッブで音楽を作るのも良いのだろう。私も水彩画をウエッブで日曜ごとに発信している。

 私の場合だけのことかもしれないが、引きこもるその前に、食べ物の自給だけはしなければと考えた。それをしないと、生きるという事の意味を見失かったままの創作になる。道元禅師だって福井の山の中に引きこもったわけだ。達磨大師だって9年間も穴の中に引き籠った。

 たぶんこれからの時代の発信は、画廊で展覧会をするというような発信ではなくなると20年前に考え個展は止めた。私が今やっているような、ウエッブでの発信はいい加減なものだし、未熟でつたないものであるが。それでもやらないよりは、不十分であれやった方がいいと思って始めた。

 芸術としての絵画は私絵画になる。このあくまで個人的な世界を突き詰めてゆくための方法としての、ウエッブでの発表。絵画は大きな変化を始めている。描くという行為の意味が、絵そのもの役割以上になっている。精神を活性化させるために描いているようなものだ。

 私にとっては体には体操が必要なように、人間の心を育てるためには、深いところでの創作活動が必要だった。未だかつてないものを掘り起こす行為が人間を人間にする。確信はないが、人間の疎外が進む世界で人間を確認して生きるためには必要なことだと思う。

 その結果が今描いている絵だ。恥ずかしいものであるのは分かっているが、今の自分の描く絵を発表してゆくひつようがあると思う。ウエッブというのは私絵画にはちょうどよい場だ。だから、年賀状だけは希望者には現物として送ることにしている。生の筆触を確認をここでしてもらう。

 曾祖父と祖父は闡幽會という組織を作り「心の聲」という短歌の雑誌を明治時代から昭和まで出版していた。短歌の組織としては当時大きな方だったと聞いている。心の聲が自ずと短歌になるという意味なのだろう。今私が心の聲を絵にしようとしているのは何か繋がりのようなものを感じる。

 話がずいぶんとそれてしまった。思い出したので書き留めておこうと思った。石垣島の風景に眼がなじんでいて、実に篠窪に、小田原久野の風景に日本を感じてしまったのではないだろうか。石垣島の風景は子供のころから目になじんだ日本の風景ではないという事になる。篠窪は穏やかで溶け込みやすい風景だ。何か風景に許されているような気になった。

 小田原に居る間に、もう一度できれば篠窪に絵を描きに行きたいと思う。生まれた場所の風景がどのように見えるのかを改めてみてみたいと思った。今回はもう無理かもしれない。また1月には来ることにした。その時にも篠窪と笛吹市には描きに行きたい。

 一度離れたからこそ見えてくるものがあるようだ。心の中の風景が醸成されてくる。静かに発酵を続けているような気がする。時々心の中をかき回す必要がある。その為には小田原に来て絵を描くことは必要なようだ。

 そのことが石垣島で描いている絵にとっても大切なことのような気がしている。石垣島でこれから農園の準備に入る。5年はかかると考えている。きっと農園が出来る頃には石垣の農業のことが見えてくるかと思っている。

 農業が見えてこなければ、心の中に石垣島の風景が沸き上がってこないのだと思う。今はあこがれの石垣島の景色なのだろう。自分の場としての石垣島の景色が描けるためには、石垣島の農業が身に着かなければだめなのだと自覚した。

 今こうして二つの場を行き来しながら農業をして、暮らすことが出来るという事は2か所の仲間の存在のお陰である。有難いことである。大したことはできないのだが、私にも私なりの役割がある。動ける間はその役割を果たさなければならない。

 そしてその時に心の中から湧きだす風景を絵にしたい。それが出来るかどうかはまるで分らない事であるが、自分の残された時間にやるべきことの方角は見えた気がしている。今日は水路の詰まりを取り除く工事をする。抜けるかどうかは分からない。水路の中の状態が分からない。それでも試みて、何とか挑戦するほかない。



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