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よく生きるための学び方

2021-07-16 04:22:34 | 身辺雑記


 よく生きるためには、学習しなければならない。自分の能力などしれている。人間は教わることがどれだけできるかだと思っている。学ぶことのできる人と、できない人が居る。学び上手な人は成長ができる。

 ともかく何事も相談をすることにしている。聞けば分かることが多いものだ。聞くは一時の恥と言うが、聞くことができると言うことは一時の恥どころか素晴らしいことだ。できるだけ、聞き上手になり謙虚に話を受け入れる。充分聞いて学んで考える。

 そして、いいと思える事はともかく続ける。少しぐらいだめでも良くなるまで続ける。結果の善悪などは、実は生きることの本質には関係が無い。継続できることが学ぶためには重要だと思っている。これがよく生きるための学び方だ。

 動禅体操をしていると、出来ない動きがある。立ち魚体操は10秒と続かない。出来ないながら何とかやっていると、一年くらい続ければ大抵の動きは出来るようになっているはずである。出来ることだけやるより、出来ないことを続けることが重要である。

 1年でだめなら、2年やればいい。それでもだめなら3年やればいいだけである。出来ないことがあると言うのは、目標をもらえたわけでむしろ良いことを始めたことになる。進歩を感じられる内はまだ大丈夫だと思い、出来ないでも続ける。立ち魚運動は3ヶ月ぐらいは毎日続けているが、まだ10秒と出来ない。いつ出来るのかと楽しんで続けている。

 この出来ないと言うことをありがたいと思い続けている。まだ獲得しなければいけない弱いところがあると言うことだ。立ち魚運動は体幹の運動である。体幹が衰えていると言うことだ。それで出来ないにちがいない。体幹が弱いところがあり、それを強化できると言うことは有り難い。

 はじめて水牛の世話をしている。とつぜん水牛を飼うことに成教わらなければ教わらなければ困るのでは無かろうか。水牛の飼い方など、インターネットで探したって出てこない。相手は生き物である。頼まれた以上人任せには出来ない。全力でやるほかに。責任を持つと言うことは悪いことではない。

 水牛をどのように世話をするかはよく見ることから行っている。何を好み、何を嫌がるのか。何を食べて、水はどのくらい飲むのか。分かっていそうな人には何でも聞いている。兄は牛の専門家なので、色々電話で教えてもらっている。

 この機会に水牛が飼えるくらいの学習をしようと思っている。先ずは水牛とできるだけ長時間一緒に居て、見ていることだ。糞はどういうときにするか。一日何回ぐらいか。状態はどのようなものか。尿はどういうときどのくらいするのか。

 草を沢山食べるが、一日どのくらい食べるのか。生草だけ食べていて大丈夫なものか。暑さに対してはどうしたら良いか。水の中は好きだが、どのくらい入れておけば良いか。田んぼに日に一度は入れて泥浴びはさせたほうが良いのか。

 川に一時間入れてやり、その後泥浴びをしてから、夕食。人が見ているとよく食べる。食べるときに少し不安があるようだ。一匹でいるから、外界に対して緊張があり、人が居ると安心できるので、この間に餌を食べようとするのかもしれない。人がエサを持ってきてくれて食べるという習慣のせいかもしれない。

 配合飼料を与えていたのだろうか。水を飲む量が以前より大分減った。草だけを食べているので、水分量が7~80%はあるだろう。草を一日50キロ食べれば、35リットル水を飲んだことになる。それにしても草の餌だけ食べていて、痩せないものだろうか。

 虫に刺されるようだ。血が出ていることがある。アブやダニが刺すのだろう。フィラリアのような病気にならないものだろうか。お腹の方が刺されないように、泥浴びをさせる必要がある。ワクチンはしているのだろうか。水牛が南の石垣島で家畜になり、赤牛が日本本土では家畜になった。

 どこかへ逃げて行きたいと言うことは無いようだ。今居る場所で満足しているようだ。他の牛のいる家に帰りたいと言うことは無いらしい。私のことをいくらか覚えて、帰ろうとすると、あわてて寄ってきたりすることもある。食べている間はついていた方が良いようだ。

 いつもはむしろ離れたところに居ようとして、呼んでも寄ってくることは無い。ただ、車の音を聞くと林の中から顔を出すところを見ると、分かってはいるようだ。犬や猫とは違い素っ気ない態度ではあるが、人間との関係はかなり強い。

 よく見ていれば様々分かってくることがある。観察である。観察する能力が学習能力である。こうして新しいことを学ぶと言うことは、自分をみがくことだ。こんなに大きな動物の責任が持てると言うことがうれしい。この学習の機会を生かしたい。

 自分という人間が新しいことに広がっていることだ。新しいことで自分が鍛えられている。何でもやってみない限り分からない。頭で理解したことと、自分の行動でやることとははっきりと違う。観念で理解するより、身体が理解しなければ自分のものにはならない。

 自分のものになったか成らないかは絵を描いてみれば分かる。昔、房総に小シャモに熱を入れあげていた、シャモ太郎と自称する人が居た。素晴らしい小シャモをどこの品評会につれてきていた。この人が私が絵を描くと言うことを知って、俺の理想とする小シャモは間違っても絵には描けないと言っていた。

 この感じはよく分かった。入れあげて、この人だけが見えている小シャモの姿がある。見るというのはそれほど奥の深いことなのだ。自分の命をすべて小シャモに賭けてしまい、初めて見えてくる世界があるから、そこまで小シャモに入れあげられるのだろう。らんちゅうだって、水牛だって少しも変わらない。

 風景に入れあげなければ、風景を描くことなど出来ないと言うことである。田んぼに入れあげなければ、田んぼなど描けないと言うことである。石垣島には英太郎さんという田んぼに入れあげている人が居る。この人の栽培を聞いていると、田んぼが見えていると言うことがよく分かる。

 今石垣島の田んぼを必死で学んでいる。30名もの人が、本気で見ている。よく田んぼ一枚一枚が違うと言うことが言われる。人に言われたくない農家の人がよく言う言葉である。そして、それならここでやって見ろと言うことになる。

 田んぼは違うと言うことはよく分かるが、イネはイネである。どこでも通ずる方法がある。それを見つけてやらなれないとしたら本当の技術になっていないと言うことだろう。技術というものは再現性があり、どこであれ通用しなければならない。

 石垣島で畝取りできるところまでやってみたいものだ。何が障害になっているのか。品種は何が良いのか。今回ひとめぼれでやっている。私の技術には正直向かない品種である。どう考えても、これほど暑いところの8月1日の田植えではひとめぼれでは完全とは行かないだろう。夜温が二九度から下がらない場所で、ひとめぼれが充分に実ることは無いだろう。

 こうして、新しいことに挑戦させてもらえることは行きが掛かりではあるが、やはり実に刺激的だ。いままで学習したものを総動員して、イネ作りが出来る。水牛の世話をさせてもらえる。幸せに違いない。と言っても田んぼで絵を描いているだけなのであるが。

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石垣島での苗作り。

2021-07-15 04:04:09 | 「ちいさな田んぼのイネづくり」


 石垣島でイネの苗作りをしている。苗代は播種11日目というところである。何が起こるかと緊張して見てきた。ここからは苗床の土壌がうまく出来ているかどうかが鍵になる。十分な肥料が無ければ、ここで成長を止める。次なる緊張が強いられる。

 なにしろ、直前まで慣行農法の水田であった場所だ。1ヶ月前に稲刈りをして藁を巻いて耕しただけの場所である。急遽ぼかし肥料を入れて苗代を作った。ぼかし肥料はビールかすと米ぬかと混ぜたもの。20メートルの苗代に60キロ入れて、よく攪拌した。

 自分だけの田んぼであれば、ダメだったか。ダメでもいいじゃん。で済ませることも出来るが、みんなの田んぼである以上、なかなか責任は重い。失敗は出来ない。いまま確立した技術の試しどころである。小田原で確立したイネ作りの技術が、全く違う環境の石垣島でも通用する技術になっているかどうかである。

  今回蒔いているのは、このたんぼで取れたばかりの「ひとめぼれ」である。初めて作る品種である。私のやり方の有機農業では難しい、穂の小さい品種である。分ゲツを多くとらなければならない。そもそも冷害に強い品種と言うことで出来たお米である。

 以前から稲作の沖縄の平均収量が低いのは、ひとめぼれを作るからだと想像していた。暑さに強い品種で無ければ、うまく作れないのは当然ではないだろうか。たぶん収量は少なくとも、美味しい方が良いと言うことなのだろう。

 ひとめぼれは休眠が強い品種らしい。発芽させるためには十分な浸種が必要とされる。水温のかなり高い川の水に、1週間浸けておいたのだが、鳩胸には至らなかった。ついこの間収穫されたお米は確かに、発芽するためにはもう少し時間が必要だったようだ。

 適地等・ 東北中南部の平坦地、関東以南の早期栽培、および温暖地、暖地の高冷地帯に適する。 と農水省の説明である。どう考えても石垣島の熱帯気候には向いていない。しかも、酷暑の2期作でそれを作ろうというのである。

 これは与えられた試練だと思っている。偉そうなことを口にするならやって見ろと言うことだと思っている。小田原で出来たって、石垣島で出来るわけが無いだろうと言うことだと思っている。確かに難しい。様々違いすぎる。何しろ田んぼの水温が35度ぐらいまで上がる。

 1メートルに100グラムづつ、20区画にして2キロの種籾を蒔いた。これが70%発芽すれば、1反4畝の田んぼの苗になるという計算である。80数%ぐらいの発芽した。大分発芽にはばらつきが出来た。今発芽しているものもあれば、すでに2葉期を過ぎているものもある。

 イネはこの暑さでも大丈夫なようだ。すごい作物だと改めて見直した。主食になる作物はやはりすごいものだ。水が来ないで苦労したが、やっとこのところ水は来ている。ギリギリしのいだ感じだ。あと一日水が来なければ危うかった。



 次の問題はジャンボタニシである。タニシが20匹も苗床に入っていた。編み目が大きすぎたこともありそうだが、苗床で生まれたのかもしれない。編み目はもう少し小さいものにすべきだった。毎日それくらい見かけるようになってしまった。

 これはかなり危うい。今も早く見に行って、ジャンボタニシ取りをしたくなる。編み目が粗すぎたことを後悔している。細かな網にすべきだった。今日言って、相変わらずジャンボタニシが集中していたら、細かな網を購入しに行くことにする。

 中が見えないので困ると思って、あえて編み目は1センチにした。仕方がないので、この網を2重にした。これでダメなら、さらに対策をしなければならない。すべてジャンボタニシを取り去っても又集まってくる。やはり地中から現われるのか。

 苗床にはヒエが出てきている。一段大きいのでこれは良く分かる。一度よく見て取り去ろうかと思う。その他の雑草もいくらか出てきている。ところが田んぼには全く草一本で無い。これはジャンボタニシが食べてしまうのだろう。

 水を張って、3週間を越えたことになるが、草がまるで生えてこない。確かに代掻きは時々やるわけだが、それにしても全くないというのは不思議な感触である。ジャンボタニシが雑草を食べているということにはまちがいがない。確かに大苗を植えれば、草対策がいらないかもしれない。

 田んぼの全体から見ると、そのジャンボタニシも急激に減ってきたように見える。探して欲しいと頼まれた。オカヤドカリの巣にしたいと言うことだ。それ以来探しているのだが、苗床周辺ではよく見るのだが、それ以外には見つからない。土の中に居て、夜になると出てくるのだと言割れる人も居るが、果たしてそうなのだろうか。

 白鷺が五羽毎日きて餌を食べている。これが食べているのではないかと思われる。あの嫌なピンクの卵は畦草にときどきあるのだから、どこかにまだ居るはずである。ジャンボタニシは水に浮び移動するようだ。空気を溜めるのだろうか。水に流されて、草にとりつく。

 11日目の状態でばらつきはあるが、すでに2葉期と言って良いだろう。小田原より早い成長なことはたしかだ。計算上この調子だと、3週間の育苗で4,5葉期ぐらいにはなるかもしれない。ここで田植えしても良いが、これだけジャンボタニシが居るのであれば、4週の育苗で5葉期を越えた方が良いだろう。葉が堅くなればタニシが食べることが出来ないと言うことだ。

 4週間の育苗なら5、5葉期に成る計算である。5日で一枚葉が出るようだ。8月1日の4週間目がやはり田植えと考えて良いのだろう。日曜にしか田植えが出来ないと言うことだから、3週目ではまだ少し早い。

 この5日で一枚という成長速度がつづくとすれば、15枚葉が出るまで75日11週ということになる。小田原よりも4週間も成長が早い。この早すぎる成長と言うことが、充分稲が実ることが出来ないと言うことになるのかもしれない。

 気になるのはイネの葉の色がさえが無いと言うことがある。くすんでいて爽やかな色にならない。何故なのだろう。気のせいなら良いのだが、成長が早い割にはなんとなくたくましさがない。これがひとめぼれの姿なのだろうか。

 ゆっくり成長させると言うことは出来ないのだろうから、早い成長に合わせた、イネ作りをしなければならない。補肥のタイミングも難しいものになりそうだ。
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石垣島に移住して

2021-07-14 04:20:03 | 身辺雑記


 コロナを予知したかのように、石垣島に移住したことになった。コロナが起こることは10年前予告していたということはあった。絵を描きたい石垣島に三年前に移った。原発事故で石垣島に移住した人も居た。今回のコロナで石垣島に来た人もきっと居る。

 石垣島で知り合いになる大半の人が、石垣島に他所の地から来た人である。石垣島は合衆国と言われている。一〇〇年前から石垣島に住んでいる家系の人はたぶん半分も居ないのだろう。糸満からの漁師さん。明治の併合で琉球王朝を追われた人達。宮古島やそのほか多くの島から新天地を求め渡ってきた人々。米軍基地の接収に伴い、石垣に渡った人。

 そして、私のように引退して石垣島での暮らしを選択した人が今は比較的多くきている。若い農業移住者もいる。コロナをきっかけに都会での暮らしに限界を感じた人も多いのだろう。そして石垣島の若い人が、石垣島を離れて都会に出て行く。入れ替わりが起きている。

 都市生活の危うさというものを深刻なことと受け止めている。巨大都市は資本主義が生み出したものだ。人間はいつか都市から離れる事ができるのだろうか。資本主義が限界を言われながらも、資本主義は止められないままその矛盾を広げて行く。

 多くの人間が矛盾の極限化して行く社会のなかで、大きくなりすぎた都市から、離れることが出来ないまま、苦しみもがき続けてゆくような気がする。暮らしを失う都市の持つ複雑怪奇な魅力は抗しがたいものがある。新緑の緑を見て吐き気をもようす新人類。

 人間の混沌の渦が都市というものに流れ込んでいる。都市生活者でなければ人間の絵は描けないのかもしれない。パリで印象派が生まれたように。学生の頃は金沢に暮らしたわけだが、やはり金沢という場所に相応し形での、人間の集まりの渦が濃密に生じていた。人間は場というもののに応じて誕生する事を実感する。

 学生時代を金沢という規模の都市で暮らせたことは、自分にはとても良かったことだと思っている。東京で高校生活をしていた。東京から、離れることが必要だと考えた。良い選択だったと思っている。それは高校時代の友人の東京で大学生活と比べて見て、濃密に自分と言うもののを探る大学生活を送れたと思うからだ。

 学生の頃も絵を描き続けていた。お寺から離れて、絵を描くこと以外に自分というものを確立する場がなかった。大学に行くときには寺子屋の研究と言うことを考えていた。自分が育った山寺である、向昌院も江戸時代には寺子屋があったと言うことである。

 あんな山の中の一軒家のような寺で、どんな教育が行われていたのかと思う。江戸時代の農家の子供が、学ぶと言うことをどのように考えていたのだろうか。そういう学問をしてみたいと思い大学に行った。私の高校時代は大学闘争の時代だった。高校でも学校へ抗議して、授業のボイコットなどやた。だからそんなことを考えたような気がする。

 大学に入ったが、大学は閉鎖されていた。その中で学問をすると言うことより、絵を描くと言うことに引きづり込まれていった。地道に学問をする努力ができなかったと言うこともある。同時に絵を描くという面白さにのめり込んだ。

 それは金沢という都市の影響なのかもしれない。金沢には美術大学もあり多くの人と知り合いになった。街全体が美術の空気が満ちていた。あの頃の金沢ほど、生活の近い場所に美術が存在した街は無かったかもしれない。兼六園の中を通り、金沢城にある大学に通っていた。そのうち大学のなかにあった元軍隊の馬小屋の中に暮らすようになった。

 伝統文化としての陶芸や漆芸の美術も身近にある。沢山の画廊ありと沢山の絵描きらしき人がいた。美術展もひっきりなしに行われていた。そんな人達と接触しているうちに、いつのまにか絵を描くことで自分というものを確認し主張できるような気がしたのだろう。

 石垣島に来たという話だった。人は暮らす場所で作られると言うことだとおもう。石垣島に来て、一人で絵を煮詰める最後の30年にしようと考えた。そのくらい無ければ、自分の絵に納得がいかない不十分を感じたからだ。それを今続けて3年目である。

 70歳にも成れば、人から受けるものより、後は自分自身を探ろうと考えた。そして、石垣島に来てやや落ち着いたと思う頃に、コロナ感染が世界中で広がった。世界が変われるかどうかが今この瞬間問われている。政府の優柔不断な態度を見ていると、変われないだろうと思える。

 悲惨なことが次々に襲来する時代に入るのだろう。少なくとも、大きな格差がうまれと階級と呼んだ方が良いような、人間を能力差別する時代になる。上級能力階級とそれ以外。資本主義社会が資本家と労働者を分けたように、この社会に適合する能力の高いものが、不要不急の使えない能力の人間を操作する時代。

 一次産業の時代であれば、体力の優れた人でもせいぜい2対1ぐらいである。それがハイテク時代で1対0の能力差の時代であろう。超能力者のおこぼれに預かるような情けない時代が待っているようだ。富裕層と貧困層の階級の固定化。

 都市というものはさらに巨大化して富裕層の支配する社会である。一方都市以外にはそれ以外の不要不急の自由が存在する社会が生まれるのかもしれない。中国では環境を守ることで豊かな暮らしになる。こういうキャンペーンが行われている。地方が豊かになるためには環境しか無いと言うことだ。中国人には先が見えている。

 地方の価値は環境を守り、美し場所になれば、都市生活者が観光に来てくれる。都市生活はますます、コンクリートの中の暮らしになる。自然環境の良い場所でゆっくりしたくなると言うことだ。地方は環境を美しく保ち、観光業に向かうべきと言う考え。

 石垣島も大きな流れでは観光業を中心とする産業の社会を眼ざす以外にないのだろう。そのためには美しい環境を守ることが、ここに暮らす人すべての生活を守ることになる。中国では政府が推進しているキャンペーンだ。日本の地方は、未だにプチ東京の都市化を目指していて、地方の活路の方角が定まらないで居る。

 石垣島で自衛隊基地を誘致するようなことは、まさに島の未来を潰すことだと言うことを気付かない人が居る。それは都会の犠牲に石垣島をすると言うことなのだ。石垣島の美しい自然を破壊して、ゴルフ場を作ろうという人が居る。今更衰退するゴルフ場を考えるなど、時代錯誤だ。

 石垣島の未来の方角は石垣島の環境を美しく保てるかどうかにかかっている。JTB沖縄は石垣島のポンツーン(浮島)設置計画している。とんでもない話だ。何も無いから美しい海なのだ。人工島など石垣島に全く似合わない。そんな人はデズニーシーに行けば良いのだ。

 環境か開発かの選択は、明らかに環境を選択しなければ、石垣島の豊かな暮らしは来ない。何故、そうした中今更ながら開発を選択してしまうかと言えば、既得権益である。利権を形成した公共事業土建業は、次なる公共事業を糧として求める。

 すべてが問題というわけでは無いが、環境を破壊してしまう事業では、石垣島の観光資源を台無しにしてしまう。赤土が流出すれば、珊瑚礁は失われてしまう。大きな方角を美しい自然環境を第一にするという、共通価値観を持つことが石垣島の豊かな未来に繋がる。

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絵を描くことは置き換えるということ

2021-07-13 04:18:09 | 水彩画


  芸術としての絵画が衰退の時代にあると言うことは、大方の人が感じていると思う。それは絵画が社会に影響を与えることができなくなったと言うことでわかる。現代絵画と言われるものであっても、社会から遊離して、極めて個人的な表現になっている。だいたいの絵画は商業絵画系と言って良いのだろう。

 公的社会は一応芸術に理解のありそうな所を示さなければならないとでも言うように、公立の現代美術館というものは限りなくあるが、そういう所で表現された作品が社会に影響があるとはみえない。すぐれた社会は芸術に理解があると見栄を張っていると言うことぐらいだ。

 音楽ではクラシック音楽という過去の音楽を演奏する分野がある。そして、現代音楽というものもあるが、それもクラシックのジャンルに入れられている。そして社会で一番音楽としていけ入れられているポピュラーと言うジャンルもある。

 音楽のことはよく分からないが、八重山の民謡も音楽である。やはり唄うことの方が聞いているより、ずっとおもしろい。下手も良いところだろうが、唄うことの喜びは聞いているのとは違う。絵も描くことの充実感と、喜びは深いと言うことだろう。

 芸術が無くなったわけではない。様々な表現が社会や人間に影響は与え続けている。映像やインターネットによる社会への影響というものは計り知れないものだ。その中に芸術が存在しているのかもしれない。どんな表現がその時代の人間に影響を与えたのかは、100年経って振り返れば分かることだろう。

 そういう時代の中で絵を描いている。芸術としての絵画が衰退して行く時代に絵を描いている。それは何を意味するかと言えば、同時代に自分を刺激する絵画が極めて少ないと言うことだろう。自分のみで絵を探さなければ、ならないと言うことである。同時代の絵画の方法がすべて無意味だという所からしか始まらないような気がしている。

 先生がいてその人に芸術を教われば何者かが見つかるというようなことは間違っても無いと言うことだ。自分自身が探る以外に、何の道しるべもない分野になったと言うことのようだ。こんな時代でも絵らしきものを描いて、文化勲章を貰う人も居るわけだが、そういう絵画はむしろ芸術では無いという証拠のような気さえする。

 それくらい、時代と絵画芸術の関係は変化をしてしまった。中川一政氏は芸術としての絵画を描いていた。たぶん最後の人のような気がする。明治以降の日本の西欧絵画の到達点である。社会も私個人もそこにある芸術観や美学に影響を受け、道しるべとして進んで居たのだと思う。

 ところがその到達点は人間哲学主義と言うか禅的絵画のように見える。禅に次なるものがないように、展開というものがない。社会的に見ると継続できなかった。今あるものは過去の大画家のものまねであるが、もし絵画が描くという個人のものになったとすれば、展開とか、次への創造性というような視点がおかしいのかもしれない。

 その理由は絵画が表現芸術では無く、芸術的な行為に変わったからだと思う。重要なことはその人がどう生きるかである。人間がどのように生きるかと言うことに進歩など無い。個人主義の時代が実際化したのだろう。社会に影響を与えるというような芸術では無く、個人が生きる充実として絵画を描くと言うことになる。

 社会としては全くの無駄である。無意味な世界である。社会がもしそのものから得るものがあるとしたら、千日回峰行の大阿闍梨の、神聖な努力に対しての渇仰くらいのことである。しかし回峰行ならば分りやすい努力だが、絵を描くことは社会一般には、修行どころか良いご趣味という理解である。

 このだめ扱いを当然として受けれねばならない。無駄な日々のなかに、自分の生きるを煮詰めている。生涯をらんちゅうの作出にかけた江戸の趣味人とまるで同じである。生きると言うことはその人が決めて、煮つめれば良いだけことである。

 遠回しで、いつものぐるぐる巡りで、なかなか本筋には入れないのだが、思い切って角度を変えて具体的なことで考えてみる。

 絵を描くことは置き換えるということだ。描いている実際は、見ている何かを画面で再現しようとしている。それは平面だし、大きさも違うから、描く時には線と色で置き換えて、表現しようとするなにものかに近づけようとする。もちろん結果は大きく違う。

 結果的には大いに違うのであるが、見ているところのわずかな何かを画面の上で、置き換えてようとしている事は確かだ。その置き換え方が絵を描くと言うことなのかもしれない。そのものが発している何かを、眼はとらえる。何をとらえたかで絵になるものはまるで違ってくる。

 具体的な意味の説明もあれば、その場の印象を色に置き換えて居ると言うこともある。置き換え方は人それぞれであるし、例えばハイパーレアリズム絵画であったとしてもやはり平面に置き換えているとも言える。置き換え方がその人の絵画法と言うことになる事は確かだ。

 何をどう置き換えたのか。こう考えると、上手に置き換えようが、下手に置き換えようが、同じことである。問題は置き換え方に意味があるかどうかなのだろう。置き換えるためにはその人の見方、見え方というものが明確出なければならない。

 重要なことは置き換え方では無く、見方、見え方のほうになる。どのように見えているかが、はっきりしないのが普通である。はっきりしないがなんとなく、この方角なのかという当て推量で、描きながら試行錯誤をして、描くことで何かわずかなヒントを得ている。

 なんとなく見えているものは、置き換え方も当然漠然とした置き換え方になる。例えば木であれば、緑に置き換えておしまいと言うことになる。私はこの木をこのように見たという事まで示すには、置き換え方がそれは難しいものになる。

 ここに絵を描くと言うことが存在するのだろう。絵の難しさもここにあるのだろう。見えているのに置き換えることが出来ない。大抵のことはそうだ。仕方がなく、あれこれ迫ろうとしている内に、なんとなく置き換えられたかもしれないと言う錯覚のようなこともある。

 そうした描く行為は、無意識で行っている。ある意味意識的に行うことが出来ない。描く行為は描く筆に自分がなりきるような状態だから、頭で考えることは出来ない。自分の名前を書いたとしてもその字を間違えてしまう。

 脳の中の記憶のサイクルと別なところで描いている。自分の名前を書くとしても、まず下書きをして、その上で笹と書かなければ、笹の字がどんな形だったかが分からない。大げさでいうのでなく、この感じが絵を描く全体を覆っている。

 木を描くとしても木という字が書けないのと同じで、木の形を違う脳で見て、絵にしている。この違う脳がどのくらい自分という本質に近づいているのかは分からない。ただ、禅の境地に近いと言うことは予感している。

 動禅をしていると、完全に手順を忘れている。忘れているけれど、忘れたまま何かに応じて進んで行く。違った手順に入り込むこともあるが、それはそれでかまわない。この記憶のサイクルとは別の所の空白領域のようなものに入り込んで絵を描いているような気がする。

 私絵画と名付けた芸術としての絵画。前段と後段とでつじつまは合わないが、つじつまを合わせてもしょうが無いし、こんな事を今は考えていると言うことだ。

 
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菅総理大臣を許せない理由

2021-07-12 04:22:49 | Peace Cafe


 4回目の非常事態宣言の菅総理大臣記者会見では多くの人が、不愉快だったのではないかと思う。はぐらかしだけだったからだ。確かに政治家の聞かれた事を正面からは答えないという態度は、国会の答弁の常套手段ではある。しかし、この場面は意味が違うだろう。

 総理大臣が効果の上がらない4回目の緊急事態をどのように効果のあるものに出来るかの正念場ではないか。一世一代の真剣さで、国民と向かい合う命がけの場だ。ところが何という気力のなさか。どうはぐらかせば良いかという、無責任感満杯の記者会見であった。

 内心ヤケになっているように見えた。押しつけたアベ氏の顔が浮び腹が立つのかもしれない。仏頂面で、悪いのは私では無いと言う気分をにじませた態度では、コロナで生活が緊急事態になってしまった人にしてみれば、耐えがたい、より追い込まれる感じである。

 まず、3回目の非常事態宣言を早く止めた間違いは間違いとして認める。尾身会長や専門委員会の意見を無視したこともわびなければ始まらないだろう。もう少し緊急事態を長くしていれば、今頃は緊急事態を脱した可能性がある。そしてオリンピックを迎えられたかもしれない。

 菅政権は判断力を失っている。オリンピックを観客を入れてやりたいというのは誰しも思うところだろう。しかし、それをすれば感染が広がるというのも、だれしも思うところだ。そして、飲み屋が酒を出すな、オリンピックは一万人では、どう考えても整合性が無いのだ。

 国民の多くは自粛生活で人間が壊れ掛かっている。もう1年半が経った。我慢の限界を超えたのだ。しかも、若い人にはそもそも病気に対する不安がほとんど無い。感染するのも、ワクチンやるのも結果的に考えれば大差ないというような気持ちだろう。

 ワクチンの副作用と、感染して無症状なら、どちらにしても変わらない。それなら出歩いて感染したら感染したときのことさ。こんな判断をしている若い人も多いのかもしれない。問題はワクチン免疫なら他人に感染させないが、ウイルス感染なら他人に感染させるという違いだ。

 20歳の人が副作用のリスクと、感染して悪化するリスクと、どの低度さがあるのだろう。明らかにワクチン副作用の方がリスクは小さい。しかし、ワクチンは良かれと思い、やった能動的な結果である。感染は止むえず向こうからくる受動的なものである。若い人の中に自分のことだけになっている人がいるのも、無理は無いことかもしれない。

 医療の逼迫度合いは改善されていると口にした。そんなこと言われたら医療関係者は耐えがたく感じるのではないか。死亡者や重症者の数を見れば、相変わらず大変なことだと思える。数字的に改善されたのは病院の受け入れ体制が、いくらか増え年寄のワクチンが進んだからだ。それだってほかにしわ寄せがいっているに違いない。

 なんとしても3回目の非常事態宣言を止めたのが早すぎたのだ。菅氏にはこの点の反省が無い。オリンピックを観客を入れて無理矢理開催したかったので、間違った判断で非常事態宣言を止めてしまった。その結果尾身会長が予測したとおり、そのまま感染者数の増加に転じ、ついにオリンピック直前で4回目の非常事態宣言になったのだ。

 こうなることは日本国民の大半の人が、普通に予測したことだっただけに、政府のオリンピック予断が情けない。もちろん同じことをこのブログにも書いた。菅氏は自分の政権の延命のために、都議選に勝ちたい思いもあったのだろう。大きな判断の間違いをしたのだ。こうして、菅氏は間違えばかり続けている。

 菅氏は能力のない人とは思えない。要するに人望が無い人なのだ。菅氏のためを思い、本気で進言をする人がひとりもいない人になった。それは人事で人を操り続けた人のなれの果ての姿ではないのか。自分の立場を省みず、本気で日本のことを考えるような人は、周囲にはひとりもいなくなった。

 総理大臣という役割は自分の能力が高いと言うだけで無く、どれだけ能力の高い人を周囲に集められるかだろう。もう泥船である菅政権のために本気で貢献しようなどと言う人は、居ないはずだ。コロナで一儲けしたいというような人だけが近づいているのだろう。

 ひどい時代である。コロナで大変なことは世界中同じなのだが、日本では政府の愚かな対応に苦しめられている。政府のひどさは誠実さが無いところだ。政府が適格な対応をしているのであれば、自粛も我慢も続くが、政府がやることとがデタラメであれば、やっちゃ居られない。

 石垣市長の中山氏はパンディミックの最中に、接待を伴う飲食店で夜中まで宴会をしていた。 こんな市長がいくら夜中まで酒を飲まないようになどと言っても、まともに聞く人は居ないだろう。 まずおまえがやれ、ということになる。 上に立つ者はそれだけの覚悟が居るのだ。

  政府のオリンピック対応は全くデタラメである。 アベ前総理大臣はオリンピックに反対する人は反日的であると発言している。 私から見れば、この状況でオリンピックを開催する人こそ、日本潰しでは無いかと思える。 人それぞれであるが、反日のレッテル張りをするのが、ネトウヨでは無く、前総理大臣と言う国に日本は成ってしまったのだ。 ここまできても自民党を支持するのか。 まるで、アメリカのトランプ支持者のようだ。

  こんな国に暮らしていると、嫌なことばかり続く。 しかし、政府がだめでも国民はみんなで協力して行く必要がある。 医療関係者の方々の頑張りを見ると、へこたれては居られないと思う。 感謝の気持ちが湧いてくると、元気をもらえる。

  子供達のマスク姿を見ると、実に辛い。 子供にとって最悪の状況である。 互いの顔がよく見れない状況が長く続けば、人間という者の認識がおかしくなるかと思う。 互いの表情を判断する能力は、子供時代に身につけるものだ。 コロナで失われる様々なものがあるのだろう。

  どうすれば、こんな時代に人間らしく生きられるのかである。 人間が随分優しくなってきている。 優しいことは良いのだが、耐える力が弱くなっているようにも見える。 ただ、医療関係者の頑張りに励まされるように、ひとりの頑張りは、ひとりで終わることは無いと思っている。

  辛いときにこそ人のために頑張ることだ。 自分が行き詰まるとどうしても他人のことなど眼に入らない。 自分の世界の暗闇に追い込まれる。 私のような脳天気でも、若い頃には辛い日々があった。 福島原発事故も作物が放射能汚染され辛かった。 それでも何とか乗り切るしか無い。
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第64回 水彩画 日曜展示

2021-07-11 04:10:42 | 水彩画
第64回 水彩画 日曜展示


 



347「シーラ原から名蔵湾」
ファブリアーノクラシコ 中判全紙
2021.7







348「斜面の畑」
ファブリアーノクラシコ 中判全紙
2021.7








349「上から見たシーラ原田んぼ」
ファブリアーノクラシコ 中判全紙
2021.7








350「シーラ原田んぼ」
インドの水彩紙 中判全紙
2021.7







351「シーラ原田んぼ2」
ファブリアーノクラシコ 中判全紙
2021.7






352「シーラ原田んぼ3」
ファブリアーノクラシコ 中判全紙
2021.7







353「牧場から名蔵湾」
ファブリアーノクラシコ 中判全紙
2021.7


 今回はシーラ原の展示にした。田んぼを始めた。シーラ原に毎日行くからそこで描いている。シーラ原がおもしろいので田んぼを始めたと言うこともある。田んぼを初めて、やっと自分の風景が見えてきたような気が今はする。いくら描いてもおもしろい。

 絵になる場所とは思わない。石垣島にはいかにも絵になりそうな場所は他に沢山ある。どうも絵にならないでも良いわけで、自分が興味を持つ場所をその意味が分かるまで描きたいと言う方角に進んでいる。どういうことなのだろう。

 この場所で田んぼをやると言うことになったら急に描きたい気持ちが増してきたと言うことがある。繰返し描いてみている。一枚一枚新しくおもしろい。絵を描きながらどんどんその場所に入り込んで行く。もう少し描きたいと思っている。
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中国覇権主義と日本の関係

2021-07-10 04:05:59 | 身辺雑記


 日本人と中国人の一番の違いは、中国人には西洋崇拝が無いというところだろう。日本人も誇り高い民族ではあるが、外から来るものを吟味せずに、へんに崇拝してしまうところがある。それが明治維新が間違った方向に進み、戦争に敗れる大失敗をした原因だろう。

 一方お隣の中国は商売商売と、儲かるか儲からないかが生活の隅々まで行き渡る。中華思想は商人的思想なのではないかと思える。どこか国家そのものが営業戦略を感じる。習近平共産党一〇〇年大会が、まるで北朝鮮かと見誤るほど似ていたことに、驚くばかりであった。何故こんなに中国人が矮小化してしまったのだろうか。

 私の知っている中国人ひとりひとりは、独裁政権に従うような人には思えないのだ。自立心が強く、自我が強い。権力に反発する気持ちも強い。階層差も大きいのだが、優秀な人の中には権力に従うことに良しとしない志の高い人も沢山いる。

 日本人と比べて、個人の自立が強い。政府を利用しても、利用されるようなことは無いと思っていた。何故、まるで北朝鮮の抑圧された国民のように成ってしまったのか不思議で成らない。天安門事件以来中国人は変わってしまったのだろうか。変わった振りをしていると考えている。

 紅衛兵を率いて毛沢東が復権した時代も一辺倒の空気にあった、内在していた反権力的な方向は、建前としても習近平政権には見当たらない。従っていれば、豊かになれる。コロナも中国だけが克服したと、自信を誇っている。

 たしかに、世界でマスクを付けないで大集会が開催できる国は中国だけだろう。中国武漢でコロナが始まったことも、誰もが知っている。中国の中にある混沌のようなものは、実に奥が深い。どれほど中国が統制を誇るにしても、次のウイルスも中国から始まると思っている。

 中国がコロナを克服できたのは、過去に弱毒のコロナがなんども流行しているからだろう。様々な形で流行したことがあるに違いない。日本をはじめ東アジアの国もコロナの流行が過去にあったと思われる。中国はさらに濃厚に広く感染した。コロナに簡単には感染しない免疫が確保されていると想像される。

 鳥インフルエンザの流行中の中国の養鶏業の実態を見せて貰った。その経験を通して、必ず中国から次のウイルスが起こると考えるようになった。大規模畜産の危機を訴えた。今でも、新しいウイルスの出現と大規模畜産は関係していると考えている。今回のコロナも、ミンク養殖を調べるべきだと思っている。

 明確な根拠も無いし、何か証拠のようなものを持っているわけでは無い。推測のみである。しかし、ミンクがコロナに感染することは分かっている。デンマークではすべてのミンク養殖場が淘汰された。ミンクは毛皮を利用するための養殖である。

 中国でミンクが劣悪な環境で、大量飼育されているに違いない。北海道のミンク養殖場から推測していることだが。この中にコロナウイルスが入ると、たちまちに何万回もの感染の連鎖が起こる。最近やっと一般に認められたように、感染の連鎖からウイルスの変異が起こる。つまり、大規模養殖場では変異ウイルスが出現する。

 この変異ウイルスが、人間に感染するウイルスへの変異になる可能性がある。鳥インフルエンザで起きたこともこれに近い事と思われる。豚の中でも同様なことが起きて、新しいインフルエンザウイルスが登場する。しかし、何故かウイルス学では未知の野生動物ばかりが注目されている。何か私の推測に問題なところがあるのだろうか。大規模畜産業者はこの問題に真剣に取り組むべきだ。報道には是非調査報道をして貰いたい案件である。

 中国の現状はまるで大規模養鶏場のケージの中に入れられたニワトリのように見える。人間の幸せとはほど遠いものである。今は豊かになる実感があるから、つまりいつでもエサは与えられるから、幸せを感じているのだろうが、檻に入れられた幸せはいつまで続くものではない。そのことを中国人は薄々感じている。

 コロナが中国から始まったことは、何か共産党一〇〇年大会が、象徴している。今中国が向かうところは何か大きな間違えがあるのではないだろうか。それはお隣の国の話である。今は日本自身の間違えを考えなければならないのだろう。

 日本人の外から来るものを憧れて見れることはすばらしい資質ということなのだが、どこかそれを恥として、無理矢理日本教になってしまうところがまずい。脱亜入欧と必死になりながら、明治日本帝国主義の建設と言うことになってしまった。この冷静さのない、不均衡がまずい。アベ鵺政権の茶番は過去の失敗を繰り返したに過ぎない。

 人から影響を受けることは良いことである。それを恥とするところがまずかったのだ。どの民族でもよそからの影響を排除し始める姿こそ、衰退の始まりである。今こそ日本は何故日本が後進国化してしまったのかを見つめなければならない。

 遅れ始めて成功体験にすがりつくようになったからだと思う。今更明治帝国主義憲法を持ち出す自民党の愚かさは目に余る。明治の政治家の幼稚さが今の自民党に見える。日本は変わらなければならない。方角は豊かな国土に根ざした、堅実な自給国家である。

 中国も眠れる時代を長く経験して、やっと最近目覚めたのだろう。私が最初に中国に行ったときと現在を比べるとこの30年の中国人の変化は目を見張るものがある。同じ人達とは思えないほどである。日本人が経験した明治維新以降の100年間を,一気に駆け抜けたような感じだ。

 このことは本来であれば近隣国としては大いに有り難いことであるはずだ。中国人がまさか今のように了見が狭くなるとは思いもしなかった。経済というものに気を取られ過ぎると、大切な国の倫理を失うもののようだ。もう少しゆっくりとした時間が必要なのかもしれない。

 日本ほど恵まれた国土の国は少ないと思う。島国である。多様な気候であり、災害多発地帯ではあるが、温暖で適度の雨量がある国。伝統文化が豊かに充実して育まれた国。稲作技術一つでも江戸時代に作り上げられたものは、究極の循環農業と言えるものだ。

 これだけの豊かな国土と豊かな海に囲まれた国は他にはない。人口が少し多くなりすぎたようだが、遠からず8000万人以下になるだろう。そのくらいになれば、充分自立できる環境にある。他と比べることなく、品格のある文化国家になりたいものだ。

 そのためには先ずは食糧自給できる国作りである。感染症対策では日本の安全保障が全く機能していなかったことが分かった。次に来る食糧不足時代への供えも、全く失われているのが現在の農業政策である。あの国際競争力のある農業の本質がいかに国の食料安全保障の理念から、外れているかを考える必要がある。

 企業の経済を優先する余り、感染症でも食料でも全く軽視している。そして安全保障と言えば、軍事力だと旧態依然として考えている。世界情勢の現状はむしろ経済戦争である。軍事力はあくまで使えない威力である。脅しとしての効果である。

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水牛の世話をして

2021-07-09 04:35:00 | 自然養鶏

 水牛の世話をすることに成った。思いもしないことが成り行きでやってきた。動物好きとしては天恵である。と言っても一ヶ月少しの間のことだ。それは緊張する体験である。長くニワトリを飼ってきたので、生き物を飼育すると言うことにはそれなりの経験がある。

 この機会に水牛と真剣に関わるつもりはある。水牛がどういう動物か理解できるところまで観察したい。貴重な機会を充分に生かそうと思う。生き物を飼うと言うことは自分が学ぶと言うことである。思い出すと、顔を見るまでは心配で仕方がない。こんな大きな動物を飼った経験は無い。放し飼いできるのであれば良いのだが、つないでおかなければならない条件である。

 いつか放牧出来る環境を作りたいものだ。昔の石垣島では田んぼの隅にある、湿地のようなところが残されていて、水牛を飼っておく場所になっていたらしい。水があり、木陰があり、草がある。そんな水牛が水牛らしく暮らせる場所があればと思う。

 つなぐ場所が難しい。まず日陰が無ければならない。ところが木下だとどうしても繋ぐ綱が絡んでしまい、動けなくなっている。といって、木陰にやっと届く場所に繋ぐのでは、大きな身体は日陰に入れない。林の中ではあちこちの木に綱が絡んでしまう。

  水やりの容器の置き場も難しい。どういう訳かときにひっくり返してしまう。綱が絡んでひっくり返ることもあるし、水の飲み方でひっくり返ることもあるようだ。丁度良い距離感の日陰の場所に置かなければだめだ。良い場所はあるのだが、そこは車が通るのでちょっと繋いではおけない。

 田んぼの代掻きに水牛を使うという話があったときは、水牛の世話をする部分に関しては、なんとなく他人事のように受け止めていた。トラックターを持ってないし、仕方がない。伝統農法を再現することは意味があるのだからと、覚悟を決めた。ところが、水牛を1ヶ月以上飼育すると言うことはまだ考えが足りなかった。

 水牛の方も困ったことになったと思っているだろう。なにしろ、1頭で人もまったく来ない場所に繋がれているのだ。心細く不安に違いないと思う。ほんらい水牛は群れで生活する生き物だ。しかも世話をしてくれる人間も、見ず知らずである。どうなることかと不安そうだ。

 そこでまずは不安を感じないようにして上げることだと思っている。できるだけ顔を出すことが第一である。朝8時に行って午前中は、一時間に一回は顔を見せる。そして水を持って行って変えてやる。絡んでいる木をすこしづつ切っている。

 エサはその当たりの草を食べている。牛の牧草が繁茂している場所があり、そこを使わせて貰っているので、生の牧草は充分にある。新しい牧草を食べられるようにすこしづつ場所を移動している。生の良い草があると言うことは、水牛には良いはずである。

 毎日糞をよく見ている。普通の牛の糞よりも乾燥気味で匂いもほとんど無い。糞の状態が良いようなら先ずは大丈夫だろうと思っている。川や、水田に入れると、糞をするようだ。下痢便になったらまずいだろうと想像している。今のところそういうことは無い。

 一日一回午後の暑い時間に1時間は水浴びをさせている。水牛なのだから、水浴びをしなければ、気分が悪いだろうと思っている。泥浴びをしたいだろうから、本島は田んぼに入れてやれば良いのだろうとおもう。ただ田んぼに入れると、田んぼで寝転がり深い穴を掘ってしまう。身体を深く沈めたいようだ。

 田んぼに入るか川に入れるかである。田んぼから出たら、水で洗ってやっていたが、泥が付いたままの方が良いようだ。川の水でも寝転がって身体を冷やしている。

 蚊やハエがきて嫌がるだろうと思うのだが、案外に虫は少ない場所である。水牛は身体に泥を塗って虫を防ぐらしい。その意味では泥は洗い落としてはいけないのかもしれない。それでも川で身体を洗ってやるときにはとてもおとなしくしていて、気分が良さそうである。



 そういうときに糞をしたり、おしっこをしたりする。エサもどういう訳か人が見ているときに草を食べ始める。餌を食べて何か表現しているらしいのだが、何が言いたいのかは分からない。歩かせていると、途中にある草も食べたがる。

 木の葉っぱもよく食べるが、食べたがる葉は限られてる。草もそうだが、自分で選ぶことが出来て、おかしな草を食べてしまう心配はない。人が近づくと日向の所まで出てきて、餌を食べている。不安が無くなり食べる気になるのかもしれない。

 6月28日に水牛がきたのだから、12日で二週間が経ったことになる。あと三週間田んぼに居て貰わないとならない。その間に水牛がどういう動物なのか、もっと知りたいと思う。田んぼに入れない日は川に一時間は居させるようにしている。川が好きで、自分から川の方に行きたがる。暑い間は水の中が快適かもしれない。水牛は暑いところの動物だけど、野生の水の中にいるのだろう。

 エサはだいたい朝晩の涼しい時間によく食べるようだ。炎天下は嫌うが餌を食べるときには、日向にも出てくる。誰も居ないときにはだいたい寝転んでいるようだ。最近は顔を出すと、車の音を聞きつけて、林の奥から人が来たぞという顔で見ている。

 水牛は飼いやすい動物のようだ。預かった水牛の名前は「わかば」と言う。竹富島の水牛車で働いていたようだ。しかし、ちょっといじめられっ子で大勢の中では上手くゆかなかったらしい。そこで、石垣島の方で種付けをして預かっているらしい。



 先日生まれた水牛の子供である。生後10日目のユズマメッコを抱いている栗林さん。いつも水牛の世話をしている方だ。水牛の様子を見に来てくれた。みんなが水牛がどうしているのか心配なのだ。水牛が居る場所を見て、これは良い場所に繋がれていると喜んでくれた。

 今のところ問題は無いようだ。栗林さんも田んぼに参加してくれたので、時々様子を見てくれるだろうから、大分安心が出来る。この子供の水牛を見ると、魅了されてしまうかわいさである。水牛園を作りたくなるぐらいだ。水牛と与那国馬とヤギの居る家畜園。石垣島らしくて良い。
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老人にも大切な役割がある。

2021-07-08 04:21:07 | 自然養鶏

 
 石垣島田んぼの苗代。播種4日目の今日苗は発芽がそろう予定。小田原でやっていた方法のままで、石垣島でやってみて、上手くゆきそうである。ここまでは上々の滑り出しである。後は四週間で5葉期の苗に成長するかどうか。8月1日が田植え予定である。

 70歳を過ぎたら、いくらかでも次の世代の役に立たなければならない。とかく若者は忙しい。年寄には時間だけはある。この時間のいくらかを次の世代の役に立てる事ができれば、有り難いことではないかと思う。役に立てば、友達にも成れるのではないか。それで十分な人生ということだ。

 老人の孤独は何でも無い。などと粋がっている老人がいる。哀れなものである。歳をとったらひとりでも多くの友人を見つけることが望ましいに違いない。どんなことでも良いから人のために生きる努力をしようと言いたい。残り少なくなった人生こそ自分のためだけで無く、周りの人のために生きた方が気持ちが良いだろう。そうすれば知り合いも、友人も出来るかもしれない。

 小田原の久野には、毎日道路際に落ちているごみを拾う人がいた。それを日課として続けていた。現役の頃、環境センターで働いていた人だと伺った。偉人だと思う。お会いしたら心の中で手を合わせていた。後光が差しているように見えたのだ。オーラが見えたのだ。

 小田原市がその方を表彰したいと申し出たら、もしそういうことをするなら、自分はもうごみは拾わないと言われたという。スーパーボランティアである。こころ豊かな老人の暮らしであったと思う。情けは人のためならず。

 老人はどうしたって社会の負担である。医療も福祉も団塊の世代が死に絶えるまでは、当分は困難を極める。労働人口が年々減少して行く。少しでも健康であって、迷惑をかけないことが団塊老人の役目だ。コロナでは無いが、出来れば医療のお世話にならないで死ぬことが目標である。

 コロナでは医療崩壊の主役は、まさに老人であった。若い人にしてみれば、あまり役にも立たない老人なのに迷惑な事だと、思ったかもしれない。それでも若者は自粛しろと言われている。コロナ生活苦にあれば老人を憎んでも仕方がない。本来老人をワクチンを打つまで外出禁止にすれば良かったのだ。

 それでは老人はどこで役立てば良いのか。やはり知識であろう。一緒に肉体的に働けば、どうしても足手まといになりがちである。惚けが来ない限り、知識では若い人に勝っているかもしれない。生涯追求した専門分野があればのことである。

 専門分野の第一人者になるよう生きることだ。このことならあの人に聞いたならば良いと言うような老人になれば良い。知識のある人になれば、若い人に役立てる。江戸時代の村の長老はそういう人であったはずだ。暮らすためには老人の知恵が役に立つ時代がまともな時代である。

 そして聞き上手になることだ。若者の能力を伸ばすような気持ちで接する事が重要だと思っている。自分の知識を押しつけるので無く、自分が知識を積み重ねた経験を、若者自身が成長するヒントになれば良いと言うことだと思う。一緒に考えることができる老人になる。そう出来れば老害など言われない。

 友人のお父さんに商売の神様という人がいた。渋谷で大きな店舗を展開して成功させていた。共同してやっていた会社が息子さんの代になったときにあっさりと若く引退してしまい、次世代にすべてを譲り、房総の勝浦に隠遁してしまった。

 すると、新しく商売を始めようという人が、勝浦へ通うようになった。その人に相談し、商売を始めると成功するからである。隠遁しながらも勝浦でも、結局はあれこれ相談を受け、活躍をしていた。充実した隠居生活だったのでは無かろうか。

 南足柄市の畏友に数学の専門家の方がおられる。この方は若い人達に数学を教えている。大学レベルの数学であれば、教えることができると言われていた。実に立派な方で、地域で尊敬を集めている。若い時代に専門を極めることこそが大切なのだ。

 孤独でかまわないなどと嘯いている老人は、実は役に立つ専門性を持っていない場合が多い。引退した政治家。引退したタレント。老人の絵描き。考えてみないでも、若い人の役立つことはほとんど無い。口を出されればかえって迷惑なだけだろう。

 昔の村社会では、暮らしの知恵の宝庫のような老人がいた。例えば牛を飼うなら、あの人に聞けば色々助かる人。家を建てるなら、あの人に教われば良い。もちろん農作業で種を蒔く前には一言相談にのって貰う人がいた。昔は日々の暮らしが冒険に満ちていたのだ。

 30年前に山北の山中で開墾生活を始めた。そして自然養鶏を始めた。ところが、自然養鶏の技術は完全に途絶えていた。全国にこの方はと思われる人を探し尋ね歩いたのだが、ついに江戸時代の鶏飼育の事を伝え聞いて記憶されている方はいなかった。

 何をエサにしていたのかさえ、誰も知らなかった。技術というものは、新しい技術に押し切られ、途絶えてしまうものなのだ。明治以降の富国強兵の時代は大事な伝統農業の技術を捨ててしまう歴史だったのだ。しかも古くさい、役に立たない技術として、大規模養鶏に淘汰されたのだ。

 しかし、本当の意味で未来に繋がる技術は江戸時代の地域に根ざした農業の中にこそある。自然養鶏でも、自給稲作農業でも、これからの時代もういちど見直す必要が出てきている。その時には老人の出番では無いだろうか。

 ただ、指導的な自分の経験を押しつける老人ではだめだ。偉そうにしたがる農業者は多い。若い人のやっていることが、頼りなくて見ておれない。若い人は優しい人が増えているので、傷つけないように付き合ってはくれるが、人間として学んでいるわけでは無い。

 若い人と同じ地平にたって、一緒に学んで行く老人で無ければだめだ。知識を教えるのでは無く、考え方を伝えなければだめだ。若い人が自分で考え、発見する力を育てなければならない。探求する気持ちを刺激できれば、老人の役割は十分である。間違っても知識を押しつける老人ではだめだ。これは自戒である。

 おもしろい老人になりたい。何事にも面白がる老人になりたい。新しいことに興味を持ち、やったことの無いことに挑戦できる老人である。ついつい笑われる老人が最高である。怖い老人はだめだ。偉そうな老人もだめだ。

 テレビではお笑いタレントが活躍している。せめてテレビを見るときぐらい笑いたいからでは無いだろうか。これからさらに辛い時代を生きて行かなければならない。若い人のこれからの時代は楽観できない厳しさが予測される。せめて笑えることが必要だろう。

 
 
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石垣島では住民投票条例が廃止された。

2021-07-07 04:28:35 | Peace Cafe


 石垣市市議会では住民基本条例の中から、住民投票条項を削除した。市議会が住民を代表しているのだから、市議会は住民の意思を十分に反映している。改めて住民投票などする必要は無いと言うことらしい。今回の住民投票の廃止が、一体住民の正しい意見の反映とは言えない。

 石垣市の市長や市議会は民主主義を完全に無視している。民主主義を理解できない市議会のようだ。市会議員や市長は確かに選挙に選ばれているが、すべてのことを委任しているわけでは無い。住民の意思を改めて確認する必要のある問題が出てくるのは当然のことだ。

 少数意見の尊重が民主主義の重要な考え方だ。だから住民投票条例が制定されたのだ。石垣市議会ではわずかに保守派が数で上回っている。その議会勢力で市議会での議論も、市民の議案に対する多数の反対意見も何もかも一切無視して、数の論理だけで住民投票の条項を削除してしまった。

 そのそも、市民条例の審議会のメンバーが偏ったものであった。しかしその審議会の答申ですら、「条例には整合性に問題があるので、抜本的に検討する必要がある」という意見だった。条項を削除すべきなど書かれていない。

 最初から結論ありきの強引な進め方である。このかたくな独裁政権のような態度を先頭で取り続けているのが、中山市長である。何故こうまで強引であるのか。民主主義の重要性を理解せずに、自分がやりたいようにやれるのが一番よい政治と考えているのだ。まさに独裁の方が合理的だと考えている。

 選挙で有権者が自分を支持しているという、奢りである。確かに選ばれたときはそうであったかもしれない。その支持層は石垣島の既得権益を死守しようという支持層である。仕事を持ってきてくれれば良い市長という考えで選ばれているように見える。

 石垣島の未来を考え、現状の有利不利だけ流されない。それが市長の在り方のはずだ。今、環境を壊してしまうことは、一〇〇年先の石垣島にとっては大変なマイナスになる。石垣島の価値はこのすばらしい自然環境である。それがあるからこそ、観光客がきてくれるのだ。

 既得権を主張する、建設や観光の業者も変わり始めている。さすがに開発一辺倒の考え方は、もう限界なのでは無いだろうか。そうした既得権益を守ろうとする保守層も、徐々に衰退をし新陳代謝をしているのでは無いか。ここまで強引な市政の舵取りでは、住民から見放されるのは近いとみて良いのではないだろうか。

 今度の市長選挙は楽しみである。まず中山市長が再選されることは考えられない。誰に聞いてもこの人を良いという人は私の回りにはいない。保守党支持者と思われる人でもさすがにもう変わって貰った方が良いだろうという人がいた。こうまで強引と言うことは、次を考えていないのでは無いかと言うことだった。

 東京都会議委員選挙の結果を見れば、流れがどこに向かっているのかは明らかなことだ。話を全く聞かない、その上説明は十分には出来ない菅総理の自民党にさすがに選挙民はあきれ果てたのだ。充分、話を聞き、自分の考え方や政策を説明する。それが民主主義における政治の姿では無いのか。

 受け皿になれる野党が育っていないというのは、全くのフェークニュースである。これで有権者を騙してきたが、さすがに野党に人材がいなとしても、自民党と公明党よりはましだ。やっと有権者は気づき始めたのだ。

 住民の暮らしに重要な課題においては、一つの案件で住民投票を行うことは、民主主義における正しい方法である。石垣島でも市庁舎の移転など住民投票が行われた。自衛隊問題で住民投票を行えば、自衛隊反対が多数派になると考えるために、住民投票条例を廃止したのだ。

 市長が望む方向が期待できるときだけ住民投票を行い、市長の考えが否定されそうなときには住民投票を行わない。これではまともな住民投票では無いではないか。そしてついには、住民投票条項自体の削除である。市長と、10名の蒙昧な市会議員のために住民の権利が削除されたのだ。このことを忘れることは無い。

 これが正しい政治だとする住民はさすがに少ないだろう。この10名のし会議員を次の選挙では落選させなければならない。地縁、血縁の深い繋がりで選ばれているのかもしれないが、今回だけはまあまあというわけにはいかない。この暴挙を許せば、さらに悪政が行われるに違いない。

 間違ったことをすれば、住民は見ていると言うことを次の選挙で表現しなければならない。先ずは市長選であろう。この民主主義否定の張本人が中山市長である。住民投票を廃止して、石垣市の恥を全世界にさらした責任者だ。審議会の答申の意味も理解することができない人だ。

 自衛隊誘致に始まり、住民の意思はないがしろのままである。やることが全く利権主義である。仕事を持ってくるからそれでいいだろう。それだけである。しかし持ってこようという仕事が、富裕層のリゾートと言うのではあきれ果てる。石垣島の未来を考えてのことでは無い。今、島を牛耳っている既得権益者を守れば、選挙に勝てるという構図である。

 観光は平和であってこそ、盛んになるのだ。コロナで今は苦境に陥っている。戦争の不安を煽る自衛隊ミサイル基地など、観光には大きな障害になる。近隣諸国と仲良くなることこそ、観光にプラスになる。与那国島では転出者が徐々に増加している。どう見れば良いのか。

 石垣市では自衛隊に続いてゴルフ場を作ろうと画策している。ゴルフ場を作る場所が良くない。ゴルフ場の水は名蔵アンパルのすぐ上に作られようとしている。ゴルフ場の排水は名蔵湾に流れ込む。ただでさえ劣化が進んでいる名蔵アンパルが、危険水域になる可能性が出てくる。

 ゴルフ場にはクラブハウスがあるらしい。そこにはホテルも併設される。ゴルフ場やホテルでで使用する水は地下水を汲み上げるらしい。地下水が減少することも自然環境には大きな影響になる。石垣市は島の限られた地下水を把握もしないまま、汲み上げることを許可している。

 そしてゴルフ場で使う除草剤の量は畑どころではないと言われている。汚染された水が名蔵湾に流れ込んで良いのだろうか。そもそも、今更ゴルフでは無い。宮古島ではゴルフ場が不振で、自衛隊基地に土地が販売された。それが実は市長への賄賂で実現したことだったのだ。

 こういうことも市民には知らせられていない。ただ観光の島にはホテルとゴルフ場が必要と言うだけの説明で終わっている。どうしても作りたいのであれば、先ずは十分な環境アセスの作成である。ゴルフと石垣島は似合わないと思うが、それでもどうしてもゴルフ場が必要というのであれば、島の北部であろう。そういう計画も頓挫したままだと言うことのようだ。

 すべて利権が絡んで、場所が選定される。自衛隊ミサイル基地もそうである。宮古島では元市長が場所の選定で賄賂を地権者から貰って逮捕された。石垣島ではばれないだけと言う気がする。ともかく利権のために、島の貴重な農地をゴルフ場に変えるような政治は止めさせなければならない。

 ゴルフ場の下は稲作地帯である。この地域の田んぼはゴルフ場の被害を受けることになる。田んぼは上部の水を使うことになる。ゴルフ場の排水で田んぼをやりたくは無い。石垣島で一番大切にしなければならないのは環境である。自然と融合した農業の確立こそ、石垣島の未来計画である。
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オリンピック反対こそ人類愛だ

2021-07-06 04:28:58 | Peace Cafe


「歴史認識などで一部から反日的ではないかと批判されている人たちが、今回の開催に強く反対している」---アベ氏と桜井良子氏の対談でのアベ発言。

  最初読んだときにはなんのことやらよく理解できないかった。アベ氏によるとオリンピック開催を批判する人は、愛国者では無いと言う、おかしな言いがかりの発言のようだ。ここで言う反日的と言う言葉はたぶん使い方を間違っているのかと思う。桜井氏と話しているから、つい反日という言葉を使いたくなり、間違ったのではないかと思う。

 本来反日的というのは、東アジアの国々が侵略戦争を行った日本軍国主義に対して批判的と言う意味で反日的というのだろう。簡単に言えば日本人に反感がある外国人の意味だ。どこか韓国当たりで、オリンピック開催を批判していると言うことを意味しているのかと思った。

 ところがそうでは無い。つぎには日本国内にいる反日の人が例えば、朝鮮総連の人がオリンピック開催を批判しているという文脈かと思った。ところがそうでもない。オリンピック開催を批判するなどと言うことは、日本人とは思えないと言うことらしい。だから、日本人でありながら、反日的と言うことになり、朝鮮総連の人と同類であると言う意味らしい。そういえば私はひどく勘違いしたようなコメントを受けている。

 アベ氏はそもそも桜井氏と同じ穴の狢で、同じ程度の理解力の人だ。自分の頭で考えると言うことが無く、誰かにすり込まれたことを、自分が考えていたことのように思い込み、ペラペラと上滑りにしゃべるだけである。こんな反知性的な人を総理大臣にしてしまったことが、日本人の最大の失敗であった。

 コロナ戦争の敗北の戦犯の筆頭はアベ氏である。オリンピックを台無しにした張本人がまさにアベ氏である。二年延期にすれば良かったのだ。まあ、習近平のようにコロナ戦争に勝利しなくて良かったのかもしれない。もし、コロナに勝利していれば、その勢いで何をしでかしたか分かったものではない。日本帝国主義軍隊が勝たないで良かったことと同じだ。軍人がえばり散らす社会などたまらない。

 オリンピックにしがみついたのは菅氏である。それ以外に自分の政権の生き残る道はないからである。オリンピックを開催しなければ、その責任で自民党総裁から下ろされる事が見えているのだろう。コロナがどれほど危険水域になってもオリンピックを開催して、潮目を変える以外に菅政権の継続は考えられない状況である。

 絶対開催という命題の元に、すべては作られた筋書きである。ところが、ワクチンの供給がままならない。ウイルスが変異して感染再拡大が世界中で問題になり始めた。それでも、もしかしたら、神風が吹いて、日本だけが強毒化したコロナが感染拡大しないかもしれない。もうこれにかけるしかないと思い詰めているのが、菅氏であろう。

 国民の命を自分の政権の延命の賭けの材料にしてしまったのだ。安心安全なオリンピック、コロナに勝利したオリンピック、のはずが地獄のオリンピックにしようとしている。どうかんがえても、50%以上の確立で、オリンピックの頃に第5波がきて東京は非常事態である。

 緊急事態下のオリンピック開催という、最っとも危険に満ちたオリンピックとして歴史に残るであろう。強の選手村の感染者は何人という発表が続くのだろう。そして変異したウイルスが日本にじわりと広がるのだろう。

 何故、菅氏がオリンピックを中止できなかったか。中止と言ったときに命運が尽きるより、オリンピックが終わるまでは少なくとも先延ばしが出来るという、悪あがきである。他人のことどころではなく、自分のことだけになってしまった人なのだ。そもそも人事で人を牛耳る、たちの悪い中間管理職タイプである。左遷されても良いのかという脅しの性格である。

 こういう人が会社にはいそうなので、勤め人には成れなかった。組織に加わると必ずおかしくなる。水彩連盟にいた菅氏タイプの人から、ネチネチと除名をされた。それで水彩人が立ち上げられたのだから、良かったと言える。

 人の顔色を窺うようなことは一番嫌だ。困ったことに日本の至る所に菅氏はいる。こういう政治家の時代になれば、官僚のレベルは下がることだろう。気概のある人であれば、続かない。自分の意見の無い官僚では総理大臣の尻拭いだけだろう。

 菅総理大臣にはオリンピックは早く無観客を宣言することだ。そして国民を安心させて貰いたい。選手や関係者の安全管理に集中する。そういう能力が日本では低下しているのだ。任せたら、やりきれないで、大きな間違いが起こる。

 それとも勇気を振り絞り、オリンピック中止を今からでも宣言するのか。誰もそれをとがめたりしない。もしかしたらそれが菅政権の奇跡の継続に繋がるのかもしれない。少なくとも私は評価する。

 アベ氏によると、まさに私のような発言をすると反日的人物と言うことになるらしい。がしかし、オリンピック中止の希望は、反日的ではもちろん無い。日本のことを思うが余り、是非とも見たいオリンピックを中止しろとの主張だ。むしろ日本主義者である。伝統農業を守る愛国者である。稲作を司る神主としての天皇を重要な存在と考えている人間である。

 日本人が日本人であり続ける為には、稲作を継続しなければならないと考えているものである。アベ氏も総理大臣になる前には、同じことを言わされたのを忘れたのか。イネ作りを国の本とする瑞穂の国日本と述べたのでは無かったのか。アベ氏こそ本物の反日的人物である。

 
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石垣島田んぼ種まきを終わる。

2021-07-05 04:38:08 | 「ちいさな田んぼのイネづくり」

 100グラムの浸種のおわった種籾、これを1㎡の苗代に蒔く。

 石垣島田んぼでは種まきが終わった。20名を超えた参加者だった。小さな子供も4,5人参加していた。海水選を行い、脇を流れる小川に種籾を漬けた。水温はかなり高いので、どのくらいで芽が出るのか、心配しながらのことだった。
 
 ところが一週間の浸種期間で鳩胸状態まで進まなかった。水温の高さが発芽時間に影響していない。たぶん、つい1ヶ月前に収穫した種籾なので、発芽するにはある程度時間が掛かるのかもしれない。発芽抑制後空が強いのかもしれない。動物などにはいたづらされなかった。

 種籾は前日の夕方に川から上げて、水を切り、20等分に分けて、新聞紙に包んで貰った。半乾きぐらいの種籾の状態が一番ばらけて蒔きやすいからだ。初めての人にも、気持ちを込めて種まきをして貰う。これはイネ作りのとても大切な作業になる。この先の田んぼの作業にどれくらい本気になれるかの、始まりである。

 種まきをしないで、イネ作りをするのでは一番肝心なことが抜けてしまう。ここでゆっくりと、この先のイネ作りに思いをはせておくことが重要になる。だから、20等分、1メートル×1メートルの正方形に100グラムの種籾を、ひとりひとりが蒔くことが大切だと考えている。



 そして、苗取りも自分が蒔いた1メートルを取るのが一番良いと考えている。今回の田んぼ勉強会は、来期のイネ作りはそれぞれが独立して自分の田んぼが出来るようになることを目標にしている。石垣島に自給の田んぼが増えて行く布石である。

 案外田んぼに参加していても、自分でやろうとすると、分からないことが多いものだ。だから本気でやるつもりで関わって貰いたいと思っている。今回、石垣島で新規就農して、一ヘクタールの田んぼを始めた人が参加していくれている。

 山本さんという若いご夫婦だ。石垣島の希望の一つだと思う。与那国島では新規参入のイネ作りの農家を募集しているが、なかなか就農する人がいないらしい。石垣島で田んぼをやる人の力になりたいものだ。販売と言うことだろう。



 苗床は種籾を蒔き終わったところで、鳥よけのネットを張る。石垣島は何しろ水鳥が多い。しかも名蔵シーラ原である。鳥に荒らされないようにネットをしっかりと張る。キジもいれば、孔雀もいる。イノシシも出てくる。

 種まきが終わったところで、水牛代掻きである。水牛のわかばも大分慣れてきて、何をするのかは分かってきたようだ。水牛は優秀なものだ。草原につないでおけば、ガソリンもいらない。おとなしくよく働く、その上慣れてくると何とも親しみを感じる。

 一緒に頑張って働いていると、同志のような気持ちが湧いてくる。仕事が終わると、お互いよく頑張ったなと充実感が満ちる。そうなると、だんだん水牛の方も本気になってくれるようだ。家畜とともに頑張る農業の意味が少し分かった。伝統農業の気持ちに少し近づいた。

 仕事が終わったら川で身体を洗って上げているのだが、これが良かったようだ。心が通じるようにならないとやはり頑張って働いてはくれない。一緒に息を切って頑張って働くということを、水牛が理解してくれれば大丈夫なようだ。貴重な体験をさせて貰った。



   こんな小さな子供にも水牛の綱を引いて貰った。とても楽しかったそうだ。嬉しそうな顔をしていた。一緒に引いてくれているのが、水牛を8頭も飼って、何とか水牛の保存を続けてきた、福仲さんだ。福仲さんも愛牛が頑張ってくれて嬉しそうだった。福仲さんの与那国の話は実におもしろい。

 代掻きはなかなかイネ株が沈みこまない。仕方がないので、みんなで残っている株は引き抜いて、田んぼにめり込ませた。そして、作ってあったぼかし肥料を田んぼ全体に20袋ほど撒いた。そして水牛代掻きである。苗が三週間で4葉期を越えれば、田植えになる。

 苗作りに四週間かかれば、田植えは予定より一週間延びて、8月1日になる。ジャンボタニシが多いので、出来れば大苗で植えたいのだが、この辺も進んでみないと分からないことが多い。発芽するのだろうかという不安まで、出てきた。本当にそんなに成長が早いものだろうか。

 あまりにみんなが真剣で、楽しそうだからである。責任重大。苗が育てば、ひとまず安心なのだが、ここは経験だけが頼りだ。無事育つようにあらゆる努力をしてみるつもりだ。まだ一日では発芽しない。当たり前か。今から心配しても仕方がない。


 水牛のわかばとは大分仲良くなった。水牛はなかなか頭が良い。人を見分ける。厳しい人には逆らわない。甘い人では働かない。歩く速度で分かる。怖いと歩きが早くなる。確かに速く歩いてくれなければ仕事には成らない。

 今回の写真は全部フェースブックのみんなの写真を勝手に頂いた。是非この石垣島田んぼの会の進行状況を皆さんにも知ってもらいたいと思ってのこと。6月に始まり、1ヶ月で、皆さんの伝統農業の復活への思いが一気に集中して、水牛の二〇年ぶりの耕耘が実現した。

 石垣島の農業力の高さはなかなかのものだ。私のような者が出しゃばることでも無かったのだ。ただ、「みんなで集まってやってみよう。」という言い出しっぺには向いているようだ。なんとしても田んぼの会を成功させて、石垣のイネ作りに貢献したいものだ。
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第63回 水彩画 日曜展示

2021-07-04 04:09:12 | 水彩画
第63回 水彩画 日曜展示





332「乗鞍岳」
1992.10とある。 2021に少し手を加えた。
ファブリアーノ中判全紙





333「妙高の秋」
1992.10 2021に少し手を加えた
インドの水彩紙







334「八ヶ岳の朝」
1992.10 2021に少し手を加えた。
ファブリアーノ中判全紙









347「開田高原御嶽山」
ファブリアーノ
 中判全紙
2021.6






348「箱根駒ヶ岳」
インドの水彩紙 中判全紙
2021.6








349「乗鞍岳」
インドの水彩紙 中判全紙
2021.6








350「妙高岳」
インドの水彩紙 中判全紙
2021,6


 今回は山の絵を集めてみた。どの絵も大分前に描き始めて、途中で諦めていたものだ。それが最近になり、なんとなく描けそうな気がして描き進めてみたものだ。捨てないで良かったと思う。何か勉強になるところがある。

 山を描くとどうしても筆触が重要になる。山と自分の見ている気持ちを通じ合うような筆触を探す。特に稜線は重要になる。山のすべてを表現する。書のような感覚になる。自分の字にならないと行けない。読めるような字で無ければと思う。

 空は自由である。何をしても、何もしなくても空である。山に答えるように空がある。空を描く時は解放されたような気分になる。どう描いても空になるからだ。山の空は高い。どこかへ続いて行く。この開放感が良い。


 
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動禅体操と長寿法

2021-07-03 04:03:20 | 暮らし


 一番でなければだめなんですか。2番ではいけないのですか。国会で蓮舫議員が叫んでいたことが忘れられない。もう2番どころか、周回遅れの分野すらあれこれ出てきている。そうした現状を受け入れて、良いところはどんな所か考えた方がいい。

 遅れ始めた日本だが、寿命はまだまだ長い方だし、さらに延びてもいる。寿命が長いという事はあれこれあるとしても、総合点ではなかなか良い暮らしぶりの国という事になる。これは日本人の農に基づく暮らしの方角が正しかった証である。その遺産で長生きなのだ。

 女性は90歳を越え、男性は85歳を越えると予測されている。私も平均的に考えてみてもあと13年は生きるという事になる。平均余命で言えば、90歳に近づいている。上手くいけば、100歳も夢ではない。そこまで絵を描いて居たいと決めている。

 日本人が比較的長生きな原因は、食事の内容と運動だろう。食べ過ぎず、身体を動かすことを良しとする文化ということになるのだろう。腹八分。流水は腐らず。日本人に染み付いた百姓の教えが長生きに繋がっていると言える。イネは足音で育つというくらい骨惜しみ無い働きの生き方。

 石垣島での暮らしではエネルギー消費量は2000カロリーぐらいである。小田原の暮らしでは2200カロリーぐらいだ。食事も2000カロリー以下にならないと帳尻が合わない。帳尻があった暮らしの結果が体重の増減が起きないという事だと思っている。

 測定マニアとしては体重の増減と、フィットビットの数値を見ては、変化の原因を考えている。最近は暑くて汗をかく。水分摂取が多くなる。その結果、カロリー消費は増えるようだ。汗をかいたり、水分の濾過、排出。こういうことにカロリーが使われるようだ。

 石垣島では絵ばかり描いていたので、どうしても意識した運動が必要だった。今度田んぼを始めれば、身体を動かすようになるから、悪くはないと考えている。一日一度は汗を流すようなことが必要である。サウナにも行けないから、田んぼ仕事は悪くない。

 田んぼ回りの草刈りももう一度しておこうかと思う。回りがきれいになれば、田んぼに居ることが楽しくなる。小田原の倍の速度で雑草が生えてくる。4日には種籾の播種だが、イネも早く成長すると言う話だ。三週間の苗床になるか。四週間の苗床になるか。興味深いものがある。

 長生きをするためには朝の動禅体操は欠かせない。すこしづつ変化をしている。できるだけゆっくり動くことにしている。スワイショウもゆっくり大きく動くようにしている。筋肉体操では無く、呼吸と重心移動の安定を心掛けている。

 新しくやってみているのは股関節と肩の関節の体操を取り入れた。右股関節が徐々にすり減ってきているらしい。これが一年でも長持ちするための運動である。まだ、こうすれば良いと説明できる所まで洗練されていない。関節を強化するためにどうすれば良いかを探している。

 痛くなりそうだから、動かさないと言うことでは無く、痛いけれど動かすことで痛くならないで動かせる方法を探っている。股関節、肩関節を動かして固まるような事が無いようにしている。禅的体操の動きを参考にしている。

 疲れた今日はおっくうだから体操を止めておこうと言うことは考えない。やる気の不足した日こそ頑張ってやる。身体が疲れ気味だったものがかえってしゃっきりする。疲れたから休むでは無く、疲れたからこそ体操をすると言うことだ。

 禅的体操は五つの基本動作で出来ている。このうち1,立禅は太極拳の中にもあり、以前からやっている。立禅では自分の理想とする呼吸を繰り返すようにしている。逆腹式と言われる呼吸、息を吐き出すときお腹を膨らませて行く。呼気ではお腹から吸い込むような気持ちだ。

 2,放下体操も取り入れてみたが、これは体操と言うより、仰臥禅と考えればいい。宇宙との一体感のようなものを、全身で受け止める感がある。仰向けに寝て、足の裏を併せて開く、手は浮かせて開く。宇宙のすべてを引き受けるような気持ち。何物からも逃げないで、受け入れるという気持ちになる。

 難しいがすこしづつ試みているのが、3,立ち魚運動。これは体幹体操を立ち魚に変えてみた。両手を頭の上で組む。片足を前に出し10センチ上げて立つ。そして身体の軸をゆらゆら魚のようにうねらす。これが難しい。出来ないなりにやってみている。出来ないと思った動きでも大抵は一年続けていると出来るようになる。

 そして4,5の体操から、股関節、肩関節に関わる体操を抜き出して、身体調整としてやっている。新しい体操を入れて上にゆっくりやるので、下手をすると一時間になる。一時間は越えないぐらいの方が良いようだ。

 股関節運動の中に、壁の前に寝て、脚は壁により掛けて、手は真上に挙げているものがある。手足を上げて、あれこれ動かす。これは案外に長くやっていると辛いものだ。心臓が、血液を足先、手先に戻すことで負荷が掛かる。これも3分ぐらいから徐々に延ばしている。

 全体では55分くらいで終わる。どの動きも目を閉じてやる。時々眼を開けて確認はするが、眼は閉じたままで動くようにしている。そのほうが気持ちの統一が出来るようだ。本来であれば、座禅のように半眼で動くと言うことが良い。半眼というのは眼を開けているのだが、見ていないという状態である。

 半眼が難しいので、目を閉じている。半眼を体得したら、目は閉じないでも良いのだろう。何も考えずにすべての動きを55分ゆっくりと進めて行く。繰り返していると、不思議と無念になっている。これを朝座禅修行のつもりで動禅として行っている。座禅は難しいが、動禅は動きに気持ちが集中できるので俗物でも無念無想になれる気がしている。

 いつまで出来るのかと思っている。動禅体操が出来ている間は動けると言うことだ。呼吸も十分出来ると言うことである。健全な呼吸は努力すれば可能だ。呼吸こそ長寿への道ではないかと思っている。動禅体操を終えると、安堵感に包まれる。安寧というのかもしれない。安心立命である。

 動禅体操が毎朝出来る間は田んぼも続けられると思う。自分の身体の検査である。一通り動きを終わると、だいたいの場合は身体が整えられる。動く準備が出来る。絵を描く気持ちも整う。コロナの御陰で、良いものが身についた。

 ただし、動禅体操が本当に長寿法なのかどうかは後二八年待って貰わなければならない。100歳まで生きたときにはそれが証明できたことになる。今のところ、良さそうだというにすぎない。
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友人の多い幸せな人間である。

2021-07-02 04:02:42 | 身辺雑記


 朋 (とも)有りて遠方より来たる、亦楽しからずや。 全くその通りである。友人と語り合う以上の人生は無いのだとつくづく思っている。71年生きてきて、友人と思える人が、何百人も居ると言うことはどこまでも幸せな人間かと思う。勝手に友人だと思っているばかりなのだが、たぶんお互い友人だと考えても大丈夫だろう。

 何百人も友人がいると思っている私でも。友人を作るのはなかなか難しいものだと考える。色々のことをやりたくなって、やっている内にいつの間にか友達が増えてきた。水彩人。あしがら農の会。そして今度始めた石垣島田んぼの会もそうなのだと思う。何か新しいことをやらなければ友人もできない。

 最近無くなられた立花隆氏は70歳になった時に、死が身近になり死が怖くなくなったと書かれているが、私はまだ死は怖い。70歳になったときにあと三〇年あると考えることにした。つまりまだ相当先だと考えることにした。

 死はまだ身近では無いから、30年間という時間を最大限生かそうと考えた。身体を健康長寿に保てる動禅体操計画に基づき身体は整えている。絵が30年後に最高になるように絵を描く計画を立てた。つまり今の絵は次に描く絵のための勉強であると考えることにした。

 友人の話を書いて、何故すぐ死ぬことを書いたかと言えば、年寄は友人がいなければだめになるからだ。孤独を愛せとか、独居の楽しさとか。とんでもない話だ。猫が一匹身近に居るだけで人間は違ってくる。人と交わりがあるから人間だ。できるだけ、ひとりにならないことを考えるべきだ。

 石垣島で田んぼの会を始めた。新しい友人に成れそうな人にどんどんお会いできている。この歳で新しい友人が何十人も増えるなど、なかなか無いことではないだろうか。何か始めなければ友達は増えない。老害といわれないように、迷惑にならないように、良い友人として付き合って行きたい。

 そして、やってきた田んぼの知識を若い人に伝えたいと思う。田んぼはひとりひとりのやり方があるが、有機農法の田んぼの基本的な方法を石垣島でみんなで見つけたい。必ず、方法はあるはずである。どうやって見つけるかはいままでやってきた私の中に参考になるものがあると思っている。
 
 友人とはお互い話して楽しい人間と言うことになる。年齢も性別も関係なく平たく同じである。おしゃべりな方だから、あれこれ勝手にしゃべっていると言うこともある。最近同じ話を繰り返す傾向があるのは残念なことだが、歳をとるとそうなるわけで、これは心して気をつけなければならない。

 談話芸というものがあるとすれば、話をおもしろくする話芸を学びたい。これは隠れた目標であるが、話のおもしろい人間が目標である。おもしろくて為になるというのが生きる目標ではないかと思っている。あいつと何か一緒にやっていると、なんか楽しいよなと言う人間になりたい。

 要するに行動である。何か一緒にやらなければ友達にはなれない。生きると言うことで関われば、友人になる。本気で一緒のことをやれば、何か奥にある本当の部分が伝わり合うのではないだろうか。友達はそうして出来たような気がする。

 絵を描く仲間はまさにそういう友人である。仲が良いというわけでも無いが、遠慮無く本気で絵のことを話せれば、絵の友達だ。お互い本音で絵のことが話せないのでは、友達では無い。私は誰に対しても絵のことでは思ったことはしゃべってきた。エライとされる大先生には失礼な奴と言うことで、随分怒られたが、それで良かった。

 自分がなんたるものか分からない。どこに向かうのかも分からない。その中で、自分の深いところでぶつかり合った友人は、今もそこに居るような気がする。30歳までは自信も無かったし、不安の深い淵に沈み込んで、何故絵を描いているのかも分からないまま絵を描いていた。そういう中での希望が友人の姿であった。

 自分という頼りないどうにもならない存在を、認めてくれる人間がいる。何も出来ない人間であるのに、何かになると信じてくれる友人がいた。信じてくれる人が居る以上、きっとこのまま進めば何かになると思えた。そうした多くの人の気持ちを感じて、ここまで来れたと思う。

 もちろん期待に応えられたわけでは無いが、自分らしく生きろと励まされる声を聞きながら生きて来れたので、勇気が湧いた。空耳かもしれないし、勘違いもあるかもしれないが、ひとりでここまで来たわけでは無いと言うことは、よく分かっている。

 友達を作れるかが年寄の大事だ。死ぬその時まで新しい友達を作れる人間にならなければなならない。新しい友達が作れるためには、平たい人間で無ければならない。当たり前の親しめるおもしろい人でなければならない。怖い人間が最悪だ。死ぬときにさえ、冗談がうまく言えるようなおもしろい人でなければだめだ。

 そういうことはどれほどの絵を描けるのかと言うこととは別な事ではあるが、私という人間が友人に相応しくあるためには、ちゃんとした絵を描かねばだめだと思っている。ちゃんとした絵は難しいけど、せめて人間としておかしくない絵は描かなければと思う。

 すぐに絵のことを考えてしまうところがだめなところかもしれない。いつも自分のことばかりのだめ人間である。「ダメだっていいジャン」が座右の銘である。絵を描く私と言うことが生きる目標であるのだから、仕方のないことかもしれない。

  友達を増やす方法があるとすれば、同じだと言うことでは無いか。へりくだりもしない。えばりもしない。いっしょになってやれることである。長年やってきたことで、年寄の方が知っていることは多いので、つい指導的になる。これが良くない。

 自分が知っていることを、どれだけ同じ位置で伝えることが出来るかである。自分がこれだと思っていることは、あくまで参考意見に過ぎない。大事なことは自分も一緒になって、さらに良い方法を考えると言うことだろう。その考える方法が、伝わることが大事なことにになる。自分が知った結論を伝えることなど、余り意味が無い。
 
 石垣島田んぼの会に参加した人の多くは移住者である。そして農業に関心がある。これだけで基礎的条件が同じ傾向の人間であることが分かる。あしがら農の会の空気にかなり近い。みんな良い友人になれそうな人達だ。良い関係を作って行きたいものだ。

 
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