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桜を見る会に招待される上級国民

2019-11-15 04:03:30 | Peace Cafe

 石垣島白保の丘の上にある不思議なモニュメント、現代アートでもない。宇宙人と交信するためのものでもない。歴史的建造物らしい。何だろうか。何かすごいものかもしれない感じがする。表示板はあるが、説明などはない。

 桜を見る会にアベ氏の後援会の方々が多数招待されていた。そのことが問題になると、二階幹事長が当然のことだと居直っている。何が問題なのかということである。総理大臣たるものに、こんなつまらないことで因縁を付けるなど、何事かということだろう。

 問題なのは、毎年こういう桜を見る会を、NHKまでもがニュースにしていることである。そもそもおらが地元の議員さんが偉くなり、こんな名誉な集まりに招待までしていただける光栄と言うことだろう。

 上級国民に混ぜて貰うありがたさ。そのために芸能人も多数呼んである。芸能人にしてみれば、一流の証と言うことになるのか。名誉なことだと感じてしまうのが、人間である。こんな席に招待されるほどの人間になったのだという事なのだろう。

 まあ、勲章というものがそういう類いのものである。嫌だ、いやだ、ああイヤだ。縁が無いから、ひがみと受け取られるに違いないが。それで結構である。絵描きでも勲章を画歴に入れるような人が案外に居る。どうでもいいが、日本人の一番いやな性根である。日本人だけではないのだろう。人間の性かもしれない。

 そうした、浅ましい性根を利用する政治。そうでもなければ、保守党議員の選挙に思想信条で協力するひとなど滅多にいない。居るとすれば利権関係者ということか。勲章をくれるか、桜の会に招待してくれなければイヤだという背景は想像できる。

 政府が主催する桜を見る会に招待されるという名誉で、人を動かそうとしている。その度が過ぎてきたわけだ。総理大臣枠が800人枠と言われているらしい。アベ政権になり、予算枠もうなぎ登り。

 誠に馬鹿馬鹿しいかぎりのことである。政府主催の桜を見る会だから、税金を使ってということだ。有権者がこういう政治を受け入れているということだろう。どう考えても公的な行事を装い、自分の権威を示す場にしているだけだ。これが犯罪ではないと言うことらしいが、相当悪質としか思えない。

 アベ政権の場合、アベ氏自体がそいう意味的存在なのだと思う。アベ人形劇場なのだ。アベ氏は木偶人形なのだ。総理大臣という役を振られている。こんなに旨く役をこなした人は前代未聞だ。

 アベ氏自身の人間としての姿は、国会で野党議員に思わずヤジを飛ばすような人である。答弁をしているのかとおもうと、自慢話だったなどということも良くある。生身の安倍晋三はごく普通の、もしかしたら普通以下の政治家である。

 ところが、アベ氏ほど時代を動かした人は少ないと思う。時代に乗ったのだろう。時代が必要とした人物なのだろう。日本が下り坂に入り、どうにも止まらない。ところがこれをアベノミクスは買いだ。などと上っ調子で政治を欺むく人が必要とされたに違いない。桜の会も必要になるはずだ。

 支持者も、非支持者も含めてみんなで作り出した幻想がかなりの部分を占めている。その幻想は演出と言ってもいい。国民を欺く演出には桜の会が必要なのだ。桜の会に出れるような立派な人になれるように、身の丈を知って頑張りなさい。と言うことだろう。

 資本主義経済が煮詰まってきている。中国のような国家資本主義と、アメリカのような超大国の独善一国主義の経済の戦い。当然日本の社会はずるずると引き離されて居る。教育予算がOECD最下位と言うところまで日本は落ちた。

 こうして格差社会が構築されて行く日々である。桜を見る会に招待される上級国民側と、其れを指をくわえて見せていただく下級国民。テレビ報道は何の見識も無く麗々しく報道して事タレりとしてきた。放送倫理協会はどう考えるのか。

 この低俗な日本は、日本人が作り出したものだ。日本人のおおくのひとが、心の中では願っているものが、桜の会の招待状なのかもしれない。トランプ支持者が下層白人層だという分析は日本にも当てはまるのだろう。つるされた桜の会の名誉に預かれない人間が、何とか名誉の恩恵にとアベ支持者になる姿。

 内のお父さんは桜の会に招待されたんだと、ご近所では名誉なことである。ブログに自慢げに書いて、慌てて消した人が幾人も居るという。桜の会のさくらが社会を動かすようになってしまった。これが1票になっている。そうではない社会が来るのではないかという、気がした時代もあった。ところが、アベ氏の登場は一気に階級社会を推進した。階級社会がアベ氏を押し上げたとみた方がいい。

 アベ氏は良くその役割を演じている。当人は演じている自覚はないから、馬鹿なヤジなど飛ばしてしまうのだろう。演出ミスである。アベ氏をでっち上げる演出家集団の存在がある。それは日本社会に根強くはびこる、封建主義なのだろう。無くなると思っていたのだが、下り坂社会で、もぞもぞとその闇を深くしている。

 天皇の存在も階級社会の象徴になろうとしている。アベ氏自身が動かされていることに気づかないように、天皇自身はそんな気持は毛頭無いだろう。ところが、誰がと言うことではなく、日本人の中にある、どうにもならない封建的な気持のシッポがそうさせるのだ。「父さんは桜の会に行ってきたのと言うかあさん」

 来年は桜の会は中止だそうだ。私の判断で中止にしましたと偉そうに答えていた。そんな台詞誰に教わったのだろう。これで済んでしまうのだろうな。こんな日本に誰がした。残念ながら、私もこんな日本にした一人なのだろう。 

 
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石垣島で描いた絵

2019-11-14 04:12:19 | 水彩画


 石垣でこの1ヶ月に描いた絵の中から、7枚を選んで写真を撮った。それなりに進んだと思えた絵である。この紙は中盤全紙である。インドの手漉きの紙である。とても荒い紙である。

 荒いというのは毛布目もあらいし、紙の作りも荒いということになる。しかし、そこが魅力と言える紙でもある。私が知る限り、この紙が世界で一番厚い水彩紙である。この紙の場合厚いことが意味があるのかどうかはよく分からない。薄く作れないので厚くなってしまったというような、大雑把なところがある紙だ。20年ぐらい前に紙舗直でまとめて取り寄せて貰い購入したものだ。

 この絵は私としてはずいぶん丁寧な絵である。やれることをやり尽くしてみようと考えた。と言っても今やれることであって、やるべき事ではない。目標はまだまだ遠いいのだが、今やれることはかなりやったような気がしている。




 こちらの絵も、同じ場所から描いたものである。中盤全紙のファブリアーノの半手漉きの紙である。この紙も厚い紙であるが、厚さにきちっと意味がある。厚さと吸い込みの関係が実に良く考慮されている。だから、色の正確な表現もできる。

 発色の微妙な柔らかさにも対応してくれる。と言って色が甘くならないところが優れている。つまり曖昧にごまかしというわけには行かない紙である。紙に頼ることはできない紙で、こちらのやりたいことが明確に出てくれる紙だ。

 この絵でみると、海の色と、空の色が、違って表現できる。当たり前のようだが、そうでもないのだ。かなり前進したという気になった絵である。緑の違いなども、厳密に反映している。同じ場所の絵を並べてみると紙のちがいで、絵が少し違う。

 中央の名蔵の田んぼが素晴らしい。絵としてはまだなのだが、田んぼとしてはこれで良い。ここにこうして田んぼを作り出した人の思いが見える田んぼだ。11月のことだから、2期作目の実りである。

 2期作目の田んぼは少しさみしい空気がある。なぜかイネの勢いが今ひとつなのだ。夏に苗が作られ、植えられるということで、イネは十分な力を発揮できないようだ。このあたりのイネの生理については、もう少し調べてみたい。

 もちろんだから絵として良いのかどうかは別である。自分の見ているものに従った気がしている。この2枚はいつもより時間を要した。やれることは全部やろうと考えたらそういうことになった。



 いつもの宮良川で描いた。したのもう一枚と同じ場所である。橋の上から描いている。橋が少し広いので、何とか車が止められる。川が自然にできている。水は外に広がろうとする力が働いている。それで蛇行するのだそうだ。昔地理の時間で教わったことをいつも思い出す。

 この川の上流にはダムがある。そのダムは下流域の水田の水源池になっている。NHKが水源のダムより上流部に、自衛隊基地を作ることを疑問として放映した。これに石垣市議会は抗議をしている。人間の飲み水のごとく放送したことを問題にしている。

 とんでもない話だ。なぜ田んぼに来る水ならば、汚染されてもいいのか。水田にすこしづつ、訳の分からないものが蓄積することの危険は計り知れない。


 絵の上部にあるしま模様が、遠くに見えている水田である。ここがなかなか描けない。いろいろのやり方で描いてみているが、あのさみしい感じの田んぼにならない。

 それでも今回のものは一歩前進ではある。川の表現である。川が空なのだ。川は空を写して流れて行く。この感じが描きたい。田んぼが自然の中に埋もれそうにある。田んぼという説明は描いてない。その当たりはまだよく分かっていない部分。



 新しい場所で描いたものだ。右側に見えているのが、前勢岳で頂上に石垣天文台がある。それは描いてない。遠くにあるのが於茂登岳である。この場所が描きたいとは思っていたが、今回初めて描いてみた。

 この場所での3枚目の絵である。実は実際の風景とは大分違う。まあそれはいつものことかもしれないが、この絵はかなり違う。大きくある建物は見ないことにしたし、海を邪魔している茂みも無いことにした。その上に中央にないはずの道を入れた。

 いつもはこういう絵作り的操作は余りしないのだが、この場所の絵では3枚目であえてそういうこともやってみた。そうした方が何が良いのかも分からないのだが、試みとしてやってみた。以前はそんなことは普通だったのかもしれない。

 放牧地が所々に見えている。なんともいいものだ。すごい勢いの自然に負けずに、くっきりと存在を示している。手前の茶色い部分は石垣の土だ。かなり厳しい土だ。



 風景に近づいて描いてみた。急にそばのものが描きたくなった。ここを描くつもりは全くなく他を描きに行く途中でここに惹きつけられてはじめて描いた。朝から晩までの一日の仕事である。
 
 白保である。手前にはオクラの畑がある。オクラ畑はまるで整列したように花を咲かせている。緑と白がまるで模様のように見えた。ここの畑の方は私が描いているのに気づいて、わざわざ遠くに車を止めてくれたらしい。帰りがけに気づいて申し訳なかった。

 ここには見えないが川が流れている。丘に家がある。わきに木が風に吹かれている。この木が描いてくれた言ったような気がしたのだ。小屋には白い山羊がいる。山羊は描いてくれとは言わなかった。



 
 この絵が今回最後の絵である。白保に幸福牧場というところがあり、その隣である。確かにここに居ると幸福な気持になる。それにしても不思議な名前にするものである。こういうオチャメな感じが石垣の文化にはある。

 黒い点は石垣牛である。手前には石積みがある。牧場の回りを石積みが取り囲んでいる。放牧地で出てきた石を回りに積み上げていったら石垣になったのだろう。こういう石垣が何キロ続く場所もある。そのうち又描いてみたいと思っている。

 石垣島の雲を描いている。様々に描いているのだが、この絵はそれらしくなった。偶然である。なぜそれらしくなったのかも分からないのだが。まあいいかなということである。海の青い色のためかな。

 この1ヶ月に描いた絵である。この倍くらい描いたのだが、写真はその半分写した。写真を撮らなかったのはまだ続きを描く絵だからだ。

 私の絵を知らないうちに印刷して販売している人が居る。全くかまわない。使いたいのであれば、どの絵でも自由に使って貰ってかまわない。私の絵が利用できるのであれば、どのような形であれどうぞ。

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石垣島の農地の歴史が描けるのか。

2019-11-13 04:20:10 | 水彩画


 石垣島に出会うことができてとても幸せだと思う。若い内に石垣島に出会えなかった事は残念なことだが、これから残りの時間を、絵を描きながら、この島で暮らせることはどれほどの幸運かと思う。

 石垣島に惹きつけられたのは、石垣島の農地の姿だ。人が暮らしのために耕す土地というものが好きだ。その原初的な姿が石垣島の田んぼにはあった。植林された杉林を美林と呼んだ歴史がある。自然林よりも人が育て上げた林を美しいものと感じた江戸時代。農地にも美しい田畑というものがある。

 人間が自然との関わりの中で、生活のためにギリギリのところで作り出した農地のことである。生きるために人間が汗と涙で作り出した農地のことである。自然と人間が関わりを持ち、循環する農地。自然の中に織り込まれ、自然と調和する農地の美しさに惹きつけられる。プランテーションの農地を美しいとは感じない。

 石垣島にはまさにそういう命がけの自然との関わりを、実際の姿として残した農地がまだ存在する。それは、幸せな家庭から炎が見える。と詠った八木重吉の詩ように、私には暮らしのための農地からは炎が見えるからだ。私が見ている炎は、石垣島が南国のリゾート地ではないといっている。

 国という権力は国の都合のために、人間の暮らしを犠牲を強いる。明治、大正期には富国強兵のために、日本帝国は日本人を痛め続つづけた。お国のためと言われ、国は人間を棄民したのだ。お国のためなら命まで仕方が無いというお国とは何なのだろうか。

 そうして、江戸時代3万人近く暮らしていた石垣島が、明治大正期には半分にまで人口が減少している。江戸時代の薩摩藩の圧政が、人頭税の過酷さとして盛んに言われるが、明治政府の締め付けの方がさらに過酷なものであったと考えた方がいい。

 明治政府は自分たちの圧政をごまかすために、必要以上に江戸時代を苦しい時代としたのだ。そしてねつ造の歴史教育を行った。帝国主義とは歴史までねつ造する。それは東北の飢饉も同じで、江戸時代の飢饉以上に苦しい明治の農村があったのだ。

 その暮らしの困難な石垣島が戦後には政策移民の島になる。宮古島は戦後外地からの引き上げ等で、なんと人口7万5千人まで膨れ上がる。そして、ヤキーの島石垣島に多くの人が政府の開拓移民として送り込まれることになる。ヤキーの島とはマラリアに感染する恐ろしい島のことである。

 沖縄本島からは、米軍基地の拡張のために農地を失った、農民たちが、大量に石垣島に開拓移民となってやってくる。石垣島の開拓は道路さえない僻地に入植して、マラリアに苦しめながら、ついに開拓を成功させたものなのだ。逆境を跳ね返した開拓移民の栄光。最も尊ばれるべき人の暮らしだ。

 積み上げられた石ひとつにもその、生活の思いがこもっている。今では家屋や住民の方からは、開拓時代の苦しさはほとんど感じられないのだが、切り開かれた農地には開拓農民の気持が宿っている。それは徒やおろそかにしてはならないものだ。

 石垣島の風景は、一見南国のパラダイスである。青い海、深い緑の山。飛んで行く白い雲。珊瑚礁に、白い砂浜。ヤシの林アダンの茂み。美しすぎるこの風景の中には、生きる悲しさがこもっている。だからこそといえば怒られるかもしれないが、農地の美しさも格別なのだ。それが人間の暮らしの現われた農地の姿なのだ。

 石垣島の美しさは人間の暮らしが作り出した美しさなのだ。だから、似たような島ではあるが、西表島の天然の自然の絵を描くことはできない。西表の方が太古の自然が残り、美しいさだけでいえばより美しい島なのかもしれない。もちろん、飲み込まれてしまいそうな西表の農地も素晴らしいものではあるのだが、自然に飲み込まれてしまった農地の方が多くて、つらい。

 開拓農民が暮らすということは、どれほど大変なことかと思う。その苦しさの一端は山北で、自給自足生活をしたことのある者として、少しは知っているつもりだ。ちょっと甘い見方かもしれないが、シャベルだけで、自給自足を達成してみればその意味は身体が分かることだ。

 開拓農民はどれほどつらく、しかし同時にどれほどやりがいがあることかと思う。自由移民という言葉がある。政府や米軍とは関係が無く、自分の意思で生活を求めて、石垣島に開拓で入った人達もかなりいる。さらに、現代においても、石垣島に入植する若者がいる。

 いつの時代も人間は、自分に向き合い、その力で世界に挑戦するものなのだろう。その世界が直接的な自然そのものという人も居る。そしてギリギリのところで折り合いを付けるものが、自然の中の人間の暮らしというものだろう。

 若い頃のわたしが、石垣島で自力の自給自足に挑戦したとしても、できなかったと思う。機械を使わないで、開墾するには石垣島の自然は余りに手強いものだ。山北で良かったと思う。

 暮らしが、自然に付けた刻印が農地である。明日生きるために作り出した農地は美しいものなのだ。動物の目には食べれるものが美しいものに見えると話した人が居た。人間が自力で暮らしているということが私には一番美しい姿に見える。

 この美しさが私の絵になければ、ダメだ。そうでなければ私の絵ではない。ゴッホの最後の麦畑の絵は麦畑を耕す人になれなかった苦しみの表現だ。私の描く石垣の風景は一緒に耕す人の絵でありたい。美しい風景を美しい絵空事として描く絵ではない。その農地にこもる悲しみまで描く絵でありたい。

 畦がコンクリート化した、四角四面の田んぼを少しも美しいとは思わない。その方が合理性があるという考え方自体が、美しくないからである。自然と折り合いを付ける。これには少しやせ我慢が居る。長い目で見る合理性がそこにはある。

 石垣の田んぼは、不思議な形に変型しているところがある。川があれば川の蛇行に影響を受ける。起伏があれば、起伏に従っている。全く意味なく、複雑にお隣の田んぼと入り組んでいるところもある。何かもめ事があるのかもしれないと想像をさせる人間らしい農地。

 絵はそういうすべてを描くものである。私の絵が芸術的にどんなものであるとか、人と比べてどんなものかとか。そういうことは関係の無いことだ。好きな石垣島の姿がきちっと表現されたものでありたいだけである。

 まだ、10年ある。そのことを実現したいと思う。年をとり感性が鈍くなり、絵はダメになるのかもしれない。しかし絵としてはダメであってもこの石垣島の開拓の農地の姿だけは描かないわけには行かない。

 
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石垣島には耕作放棄地は少ない。

2019-11-12 03:56:51 | 石垣島


 石垣島の絵を毎日どこかで描いている。耕作放棄地はとても少ないと感じる。多くの方が水田が放棄されていると言われるのだが、実際には放棄されていると思われる水田はそう多くはない。年に一度しか作らない田んぼは多いから、今頃の作られていない田んぼを見て、放棄されていると思われる人も居るのかもしれない。

 小田原の農地は毎年2%は減少している。その上に、耕作放棄地は耕作地の20%と言う状態である。石垣島の耕作放棄地の現状のデーターは今のところ新しいものが探せない。10年前までは耕作放棄地は増えていたようだ。最近は減っているのではないかと思われる。宮古島は現在のデーターで耕作放棄地2%と言う状態である。最近の石垣市は耕作放棄地が減少してきているとみていい。

 畜産の総生産額が10年間でほぼ倍増している。しかも放牧されている牛が急速に増えている。放牧肉牛の良さが、石垣牛の良さとして評価されてきているのではなかろうか。肉の生産額が倍増すれば、当然の利用も倍増するはずである。

 水田だったと思われるところが、サトウキビに変わっているという場所は多い。水田の赤土流出を防ぐ力を考えると、水田はできる限り水田として維持した方が、環境対策になる。石垣のお米の付加価値をどうやって付けるのか。たとえば、スノーケリングに来る人に水田の効用を伝える。そして、食べて貰う事での環境対策。

 石垣島で農地をを探している人の経験談を読むと、放棄するとすぐにジャングルになってしてしまうので、見た目では元は農地だったことが分からなくなるらしい。そして、地域によっては農地は簡単には見つけられないようだ。

 2018年の調査で宮古島の耕作放棄地の割合は2、1%と最も低いとある。2、1%と言うことはほぼ耕作されているという状態だろう。後継者がいるということと、基盤整備が進んだためとされている。石垣島でも北部以外はそれに近い状況だと思う。私が知るこの3年間の経過でも耕作放棄地は減少していると感じている。

 荒れ地だったところが、畑になったという所や牧草地になったところに気づく。牛が放牧される場所になったところもある。石垣島でも開拓農民が拓いた、北部地区は放棄された農耕地なのかと見えるところもある。少しさみしい風景のところがある。

 なぜ農業が盛んになっているかといえば、島全体が活性化しているからだろう。若い人達も島に仕事が増えているので、島に残る人が少し多くなったのかもしれない。島での求人が正社員で1000人近くはあるそうなので、島に戻って来れる環境ができているということになる。もちろん、流入人口がかなりある。

 活性化の原因は観光客が増えていることに間違いが無い。観光客が増えるということに伴い、ホテルや飲食店が作られる。建設業の仕事が増える。波及効果で、島全体で仕事が増えているのだろう。公共事業中心の経済から変わろうとしている。農産物も島内消費が増えるから、活性化する。宮古島ほどではないにしても、石垣島は地価が上昇している。

 島の産業の活性化が人口増加につながる。人口増加は自然増よりも、流入人口にあるとされている。私もその一人だが、新たに引っ越してくる人が結構居るということだろう。これだけ良い島なのだから、環境が整備された今の状況では当然のことだろう。そして、島の人口構成も日本の現状に比べれば、老人に偏っているというほどではない。

 石垣島、宮古島の状況は日本全体傾向とは何かが違っている。日本は下り坂万歳状態であるが、石垣島にいるとどこか上昇気分がある。拝金まみれではない空気感がある。身体で生きて行くような健全なものが農業に感じられる。だから農家の方が堂々としている。

 少なくとも住民は中国が攻撃してくるなどとは感じていないということだ。そうでなければ、人口増加が起こるという事がおかしいだろう。なぜ市長や一部の市会議員が、そんな妄想にとらわれてしまったのかが、不思議で仕方が無い。妄想ではないとすれば、何か他の要因があるのだろうか。ネトウヨの影響のような言動を聞くことがよくある。尖閣諸島があるから、そういう勢力の活動があるのだろうか。

 新聞に「田んぼ貸してください。」こういう広告が出ている地域は全国でも珍しいのではないだろうか。田んぼを借りる農業法人も、人の募集をしている。農業法人でまずは働いて、農地を探しているという人も居るようだ。農業の求人も畜産関係ではかなりでている。アパートの空き室はすぐ埋まる感触である。まだまだ、アパートマンションは建設中が多い。

 観光がブームに終わり、流れが止まるのではないかと、心配する人も多いようだが、今後10年間観光客が減少するようなことはない。石垣が平和な島であれば、必ず石垣島はアジアの交流拠点になる。ブームではなく、それだけの要素の魅力があるのだから心配はいらない。耕作放棄地はますますなくなるに違いない。

 アジア全体の生活水準は経済の浮き沈みがあるとしても上昇する。アジアの海外旅行はさらに盛んになる。石垣島は近場の観光である。台湾から飛行機で来て、実感した。さらに盛んになるに違いない。

 首里城が燃えて、沖縄本島では観光面で心配されている。石垣でも観光資源の開発整備は常に必要だろう。石垣島大浜にあるフルストバルグスクを整備するのは急務ではないだろうか。今のところ歴史的遺産が少ない感じがする。日本最古の骨は、石垣島に展示しなければダメだ。

 石垣のグスクも平和のグスクとして、首里城のように礼樂を楽しむ場にするといいのでは。グスクの再現よりも、石垣の再現に力を入れた方がいい。あのグスクの空間が素晴らしいのだ。今帰仁グスクのようなものがいい。ゴルフは嫌いだが、ゴルフ場を作ることも観光のためには悪いことではない。ホテル反対も石垣では必ずあるが、作られるホテルの環境対策が重要なのだろう。厳しい条件を付けて、ホテルを受け入れる。

 できれば石垣島北部に温泉を掘るのもいいのではなかろうか。北部に古い家並みの再現地区などがあるといいのだが。あるいは開拓時代の集落の復元でもいいのではないだろうか。赤瓦の古民家が取り壊されるときには、一定の地区指定をきめて、集めるようなことはできないものだろうか。

 観光客が風景以外で、求めるものは島でとれる農産物であり、海産物である。石垣牛だけではない。お米だって、石垣のお米が食べたいものなのだ。石垣のお米まつわる、物語が必要なだけだ。観光に来た人には、カンムリワシの暮らす田んぼのお米がいいのだ。珊瑚を守るお米がいいのだ。魚沼産のコシヒカリよりも、物語のある石垣産のお米が食べたいものだ。

 やはり、石垣に来れば、お酒は泡盛だということになる。泡盛はできれば、タイ産米を止めて、石垣のお米にすべきだ。今は安ければいいということでも、次の段階では石垣島の付加価値が重要になるだろう。石垣のあの田んぼでできたお米ですという物語が意味がある。ダイビングの夜は石垣の泡盛にして貰う。

 石垣島の良さを再確認するところからではないだろうか。今観光客が何を求めているかではなく、未来の観光はどういうものになるかを考えるてゆく必要がある。私の想像では「のんびりとした、気の休まる空気だ」と思っている。これから世界は喧噪さをさらに増すだろう。静かな気持に慣れる場所。人間が自然と調和して暮らしている姿なのではないだろうか。カジノなど発想が古い。

 なぜ、よそから来た分かりもしないものが、口を出すのかということがある。石垣島の方にすれば、余計なお世話なのかもしれないとは思う。が、自衛隊基地を誘致しようなどという人が市長だからである。基地の島になれば、観光業は必ず衰退する。そうなれば、耕作放棄地が増える。平和の空気がなければ、絵にならない島になる。

 軍事基地の緊張感は石垣島ののどかな空気を台無しにする。のんびりしようと石垣島に来た人が、自分の国の方角に向けられたミサイル基地をどう感じるかである。嫌な思いがするに決まっているだろう。せっかくの休暇が台無しになるだろう。基地が必要だと思うのであれば、沢山ある無人島にして貰おうではないか。

 
 
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ブログを始めて連続5000日がたった。

2019-11-11 04:05:09 | 身辺雑記


 ハラボソトンボ 九州、南西諸島に生息 写真を送ったら渡部さんが名前を教えてくれた。名前が分かると、飛んでいてそばに来ればハラボソだと、分かるようになった。出かける楽しみが増える。絵を描いていたら、車の中に入り込んできた。トンボというものは実に美しい形をしている。

 コウトウシラン Spathoglottis plicata 八重山諸島に自生するラン この立派な2本花付きの株が、ゆらてぇーく市場で900円で売られていた。石垣島で栽培すると増えるらしい。シランと言う名前であるが、シランではない。

 2006-03-05 07:32:05というのが、ブログの最初の記事の年月日である。すでに14年近くが経過した。ブログは毎日書くということにした。そうしなければ、続かないと思ったからだ。いつの間にかそれが朝の日課になり、一日も休まず続けることができた。ブログを書けないほどの病気も、ケガもしなかったと言うことでもある。

 ピースカフェと言う平和活動の紙媒体を止める代わりに始めたブログである。平和への願いを込めたブログである。ただ、平和のことだけを書いていたのではなかなか読んでくれない。紙媒体の時の方針もそうだったのだが、4分の1程度をピースカフェの趣旨の記事にする方針である。

 一応5000日を目標として記録しておく。この年は2回目の東京オリンピックの前年だ。どこで暮らしていることだろう。ただこの日が正確かどうかは分からない。おおよその計算である。前回4000日は34日もづれてしまった。というふうに書き始めてあったので、この部分は残す。

 一日も休まず続けることが、自分との約束である。この日が来る前に、ブログが途切れていたとしても、この文章は掲載されることになる。もしこの後に文章があれば、生きているという事になる。果たしてどこで続きを書けるのだろうか。この部分も残しておく。これを書いたときにはきっと小田原には居ないと思っていたのだ。

 5000日のことを多分1000日の頃に予約投稿している。又、1万日目の日付けを計算して予約投稿しておきたいと思う。今までは一日も休まなかった。今度の5000日はそうも行かないかもしれない。年齢的にもだんだん怪しくなる。1万日は継続したい、今から14年は続けたいと言うのである。84歳になる。生きているのだろうか。生きているとすれば、幸運なのだろう。

 今はどこまでも書ければ書くつもりである。書いている間は平和憲法が継続するという願掛けのような気分だ。ブログを書くということが、生活の中にあるので、続けられる間は続けるつもりである。ブログを書くということで、日々の生活を律しているということもある。

 絵を描くこともこのブログを書きながら考えている。実際に絵を描くときには何かを考えるわけではないが、自然にブログで考えたことは反映していると思う。そのやり方が自分ららしい絵の描き方だと今は思っている。

 大体は早朝一時間ぐらいで書く。最近は夜中に目が覚めて書くことも多い。内容によっては二時間以上かかってしまうこともある。文章がすらすら出てくる日は30分で書けてしまう日もある。書きにくい内容というより、頭が動かない日もある。

 誤字脱字打ち間違い、変換間違いが多くて、読んでくださる方に申し訳ないとは思っている。校正をしてからと言う時間を惜しんでいる。少々違っていても大目に見ていただきたい。読みづらくて申し訳ないが、趣旨は違わないと思うので。

 このブログで書いたことから抜き出して、「小さな田んぼのイネ作り」はまとめたものである。農の会「有機のイネ作り」の元原稿もそうであった。いつか、水彩画の本をまとめるつもりで居るのだが、肝心の絵の方が描けないので、まだまだ絵の話は先になりそうだ。

 絵の本はできないのかもしれない。できないとしても、作るつもりでやることは大事だと思っている。絵の本は作ったとしても何かの役に立つかどうかは分からない。本にするより、DVDで残す方がいいのかもしれないと思ったりする。

 絵がそれなりの所まで進んだら、写真をきちっと撮り、掲載してゆこうかと思ってはいる。そして利用してもらえるものがあれば、自由に使ってもらいたいと思う。問題は自分の絵だと思えるところまでなかなか行かない点である。それでもどこかで踏ん切りは付けなければならない。

 以前はできた、これこそ自分の絵だ思い込んでいたときがあった。心底恥ずかしいことである。今思えばひどいものだ。良くもあんな絵でと思う。確かに人が見れば、今の絵よりましである可能性は高い。見栄えの良い絵を描こうとしていたのだからそうかもしれない。

 当時は人まねと自分の絵というものの判別がついていなかった。よさげな絵を真似をしてでっち上げるのを、絵を描くことだと思い込んでいた。それを恥ずかしいと思うようになってから、なかなか苦労をしている。まだたいした絵は描けないで居るが、やっとこ人まねではないなと言える絵になってきている。これは最近の希望だ。

 もう少ししたら、自分の絵になるかもしれない。そうなったらカタログゾルネとして掲載しようと考えている。今のところ、まだ前進している実感がある。前よりは自分に近づいているという感じがある。それでそういうことをやるのはもう少し先だと思っている。確かに自分が見たようには描いている。さてその先が問題だ。

 私が死んでからも、絵が利用可能な形にしたいと思っている。絵がある程度できたら、一日一枚絵を掲載して、その絵のことなどを文章で加えたいと思う。80歳になった当たりからの3年間当たりを目標にしたらいいだろうか。

 毎年10枚位残せる絵が描ければすごいと思うのだが。さすがにそれはないかもしれない。目標である。何でも目標を立てなければできない。健康次第ということもある。今でも農業を続けさせて貰っている。毎朝の太極拳も石垣にいるときには続ける。三線で唄を唄う。食事にはきお付けている。お酒も毎晩は飲まないようにしている。

 一日も休まず続けることが、自分との約束である。どこかでブログが途切れているとすれば、そこまでで終わりになったということになる。明日次の文章があれば、生きているという事になる。

 次は1万日目というと、13年と8ヶ月ぐらい先のようだ。つまり、私が生きていれば84歳になっている。一応はその日を目標に置くことにする。その予定日を今から、予約投稿としておく。2032年6月1日と一応はしておく。予約投稿だから、その日までパソコンさえ動くようにしておけば、死んでいても予約投稿はされるだろう。

 そういう意味ではホームページの方などいつまで費用を払っておけばいいのだろうか。私としてはいつまでも継続できるシステムがあれば、その場所に絵など記録をしておきたいとは思っているのだが。例えば、100万円で100年間は続けてくれるシステムとかいうのはあるのものなのだろうか。まあ、そんなことはどうでもいいか。

 著名人のブログは、国会図書館で記録として残しているようだ。無名の庶民のブログではあるが、場所をとるものでもない。一万日連続で続けられたらば、どこかで記録してくれないものだろうか。この記録は自給自足をする人には少しは役立つと思うのだ。

 そう、以前は1600字と決めていたこともあった。四つの段落にして、おおよそ起承転結と言うことにしていた。今は区切りの文章を短くする。そして、長くなっても思いつくことは書いている。この最後に加えた段落もそんな感じだ。頭に浮んだことは書き留める。何だか絵と同じではないか。



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石垣島で家庭菜園を始めた。

2019-11-10 04:56:35 | 石垣島


 やらないでおこうと思っていた。絵以外のことは石垣島でやらないつもりだった。家庭菜園のことである。絵ばかり描いていて、運動不足なので、身体を動かした方がいいということがある。これも長く絵を描くためである。と一応言い訳はしたい。

 何で言い訳をしなければいけないのかよく分からないが。決めたことを変えるということは余りしたことがない。それなのに石垣でも畑仕事を少しはやってみたいという誘惑に負けたわけだ。

 お隣の家は元々は農家だったそうだ。つまり、石垣では中心市街地にも農家の人が住んでいたのだ。馬小屋なども庭にある。しかし、年をとられて体調も悪いそうだ。なかなか、庭の草刈りもできないようであった。そこで、家庭菜園に使わせてもらえないか、お願いした。

 草刈りもできなくて気になっていたそうで、喜んで貸してくれることになった。と言っても、庭の隅の方の30㎡ほどである。やってみてやれるようなら草刈りぐらいは全体をやってもいいと思っているが、それはもう少し様子が分かってからだと思っている。



 顔を合わせれば少し話をするくらいの関係ではあるが、それ以上のことは何もわからない。お隣だから、長く仲良くさせて貰いたいと思っている。土地を探している頃から、いろいろ様子を聞かせて貰ったこともあった方である。

 家庭菜園も運動不足の解消ぐらいのつもりでいる。石垣では絵を描くだけの暮らしなので、せいぜい歩くようにしているのだが、それでもどうしても運動不足になる。

 先日も書いたことだが、開拓移民の人達のことを読んで、石垣島の土を耕すことで触れてみたいという気持になった。本を読んでから、畑や放牧地が少し違って見えている。マラリアの恐ろしい島に開拓に来なければならなかったという人が開いた畑だ。



 土を耕してみなければ、そこの土地のことは分からない。どうすれば良い土ができるのか、そういう石垣島の土のことが分からなければ、田んぼの絵を描くことなどできない。私の絵の描き方はそういう描き方なので仕方が無いところだ。

 今気になっているのは11月収穫型の稲作のイネの勢いのなさである。絵を描いていれば、イネの勢いのなさは分かる。しかし、その理由は未だ分からない。分からないとどうも、腑に落ちて田んぼの絵が描けない。



 石垣ではいまから、トマトやキューりの植え付けだそうだ。ジャガイモの種芋もでている。その辺りからと思い、苗を買ってきた。堆肥はよみがえり堆肥というものが、石垣の堆肥センターで作られているので、それを買ってきた。

 よみがえり堆肥は、石垣の牛の糞尿を集めて、堆肥にしたものだろう。堆肥センターは石垣の中央部の開南地区にある。1袋15キロ360円でホームセンターで売られている。始めて使うので、どんな堆肥なのかは分からないが楽しみである。

 堆肥センターは10年ほど前にできた。サトウキビの畑などで使って貰おうという計画のようだが、なかなか売れないと聞いていた。農家には堆肥を入れるという栽培方法が普及してないようだ。牛糞をそのまま畑にまいて、耕している農家はある。



 価格的にもトン単位になるとキロ10円という。高くはないと思うので、上手く活用して貰いたいものだ。どういう使い方をすれば良いかをホームページなどでも公開しているといいのだが、探したのだがどこにもでていない。

 サトウキビで堆肥を使う農法が普及すれば、赤土の流出もいくらか収まるはずである。石垣島の赤土はともかくよほど腐植質を使わなければ、改善できないと思われる。このあたりはこれから試行錯誤してみたいと思う。



 畑の準備を始めて驚いたのは、土がカチンカチンということだ。日干しレンガ状態である。土を耕すというよりも削るという堅さだ。植え穴をひとつ掘るのに、30分かかり腕が痛くなった。この土を耕作可能な土にするということには興味がある。長い間、雑草に覆われていた土なのに、これほど堅いということは小田原ではありえないことだ。

 何でも見ているだけでは分かるものではない。この土で栽培するのだから、よほど独特の栽培体系が必要なはずだ。日照が極めて強いということも、こういう土になってしまう原因かもしれない。感触は隆起珊瑚礁混じりなのに、酸性土壌という感じがする。



 辺り一面ススキの小さいような草が覆っていた。これは石垣ではどこの空き地にもよく生えている雑草である。ススキよりは背丈は低いのだが、根は地面の中で絡みつくように密生している。これをどけなければ耕作どころではないだろう。

 まず刈って、出てきたらまた刈って、すこしづつ減らそうと思っている。完全に掘り起こすことは不可能だ。しかし、取り除かない限り作物は十分にはできないはずである。一度除草剤で枯らしてから始めるという考えもあるのだろうが、ひとまずは刈って、刈って様子を見たい。

 硬い土をレンガを削るような感覚で、鍬ですこしづつ畝をたてた。80センチ間隔5本。長さが4メートル×5だから20メートルの畝たてをした。一時間ほどやった。地面に印を付けた程度の浅い畝である。それが限界であった。今まで経験したことのない堅さである。

 作物を植えるところだけ、穴を掘ろうと思う。翌日穴を掘った。穴を掘るといっても簡単ではない。ひとつのアナに30分はかかる。穴を掘り、掘り出した土というか岩の削りかすのようなものと、堆肥を混合して作土にするつもりである。

 植え穴に堆肥を入れ、土を混ぜて水を入れてしばらく置いておく。ここまでは昨日行った。しばらく時間を空けて、苗を植え付けようと思う。苗を買うのが少し早すぎたようだが、仕方が無い。ポット苗をしばらく管理しておく。

 ジャガイモは沖縄むき品種というのが売られていたのでそれにした。やはり切って乾かすことにする。ジャガイモも植える深さに土を掘るのが、手間取りそうだ。大体こんなに堅いところに植えて、作物ができるものだろうか。

 ブロッコリーとインゲンは種をまいてみようと思っている。今年はできるかどうかの実験ぐらいだろう。それくらい土の様子が分からない。それでも種をまくというのは楽しみなことだ。

 



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身の丈を知れという、悲しい日本社会

2019-11-09 04:01:37 | Peace Cafe


 戦後の日本人はいわゆる身の丈を打ち破って生きたのだと思う。身分や出自、出身地や経済的な限界を打ち破り生きてきた。それが戦後社会の高度成長をもたらしたのだと思う。身体を使って働けば、誰でもそれなりに生きることができる社会がそこまで来ていた。

 高度成長期の日本では、努力が報われる社会が近づいたかのような幻想を持てたのだ。肉体労働を嫌う風潮も今ほどはなく、農業者も出稼ぎをしながらも、都会の生活水準に追いついて行くことになった。

 ところが日本社会全体が停滞期に入り、意識が下り坂の日本になった。階層化社会と言える状況にある。まさか、身の丈を考えろ等という発言が文科大臣から出るとは思わなかった。言葉を間違えたというより、そういう社会に日本がなっていると思うべきだろう。

 「身の丈で生きろ」その裏には「高望みはするな」の意味がある。このように文科大臣が憲法違反の発言をしたのだ。憲法は「すべての国民はその能力に応じて、等しく教育を受ける権利を有する」としているのだ。身の丈ではなく、等しく教育を受ける権利があるとしている。

 多分文科大臣は日本の貧困の現実感じていないのだと思う。文科大臣だけではなく、保守系の政治家が成功者として君臨する社会になってしまったのではないだろうか。実現したい日本社会があると言うより、自民党という一流企業に就職したような姿に見える。

 日本には深刻な貧困がある。そのことを情報としては国会議員なら知っているのだろうが、実感が伴っていなかったのだろう。日本の貧困は社会の中に埋もれている。食事を充分にとれない子供が隠れている社会になっていることを、体感的には感じていない人が多数派なのだ。

 それは日本が恥の文化の国ということもある。また、貧困自己責任論が広がっている事にもよる。自分が悪いからこうなっているという後ろめたさが、貧困を社会から見えなくしている。例えば離婚した自分が悪いから、貧困に陥ち入っても仕方が無いというような意識があるのかもしれない。

 日本の子供や学生の6人に1人(16%)は貧困家庭で育っている。一人親の世帯に限ると55%が貧困家庭なのだ。高等学校でいえば一クラスに必ず5,6人は貧困状態にあるのだ。受験すること自体が経済的に困難な家庭である。

 こうした格差社会の現実を文科大臣が全く理解していなかったのだろう。もし知っていながら、身の丈に応じろと主張したのであれば、さらに悪質だ。少なくともお金がないので、試験を受けることがギリギリであると言う人が居るということが、理解できないのであろうか。

 こうした社会の下層の状態を知るような人は国会議員という上層階層にはほとんど居ないのだ。頑張ればどうにかなるのにという程度の認識しか持てない人たちなのだ。確かに日本は急激に豊かになった社会である。

 そのために、多くの人が自分の若い頃は的な体験的感想から抜け出られないで居る。1960年代には苦学生という言葉があり、自力で大学に通っていた人が普通に居たのだ。頑張れば、生活費を自分で稼ぎながら、何とか大学に行けるという状況があったのだ。

 ところが、学費がドンドン上がった。生活費も急激に上がった。アルバイトをしながら、自力だけで大学に行くようなことはほとんど不可能になって居るのではないだろうか。
 
 現代社会でもかなりの数の人が、奨学金で大学に行くのだろう。だから、自力で大学に行けると主張する人も多く居るはずだ。それはあくまで自宅から大学に通えるという条件である。生活費すべてを自分で捻出しながら、大学に行かなければならない人も居る。大学に行くには自宅からでは通えない人はいくらでも居るのだ。

 さらにいえば、親の生活費を助けながらでも大学に行けるのかというようなことになる。どのような家庭に生まれたとしても、行きたいのであれば大学には行けるという社会であって欲しいとおもう。もちろんそこまでして大学に行く必要があるかどうかは人によるし、別の問題である。

 一切の条件を別にして、大学に行きたいと考えた人が、努力をすれば大学に行けるという、憲法が示す方角の日本社会を実現して欲しい。自給自足で生きるとしても大学へは行って良かったと思っている。

 上層に位置する人が、下層の状態を想像できなくなった。そのために身の丈に従えというような、封建社会を思い起こさせるような発言が出てしまったのだろう。ついつい悪気がなくこんな発言が出たところに、実は日本の今の社会の実相が現われている。

 上層階層である人の多くが、下層階層の人を努力の足りない人だという認識である。能力が不足の人をやはり努力不足の人だという認識である。もう少し努力してから発言しろということになる。確かにそうした状況がないわけではない。

 しかし、現実には努力をしたくてもできない壁が生じている。それが、大学入試の民間委託の経費問題である。石垣島から受験をしようと考えれば、那覇まで行かなければならない。那覇まで行く費用はそれなりのものである。

 受験費用を含めて、5万円は見なければならないだろう。これが英語受験のために生ずる新たな出費である。この新たな費用を国が負担してくれるなら問題は無い。身の丈に応じて払えというのだ。つまり無理ならば、止めろということである。

 こういう状態は私が受験する頃には無かったことである。日本は当時の方が豊かなわけではない。学ぼうとするものには負担を軽減してくれていたのだ。戦後の社会では、努力すれば自力で大学で学べるという状態が、日本の社会の活力を生み出した。そしてその教育が日本の高度成長を生み出したのだ。

 現在日本の教育の公的支出がGDPに占める比率は2.9%で、OECD(経済協力開発機構)加盟35か国中の35位と最下位だ。なんということか、韓国よりもかなり低いのだ。ダントツの最下位なのだ。これがまともな状況とは到底思えない。

 日本は油断している内に身の丈社会に戻っていたのだ。封建的社会に逆行している。能力主義、拝金主義が当たり前のごとく発言されている。それは戦争での敗北とか、革命とかで、社会が逆転するような現象が80年もなかった結果なのだろう。

 社会と言うものはつねに、既得権益が守られるようになるようだ。政治というものは常に弱者の目線を持たなければならないということだ。それを見失えば、社会は活力が無くなる。それが今の日本の下り坂なのだろう。

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「八重山の開拓移民」を読む。金城朝夫著 

2019-11-08 04:06:18 | 石垣島


石垣島の人口は現在が過去最高である。
1607年ー慶長12年 5,500人
1706年ー宝永 3年 9,879人
1753年ー宝暦 3年 26,285人
1771年ー明和 8年 19,679人
1885年ー明治18年 13,877人
1920年ー大正 9年 13、674人
1965年ー昭和40年 41315人
1980年ー昭和55年 38750人
2019年9月現在   49714人

 現在が石垣島の人口は過去最高数を示している。5万人まであと286名となっている。明治、大正という時代が、石垣島には最悪の時代であったことがうかがえる。人口の推移はそういう時代の姿を反映する。

  「八重山の開拓移民」を読む。金城朝夫著 本名は友寄英正氏である。石垣のフリージャーナリストである。石垣を知ろうと思うのであれば、この本を読まなければダメだろう。視点のある本だ。石垣島の位置が見えてくる本である。

 最近人口の増加は停滞してきているので、今年中に5万人を超えるのは難しいのかもしれない。なぜ、人口に注目しているのかといえば、人口の増減は島のその時々の様子を反映しているからである。

 明和、ここで大津波があった。人工の意外に大きい江戸時代は案外豊かに暮らしていた側面が想像される。人頭税があるとしても。明治大正期の人口の減少は、時代の悪さが想像される。昭和に入っての人口増加はめざましいものがある。人口増加政策と、移民なのだろう。

 石垣島の人の成り立ちは、開拓移民が大きく影響している。石垣島が生産性の大きな、可能性の島だった事から来ている。琉球本土から、薩摩から、そして四国各県から、そして台湾の人達。八重山には政策的な開拓移民が繰り返し行われている。

 強制移民が繰り返されているのだが、マラリアによって失敗に終わった事例が多い。頑張って身体を酷使して開拓に挑み、体力を消耗させる。しかし十分な栄養がとれない。マラリアに感染したちまち死に至る。

 繰り返し開拓移民が行われたにもかかわらず、開拓地ではマラリアにやられることが多かったのだ。それは戦後開拓でも同じようなことが起きている。マラリアが根絶されたのは、1962年昭和37年前後になってのことである。私の父はマラリアの患者だった。キニーネという薬を飲んでいた。

 戦後のベビーブームが石垣では少しおくれてあったようだ。しかも、病気が克服され寿命が延びることで1965年ー昭和40年に人口のピークがある。その後、島から若者が出て行くことで人口が減少が起こる。この頃以降開拓移民はなくなっている。

 1980年ー昭和55年以降今度は石垣島への移住者が増加が始まる。現在まで人口増加を続けている。石垣島のような、人口の増加する離島は極めて珍しいことと思われる。その背景は様々考えられる。

 石垣島が際立って美しい島ということなのだろう。豊かな水があり、生産性の高い島である。病院や学校や商店が充実している。食べ物は美味しい。人間との関わりの頃合いが良い。自然災害や病気を克服したということが一番なのだろう。

 石垣島の魅力が世界に知られるようになったことも、移住者の増加につながっているのではないだろうか。石垣島ほど美しい島はないだろう。しかも、現代的な生活をするために何の不自由もない島。なにしろ、有機農産物で生活できるロハスな島なのだ。

 農業でいえば、石垣牛にはめざましい人気がある。観光客数の増大がある。その観光客が石垣牛を食べる。この好循環が石垣農業を活性化させて居る。それは漁業や果樹、野菜農家の方々にも好機となっているのだろう。

 都会に一度は出ても島に戻り、農業を後継する若者も日本の他の地域より断然多いと思われる。素晴らしい環境の、暮らしやすい島なのだ。仕事があり暮らせるのであれば、石垣島でやって行きたいという気持は当然のことだろう。家族を大切にする思いも深い島だ。

 1972年ー昭和47年の本土復帰の影響もあり、昭和40年以降、若者が島を離れる現象が顕著になる。やっと開拓を成功させ、軌道に乗るかに見えた石垣島開拓農民の子供たちが、都会に出て行くと言う予想外の展開になる。このときの開拓者の思いは絶望的なものがあったようだ。

 そもそも開拓に石垣島にやってくると言うことは、それまで暮らしていた、沖縄本島やそのほかの島々で暮らせなくなり、まだ開拓の余裕があると考えられた新天地石垣島に来たのだ。そして、想像を絶する困難を乗り越えて、石垣島に定着した。

 江戸時代であれば、薩摩藩の年貢を増やすための政策として、石垣に他の島から強制移民が行われる。しかし、そもそもその場所には豊かな土地にもかかわらず人が住んでいなかったということには、理由がある。マラリアがあり住めなかったのだ。

 そうした場所に繰り返し、強制移民が行われ、悲しい歴史が繰り返されることになる。戦後開拓が定住できたのは、マラリアの克服が大きかったのだろう。今でも石垣には蚊が少ないのはその結果ではないかと想像している。

 石垣島の戦後開拓の背景には沖縄から海外へでていた移民の帰還がある。沖縄本島に引き上げたとしても、農地がなかったのだ。そのことに加え、25万人が昔から住んでいた土地を、米軍によって奪われたのだ。

 やんばるに開拓で入った人も多い。海外へ移民した人も多い。そして、マラリアで恐ろしいとしても、石垣へ開拓移民で入ろうということになる。それは、開拓移民の人達にとっては希望であったのだが、政策的には棄民と言われても仕方が無い側面があった。

 米軍は軍事基地を拡張するために、土地を強制収容を続けた。そのことで土地を失い、石垣島へ政策的移住が勧められた。しかし、政策移住はどこの開拓移民地でも、約束の条件が満たされたところはなかったようだ。

 石垣島には多良間田んぼというものが残っている。江戸時代多良間島から出作りをしていたというのだ。今では誰も住んでいない。そうした今は廃村になって、誰も住んでいないという地区は、北部にはかなりある。

 石垣島は常に開拓移民がやってくる島であった。かなりの人が住むことができる島なのだ。現在も農地の造成がかなり広範囲で行われている。農業でやって行くという意欲は強く存在する島なのだ。農地で若い人が働いているのが普通のことだ。

 人口密度でいうと、一キロ㎡当たり207人である。これは神奈川県の足柄上郡と同じくらいである。箱根町よりはかなり密度が高く、倍くらいである。

 出生率は沖縄県は全国一で1,94。日本で唯一健全な状態ということだろう。石垣島はさらに高く、2,06となっている。それでも石垣でも地域差があり、島北部などには人口減少地域もある。私の住んでいる中心市街地では、人口増加地域であり、出生率も一番高い地域である。子供の居る環境というのは良いものである。

 石垣には住民登録していない、隠れ人口がかなりあるとみられている。別荘として利用している人や、石垣島でアルバイト的に働いている人である。季節労働者と言っても良いのかもしれない。人口の1割ぐらいはそういう人が居る感じがする。そうであれば、実際には5万5千人が実質の人口かもしれない。

 いずれにしても、石垣島自由開拓移民の時代が来ているということなのかもしれない。田んぼや畑が放棄されている地域はまだかなりある。一年中温暖で作物を作ることができる。自給自足で暮らすとすれば、これほど恵まれた場所はないのかもしれない。

 人口推計の様々な予測を見ると、全国の流れと同様に人口は減少に入るとされていた。ところが、人口は減少をせず微増を続けている。4万7500人がピークと予測されていたにもかかわらず、5万人が間近になっている。人口推計機関の予測を裏切っている。

 予測できなかった新しい石垣島への移住の流れが起きていると考えていいのだろう。私もその一人であるが、今起きている移住は石垣の魅力が、新しい住民を惹きつけているということであろう。

 観光客が増大することで、仕事も増えている。職場も増えている。その結果島内消費が増大して、農業も漁業も活性化している。特に石垣牛のブランド化は放牧地の整備につながっているのではないだろうか。

 それでも開拓移民が多かった、北部地区は未だ人口減少傾向にある。ある意味新しい自由開拓移民が起こる可能性もあるのではないだろうか。道路も整備され、インターネット環境も整備されている。義務教育機関も整備されている。医療機関も車でなら、1時間以内である。

 石垣に来た台湾人の開拓移民の方々がいる。初期はずいぶん差別を受け苦労されたということである。しかし、現在ではむしろ尊敬をされている。困難であった名蔵方面の開拓を成功させた功績である。パインや水牛を石垣にもたらし恩恵にをもたらした。その意味の重さを良く理解しているのが、石垣の人達である。

 台湾の人達はマラリアにやられないために、栄養を充分にとったそうだ。体力を付け、マラリアにかかっても軽く済むように頑張ったという。そうして、日本人がなかなかできなかった開拓に成功したのだ。

 石垣島には江戸時代から繰り返された、開拓移民の歴史がある。それを受け入れ、何とか融和した歴史がある。これが石垣島気質を作っている。だから、これからの新規就農者、そうした暖かさで受け入れてくれるはずだ。

 時々新しく来た人らしい姿を見る。そういう畑を見る。自給的開墾をやっているのではないかと思われる人が居るようである。良くは分からないが、そういう可能性がかなりある石垣島なのだ。

 自給自足的農業を行うには可能性がかなり高い場所である。若い頃石垣島を知れば、来ていたかもしれなかったと思う。残念ながら今からもう一度開拓というわけにも行かない。

 もちろん石垣島は南海のパラダイスではない。この本はそのことを教えてくれている。開拓や移民はユートピアを求めるものでもない。暮らしを作るという事の意味を、ドキュメントとして石垣の開拓移民の報告の中で教えてくれている。もしこれから、自給生活を考えている人には是非一度読んで貰いたい本である。

 そんなことを思っていたらどうしてもやりたくなり、お隣にお願いして小さな畑をやらせて貰うことになった。「八重山開拓移民」金城朝夫著を読んだおかげである。この方は本名が友寄英正氏である。

 友寄せさんは私が絵をいつも描かせていただいている、開南に住まわれていたこともあるらしい。いま、自衛隊基地が作られている隣接地である。開拓移民が開いた場所である。琉球放送に関わるジャーナリスであった。

  この開拓で開かれた土地を自衛隊基地にしてしまおうという、間違った道を石垣島が歩んではならないと思う。友寄さんが生きていたら、どれほど力になってくれただろうかと思う。この本を読んで、改めて自衛隊基地を作ってはならない。それが開拓民の魂だと思った。
 
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石垣島名蔵アンパルや流域の自然環境保全と適切な利用

2019-11-07 04:41:57 | 石垣島

 ラムサール条約に指定されている石垣島名蔵アンパルや流域の自然環境保全と適切な利用の推進に向け自然保護団体や行政機関、地域住民などでつくる「名蔵アンパル保全・利活用推進協議会」が25日、設立された。

  環境省の生物多様性保全推進支援事業と石垣市まちづくり支援基金を活用する。現状を調査し、課題を整理した上で保全・利用計画を策定。名蔵アンパルや流域の自然環境保全と利用ルールにのっとった適切な利用を推進したい。ということのようである。



 いつも絵を描かせて貰っている名蔵アンパルの環境保全が是非とも上手くいって貰いたい。名蔵アンパルの自然環境が素晴らしいものであるのは、人間の暮らしと、アンパルの自然環境のほどよい調和しているところにあると思う。

 かつて、隆起珊瑚礁の湿原だった場所に田んぼが切り開かれた。人間の暮らしが作り出した自然の豊かさを見逃してはならないと思う。手つかずの自然に戻すことが自然環境保護だなどと考えては方向が違う。

 生物の多様性はむしろ人間が関わることで、進められる場合もある。同じ農地であっても、一律に考えることはできない。サトウキビは単純な生物相になるだろうし、田んぼであれば、作り方次第で手つかずの自然よりも多様性を持つ可能性はある。



 名蔵アンパルは人間の暮らしが織り込まれることで、自然の豊かさが維持されてきている場所なのだと思う。ラムサール条約では田んぼも対象に加えている。宮城県の蕪栗沼・周辺水田では水田がラムサール条約に登録されている。

 「作られた自然」の何が悪いのか。「自然再生事業」の倫理学ーー吉永明弘 / 環境倫理学と言うものを読んだ。同感である。同感以上のものがある。太古の自然等というものを評価をしない。自然のままであることを一番だとは思わない。


 人間にとって良い自然というものは、人間がつくりだした自然を含んだ調和した環境のことである。その意味で外来生物を忌み嫌うこともおかしな事だと思う。水田のイネも在来植物ではない。人間にとっての自然というものは人間の暮らが作り出すものだと思う。

 どういう植物がそこの環境の豊かさを増すものかを考える必要がある。その観点はあくまで人間の暮らしという視点を失ってはならないと思う。水田農業の自然調和力を大切なものとしてみなくてはならない。



 「自然林が素晴らしい。人工林は良くない。」こういう考えが環境原理主義者には広がっているが、人間の暮らしに良い林が一番良い自然環境である。黒木の単一性は問題であるが、雑木の林は多様性が生まれる。人間の手が入らなければ、里山の自然というものも存在しないものなのだ。

 人工林が自然林と上手く調和した状況が、人間にとって良い自然である。人工林が利用される自然として貴重な場なのだ。それは人間の手が入ることで保たれる自然である。



 里山の自然である。神社林や屋敷林は手つかずの林よりも大切なものだ。人間が踏み入ることの無い場所の自然よりも、里山の自然こそ人間の営みには大切なものなのだとおもう。人間が手入れによって関わることで、生まれる里地里山の自然環境こそ重要なものとしなければならない。

 田んぼであっても畦や水路をコンクリート化するのは、自然環境を破壊する。あぜ道や田んぼの水路が管理によって自然の多様性を生み出す。それは手つかずの自然に、多様性を加えることになるかもしれない。

 日本の自然環境である、里地里山の意味は世界に、自然環境保護の事例として、意義を示していいものだと思う。石垣島の名蔵アンパルは良い調和の可能性があると思う。今はひとつの過程なのだと思う。名蔵湾は赤土の流出が課題であろう。



 赤土を流出させない農業のあり方を模索しなければならないのではないだろうか。今度、アンパル上部にゴルフ場ができるという。ゴルフ場がラムサール条約の観点からも歓迎されるようなゴルフ場を作って貰いたいと思う。それができれば、世界で一番美しいゴルフ場になるだろう事は間違いが無い。

 人間の作為を含み込んで、豊かさを増してゆくのが里地里山の自然である。日本は世界に対して、世界里地里山条約を提唱してゆくといい。今、日本中で急速に失われていって居るのが、里地里山こそ生物多様性を確保できる自然環境である。



 ここぞ残すべき里地里山である場所を指定して、保存する。私が知る限りでも、次々と失われている。私の生まれた場所である、山梨県藤垈もすでに里地里山環境を失いつつある。あの豊かだった山や川はどこに行ったのかと思う。

 幸いなことに、石垣島の名蔵アンパルは独特の自然とそれを取り巻く農地がかろうじて調和をしている。そして手つかずの自然林へと続く。水田ばかりでもない。畑も様々にある。そして続く山には、牧草地が広がる。そしてさらに上部には、自然林がある。

 ここにある条件が重要なのだと思う。今はバランスが崩れ加減にも見える。人間の関わり方の方向性である。人間の暮らしを優先しながらも、どう豊かさを維持できるかの良い事例になるのではないだろうか。


 農地に関していえば、流域全体で一定の環境に負荷をかけない農法が約束されなければならないだろう。できれば有機農業が推奨されるべきだと思う。例えば、名蔵アンパル米として、付加価値を付けるようにする。

 アンパルには山がある。沢水が流れ出ている。しみ出し水で作られている貴重な田んぼもある。その水が海岸付近では湿地を形成する。この形であれば、赤土の流失は避けることができる。今後より良い方向が打ち出されることを切に願っている。

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石垣島の城(グスク) 大浜フルストバル城趾

2019-11-06 03:58:48 | 石垣島


 首里城が燃えてしまった。喪失感がある。私の沖縄というものの象徴であった首里城。それで石垣にあるグスクに行ってみようと思った。悲しい気持の中にいる。悲しい気持を収めるつもりで、大浜にある、石垣フルストバルグスクに行ってきた。オケヤアカハチの居城と言い伝えられているグスクである。

 これは石垣に残る観光資源の最高のものだ。なぜ復元が途中で終わっているのだろうか。ああ、もったいない。これが完成すれば、間違いなく石垣で1,2を争う観光名所になるであろう。

 オヤケアカハチは首里王朝と戦った、八重山の英雄である。生まれたのは波照間島と分かっている。その後、石垣島大浜に拠点を移し、石垣島を統括する王になる。首里王朝にたいして戦いを挑み、敗れる。於茂登岳の麓の泥田に隠れて、殺されたとされる。小浜島に逃げたと言う異聞もある。小浜島にはオヤケアカハチの森という場所がある。


 現在フルストバル遺跡は城壁を再建中である。国の遺跡指定はされ、国有地になっているのだが、いまだ石垣島まではグスクの整備の手が伸びていないようだ。石垣市としてはこの付近を石垣の歴史地区にする計画はあるようだ。博物館の移転なども計画の中にはあったらしい。あったというのは、計画はずいぶん前の話で、そのままに成り立ち消えたかのようである。

 フルストバルでは発掘調査により、武器類が出ない。そのためにここは集落跡であり、城趾ではないのではないかという、研究報告もある。この推理は城というものが軍事拠点という先入観念にとらわれている判断だろう。間違いなく城趾である。


 理由は沖縄のグスクはそもそも軍事拠点ではないのだ。フルストバルはいかにも地形的にグスクが作られる場所だ。沖縄本島や宮古などのグスク跡をほとんど歩いてみたが、こうした海の湾が見える、高台の場所にグスクが位置する。又御嶽を見える場所に作られ、その方向に向かう炉も切られている。

 沖縄の城というものは軍事的な要塞というよりも、平和外交の接待所的な役割が大きい。それは首里城も同様である。国としての文化的高さを示すという要素の方が大きい。戦わずして治めるための平和のグスクである。グスクは礼樂が奏でられた場所である。それは首里も、石垣も同じであろう。
 

 フルストバルグスクは必ず復元する必要がある。復元をすることで、石垣島の心のよりどころが生まれるはずである。平和の島、アジアの交流拠点にも、平和の象徴が必要である。これだけの文化遺産をこのままにしておくことはあまりにも惜しい。

 それは首里城が燃えてしまった事で痛感したことである。この場所に博物館を作る。そして、舞台を作る。八重山舞踊を演ずる。八重山の礼樂を示す場所にする。建物は堅牢であれば、簡素なもので充分だろう。


 宮良湾が見える。宮良川のマングローブ林も見える。景観も素晴らしい。周辺の樹木はできる限り伐採しなければならない。グスクを取り囲む城壁が海の方からも見えるようにする必要がある。広い空間をとり出す必要がある。グスクでは空間のパフォーマンスが重要だ。

 照明だけは充実させる必要がある。夜にはライトアップする。素晴らしいことになるに違いない。そして、時にはここでお祭りが行われる。そして礼樂を楽しむ。必ずや世界から注目される場所になるだろう。オケヤアカハチの歌劇を演ずることができれば素晴らしいだろう。


 この石垣の石は戦時中陸軍によって運び去られたそうだ。飛行場の爆撃で開いた穴を埋めるために使われたのだそうだ。多分樹木に覆われて何も見えなくなった時代もあるのだろう。だから、石垣の人の中にも記憶されていない場所なのかもしれない。

 世界から石垣島を訪ねてくれる人が増えている。それは海の美しさだけではない。石垣に流れている平和の空気である。こうした空気を演出することは極めて難しいことである。石垣島という地勢に負うところが大きいのだろう。その安寧の空気を形としてみせるのが、この石垣である。空間のパフォーマンスなのだと思う。



 現在広い空間が石垣の前に作られて芝が張られている。なぜかそこに樹木が植えられている。あとから植えられたものに見える。これは取り除く必要がある。もし植えるとしてもどうしても必要な数本で良い。

 海側の樹木はすべて切り払う必要がある。石垣の向こう側にある樹木はすべていらない。石垣が崩れないようにするための崖の補強工事は必要であろう。そして、崖の下から上る道は必要である。できれば昔の道を見つけて再現するのが良いだろう。


 金沢城跡もそうであった。大学であったころと今では上る道が異なる。自動車道を止めて歩いて上ることで、お城の迂回してのぼる道で、見えてくる空間がある。グスクにたどり着くまでの道は重要な意味を持つはずである。

 そして登り切った城趾には何もない広い空間が必要である。広場は必ずあったはずだ。それでも門というものは欲しい。どこにあったのだろうか。それにふさわしい場所に門だけは再現して貰いたいものだ。

 これは首里城が燃えてしまい、改めて感じたことである。私の石垣島の夢である。石垣島に象徴となる、フルストバルグスクを作ろうではないか。

 

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トランプは世界を変えている。

2019-11-05 04:30:22 | Peace Cafe


 トランプアメリカ大統領は歴史に名を残すほど、世界にとってひどい大統領である。世界で一番経済力のある国が、一のことは考える必要が無いと宣言しているのだ。上手く付き合えるのはアベ氏ぐらいである。アベ氏はトランプの利己主義を良く理解して対応している。

 始末に負えないのは、ヒットラーと同じく選挙で選ばれた人気者なのだ。世界の悪い風潮に載っているのだろう。問題はなぜ、アメリカでは強い人気を博して居るのかの理由である。

  日経新聞による分析では、支持される理由は以下のようなものだ。
▼政府は不法移民に寛容すぎた。トランプ大統領は批判を恐れず、取り締まりを強めてくれる。
▼オバマ時代にまん延した過剰な「弱者救済策」を断ってくれる。オバマケアの廃止や手厚い生活保護の是正が、その一例だ。
▼中国などからの不公正な輸出攻勢に高関税をかけ、真剣に歯止めをかけようとしている。

 こうした政策を一番支持しているのが、白人低所得者層だという。アメリカでは1%の富裕層がアメリカの富の20%を閉めているそうだ。極端な格差社会である。

 1%の富裕層は当然トランプ支持である。自分たちの利益を代表する大統領である。理解しにくいのが、低所得者の白人層の根強い支持がある点である。弱者がより弱者を叩く構図である。

 自分たちが働いても低所得であることは、能力主義である以上仕方が無く受け入れる。しかし、働かないで救済されている人達が同じような暮らしをしているのは認める訳にはいかない。より下層の弱者を叩くことで、働いても富裕層には慣れない人達の不満を巧みに、トランプは吸い上げる。

 アメリカの働いても富裕層には慣れない人達にしてみると、アメリカが裕福になる事が、直接的に自分たちの生活向上になるという意識が強い。アメリカがさらに経済成長することを妨げている、中国を叩くと言う考えになる。中国が不公正な国家資本主義であると決めつけている。ではアメリカは公正なアメリカ一国主義なのであろうか。
 
 自分が良くなるためには、対抗するものを潰さなければならないというトランプの考え方。問題があるとすれば、自分にでは無く、相手側にあると決めつける姿勢。中国であり、移民であり、ケアーを受けている弱者に問題があると考える。

 アメリカの製品や産物が売れないとすれば、競争相手が不正な競争をしていることが原因と考える。公正な競争であれば、アメリカがすべての面で勝利するという前提がある。

 公正な競争とはアメリカの考える公正である。アメリカと付き合おうというのであれば、アメリカの考える公正に従うことが当然だとしている。それが嫌なものはアメリカと関係するなということである。

 確かにアメリカは超大国である。アメリカの考える公正に従うことで恩恵を得ようという日本のような国がある。一方でアメリカの考える公正に対して、自分なりの公正で対抗しようとするのが中国である。
 
 中国もアメリカも勝利者になるための主張である。両者とも勝てると考えている。そもそも競争にも加われない、小さな国や資源の無い国の事などどうでもいいことなのだ。勝利できないものは能力が不足しているのだから、仕方が無いということになる。

 こうした、利己的な二つの大国の出現が世界を変え始めている。

 アメリカは中距離ミサイルの禁止条約を離脱して、早速ミサイル実験をしている。当然沖縄の基地にはミサイルが配備されるだろう。核弾頭すら持ち込むのかもしれない。すでに、中国もロシアもそれに対抗する軍事競争が始まっている。

 確かに禁止条約に加盟しながら、隠れて中距離弾道ミサイル開発を進めていたのであろう。宇宙開発だって、実態は大陸弾道弾の開発のようなものだ。それは、ロシアだけで無くアメリカだって同じだ。ロシアが悪いから、アメリカも悪くならなければならないと言う理屈が支持されている。

 アメリカはやっと加盟した温暖化阻止のパリ協定も抜けた。アメリカが一番責任があるのが温暖化だ。そのアメリカが負担が不平等だとパリ協定の離脱である。トランプはCO2による気候変動を認めていない。自分の都合の悪い科学的な予測は受け入れないでいた方が、特だということなのだろう。

 トランプはアメリカ一国主義を主張している。だから、20年にわたって連帯してきたクルド人勢力の支援を突然打ち切った。クルド人を助けても得
がないということだろう。日本に対しても同じ事だ。直接的な利益が無くなれば、日本との同盟も打ち切ると考えて間違いが無い。

 小さなお店だが、良心的で品質の良いお店が営業を続けているということがある。巨大な郊外マーケットができても、インターネット通販ができても確実に営業を継続するお店がある。人間や製品に対する信頼があるのだろう。

 日本もそういうしっかりと経営を続ける小さなお店になればいいのではないだろうか。そして、小さなお店同士ご連携をとる。EUはひとつの見本である。イギリスが今回抜けるのは極めて残念なことだが、アジアの小さな国同士がEUの東アジア型を模索することではないだろうか。

 そう考えると韓国と一日も早い仲直りである。日本は東アジアの各国に多大な迷惑をおかけした。その反省に基づき、日本の利害を優先せず、緩やかな連帯を模索することではないだろうか。

 

 

 


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安倍首相は任命責任を痛感して、何をするのだろうか。

2019-11-05 04:19:42 | Peace Cafe
石垣で一番美しいブーゲンビリア 最初は真っ白で始まり、徐々に薄い赤が差してくる。

 安倍首相は大臣の辞任が相次ぎ、その任命責任は自分にあり、責任を痛感しているととしている。それは当たりまの発言である。これで、様々なことで責任をとっての辞任が、9名居るそうだ。その姿を潔いよく清い態度だと、絶賛する国会議員もいる。おべっかが過ぎるだろう。それは責任が行動に表れた時潔いということになる。

 アベ氏の任命責任を痛感するの発言は、国会に記録が残るだけで33回あるそうだ。他では49回というのもあった。よくも数えたものだが、長く総理大臣をしているので、9名も任命に値しないための辞任である。それでは、任命を間違えた責任をアベ氏はどのようにとったのかとつい考えてしまう。

 ふつう9回も間違った任命をすれば、総理大臣をやめるものだろう。しかし、責任を取った行動が何か表れたことがあるかといえば、何もない。薄っぺらな言葉が躍るだけである。

 国民の一人として、どう行動するのか期待してきた。総理大臣は責任を痛感して、頭を剃るとか、せめて頭を下げるとか、申し訳ありませんでしたとか、私もやめさせてもらいますとか。何かありそうだが、頭を下げたこと一つないのである。

 何でだろうかと思っていたら、実はアベ氏は国会で、間違った任命をした責任の取り方を何度も、答えているのだそうだ。安倍首相の“任命責任の取り方”は「国民の負託にこたえ、政治を力ずよく、しっかりと前に進めること」となるのだそうだ。任命を間違えた責任のために、憲法改定を力ずよく進めるということになるらしい。

 よくある話だが、責任を感じてなお一層業務に励みます、というやつだ。これはふつう単純な言い逃れというべきだろう。先日の関西電力の賄賂事件での社長と会長の言い草とまるで同じである。3億2千万円も懐に入れておいて、業務に邁進されても困る。

 総理大臣の本来の責任の取り方はどういうものだろうか。やはり退任するしかない。萩生田文科大臣は大学共通試験の英語外注問題で、受験生に迷惑をかけた。これは確かなことだろう。自らの「身の丈」発言で、今まで文科省が積み上げた、英語試験を外注する計画を一日にしておじゃんにしたのだ。

 ふつうならば、省内からこんなとんでもない発言をする大臣はいらないということになるのではないか。少なくとも、省内には何年もかけてこの計画を進めてきた人間がいるのだ。英語を重視して、小学校にまで正課として英語を取り入れたのが、文科省の方針だ。

 もちろん大反対ではあるが、英語教育が日本の教育では重視される流れがある。特に英語の読み書きではなく、話す力がなければだめだという考えのようだ。実はこの外国語を話すということは、脳の働きからみるとなかなか奥の深い部分のからみがあると想像している。

 脳の動きに大きな影響がある。子供のころから自然に身についた、言葉とは別に、新たな言葉を身に着けようというのだ。これは脳の特殊な能力なのだと思う。私の頭はこれを受け入れることができなかった。受験英語の読み書きは、何とかなったのだが、会話となるとまるでダメだった。

 ナンシー大学の外国人講座のクラス分け試験を受けたらば、ほとんど理解ができないフランス語であるにもかかわらず、真ん中のクラスになってしまった。当然下のクラスでなければならないのだが、読み書きの方で、そうなってしまう。それでカンニングをしたのだろうといわれて、下のクラスに落とされた。カンニングしてどうなる。筆記試験ならそれなりなのである。

 その後もまるでできないので、これはダメだと先生から教えようがない言われてしまった。フランス語講座で教えていたフランス人の先生が、優秀な六鹿さんという人の友人だったので、私の希望のないひどい状況を教えてくれたのだ。

 発達障害には算数障害とか、漢字障害というものがあるらしい。たぶん外国語障害というのもあるはずである。私はそう言いたいくらい外国語となると、頭がグルグルしてしまったのだ。

 英語が会話できないとだめだという義務教育はおかしいと思う。英語が話せなければ企業で役に立たないというのはわかる。義務教育というのは企業で働くためのものではない。日本人として生活するための基礎知識を学ぶ場である。文部省はこの点で完全に取り違えている。

 小学校では英語などやめて、稲作を正課にしろというのが持論である。5年生になったら、一クラスが自分たちの田んぼをやるのだ。種まきから、収穫まで行う。この方が日本人には必要な教育である。そういう1年間のカリキュラムを作らせてもらえないだろうか。教科書は「小さな田んぼのイネづくり」である。

 話があちこちに行ってしまったが、アベ氏の口が薄ぺらだということだ。まともな人間は責任を取る気などないのであれば、責任を痛感するなど言わないものだ。言えないものだ。ところが、身の丈が高かった安倍氏はこんな薄ぺらで生きてきてしまったのだ。

 おそらく、アベ氏はさきがけであるのだろう。せめて最後であってもらいたいとおもうが、こんな口だけの総理大臣の先駆けのきがして怖い。萩生田文科大臣は衆議院議長の交代を発言したことがある。そもそも議会制民主主義を、尊重しない人間なのである。アベ氏の減らず口を支えている人の「身の丈」発言である。これは本質の問題なのだ。
 
 いよいよ、本丸の憲法9条問題が浮上するだろう。憲法を議論するのも、9条を議論するのも必要なことだ。しかし、憲法を改定する以上、憲法の拡大解釈は今後行われないという状況が必要である。

 簡単に内閣法制局の局長判断で憲法が揺らぐようでは、おかしなことになる。憲法裁判所を作ることが、憲法を議論する大前提である。それが無いのであれば、憲法9条があるにもかかわらず、実質軍隊が存在する拡大解釈になる。

 憲法を改定して、あるいは加憲をして、さらに曖昧にするという手段がある。時の内閣の都合で、いくらでも拡大解釈できるようにしてしまうと言うことになりかねない。

 憲法9条は軍隊をどうするかの問題である。国の安全保障の問題である。まだ日本国が試みたことのない、国際問題を武力を使わないで解決する道を具体的に、議論して貰いたいと思う。そして、武力行為の前に、どういう平和的手段を講ずるかを、内閣や政治の義務として、明記して貰いたい。

 アベ氏は任命責任を痛感して、憲法改定に邁進しかねない。それを国民の負託に応える道だと、口にしている。止めなければならない。憲法裁判所を条件にしなければ、議論しても無駄だ。

 文化の日に、つまり憲法が発布された日に、国民として改めて憲法を大切にしたいと考えた。



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石垣島祭り ビギンの栄昇ニィニィが出演

2019-11-04 04:04:05 | 石垣島


 盛岡の三叉踊りである。東北の祭りを南の石垣島で見た。三叉踊りの練り上げられた姿に東北にすぐつながることができた。盛岡は兄が住んでいる街なので、突然思い出してしまった。思えば遠くに来たもんだ。という感じなのだろう。

 東京中心の日本というものではない、日本。それは競争では無い。深め、練り上げる文化が庶民に根付いている。東北の祭りは確かに良いものだ。農民の匂いがする。



 そして、岩手北上市から、北上翔南高校の鬼剣舞が演じられた。実に見事である。ここにも高校生が打ち込む姿があった。こういう若い姿には感動してしまう。こうした若い人の未来が明るいものであることを祈ってしまった。

 三叉踊りといい、鬼剣舞といい。踊りが洗練されている。突き詰められている。ここまでパフォーマンスする人間の姿には打たれる。人間が生きている。そういうはつらつとしたものが、跳ね上がっている。気持が一緒になることができた。若い人達の本気の姿に刺激を受けた。

 石垣の中の人が新栄公園に集まったような群衆の中で、突然沸き上がるように涙が出てしまった。若い人達のひたすらな姿に感動してしまった。こうしたひたすらな人間の姿が生かされるような社会になって貰いたいと思った。

 そして、初めて見るパナである。安室奈美恵やMAXのカッコイイ系の沖縄文化である。パナは石垣バイブレーションで、石垣島では大盛り上がりのアーチストなのだ。連日、石垣サンサンラジオでながれている。

 16歳で島を離れて20年ぶりに戻って爆発した。石垣限定ミュージシャンということで、「 DANCE〜石垣バイブレーション〜 with きいやま商店」 はまってしまう心地よい曲である。今年はこれを聴きながらと言う夏だった。

 パナさんも大ブレークして島に戻り、感激ひとしおだろう。足が震えると言われていた。ふるさとで歌うと言うことは又別物だと思う。安室さんなどに憧れて、この新栄公園で一人で踊っていた時代があったらしい。 「おーりとーり すとーりー 」 もいい感じの曲だ。

 今度はパナさんに憧れて、石垣島から次のダンスミュージシャンが出現するだろう。パナさんの出身校である新川小学校の子供たちが一緒に踊った。八重山高校のダンス部も一緒に踊った。パナさんの頃にはまだダンス部はなかったというが、今では八重校ダンス部は県大会を勝ち抜いて、全国大会に出るレベルである。

 ホルキーズと言う若い四人組のバンドの音楽性の高さにびっくり。まだ荒削りで方向がいろいろなのだが、独特の明るい世界を持っていて、良いバンドだった。ドラムでボーカルもやっている比嘉さんは、八重校の野球部出身。なんとなく栄昇さんに似ていると思って、調べてみるとなんと息子さんだった。スゴク期待できる。


 やなわらばーが二人で演ずる、最初で最後の石垣の舞台だそうだ。来年解散ということだ。小田原のダイナシティーで聞いたことがあった。小田原ではかなりの人気だったのでびっくりした。石垣島出身のミュージシャンは多いのだ。

 二人の調子がずれていた。高音で唄う人の声が、スピーカーにぶつかって割れてしまっていた。頑張りすぎてのどに問題が出ているのかもしれない。スピーカーが割るのかもしれない。CDで聞くと何気ない良い曲なのにと少し残念だった。


 そして最後がビギンの栄昇にぃーにぃーと石垣ミュージシャンである。この頃から小雨になり、雨の中なので立ち上がるしかなかった。立ち上がれば踊るしかない。1時間半歌い続け踊り続けた。

 石垣の歌に酔いしれた。ビギンの比嘉栄昇さんはすごい音楽家だ。良い歌を沢山作っているという以上に、人間が魅力的だ。全く普通の人である。音楽が特別のものではなく、生活から生まれている。

 作り出すということは、大変な苦しみもあるはずだ。しかし、そういうことは少しも感じさせない。栄昇にぃーにぃーとみんなに慕われる姿は自然体である。そして、歌い出すと一気に会場を自分の音楽世界に巻き込んでゆく。

 ここにある音楽は暮らしの音楽である。日々のごく普通の人間の気持が歌われている。だから、みんなが一辺につながることができる。音楽の持つ、共同体の結束力のようなものが生まれる。

 最後に金城弘美さんのでんさー節で終わった。しみじみと八重山民謡が伝わってきた。様々な唄を聴いたのだが、八重山民謡というものの音楽性が、格別であると言うのは石垣で聞かないと伝わらないものかもしれない。八重山民謡は生の声でしか伝わらないところがある。

 群衆と熱気と汗のにおいと、興奮した空気。その中で金城さんが静かに唄ったものに、八重山の共感のような何かが広がった。人間同士の魂が通ずるということなのだと思う。唄というものの力を感じた。

  祭りの参加に観光できている人は手を上げてくださいという呼びかけがあった。全体の半分くらいの人が手を上げた、と言っても前の方のことで、全体は分からない。これは、「石垣島星まつり」でも半分ぐらいは島外の人だった。石垣島が交流拠点になっていることを湿しているのではないだろうか。

 これからはアジアの交流拠点という意味で、台湾からも来て貰うのも楽しくなるのではないだろうか。

 

 
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消費税10%が施行されて

2019-11-03 04:18:41 | 暮らし


 消費税が10%になった。公明党が主張して行われた軽減税率である。食品の一部の軽減税率が最悪の形で行われている。訳が分からないことになった。このまま納税になるのだろう。消費税申告業務が複雑なことにならないか心配なところである。

 これがコウモリ党のハタ迷惑である。偽与党は全体を見ることができないで、自分の立場的手柄を上げようとする。軽減税率を自分の手柄にしたつもりが、混乱だけを招いた。自民党も良いとは思うはずも無かったが、公明党に憲法改定を期待しているので、嫌とも言えなかったのだろう。これがアベ政治のどうしようも無い結果である。

 今度は教育の無償化を主張しているが、これもひどい結果になるはずだ。世の中の仕組み全体が変わるのであれば、教育無償化もいい。しかし、すべてが受益者負担の中で、教育だけ無償になればおかしな事が起こる。このことは次の機会に詳しく考えたい。

 消費税は賛成である。自給自足を目指す者には最高の税制度である。消費をしないように政府が推進してくれている。消費を抑える良い考え方である。節約は大切である。と言うので無いことぐらいは分かっている。

 私はスイカで細かい買い物はする。「すいか」はしま模様の丸い果物では無い。SUICAと言う交通系カードということになっている。小銭を財布に溜めたくないからである。いつの間にか一円玉で財布があふれるからだ。一円玉でお金を払うのが、時間がかかりためらうことも多い。買い物の払いで、まごついていると後ろでいらつくのが分かる。

 SUICAと言う交通系カードがとても便利である。Suicaで買い物をすると、いくらか安い。朝カフェラテ2杯をボトルに買うのだが、本来であれば300円であった。今は294円である。なぜそうなのかが分からないのだが、いくらか安いと思われる。これがカード払い推進ということなのだろうか。

 すぐには気づかなかったが、最近になって分かった。つまり消費税が10%になっての便乗値下げになったのだ。ペイペイとかいうカードで払うとどうのこうのということと関係がありそうだ。キャシュレスを政府が奨励しているということなのだろう。

 これも良いことではない。カードには分割払いとか、いくらまではお金がなくても、カード会社が貸すとか、こういうことになっている。カードを推進するのはないお金まで借りて使うことを奨励するためである。だから、カード会社はサービスを宣伝して結局はローン会社をやっているのだ。

 Suica払いにする理由はもう一つある。JALカードのポイントがたまるのだ。これも本当のところたまっているのかどうか確認もしたことが無いのだが、昔そういう宣伝でJALカードに入ったのだ。これで駅でSuicaにお金を補充するときに、viewカード払いにしているのだ。

 そうすると、Suica分のお金にポイントがつくとあったのだ。本当かどうかは分からないのだが、風呂屋の回数券までSuicaで払うことにしている。このポイントというのが怪しいものだが、有利となると面倒でもやってしまう性癖がある。

 Suicaのお金が確か2万円が上限である。これは実に面倒くさい。しかも石垣には駅がない。ということはviewカードでSuicaにお金を加える機械が無い。そこで、小田原に行ったときに、ギリギリまで増やして帰っている。何か馬鹿げているが、その方が得だと思うとついついそうしている。2万円を4万円ぐらいにしてもらえないものだろうか。

  消費税増税をやるなら、食品軽減税率には一つだけ方法があった。お米を無税にするのだ。そうするとお米の減税分がほぼ軽減税率分にあたる。これならわかりやすい。公明党より賢いやり方だ。

 なぜこうしなかったのかと言う理由も分かる。選挙対策の悪平等である。あっちにもこっちにもいい顔をしようというのが、軽減税率の目的だったのだろう。消費者が助かればそれでいいとすれば、お米に集中すれば良かったのだ。お米の重要度は他の食品とは違う。主食を最重要視するのは普通のことだ。

 田んぼが維持されることは、水害対策でもあるのだ。今回の大雨の時でも8月中であれば、かなり状況が違ったはずだ。すでに田んぼの水を抜いている時期だったから、上流部の保水能力が落ちていたはずである。田んぼにはダムの効果があるのだ。

 消費税の食品軽減の趣旨にくわえて、水害対策にまでなる。公明党も選挙のことだけ考えていないで、日本のことも少しは考えてもらいたいものだ。今回の消費税騒動、あえて騒動とかくが、今の政治の悪い面が如実に現われている。
 
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辞任は萩生田光一・文部科学大臣である。

2019-11-02 04:36:23 | Peace Cafe


 萩生田氏はみごとに「身の丈」発言で、今回の入試改革が改悪であることを示した。そんな一言というものがあるものだ。民間会社に大学の入学試験を任せると、どんなことになるかを「身の丈」の一言で表現した。さすの政治家である。

 そのおかげで、英語の共通テスト民間委託は延期になった。延期と言うが、もう無くなったということだろう。文部大臣を辞めて責任をとる方がいいのではないだろうか。受験生にしてみれば、11月になっての入学試験の変更である。大迷惑の責任で文部大臣が引責辞任ということではないか。

 その昔の、貧乏人は麦を食え。発言した大臣も居たが、その人は総理大臣になった池田勇人氏である。今ではその意味はよく分からないだろう。麦の方が、お米よりも高い。何故高いものを貧乏が食べた方がいいのかということになる。朝食はお米よりパンという家庭も多いのではないだろうか。

 民間試験に大学が試験を任せるというのは、どういうことなのだろうか。民間会社の方が良い試験をしていると言うことらしい。特に会話力のことらしい。大学には会話の試験をする能力が無いということなのだろうか。今の高校は会話の授業があると言うことなのか。

 大学が入学試験をやる能力が無いのかもしれない。最近は大学とは名ばかりの、就職予備校のような所や、外国人の学生身分証交付所まがいもあるようだ。あるいは大学が学問研究のためのものであり、試験は負担ということなのだろうか。教育という本分はどこにあるのだろうか。

 正直、なぜ民間委託の方がいいのかは分からなかった。それが一言「身の丈」発言で大体理解できた。そういうことだったのだ。試験を経済合理性の仕組みに組み入れようとしたのだ。試験を経済行為にすると同時に、大学というものを象牙の塔から引きだす。

 試験も確かに商売である。試験でもうけを出している学校は多い。何度も入試をやる学校もある。入学金を早く取ってしまい、よその学校に行ってくれれば丸儲けと言うシステムもあった。今でもそうなのだろうか。滑り止めという奴である。自分のお金で大学は行くつもりだったから、入学金のある大学は無理だった。

 身の丈に応じて大学に行くしかなかったわけだ。いつの時代もそうなのだろう。なぜ、良い発言したのに、謝罪して、撤回してしまったのか。これが法律違反の発言だったからだ。本音でいえば、身の丈だが、それを言ってはおしまいよ。教育基本法にある、教育の機会均等という建前に反する事に、文部大臣に就任した後から気づいたのだ。
                    
第3条 (教育の機会均等) すべて国民は、ひとしく、その能力に応ずる教育を受ける機会を与えられなければならないものであって、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育上差別されない。
 国及び地方公共団体は、能力があるにもかかわらず、経済的理由によって修学困難な者に対して、奨学の方法を講じなければならない。

 大学の試験を民間に委託した場合、教育基本法に反する可能性が出てくると言うことにつながってきたのだ。それで慌てて撤回した。しかし、よく考えれば教育の機会均等などどこにあるのか。教育は受益者負担ということで、国立大学の授業料が50年前の何十倍にもなっているのはおかしいことだろう。

 70年代の大学闘争が分岐点だった。授業料値上げ反対で金沢大学でもストライキが打たれた。結局反対は通らず、授業料は当時言われたとおりの、何十倍になっている。これは良かったこととは到底思えない。法律違反が進んだのだ。

 お金のないものは大学に行けないということになる。今の時代自分のお金で大学に行けるものはどのくらい居るだろうか。私の頃の金沢大学には自分で稼ぎながら大学に通うものが、いくらでもいた。

 日本は豊かな時代に進んでいるのではなく、貧しい国になっているようだ。そうではないか、格差の大きな国になっている。お金のないものは「身の丈に応じて」教育を受けることが不可能になる。

 大学教育は身の丈に応じて行なわれて居るというのが現実である。もちろんそのことは悪いだけではない。努力をすれば、切り抜けることができる範囲であればである。苦学生という言葉があった。経済的に苦労しながら学校に通う学生のことだ。

 今は苦学すらできない時代だ。ここが問題なのだ。子供の貧困ということが言われる。貧困なんてどこにあるのかと言われるぐらい社会に埋もれている。気づかない人には見えにくい貧困がある。豊かに見える時代だからこその貧困。

 それが身の丈という、嫌な言葉に表現された。貧乏人は大学に行くなとはいわない。身の丈を自ら知れということだ。身の丈を知れば、大学に行こうなどと高望みをするはずがないということだ。こういう封建的な言葉を持ち出すところに、アベ政権のもつ本質が現われているのだ。

 もし、アベ政権がそんなことは考えても居ないというのであれば、萩生田氏は即刻辞任であろう。しかし、辞任させないであろう。それはアベ政権の閣僚誰一人として、本音では同じであるからだ。アベ氏など、そもそも身の丈など関係ないのだから、ちんぷんかんぷんな話であろう。

 アベ氏が過去の総理大臣と比べても数段程度が悪いのは、この点なのだ。この点ではアベ氏には無理がある。苦学をした友人などいないであろう。身の丈が極めて高ければ、総理大臣になれるという事例だ。
 
 教育は人間が人間になるためのものだ。経済のためだけにあるのではない。学問が尊いものであるのは身の丈など超越しているからだ。今年も日本人がノーベル賞を受賞した。日本人として誇りである。

 今の日本の大学はノーベル賞学者を生み出すようなものになっているのだろうか。学問にも経済効果が持ち込まれて、基礎学問がおろそかになっていないだろうか。入学試験を英語の会話を重視して民間委託する。どうもこの背景にある考え方がおかしくなっているような気がしてならない。

 英会話など、同時通訳機が遠からず、解決してくれる。あらゆる言語の壁が越えられる時代は、そこまで来ている。今更教育で英会話を重視するということが間違っているのだ。

 

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