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首里城焼失

2019-11-01 04:05:41 | 石垣島
 

 首里城が燃えてしまった。呆然としてしまい、血の気が引いた。何たる事かと思う。何かの間違えではないかとおもいたい。沖縄のグスクは好きだ。明るくて沖縄の文化というものを象徴している。

 なぜ、初期消火ができなかったのか。スプリンクラーがなかったという。まさかのことである。あれだけ大切なものが展示されている場所に、スプリンクラーがないなどということがあるのだろうか。人が集まる場所はスプリンクラーの設置は普通のことではないか。

 こんなに大切なものが、一日にして消えてしまう。このむなしい、悲しい気持はやり場がない。すべてはそういうことなのだ。人間の生きると言うことは失う悲しさに満ちている。同じ悲しみを最近ではウズラという猫が死んだときにあった事を思い出した。

 すべてはむなしいものである。むなしいからこそ大切ということでもある。形あるものは失われる。命は必ず終わりが来る。そういうことを首里城の焼失は突きつけた。どこにつながりがあるのか分からないが、おまえが石垣に越してきたことは、なぜだと言われたような気がした。それもあって血の気が引いた。

 石垣に住んでいるのは、どこか間違っているんだぞと、甘え過ぎでないかと。そんな後ろめたい深層心理が突然、表面に浮かび上がったようだ。何の不安もない楽しい日々ということがある。根無し草で、身を寄せさせていただいている気分もあるかもしれない。

 失われてみて初めて分かるということがある。災害が相次いでいる。昨日まで確固たる、自分を支えてくれていたものがあっけなく失われる。首里城は私の沖縄の形だったのだと思う。初めての沖縄旅行の時に首里城に行った。その印象が余りに深いもので、その後、沖縄のグスク巡りをした。どこのグスク遺跡も実にのどかであった。

 この日本の城塞とはまるで違う曲線に満ちた形に、沖縄の空間意識を感じた。パフォーマンス作品に紛れ込んだ感覚である。今帰仁グスクの何もない空間に神聖を感じた。どのグスクにも、御嶽と言ってもいいのだろうか、遙拝する場がある。信仰と文化とグスクが一つながりになっている。

 城塞であると同時に、国家の祈りの場でもある沖縄の文化。首里城では翌日沖縄舞踊の公開が準備されていたという。首里王朝の統治の姿は、文化によってである。武力の小さな国にとって、よりどころは文化であった。それは奈良時代の天皇家を中心とした日本国の成立も同様である。

 礼樂を重んずる文化国家。沖縄の今に至る音楽文化は琉球王朝に始まる。三線が武士のたしなみであって、一般庶民には禁じられていた時代すらある。素晴らしい音曲によって、海外との交流を行う。高度な文化を示すことで、民族の存在意義を示す。

 沖縄の美しい舞踊の衣装もそうである。沖縄の染色技術は中国本土でも高く評価されていたという。古酒クース文化も同じである。外交にクースを使う。またとない美味しいお酒でもてなすことで、類い希な国であることが示される。

 琉球王朝の存在は文化に支えられていた。その中でも象徴的ものが、首里城そのものである。首里城は5回も消失しているという。すでに、再建の声は上がっている。もう一度作るほか無いだろう。

 文化によって国が治められるという意味を、武力によらない平和国家の意味を、首里城の再建をもって示す必要がある。なぜ琉球王朝で礼樂が重んぜられたかである。初めて訪れた首里城でみた、沖縄舞踊の美しさに魅了された気持のなかに、礼樂の大切さが消えない。

 文化の国琉球王国が明治日本帝国の野蛮な軍事力によって、併合された。明治日本帝国は、日本語まで捨てようとした愚かな文化否定国家である。廃仏毀釈に、脱亜入欧である。軍事力以外信じられなかった弱い心の国である。

 今こそ日本は沖縄に学ばなければならない。国が尊重されるのは文化によってである。北風と太陽である。アメリカを見てみれば分かる。軍事力が強いから無視はされない。経済的圧迫があるから無視はできない。しかし、アメリカの絵画から、学ぶものは私にはない。文化の乏しい国と思わざる得ない。武力が無ければ、立ちゆかない国なのだ。

 首里城が燃えてしまい、改めて感じている。私が住みたかった沖縄は礼樂に満ちた沖縄である。トゥーラバーマ優勝者が尊敬される石垣島である。御嶽が大切にされる石垣島である。文化で世界と交流しようという石垣島である。

 私には首里城はその象徴であった。どうも石垣の人にはもう一つそうではないものがあるようだとは、今回感じているところだ。首里城という存在は琉球王朝の文化の形象である。石垣島にもグスクの遺跡はある。石垣島のグスクを再建し、博物館を作る。石垣文化の中心にしたらどうだろうか。

 ここで書くことでも無いのだが、日本の城は好きではない。あれは単純に権力の象徴である。武力だけだからだ。小田原城でも槍や刀のような武具が展示されている。刃物を見るとぞっとする。武器が封建主義を思い起こさせる。過去の遺物を残すのであれば、小田原であれば、農業遺構であるだろう。

 平和の象徴としての首里城を見事に再建することが、今やれることだろう。辺野古米軍基地建設費用を回せばすぐにでも再建できるだろう。災い転じて福となす。

 思い出したので付け加える。叔父の笹村草家人は首里城ができる前に、そこにあった、沖縄大学で彫刻を教えるために、東京芸大から派遣されていた。2年くらいかと思う。それで、戻ると沖縄のこと、首里城のことをいつも話してくれた。

 そのことがあったので、いつも首里城をいろいろに思い描いていた。沖縄に来たら最初に首里城に行こうと思ったのだ。城跡にある大学という話が、同じ金沢城跡似合った金沢大学を選ぶことになったのだと思う。そうもう一度作ればいい。

 
コメント
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