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絵の進め方メモ

2018-01-02 04:43:28 | 水彩画

年賀状6

昨日は絵のことを書かなかったが、今年は絵が進むのではないかという期待がある。自分の絵に近づきそうな希望がある。昨年後半に入り、アトリエでの制作と、出かけての写生との違いを意識して絵を考えていた。そんな当たり前のことをなぜ、今までしていなかったのか。絵というもののことをよくわかっていなかったからである。絵を描くという事が日常の習慣になっていたという事なのだろう。分からないままただ絵を描く、絵を描くでいた。絵を描くという事をどう考えていいのか自体が捉えることができなかった。今になってなのだが、絵の何たるかが少しわかってきた気がする。この分かったは、頭で絵を理解したというようなことでもない。どんな絵が自分の生きるに必要なのかが、少し体得したというような感じだ。何故、世間に様々な絵があるのかという事が分かってきた。それは、ダビンチの絵は私には絵ではないのだという理解でもあった。素晴らしくとも、私の命が必要としている絵は別のものであるという当たり前のことだった。

年賀状7

絵を描くと言っても、現場での写生とアトリエでの制作とでは全く違う事になる。現場では何といっても向う方角が目の前にある風景である。画面を進めていてわからなくなれば、眼前の風景を見て確認することができる。画面を見て描いているのだが、すぐ分からなくなる。どうしようと迷う。迷えば反射的に目の前の風景を見て、描いているあたりの様子を見て、確認しようとする。そして何か役立ちそうな情報を得て、それを起点にして画面を進めてみる。見えている情報というものが、大きく画面に影響してゆく。見えているという事を、絵画的に見えているに置き換えようとする。写真のように見えているという事に従えば、絵葉書のような絵になるに違いないと考えているからだ。絵葉書のような絵は絵ではないという頭の理解がここにある。頭の中にある、学習してきた良い絵とは何かという情報に基づいて、眼前の風景を置き換えてみようとしている。

年賀状8

この自分なりの見え方というものは、長年の絵を描くという訓練を経て目を通して頭の中がそうなっている。だから、自分の絵のように眼前の風景が見えている。昼が得て考えれば、それはあくまで頭の中に出来上がった、絵画世界のことだ。それを現実の風景に当てはめようとしている可能性が高い。絵はそういうものでもないとは考えている。すでに頭の中に形成された絵画という概念を、打ち破らない限り、自分の絵画世界は見えてこないという事は理解している。つまり創造するという事は自己否定する事がなければできるはずがない。新しいものを作り出すという事はそういう事なのだろう。過去培われたものに準じて磨き上げる制作は職人仕事であり、芸術的創造とは違う。と私は考えている。未だかつてないものを作り出してみたい。自分という中にある未知の世界を開いてみたい。

年賀状9

アトリエでの制作は全く観念的なものになる。描いてきた風景を思い出すようなことは全くない。画面の調和を求めて、調整を続けている。調整は自分の必要とする絵画観に基づくものである。自分の絵らしきものを探り求めての制作になる。その時、実際の現場はかすかにも思い出さない。何故だろうと思うが、現場に行かない限り、描いている場所のことはどこにもない。写生をしているときは自分というものが発しているような感じがする。自分の中から絵を見る光線が風景に充てられている。アトリエでの制作では、絵が自分というものを探り出せと突きつけてくる。これは自分ではないと、迫ってくる。では自分とは何かという創造になる。アトリエ制作は創造で、写生は自分というものの放光である。放光したものが、反射して自分の眼に飛び込む。そしてそれを写し取る。それが現場写生のようだ。

年賀状10

 

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水彩人北陸展

2018-01-01 14:08:38 | 水彩画

水彩人北陸展があります。

『ギャラリーノア』 

白山市番匠町235-5

℡076-276-4486

1月18日(木)~23日(火)10時~18時 最終日16時まで

私も2点出品させてもらいます。画廊には、22日と23日に行きます。

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2018年 新春 おめでとうございます。

2018-01-01 04:15:21 | 自給

2018年 

新春 

おめでとうございます。

2018.1,1 6:20 家から相模湾を眺めて。

 年賀状1

月々の自給の作業を書いている。元旦からであるが、今年も記録しておこうと思う。これを5回ぐらい繰り返せば、月々の自給作業が見えてくると思っている。今年は長年実現できなかった、有機農業市民農園を始めたいと考えている。畑の会の発展型である。そこで有機農業技術を学ぶことができる。12か月毎月収穫があり、作業がある。循環型の市民農園だ。美しい共同の自給農園をやりたい。美しい畑であれば、そこには合理性がある。最小面積で最大の生産を上げる。保存できる作物を中心に基本12種類である。畑では共同して合理性のある作物を作る。庭では日々の葉物や果菜類の野菜を作る。そして共同の田んぼではお米を作る。12か月の収穫する野菜は1月長ネギ、2月大根、3月菜花、4月、キャベツ、5月ソラマメ、6月じゃがも、7月、玉ねぎ、8月、トオモロコシ、9月ゴマ10月サツマイモ、11月、大豆、12月、ブロッコリーなど考えたが、これではうまく回らないということで、みんなで考え直す。

年賀状2

有機農業の市民農園は小田原有機の里づくり協議会の事業である。あしがら農の会が担当をする。まだ、全体の体制は出来ていない。私は始めるところまででおわりになるだろう。後はやる人がいれば続くだろうと考えている。畑の会の経験で、農の会全体に市民農園を運営する能力が培われたと考えている。毎月の作業日には必ず、収穫物がある。そして、種まきや苗作りなど必ず学ぶべき作業が準備されること。そして、毎回有機農業に関する座学を用意する。一年間の作業が終わると、一通りの有機農業の知識が身につくようにしたい。市民農園の活動が、その後は農の会で活動に繋がるものであればと思う。就農したいと考える人には、農地の斡旋をする。そして、農業者への道を作ることにも協力してゆく。ただ、専業農家になることは、よほどの工夫がないとほぼ不可能なので、その点は覚悟してもらわないとならない。

 

年賀状3

 稲作のできるのは後2年と考えている。昨年稲作において思いつく限り、やりたいことはやってみた。結果が出たということではないが、考える材料は揃ってきた。有機農業では腐植の量が大きな要素になるらしい。腐植量を多くすることが、土壌の豊かさの重要な要素と見ている。腐植量が多いい畑では、他の肥料を何も入れないでもできる。あるいはいくら有機肥料を入れても、収量が少ないとか。こうした違いが腐植の量の違いのようだ。腐植を増やすには、堆肥と緑肥である。堆肥を作るのは大変なことではあるが、落ち葉堆肥が最も優れている。落ち葉を養鶏場の床に大量に入れて、あとは鶏に堆肥にさせるというのが、自給的な範囲では良い方法であるとおもっている。また、地域にある残滓をうまく利用するたい肥作りも大切である。私はそばの製粉工場から出る残滓を利用してきた。作物に良いか悪いかの判断が植物の顔色を見て判断できるようになることだ。土壌分析もその材料にはなるが、基本は植物の日々の変化を読み取る力である。植物の声が聞こえる様になれるかである。植物を読み取る力の向上を市民農園での大きな目標にしたい。

年賀状4

田んぼの作業をまとめの冊子を作りたい。誰でもがその通りやれば10俵とれる有機農法の田んぼの方法である。今耕作している欠ノ上の田んぼは、営農としては条件の良くない田んぼである。日当たりが悪く、水温も低い。段々畑になっていて、3反の田んぼが12枚に分かれている。あしがら平野でも一番収量は低いだろう田んぼの一つである。そもそも神奈川県はどちらかと言えば、田んぼの収量は低い地域である。そうした条件の地域で、過去5年間ほぼ10俵を超えている。この経験を通して私たちの稲作法が、何処にでも通用する方法ではないかと思えてきた。いままでこのブログに書いてきたものをデータと並べて、冊子にするのもいいだろうと考えている。これは農の会の25年事業を兼ねるつもりだ。どのようにまとめられるかは、これから考えてゆきたい。

年賀状5

 

 

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