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地場・旬・自給

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米軍オスプレー名護で墜落

2016-12-16 04:42:12 | Peace Cafe

オスプレーが名護の海岸に墜落した。不時着というが状態を見れば墜落である。死者が出なかったことが幸いであった。沖縄県副知事が抗議を申し入れたところ、在沖米軍トップで第3海兵遠征軍司令官のニコルソン四軍調整官の表情はみるみる怒気に染り、「パイロットは住宅、住民に被害を与えなかった。感謝されるべきで表彰ものだ」と述べた、という。アメリカ軍の意識を良く表している。アメリカ軍は日本を守ってやっているのだから、日本は少々の事故ぐらい覚悟して当たり前だということだろう。トランプアメリカに成れば、露骨にこうした意識で日本の駐留を考えるようになるだろう。日本のために米軍は駐留するという認識。もちろんそういう側面があることは事実であるが、同時に、アメリカの世界戦略の上で、世界各国に米軍は駐留して来た現実がある。そうでなければ、沖縄占領下の米軍という意味が不明だ。日本が反米に傾かないように沖縄で日本を監視してきたのだ。

トランプアメリカが米軍をアメリカに返すのは結構なことだ。世界中から引き上げてもらえばいい。アメリカが世界の警察を止めて、世界は確かに犯罪が増加するかもしれない。そこから考え直した方が良い。日本がどうなるかと言えば、別段中国が攻めてくるようなことは起こらない。フィリピンのドゥテルテ大統領はそう断言し、中国との関係を修復しようとしている。中国と敵対するだけが外交ではない。トランプアメリカは中国との関係を改善しようとするはずだ。軍事力による対抗はトランプ方式ではない。商業国家中国もトランプアメリカとの経済関係を重視するはずだ。日本だけがアメリカにすがる構図はいよいよ終末に近づいている。理由は北朝鮮の原爆である。軍事力による抑止が出来ないという事だ。もししようとするなら、今北朝鮮の原爆基地を空爆するほかない。そういう事が出来ない以上、原爆を保有したという現状を認識して、何らかの平和的な外交政策を行う以外に道はない。

イスラム国に原爆がなかったことが幸いであった。これからはどこの国でも核保有する可能性が高まる。それは日本のように、原子力発電所の輸出に力を入れるようなバカな国がある以上仕方のないことだ。その濃縮ウランがどこにどう行くのか管理しきれるものではない。北朝鮮のように正々堂々と核開発にまい進する国があろうとも、誰も止めることは出来ない。トランプの主張通りだ。この状況ではもう、通常兵器による抑止力の相対的な意味がみるみる小さくなってゆく。では日本も核武装するのか。トランプアメリカは容認するそうだ。こうして世界は崩壊に一歩進むことになる。それを何とか止めることができるのも日本だ。唯一、核保有の可能性がありながら、平和憲法によって、武力による紛争の解決をしないと、表明している国だからだ。日本の存在が世界の希望だと思う。

ところがどうだろう、アベ政権は日本の武装化に躍起になり、普通の国になろうとしている。オスプレーの墜落事故は沖縄の負担だ。アメリカ軍は落ちないような訓練をアメリカ国内で十分にしてほしい。アメリカではアメリカ人が事故に巻き込まれて大変だと考えていないだろうか。危ない訓練を外国でわざわざやることはない。オスプレーは自衛隊も購入するそうだ。この自衛隊のオスプレーの訓練は横田基地でやるのだろうか。東京都民の上空であぶなかっしい、空中給油訓練をやるというのだろうか。まさか国会の上、皇居の上空で訓練などしないだろう。沖縄なら、許されるとでも考えているのだろうか。オスプレー即問題とは思わないが、沖縄の市街地で訓練するのは許されるわけがない。沖縄にも、その周辺にも無人島が無数にある。辺野古に基地を作る。高江にヘリポートを作る。即時見直しをすべきだ。それが沖縄の負担軽減のはずだ。何故、沖縄本島にこだわるのか。これこそ沖縄差別に見える。

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北方領土は要らない。

2016-12-15 04:34:34 | Peace Cafe

プーチン大統領が今日来日して、安倍総理大臣と会談をする。目的は日本とロシアとの平和条約交渉である。日露は第2次大戦後の平和条約を締結していない。敗戦後ソビエトは日本人をシベリアに抑留し、強制労働させた。多くの人が過酷な労働で死亡した。まず、この謝罪をしてもらおうではないか。北方領土の返還と、経済交流特に極東ロシアの開発への日本のかかわりを強めるという事のようだ。ロシアはシリア・アサド政権を支持している。クリミヤ半島では併合が行われた。その結果欧米諸国は経済封鎖を続けている。経済的には状況は良くない。こうした状況下日本は漁夫の利で、出し抜くような形でロシアとの関係を接近させようとしている。北方領土が返されれば、日本人すべてが大喜びするとでも思っているのだろうか。

北方領土が返還されれば、世界3大漁場が日本のものになると鈴木宗男氏は主張していた。日本人が取りたい放題魚をとれば、資源はたちまち枯渇するのが落ちだ。日本が入らなかったから、資源の豊かな海が保たれたのではないか。もし豊かな海がロシアのものであるのなら、それを喜べばいいだけのことだ。ロシアの人々の豊かさに北の漁場がつながるのは良いことだ。日本国の利益の方向からだけ世界を見ることは不幸な関係の始まりになる。ロシアが豊かになれば、それは日本へも恩恵が及ぶ。すべてを独占しようなどと考えることは不幸を呼ぶだけである。日本人は自分たちの努力だけで未来を切り開ける民族である。資源がないことを悲しむ必要はない。北方領土に帰る人が本当にいるのだろうか。知り合いに樺太出身の家族がいる。その人は樺太には2度と帰らないと断言していた。ロシアのことが憎くて、考えたくもないと怒っりまくっていた。

歯舞島は利尻島と同じくらいの面積である。色丹島は隠岐の島と同じくらいとある。似たような北にある、利尻島の現在の人口は2,500人程度とある。人口は年々減少し、多かったころと比べて10分の1に減少している。老齢化率も全国平均よりかなり高い。歯舞諸島が返還されたとしても、財政の面で見れば、利尻島と同じようなものと考えなければならない。歯舞に移り住む人の数がどれほど存在するであろうか。旧島民が戻るという事例は限定的に違いない。領土が返還されることで、日本の財政負担が増加するという事は、明らかなことだ。それは日本全国に存在する消滅の危機に陥っている数知れない諸島部の自治体を考えてみればわかることだ。瀬戸内海にある島であっても似たような、存続の危機にあるのだ。北方領土が還るという事が経済的恩恵に繋がるという事は、間違った予想である。もし観光開発という事なら、可能性がないとは言えないが、それも利尻島の観光客の減少傾向を見るとなかなか困難なことと言える。

北方領土の返還は無理やり行うようなこととは思えない。むしろ、ロシアに所属したままで、日本との交流を深める関税特区の避暑地のリゾートの島にしたらいい。その方が、外国へ行く気分も味わえて、観光客は増加するはずだ。ロシア人は個人的に接するととても良い人が多いい。日露の交流拠点として開発してゆく価値はある。何も日本の領土でなくとも構わないではないか。日本人が観光旅行に行きやすいように、両国で特別の制度を作ればいいだけのことだ。温泉などもあるらしい。食べ物もおいしいものがあるだろう。良い旅館が出来れば、日本人にとって、全く問題はない。財政的にはその方が有利なはずだ。日本資本の旅館も出店するだろう。ロシア人に働いてもらう。外国人労働者が必要になっているような日本の状況である。領土も合理的に考えるべきだ。何でも欲張ればいいと言うものでもない。敗戦でソビエトに取られたという結論で、何の問題もない。

 

 

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ガソリンの値上がり

2016-12-14 04:09:30 | 自給

ガソリンは月に3回くらいは給油する。その度に3,500円くらい払う。その他、草刈り機やトラックターの燃料など、月一回ぐらいは買いに行く。出来るだけ使いたくはないのだが、結構使ってしまう感じだ。自給生活の生計の支出の中では小さいものではない。この3,500円が3000円になったり4000円になったりする。最近また値上がりを始めた。石油価格の上下動が世界情勢に繋がっていると感じさせる。ソーラーパネルで発電をしているので、総体としてはエネルギー自給はしているつもりだ。これがせめてものいい訳である。出来るだけエネルギーを消費しない暮らしが良いとは思うが、軽トラやトラックターを使う事は、エネルギーの総需要としては合理的だと考えている。例えば軽トラを使わないで、荷物の移動をするとすれば、10倍以上の時間と労力がかかる。これでは実際的ではない。30年前には水を山の上まで担いで上がる生活をしていた時期があった。山の上り下りが暮らしの負担として大きすぎた。50ccバイクの免許を取り、購入したときどれほど有難いものであるのかを実感した。

ガソリンの時代が終わろうとしている。産油国が増産を続けたので、ガソリンが値下がりしたと言われていた。しかし、それはエネルギーが石油だけに依存しているとした過去の時代の話だ。もう世界は脱石油に向っている。もちろん高いエネルギーである原子力ではない。薪だって同じことだ。ガソリンが高くなり過ぎれば、使えないのだから、薪生活だって選択枝になる。バイオ燃料であろうと、風力であろうと。単純な我慢生活であっても、暮らしのエネルギーは省エネルギー化し、多様化方向になる。ガソリンは一定以上に高くならない時代に入っている。そのうち、石油は枯渇するのではなく、使わない時代になる。石炭と同じ運命をたどることだろう。再生産できないエネルギーは基幹エネルギーから外れてゆくのが当然のことだ。

再生可能エネルギーへの転換を早くやった国が、次の世界のリードする国家になる。資源国が有利という競争はそもそも公正ではない。日本が最も得意とするはずであった、再生可能エネルギーへの転換が遅れている。原子力にこだわる姿勢に、そのみじめさがにじみ出ている。資源のない日本という国は技術立国しかない。再生可能エネルギーこそ、その技術力が問われる分野だ。日本が最も力点を置かなければならない分野であろう。ところが、フクシマ原発事故以降、本来であれば全精力で再生可能エネルギーに転換しなければならなかった。国民の大半がその転換を願うという、またとないチャンスであった。しかし、日本人にはどうもその能力と気力が失われているようだ。原発事故という惨事を受けて、日本は転換する大きな機会を得た。にもかかわらず、政府は原発にしがみ付く以外にはできなかった。

いま日本国民は原発の怖さを忘れ始めている。敗戦を忘れて、又再軍備を希望する人がいるように、人間というものは実に愚かなものだ。サウジアラビアのことを想像してみるといい。石油でたまたま豊かな国になり、この先どうなるかである。人間にとって大切なことが何か。自分の足で立つという事ではないか。たまたま自分の土地に資源が出たからと言ってそれに依存して暮らすことは、一時のことだ。日本という国は食糧自給もできない国であり続けることになりそうである。石油を売って食糧を買う暮らしより。その土地で自給できる食糧に応じて、人口があるという事が健全な姿だ。江戸時代のように、循環型社会を作り出すことが、世界の人類の幸せな未来の形だ。それを提案する能力がある国が日本ではなかろうか。これは幻想なのか。原発輸出を総理大臣がトップセールスして歩くような国は不幸を振りまく国だ。

 

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TPP法案が可決して

2016-12-13 04:57:31 | Peace Cafe

TPP法案が可決された。あとはアメリカ大統領のトランプ次第という事になった。全く、愚かな日本政府である。アメリカの言いなりになる状況という事である。足元を見られたいうか、馬脚を現したというか。それほどアメリカに縋りつきたいアベ政権姿は情けない限りである。すでにソフトバンクもアベ氏もトランプ訪問でご機嫌伺いだから、グローバル企業とその使い走りのような姿を見せつけられる。トランプアメリカは露骨にアメリカの利益のために動き出すだろう。それを当然として正義の建前は言わなくなるという事だ。そもそも自由貿易というものの正義は、グローバル企業の正義だ。国という枠を超え自由な経済活動をしたいからグローバル企業なのだ。トランプアメリカが一国主義を主張したところで、アメリカの企業が黙ってはいない。グローバル企業は税金を払いたくないから、タックスヘブンを利用するような組織である。

トランプが注目するのは中国のはずだ。商売人なら当たり前のことだ。日本の10倍の規模の市場である。TPP加盟国すべてを集めたよりも、中国の方が大きいのだ。しかも、発展途上でアメリカと競合する日本とは大違いだ。アベ政権がいくら中国の覇権主義を批判しようが、武力よりも経済がトランプの基本姿勢なのだから、日本は置いてけぼりになる。アベノミクス3つの矢全てが失敗に終わろうとしている金融緩和しても物価は2%の上昇をしない。拡張的な財政 政策は国家財政赤字をさらに増加させた。成長戦略はないに等しい。景気は低迷を続けている。国民総生産GDPは20年前と変わらない状態である。つまり国民総生産が伸びない国になっている。中国の3分の1程度の大きさである。一人当たりでも香港より低い。アベノミクスの一番の問題点は日本経済の停滞を認めないところにある。アベは買いだでアベ株を買った人は大損したわけだ。まず日本の経済は成長型から停滞型に変わったことを認めるところから始める必要がある。

アベ政権はTPPに拘っていては、判断を誤る。そもそもTPPは日本の文化を喪失する方角にある。日本が独立国家としての自立を失う方角である。何よりも食糧の自給は最低限の国家としての基本である。それをアメリカにゆだねてしまうのであれば、日本の独立が危うくなる。経済の前提として、食糧の自給が最重要項目だ。農産物の輸出を目指す、農産物の国際競争力と主張しているが、全く本末転倒である。食糧の自給をしたうえで、輸出のことは考えればいいことだ。食糧自給を捨ててまで、国際競争力は考える必要がない。農家は国際競争力をつけるという事で、稲作から離れ、野菜や果樹に力点を置くのかもしれない。それ自体は悪いことではないが、稲作農業を失う事は、日本が食糧自給の道を放棄することになる。それは国家としての骨格を失う事になる。

グローバル企業としの日本の企業は、食糧自給など単なる負担であろう。日本という枠組みはない方が良いと考えている側面がある。国際競争からしてみれば当然のことだ。食糧を輸入して、自動車を売った方が利益が出ると考えている。それは石油を売っていれば、生活が豊かになった国と同様の危機である。石油が売れなくなれば終わり、自動車が売れなくなれば終わる。食糧の自給は国の基本要件である。今のせめて倍の80%程度の食糧自給できる国でなければならない。政府のTPPに対する農業政策では、稲作の現状維持すらできない。それはTPPだけの問題ではない。政府が本音では稲作農業を諦めているからだ。TPP法案を日本が批准した結果、アメリカに縋りつこうという姿をさらしてしまったのだ。トランプアメリカは、日本の足元を見てとんでもない主張を始めることだろう。

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カジノ法成立か

2016-12-12 04:24:10 | Peace Cafe

カジノ法案がいよいよ成立しそうである。嫌な時代になったものだ。金もうけを卑しいものとして、抑制する倫理の歯止めを失っている。宗教団体であるはずの創価学会はこの事態をどう考えているのだろうか。現世利益というから、賭博は容認なのか。この姿こそ、現代の独裁の実態を表している。カジノ法案に関する世論調査では、反対が賛成を上回っている。賛否の微妙な法案を委員会での審議は5時間半だけである。議論したところで同じだから、ともかく数に任せて強引に進めようということだろう。これが独裁と言えるような民主主義の実態である。こうして不満は書かずにおれないが、政治に関してはもうあきらめ始めている。諦めてはいけないのだろうが、公明党だけではない、民進党でも、カジノ法案推進議員連盟がある。前原氏が中心メンバーである。アベ政治はこれからはカジノ政治と言わなければならないのだろうか。お金になれば何でもやるという金儲け政治なのだ。いったい瑞穂の国美しい日本は金もうけだけの国になり、どこへ行くのだろうか。

賭博は影の行為であってほしい。ある意味人間の本性である。守らなければ行けない一線は、政府がかかわるようなことではないということだ。賭博を表ざたにしてはいけない。賭博行為は後ろめたさの中にあるからこそ良いのではないか。資本主義は株式投資という賭博を、善としている。不労所得である。今でも、公営競馬で財政が支えられている。小田原市でも公営競輪をやめられない。加藤市長は競輪廃止を立候補前は主張していた。昔のことは忘れたようだ。こうした現実に押し流される小田原市政を恥ずかしいことと感じている。私の中には小田原のために何かしたいというような気持ちは、ほとんどなくなった。スポーツ選手が金儲けのために頑張る社会が肯定される社会。日本の旧来からの武道の精神から考えてみると、はるか遠いいものになった。報奨金で選手の頑張りを引き出さなければならない世の中を、よい世の中とは思わない。

小田原は神奈川県で一番、学校のトイレの洋式化が遅れていると、テレビで報道していた。担当の職員がれレビで説明していたが、理由は予算がないからだそうだ。洋式トイレがないことを恥ずかしいとも思わない。我慢はどこの家庭にもある普通のことだ。お金がないのであれば、それで仕方がない範囲のことだ。ごみの有料化をして、競輪をやめろ。ごみの有料化をすれば、批判を受けることもあるだろう。ごみを減らすためには、有料化しかない。ごみ検討委員会の提案は読んだのだろうか。そういう嫌われることもするのが政治の正義の方角だ。自民党議員がカジノ賛成であるのはわかる。そういう体質の人たちの集まりだと思う。権力志向の強い人は金もうけや、賭博好きが多いい。賭博体質に近い人たちだと思う。ところが野党である、民進党の中に前原氏のような賭博奨励人間がいるということが、今の日本の最悪の姿を示している。野党の立ち位置が分かっていないのなら、自民党に鞍替えすればいいのだ。

アベ政治の耐えられなさは、経済効果優先の先にある理念がないことだ。だから賭博解禁ということになる。カジノ法案はTPP以上に納得いかない。そのうち経済効果のない自給自足人間は、社会から排除されることになりかねない予兆を感じる。政治は正道でなければならない。正しい方角を示すのが政治である。その政治がこの時代に、カジノも悪いものではないという方角を示すことは、何を意味することになるか。この点を国会で議論すべきだ。子供たちにどういう影響を与えることになるか。今は、小田原競輪に行くということに、わずかかもしれないが、悪所通いの印象がある。これを変えてはならない。良い子は賭博をしない。賭博はよいことではない。不良所得を望む生き方は正道ではない。これだけは忘れてはならない。百姓仕事は地道な正道だ。

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タマネギの植え付け

2016-12-11 04:33:00 | 自給

今年もまた、タマネギは苗が充分にできなかった。タマネギの苗作りは毎年失敗している。今年も原因がよく分からないまま失敗してしまった。原因が分かれば来年には何とかなるのだろうが、原因が分からないまま失敗だから、始末に悪い。苗箱方式よりもセルトレー方式が良いのだろうか。苗床の方は発芽は悪かったのだが、最終的にはそれなりにはできた。試しに苗床の脇に蒔いておいた、ブロッコリーは良く生育している。12月10日にみんなで苗箱を持ち寄ったのだが、岡本さんの苗だけは実によくできていた。何故だろうと思う。まったく理由がよく分からない。岡本さんは日当りのよい、雨の当たるところに出しておいたそうだ。来年はハウスの中に入れようかと思っていたのだが、どうもこれも違うようだ。近藤さんによると愛情不足だと言われていたが、近藤さんより岡本さんの方が愛情が深いという事になるのだろうか。何か科学的な原因があるはずだ。

今年はジョイファームから苗を分けてもらった。ずいぶん大きな苗だった。但し植え付けが少し遅れてしまったようでもある。玉ねぎ畑は舟原田んぼの下である。大豆を栽培していた後作になる。大豆をとってすぐに鶏糞を蒔いた。5m×40m=200㎡に鶏糞堆肥を500キロとソバカスを10袋ぐらいを入れた。そして、トラックターで良く耕して置いた。3週間経過したところで、玉ねぎの植え付けである。私の経験としては、タマネギの植え付けは11月中と考えていたのだが、みんなが12月でも大丈夫だという事で、遅れた気分はあるのだがこの日になった。玉ねぎは肥料が必要という事と、沢山いれた。しかし、堆肥がタネバイを呼び寄せる。だから、完熟たい肥を十分に土になじませて使う事にした。舟原あたりではそれほどタネバイの被害は聞かない。土の状態、匂いの様子では、堆肥の悪影響は感じられなかったが、果たしてどういう結果になるだろうか。

10日の植え付けは9時から始めた。まず75センチのベット、10メートル×11本作った。そこに5つの穴の並んだ黒マルチのビニールを敷いた。同時に、苗床の苗をとってきた。これは全部で1000本ほどか。一人100本程度分けて植えることにした。余り大きくはないが根は十分に張っていて、良い苗に見えた。別に分けて植えてみた。赤タマネギの苗を15本、みんなに吉宮さんが分けてくれた。一人は330本植えられるという事になる。残りの部分にジョイファームの苗を植え付けた。全員が終わったのが、12時だった。植え方はあまり深くならない様にという事だったが、これがいつも難しい、それほど気にしなくて大丈夫だという言葉で、ともかく植え込んでしっかりと押し込んだ。苗の今ある根は役にたたづ、新たに出る根が株を育てるという事だそうだ。稲の時もそういいながら田植えしている。

全部が植え終わると、なかなか壮観だった。午後には家の方の畑に、200本ほどジョイファームの苗を植えた。こちらはマルチを使わず、そのままやってみる。実はこちらは無肥料に近い。燻炭だけは入れたのだが、果たして大きな球になるものだろうか。今朝はもう霜が降る寒い朝だ。この寒空でタマネギたちは今大丈夫なのだろうか。冬育つ作物というものは、健気なものだ。この寒い中に葉物野菜が緑の色を増してきている。まだネギの苗が残っているので、タマネギの会の奥の場所に、マルチをやらないベットを作り、比較のために植えておくことにしよう。ともかく、寒いのでできるのかどうか。実験である。

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緑肥作物の発芽

2016-12-10 04:02:33 | 稲作

 

赤クローバー

からしな

レンゲ

耕さない田んぼのレンゲ

緑肥作物は順調に発芽している。11月6日に播種したから、1か月経過したところだ。順調というのは16日目の様子とそれほど変わっている訳ではない。昨年は10月に播種して、寒さに当たり枯れてしまったものがあった。特にヘヤリーベッチと大麦にそれが目立った。そこで、今年は少し遅らせて播種した。小さい内の方が、寒さに強いのではないかと想定している。また、耕して蒔いたり、耕さないで蒔いて見たりして比較している。いずれの条件でも播種した後に藁はまき散らしてある。藁の腐植を進めることと、緑肥作物の保護を期待している。レンゲが成績が良かったので、日の当たらない1,2番はレンゲである。ところがレンゲも日が当たらない田んぼは発芽もあまりよくない。この後どういう結果になるか。川の向こう側の南側に山があるので、川沿いの田んぼは日が当たらない。春になり陽が高くなるとまだ日が当たるようになるのだが、冬の間は極端に日照不足の田んぼになり、寒さが貯まり凍るような状態になる。昨年はなぜか赤クローバーが発芽が良くなかったのだが、今のところクローバーも発芽している。

小麦11月26日播種

11月6日播種の大麦

小麦の会の機械小屋の前の畑は11月26日播種して、発芽が始まっている。大麦を11月29日播種した家の畑は10日が経過して発芽を始め出揃ったところだ。11月の6日の一か月経過した田んぼの大麦はかなり大きくなってきた。発芽もいいようだが、麦踏をするような大きさになっている。一部麦踏をしてみたがしたところもしないところも今のところ変化はない。どうも麦踏の効果というものが分からない。今後の経過を観察したい。大麦の方が小麦より寒さに弱いようだ。もし麦踏が寒さに対する手法なら、小麦以上に大麦に効果が高いという事になるのだろうか。私は今まで麦踏の効果というものを感じたことがない。家の大麦は昨年、みんなで麦茶にしてくべれるくらいは実った。田んぼの大麦は少しも実らなかった。肥料の問題ではないかと考えている。家の畑は今年無肥料で大麦を蒔いた。それでも土壌が充分にできている感じがある。田んぼの土壌は無肥料で麦を蒔いても、充分に育つことがない。

マメ科の緑肥作物は、最初の段階であまり肥料分がない方が、根粒菌が付きやすいらしい。その根粒菌の増殖で後半の生育が盛んになるという事らしい。マメ科植物と、麦のようなものと、からしなのようなものとでは、同じく緑肥と考えてもずいぶん違う結果になる。この違いをどのように利用すれば効果があるのかを分かりたいと思う。腐植質の補給という事だけであれば、腐植量の比較だけでいいのだが、腐植の速度という事がある。緑肥を春に漉き込んで、田んぼがワイてしまうような悪影響を与えず、抑草効果を高めるものであってほしい。表層に敷き藁状態で残るような形が抑草効果は高いようだ。この方法は田植えのやりやすさとの兼ね合いが出てくる。まだまだ分からない事ばかりだ。

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鶴来の町と白山比咩神社

2016-12-09 04:14:10 | 身辺雑記

白山比咩神社の本殿 落ち葉をブロアーで吹き払っていた。騒がしい掃除だった。

参道 山の斜面を切って本殿まで続く上り坂である。

せっかく松任で展覧会をしているのだから、鶴来の街まで行ってみた。鶴来は昔、白山に登るときや、獅子吼高原のスキーをするために来た町である。友人が鶴来の病院に勤めていた。朝から、冬の北陸らしい垂れこめた空になった日だ。松任の駅前から、7時20分発のバスに乗った。バスは通学に使われているようで、高校生は駅前から乗車した。途中から中学生が乗り込んできた。と言っても小さなコミュニティーバスで10人も乗ればいっぱいという事で、途中乗車の中学生は立ったままだった。全員途中で降りてしまい、鶴来の駅で降りた時には、一人だった。冷たい雨の中バスを下車したのだが、傘をさして、雨の中を白山神社まで歩いた。街を歩く目的として白山比咩神社まで歩くことにしただけである。白山神社の奥の院の方は何度も言った。つまり、白山の頂上にある祠が、奥の院であり、白山登山は学生の頃10回はしたと思う。

そのふもとの鶴来にある神社が、本殿という事なのだろう。何十回と前を通りながら、素通りしていた。一度は本殿まで行ってみようというだけなのだが。その参道の落ち葉道は、美しいものだった。雨に濡れ、落ち葉が敷き詰められていた。歩いている内に気持ちが清々としてきた。登り詰めたあたりに大きな杉の木がある。姫神社の老杉と書かれていた。しめ縄が張られている。私には神社よりこの老木の方が、神々しさを感ずるようだ。1000年杉となると、その圧倒的な生命の漂う姿は別格である。人間が作る、本殿などたかが知れていて厳かな気にはなれない。その意味では途中にある滝の姿にも、頭を下げ拝みたいような感情が湧いてきた。参道をとぼとぼ歩いている内に十分満足してしまい、本殿は見ただけでそのまま戻ることになった。白山がご神体という事だから、本殿は仮の姿に過ぎないと解釈すればいいのだろう。全国にある白山神社の元になる神社にしては、意外にあっさりしていた。

 

 

鶴来に行く電車のなか。

白山下まで行っていた廃線になった線路

私の学生の頃は白山下というところまで電車は行った。そこでバスに乗り換えて一ノ瀬というところまでバスで行くか、さらに別当出会いというところまでバスで行ったと思う。今は途中にダムが出来て、白峰あたりははずいぶん変わっしまったと思う。街を歩いていると、もう45年前のことなのに、少しも昔のような気がしない。鶴来の町はそう変わった感じがしなかった。確かに、建物は新しい大きな建物があちこちにできて、先端技術大学院大学というものがあった。しかし、街の空気は懐かしいままで、暗く重い空と冷たい雨のお陰で昔を思い出すことができた。ただ白山神社に行って、そのまま戻っただけなのだが、何かやみくもに歩きたくなるところがある。

 

 

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舟原溜池の企画案

2016-12-08 04:37:59 | 地域

舟原には元治という江戸時代初期に作られた溜池がある。神奈川県では溜池というものは無くなったと聞いている。確かなことはあしがら平野には他にはいわゆる田んぼの為の溜池は一つもなくなっている。水車はとうの昔に無くなった。このままでは足柄平野の稲作の江戸時代の農業遺構は、失われてしまう。耕作放棄地が増え、農業自体が失われてゆく時代である。溜池を農業遺構として残す意義は、小田原地域の江戸時代の暮らしを想像するわずかな痕跡となるはずだ。この地域の農民の暮らし、つまり大半の人々の暮らしがどのようなものであったかを忘れ去ることは、小田原の未来の暮らしを考えるうえで、歴史的な貴重な資料を失うという事である。武士や支配階級の歴史遺構は尊重されるが、多数を占めた常民の暮らしは軽視される時代である。すでに、多くの溜池が無くなってしまった今、唯一偶然にも残った溜池を農業遺構として保存する意義は小さくないと考える。

小田原の未来の暮らしがどんな暮らしであるか。農業は今のまま残ることは考えにくいことだろう。日本人の暮らしをたどり、再生させようとするとき、もう一度地域の農業は見直されるはずだ。新鮮な角度から新しい農業の形が見つけられることだろう。その時に、考えの基礎になるものは江戸時代の農業である。その資料として、溜池や農業用水路は、水にまつわる地域の暮らしの形成を考えるうえで、重要な要素である。水は暮らしの原点である。水を媒介として、地域の暮らしの関係が形成されたと考えられる。水をどのように確保し、水をどう分かち合うかが、地域の形成の基本である。ふるくから舟原では横井戸の暮らしであったようだ。北側の山に穴を掘り湧いてくる水で生活をしていた。時代によってその湧き出る水位は変化した。その為に集落も上に移動したり、下に移動したりしたと言われている。、又隣の諏訪の原や、欠ノ上の集落で水を遠くから引いてこなければ暮らせなかったために、が出来たのは遅れたようだ。江戸時代初期には溜池が出来たように、田んぼの開発が一気に進み、今もこの地域に住んでいるかけの先祖がいくつかのを形成したようだ。

舟原の溜池を残すことは、そうした先祖たちの暮らしに思いをはせることになる。溜池のある場所は、上流には人家はない。明星岳の谷筋からの絞り水を集めて、溜池を作った。かつては3つあったという。今も絞り水が小さな川となって通年流れている。2000年頃までは、人が泳げるほどの深さに保たれていた。鬱蒼とした雑木に覆われて、薄暗い場所になっていた。しかし、水鳥が多数飛来し、オシドリも見られた。そのころから農業用水としての機能を失い、草刈り程度の維持となり、水位も30センチくらいまでに下げられた。欠ノ上の水利権を持っていた人たちも、田んぼを止めることになり、溜池の保全自体が負担になってきていた。そのころから徐々に美しい久野里地里山協議会が溜池の草刈り管理に関係するようになる。舟原の自治会でも呼びかけがあり草刈り管理を行った。しかし、水を流すこともないために、また、海堀を行う事もなくなったため、年々土砂に埋まるところとなった。

現状として行わなくてはならないことは 

1、溜池まで下りる道を作ること。

2、土砂を均し浅く広く水がたまるようにすること。

3、周辺の草刈り管理をしやすいように整えること。

4、小田原市の管理地の確定。農業遺構である表示。

以上を行うためには、継続的な管理体制を作らなくてはならない。現状としては美しい久野里地里山協議会が保全管理することが、唯一可能性のあることではないかと思う割れる。その前提としては、この溜池が農業遺構として価値あるものであると認定され、今後とも保全してゆくという事が明確にならなくてはならない。

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石川展が終わりました。

2016-12-07 05:18:41 | 水彩画

水彩人石川展が終わった。昨夜遅く、家に帰ったのだが、やはり朝早く目が覚めた。心底面白かった。自分の絵の方角が見えた、展覧会だった。そうではないか。自分の絵の問題点に気づけた展覧会だった。無私になるという事は、そう簡単なことではない。自分をただ忘れて描いた絵が、自分の学んできた絵画法が現れる。これは今までの、少しでも良い絵を描こうという生き方が問題だったのだ。このことに気づけたことは有難いことだ。1000人近い入場者がありました。地元の同人の北野さん、堀田さん二人の活動の反映だと思った。水彩人は小さな新しい組織である。水彩画に興味ある人が見に来てくれたのだと思う。福井や富山からも来てくれる人がいた。画集や絵葉書の売れ行きも良くて、水彩画に興味ある方が増えていることも痛感した。講習会も定員の25名を超えて27名で行われた。ギャラーリトークも30名位の方がおられたかと思う。とても熱心な集まりになった。白山市「うるわし」で初めての十回展水彩人石川展が行えたことは、水彩人にとって良い経験になったと思う。私にとってもかけがえのない機会になった。

金沢で自分の方向が決まった。そして、45年進んできて、また石川県で展覧会をやれたという事が、不思議なようで巡りあわせを感じた。しかも、隣に中川一政美術館があり、充分にその絵を見ることができたという事も意味あるような気がした。水彩人の誰もが、中川一政氏の晩年の絵のすごさに刺激を受けたのではないだろうか。97歳まで生きることはとても難しいことだが、一年生きると一年絵が深まり、自由になってゆくという、生き方に学びたいと思う。もし、80歳で亡くなられてしまえば、梅原龍三郎氏と同レベルの絵かきで終わっただろう。それでも日本の洋画の10指に入ると思うが、90代の絵によって、日本の絵画史に残る作家になった。そう、雪舟、宗達と並び称されても不思議はない画家だと思う。まあ、そういう事は別としても、私絵画の始祖であることは確かだ。他人の評価がどれほど高くとも、それは他信であって、自信にはならないと書いて居る。

一日良く働いたものが、良い眠りにつくように、良く生きたものが、良い死はある。こう話している。良く生きようとしただけなのだろう。精一杯生きるという事で、私の自由を絵として示すことになった。私には幸い、その自由な生命の息吹を、絵として残してもらえたという事になる。今より、明日は、さらに深く生きる。そういう生き方、眼前の絵として示している。迷えばあの絵の前に立てばいい訳だ。私絵画は自己新の絵画だ。私のレベルで在ればそれでいい、ただし、今日より明日より深い絵にならなくてはならない。それが出来ないのであれば、充分に生きていないという事になる。本当に生きていないという事になる。福浦のシリーズ、駒ケ岳のシリーズを見ていて、それは苦しい絵画だと見えていた。千日回峰行のような絵画だと思っていた。ところがそうでなく、楽しかったのだ。楽しいままに描き続けていたことが分かった。

私は求道的な道を歩んでいる訳ではない。朝起きたら今日何がやりたいかなというような、その日その日の楽しみに生きたい。田んぼを見に行きたいな。緑肥はどうなっているだろう。冬水田んぼのその後はどうだろう。篠窪の畑はどうなっているだろう。下田の庭も見てみたい。その朝思ったことにその一日が費やせるように、その日その日一番やりたいことがやれるようにして来ただけだ。養鶏を始めた友人が、笹村さんよくこんな大変なことを続けて居ましたね。と先日話していた。しかし、鶏を飼うのが面白くて、面白くて、本当のところは今でも鶏に囲まれていたいというだけだ。それでも10羽の鶏がいてくれるから、実に楽しい。それだけのことの毎日である。そうした自分のやりたいことをやりつくす、それが絵を描くという事に繋がり、その自分の見ている世界を絵として道しるべにしながら歩みたいという事で来た。それにしても、絵を描く道はまた見えなくなったことでもある。

 

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木鼓23号24号25号

2016-12-06 04:12:58 | 楽器

70㎝タイプ。

木鼓のほぼ最終形の3作品をつくった。制作は当面これで終わりである。大、中、小である。私の結論としては、木鼓は大きければ大きいほど良い音がする。良いというのは言い過ぎかもわからないが、私の好みの音がする。つまり森の音である。木の心を伝えるような音。ただ大きすぎるものは移動もできないので、そこそこの大きさで我慢するしかない。それで、横幅が70㎝タイプが良い音がして一番小さいサイズではないかというのが、今のところの結論である。何とかそこそこの音を探して、55,40と考えた。やはり70が良い音の最小形であると思う。三線の棹作りでもそのようなことを聞いたことがある。木の響きには良く共鳴する長さの限度があるのかもしれない。三線は中国では100㎝はあり、それが沖縄で短くなった。たぶん音の良さを維持しながら短くする限界が70当たりだったのだろう。それがまた、三味線や津軽三味線ではまた長くなる。楽器作りのこういうところが面白い。私の木鼓作りはそんな高級なものではないのだが、私なりの目指すところはある。

55㎝タイプ

40㎝で良い音が出ればと思い様々な工夫をしてみた。まあまあの音になった少し鋭い音である。切れが良いともいえる。音の奥行きの点で少し物足りない感もある。マレットで敲く分にはこの大きさでも大丈夫かもしれない。マットも様々で毛糸を硬く巻き付けて作ったマレットだと、たいていのものは良い音に聞こえる。然し手で敲くようなニュアンスは出にくい。手で敲くと自分の間隔がじかに伝わるようでいい。それでも置いておいても邪魔にならないし、40センチぐらいが普及するサイズなのかもしれない。飾っておいて見た目にも良いのが40センチサイズである。また演奏というか楽器としてはこのくらいなのかもしれない。

40㎝タイプ

木の厚みでも音は違ってくる。20ミリ前後が面白いと思うが、10ミリの音も当然ある。全体のバランスだろう。樹種によっても木の厚みは変えたほうがいいようだ。パドックの場合ひいきが良いので厚めで作れるともいえる。厚い板の場合中で厚みの調整をする。裏側で調整をして音を整える。

 

 

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測定マニア

2016-12-05 04:20:25 | 暮らし

何でも測定することには興味がある。田んぼをやるときには、水温、地温を計ることが楽しみになる。お風呂に入れば、お湯の温度を当てたくなる。体重はとても面白い。ご飯を食べて何グラム増えたとかとか、トイレに行って何グラム減ったか。そいう事を計ること自体が面白いと思う。一晩寝て人間は何グラム減るのか。だからと言ってそれを記録を取り、何かを解明しようという事でもない。なんとなくわかってああそうかという範囲である。父が民俗学の聞き取り調査に入った桧枝岐村におられたお年寄りが、毎年ハエの出た日を障子紙に書きつけていたという話をしたことがある。とても興味深かった。ハエがいつ出たからと言って何かになる訳ではないが、これが日本全体の資料になったとすれば、何かが表れが見えてくるはずである。私の測定は資料にはならないが、自分の中に蓄積されてゆくものはそういうものの貯まりたまったものなのだと思う。

その時にはほぼ意味のない、何でもないものが、何んとなくたまりながら自分という存在を作る。絵描きの道に行き詰まった時に、自分の身体を形成している肉体を作る食べものを、自分の手で作り上げてみるところに戻ってみようとした。自給自足の暮らしを模索した。何を食べて人間が出来ていて、それは自力で可能なものなのかを確かめたかった。それを5年間で確認した。それ以来、自分という生命は生涯絵を描いて生きてよいと思えた。食べるものを確認するのは面白い。そうして自分の自給率を確認してゆく。私は1っ品は採取のものにしてみた。別段理由はないが、そんな風にするのが楽しい。自分という存在を確かに自分が自覚して把握したい。そこに安心というものがある。そう思いながら生きてきた。そうすると、自分というものを測定するのは面白い。体温、体重、体脂肪、血圧、血液検査。

測定してそれが自分の存在と繋がっていると考える訳ではないが、結局はその物理的に把握できる自分存在の、その奥にしか自分は居ないという自覚である。だから測定は直接的には無意味ではある。無意味ではあるが、やはり人間も機械でもある。日ごろの管理は重要である。きしみだせば、大いに影響が出る。絵を描くにも目が悪くなれば終わりだろう。歳をとれば眼は衰える。色の判別は出来なくなる。人間のそういう機能は厳然とある。精神とか心とか、そいうあいまいなものに自分をして置くことは無駄だ。私絵画においては、機械的な自分存在の状態の方が重要になる。機械で簡単に測定できるものもあれば、内臓の状態のようにまずは、内観するしかないものもある。心臓はどうかなと思い、感じてみる。頭はどうかなと感じてみる。目はどうかな。足はどうかな。それだけであるが、自分を確認ができる。絵をそういうものと関連があると考えている。妄想をして絵は描くのだが、妄想するのも機械的な自分だ。

測定をするという事の先にあるものは、自分というものを探り当てたいという思いだ。自分というものが何たるものかを自覚したい。分かったようでなかなか分りにくいものだ。測定して分かる訳もないが、人間が死ぬときに魂が抜けるなら、人間が死ぬときに測定していて、死んだときに体重がいくらか減るはずだと考えて本当に測定した人がいるそうだ。体重が減らないので、抜ける魂がないことが確認できただろう。うして文章を書くのも頭の中の測定である。絵を描くのも見ているという事の測定である。これからだんだん衰える年齢である。目は悪くなり、色や形の判別が出来なくなる。出来なくなったところで描いた絵がその時に自分である。モネは白内障になりそういう色の絵になったという。みて描いて居たということが素晴らしいではないか。文章も頭の思考力が落ちてゆくのだろう。それはそれで面白い測定になる。

 

 

 

 

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見ることには2つある。

2016-12-04 03:52:16 | 水彩画

生きているという事は見る喜びだと昔の友人が言っていた。違うとそれを聞いた時は思った。生きるは見ているだけでなく、やることだと思ったわけだ。今はその言葉が強くよみがえってきた。柳田国男氏が死ぬときはトウラバーマを聞きながら死にたいといったそうだが、私は自分の描いた絵を見ながら死にたいものだと思うようになった。その絵はまだ描けていないのだが。石垣が好きなのは石垣の景色が好きなのだ。石垣の景色を見ていたいからだ。本当はそれだけのことだ。それで十分と思うようになった。もちろん今住んでいる舟原もいい。欠ノ上田んぼもいい。そういう良い場所を眺めていたいという気持ちがある。その眺めていたいものを絵に描き止めたい。何故その場所が見ていたいのかよく分からないが、見ていれば飽きないのだから不思議だ。人の絵より自分の絵を見たいから、人の絵と較べてみたいとは思う。ボナールはとても好きだが、やはり中川一政の道の方が方角だと思う。それでも今日はボナールで描こうという日がある。

見る喜びとは何なのだろう。直接そのことを考えても一向にわからない。何を見ていたいのかと言えば、自然と人間のかかわりの姿である。ただの自然が見ていたいとも思わない。空は天才だとしても、空を眺めていたいわけではない。お城がブームのようだが、見たい気持ちはわかない。どれほど素晴らしい工芸品でも同じだ。備前焼が好きだが、面白い範囲で、見て居れば全てだとは思えない。ところが、ある場所を見ているとみているだけでもういいという気になる。人間が手入れをした自然というものが面白い。人間の痕跡が自然と調和しているところが面白い。田んぼや畑を見ていると飽きることがない。人間の営みというものがかけがえがない。今田圃では緑肥の発芽が始まっている。この変化を見ていると何か格別なものを感じる。土から命が湧き出てくるようなエネルギーがある。こういうものを描けないものか。

「見るには目を見開いてみるという事と、目を細めてみるという事がある。」美術館にあった中川一政氏の文章である。目を見開いて見るは科学的論理である。目を細めてみるとは哲学や宗教ではないか。芸術はその両者の調和である。「字を書くことは写生だ」とも中川氏は書いている。確かに中川氏の書は絵である。そして写生だ。つまり、目で見た世界を写しているのが写生なのだ。何を見ているのだろう。その筆触の中にすべてがある。自由というものがわかる。自分からも自由になるという世界が眼前に示される。私は自由になろうと、自分から脱しようと何も考えないようにしながら絵を描いた。ところがそれで出てきたものの大半は、自分が学習してきた諸々の方法である。他人の作り上げた方法が色濃く出てきた。つまり、意図を消すという事から、自分が現れる以上に他人が現れてきたのだ。むしろ、絵画することを抑えようと自制の意識をしているときの方が、自分の世界に近づけたような絵になっていた。

ここが大事なところだろう。中川一政氏は学んで身に着いてしまったものを抜け出ることができた。ただの自分だけに成れた。自分が見るという事にいたったことが、90代の晩年の絵にある。いかに難しいことであることか。並び称された、梅原龍三郎氏が西洋絵画から学んだことから抜け出なかったことと大きく違う。中川氏は日本人の精神世界というものの、「ものを観る」という事にいたっている。ランチュウのこぶが出るか出ないかが見えたのだ。生きるという意味が見えたのだ。自分というものが曖昧なものであれば、何処まで行っても自分の絵にはならない。自分というものを超えなければ絵にはならない。見ることを学ぶためには田んぼや畑だ。田んぼや畑は私の道場だ。田んぼの土を見ることができなければ田んぼは出来ない。そしてお米という結果は生まれない。これは科学だ。見開いた眼だ。目を細めてみれば、その総合に宇宙がある。田んぼは実にありがたい修行道場ではないか。

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中川一政美術館

2016-12-03 04:09:47 | 水彩画

松任駅前には中川一政美術館がある。すぐ隣にあるので、水彩人を抜けて見に行った。素晴らしい美術館だった。真鶴の中川一政美術館より良かった。特に最晩年の作品の素晴らしさは衝撃的であった。昔一度は見たことがある作品に違いないのだが、全く意味が変わるような感激があった。何故、80代の作品より、90代の作品が素晴らしいかである。油彩画が特にそう感じさせた。字もそうであったし、顔彩画もそうであった。人間の不思議である。90代の作品によって中川一政は後世に残る作家になっていると言える。1世紀に1人の画家と言えるような人になった。私に絵がわかるのかどうかは判断できないが、私の今まで進んできた道のはるか彼方にそびえているという事が分かった。何故こんなことができたのであろうか。まず長生きしたという事がある。そしてよい人生を生き切ったという事であろう。桁外れに人間が素晴らしい。

中川一政氏は禅宗に縁の深い人だ。私の僧侶としての師である、山本素峰先生は中川一政氏の甥にあたる人だった。山本先生の父親である方は、生涯托鉢に生きた高僧である。私も何度かお目にかかることができたのだが、この山本老師と若い頃から親しく接せられたと聞いたことがある。とても禅の精神に関心が深かった。生涯絵画禅に生きた人だったのかもしれない。絵を描くという事を座禅を行うというように行われたのではないか。福浦を描いた時、福浦の人たちは、堤防の突堤に杭が出来たようだったと言われた人がいる。ただひたすら描いた。その時、ここで絵がかけなければ繪は終わりだと、つまり人生が終わりだと思って描かれたと聞いた。悟りというものに至らない限り立たないという座禅を聞いたことがある。その修行の姿の厳しさが絵にそのまま表れている。それは良い絵を描こうという事とは全く別世界のことである。

その修行の姿を見ることができることは私の幸せである。比較することなどおこがましいとは思うが、人間が生きるという事はどういうことなのかを、今回、松任の中川一政の絵から学んだ。有難いことだ。こんな絵を残してくれたことは実にありがたいことだ。分析しても始まらないことだが、絵に方法論がないという事がすごい。どこに至ろうとしているのかがわからないところがいい。そして濁り、塗り残し、厚塗り、すべてその時その時の心の目を感ずる。「見るという事には目を見開いてみるという事と、目を細めてみる問う事がある。」こう中川一政は書いている。目を見開きそのものの細部を見極めること。そして、目を細めて全体を総体としてとらえること。世界を顕微鏡的に分析すれば、細胞の中の世界にまで至る。そして全体を見れば果てしのない宇宙に至る。その両者が同時にありうるのが絵画だ。

帰るまでにまた見せてもらおうと思う。絵を描く人はだいたいが若い時が良い。死ぬまでまあまあの人は、死に物狂いの努力をした人だ。歳をとってよくなる人は天才だと。草家人が話してくれたのを思い出す。お会いしたことのある画家では、90を超えて最高の世界に至った人は唯一中川一政である。もう一人の尊敬している画家は須田剋太氏なのだが、この人は死ぬまで活火山だった。自分の絵に至れるかどうかは、自分というものを生きれるのかどうかだ。お二人とも私絵画の始祖のような人だ。絵が現代社会、未来に続くものであるとすれば、中川一政氏のように描くことに絵画の意味がある。中川一政氏の母親が松任の出の人だったという。そして、松任の方が大切に思い、こういう素晴らしい美術館を駅前に作り、後世に残してくれた。文化というものがこれほど大切にされているという事は、もう今後はないことだろうと思う。

 

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松任海浜公園温泉

2016-12-02 04:26:33 | 日帰り温泉

石川県白山市の松任海浜公園温泉。久しぶりに日帰り温泉採点法で点をつけてみる。

1、清潔度「8」 お風呂の大きさがすごい。過去最大のお風呂面積である。湯船から溢れ出る湯量も、なかなかの物である。それなりの時間が経過しているようなので、温泉垢がついたところもあるが、それは風情ともいえる範囲。

2、泉質「7」温まるお湯だ。水は薄茶色感がある。どの湯船も温泉で、日帰り湯としてはぜいたくなもの。塩素臭はそれほど気にならなかった。


3、環境「9」うみべの公園の中にある。温泉だけの利用はもったいない。今ならカニでしょう。高速道路からも入れる。物産館が充実している。海の夕日が美しいそうだ。私が行ったときは雨降りだった。


4、食事「8」値段が安い。食べなかったので味はわからないが、メニューも豊富で満足できるもの。そばの道の駅のほうには観光客が押し寄せていたので、たぶんカニだろう。


5、湯船施設充実度「8」サウナはテレビあり。温度も90度で良い。それほど広くないが混んではいない。水風呂も水温17度前後で、すっきりできる。畳敷きの広い休憩室は清潔でのんびりできそう。


6、従業員の対応力「9」若い人が受け付けに3人もの人がいて、対応が素晴らしい。親切この上ない。10点でもいいかもしれない。

7、コンセプト「8」観光日帰り温泉。にしては観光客は少ない雰囲気。サウナマナーも悪くない。しゃべる人はいない。道の駅隣接の温泉のレベルを超えた充実。日帰り温泉観光も存在するという点で、施設に地元の施設紹介の写真パネルとか、楽しめるものを加えたらどうだろう。加賀の千代女コーナーで俳句を作り残して帰るとか。


8、価格満足度「10」460円は最安値。タオルは100円で記念にもある。バスタオルは100円で貸してくれる。市民には無料券が配られるようだ。そばにホテルがあるからそこに泊まって、この風呂に入るというのも悪くない。金沢観光の人などそういう手を考えたほうがいい。道の駅から高速バスがある。高速バスで小松空港にも行ける。

9、全体施設「7」ジェットバスもあるのだが、パワー不足。炭酸泉、打たせ湯とか、歩き湯とか、仮眠場所など、もうひと工夫がほしい。

10、アクセス「7」そう便利な所ではない。車社会なら問題ないのだろうが、バスの本数が少ない。夜に松任まで帰れるバスがほしい。確か6時台で終わりだ。


総合点81点。最高位。日常使える環境に暮らしている人が羨ましくなる。前回金沢から小松空港までのバスの中から、この温泉を見かけたことがあり、今度来たらぜひ寄ろうと考えていた。松任からコミュニティーバスがある。ただ本数が少なく実際には使えなかった。行くときは堀田さんにお願いして載せていってもらった。帰りはタクシーで確か1640円だった。お風呂自体は何しろ、460円と格安である。日帰り温泉としては80点越えの最高位にある。

 

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