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柏市ごみ焼却炉の停止

2011-10-02 04:31:27 | 環境関連
柏市では第2ごみ焼却炉を停止した。放射能の濃度が何万ベクレル単位で出続けているためである。8000ベクレルを越える焼却灰の置き場に困ってのことだ。第1焼却炉の方の灰が放射能レベルが低いため、そちらで市内すべてのごみを燃やす事にしたというのだ。何か不思議なやり方だと思い、調べてみた。柏市第2清掃工場は灰溶融まで備えた施設である。第1清掃工場の方が、灰の値が低く出る。低く出る理由は、何も煙に成って外に出ている、と言う訳でもないようだ。焼却温度が低いので灰の量が多くなる。薄まっていると言えばいいのだろうか。正確には量の問題である。総量でどれだけありどう処理するかが、問われなければならない。と言っても国の現状の対策は、放置である。痴呆である。呆然として手をこまねいているだけ。方法を考えてもいない。その内みんなも忘れてくれるだろうし、海に流れて行ってしまうだろう。泥と混ぜれば薄まるのでその辺に埋めれば大丈夫だ。位の程度と見なければならない。それでいて、世界一安全な原子炉を目指すとは、世界はあきれるばかりであろう。

柏市は立派なものである。焼却灰の放射能の計測を続けている。続けたためについに、焼却灰の置き場がなくなった。国に対しては近隣市長が連名で、「焼却灰の置き場をどうするか」早くから要望書を出している。小田原市では国に言われて渋々1回だけ測定した。それで終わりである。1回だけなら偶然性も高く、確かな結果とは言えない。測定は継続しなければ意味がない。もう前回の測定から、2ヶ月以上経つ。やらない清掃工場は問題なく焼却灰が捨てられる。縮こまってやり過ごそうと言うのが小田原方式か。ごみは暮らしの総合評価である。焼却灰の放射能濃度を測定することで、地域の放射能汚染状況が一眼で分かる。地域の安心安全を言うなら、まず焼却灰の測定である。今さら空間線量を測定しても無駄である。汚泥処理場の汚泥焼却では、四之宮が7トン/日、柳島12トン/日、酒匂1.8トン/日、扇町0.6トン/日の加湿灰が出る。この加湿灰の最新のセシウムの測定結果は、四之宮で1571Bq/kg、柳島で660Bq/kg、酒匂で692Bq/kg、扇町522Bq/kg。(河野太郎氏ごまめの歯ぎしりより)

食品の放射線量見直しがされるらしい。暫定基準でついに半年も来てしまった。この間、市民の中にはより厳しくという思いが進んで、4ベクレル以下というような、安全基準も言われるようになった。この半年間の政府の欺瞞がこうした状況を招いた。何の決断も出来ない。方針も示せない痴呆政府である。自己判断する以外ないというのがこの国の常である。自己判断となれば、4ベクレルまで行く。20や10ベクレル以下が不検出は論理的におかしいというのが、多くの人の気持ちである。もっともだとは思うが、もう放射能とかかわりながら生きるしかない日本国である。許し難いし、東電の責任は問い続けなければならないが、どうにもならないことなら、うまくかわす以外ない。幸いなことに日本の土壌はセシュウムをつかんで離さないようだ。土壌には存在していても、植物は根から吸収しにくい場所が多い。日本の土壌にはカリウムが土壌に沢山あるが、作物に吸収されにくい形だと、土壌学で言われていたことを思い出す。

原発から近距離の福島の農作物ですら、不検出が大半である。国は一般的な年間の放射性物質の摂取量の予測を出すべきだ。生涯の100ミリシーベルト基準を出したのだ。100歳が多くの人の希望。年間なら、1ミリ以下ということになる。と言っても子供は大人の半分と見れば、0,5ミリシーベルト。ある程度放射能レベルを把握している小田原では大した量食べることにはならないと見ている。もちろんない訳ではないが、60年代前後に比べれば、むしろ低いか同レベルと推測している。あの頃は大気圏で核実験をしていたのだから、プルトニュームすら降り注いでいた。福島原発事故の場合は周辺の汚染が深刻である。爆発自体が小さく、海洋汚染が半分以上である。と言っても300キロの小田原周辺ですら、相当の汚染が起きている。放射能に汚染された廃棄物をどう処理するかは、加害者の東電は現在、発言がない。
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砂糖中毒

2011-10-01 03:59:42 | 身辺雑記
ある人の講演の中で「砂糖中毒」という話を聞いた。初めて聞く言葉であった。砂糖が中毒になると言うのは聞いたこともなかったが、甘いものから逃れられなくなるということらしい。この中毒は麻薬並みと言われていたが、砂糖も食べることがあるが、中毒性であるとは感じたことがない。砂糖の効能や、有難さをラジオで流している。社団法人糖業協会と言うようなものがある。ホームページには所蔵美術品の案内が出ていた。何と、児島善三郎の芥子の花の絵が出ている。これは素晴らしい絵だ。梅原龍三郎の「紫禁城」の絵もあるようだ。相当の目利きであり、資産もあるのだろう。一度見に行ってみたい。この糖業協会は農水省の天下りもいる、社団法人のようだ。事業計画を見ると公益法人化を目指すとある。○ホームメイド協会を媒体とした更なる全国展開により事業を促進する。○各都市のラジオ局と連携を取り意見交換を図り、糖類に対する正しい知識の理解を図る。○ボウリングを通じて、普及・啓発事業を実施する。3億円位の事業費で活動している。

糖業協会は不思議な組織だ。糖類が健康を害するという間違った情報があるので、これを取り除き、砂糖の正しい知識を啓発する、と言う協会である。最近ではバレーボールの三谷さんが、東北の人が砂糖でホットで来たと発言している。砂糖は安全性を宣伝していないといけないようなものではないはずである。却って不安に見える。ネットでは、砂糖は麻薬と同等の中毒性のある、良くないものと言う情報が、根拠なく無責任に広がっているのも事実だ。ダイエット情報が、ネットの情報の大きな割合で存在するので、ダイエットの天敵が砂糖と言う図式は想像出来る。成人病も社会的課題で、カロリーの摂りすぎが砂糖中毒説となる。それ位砂糖は美味しいものと言うことが言える。美味しいのでつい食べ過ぎてしまう。何故だろう。

疲労すると甘いものが食べたくなる。ストレスが溜ると甘いものが欲しくなる。たぶんこの身体の仕組みは、自然なことだ。中毒性ということではない。疲労やストレスが解消できない社会と生活にも問題がある。江戸時代には、塩あんが主流である。戦前には普通に塩あんがあったらしい。今でも名物として各地に残っている。砂糖と言うものはとても貴重品であった。サトウキビが日本で栽培されたのは江戸時代後半に入ってではないか。それでも気候的に難しいために、広がることはなかったから、砂糖は貴重な輸入品で余ほど高価なものであった。当初は薬であって普通に口にするようなものではなかった。子供の頃の山梨では、甘いということが御馳走であり、贅沢であった。甘い大きなおはぎが、砂糖だけで作ったものすらあった。購入すれば砂糖は驚くほど安い。自給するとなれば、とても手間がかかるものだ。

砂糖が悪者と言うより、いくらでも格安にあるということが不自然なことだ。プランテーション農業の結果である。その土地で出来るものを作る。その土地で出来る食糧に合わせての人口が暮らす。そうなれば、その生産量が人間にとって適正な量である。中毒になるほど砂糖が作られる訳がない。まずコメや小麦や大豆が作られ、野菜が作られる。必需的食品が十分確保できてから、砂糖のような嗜好品になる。砂糖が麻薬のようなものなのかどうかより、自分で作ると考えれば、甘いものは干し柿であったり、蜂蜜であったり、その位が適量なのだろう。子供の頃はミツバチを飼っていた。手間の割にさしたる量とれない。それで結局は家族の口までなかなか届かなかった。最近は化学合成の甘さと言うものに置きかえられてきた。カロリーのないというのが売りであるが、大丈夫なのだろうか。
コメント (5)
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