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朝の散歩

2006-11-05 05:17:57 | 身辺雑記
毎朝犬を連れて、散歩に出る。養鶏場までの1,5キロほどの山道だ。家から出たら、一気に山の方に登る。標高で、100メートルほど登る。そこからは水平道で、養鶏場まで行く。登りは少し大変だが、犬が引っ張ってくれるので、助かる。

裏山へ真っ直ぐ、登ってゆくのだが、最初の段は、今度最小限の家を建てる場所だ。ゆるやかに登りきった辺りに、少し広がった台地がある。ここからの眺めは、中々なものだ。小田原の町が広がり、その向こうに海が広がっている。天気が良いと、房総まで見えることもある。向かいの尾根筋も、日陰の方のが、すそを固めて、今度やる田んぼも見える。

この丘に何軒かが、畑をやってきたらしいが、今は一軒のお年寄りだけが熱心に続けている。放棄されてしまった畑跡は、自然に任せられ、徐々に山に戻ってゆく。笹が入り始めてしまった、更に海側の畑は、ついに無残な手に負えないような状態になってしまった。しかし、さらにその奥には、隠れるように家が最近建てられた。道も迂回して入っているのだが、うまく隠れるように建てられている。みんなが違法建築だと噂しているが、人が住んでいる様子は無い。

唯一畑をやられているのは80は越えた、3軒隣のおじいさんだ。1町分の畑を管理されていると思う。それでだけやられているが、出荷用という訳ではない。あくまで管理のためだ。草刈が、日課のような状態だ。作物は、イノシシとタヌキに随分やられてしまう。お陰さまで、そこが通れて、散歩が出来る。

その先、山に入ると、コンクリートの道に出る。両側、杉の植林がされている。四角いコンクリートの水槽が、点在しているので、ここも昔はミカン畑だったことが分かる。その昔は、麦などを作っていたのだろう。その程度の傾斜だ。やっと残った、一間の道を300メートルほど行くと、ミカン畑が突然現われる。取り残されたように、3反ほどのミカンがやられている。どんな気持ちで、続けられているのか。人に出会ったことは無いので、どんな人かは分からない。以前、大音量でラジオが鳴っていて、人が居る事がわかったが、姿は見たことがない。

ここからは、分け入るように進む、山道だ。山道を散歩できるうれしさは毎日でも、変わらない。夏場は私が草刈をしない限り分け入る事もできない道だ。ここを通る人は私以外、無いのだろう。しかし、この道が意外にしっかり出来ている。ここが石切り場に行く道だからだそうだ。見地石を作っていたらしい。私が養鶏場をやっている辺りは、掘り出した石を整形していた場所らしい。しかし、これも話だけで、何処が石切り場跡なのか、探したが見つからない。地元の人でも現場を見たことがある人は居ないだろう。それぐらい古い話だ。
道は再度コンクリートになる。石を運ぶ為のしっかりしたつくりなので、管理はしないが、崩れることが無い。敷石の上にコンクリートが引いてあるそうだ。ここからは眺望が再度開け、養鶏場に到着する。

毎日往復する。朝の気持ちの良い時間だ。片道20分ほどだが、雨が降らない限り歩く。犬たちが、散歩を権利だと考えていて、何かでいけないと、不当な扱いを受けたということで、心外と言うか、不信な顔で人のことを眺める。眺めるだけなので、ちょっと辛い。。雨の日が微妙で、この程度の雨なら行くべきだと、当然の権利を主張するが、雨だ、と言うと、あっさりあきらめる。犬からは学ぶ事が多い。
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