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猫のサーヤの死と自分の命のこと

2019-12-17 04:03:24 | 身辺雑記
死んでしまったサーヤ

 猫のサーヤが死んだ。2002年5月19日に生まれたシャムネコである。京都の方から来た猫である。小田原に越してしばらくして家に来た。石垣まで一緒に来て、一年暮らして2019年11月に死んだ。

 静かな死だった。そういう連絡が石垣からあった。小田原に来ていたので、死んだ様子は分からなかったが、石垣を離れるときには、もう会えないなという思いで別れた。徐々に衰えが目立っていたので、覚悟はして分かれた。

 サーヤは一生涯静かな猫であった。とても美しい猫だったのだが、寂しい猫だったともいえる。少し生き方が上手くなかった。私には親しい感じにはついにならなかった。それでいて、時にはそうでもないこともあった。他の猫たちともあまり仲良くはならなかった。とても臆病な猫であった。

 それもあって何時も眼をひそめて、自分のねぐらで寝ていた。他の猫がちょっかいを出すと、妙に本気で反発をした。怖かったのだと思う。感受性が強すぎるような猫だった。他の猫とふざけるという事が出来ない。甘えだすとよだれを流しながら、甘えた。怒り出すと極端に神経質になった。

 そんな様子なのでいつも、可哀想な気がしていた。もう少し活発で晴れ晴れしてくれればと思ったが、そうした静かな性格は一生変わらなかった。石垣に来てから、急に老け込んだ。腰が少し弱くなり、歩き方が少し足を引きづるようになった。それでも食欲はあるので、何とかまだまだ生きてくれるかもしれないと期待はしていた。

 それから一年だった。石垣で一年暮らしてサーヤは死んだ。石垣に戻り、サーヤが居ないと言うことを改めて感じる。いつも寝ていた場所をついつい見てしまうのだが、サーヤはやっぱり居ない。

 サーヤに死なれて暗い気持ちでいる。重い気持ちでいる。もっと何かしてあげられなかったかと思うが、あれこれ考えても、何かしてあげられることも考え付かない。結局仕方がないと受け入れる以外にない。それにしてもこの空白感はなんだろうか。

 リンちゃんが死んだときも、うずらが死んだ時も、充分生きてくれたよなと思えた。あれ以上の生き方はないのだから、仕方がないと思えた。それがサーヤの死は少し違う気持ちに陥った。サーヤは生きづらい性格でありながらも、自分というものを全うしたと思うほか無い。年齢としては寿命と言ってもいいだけ生きたのだが。

 サーヤのことが自分の死と繋がってしまった。自分もこうして死んでいなくなるという現実をつよく感じた。猫たちはそれなりに長生きをしてくれて、みんな17、8歳くらいで死んだ。寿命だったと思うしかないが。どの猫も死んでゆくという事を教えてくれた。

 私も80歳くらいまで生きれば、一応寿命と言うことだろう。あと10年である。サーヤのことを思うと、自分というものを晴れ晴れと一日一日を過ごさ無ければと思う。毎日をやり尽くして生きなければ。

 誰だって死ぬ。死ぬまでどう生きるのかという事。犬も飼った。そして順番に死んで、今は犬はいない。子供のころから考えれば、8頭の犬を飼った。どの犬も思い出すといろいろのことを教えてくれたと思う。犬からは生きるということを教えてもらった。

 猫は死んでゆくということを教えてくれる。命は必ず死ぬということを思い出させてくれる。今は3匹の猫になった。2匹は原発事故で福島で保護された猫なので、あと10年は生きてくれるはずである。私とほぼ同じと考えていい。猫より先には死ねないと思う。

 私は残りの日々は絵を描きたいと思う。まずは石垣の風景のデッサンをやってみたい。デッサンをして自分のやろうとしていることを確認したいと思う。これは木村忠太の絵を見て考えたことだ。

 サーヤにとってやりたいことは何だったのだろう。やりたいことをもっとやらせてあげたかった。小田原に居た頃は自由に外も歩けるようにしていたのだが、余り外にも出なかった。いや、子供の頃は外に出ていたか。確かその頃は素早くてセキレイを捕まえたこともあった。

 年齢とともに気難しく変わったのかもしれない。沢山いた猫の中で暮らすのは無理な性格だったのだろう。5歳過ぎてからはもう出歩くことが無くなった。そのかわりなのか、もっと弱かったほのかをいじめていた。余りいじめるのでほのかは山田さんの所に引き取って貰った。

 シャム猫というのは特別の性格の猫なのかもしれない。そういうこともよく分からず、みんなの中で飼ってかわいそうなことだったのだろう。サーヤには可哀想なことをしたような気分がある。

 死んで、ウズラの居るお墓に一緒に入れてもらった。ここのお墓はバンナ岳の山腹にある。海の見える明るい場所である。沢山の猫の骨が一カ所に納められている。こういう場所があったので時々お参りには行ける。

 自分の骨はどうするのだろうかと思う。そろそろ決めておかないと行けないのだろう。品川の海晏寺さんに両親の骨はあるので、底に入れてくれるならそれもある。しかし、それは兄のところの墓なので、兄はいいと言うだろうが、お寺さんがいいというかどうかは分からない。その場合は、石垣の樹木葬というのもいいかと思う。


 

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