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令和の米騒動

2024-09-10 04:54:14 | Peace Cafe


 令和6年8月末にスーパーからコメが消えた。9月の新米が出回るまで、パンでも食べておけというのが政府の方針である。お粗末なことであるが、だんだんその背景にあるものが、不作でも、南海地震による買い占め騒動だけではない、コメ相場の思惑が絡んでいることが見えてきた。

 前回の平成の米不足の時にはタイ米を食べた。1993年に記録的な冷夏の影響でコメ不足となった「平成の米騒動」が起きた。この時は確かに冷夏で壊滅した田んぼも多く。全体で見れば、70%ぐらいの収穫になった。この年初めてお米の収穫量が1000万トンを下回ったのだ。

 ところがこれを嘆かずにいられないが、なんと政府の今年のお米の生産目標は「650万トン」なのである。令和のコメ騒動の主たる原因が、お米をやめろ政策の結果なのだ。それは食うな、作るななのだ。瑞穂の国日本と表向きは言っていたアベ政権の地獄の方針がこういう悲惨を作った。

 確かに人口も減少が始まったが、あれから20年の間に冷害時のお米が100だったとすれば、昨年は平年作で65になったのがコメの生産量なのだ。しかも小さな農家をできる限りつぶして、大規模企業農家に任せた方が効率が上がるという論理で、中山間地農業は廃業を続けている。これが地方の消滅の一つの原因にもなっている。

 食料自給率を上げるためには日本人はできる限りお米を食べた方がいい。これは絵具を日本製にするかイギリス製にするかというような、どうにでもなることとは違うのだ。確かにお米だって商品ではある。商品ではあっても長期計画の中でしか作れないものなのだ。しかもお米がなくなれば飢えて死ぬのだ。

 大地震のリスクは無くなったわけではないのだ。南海トラフの危険予報で、お米を備蓄するのは当たり前のことで、むしろ各家庭で食糧備蓄をしなければならないことだ。何故、備蓄しないようになどという政府は無知蒙昧としか思えない。そもそも、昔の農家は去年のお米を食べて、今年のお米は備蓄として残していたものだ。

 お米を作るためには田んぼが必要である。水路の確保が必要である。そしてそこで働く専門の技術者である百姓がいなくてはならない。その大切な稲作農家を何とかやめさせて、農業企業が外国人労働者を雇用して作ればいいという。浅はかな政府の農業を知らないものが考えたことなのだ。知っていてやっているとすれば、地獄の政府である。 

 確かにそういう機械化農業で大丈夫な田んぼもある。最終的には機械だけで生産できるような田んぼも半分くらいはあるだろう。しかし日本の半分以上を占めている中山間地の田んぼはそうはいかないのだ。その土地を熟知した百姓が、何十年と繰り返し作り上げた生産技術で維持されているのだ。

 それは田んぼの崖の維持や畔管理、山の染み出し水をどのように引いてくるか。水路の維持はどうするか。大水の後の水路の修復も毎年あることだ。田んぼの維持管理は、深い経験失くして不可能なことなのだ。そうした経費の掛かる田んぼはやめてもらい、作りやすい平地の田んぼだけでいいというのが政府の考えだ。

 後継者がいないために、急速に中山間地の稲作技術は失われたのだ。だからもうやめてくれというのが、政府の考えのようだ。そして平年作でもコメに余裕がないのだ。自衛隊の増強を考えてみればわかる。国の安全保障のために使わない軍事力を増強している。お米も食べない備蓄が十分必要なものなのだ。余れば、アフリカの食糧緊急援助に使えばいいではないか。

 カリフォルニア米に比べて生産性が半分以下になっている。当然中国よりも反収が下がったのだ。かつては圧倒的に技術水準の高かった日本の稲作が、すでに陳腐化している。品種がすでに、世界水準には到底及ばないのだ。石垣島でのお米の反収は台湾よりもかなり低いのだ。

 日本にはお米の研究者は極めて多い。しかし、まともな亜熱帯品種が作出されない。当然ひこばえ品種など研究すらされていない。中国ではすでに10以上のひこばえ品種がある。日本がもし本気で稲作を行うとすれば、台湾から品種改良を学ばなければならないほどの研究力の衰退なのだ。

 その理由は明確である。政府は主食生産などやめて、付加価値の高い農業をやれ。米をやめろと、菅総理大臣が所信演説で述べたのだ。あれには驚いた。食糧自給率が38%の国の総理大臣がこんなことをいうようでは、日本の未来は考えられないほど暗い。次の総理大臣はもう少し普通のレベルになってもらいたいものだ。

 そして世界は食糧不足である。もうそう簡単には輸入すればいいとも言えないような状況が近づいている。もし輸入すればというのであれば、日本の企業がオーストラリアでもカリフォルニアでも、あるいはベトナムでも行って、コメづくりをすればいいのだろうが。それでは瑞穂の国の国土は中山間地は人の住まない場所になり、寂しいものになる。

 こうした日本政府の悪政によって、田んぼは失われた。そして今もどんどん減少している。地方消滅の原因である。しかも気候変動に連動する亜熱帯気候に適合した品種はない。ひどい不作が起こる可能性は、かなり高いと見なければならない。特に有機農業への打撃は大きくなると思われる。

 その理由は、暑く成ればイネの病気が増えること。有機農業では肥料の利きが大雑把になる。追肥効果は有機農業では難しい。さらに夏場暑くなれば、有機農業の困難さは増してゆくはずだ。じっくり育てなければならない自然に従う有機農法は、気候の劇症化に対応しきれないことになる。石垣島で稲作を始めて痛感している。大型台風が必ず来るように、日本中が石垣島になるのだ。

 令和の米騒動であった。これには前に書いたことだが、JA農協と、卸売業者のいわばコメ相場がある。不作に貧乏なしなのだ。お米がなくなれば、百姓は儲かる。なくなってパンばかり食べているわけにもいかない。パンの方が高いのだ。タイ米の輸入と言っても今回は簡単には進まないはずだ。

 コメがないコメがないと騒げば騒ぐほど価格が上がる。経営の厳しいJAとしては、あるいはコメ農家にしてみれば、あるいはコメ企業にしてみれば、絶好の値上げの機会と考えているのだ。この機会にまともな価格に、仕切り直したいと考えている。お米の安すぎる現状を考えれば当然のことだ。

 お米は安すぎるのだ。ほかの食料品と比べてもらいたい。今茶碗一杯30円と言われている。パンなら60円らしい。今の倍になったところでパンと同じなのだ。安値を続けて、効率の悪い小農家をやめさせようというのが政府の本音なのだ。企業農家がパーティー券を買ってくれるのかもしれない。領収書がないからわからないが。

 コメ農家の誰もがもうやめたいと思っている。そしてそれを政府は待っている。これでは食糧安全保障は崩れる。やはりお米のような主食作物は、他の商品と同じに考えてはだめなのだ。百姓はこすっからく、何でも大企業ならしっかりやる。というのは妄想に過ぎない。最近の大企業は不正ばかりでモラルがない。道徳のある経済どころではないのだ。

 まあ政府や国会議員には道徳心など皆無だから、できないことを期待して待ったところで無理だ。今やらなければならないのは、自分の食べるお米を自分で作ることしかない。戦後の食糧危機の時に、みんな庭でサツマイモなど栽培した。もう一度そこまで戻るほかない。ロシアはそうしてしのいでいる。

 今度は市民が田んぼを作る時代が来る。素晴らしい中山間地の田んぼが放棄されている。そうした地域では若い人が来てくれるのを待っている。地域によっては家まで用意してくれている。確かに稲作をやっても生活はできない。何か他の現金収入は考えなければならないが、少ない収入でもなんとかく暮らせるのが田舎の暮らしだ。

 日本の活路はもう一度国民皆農時代に戻ることだ。そこまで戻れば安心立命の平和国家になるだろう。日本は世界一魅力的な国だ。この国の良さは里地里山の暮らしにある。近代的な都会暮らしは日本の魅力とは程遠い。あちこちの田舎で暮らしてきて、心からそう思っている。

 ぜひ若い人たちに、農的生活の魅力を体験してもらいたい。若い人たちは体力がない。だから、私と同じ程度にしか働けない。しかもその程度の労働でへこたれてしまう。しかし、1か月頑張れば局面が変わる。体力がついてきて、肉体労働が楽しくなるはずだ。大いに頑張ってもらいたい。
 
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