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小田原ジャンパー事件を思い出す

2024-05-03 04:48:51 | 暮らし

 
 小田原市職員が「HOGO NAMENNA 」などとプリントしたジャンパーを2007年から作り10年間、受給者を訪問するときなどに着用していた事件である。4,5人の人がジャンバーを着て出かける様子を見たことがあるので、何か気持ちの準備が必要な時に着ていたような気がした。

 生活保護悪撲滅チームを意味するという意味不明な「SHAT」はSWATを模したものと言われたが、何かノリが高校生のような感じだ。これを考えた人は良く知っているひとだ。とてもいい人なのだ。ただ、あの人なら悪意なく、軽い考えで仲間を盛り上げようと、そういうことをやりそうだとも思う。

 「わたしたちは正義だ。不正受給してわれわれを欺くのであれば、あえていう。そのような人はクズだ」と言う英文も書かれていたという、このアイデアは英文があった方が格好がいいというので、何か英文が必要なので、他の人が加えたのではないかと思う。

 悲しいあの事件から大分立つのだが、時々この事件を思い出す。この事件の背景にある根深い問題を、つまり差別の問題を思い出すからだ。社会もこの事件を記憶していて、時々思い出すように取り上げる人が居る。すると、つられるように、あのときの悲しさが蘇る。

 感じたのは市役所内に、部署に寄っての差別があることだ。それを分かっていたので、課長もよくは分からないが、元気が出るのであればやった方がいいと、部下からの提案を受け入れたのだと思う。考えが足りなかったのだが、悪意がなかったが、見せられる側からしたら、ひどい差事だった。私もそのジャンバーを作った話を聞きながら、気づかなかったのだから、同罪だと思う。その痛みは今でもある。

 小田原で長く養鶏をしていて、障害のある人に働いて貰って居た。生活保護を受けている人と多くの交流があった。そういうこともあって、知り合いの職員がこんなジャンパーを作ったんだと、話してくれたこともあったのだ。何が印字してあるかまで、考えなかった。

 やはり、生活保護世帯の所に行くことは、大変な仕事なのだと思えた。迂闊だったが、出掛けるときに着る服なのか程度の認識だった。やはり刃物を振るわれた事件以来、ケースワーカーとして保護者を訪ねることは、気が重いことになっていたのだ。

 友人が、路上生活者のパトロール活動をしていて、それに協力をしていた。また障害者施設での養鶏の支援をしていたので、今でもその施設とは関係が継続されている。小田原市の生活保護課の課長は、農の会の関係で友人でもあった。

 その課長を役所に夕方訊ねた時に「あんなジャンパー作ったのだけど、早くやめなければならないんだ。」とぽつりと言ったことを後から思い出した。それでも私には、何のことだからわからないかった。私がそのジャンパーは止めた方がいい、と発言するのを期待していたかもしれないとあの時何度も思い出した。

 だから、この事件が世間でセンセーショナルに、小田原の生活援護課の悪評が、あれこれ意地悪く出てきたことに、何かが違っていると感じざる得なかった。また自分が攻められて居る気もした。何かが根本的に違っている。世間というもののゆがみが、この事件に2重3重に覆っていると思わざる得なかった。

 第一に思うことは、「差別」である。私自身、生活保護を受けている友人がいて、彼が援護課職員からいじめられていると再三、主張するので相談に乗っていた。彼自身の主張する内容は、精神障害があるために、働けないで生活保護を受けていると言うことだった。

 彼は一人でアパートを借りて暮らしているが、母親は近隣の市に暮らしていて、戻ってきて欲しいと考えている。彼にはそれが出来ない。その理由も明確ではないが、障害のためだと話していた。そして問題は、生活援護課の担当の職員が家を訪ねてきて、部屋に入り込むのを、止めてくれと言うことだった。

 保護課の職員に話を聞いてみると、障害があるのかどうかの判断が難しい事例だというのだ。確かに日常は普通の問題の無い青年である。働けないような障害があるのであれば、病院で見て貰った方が良いし、病院の医師の指導や判断が貰えるのでは無いかと言うことだった。

 所が当人は病院に行きたくないというのだ。以前病院に行ったのだが、ひどい誤解をされたまま、間違った診断が行われ、薬を投与されたので、二度と行きたくないと言うことだった。たしかに、その精神科のある病院を受診した人から、問題がある病院だと他でも聞いていた。

 友人がやっていた、精神科の病院がほかにあるので、そこに行ったらどうだろうかと言うことも話したのだが、あそこはさらに悪い評判があるとのことだった。私は友人としてその病院長と接していて、むしろとても良い人なので、何故そんなことを言うのか、おかしいことだと思っていた。

 結局その辺りで行き詰まってしまった。生活援護課職員に、アポートの中を見られることが恐怖なのだそうだ。この点では病的におびえている。私が、アパートを訪ねることは可能だから、必要なチェックはさせて貰うので、何とか職員は見ないで保護を継続して貰えないかとお願いした。

 結局それは一時しのぎと言う形で、保護は継続していたし、自立のための努力もしていた。時々合うと元気そうで、仕事の方もかなり良い方向に進んでいた。しかし、またぶり返すように、問題が再燃して仕事に行かなくなり、相談を受けたのだが、私には解決をすることが出来なかった。

 私のところで働いてくれていた人が、問題を起して、結局止めて貰わなければならなくなったときに、友人の課長はその障害者の側に立ち、様々養鶏場の問題点を追求した。私としては私を信じてくれない友人に腹が立ったわけだが。その問題が事実かどうかを、障害者の側に立って確定させた。

 簡単にまとめてしまえば、小田原市の職員がこのジャンバーを作ったのは、市役所に生活保護を受けていた人が、支給を止められて、市役所の窓口に押しかけて3人に対して刃物を振るって、けがをさせた事件があってからのことだった。生活援護課職員が息苦しくなり、その気持ちを発奮させる目的で作られたジャンパーだった。

 その時にジャンパーを作るという発想は、歪んでいたのだが、何かそんな気持ちになりかねない、追い込まれたものがあったのは、私にも感じられていた。実際は小田原市の援護課の職員は、とても熱心で親身になって援護する人が多いいので、評価していたのだ。

 路上生活者の老人が、自殺をし小屋を燃やしたときには、その後遺体を心をこめて、綺麗にして納棺し、その小屋を片付け、葬儀までしたのも、職員であった。あの人たちが、あれほど一生懸命なのに、仕方がないとはいえ、舐めんなシャツで、背景も把握しないまま、ぼろくそに言われるのは援護課の職員に対する差別に思えた。
 
 差別は、保護する側にも、保護される側にも存在する。正義をかかげて小田原ジャンパーを叩く報道も、実は保護している職員を追い詰めていたのだ。もう退職したその人にも傷を残している。その周辺にいた様々にかかわり、応援していた人も居たたまれないことになった事件だった。
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