地場・旬・自給

ホームページ https://sasamura.sakura.ne.jp/

葛飾北斎はイラストレーターである。

2021-06-12 04:28:00 | 水彩画


 葛飾北斎はイラストレーターである。絵師であって画家ではない。私の考えている、芸術としての絵画を描いた人ではない。自己表現としての絵画ではない。一時代前に出現したイラストレーターの元祖なのではないだろうか。この絵はアイデアで出来ている絵だ。

 北斎のことを考えると、反証として絵画という物が何かが分かってくる。イラスト的という言葉は絵の批評としては悪い意味で使われるのだが、イラストレイター北斎の意味はすこしも悪い意味ではない。北斎の絵は私絵画的な要素はないという意味である。

 北斎の絵は大量印刷される版画である。かけ蕎麦一杯程度の価格で売られていたという。500円ぐらいのものだろう。彫る版木の数を減らし、刷りの版数を減らす。傑作「凱風快晴」は4枚の版木で7回刷りで完成させている。この絵はこれが最善で十二分である。

 版元がそれで利益が出るという条件の元、制作を絵師に依頼する。絵師は様々な下絵を制作して、版元が行けると思えば、版画にする事になる。売れれば何枚でも印刷した。大ヒットすれば版木がすり減る。版木を新たに彫り直し何枚でもする。

 現代の版画に印刷枚数を入れて、希少価値を煽り価格を吊り上げるようなみみっちいものではない。2000枚以上刷られれば大当たり。1万枚越えもある。江戸時代の庶民文化である。版元、絵師、彫師、摺師の流れ作業で作られて、絵師は淡彩の素描のみ描くことが普通であった。

 赤富士は評判がよく2万枚刷られたと言われている。摺師の1日で刷る数が200枚。これを1杯と呼ぶ。10杯行けば大当たり。100杯行ったのだからすごい。初版は絵師の指示どおりに刷られるが、後は摺師に任されるから、ぼかしを減らすなど手抜きになることもままある。刷られた日によって版の色を変えてゆくことも普通にある。

 シリーズ物が多いのも、富嶽三十六景というように、次々と買ってもらうためのアイデアである。もちろん売れなければ中途打ち切り。そもそも素描であった原画は残っていることはまずない。この時代の人は素描は筆と炭で描く。文字も筆で描いていた時代だから、そもそも筆になれている。



 よほど筆に慣れていなければ、北斎漫画のような自由自在な線が引けるものではない。総図数は約3900 あり、絵を描くときの手本として作られたものだ。北斎が達者であった証拠であろう。これも残念ながら原画はなく、本として残されているだけだ。

 ダビンチも素描が良いと思うが、北斎にはかなわないだろう。版画の元絵が残っていればと思うのが、残念なことだ。

 こうした前提で描いていた絵師北斎は浮世絵として500円でじゃんじゃん売れる絵を描くという事を狙って長年描いたのだろう。45歳くらいから肉筆画を描き出す。そして下の絵が最晩年の88歳の時の双竜の富士。竜が松になっている。



 北斎の肉質画はそれほど面白くないと思う。絵画を描こうといしているのだが、イラストレーターの資質がでてしまう。世界観が絵画として表現されてはいない。それが画格を下げている。色が良くない。色で描いていない。その結果表現する目的が明確なものではなくなっている。



 この「富士越龍図」が絶筆ではないかと言われている。90歳の死ぬ3か月前の作品である。龍に見立てられた立ち上る黒雲の中にさらに小さな竜がいる。これが北斎自身を描いたと言われている。こんなことをするのが北斎である。

 この絶筆の絵こそイラストレーター北斎の真骨頂であろう。筋書きがある。アニメーションの原画のように見える。日本最初の長編アニメーション白蛇伝はこの絵の影響を感じる。富士山の山肌の垂らし込みは凄いと思う。

 死という現象をイラストで挑んでいるような絵だ。自分の死を物語にしている。絵に意味を持たせている。自分の死を絵で説明しようとしている。イラストレーション化しようとしている。絵画とは向かうところが違う。

 3作の富士は絵柄としての富士である。版画の富士は色によって助けられて傑作になった。名前もわからない摺師の力であろう。肉質画では色彩がない。素描を中心に制作していたために、色への反応が弱かったのかもしれない。肉質画を見るとそう感じざる得ない。江戸時代の日本人の共同することで力が出る姿。

 自然は色彩にあふれている。光である。色彩の持つ豊かな自然観がなかったのかもしれない。意味としての富士という霊峰はあるが、それは龍と少しも変わりがない富士である。絵が向かい合うべき世界観をイラストとして示そうとしている。

 絵は説明ではない。絵は筆触一つでその人の言葉を示さなければならない。だから筆触は誰でも引けるようなものなった方がいいと思っている。誰でもわかる言葉で、たどり着けないような世界を描き示すのが絵画だ。上手すぎると絵空事になってしまう。

 松もいらないし、龍もいらない。余分なものがない版画の赤富士は赤という色によって惹きつけられるわけだ。実はその世界は北斎のものではなかったのだろう。江戸時代の共同制作力。おもんばかる能力の高さ。

 絵師として北斎があと5年描くことが出来たなら、という最後の言葉は絵にたどり着けなかった本音のような気がする。版画家から、肉質画の個人作家になって、失うものが多かったのではないだろうか。もし北斎が色彩家になれていればと思う。北斎がもっと下手になれていればと思う。


 
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 絵が見えかかった状態が続い... | トップ | 第60回 水彩画 日曜展示 »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

水彩画」カテゴリの最新記事