地場・旬・自給

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朝日新聞の謝罪

2014-09-15 04:14:32 | Peace Cafe


庭の眺め 中盤全紙 ファブリアーノ 自分の絵に好き嫌いがあるのも変だが、好きな絵である。まだできた感はないのだが、この次の絵が描きたくなる。





朝日新聞は遅きに失したとはいえ、社長が謝罪をして、問題を速やかに調査し、自分は責任を取って辞めると言うことを発表した。これで朝日新聞が生き残れるかどうか。私には無理に見える。それは先日も書いたことだが、記事のレベルが低下している。その理由は報道の明確な目的を失ったからだと思う。その為、内閣改造の日に、谷垣氏の話を社説で書いている。そして単なる経営に成ったのだろう。何故、誤報道事件と言うものが起きたかと言えば、目的が不明確な調査報道になっているからだ。――日本新聞協会は2013年度の新聞協会賞は、朝日新聞の「手抜き除染」が編集部門で受賞した。このスクープは、記者4人が計130時間、福島第一原発周辺の除染現場に張り込み、作業員が汚染された草や水を回収せずに捨てる様子を11カ所で撮影、作業員の証言も集めて1月4日付朝刊を皮切りに報道した。「政府が復興の柱と位置づける公共事業の実態と、本来の在り方を社会に問いかけた優れた調査報道」とされている。手抜き報道と手抜き除染なんだか、日本の現状が透けて見える。

除染等出来るわけがないと思っている。あの福島の広い地域の住居廻りだけを除染した所で、数千倍もある地域に対して手を付けないのだから、除染した場所も又ものとに戻ってしまう。こういう作業を一体誰が本気でやれるものだろうか。除染が発表されたときから、これは新しい形の、失業対策事業であり、無駄遣いの公共事業だとこのブログには書いた。除染が手抜きであると言うような調査報道が、無意味とは思わないし、それを根気よく現場で調査して報道するのは貴重なことだとは思う。しかし、調査しなくてもそうに決まっているようなことは、どれだけ報道の価値があるのか。その力を向けるべき所は違う。この記事が新聞協会で評価されるということは、それ以上の調査報道がない。このことの方が、深刻なのではないか。産経新聞等は鬼の首を取ったように、浮かれているが、我が身を省みるならば、大本営偏向報道そのものである。私のブログが左翼的偏向していても、(その自覚はある。)社会的には問題が無いように、産経新聞がいくら偏向していても、そういうタイプの新聞だと思われているにすぎない。

報道の公共性と言うことである。産経新聞のように批判精神を捨ててしまって、国家のお先棒を担ぐ報道の役割と言うことを、主眼とする新聞もあり得る。それは業界新聞とか、ゴロ新聞とか、様々な新聞があって、読む側もそのつもりで読んでいるものだろう。所が朝日新聞の場合、客観的な報道や、権力に対する警鐘を鳴らす役割と言うものを自認していた。権力を批判するためには、大きな方向性を持っていなければならない。私は地場・旬・自給という考え方を、人類の軟着陸地点として示したいという方向である。朝日新聞は果たして、そうした理想に向けての情熱を失ってしまったのではないか。作り出したい世界のイメージを持っているのだろうか。それが無いと、除染の是非という根本問題から目そむけ、因縁をつけるだけになる。世論を形成する前向きな創造力を失うのではないだろうか。そこには共産主義の衰退と言うことがある気がする。ロシアや中国の状態を見れば、方角はあっちだとは到底言えなくなったのだろう。

では、報道はいらないのかと言えばそんなはずがない。良いマスメディアがなくなったことが、日本の政治の劣化の現状を生んだ要因だと思う。民主党が政権を取ったあと、さらにどうしようもない政治に成った。沖縄の基地問題では、何の方向もないまま適当な思いつきを播き散らした。自民党政権のように、何が何でも辺野古に米軍基地を作ると言って、選挙結果に現われている住民の意思も無視するというのも、ひどい話だが。民主党のように、現実性のない空想話で終わるというのでは、統治能力が無いということだろう。政治と報道の劣化の背景には、日本人の思想の劣化と言うことがあるのではないか。価値観の喪失。目的の喪失。日本人としての文化的誇りを見失い、存在意義を見いだせないでいる。それは生活を確認できないでいる事に由来するのだと考える。日本人がお金という数値だけを価値基準にする、根なし草に成りかかっている。

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7 コメント

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産経新聞 (佐々木則夫)
2014-09-15 08:44:48
産経新聞は「国家のお先棒を担ぐ報道」をしているのではなく、その価値観が今の安倍政権と一致しているものが多いと言うことなのです。
民主党政権の時は、辛辣な批判を繰り返していました。特に菅直人首相の時は外交問題をはじめ批判記事ばかりでした。
朝日新聞は、客観的、公平、公正な報道をしてきたのではなく、反日、親韓、親中が編成方針なのです。意図的に反日の報道をするのです。
朝日は誤報を繰り返していますが、必ず、反日の方向で誤報するのです。
朝日ほど偏向した新聞はありません。
笹村さんは、朝日の権力批判こそ新聞の役割だとし、朝日が中立公正だとするから、産経が右寄りになるのです。
「安倍政権の葬儀は朝日新聞が出す」と発言した朝日の元社長は、現在韓国で暮しているそうです。
慰安婦報道を捏造した元朝日新聞記者の植村隆の妻は韓国人です。

≪産経新聞のように批判精神を捨ててしまって、国家のお先棒を担ぐ報道の役割と言うことを、主眼とする新聞もあり得る。それは業界新聞とか、ゴロ新聞とか、様々な新聞があって、読む側もそのつもりで読んでいるものだろう。≫
産経新聞とその読者に対するヘイトスピーチになりませんか。
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ヘイトスピーチ (笹村 出)
2014-09-15 14:05:34
産経新聞が報道機関であるのなら
こうした批判を承知の上の立ち位置で
報道をしているのだと思います。

この程度の批判を、ヘイトスピーチとして受け取るとすれば、
それはもう報道機関でないとしか言いようがないです。
報道というものへの批判を、ヘイトスピーチと考えると言うこと自体、信じがたいことです。

報道というものは批判を承知で、意見を述べているのではないのですか。
筆という手段で、意見を述べればいいはずです。

このブログで主に書いた、朝日新聞評はヘイトスピーチには当たらないのですか。
どうもこのあたりの右の方からの感想はバランスが変だとおもいます。
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産経新聞2 (佐々木則夫)
2014-09-15 18:54:45
貴ブログの中で、朝日新聞に対しては、事実に基づく評価なのに対して、産経新聞に対しては、事実ではない笹村さんの主観に基づく批判がされています。それも、「ゴロ新聞」というような蔑称をつけての中傷になっています。

事実ではないと言うのは、「批判精神を捨ててしまって」、「読む側もそのつもりで読んでいる」というようなところです。
産経新聞も安倍政権の移民政策の考え方などについては、痛烈に批判していますから、批判精神を捨てたと言うのは間違いですし、読者が高い料金を払ってゴロ新聞として読んでいるはずもありません。
笹村さんの主観による言いがかり、ヘイトスピーチになります。
もちろん産経新聞も批判はきちんと受ける覚悟で記事を書いているはずです。部外者の私がこのようなコメントを書いたからと言ってそのように書かれるのはおかしいでしょう。これも事実ではなく、笹村さんの憶測でしかありません。

事実に基づくものなら、韓国や中国を批判しても何らかまわないはずです。もっとも中国共産党独裁政府は、中国国民からの批判は徹底的に排除していますが。
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ゴロ新聞 (笹村 出)
2014-09-16 04:30:43
産経新聞をゴロ新聞等と書いてはおりません。もう一度よく読んでみてください。
批判精神を忘れた、そういう類の新聞があるということを書いているのです。
産経新聞には批判精神がないと思います。

主観による言いがかりをすべて、ヘイトスピーチとは言いません。
主観によって、考えるのは当然なことで、その表現が、許されないものなので、ヘイトスピーチというのです。
ごく当たり前の批判をすべて否定することになれば、最悪の国に成ります。

事実であっても、人が嫌がることを公表することは、法で禁じられています。
事実ならならなんでも発言していいということはないのです。

産経新聞に対する批判は、必要かつ当然な批判の範囲です。
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Unknown (Unknown)
2014-09-16 10:41:45
まぁ産経なんて、名前が体を表してるよね。産業と経済のための新聞。経団連とかのようなお金儲けして、他人を使い捨てして……みたいな思考の団体を喜ばせるのが本質。
産経に思想なんてものは無いと思ってる。愛国的新聞の形を偽装したただの経済新聞。
哀れなのは、搾取されてる側の人間が、産経の愛国的ポーズにだまされていること。本当は産経こそ、あんたらから搾取してる側なんだよ。って教えてあげたいなぁ。
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Unknown (Unknown)
2014-09-16 10:58:50
追記。
そろそろ、右翼左翼ってのもやめませんか。
学問的定義は置いておくとして、今や、かつてのイメージから変化しすぎている。
少なくとも俺には、今は自称右翼の方が、かつての過激派と似ているように見える。逆にいわゆる左翼は保守化している。
結局のところ、政治にコミットしたがる大勢には、本当の意味の愛国心や危機感はない。
体のいいストレス解消の道具だったり、非日常を演出してくれるお祭りの一種だったり、会社でバカにされている自分を勇気づけてくれる自己強化アーマーだったりするのが本質だろう。
その辺も含めて、最近の自称右翼は、昔の左翼に近似している。
個個人のレベルはそんなもんだと思うが、社会的潮流としては、権力者に利用されやすいので、気がつかないうちに偉いさんに利用されて損をしないように自覚したほうがいいだろう。
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鋭い意見で (笹村 出)
2014-09-16 14:23:33
今回の名無しさんの追記部分は、とても鋭く分析されていると思い、感心しました。

そうですね。こうしたレッテル言葉でくくれるような、状態ではなくなっている。
このことは近く書きたいと思っているテーマでした。
特に左翼の保守化というのは、新鮮です。
考えてみたいテーマです。
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