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地場・旬・自給

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堀田善衛「方丈記私記」

2009-01-14 04:44:58 | 
東京への電車の行き帰りで、この本を読んだ。天皇制批判が鋭い。何故戦争に到ったのか。何故東京が焼け野原になったのかが書かれている。その怨念の強さが強烈である。視点としては、方丈記が実は建物の本であること。方丈の話だから当然の事か。確かに、移動式住居の説明を、微に入り細に要り説明する人というのは、当時としては居なかったのだろう。鴨長明という、世捨て人を装うひねくれ風流人としては、そういう所が、興味深いに決まっている。つまり、現代の帰農派としては、何の不思議も感じない。同類であるが、どうも鴨長明の権力志向が気に入らない、らしい。そこにある、ウジャウジャなる天皇制というものとウジャウジャ混沌社会状況が、その怨念の炎を燃え滾らすように文章が揺らめく。文章の息遣いが、絵で言う筆触として伝わる。

文章家としての、堀田善衛の文章解析が何ともすごい。堀田善衛には鴨長明と同時代の藤原定家を読み下した。「定家明月記私抄」がある。要するに本というものをどう読んでゆくか。の姿がここにある。文章を読むと言う事がどう、私的であって、そこからどう導き出すものがあるのか。本は自分なりに読めばいい、そう言う事が実に良くわかる。私のものとして本を読む意味。方丈記の暮らしの部分に私なら興味がある。自給自足で暮らすと言う事がどのようなことか、やってみて充分判った上で読む。堀田氏がその点では何も判っていないと言う事は、仕方がない。生活から離れてしまった人が、生活者になろうという鴨長明を見ているわけだ。観念派の限界。鴨長明はいかにも実際家。しかし、中世の普通の人は、ほんの一部の貴族以外は、生活人である。その点、戦争で路頭に迷った戦中の日本人とは大違いだろう。

中世の日本人は実にたくましい。自立している。その点では、江戸時代の完成封建社会に取り込まれた日本人とは、様相が違うらしい。つい昔の日本人というと、江戸時代の日本人をイメージするが、中世の日本人は丸で異質らしい。それは自立した生活人としてしか存在できない、混沌の社会だったからだろう。鴨長明が、江戸時代に存在するのと、中世に存在したのでは、まるで違って見えてくる。移動式住居を、自ら設計し、たぶん自作して、牛車2台で運ぶ姿。60歳の私と同様の年齢か。後ろ向きイメージでは私には見えない。権力追随に生き抜いて、思い至らず、それなりの成功の中で、方丈生活に入る。新規就農者にはそういう類が居る。私も同様と言ってもいい。自給生活をたぶんに心配する、堀田氏こそ、生活を知らない。一日1時間100坪で人間は生きて行ける。

この自立した暮らしを知ることは、天皇の下でしか生きてゆけないと、思い込まされた社会においては、とても重要なことだ。堀田氏は高岡出身である。学生時代金沢に居たから、高岡出身の方達から、話を聞いて『広場の孤独』などを読んだ。そのときと今では、まるで違うように読めるものだ。この人が、中国で活動したことの意味が当時は、よく理解できていなかった。その後、スペインの地方で暮すようになる。晩年は鎌倉で隠遁的に生きたらしい。そうした、この人の生き様の方に関心が及ぶ。余分なことだけど、方丈というと、私には祖父の事だ。方丈さんとみんなが呼んでいた。方丈の間というのがお寺にはあって、そこはみんなで寝る部屋だった。かなり広い部屋で、方丈が一間四方とは、昔は思わなかった。堀田氏は方丈に住んでみたのだろうか。最小限の家は、まさに方丈である。
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赤峰勝人氏となずなの会

2008-11-30 08:11:08 | 
赤峰勝人氏となずなの会昨日開成町の福祉会館で後援会があった。あしがら農の会の仲間の田中大樹さんは、東京農業大学を卒業してから赤峰さんのなずな農園で2年間研修生として学んだ人である。有機農業をやるためには農業大学をでてから、さらに研修を2年もしなければならないというのが、現状だとすると大変困ることだ。昔なら、親と共に働きながら覚えたものだったはずだ。有機農業では今はそうした継承はほとんどなくなっている。田中さんは10月に福太郎君が産まれて、その幸せ感を一杯にして、師匠の講演会の準備に飛び回っていた。昨日もその喜びが、全身からあふれていて、オーラがあふれ光り輝いて見えた。そうした彼の力が親方と呼ぶ、赤峰勝人氏から授かった物であることがうかがえた。赤峰勝人氏は元気な農業者だ。充分畑で働いている人だった。その点は山下惣一氏も同じだったが、川口由一氏は農業をされている人のようには見えなかった。もちろんされている。

こうした絶対的な力量のある農業者に学ぶと言う事は、人生を学ぶと言うことだろう。今の時代では珍しい姿。到底生意気者の私のようなものには出来ない。なずな農園では弟子には、(研修生ではなく弟子だと思う。)先ず徹底的に体力を付けさせるらしい。身体で覚える式の農業修行のようだ。我々の間では、最初は金太郎で通っていた田中大樹さんだ。最近は金太郎振りでもない。昨日は久し振りに金太郎に戻っていた。有機農業者として新たな道を開くことは、あの赤峰氏でも12年かかったそうだ。当然普通の者が新たに道を開くと言う事は、12年以上かかると言う事になる。その12年は巣立ったそれぞれがそれぞれの力量で切り開く、赤峰さんとは別の道であろう。又そうでなければおもしろくない。赤峰さんにが蒔いている種は、枯れることも、親株以上になることもあるだろう。

愛知の新庄だかで新規就農された、田中さんと同じ頃修行していた、星さんという方が参加されていて、色々話をすることが出来た。これはとてもありがたいことだった。この方は赤峰さんが講演の中で、新規就農3年目で、10俵とったと言う方だ。10俵取ると言う事は、赤峰さんがわざわざ講演の中で伝えたくなるほどの事だ。話してみれば星さんも悩みは色々あるようだ。当然の事だ。これからの農業を考えれば、そう簡単な事ではない。経営の事もあるだろうが、それより農法の事で考えることがあるようだ。所変われば農法も違う。なずなでやっていたときの通りとはいかない。自分流も当然でてくる。又でてこないようではおかしい。そのあたりの感触が、とても参考になった。

赤峰氏が言われた「田んぼのコナギはその内無くなるから心配いらない。」まだどういう意味か頭に残っている。コナギに覆い尽くされる恐怖にさいなまれているから、とても気に成る。やはり名人なのだろう。竹林は竹が作り出す。ミネラルによって、竹が必要なくなれば、自然に消えてゆく。ススキはススキが作り出すミネラルによって、土壌にそのミネラルが充満すれば自然消えてゆく。遷移の事をいわれているようだが、時間の単位が、農業とは、人の生命とは1万年ぐらいのずれがある。果たして植物がミネラルを作り出すというのは、幾ら赤峰氏の深い経験から割り出したとしても、にわかには信じがたい。このあたりの飛躍が宗教といわれるゆえんであろう。しかし、こう言い切ってしまうところなのだろう。開成福祉会館の会場に立ち見が出るほどの盛況であった。
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「ニンジンから宇宙へ」

2008-10-29 07:00:25 | 
「ニンジンから宇宙へ」赤峰勝人著。1993年に出版された本だ。赤嶺氏は1943年生まれだから、現在、65歳。農業高校を出て、ご両親のやられていた農家を、引き継ぐ形で普通の農家になる。その営農をとおして気付く所があり、循環農業を見つける。それがニンジン栽培からだったので、ニンジンから宇宙へという、気付きに至る過程が書かれている。赤嶺さんが中心に活動されている『なずなの会』はきわめて活発な全国組織で、赤峰さんは全国を講演に歩かれているようだ。農の会にも、田中大樹さんという、大分のなずな農園で研修し現在開成町に就農して、循環農園をやられている仲間がいる。11月29日(土)彼が中心になって、講演会を開催する。田中さんの師匠への思いの籠った講演会だ。開成の福祉会館のホールで行われる。。申し込みは笹村まで、メールでsasamura.ailand@nifty.com までどうぞ。地域で赤嶺さんの話が聞けるということは、本当にありがたいことで、今から楽しみにしている。

こうした農業のスーパーマンは実は全国に存在する。この時代に専業農家を続けているような人は、色々の意味で桁外れの人ばかりだ。丸で哲学者なのかと思うような深い言葉を、言われることが多々ある。それが、少しもぶっていないから、胸にしみる。農業に引きこまれてしまったのは、たぶんそうした人との出合が、あったからだと思う。足柄平野にも10人は存在する。それまで出会う人は、絵画の世界の人。あるいは教育の世界の人。どちらかといえば、人間の情けなさを痛感するようなことが多かった。僧侶の世界で、本当の人間を見せてもらっていたことが、生意気にそんな感想を持つようになったのだと思う。所が、農業に触れるようになって、すごい坊さんと同じような、人物に会えたのだ。宗教家が脱俗ですごいなどとは思わない。欲得までむき出しですごいと思っている。

農業スーパーマンは先ず、体力がすごい。驚くほど働ける。赤峰さんは武道家でもある、多分そこが一番の根だろう。小さな人でも、怖ろしいほどの体力がある人がいる。暗いうちから、暗くなっても働き続けて、疲れない人。最も遠くの存在だけに、はるかな畏敬の念がある。それは、子供の頃から働き続けなければ、到達できない世界。そこから出てくるものは風格。面壁9年程度は当たり前の世界。身体でのみ到達できる、世界観。そうした人の中に、突然変異のように、一般世界に飛び出してくる人がいる。道元禅師だけでは宗教にならないように、自分の農業の普及活動に奔走する人が現れる。赤峰勝人氏はまさに、その代表格といえる。農業分野の末端にいる以上、一度は話を聞いておく必要があろうかと思う。

ニンジンに宇宙の循環の真理が存在するというのは、良く判ることだ。風景画で言えば、草1本たりとも間違った、風のなびき方などしないという事だろう。全ての調和は循環に存在する。調和を崩すと言う事が、人為。人の生きると言う事は随分困ったことだ。その困った存在が、宇宙の循環に入り込むことは出来るのか。畑が、自然に見えることがある。人為が手付かずの自然を越えていると見えることがある。これが、農業のすごさではないか。世界調和を新たに作り出せる仕事。だから川口さんなら、妙なる畑と呼ぶのだろう。どのくらい、自然の循環に沿うたとしても、人間わざはそれだけでは見苦しい物だ。それを作物は補ってくれる。そのありがたいかかわりが持てるか。だから、最小限の畑は美しい物でなければ成らない。美しいと言う事は循環して行くということでもある。

昨日の自給作業:肥料撒き1時間 累計時間:41時間
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『日本で最も美しい村』

2008-10-16 08:43:42 | 
岩波書店から出た、佐伯剛正著の本だ。標津町、美瑛町、赤井川村、大蔵村、開田高原、大鹿村、白川村、下呂市馬瀬、上勝町、南小国町、宮崎高原町、以上11の村の話。何とこの村は、全て訪ねたことがある。絵を描きに行った。ただ通った程度の所もあれば、何度も通った所もある。集荷場でそらやさんが、読みたい人があれば、どうぞと言う事で、友人の出版社の方からまわって来た本らしい。フランスでの最も美しい村の活動は聞いたことがあった。その思想を受け継いで、日本でも美しい村連合を立ち上げているらしい。さすがここに並んだ村は何処も美しい。一番通ったのは、開田高原だ。1000メートルを越える高原地帯に普通の農村がある。小川が流れ、田んぼが開かれ、だから開田の地名がある。そんな所は開田高原以外、何処にもない。私の知る限り、1000メートルを越える田んぼ地帯は、小淵沢付近にもう一箇所あるだけだ。

北海道の村が、3箇所あるが、これは又別物である。別格と言うのか。村の佇まいが全く違う。農村のあり方も違うし、田んぼや畑の景観も全く違って、絵を描くと言う気持ちにはなれなかった。たぶん自分の内側に宿す、暮らしとの村と、結びつかないのだろう。大蔵町は山形の最上川沿いの街、山形には大蔵村と同等に美しい村は沢山ある。雪深い出羽三山と鳥海山の間に位置し、棚田と広がった田んぼに浮かぶ、島のような丘。山形市から、酒田に流れる、最上川の雄大な景観が、続いてゆく、日本の原風景といえるよな、「おしん」の空気が思い出される場所。どうも寒い場所が美しい。暮らすのが大変だと、雪に埋もれるような緊張感がある場所が、美しいと感じるようだ。東北には美しい村は幾らでもある。今、限界集落と的確だけど、住んでいる人には辛い名前で呼ばれるような村は、何処も美しい。やっと維持されている山間の棚田を見ると、風景を作る人為の素晴しさが、静かに光っている。

集荷場では、自分の住んでいる苅野の辺りも美しい。と言う意見が出た。それなら、私の住んでいる、舟原だって中々の物だと言う話になった。美しいと言う言葉の中には、自分が住んでいる愛着も含まれている。住んでいう人がその美しさを作る。育てている。この愛情のような物が、一番の要素だ。貴いと思う気持ちが無ければ、美しいと見えてこない。そう言う事は風景を描いてきて、だんだんに判ってきた。だから、以前は日本中を回って、形態的に美しい所を探していた。自然が美しいと言うような意味だ。しかし、人間が風景を作り出しているのであって、植林された見事な山林が美しいと言う、感触がわかってきた。これは長年感じられなかったことだ。植林された林を見ると、自然が痛められ、無残としか感じられなかった。

人工林でも美しい森林はある。美しい村には必ず、すごい人工林が周辺を取り囲んでいる。ぶなの森であっても、薪炭林の管理が、森を作り出してきたものだ。原生林と言うような物ではない。四国の上勝町。九州の南小国町、高千穂の高原町。何処もすごい森が果てしなく広がっている。森での営みが暮らしに繋がっている。そうだったんだと日本人の暮らしを思い起こさせてくれる、生活がある。フランスの美しい村を絵にしたいなど思ったことがない。そこにあるものはフランス人の暮らしであり、絵にしたいような繋がりは、自分の中に湧いてこない。日本人が日本人の暮らしの美しさを、思い出し、繋げて行く。それ以外に、充実した生活と言う物はないのだと思う。この本は色々の事を思い出させてくれた。
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戦争の経費

2008-09-20 06:57:50 | 
『世界を不幸にするアメリカの戦争経済』を読ませてもらった。松本さんが送ってくれた本だ。昨日のついたので、どんな本なのかな、と思い開いたら最後、夜まで読み続けてしまった。すごい本だ。と言う事は私にも判った。アメリカのイラク戦争にかかった戦費を洗い出して行く本だ。推理小説のようで、隠されている謎が、次々に暴かれてゆく。もちろん経済には疎いし、数字にも弱い。その上に、ドル建てだから、ピンと来ない。それでも、筆者のノーベル賞受賞の経済学者、ジョセフ・E・スティグリッツの判りやすい数字の展開は、興味を引きつけて放さない。この本はイラク戦争の是非を書いて居る訳ではない。誰が利益を上げているかが書かれたものでもない。

戦争と言うものがどれほどお金がかかるものかと言う事を、こと細かく分析している本だ。結論としては、2兆ドルと言う見方と、3兆ドルと言う見方が出てくる。判るのは、この巨額な費用が、反論できないような事実として、突きつけられている。怖ろしい巨額だ。もちろん、だから戦争は止めるべきだと書かれているのだが、それは一つの見方であり、主張だ。問題は誰がどう捻じ曲げようが、現代の戦争と言うものが、どれほどのお金がかかるものかだ。2兆ドルにしても、これには日本などの協力国の戦費は計算されていない。このイラク戦争の戦費が、アメリカ経済の今の危機につながっていることは、誰にも判ることだろう。必要な戦費を借金で賄う。そのお金を捻出するために、サブプライムローン等の不自然な経済政策が、無理やり行われた、と作者は書いている。

経済は、この場合戦争会計とでもいった方がいいのか。社会を分析する実に、重要な方法のようだ。これほど無理をして、アメリカに何が起きているか。イラクや中東はどうなったか。この点に言及している。アメリカ一国有利のグローバリズムの問題点。世界の対立激化。アメリカはテロ国家としてイラク、北朝鮮を上げているが、世界での評価はアメリカの方が、より危険な国家として世界から認識されるようになってしまった。これほどのお金が、成果がないどころか、世界から顰蹙を買う結果になてしまった、情けない結果を書いている。イラク国民の70%がアメリカの撤退を求めている事実。石油の高騰に寄与する、イラク戦争の巨額な戦費。これによる損出も、戦費に加えている。ただし、戦争がもたらした、アメリカの利益については、触れていない。と著者は書いている。儲けても居る。

日本においても、同様なことは起きているのだろう。この本では日本が被った経済的損失は1010億ドルから3070億ドルの間と推定される。石油の高騰が日本経済に与えた、損害。普通に農家として暮していても、ガソリンの高騰は努力ではどうにもならない、大変なマイナスの影響がある。我々の暮らしにも、イラク戦争が大きな影響があることが分かる。日本人の経済格差はさらに広がっていると、報道では伝えている。戦争は一部のものには利益を生み、全体としては大きな損害をもたらす。もしイラク戦争をしなければ、こんなことは考えても無駄なのだが、北朝鮮や、イランがどれほど、理不尽であったとしても。あるいはアフガニスタンが、テロの隠れ家になっているとしても、戦争だけは止めたほうがいい。戦争で解決できることは何もない。
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田んぼの生き物図鑑

2008-07-26 04:54:47 | 
最近は本はインターネットで買う事がほとんどだ。昔は本屋さんに行くのが楽しみだったが、時間がない。田舎の本屋さんで「田んぼの生き物図鑑」農文協は買った。2度目の購入だ。前回のものが何処かに行ってしまってどうしても出てこないので、もう一度買った。もう一度買うぐらいおもしろい。「おもしろ」と言う題名だった。田んぼをつけたのは無理やり、と言う感じがするくらい。里地里山の生き物図鑑になっている。狐やタヌキや、シマヘビ、フクロウまで出てくるから、編著者の湊秋作氏の趣味本といった趣がある。小学生向きに編集されている。この本で田んぼ好きが一人でも増えて欲しいと言う思いが籠っている。田んぼに行くマナーなどと言うページまであって、畦を大切にとか、お百姓さんに挨拶しよう。などとマナーが上げられている。

小学生向きだからと言って、百姓でも知らない事がいくらでも出ている。むしろ田んぼ百姓必携と言うべきものだ。先日の、地縛りの刈り方、などという柿野氏の話も、ジシバリがあれだなとわからないと、おもしろくない。あれだろうとは思うが、花のないときに、この葉っぱだと言うのは、確かに難しい。青浮き草と、浮き草の違い。青の付くのは、まだ浮き草稼業になれていない初心者という訳ではない。青い訳でもない。両方とも黄緑色だ。根が違うそうだ。確認すると確かに舟原田んぼのものは、タダの浮き草のほうだ。雑草の繁殖を日照をさえぎり、抑える。とある。微妙なところ、大抵の農家は分結を抑制するから、雑草と見ている。春先の水の冷たい内はたいしたことはないが、温まってくると一気に増える。これが地面からフワーと浮き上がってくる。落下傘の逆の感じだ。喜んでいいのか、悲しんでいいのか微妙な所だが、田植え3週間からの日照制御には大いに役には立つ。

桑原の田字草もそうだ。絶滅危惧3類だかに入っている。単純に水田雑草と扱われてきた草だ。たかさぶろうと言うの草も、雑草だが、いまは危惧種。これがコナギや、ヒエならどうだろう。この2種が無くなれば、除草剤は無くなる。どっちがいいのか難しい。迷惑ではあるが、たぶんコナギやヒエの役割もあるのだろう。除草剤を使ってはいけない。こう言う事を農家に言う人は、田の草取りをした事のない人だ。「やってみてから言え。」やりもしないから、生き物のために除草剤は良くない、などと、平気でのたまう。自分が食べる分だけでいい。1畝だ。100平米。是非ともやってみて欲しい。考え方が変わるはずだ。それぐらい辛い。私は変わった。それで除草剤など使わない江戸時代のような農法を目指して、ひたすら努力する事にした。それが、ソバカス抑草法だ。

田んぼと言うのは実に多様で、2つとして同じ所がない。だから、ワザがなかなか技術に洗練されない。全く意外なことが幾らでも起こる。しかし、除草剤はそうではない。安定的に草を抑えることが出来る、技術化されている。必ず除草剤を使わないでも、安定的な抑草はできると思っている。それには、先ず田んぼの生き物の世界を充分に知る事。田んぼの土の中、水の中はどんな世界なのか。充分に知る事。田んぼを感じる力を、あらゆる角度から育てる事。何処に視点を向ければいいか。何がポイントか。生き物は大きな情報源である。ミジンコの盛衰を見ていれば、それだけでも田んぼの生き物世界が開けるような気がする。アチコチでかえるが少ないと言う話を聞くが、舟原田んぼには沢山居る。何故、居るのだろう。必ず原因がある。田んぼの生き物図鑑は参考になるいい本だ。
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二宮金次郎

2008-06-26 06:33:28 | 
小田原出身者で唯一、お札の顔になった人。二宮金次郎。確か1円札だったと思うが。子供の頃誰だかわからず、恐い顔の人だと思った記憶がうっすらとある。最近なるほど、一円か。そう言う事がわかってきた。金次郎というとどうしても農村の復興、こういうイメージがある。これがどうもそう単純でないというのが、だんだんに見えてきた。おむすび日記に猪瀬直樹氏の「二宮尊徳はなぜ薪を背負っているのか?」こういう本が紹介されていた。そこで早速読んでみた。何故、二宮尊徳が難解であったか。これだけは理解できた。一言で彼を低利融資の町金。個人金融業者と考えれば、分かりやすいという話なのだ。私は農村復興というと、どうしても新田開発とか、作物の改良、耕作法の革新。こういう視点で、考えてしまう。どうも銀行とか、お金を借りるとか言うのは嫌いなので、そこを見たくなかったのだろう。利子という仕組みが嫌いだ。背負っている薪は、現金収入を得て、それを貸し付けるためのものだ。こういう観点だ。お金になる仕組みをハッキリさせれば、人間頑張って働く。これが、小学校に銅像が建てられた理由だった。というのだ。

一円札の顔になるのは戦後すぐの事、GHQがこの人物なら何故いいといったか。ここがなるほどと思えてきた。貧しい中で、努力して、立身出世した。なるほどアメリカンドリームに加えて、お金になる事をやりなさい。そう言う事だったらしい。しかしそんな観点だけなら、今更金次郎でもあるまい。お金になるから、サー働けは、今の世の中の基本原理とすでになっている。給与をくれるから、仕事に行く。農業では、国際競争力のある作物を作りなさい。どうも、採算など考えない、楽しい農業などやっていてはいけません。そう言う事らしい。私は鶏を飼いたいの方が強くて、生きてさえいければ鶏を飼い続けたい。鶏は猫好きの猫と同じことだ。採算も無ければ、効率もない。絵を描くのもそうだ。生きてさえいれば、絵が描ける喜びがある。それ以上のこともない。田んぼをやるのもほとんど同じことのようだ。稲を育てる技術が、実に面白い。これをあれこれ試行錯誤してみたい。そっちの方が業としての成り立ちより、大きくなってしまう。そういうあり方は良くないという事を、本当に金次郎は考えたのだろうか。

だから私のやっているのは、「道楽仕事だ。」こう発言して、えらく顰蹙を買ったことがある。不謹慎だという訳だ。しかし、誰もが好きなことをやって暮せる。そういう社会を作り出そうとしているのではないのだろうか。好きな事が仕事になる。好きな事が、他の人達のためにもなる。人間をもっと信用していい。少なくともそう自分を信用してやってきた。確かに役に立つばかりでない。あれこれやるだろう。好き勝手しながら、役に立つ事もやるだろう。人間本当にやりたいことをやれるなら、力を出す。人間結構くだらなくない、と思っている。その本性がくだらないなら、人間などいなくなってもかまわない動物じゃないだろうか。これは父親の教えだ。「好きな事を探すのが、仕事だ。好きな事が見つかればもう大丈夫だ。」繰り返しこういわれた。

農民から、能力があると言う事で、立身出世し経済を任される。これは江戸時代に於いて稀有な例だ。栃木の桜町という疲弊した村の再興をする。荒れ放題の田畑。屋敷も手入れがない。新旧、家柄の差別に着目。4千石が1千石しかお米が取れない。人口の3分の2が土地を離れる。小田原藩からの派遣役人の熱意の無さ。ほとんど不可能に見える、村の再生を行う。この実際の方法が私には見えないのだ。猪瀬氏はファンドだと書いている。ファンドは報徳仕法の基本的な仕組み。猪瀬氏は報徳仕法から解きほぐした、日本農業の再生を、小泉首相に進言し、方向付けができた。と書いている。しかし、この小泉改革の結果が、今の農村の姿だ。猪瀬氏が事例としてあげているワタミファームがどんな展開になって行くかが、興味深い。
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「風の道」和田傳

2008-06-10 06:06:04 | 
高座豚の話だ。高座豚のコンクール的改良の歴史が読み取れる。鶏の改良の世界はそれなりに見てきたので、高座豚には、高座豚の名人達の歴史があるに違いない。と想像出来る。戦前、「沃土」「大日向村」を書いた作家が、戦後「鰯雲」「風の道」を書いた。大日向村の事が、満蒙開拓の事が、気になって大日向村の事は実際の事であるし、その後の軽井沢での激変の歴史を思うと、和田傳はそうした事をどう考えていたのか。農民作家といわれることもあるこの作家を少し考えてみたいと思って読んでいる。「風の道」は私の知る時代の、私の知る場所の、しかも私が少しは想像出来る豚屋の話だ。豚屋と言う言い方は問題がありそうだが、養豚家では少し違うイメージの世界。ここに出てきてもおかしくない人を何人か知っている。ある意味今だって大きく変わってはいるが、高座豚を作り出すのと、似たような世界がある。

高座豚は要するに、中ヨークシャー種の豚の改良の事だ。豚といえば、我々世代には、ヨークシャーとバークシャー。イギリスで作られた豚だ。「三匹のこぶた」はヨークシャー種。可愛らしい豚のイメージを確立した。バークシャーの方は鹿児島の黒豚。いまでも銘柄豚で、こっちの方が人気だ。今では実際に養豚に使われているのは、イギリス系のものはなく、アメリカや、デンマークの、これらより倍も早く大きくなる豚の方になる。高座豚も忽ちに廃れていった豚の品種だ。その後の事が分かっているだけに、この小説は種豚の改良という角度からは、中腹な感じになる。改良の方向の目算違いだ。消費者の読み違い。業界の変化の読み違い。畜産試験場の人も登場して、指導などするのだが、技官達の馬鹿にされ方がまたすごい。兄がまさにそんな仕事をしてきたので、肉親としてお詫びしなければならないような、申し訳ない気に成る。

小説としては「農村風俗小説」と呼べばいいのだろうか。農民の風俗を書いているとしか言いようがない。農民作家というのが、実際の農民であるとすれば、この人の場合は、地元の名士で勲章をもらう、厚木の名誉市民だ。よくよく農民を観察しているが、観察というのはこう言う事だ。そういう限界も、同時にある。加えて、ここに登場する女性像が、実に浅い。ここに登場するような女性を見たこともないし、いるとも思えない。私が怒りを感じるくらいだから、女性には読ませるわけにはいかない。農家の叔母さん達は差別だと怒るだろう。と言う事は、農民の方も、こんな農民いるわけない。と言えるのかといえば、農民の方は確かにこんな人がいる。豚屋にもいるし、試験場にもいる。鶏の品評会にもこういう人が集まる。

ゴルフ場が出来てゆき、農村崩壊の経過も書いている。しかし、善悪には触れない。壊れてゆく里山の背景は詳しく、実感がこもって書かれる。しかし、それをあくまで観察者としての目で書く。視点やテーマ性がない。善悪の判断を避けるし、巧みに遠ざける。この姿勢が、実は里山の崩壊を進め、高座豚の衰退を招いたのではないか。高座豚の考え方は良かったと思う。健康志向の、農家養豚可能な豚だ。それがアメリカ方式の巨大養豚場に飲み込まれて行くことに対し、良しでもないし、悪いでもない。傍観者的態度だ。今になって高座豚の復活が言われている。これが又、時流に乗るだけの、方向性の無い目論見であれば、結局は一時的な潮流に乗り、流されて終わる。小説を書くという行為は、何なのであろう。大日向村に対する、政府の責任と言う事は、全く問われていない。第2、第3、の大日向村が出来ていったことに対する、和田傳氏に少しでも反省はあったのであろうか。ここが読みたいと期待したが、「風の道」は結局大日向村の繰り返しの道を、眺めただけに終わっている。
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二宮金次郎

2008-05-25 07:01:22 | 
最近必要があって、二宮金次郎を再読している。色々の人が、二宮金次郎の事を書いているが、和田傳著のものを読んだ。本を読み出すと、連鎖的であれもこれもとなってとどまる所がない。しょうがないので、同時並行的に読んでいる。和田傳氏は大きな著作集が出ている。その内3冊だけは持っている。この人なるほどこのあたりの農民の事をよく知っている。もう少し研究したい。最初に和田傳氏を知ったのは、「鰯雲」と言う映画だ。あっと言うような懐かしい景色で出来ている。となりの秦野や厚木の話だけれど、足柄平野の戦後の空気もそのままの想像される。それは又別の事だけど、この人が二宮金次郎を書いたらどう書くのか。強く興味が湧いた。菜種の栽培に、実の揉みごろということが書いてある。分けなく8升の菜種をもめるらしい。当時油絞り屋さんがあり、8升の菜種の実を持ち込むと、一升5合の油に交換してくれる。こんなことが書いてある点に興味が行く。

私の栽培の経験では、畑で着ていた半てんを広げて、手で揉むと言うのは驚きだ。短時間で8升揉めたというのは、正にその丁度の状態であり、天候の乾きも適切であったはずだ。初めての栽培で、それが見えたというところに、二宮金次郎の類希な、観察眼を感じる。菜種は簡単にはじけてしまう。早めに刈り集め、ハウスで弾けるまで置くのが私には実際的だ。油やと言う屋号は聞くから、油絞り屋さんがあっただろうと思っていたが、実を持ち込めば、その場で油に交換してもらえたのだと言う所が、和田傳氏のなるほどと思える見方だ。金次郎は、その油をその場ではもらわない。つまり今頃の5月の時期には油はもらわない。農閑期の冬場まで油屋さんに預けておく。時間が取れる時に本を読むための油だから、早くもらえば腐ってしまう。ともかく和田傳氏は農業が身に付いた人だと言う事が分かる。

しかし、この人の文学は農民文学という枠とは違う。身には付いているが、農民ではない。私が朝市で「お前が畑をやっているわけがない。」こう言われたように、地べたの空気が違う。吉野せい氏とか、長塚節氏とは立つ位置の感触が違う。このあたりをもっと読んでみたい。これは、自分の立脚点とも関係してくる部分だから。「自給農業、市民農、」のありようが不時着地点として、いくらかの平地があるのか。市民農が平和な暮らしの基盤だという、単純な図式を、再度見直さなければ始まらない。おかしな見方だが、和田傳氏は現実主義者だ。鋭い観察眼ではあるが、どうも理想がない。理想では不確かだが、思想がない。何処へ向かうかの方向性がない。解きほぐしてくれるが、指し示してはくれない。

二宮金次郎を何故再読しているかと言えば、足柄地域の再建は二宮尊徳の作法を、加藤憲一新市長は念頭に置いていると思われるからだ。加藤氏の主張した、市民参加の思想の背景には、尊徳思想を感じる。いわゆる近代的な市民自治とは肌合いが少し違う。選挙戦では、彼を赤だといって批判した人がいたが、市長になれば、今度は保守反動だと言う批判を受ける可能性がある。もちろんどういった批判も勝手ではあるが、彼の目指すところは、知っておく事は重要だと思っている。軍国主義に利用された、二宮尊徳の形がある。地域再生家としての二宮尊徳の形もある。この辺の複雑さと、加藤新市長は重複してくる所がある。私としては、農村再建の達人としての、尊徳をもう少し研究してみたいと思っている。
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「野菜の自然流栽培」

2008-03-09 06:30:45 | 
「野菜の自然流栽培」という本がある。春に成ると必ず取り出す本。山で開墾を始めたころ、買った本だ。どうやれば、大根が作れるか。どうやれば、ジャガイモは作れるのか。そう思って買った。人に教わるというのは嫌いだし。本に書いてあるように、素直にやる性格でもない。そんな、素直でない人間でも、この本だけは、何度も読み返した。今も読んでいる。この本には、竹熊宣孝氏が推薦の言葉を書いている。竹熊先生は地湧社から沢山本を出されている事もあり、こちらでもお話を聞く機会があった。すべからく人間の事を、考えておられるかただと思った。農業にとっても大切な方だと思う。古賀氏は、その菊池養生園での農作業の助言なども、されてきた方だと聞いた。大根は何時蒔けばいい、と言う事より、大根がどんな植物かを理解する事を重んじている。

大根を知る事から、むしろ自然というものが見えてくる。そんな本なのだ。その深さが、実践を通して見える。だから、繰り返し読んでいても、ある時はたと、このことだと気付く事がある。例えば、何度も何度も清和村の事だと言う、ことわりが入る。そうだと判っていても、書物では間違いが起きるだろうと、心配をされているのだ。『春は染井吉野の開花で、一日の平均9~10度以上に気温が上昇した事がわかる。』美しいものの見方じゃないか。こんな風に自然を見ている姿がいい。『初夏を知るのは、フジの花で、20度以上で咲き出す。』この自然観察眼の大切さを教えてくれる。あなたはあなたの地で、あなたの農の暦を作るのですよ。この視点を学ぶ。こうした事は、常々測定をしなければ見えてこないことだ。科学的分析による、名人芸の技術化。

自然に従った農業をしていて、又新たに始める人達を見てきて、農業は出来る人と出来ない人が居る事がわかってきた。手間暇ばかりかけて、ともかく理屈はあるが、作物が出来ない人。大雑把で、繰り返し同じ過ちをする人。根気が続かない人。そして、最も重要な所が、自然を見れない人。自然を感ずる力が、農業では、何より大切なようなのだ。日々日々、自然の真っ只中で、生きること。冷暖房の家に暮していては、ちょっと自然農業は難しいような気がする。そうだ、工業的農業の方に行くのだろう。ビニールを多用し。化石燃料を大量消費しながら、自然破壊的な、収奪的農業を展開するタイプだろう。自然の中に生きること、この実感に満ちた本が、『野菜の自然流栽培』なのだ。だから、ウドの作り方を読んでみる。『親株を掘り上げてみると、小さな新芽が顔を出している。そのとき、芽は何本もでているが、親株を5センチの高さに切り、根を30センチの長さに切りそろえ、新芽の中で太くてよいものを、1と株に2つほどつけて、株分けをする。それがおやかぶになる。この作業の時は、良くきれる出刃包丁を使った方がやりやすい。』

そう3月今の時期だ。自分でウドを掘り上げて、なるほど新芽が出ていると、確認してみると、段々この本のすごさが判ってくる。すごく硬いものなのだ。出刃包丁でスパットやるしかない。本から学ぶというのは、実はやって見ない限り、半分も判らないものだ。所がやってみてその事実に突き当たった時、自然の見方の立ち位置が、確認できる。それが農の階段の一段登ることだろう。その感じが把握できれば、どの太さなら、どんなウドになるか。どんな芽なら、消えてしまうか。観察が、一つ深まる。この呼吸の有り方を教えてくれたのが、この本だ。だから、古賀氏から、絵の事も教わった事になる。私の絵が少しよくなるのは、きっと、畑が少し良くなることだろう。
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「自給農業のはじめ方」

2008-02-27 06:46:57 | 
中島正さんの今度出した本が「自給農業のはじめ方」だ。中島さんは「自然卵養鶏法」と言う名著を書かれた方だ。自然養鶏を志すもので、この本で学ばないものはいないと思う。100回以上読んだ。実際やっている人が、やっていることをそのまま文章に書くと言う事は、案外出来そうで難しい。実践の名人の多くはあまりに名人のため、自分が何をやっているのか、良く把握していない場合が普通だ。もう何気なく、習慣のように、すごい技術を行う。職人芸と言うのは、そういうもので、文章化など大抵の作業が出来ない。「名人伝」(中島敦著)の中にその姿は良く書かれているところだ。しかし、中島さんは違う。全ての作業を言語化されている。それに加え更にすごい事は、その技術が全て都市崩壊の論理に貫かれている点だ。羽生五郎氏の鶏の飼い方のようなものだ。そういえば、中島さんは「都市を滅ぼせ」と言う本も出している。

その中島さんが、自給農業について本を出したのだから、当然、読みたくなった。一番の観点は、自給農業の哲学についてだ。名著「百姓入門」(筧次郎著)の農に生きる原点の論理を、どう自給農業の技術に表わしているか。ここが読みたかった。一番ビックリしたのは、黒マルチ農業を提唱している点だ。黒マルチは都市が生み出した、農業を駄目にした産物だ。などと切り捨てない所が、中島氏らしい切り口だろう。黒マルチを使い切れと言う考えのようだ。ペットボトルが悪いのではない。ペットボトルを使い捨てにするからいけない。これと同じ考えで、黒マルチを利用すれば、楽な自給が出来るという訳だ。さて、難しい。なるほど岐阜の山奥で、自給するとなれば、そうなるか。実践の書だ。

私が「発酵利用の自然養鶏」を書いたのは、実践の書は一つではいけない。と言う考えだ。実践においては、逆の事が普通だ。餌は夜やる方がいい。餌は朝やる方がいい。いや、昼がいい。全てが正しいのだ。実践の技術は、総合的に形成されていて、自分の必要な、あるいは都合のいい部分だけ抜き出して見ても、案外に整合性が取れないものだ。だから、私は鶏好きの、鶏の飼い方を書きたかったわけだ。中島さんの自給の本を読んで、随分うずうずさせられた。つまり、農業好きの自給の本がいる。こういう思いだ。ただの自給なら、今だって、この舟原にだって、20軒ぐらいは存在する。ただのというのは、尊敬を込めての事だ。農家の好きでやってきた、ある種の合理性のある自給の姿だ。

しかし、実際の所、趣味が嵩じた、物好き農業の姿は、又別なのだ。どう別とか言いにくいが、訳のわからん草花があったり、ハーブがあったりする。草だらけであるのが好きだったり、いかにも乱雑であったり、おおよそ毎年様子が違うのだ。庭なのか畑なのか、わからないような、自給の姿だ。だから、幾ら草取りが楽だからと言って、庭に黒マルチを張る人はいないだろう。最近は、コンクリート化して、筋に土を残して、玉竜を植えたりするが。庭と言うより、あれは駐車場か。農家の方から見れば、駄農の見本のような、農業の姿が、手間暇かかる自給農業の姿であったりする。筧さんのように、機械力を使うことがおかしいと言う論理もある。たぶん中島さんの本はこれから、何十回と読むだろう。この中にある。稲と麦の輪作、一体これは何だ。何と、稲と言うのは陸稲のことだ。この米あまり時代に、陸稲を推奨するのだから、ともかく、中島さんは独自の道を行く。
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笹村良水歌集

2008-02-14 06:57:35 | 
良水は父方の祖父だ。昭和11年に亡くなっている。仕事としては、謂わば今で言えば、イラストレーターだ。小学校に昔あった、掛け軸を大きくしたような図版の絵を描く仕事をしていた。曽祖父にあたる、その父親と言う人は、土佐から、維新後に東京に出てきた人で、小説を書いていたらしい。大きな新聞にも連載をしたり、歌会始の召人にも成った人と聞いている。良水はそんな家に生まれ、子供の頃から、日本画を学んだらしい。良水は後からの名前で、鉄熊が本名である。生涯、塚本さんと言う方のやっていた、出版社に勤めていた。そこが、学校の地図やら、図版を印刷し出版していたようだ。理科の教材などの標本画のようなものが、今でもどこかの学校には残っているのだろうか。こうした細かい仕事の人は、昔は肺結核になって死ぬ人が多かった。シーボルトに魚の図版を頼まれた長崎の日本画の絵師は、大体の人が結核で若死にした。良水も60で亡くなった。

図版を描きながら、良水さんは和歌を本業と考えていた。「心の声」と言う機関紙をつくり、全国の和歌の同人に千部以上を送っていた、と聞いている。家にも、書いた短冊が残されているが、どんな和歌を作る人なのかは分からなかった。そもそも、私自身は良水さんのお父さんが、鉄熊さんではないかと思っていたぐらいだ。だから、曽祖父の小説家の名前はまだ知らない。その良水歌集と言うものが、たまたまネットでぶつかった。古本を探していたら、国語・国文学・文系一般「渥美書房」と言う所で、笹村良水の名前がある。これはと思ってみると、3000円で、良水歌集が出ている。早速注文して、取り寄せた。なかなか立派な和綴じ本だ。箱に入っている。昭和10年発行となっているから、結核でもう寝ついてから出したものではないか。ネットのあり難い所だ。祖父の事が少しわかると言う事は、何か自分の事もわかる気がする。

苗床と題した歌がある。
「苗床に蒔きにし草の種みな萌えし植ゑし植ゑし植ゑても植ゑどころなき」
「こころして種は蒔かなむ苗床に残されしなえはあわれなりけり」
東京に一生暮した人だ。芝にいて、渋谷に引越し、その後目黒に越した。本の奥付けの住所は下目黒になっている。東京でも、畑が出来たのだろうか。草花の苗だろうか。植物は職業的にも相当興味があったと聞いた事がある。ともかく独特の和歌だ。前書きが興味深い。自分の歌をまとめろと言う声に押されて、まとめては見たものの、出来が悪い。大体歌と言うものに、良いとか悪いとかはない。そのときに思わず出たもので、それをこうしてまとめると、歌が出来る時とは又違うことのようだ。本にして出す意味もないのだが、もしこの先少しでも歌がよくなるための、一助になるなら、出す事も意味があろう。などと書いてある。そのあと少ししてなくなる。

こう言う不思議な和歌だったのかと、少し驚きがある。明治天皇御製薫というものに一番近い印象を受けた。全く忘れたけれど、その中の和歌は、「長く生きた人の話は、大変興味深い、心して聞くといい。」こんな調子だったと思う。今言う短歌とはだいぶ異なる。考えた事をそのまましゃべるような具合だ。どこか自分が考えている絵画の事と、通ずる所がある。この本をまとめた祖父の年齢に、今の私は近い。絵も見ることが出来ると、いいのだが適わぬことだ。父も和歌を作っていたが、まとめる事はなかった。父は戦地に長く居たのだが、その時は、自然和歌が出てきて、いいものができたと言っていた。和歌を作るには、慌しいような暮らしは駄目だ。戦争と言うのは以外に単調なものだ、と言っていた。
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「想像」 発行所の羽生槙子氏

2006-10-17 06:21:27 | 
定期購読している雑誌が、送られてきた時のうれしさ。封を開けるときのもどかしさ。「想像」が先日来た。その前には、江ノ島電鉄「鎌倉高校前の海」を送っていただいた。羽生槙子さんという詩人からだ。想像発行所は今は鎌倉の方に移った。その経緯なども、想像の中で触れられていて、それなりには理解したが、今度の詩集がその成果だ。そんな風に言っていいのかどうか分からないが、今度の詩集は鎌倉に暮している人の詩だ。

羽生さんのことは、NO2の測定活動の中で知った。以前、東海大学の佐々木先生の指導で、山北の測定を担当していた。神奈川県全域を同日に測定をしてゆくことで、全体の大気の状態をつかもうという事だった。

山北と言っても広いので、各地域の方にお願いして、取り付けていただき、配布や回収を担っていた。興味としては、箒杉の辺りはどのくらいか。犬越路にある県の測定を確認するという事もあった。所が、このことをきっかけに、地域の人で環境に感心のある人が、たくさん居るということを知った。その方達との交流のなかで、第2東名高速の問題。産業廃棄物の処理施設の問題。エコループの問題と、かかわりを持つことになった。

地域の人達の在り様と、他所から来た者のありようは違うし、そこは上手く分担する気持ちで、問題に取り組んできた。NO2の測定活動はそのきっかけになった。
川崎の方の喘息に発する、裁判の支援という事が、この活動のスタートにあった。同日に測定すると、何と山北の246号沿いは、特に向原の信号辺りは県内1,2を争うほど、大気の汚染がひどかった。

そこで、24時間通して正確に測ろうとか、高度を変えて測ってみようとか、正確な測定器を持ち込み色々試みた。佐々木先生も我が家に泊まりこみ、指導してくれた。そのとき、何年間も毎日測定を続けている人が居ることを教えれた。その方が羽生槙子氏だった。それを冊子にしているというので、お願いした。そこから、想像出版所のことを知った。

取り寄せた「想像」には瀬戸内の島に住む老夫婦の話が連載されていた。この連載に魅了された。90を越えた老夫婦が二人で暮している。その病院通いや、都会に暮す息子さん達とのかかわりが、瀬戸内の島の空気そのままに、淡々と綴られている。生きることがこれほど、しっかりと伝わる文章に出会ったことがなかった。

それは、いつも掲載されている、羽生家の自家菜園の日常もそうだった。日々の野菜や虫のことなどが、正確に、詩人の目で綴られている。しかし、その平和な暮らしの背景に、平和運動に取り組まれてきた歴史がある。その芸術と生活の姿に学ぶところが多かった。イラク自衛隊派兵のとき、強い憤りがあるが、詩の中でそれを直接語ることは出来ない。語ることの出来ない、悔しさの強さがひしひしと伝わってきた。芸術の無力。私の詩は野菜のことであり、虫の事だ。そのことが、歯軋りのように書かれていた。

人から人に伝わるという事は、そういうことだと知った。声高に叫ぶことより、思いの深さが、小さな一言に込められるという事がある。芸術はそういうものだと思う。それがいかにも歯がゆいが、それだけに伝わったことの真実がある。今度の詩集の中に、眠った赤ん坊に、「海だ」と教える若い女性がえがかれている。

その思いのあふれ方に、生きている生の声が聞こえる。そうした一瞬の切り取りに込められる物が、平和な暮らしであり、平和運動だと私は思っている。こういうときっと、それは甘いという人が居るのは知っているが。
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食農教育:農文協

2006-10-14 06:41:23 | 
農文協から出している、「食農教育」という雑誌がある。以前、手作り孵卵器の作り方、を掲載してもらった。昔から、これには興味があって、色々やってきたので、このときは決定版にしようと、工夫をした。小学生でも出来る、お金がかからないで、工作が簡単で、といういい孵卵器が出来た。それを読んで、やってみて上手くひよこになったという、嬉しい便りもあった。

その11月号に、卵のことで再度掲載した。今度は、もう少し卵の成り立ちなど、孵化を授業化するときの、アイデアなどが載った。これは教育関係者が多く読む雑誌なので、学校で孵化してもらおうという意図がある。鳥インフルエンザの問題が起きて以来、全国の学校で鳥の飼育がなくなった。鶏の普及は、学校の飼育係からと考えていた私としては、極めて残念な現状だ。

鶏はただでさえ、生活の中で飼えなくなっている。鶏が飼えないような暮らしは、暮らしを取り巻く環境がおかしいと、思っている。飼えない状況が広がっていることだけは変わらない。鳴き声がうるさいといわれるので、どうしたらいいか。こういう相談が時々ある。小屋に雨戸を付けて、閉めてしまったらどうか。寝箱に入れて、部屋で寝かせるようにしたらどうか。など答える。声の響かない、声良鶏ならどうかという事もある。
鶏好きはみんな困っている。

「食農教育」の11月号は、味噌汁特集だ。味噌汁を総合的に特集している。これが実に面白い。味噌汁なら、大豆作りだ。これもきちっと出ている。食の基本が、農にあることが、おさえられている。この雑誌のテーマは、「地域と子供の個性を伸ばす」とある。この「と」がいい。地域の個性が伸び、子供の個性が伸びる。この雑誌が、又学校で、鶏が飼われることを望むのは当然のことだろう。このことは大切なことなので、できることがあれば協力させてもらいたいと思っている。

50号の記念特集号にはくだかけの「和田重良」が記事を書いている。くだかけは鶏の古語だ。山北の頃は、お隣さんだったので古い付き合いがある。農業のこと、生活のことを書かれている。最近はくだかけでは養鶏を始めている。以前鶏を飼いたいというので、笹鶏を差し上げたことがあった。その後、何か獣に襲われてしまい、全滅した。何しろ山の中で、獣の方がずーうと多い所だ。今度もそうならないことを祈っている。こうした暮らしに目を向けて、編集している雑誌が、きちっと51号になったことはすごい事だと思う。

あしがら農の会の活動も、地域では孤立した小さな動きだけれど。全国で同じような動きが、あるに違いないと思っている。食農教育の中には沢山の志を同じくする人がいる。まさか、学校の教師にそんな人が居るとは思えない。等とつい思うが、この困難な学校という世界で、本気で活動してくれている人が居る事に、感激する。
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食農教育

2006-09-27 06:24:07 | 
昨夜は、無理を言って夜に「食農教育」の阿部さんに来ていただいた。夜わざわざは申し訳なかったのだが、昼が時間がとれず、そういうことになってしまった。カメラマンの方にも、遅くまで、申し訳なかった。写真を撮りに来ると言うのに、夜で、機材が多くなり、大変だったと思う。

農文協という出版社がある。ここの出している「現代農業」が自分にとって、長い間、福音のようなものであった。自分が何をしたいのか、何に向かっているのか、何者なのか、皆目わからず、悶々とした気持ちで、東京に暮していた。現代農業を手にとって、ホッとした。その頃は当然現代農業に記事を書く事になるとは夢にも思わず、読んでその気になって、息をつくという状態だった。

農的な生活に憧れると言う気持ちが、徐々に育っていった。絵を描いてゆくという中で、一体描くべき内容はどこにあるのか。このことに行き詰っていた。農的な暮らしと言うか、反文明的な暮らしに活路を見つけられるのではないかと言う気持ちが起こってきた。それがその後、自給自足の実験生活になった。

昨夜の取材は、手作り孵化器の撮影だ。このブログにもその記事は載せたが、小学生が、費用をかけず、簡単に手に入る材料で、工作できる。そんな孵化器を作ったのだ。この孵化器は正直自分でも驚くほどの性能があり、市販されている孵化器より孵化率がいいほどだ。実際その記事から孵化を試みて、成功したと言う手紙を貰って嬉しかった。

これは私自身が子供の頃、やったことの再現だ。卵を温めるとヒヨコになる。このの神秘から、鶏にのめりこんだ。小学校の飼育係から、科学の道に進んだ人は少なくないと思う。それが、鳥インフルエンザ以来すっかり下火になった。その騒動の直後、食農教育では手作り孵化器を掲載すると言うので、さすがだと思ったのだ。消えかかった火を絶やしてはいけないと、頑張っている人は、いる。

小学校の家畜飼育は、本格的に教育として行う価値のあることだ。鶏を飼って見る。このことから、広がる世界、哲学、は教育そのものだ。但し現在の学校に、その指導が出来る教員がどの位居るだろうか。だからこそ、地域に学校を開き、地域の人材を生かすべきだ。

以前地元の久野小学校の教員に学校田のことで、話しをしたことがある。このことの意義と、今後の広がりについて話した。するとその教員は「何で私がそんなことをしなければならないのでしょう。」こう拒絶した。やらないでもすむ事を、何でやらなければならないのか。驚いたようだった。学校田とか、家畜飼育が余分なことと考えられている。興味のある教員が居るなら、やったら言いと言う、レベルで捉えられているからこういうことになる。

まぁー、学校の世界も、カネにならないことはやりたくない。こんな感覚を感じた。教育にかかわると、「きれいごとと、金。」はいつも臭う。
農文協には、そうじゃない空気がある。だから、農文協に頼まれたことは、できる限り協力することにしている。
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