


- 交通事故
- 好適生息地の消失及び改変
- 不適切な飼養をされた飼いネコとの間でFIV(猫免疫不全ウイルス感染症)等の重篤な伝染性疾患の伝染や生息地内での競合
- 昭和49年度から生態・生息環境等の調査を実施
- 平成6年国内希少野生動植物種に指定、平成7年保護増殖事業計画(農林水産省、環境省)策定
- 平成6年より西表野生生物保護センターを拠点として、生息状況等のモニタリング、行動圏調査、外来生物等による影響の防止、普及啓発、交通事故防止対策等を実施
- 鳥獣保護法:生息地の一部を国指定西表鳥獣保護区に指定
- 自然公園法:生息地の一部を西表石垣国立公園に指定
- 文化財保護法: 国の天然記念物(昭和47年)、特別天然記念物に指定(昭和52年)
- 条例:竹富町ネコ飼養条例により、飼いねこの管理について、マイクロチップによる個体登録、西表島に持ち込む個体の検疫が義務づけられている。





権威ある雑誌というものがあった。雑誌に書かれたという事で、評価が定まるような雑誌があったのだ。雑誌の中に世界観が広がっていた。FMファーンという音楽雑誌はよく読んでいた。一ヵ月の放送予定表がある。録音チェックをこの雑誌で行う為にこの雑誌を買っていた。当時はクラシックファーンだったので、FM放送でリリークラウスのモーツアルトの演奏があるというのを調べて、それを聞くために家に戻る。あの頃はモーツアルトファーンだった。余りに大事で、これという時だけ聞くことにしていた。音楽好きの友人がいたわけでもないので、一人でその演奏をただ聞くだけなのだが。誰の演奏がどうだこうだというような、高いレベルでもない。ただ音楽を聴かないといたたまれない気分だっただけだ。蘊蓄も全くなかった。それでもFMファーンの音楽評論がどこか面白かった。季刊芸術は高校生の頃から買っていた。それが新刊で買うのではなく、売り出されてしばらくすると三宿の古本屋さんに100円で必ず出るのだ。今でも捨てられず全巻残してある。あの雑誌で現代美術と言うものの存在を知った。美術雑誌というものがなくなり、芸術論など存在しない時代になった。
大学の頃はアルバイトの収入があると本屋に行って雑誌を買うのが楽しみだった。本屋さんに行くのは雑誌を立ち読みするためだった。それで何か一冊買ってかえる。雑誌黄金期だったのだろう。愛犬の友と美術手帳と将棋世界を一番買ったかもしれない。情報は雑誌からではなく、ネットから得ることの方が多い。将棋連盟のホームページを見れば、昨日の羽生竜王の勝敗が分かる。棋譜も出てくる。講評もある。自分の見解をコメントすることさえできる。こうした社会の情報機能の変化の中、週刊誌ジャーナリズムはどうなるかである。文春砲と呼ばれる、スキャンダルの調査機能を高めて、新聞とは違う脇から足をすくうジャーナリズムの誕生したかにみえたのだが。新聞に持ち込んでも取り上げてもらえないような際物も、雑誌なら掲載される。雑誌の低俗化が、ジャーナリズムの健全性を保っているともいえる。雑誌を売らなければならないという必死さが、週刊誌世界の調査報道を生み出している。
雑誌編集者は新たな若い購買層を探すことは諦めているようだ。残ったパイをちぎり合っているのが現状であろう。中高年向きの雑誌の生き残りは健康志向である。どの雑誌にも健康欄がある。今でも何かないかなと、つい本屋さんの雑誌欄を一渡り見る。残念ながら、買いたい雑誌がないまま帰る。もちろん様々な健康本が溢れている。そこに週刊誌も割り込もうというのだ。こうした情勢の中、ネトウヨの雑誌化と言えるような傾向が新潮45に生まれた。 自民党の杉田水脈衆院議員の記事が掲載された理由だ。ざっと読ませてもらった。自民党議員の知性の低さを証明したような記事だった。ネトウヨレベルの鋭さもない。こんな国会議員も存在することが証明されたことは良かった。もう自民党はまともではないなと思う。しかし杉田氏を良いという層があるらしい。ご本人の話では自民党内にも、もっともな意見だとしてくれる先輩がいるという事だ。これだから新潮がネトウヨ化したのだろう。
今も継続して買っているのが、「現代農業」である。40年前から私を農業に導いてくれた雑誌である。三軒茶屋の甲文堂書店で出会った現代農業。現代農業を読んで、いつか自給農業を始めてみたい。鶏を飼うような暮らしがしたいという思いを高めた。きっと現代農業は今も若い人の灯台になっている気がする。自給農業を考えるようになったのも、現代農業を読んできたからだ。人間が精神の自由を保って生きることができる社会が遠のいている。日本もすでにそうなっていると思う。捨てられないで季刊芸術を今も持っているのは、こんな時代があったという証だ。良いものが存続が難しいのは世の常であるが、次の世代の人に申し訳の立たないことだ。私たちがだらしがないから、こんな事態になったのだろう。一寸の虫として、ブログを書き続けている。ブログであれば、お金がかからず自分の考えを発信続けられる。
カンヌ映画祭で最高賞を受賞した、是枝裕和監督の「万引き家族」を見に行った。小田原のTOHOシネマである。100人ぐらいは入っていた。さすが受賞作品は違う。すぐれた作品である。心をえぐる作品である。身も心も切り刻まれるような痛い映画だ。余りに凄まじくて、直ちには言葉にならない状況にまだいる。人間が生きるというどうしようもない悲しみがにじみ出ている。心の奥の奥の方をえぐられた感アリ。見ないできたものを、さらけ出されたという感じ。まったく突如、死んだ父と母を思い出した。この年になって縋りつきたいような気持だった。悲しさは喜びよりも強く記憶に残っている。人間が存在することの悲劇性のようなもの。すごい映画だなあ。日常の中のドフトエフスキーか。日本にはこんなにもすごい映画人がいるのだ。日本という社会の上滑りな実相の裏側にこんな地獄の世界がある。どうしようもない人間の生きること。どこまで行ってもあの嘘で塗り固められているアベ政権を支持する、日本人というどうしようもない現実までもが重なり合う。
悪の意味を実感させられる。人間というものが引きづっている、悪。少年の中に芽生える、正義の意味。命に代えられる正義などあるのだろうか。正義を飲み込むこの不安定社会の暗闇は底なしである。意味なくわが子をいたぶってしまう人間の意味。わが子を苛め抜くような人間の歪みはどこから生まれるのか。人間本来の病気なのか。社会の病なのか。歪み始めた人間は何処に行くのか。幸せな家庭は軒先から焔が揚がっている。卑劣と呼ぶしかない幸福がある。全ぶ嘘なんだ。嘘だったんだ。人間の奥底に横たわる、暗い焔。暗ければ暗いほど、燃えが揚がる幸せ感の不安定な世界。命というもののどうしようもなさ。心はいつも道を探し、道に迷い、止まる。動けない命。それでも這いずり回る命。子供という一人では生きられない命の哀れさ、悲しさ。どうしようもなさ。この話はまぎれもなく私のことであるという耐えがたい痛さ。卑劣な人間の真実。きれいごとの表面性が脱ぎ取られる。
この映画がフランスで評価された意味をかみしめる。フランスは映画国である。学生は文学のように映画を語る。日本の昔の学生が文学青年であったように、フランスでは映画青年がいる。映画の芸術性、文化性が高く評価される。この日本の病巣のような複雑な映画が、フランスで評価されたことに驚きがある。世界の映画人の見識。フランスの文化レベルの高さ。アンドレマルローが日本美術を理解できたように、フランスの評論文化の深い思想を思う。受け止める文化があるからこそ、この理解しがたい日本社会の特異性を理解しえたのだ。犯罪というものを通して家族を描く意味。万引きをしながらしか生きることのできなかった家族の幸せ感はあまりにも悲しいだろう。万引きした飴が甘いわけがない。苦い飴を幸せとする、悲しい虚構。万引き家族は、思いの家族である。血族ではなく、気持ちで仮想される家族。疑似的家族にフキ寄せられる下層社会。下層であるが故の生きる日々の生々しさ。傷を刻み付けながらしか生きられない苦界浄土。痛みが故の救い。分断された社会。階層化され上昇のできない絶望の社会。
社会のシステムが完全に無意味化している。児童相談所の現実遊離。警察を代表する社会と言う法律に準拠する社会の陳腐化。児童虐待防止のキャンペーンが行われている。日本では毎日一人の子供が虐待で死亡している。この目をそむけたくなるような事実に向かい合う必要がある。子供はどれほどの虐待を受けても、本能的にその親に助けを求める。まさに地獄である。それを防ぐことのできない病んだ社会がある。競争主義に踏みにじられる人間性。敗れるたものに待っている地獄。子供をいじめること以外にはけ口のない病んだ親。その病んだ親をどうにもできない社会。児童相談所の職員を今すぐ倍にするくらいのことは、出来るはずだ。待機児童などいない社会を今すぐ作れるはずだ。日本は虐待防止予算の対GDP比ではドイツの10分の1だそうだ。アメリカの130分の1だそうだ。国際競争力の前にやることがある。日本の危機は、日本社会が危機的状況にあるという事に気づかないところにある。
田んぼの仲間の岡本さんが作った本を頂いた。「特例子会社の仕事の進め方」河出書房新社発行。という一見難しい名前の本だが、これが実にコミック入りという何処までもわかりやすく作られた本なのだ。この発想がすごいなぁー。ーーードコモが実践する発達障害者・知的障害者の理解と対応策。と表紙に書かれている。岡本さんはドコモに勤めているとは聞いていた。10年以上前になるのか、岡本さんは東京に勤務しながら、小田原で農業は出来ないかと訊ねて見えた方なのだ。その生き方には興味深いものがあった。農地の世話は必ずするからと、まずは家探しからしたらどうかなど相談した。その後小田原に転居して来て、畑をやったり田んぼをやったりしてきた。奥さんがまた面白い方で、創作モンペを作ってネット販売を一時していた。私も裁縫仕事は好きなもので、どこか話が合うところがある。子供が生まれて、小さい頃から田んぼをよく手伝う良い子だ。今年も田植えに来ていた。小さな子供たちがたくさん来ていたので、にぎやかな華やいだ空気に欠ノ上田んぼもなっていた。
岡本さんがドコモ・プラスハーティーという会社で働いているという事を初めて知った。障碍者と一緒に働いているという事は、少し聞いていたが、こんなすごい仕事をしているのかと改めて分かった。独特の人だとは思っていたが、良い仕事をしている。何かの会社でのアンケートに趣味は田んぼと書いたことから、こういう仕事に入った。というような話を聞いていた。何かすごいことがあるらしいとは思っていた。いつも企業と言うと悪いイメージで見てしまうが、企業でなければできないような良い仕事を作り出している。私も農業分野の作業所を作ろうと、努力したことはあったのだが国が求める設備とか、規模とかいうもので挫折した。それだけに、ドコモの取り組みには何か打たれるものがある。企業というものを刮目してみなければならない。反省。
これだけの仕事をしながら田んぼをやり続けるというのもすごいことだ。これこそ家庭イネ作りではないだろうか。この素晴らしい生き方に、協力できるのはうれしい。趣味の息抜きというようなものではない。バリバリに働きながら、自給の田んぼをやっている。こんな事例が日本に増えてきたら、日本が面白い社会に生まれ変わるような気がする。岡本さんは先駆者としての大変さもあるが、大いにやってもらいたいものだ。実は農の会にはこうした企業に勤務しながら、自給の稲作をやってみたいという人が何人も集まっている。岡本さんは特殊な事例ではなく、むし普通である。奥さんがキャリアウーマンで旦那さんが新規就農者という女性活躍の家族もある。そういう暮らし方が選択できる社会こそ面白いのではないか。そんな農業が都市近郊の耕作放棄地に広がってゆく。それを可能にする制度を国は作る必要がある。農地法の壁など早く取り払う事だ。日本らしい新しい、瑞穂の国がそこにはあるはずだ。安倍昭恵さんが見せかけだけでなく、本気の稲作をしていたらまた違ったのにな。
岡本さんが特例子会社の仕事を模索できたのは、田んぼをやりながらだったからこそではないだろうか。私はこの本を読みながらそういう事を思った。田んぼをやることを通して、プラスハーティーという事になったのだろう。田んぼをやることで、心が温かくなったのではないか。暖かい人だから田んぼをやったのか。それにしてもこの本で語っている岡本さんは、実に雄弁で見違える。私が絵が少しはまともな方に向いたのは、私が、自給の暮らしを続けたからだぞー。そう言えるくらいに絵がなればいいのだが。今のところ、まだまだである。一昨日も遅くまで、岡本さんは田植えをしていた。奥さんはいつものように、口ではこぼしながらも笑顔が明るかった。私は遠巻きに近づかないように見ていた。農の会の距離感である。そしてそういうすべてが絵になると思って見ていた。
名蔵湾の絵の部分 ---筆触について
最近、「八重山日より」を読んだ。宮城信博さんという方の書いたものだ。いわゆる散文というのか、随筆というのか、もう一つ違うような気もした。たった一行だけの、何と呼べばよいかわからないが、詩とは違うと思う文章もあった。雑誌の囲み記事のような文章である。はじめて石垣の人のことが少しわかった。けっこう芯が強い。石垣の人間模様が書かれているから石垣が分かったというのではない。この文章に現れる石垣の人の持つ空気感のようなものを感じた。それは内容というより石垣人の書く、独特の文体というものを感じたからなのだ。何気ない文章のわりに自己主張が強い粘りのある文体。内容が負けず嫌いというのではない。文章の言い回しの仕方や、言葉遣いにそんな感じがしたのだ。石垣に生まれた人が、沖縄本島に暮らしているのだなあ。どうも八重山料理の店をやっているらしい。それなら納得がゆくと思える何かがある。文章のあちこちにふるさと自慢がある。がそれが気になる訳ではない。
むしろ、何かいいがたいものがあるような、書き残しているような、あるいは言いよどんでいるような、書ききれない何ものかが、文体から匂う。極めて聡明で論理的な文章である。にもかわわらず肝心なことには触れようとしない。肝心なものがないのであればいいのだが、肝心なことがかなり重く横たわっている気がしてならない。そんな文体なのだ。その有様を分かりやすく書けないで残念だが、そうとしか言いようもない。本当は文体ではないのかもしれない。さっぱり見せようという、技巧的な文章ではあるのだろう。そこに理由の分からない晦渋が残る。何気なさげのでは済まない心の淀みが聞こえてくる。そんなこと一番遠くのことだと示そうとはしている。ここが人間のどうしようもないところだ。このどうしようもない、いわば馬脚のようなものが文体にあらわれてくる。文体の余韻。切り上げ方にある。多分そういう事は私の勝手読みなのだろう。人間というものは結局たくまずして文体に表れる。
究極の教師というものは存在したことすら思い出しもしない人だそうだ。素晴らしい教師は自分の存在を消してしまう。あの先生は良かったなどといわれるうちはまだまだなのだという。まだ恩着せがましい教師かもしれない。あの人のお陰という形で、生徒と接するという事は、先生としてはまだまだというのだ。少しも役立たなかったと生徒当人は思っているのだが、実はその先生のお陰であるというようものが教育であると。本来の教師というものは、その生き方で人の道を示しているだけである。方法論を示すのではなく。先の方の方角を生きているのが教師である。道元禅師は自分がそう生きただけであって、後に続くものにこうした方がいいなどとわざとらしく示すことはない。後に続くものがその生きた道をたどり、こういうことが道らしいと学なぶだけだ。教師は消えなければならない。そういえば先生の生き方は素晴らしかったかもしれない。そんな私の先生を何人か思い出すことができる。その人は自分を教育者とは考えもしなかっただろう。
生きるという事はくだらなくて沢山だ。ダメでもいいじゃん。その人であればあとはどうでもいい。他人から見た価値などどうでもいい。人の素晴らしさと較べる必要などあるはずもない。文章では書いている内容とは別に文体である。それは絵で言う筆触のことなのだと思う。絵には、色とか、形とか、ある訳だが、一番意味のない筆触が一番重要だと考えている。主題から見れば、どうでもいいような文体とか、筆触といか言う事にむしろ、重要なことがある。上手な筆触というものは、その描く人間に近づくことを出来なくする。下手な筆触はわざとらしくて鼻に着く。筆触はただ在るものだ。筆触は筆跡と似ている。筆跡鑑定という事があるように、そこから読み解けるものが沢山ある。書道というのはほとんど筆触のことともいえる。水彩画では筆跡ほど絵を左右しているものはない。良い筆触になるためには、自分を磨く以外にないという事は、文体と同じなのではなかろうか。
日本精神史 阿満利麿 著を読んでの感想である。ずいぶん長いブログの文章になったのは、有権者がアベ政権を支持してしまう、今の政治状況をいろいろ考えながら読んでいたからなのかと思う。阿満氏は法然の絶対凡夫の思想というような考えから、日本人の自然宗教を否定しなければならないものと考えているようだ。日本人の中にある自然宗教の影響がアベ政権に従ってしまうお上意識にもなっている、と考えていいのかもしれない。そうかもしれないと思うが、むしろ日本の自然宗教というものは乗り越えると、言うような何とかなるものでなく、事実を確認すべき様なことと私は考えている。科学的に日本人を分析する上での要素という事である。日本人にはこうした自然宗教の民俗性がある。という形で分析する以外にないことだと思う。日本人が人と挨拶をするときに何故頭を下げるようになったのかというような歴史的分析、というようなことに近いことだと思う。
日本人はそうした民族性を深く自覚はしなくてはならないことは確かだ。しかし、それは否定するべきものというより、未来に生かす方法を考えなくてはならない性格のことだ。絵を描くときにより日本人に入り込むことこそ、世界にとって意味あるものになるのだと思う。日本人が宗教的ではない民族であるのは、良いことだと私は思っている。公明党が創価学会を背景に政治の分野で、ご都合主義の悪い動きをしている。アベ政権に対して、現世利益と引き換えにすべて従っているように見える。そうでないというなら、平和の党の安心とはどういうものなのか政策として示してもらいたいものだ。そして創価学会員は、教祖の言葉をどのように聞いているのだろうか。これが日本の自然宗教の影響だとは私には見えない。教祖の池田氏は平和主義者ではないと考えた方が良いのだろうか。こういう政治理念のない宗教の形が、民主主義に最も悪い影響を与える。日本の宗教が政治と関係してよかったことはない。日本人の民族性は政治と宗教と上手くかかわれない関係なのではなかろうか。
日本の宗教は戦争に加担した。その反省が不足している。それは自然宗教の影響というより、日本の宗教が既得権益団体化しているからだ。その教団の繫栄の為には、宗教としての教義すら、軽んじて恥じるところがない。自民党総裁が主張する憲法9条の改定に対して明確に教団として反対しているところはあるのだろうか。お上の意思を忖度するのが得意なのが宗教組織のように見えて仕方がない。法然や親鸞が提唱した浄土宗がどの宗教よりも、寺院も衣装も絢爛豪華である。日本人にはまれなほど派手な姿である。それが凡夫の姿というものなのだろうか。私は悟りを目指す曹洞宗の僧侶ではあるが、生涯凡夫だろうと思う。悟りなど開ける感じもない。しかし、自給に生きること、絵を描くという事を自分の道として、取り組み続けるつもりだ。それは悟りを開くためというのでなく、そうしたいという思いだけだ。
日本人は3000年の稲作農業を続けることで日本人を形成した。それが日本人の精神史の根本にある。このことを考えない限り日本人の精神史は明確にならないのではないだろうか。何故天皇が天皇として存在しているのか。この独特な近代国家を生んだ原因も見えてこないだろう。政府に従ってしまう日本人が形成された理由は、江戸幕府の統治手法と、明治帝国主義にあるのではないだろうか。1500年も学んだ仏教もそれほど精神史に影響があったとは思えない。日本人の自然宗教というべき体質が、こういう国を作り出した。神や仏は実は死んだ祖先のことでる。仏さまと言う言葉はむしろ死んだ人のことの印象が先である。お釈迦様でも阿弥陀仏でもない。ここに抜き差しならぬ日本人がいる。そして、稲作を止め、地域に根付いた暮らしが失われた現状。日本人の精神は危ういところに来ていることは間違いがない。
明治政府が日本人の精神世界を大きく変貌させた。廃仏毀釈と靖国神社である。まさに、イスラム国やタリバンの仕業と同じことを明治政府は行った。寺院を破壊し、仏像を燃やした地域まである。大量の僧侶が還俗させられた。神道を天皇を中心の国家宗教にしようとした為である。この問題は深刻なことで、安倍氏が突然語った美しい日本にまで影響している。安倍氏一派が靖国神社にこだわる姿は、明治政府の末裔のつもりだから。靖国神社というように神社の名前がついてはいるが、他の神社とは全く違うものと考えなくてはならない。日本人の自然宗教的なご先祖信仰を、国家が利用しようとしたものである。それぞれの家に於いて、ご先祖は神様になり、山に帰り自分たちを見守ってくれているという意識があった。それは稲作にを継続する暮らしでは、具体的な感謝であり、また自然の力への畏敬の念と自然災害から神の力で守られたいという気持ちである。
日本人の自然宗教を日本帝国主義成立の為に、利用しようとしたのが靖国神社である。近隣諸国が靖国神社を忌み嫌う理由はここにある。靖国神社では死んだ軍人が、神様になり日本を守ってくれるという意識を形成しようとした。村の鎮守の神様への信仰心は日本人の自然宗教と繋がる、原始に繋がるものだ。この意識を軍国主義に置き換えようとしたものが靖国神社である。ご先祖に見守られて生きる日々の安心感や生きる目的。この信条を国家というものに置き換えようというのが、靖国神社である。徳川家康が檀家制度を作り、仏教を葬式仏教に変え、すべての国民をお寺の下に置こうとしたことに繋がる。家康の奥深さは檀家制度を作りながら、村野神社に関しては否定をしない。ところが明治政府は靖国神社を作る一方で廃仏毀釈を敢行し、仏教と檀家制度を破壊しようとする。
しかし、死者という恐ろしいものを始末してくれて、預かってくれる有難いお寺さんから、日本人の心は離れることはなかった。これは現代の溢れてゆく墓地の存在を見ればわかる。墓地の管理人であるお寺の存在のいい加減さ。公営墓地の方が安くていいと言う程度の立場に今やお寺はある。土地に根差して生きていた、3000年の日本人の暮らしが、影響を与え作り出したものが日本の自然宗教である。中国から渡来した仏教は、奈良時代にも律令制度を支えるものとして、神社も国家宗教として、日本統治の制度に取り入れられる。しかし、その時代においては神社も仏教も死者との関係は薄い。死者を宗教的に弔うという事よりも、土俗的に死者を弔う事が日本人の心には納まりが良かった。沖縄の墳墓がチャンプル文化をよく表している。死者の弔い方には古い時代の薦骨の風俗を残す集まりのできる墳墓である。その沖縄式の墳墓の屋根の上に本土的なお墓の形を載せている。
読み進めているのだが、なかなかこの本の主題は、私には見えてこない。政府をお上と感じ、お上はそうひどいことはしないだろうという、論理を超えた従属意識の根源を探るという事だろうか。自然宗教というものは、絶対的な自然の力の前に生かされているという人類が共通に持つ、自然畏敬の念である。この人類共通の原初的な宗教間の影響というより、仏教的な思想を感じた。読みながら、金沢大学時代の出雲路暢良先生のことを思い出した。極めて論理的な思考であって、明解なようでありながら、結論に至らないのは生きるという事がそういう探求という事なのであろうか。出雲路先生の部屋で週一回集まりがあり、出席させてもらっていた。出席者が順番にその週にあったことを話すのだが、誰かの話から、先生は飛躍して自分の宗教観に入り込んでゆく。あの感じを思い出した。多分、著者阿満氏はどこかへ深い穴に入り込んでいる。その穴ぼこの深さが恐ろしい気がした。
天皇の存在が日本の自然宗教を考える上で重要である。また、日本人の個の独立のない、お上に従う意識には、天皇の在り方が影響されているのも確かなようだ。私にはそのその意味でも修学院離宮を考えてみる必要があると考えている。修学院離宮は天皇家がもっともその意味を確認させられた、消滅の危機にさえさらされた時代に作られたものだ。日本の水土の理想郷を作ることで、その在り方を形として確認しようとしているのではなかろうか。それは、日本の3000年の循環農業の行き着く姿でもある。アジア学院というものが栃木にある。鶴川農村伝導神学校東南アジア科を母体とする。ここにおられた方で、アジア学院の成立にかかわった方がいる。小田原のキリスト教会の牧師さんであった。この方が農業を小田原でもやりたいというので、協力させてもらったことがある。その過程でアジア学院が作られたころの話を詳しくお聞きすることができた。やはり宗教的想いを根底に持つ一つの理想郷作りである。那須にあるアジア学院を訊ねて、その感想をより強く持った。
農業では考え方が具体的な農場の形に表れる。斜面を利用している。上部に宿舎を作り、そこで出るすべての排せつ物が、下の方の田んぼに流れ出てゆき、その施設から出るものは水以外はない形であった。修学院離宮も規模はさらに大きいが同じである。修学院離宮の形に江戸時代の天皇家の考えていたことを知ることができる。「17世紀中頃、後水尾上皇によって造営されたもので、上・中・下の3つの離宮からなり、借景の手法を採り入れた庭園として、我が国を代表するものです。」と宮内庁の説明にはある。しかし重要なことは田畑と離宮の関係である。上部の池からの水は下の田畑を潤すことになる。美しい日本庭園ではあるが、溜池でもある。借景には水田も取り入れられている。稲作における文化の側面。何処を天皇家が、日本人が目指すのかの、一つのかたちとして示そうとしたと考えられる。
後水尾天皇は戦国時代から徳川幕府が形成される時代を生きた天皇である。徳川家康という永遠の統治思想をもった権力者の前に、天皇家をどのような存在として維持するかを模索し、示したものが、修学院離宮ではないかと考える。徳川幕府は皇室に対して、尊重し利用してゆくという姿勢になる。家康は仏教を檀家制度という形で利用する。檀家制度が村という組織を強力なものに、日本人を固定する役割となる。深い政治感覚を有した家康は、日本人とは何かをよく理解していた。天皇や仏教を否定するよりも政治に介入させない位置に、止める方針を持ったのであろう。後水尾天皇は上皇になり85歳で死ぬまで天皇家の意味を修学院離宮という形でしめそうしたのではないか。日本を農的な文化によって治める中心となる存在であることを示そうとしたのではないかと考えている。日本人の精神史を考える上では、天皇と東洋3000年の稲作農業の存在がある。稲作は運命共同体を作る。
村という単位の水で繋がる単位を形成する。田んぼの中で生きるという事は、協力しなけば生きて行けないという事である。個人で独立して生きるという事は村八分を意味する。葬式と火事以外にはかかわらないという閉鎖社会。化けて出られると困る葬儀。火事で延焼したら困るときの消火。後はかかわりを断つ。稲作で生きる社会において、村八分になるという事は生存できないという事を意味する。いじめのようだが、暮らしの上で必要であるから行われた処罰制度である。これはムラ全員の賛成があるとき行われる。こうした生活形態から、逃げ場のない村という社会において、日本人が形成されてゆく。この逃げ場のない形は西欧的な封建社会を当てはめて考えると、違うと思う。どう違うのかも書きたいのだが、まだ本を読み終わらないまま、感想を書き続けている。