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地場・旬・自給

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久野・里山再生事業

2006-09-18 06:06:05 | 里地里山
神奈川県と小田原市の行政の求めに応じて、以下のような文章を提出した。
○先ず、久野の何処が里山としてふさわしいかという問いがありました。
「久野で現在田畑として耕作されている場所と、その周辺は何処も里山としての可能性を持った場所だと思います。だから特定のところを選んで、そこだけというのは、幅を狭めるように感じます。」
と答えました。

○2番目の問いは,どのように進めたら良いと考えていますか。
私なりに考えている、手順は以下のものです。

1、回覧板で、里山推進事業を行いたい事を、全住民に連絡する。そこで、興味のある人を、募集する。 情報の共有化こそ、全ての第一歩である。
今後も必要に応じて、「久野里山通信」続編を出してゆく。
地域の人の利益になる事業である事を明確に打ち出す。多くの地域住民にとって、もてあまし気味とはいえ、里山は各家の資産の基盤と考えられてきた歴史がある。また、この事業が県民全体にとっても、有意義な社会的価値のある事業である事も明確に打ち出す。

2、久野里山会の組織を作る。事務局として、県。市。久野住民。が上手く合致するよう組織化する。この進め方が、重要で、閉じたものにしないこと、地域の有力者をはずさないこと。私のような外部のものは、下働きというか。使い走りとして動くこと。顧問、名誉代表として、どなたか有力な方に(例えば河野洋平氏)お願いする。

3、基本となる考え方の確認を行う。私の考えとしては「業として農業が成立することが、里山再生には何よりも肝心なこと」
そのために農業が成立する手立てを打つ。現在杉檜が植えられている、山と見られているところの大半が、50年前は畑だった。農業と農村が再生すれば、里山は自ずと再生されることになる。

以下がその手立て。

①販売ルートの整備。里山の整備が市民全体の利益になるものであることが、理解されれば、農産物の付加価値販売は可能。地域貨幣・ファーマーズマーケット

②ブランドの確立。付加価値を付ける為に、農法に一定の枠をつけ、達成したものには、マークを付けることを認める。

③農業基盤整備。自然環境との調和を図る、農地のあり方を、分かり易く提案する。

④農業者の増加の為の住宅の斡旋。農業者用の集合住宅を作る人(私がやってもいい)に、法的支援をする。

⑤新規就農者の受け入れ体制作り。農業委員会との懇談会を行い。主旨の合意を図る。

⑥農業者住宅の法的な緩和の特区作り。地域の資産価値を上げる為、里山保全田園住宅構想を進める。

⑦農地の貸借の推進の為の、窓口の整備。出来れば農業委員会に、設けたいが、不可能な時は、部署を考える。

⑧貸し出し機械の準備、市民的参加者と農業者をつなげる機械によるパイプ作り。機械は農業者所有でもかまわないが、貸出制度。管理制度。作業委託制度。を準備する。

⑨宿泊施設、駐車場、風呂、トイレを作る。8までが整った上で、これが出来れば、一気に里山作りは進む。

以上の文章を行政に提出した。もちろんこれが全て受け入れられるとは考えていないが、行政は、経費をかけない事業の進め方を模索していると思う。経験が無いのだから、無理も無いことだ。行政が出来ることは、法との兼ね合いの整理。地域住民が出来る事は、生業。これを当たり前に整えれば、里山の再生は難しいことではない。
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里山づくり・里山保全

2006-08-31 05:21:05 | 里地里山
里山づくりの話し合いが29日夜、7時から久野公民館で行われた。参加者は神奈川県、小田原市、行政から、11名、住民が16名だった。9時過ぎまで、話し合いがあったが、私は少し発言をしすぎて、家に帰って少し落ち込んだ。私のようなよそ者は、発言しない方が良い。と思いながらも、前回のように、盛り上がらないものになれば、この可能性のある計画も、立ち消える焦りがあったからだ。

そもそもこの計画は、行政の予算不足に端を発していると見ている。
従来の行政手法では、公園を作れば、その後の管理の問題が出てくる。これが草刈ひとつ手におえない、そのため二の足を踏む事業が多い。行政がやると、なんでも4倍の費用がかかる。と私は見ている。

行政の草刈のシステムでは、その専門業者が居る。入札で仕事を取っているのだが、これでほぼ民民での仕事の倍になる。当然で、仕事の成果の管理、これも一仕事だ。証拠写真を黒板を掲げて、写真を撮っている。一方、我が家で、草刈を人に頼むのと、自分でやるのでは、労賃計算で、半分の値段になる。人なら、1万円払う仕事が、自分の労賃なら、5000円で済む。そんなことで、行政がやるのと、自分がやるのでは、4倍違う。5千円の仕事が、2万円の仕事になっている。

そこで、地元の人にやってもらおうと言う発想になるのだろう。悪いことではないのだが、地域の経済で、無理に成って荒れてきている、里山を、再生するには、ボランティア方式などと言う、甘い考えを行政が持つとすれば、捨てなければ成らない。

里山がこんなに荒れてしまったのは、業としての管理が出来ない状況に、里山がなっているからだ。里山地区の集落に、専業農家がいなくなっているからだ。久野の山林は個人所有の所が多いい。その方達が、クヌギを切って、杉檜を植えたのは、行政の指導もあるが、管理が出来なくなったからだ。そもそも、久野で、今里山と考えているところは、従来、ミカン山だったところだ。

業として管理できなくなって、荒れてしまっている里山を、従来のように戻したい。と言うなら、新しいシステムが居る。ボランティアを募って、里山が再生されるなら、簡単だが、これは発想の停止だ。逃げだ。里山が保全できる、合理的なシステムが、必要とされているのだ。

里山保全がお金になれば、誰だってやる。農の会が探求してきたのは、放棄された畑や田んぼを、借り受けて、業にしようと言う事だ。業になれば、耕作放棄地は無くなる。業としての成立を阻んでいるものを取り除けば良いだけだ。

結論だけ言えば、久野の里山に人が住めるように法を変えれば、里山は管理される。但し、里山づくりなのだから、その里山の保全を行う人なら、と言う範囲で人が住めるように、条件を付けることだ。家の規模、排水の管理、環境への配慮。細かな条件を付けて、許可をすれば良い。里山管理組合の、所有にして、貸し出すと言うのもある。

小田原の里山は、資産管理なのだ。これが不良資産になってしまい。にっちもさっちも行かないのだ。それで荒れている。しかし、大切な資産だ。これを適正な形で、動きが取れるほうに法を変えれば、徐々に良い所に収まるはずだ。もともとの土地の持つ潜在能力が高いところだ。東京近郊で、これほどの所は少ない。しかし、問題は、適正な住居作りの方策に尽きる。これを充分練って、田園居住を提案してゆけば、小田原の里山の問題は解決する。
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里山再生事業

2006-08-03 05:41:51 | 里地里山
小田原市久野を中心に、里山を再生しようという提案が、行政から出された。多分行政側は久野は「環境を守る会」の活動が、あるから、こういう提案をすれば住民は動き出すだろう、と考えていた節がある。ところが一向に立ち上がらない。住民の行政不信がどれほど深いものか。認識できていないのだろう。

一方で、焼却場の建設が論議されている中で、里山再生事業とどういう整合性があるのだろう。もしこの地域を里山地域という形で、行政が色付けをする。そうしたことまで考えている。もしくは可能性がある。という事なら、この事業に協力してゆくことは、久野に住む者として、必要な行動という事になる。

里山地区に、つまり環境保全地区に、焼却場をおくことは整合性が無い。このことに行政は気付いているのだろうか。この地区は斎場もある。公的な大規模な霊園もある。更に、焼却場。最終処分場。土砂の埋め立て処分場も、あるし。申請もされている。建設業の資材置き場が、かなりの数点在する。それでも、里山地区といわれるだけの自然環境も残っている。こうした都市近郊の複雑で、雑然とした土地利用実態に、里山再生を持ち込む、その深い意味を行政は認識しているのだろうか。

久野地区は箱根明星山の東斜面に当る。広大な山林と、それに続く農地があり、小さな集落が点在する。そして、しだいに小田原の市街地へと連なる。法的には市街化区域と、市街化調整区域にまたがる事になる。農地については農振農地が大半だ。この地区も当然のごとく、住宅開発の波が押し寄せ、土地が思惑的に見られたり、投機的に考えられたりした。

地元の住民にすれば、土地価格には敏感になり、農地を見る目が、財産管理的になった。その為に変則的な土地利用が、行われている。思わぬ山の中に、不思議な施設があったりする。例えば、以前養鶏場だったところを、産廃業者が産廃の一時置き場にしたことがあった。先ず養鶏業者が、鉄骨でかなりの建物を建てた。養鶏場の改築という名目だ。その上で、産廃業者がその土地を購入した。その巨大な建物で、先ず、鶏を飼った。あるとき突然、産廃が運び込まれた。

こんな形で、不思議なことがあちこちに起こった。多分、バブル期全国で起こったことなのだろう。今もその再来を予測して、準備している人もいる。その為に里山といわれるところは、案外に利権が絡み、利用しにくい場所になっている。

久野川は明星山を水源とし、小田原の市内だけで完結する川だ。一部には、保全すべき自然を残した箇所もある。この河岸に遊歩道を整備し、里山を満喫できる環境を作り出したら、どれほどすばらしいか。ここまでは誰しも思う。問題はその整備すべき箇所が複雑に私有地化されていて、しかも思惑が入り乱れているだろう、ことだ。

そこで里山再生事業として出てくる発想は、難しいことには手をつけず、現在ある里山的な環境保全活動がすでに行われている箇所を、ピックアップしてつなげる。という考えだ。何となくお茶を濁そうという事になるだろう。確かに里山事業マップを作りアピールする。これだけでも意味はある。

行政が何処まで本気なのか。農業特区の時のように、3年で忘れてしまうことは無いのか。この辺りが、一番大切な視点だと思う。本気でやるというなら、私のやろうとしていることとも重なるのだから、本腰を入れてもいいと考えている。
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里山再生事業

2006-07-19 06:57:19 | 里地里山
昨年来行政主導で、里山再生事業の、呼びかけが行われている。話の成り行きは、県の事業の中に、里山再生事業というものがあり、城山町の方で最初に行われた。「小松、城北地区」の里山の中に古道があり、それを再生する事業が行われた。その事業に伴い、「小松・城北」里山を守る会が結成された。

この事業は3年間の補助事業と成っていて、その間に組織や活動を起こすという事が主な目的のようだ。県の担当部署から、小田原市に呼びかけがあり、小田原市も重い腰を上げたという実態の気がする。私達あしがら農の会にとっては、会の目的にも合致する、すばらしい活動だとは思う。

昨日は、地元からは5名の人が集まった。星野久野連合自治会長。小田原植木近藤増男氏。小松市会議員(久野在住)もう一人は、よくお見かけするが、名前は知らない方。そして、あしがら農の会の笹村。行政は、県7名。市7名が参加。

この事業は、昨年9月20日に城山と、厚木の方の里山事業の見学会から始まった。そのときは、地元から、28名が参加した。私には、里山事業への感心の深さに、少し驚いたスタートだった。ところがこのバス見学がまずかった。行きも帰りも時間をもてあましたバスの中で、何のための見学会なのか、主催者の市からは、全くの説明が無かった。これは、まだ何も決まっていない段階で仕方が無かった。しかし、意欲があるなら、地元からの参加者の自己紹介ぐらい行うべきだった。

私は帰ってから、この見学会の批判を散々聞いた。参加者には行政の逃げ腰が、ひしひしと感じられたからだ。県から押し付けられて、市はしょうがなく動いているのかな。そんな印象を誰もが受けた。昨夜も申し上げたのだが、「農業特区を小田原市が申請したのは、3年前。しかし、そのときの理念や希望は、今や何処に行ったのか。農政課の方針の中の何処に反映しているのか。今回の里山再生事業も、市に意欲があるなら、8ヶ月も何故間があくのか。この事業を信頼して、乗りかかるということは私達にとっては生活がかかるということだ。」

見学会の後、11月21日に1回目の勉強会が在った。これには私は参加しなかった。農の会のような、外部者が、地元の地権者が動き出さないうちに、意見を述べたりするのは、上手く行くものも行かなくなる。まして、この計画の進め方には批判が集中している。
残念ながら、勉強会に参加した方から、これはダメだという、悲観的な話ばかり聞いた。これで、市は止めたのかな、折角県からのいい話なのに、市の進め方がダメだよなぁー。そう感じていた。

ところが、忘れた頃に、7月18日の集まりが呼びかけられた。本当に忘れていた。

この事業が農の会にとって、会の目的に合致するにもかかわらず。今でも、全面的に乗りかかることには、ためらいが感じられる。
それは、行政は予算が無い、里山作りにお金は掛けられない。市民中心のボランティアで、事業を立ち上げたい。それは分かる。大切な事は、人間としての情熱が伝わるかどうかだ。里山を再生したい気持ちが本当に行政にあるのかだ。仕事だから仕方が無くやる。これにつき合わされるのでは、ひどい目に遭うだけだ。ここを市民は見ているのだ。
要するにこうした市民参加型のしくみ作りが不慣れなのだ。

里山での様々な活動をやりたい人はいくらでもいる。しかし、市の命令で里山作りのボランティアに参加したい人はいない。確かに人の動員はしている。しかし、自主的な動きは作り出せない。市民一人一人がやりたい事を、やれるような状況を作る事が、行政の役目だ。市民がやりたい事は千差万別だ。これを久野の里山で自由に展開できる、条件のホローをして行くのが、行政の役割のはずだ。

面白い事を、楽しい事を、提案してゆけばいいのだ。人はやりたいことなら自主的に集まる。やりたい事は強制するのでなく、一人ひとりに保障するだけでいい。
お米を作りたい人に場所を保障すれば、当然放棄農地はなくなるのだ。この好い関係を作る事こそが、行政の役割のはずだ。あぁー、歯がゆい。
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地域自給圏の構想

2006-05-28 05:49:16 | 里地里山
私が一人の自給の達成から始めた事は以前書きました。
一人が出来るなら、もう少し広げてみようと言う事が、あしがら農の会になりました。ここでは、自給の地域と言うのは、どのように考えるのが自然なのか考えて見ます。

昔から言われるのが、三(四)里四方の物を地の物というらしい。身土不二(しんどふじ)という考え方から来ている。中国から来た考え方のようで、身体と環境は不可分である。仏教的な考えのようだ。歩いて移動する前提で考えると、歩いて、3,4時間かかれば適度かと言う気がする。子供の頃、街まで行くと言って、朝出かけて、甲府まで行き、デパートなどを見て、親戚に寄り、お茶を呼ばれ、時には昼ごはんを頂き、家に帰るのが夕刻。泊りがけの距離は、どうも地域とはいえなかったとすれば、3,4里、自給圏の範囲はこんなものだろう。

これは私の暮らす地域でいえば、足柄平野、酒匂川流域と言う事になる。これを一地域と考えてみるようになった。そう考えて、過去のこの地域を調べるて見ると、「あしがら」と言う一くくりが、上手く出来ていて、物の流通や、生産は足柄を地域自給圏として、みていたことが分かってきた。勿論行政的な範囲というものも、あっての事だろうが、自然発生的に成立した物として、見たほうが、見えてくるものがある。

流域圏という考え方で、相模川、富士川、と考えてみるのも面白い、と思うようになった。その頃、神奈川県の広域化構想が出てきて、これが又同じような考え方で、驚いた。しかし、行政の単位とは別だと思う。小さい行政単位があり、これが連携するのが、流域圏であり、自然発生的生活圏である4里四方と言う事になるのだろう。行政は細かくするほど合理性のあるものと、大きくする事で出てくるメリットがある。これを上手く組み合わせるところが、大切なのだと思う。

酒匂川流域あしがら構想への思いは徐々に高まった。この地域を10ぐらいに分けて考えると、歩いて作業の出来る地域に分割できる。歩いて30分で田んぼや畑に行ける範囲。ここに、一つずつ共同の田んぼや畑が出来る事になれば、誰もが都合よく参加する事ができる。そう思ったのが、10年程前です。年に一箇所づつ増えてゆけば、いいと考えた。10年が経って、その下地は出来上がった。10箇所の田んぼはほぼ、地域に点在するようになった。

地域自給の機能の範囲と言うとどうなるのだろう。教育と言う事が大きい。特に高等教育を考えると、地域にはない。これを地域内に成立させる、仕組みが必要になる。教育の自給だ。地域に地域らしい高等教育を成立させてゆく事が、地域圏の成立に不可欠な事になる。文化的な地域の独立性の確保。これは営業的な大学が立地を求めて、進出すると言うのでは、これは大型店が、来たのとなんら変わらない事だ。むしろ、地域で学ぼうとする者が、必要な指導者を求めて、作る。高等教育機関では無いだろうか。

課題は街と言う存在だ。現在小田原の街が、この地域では大きい。しかし、形の崩壊が始まっている。街の意味の変化に、対応できていない故に、全国どこでも起きているように寂れてゆく。「中心市街地の活性化」ということが出てくる。
これほど愚かな考え方は無い。街の機能ということは、暮らしの変化とともに変って当然だ。各商業者の利害でだけ考えるから、活性化が前提になる。
行政の力がここに集中することになる。

地域自給圏を考えれば、地域の機能をどのように、分散してゆくかが、むしろ課題なのだ。暮らしの視線で、生活者の視線で、地域を見直す。これが地域自給圏構想には、不可欠な事になる。
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