goo blog サービス終了のお知らせ 

地場・旬・自給

ホームページ https://sasamura.sakura.ne.jp/

久野里地里山の集まり

2008-02-20 07:12:20 | 里地里山
里地里山の集まりは、大変熱の入ったものだった。ただ、行政がこの事業にどのようにかかわる覚悟なのかが、この点に不安が残った。今回は行政の作った。事業案と笹村私案との検討が主な議題だった。行政案はよく出来ていると思う。行政案なら、何処に持って行ってもほぼ通用できる事業計画だと思う。問題があるとすれば、久野地区という特徴に欠ける点だと思う。もう一つは、事業主体が見えないことだ。誰がこれをやるのか。つまり、昔の行政の事業案であれば、行政が費用を出してやるのだから、住民は協力者程度の、かかわりでかまわない。所が、今回の事業には、基本的に予算はない。行政も何か行うとは言うが、本質的には何もしてくれないと考えて置かなければならない。それで、その上で、一体ここまで崩壊が進んできた、里地里山を住民に再生しろ。と言っているのだ。会議でも、「国の政策が悪いからこうなったのだ。」こういう意見が出た。

久野の地区内の諏訪の原には、諏訪の原公園が作られている。たぶん何10億の予算だろう。こういう所に、予算をたっぷり注ぎ込んで、何故久野全体の事業に幾らの予算もないのか。この辺の配分がわからない。まして、県立公園を作るなら、この公園内に、里地里山事業のセンターハウスぐらいは設置するべきだ。やることがバラバラだ。では市のフラワーガーデンは利用できないか。これもどうも駄目そうだ。結局は自分たちで作りなさいと言う事だろう。そういうものかもしれない。市も、県も、今のところ当事者意識がない。市も県も、何とかしなければならないのは、住民と同等に責務を負っている。国の政策に問題があり、里地里山が崩壊したとするなら、それに対して間違っていると、声を上げなければならない。

地域で茶業を担っているTさんは、会議の席で「この地域の農業は消えてゆく。可能性はないと。」断言された。長年この地域で農業で生きてきて、スーパーマンのような農業者の方がそういうのだ。たぶんその認識は、行政も里地里山私案まで作る私でさえ、大きくは違わない認識だ。農業が消えてゆく中で、行政は都市公園のような里地里山を想定する。「しかし、予算はないので、都市公園を住民のボランティア主体で作りませんか。」こういう話だろう。笹村私案は、「可能性の理想をかざす事は、意味がある。」こう書いているのだと思う。森林ボランティアの事を否定的に書いたが、私は友人だし、その行為を高く買っている。しかし、そうしたボランティア行為に依存して、森林を再生しようなどと、行政が主張するのでは馬鹿げている。同じく、久野の農業はなりわいとして成立しないが、ボランティア的に守って欲しいでは、住民の負担が増えるだけで、何も改善されない。

CLCの田んぼを行政はボランティアの田んぼと記載している。ここなのだ。これは教育の田んぼだ。教育という中で採算の合理性がある。農の会の田んぼも、ボランティアではない。自給という中で採算の合理性がある。笹村私案では、4つの事業を提案したが、どれも今あるものを、名前を変えただけだ。「ハードルが高い」と言う意見があったが、今ある活動を、今ある生業を、里地里山事業と言う付加価値をつけただけのものだ。新たに何かをしようという所はない。それぐらい、久野には見直せば、素晴しい可能性に満ちた活動が既にあると言う事だ。その可能性の育て方に、みんなの力を寄せよう。と言う事業案のつもりだ。Tさんの茶園の景観は神奈川県下一番だ。ここを新しい茶園リクレーション施設に育てる事は、夢ではない。しかも、Tさんの生業を発展させる可能性も大きい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

7、里地里山事業に於ける市民の役割

2008-01-30 07:38:14 | 里地里山
 都市生活者の里地里山願望を、どのような体制で受け入れるかは、これからの里地里山事業において、極めて重要な要素である。特に小田原久野地域のように、都市から、日帰りで活動が可能な地域では、良い形で、都市住民を受け入れる形が提案できれば、地域住民だけでは、維持管理が困難になっている里地里山の再生も可能になるであろう。しかし、一般に都市住民の参加が成果になることは、ほとんどない。それは、成果というより、リクレーション参加の形が模索されている、状況だからだと思われる。例えば、森林ボランティアがその良い例で、久野地域でも行われて入るが、それによって、山が管理されるようになったとまでは、とても言えない。『東京の気で家を建てる会』のように、市民によって林業が生業として、成り立つ事が基本である。この林業が成り立つと言う事を、どう方向付けるかがないまま、市民が、森林ボランティアとしてかかわるだけでは、里地里山の形成に成果はないだろう。

 その意味を前提にして、久野の里地里山事業では、地元住民と市民のかかわりは、事業の展開において、将来重要な要素となるであろう。市民の参加がない限り、里地里山事業の健全な発展は望めない。しかし、中途半端な形での市民参加は地元の住民の負担になりかねないところでもある。どのように、自立性のある形での市民参加を確保できるかが、重要な観点であろう。地域での受け入れ準備に、負担がかかり、手伝いに来てもらうことが、活動の重荷に成る事例が多々ある。市民側にしても、ボランティアで参加してあげるという意識を持つ場合もあり、思うような実績が上がらない場合も出てくる。そのため、市民の参加を初めから期待しない事業もある。久野里地里山事業としては、市民が自立して参加し、活動するもの。そのような市民をどう導き出すかであろう。

 市民が自主性を持って、里地里山活動を行うことが、重要な要件となる。市民が地域に暮らす農業者の活動を、自主性を持って補う形とならなければ、本当の意味での、里地里山の復活はないものである。補い方は、様々企画されなくてはならないが、これも市民発のものが望ましいであろう。例えば、水路清掃に参加するとしても、その水を、自分達の水田に利用しているという、前提がある場合と、ない場合では、活動の意味が違ってくる。

現在里地里山事業として捉えられている活動の内
1) 久野川・山王川、水路等の清掃
2) 不法投棄パトロール隊の結成、環境啓発看板等
3) 地域の清掃活動(広場や児童公園の草取りや清掃)
4) 個人所有の急斜面林地や公道へのはみ出した雑木等の伐採
5) わんぱくらんど周辺の広葉樹の植栽
6) 道路の端のスペースを利用しての花の植え付け

以上の活動は本来行政サービス的なものを、住民が変わって行っている活動とも言える。地域ボランティアによる、住環境の整備事業という色彩が強いものである。里地里山の整備ではあるが、住民の住環境の整備と考えた方が、より本質を表わしているものだろう。これらの活動だけでは、里山を再生する事は、不可能と考えなければならない。一方、森林ボランティアや農業関係のNPOの活動は生業と関連して取り組まれている。今後、こうした活動が、久野地域に広がり、自立性を持って取り組まれる事になれば、里地里山の再生も可能になるだろう。それは参加者がやりたくてこの地に活動の農地を見つけ、一定の収益を上げうる活動である。つまり、本来の里地里山の形成条件を市民が市民の利益において、担うと言う事になる。久野における事業は、こうしたより直接的に生業にかかわる取り組みを、市民参加事業として取り組む事が、里地里山を再生する事に成ると思われる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

6、 里地里山事業に於ける行政の役割

2008-01-29 06:52:16 | 里地里山
この事業においては、地域住民、県および市行政が、上手く連携をとり、住民および市民の参加を求めてゆく形が、重要に成る。この場合の行政の役割は大きくは2つあ。1つは、法的な制約を、里地里山事業として整理して行くことである。市民および住民が実際には動くとしても、農地の利用には様々な制約が、法律により規制されている。ここをどのように調整するかが、行政の行うべき一番の役割であろう。その手法の前提として、先ずこの地域を条例に基づく、里地里山地域としての指定を行うことになる。しかし、里地里山地域として、指定されたからと言って、今まで行われている、建築資材置き場や、残土置き場、ごみ焼却施設、最終処分場、墓地霊園。火葬場など、現在久野地域に集中してきている。いわゆる迷惑施設が。法的に規制されるわけではない。これをどのように、調整するかが重要な要件になるだろう。また、今般施行された優良田園住宅の適用により、農業地域に住宅が適正に配置されるように、里地里山事業の観点からも、調整する必要があるだろう。

次に考えなければならない行政の役割は、事務局的役割である。行政は公平に住民の利害を調整すると言う意味で、里地里山事業が、地域に広く周知されるよう、広報し、あるいは説明会などを行う必要がある。又参加者の募集なども積極的に行わなければならないが、地域外の市民の参加に対し、どう対応してゆくかなど、今後地域住民の合意を形成する努力を行わなくては成らない。行政は今後作られる事業主体の組織の、事務的業務機能をになう必要がある。具体的には、久野里地里山通信をつくり、年4回程度は久野の住民に配布する。この発行を行政が担う必要があるだろう。編集は住民が行うにしても、行政が発行の責任を持つ必要がある。久野里地里山事業の中心となる組織が整えば、その連絡的業務や、会員の管理運営なども必要になる。これも行政の役割である。久野地区の例えば、フラワーセンター内に、久野里地里山事業の窓口を作る必要があるだろう。

実際の事業の展開においては、久野地域で提案される、里地里山事業の認定を行う事が考えられるだろう。これは、地域住民が作る組織が行う事になるにしても、行政的調整が必要であろう。久野里地里山認定事業としての、統一基準の制定を計り、協力して事業が広がるように進める調整を、行政はしなければならないだろう。引き続き、認定事業が増加するように、行政において担当を決め、分かりやすい窓口を作る必要があるだろう。又、どの事業においても、立ち上げ時の後押しが必要になるので、その補助的役割と、経費負担なども、考えてゆく必要がある。

農の会の事例においては、久野地域10年間の活動においてだけでも、1,1ヘクタールの農地の再生管理が、行われるようになった。足柄地域の小田原以外の地では、10ヘクタール以上の農地が管理されるに至っている。今後の里地里山の形成には、新しい農業者の参入を促す事が、大きな要素に成ると思われる。もし、受け入れ態勢が整えば、特に住宅等の整備がなされれば、更に久野地域への新規就農者の参入の可能性も高まるだろう。その為には、就農者の一時的宿泊施設や、研修施設の準備なども必要と思われる。就農農地の斡旋を初めとして、新規就農者が就農可能となるためには、行政的協力は不可欠である。しかし現在も、小田原は新規就農が大変困難な所になっているため、他の足柄地域に移住する結果になっている。こうした点で、行政の配慮があれば、小田原久野地域は新規就農者にとって、最適な地域となり、里地里山作りには大いに役立つことになる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2、 久野の自然環境の概要

2008-01-27 06:23:44 | 里地里山
本来この項目は専門家に調査を依頼し、策定すべき内容であるが、私見として暫定的なものを、書き留める。この項目は暫定的なものである。あまりに内容不足であるが、メモ程度として。

久野は箱根外輪山東山麓が、足柄平野に開ける付近に位置する。豊かで大きな山麓に育まれた、きわめて多様で豊かな自然環境の場所であった。明星ヶ岳標高924メートルを頂として、幾つかの沢を集め、中央に久野川が流れ、その風光は上流部の深山的様相から、開けた海への展望と、魅力的なものがある。農業的視野から見れば、平野部は少ないものの、通年の営農が可能である、恵まれた地域である。年降水量は2000ミリ程度。年平均気温15.5度程度。日照時間が年間2000時間近くと。降雪はほとんどなく、雪に埋もれるような事はほぼない。台風などの影響も、富士山や伊豆半島の存在で、直接の被害は少ない。

その山麓の多くは現状杉檜の植林地になっているが、近年自然植生の復活なども、行われて部分的には自然樹相も存在する。最上部は富士箱根伊豆国立公園に含まれ、手付かずの自然地域も存在する。明星岳山頂周辺は箱根独特の低層樹林になり、ヤマボウシ・ヒメシャラ・マメザクラ・サンショウバラ・ケヤキ・オオモミジ・イヌツゲ・シラキ。草花ではセンブリ、やまゆり、ほととぎす、・・・・。里地に近づくにしたがって、しいや榎、赤目がしわなどの温帯的樹相部分もある。江戸時代から、標高300メートル辺りまでは畑が開かれてきたと思われる。平地は少ない所から、大規模農業は行われず。100アール程度の畑が分散している。大半は丘陵からの傾斜地に存在し、傾斜地農業を特徴としている。わずかに存在する、久野川の河岸に水田が広がるが、大半が自家米の生産となっている。

中央に流れる久野川の存在は歴史的に見ると、地域住民の暮らしと密接に結びつき、江戸期以来水車が多数運転されてきた。舟原には5機あったと聞いているが、今後流域全体を調査する必要があるだろう。通年の箱根山塊よりの豊かな水量が存在する。豊かなで良質な水が、久野の里地里山の豊かさで大きな要素と思われる。途中から流入する、何十かの湧き水、沢水も良水として、水を資源とする酒造業や、サイダー工場がかつてはできるほどであった。現在でも沢水を生活水として利用する家も存在する。久野川の水は生活水として、各家に水路として廻り、また、水田の灌漑水として、利用されてきた。

大きな自然林は標高の高い地域だけになったが、小さな自然林はまだところどころ存在する。現状ではそうした自然林が、竹林に占拠され始め、全体では美しい里地里山的林が存在するとことは少なくなった。しかし、ある程度の管理の手を加えることで、自然林が再生できる所も多く存在し、又、地域住民のそうした要望も強い。草本植物は、近年外来種が目立つようになったが、ササバギンラン、キンラン、コクランなど蘭科植物も道端に散見される。
動物の概要、イノシシや猿、タヌキ、ハクビシン、などが、時おり畑を荒らし、害獣駆除が行われている。特に山辺の畑では被害が目立ち、耕作の意欲をそぐ、原因となっている。魚類では以前は山女の固有種が存在したが、現在の山女は放流魚と交雑していると言われている。しかし、田んぼにはまだ山女の稚魚が流れ込んでくる。ほたるはかなりの部分で存在し、豊かな水環境を感じさせるものがある。沢蟹はむすうにそんざいし、モズクガニも時折田んぼに現われる。鳥はオオタカや隼、の鷹類は多いい。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

5、 久野の里地里山事業の具体的展開

2008-01-26 04:13:35 | 里地里山
以上見てきたように、久野の里地里山的要素はその農村的暮らしと密接に繋がり、成立してきたものである。よって、直接的に農業とのつながりを先ず第一義の、事業として考えるべきであろう。既に行われて要る農業に対し、未来に繋がる形で里地里山事業による、新しい活力が加えられることこそ、久野の里山事業の根幹となるべきであろう。ここが久野の事業案の骨子とも言えるところである。
大きくは4つの要素がある。

① 久野には植木の育成場やストックヤードが大きく広がる。この景観的魅力は、現在の久野の里地里山的景観の重要な要素と成っている。植木養成場は、そのままでも美しいものではあるが、植物園的要素を加味し、散在する育成場の連携を作り出すことが、重要に成るであろう。現在、小田原植木さんのように、すでに植物園構想が計られ、樹木にプレートがつけられている園もある。例えば、先ず、フラワーガーデンで登録して、久野里地里山地図を購入する。久野地域利用可能トイレ一覧なども必要であろう。参加者であることを示すプレートをつける。幾つかの苗場を繋ぐコースを作り、育成場を巡りながら、樹木の名前あてクイズなどをおこないながら、樹木の特徴などを知りながら、植木の知識を深める。月に一回程度、全体の植物園としてのガイド日を設定し、グループ単位で、コースを決めたツアーを行うなど。植木講習会など魅力あるイベントが設定できるであろう。更にフラワーガーデンや、諏訪の原公園と連携し、植物の里作りのような構想が考えられるだろう。公園には今まで見てきた植木の販売所、あるいは造園の受付けも必要であろう。参加者には造成中の里山に自分の苗木を植える、植林体験が出来るなど、里山と市民を繋ぐ工夫が出来るであろう。

② 久野地域では茶業が広範に地域で行われている、農林水産大臣賞を受賞するような、良質なお茶が生産されている。久野の茶業は、茶葉の生産から製茶までが、地域内で行われると言う特徴があり、これに地域のお茶が、ここで湧き出る良質な水で、飲める場所が加われば、より効果的なアピールが出来ると思われる。このお茶を飲める場所に加えて、更に体験的に、お茶畑を管理できるとか、お茶摘が出来るとか。自分のお茶の生産体験が出来るなど。里地里山的楽しみとしての広がりが期待できるだろう。当然久野で生産された、お茶の販売も積極的に行うことが出来る。台湾では茶園に併設されたあずまやの喫茶室で、良質なお茶を飲むことが、流行しているそうだ。茶が提供できる場所は天子台辺りの景観の優れた場所が、最適であろう。これも単独の喫茶室では成立が困難と思われるので、幾つかの以下に提案する要素との組み合わせが重要に成るだろう。

③ 峯自然園との連携。峯自然園の経営の姿が、久野川を生かした、先駆的な事例として、里地里山の楽しみ方を提案している。現在残念な事に、この事業が唯一のものとして存在している所だ。周辺に連携する施設が存在する事で、魅力がいっそうに増すのではないだろうか。久野川河畔の里地里山の整備を行い、回遊的な魅力を作り出す必要があろう。例えば、峯自然園から下流域に向けて、河岸の整備を行い、水辺の遊歩道作り、田んぼを復活し、あやめや菖蒲の水辺公園も可能であろう。加えて水車の再建などが、考えられる所であろう。小麦の生産が復活すれば、水車は粉をひくところから、パンや蕎麦の体験的活動に繋がる。石釜を設置し、ひいた粉で、ピザやパン作りなども考えられる。これには地域のパン屋さんとの連携が必要になるだろう。それぞれが有機的なつながりをもてるように工夫する必要があろう。

④ 久野ではNPOの農業体験事業が10年以上前から、展開されている。CLCAとあしがら農の会が行っている事業を、久野という地域性を加味し里地里山事業としての整備を加える。これから広がる市民的な農業体験の受け皿として、今まで蓄積してきた経験が生かされるはずである。耕作が限界に来ている農地は少なくない。この受け皿としては、農業者にとっては傾斜地で、機械化されにくく、まとまっていない農地は利用しにくいものがある。市民的な視点で見ると、この狭い傾斜地は、景観がよく、かえって最善の体験地に成る。ここを、どのように市民的な利用につなげるかは、久野の里地里山形成には大きな要素になるはずである。いずれの事業も駐車場とトイレと道具置き場の確保が、重要になる。少々離れていても、貸して頂ける場所の確保が出来る事。トイレの貸し出しなども、可能なら工夫したい所である。こうした調整を地域と連携が出来れば、より事業運営が安定し、広がりが出てくると思われる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1、久野里地里山事業の理念と目的

2008-01-25 06:07:29 | 里地里山
 里地里山の姿は、かつての農村集落全体の姿を表わしている。景観をふくめ里地里山的要素は、農村が農村としての機能を発揮する事で、維持され醸成されてきた姿である。今、里地里山が、注視されているのは、都市生活者の回顧的感情と、都市生活では満たされぬ、自然回帰の意識が根底に存在する。これは暮らしを自然に近づけたいと言う、人間本来の要求でもある。と言って、里地里山の住人が昔の暮らしに戻る事ができない以上、新たな仕組みでの里地里山の再生維持管理の仕組みが、作られなければならない。

 従来里地里山においては、薪炭材の利用、落ち葉の堆肥として利用、農家家畜の緑餌の利用、を通し、落葉樹の山林の姿が、適度な手入れと管理が行われた結果となり、循環的な美しい姿となった。現状その全てが失われている。また、その復活もかなうことでないとすると、新しい視点で、里地里山地域を見直し、現状の分析を行い、現状存在するなりわいの中で、里地里山的環境を醸成していると思われる業を、洗い出し、その事業をサポートしてゆく事が、里地里山の再生の先ず第1の目的となる。次にそれだけでは、当然不足する要素を、どのように加え、補ってゆけば、里地里山は形成されるか検討しなければならない。

 一例として、水の循環を見てみれば、久野川においては、水車の利用のため、一定の流れや路床の管理がされていた。舟原より上部においても水田への灌漑水の取り入れの為の管理がなされていた。同時に生活水としても利用されていたため、水質の汚染への配慮も自然行れ、上水と下水の取り分けもなされていた。水神を祭り畏敬ある存在として、その清浄は保たれていた。しかし、水道が引かれ、上水としての利用がなく成ると、下水が、無造作に川に流されるようになり、水質の低下が始まる。これを以前の川に戻すためには、ここで暮す者すべてが、設備と配慮を行わなくては成らない。そこに経費も増加する訳だが、これを個々人の責任としていたのでは、問題の解決にはならないだろう。

 久野地域の現況を考えてみるに、農業の形態は全く様変わりした。ここに暮す大半の者が、外へ働きに出るようになった。落葉樹の循環的林はミカンやすいかの畑に移行した。更にその後は、その畑だった場所や、大方の山が人工林として、杉檜が植林されることになる。農業地域であるにもかかわらず、里地里山との関係のほとんどが失われ、本来の管理維持は出来なくなった。人工林の植林地も間伐等の手入れがされず、薄暗い林になっているところが、多数を占めるようになった。しかし林業に於いても、自分の家の建て直しに、切り出して利用しようとしても、購入した外材のほうが安いという状況では、植林地の管理も当事者に任せておくだけでは、期待しにくい状況であろう。ここにも、何らかの手立てが必要になっている。

 里地里山の存在は、地域住民だけの環境ではなくなっている。という確認から始まるのではないだろうか。それが、神奈川県において、里地里山条例が出来た、論拠であろう。よって、地域の住民の努力だけに里地里山の維持が期待されるのではなく、県民が等しくかかわれる形での、里地里山の再生を目指す事が、展望されなくてはならない。地域の現状からしても、里地里山の維持には、行政的支援や里地里山事業に対する、県民全体での市民的支援がなければ、成立しえない事。もしそれがないにもかかわらず、この事業が進められれば、地域住民の負担だけが増す事になるに違いない。このことを、事業の理念の冒頭確認したい。

 そして、あらためて、深く思うことは里地里山の維持管理には、農業的なりわいの成立こそ基盤になることを、常に念頭に置かなくてはならないことである。条例でも示すように、里地里山地域に於ける健全な農業の成立こそ、里地里山成立の基本的要件であるとしたい。もし農業が更に後退し里地里山だけが、公園のように管理されてゆく事は不可能でもあり、無意味な事だと考えざる得ないであろう。
 里地里山を保全すると言う事は、この地域に新しい形をもった、里地里山的暮らしが戻ってくる、と言う事になるのであろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

久野里地里山事業案

2008-01-24 05:12:49 | 里地里山
小田原漁協(神奈川県小田原市)も冬から春にかけ、アンコウを水揚げしている。ところが、捕獲量が一番多くなる三、四月は鍋シーズンを外れ、市場では値崩れを起こし、「雑魚」扱いになってしまう。同漁協刺し網部会長の鈴木喜一さん(59)は「四月には一日に二十匹以上捕れる時もあるけれど、値が付かず、ほとんど海に戻している」と話す。(東京新聞の記事)この記事を見て驚いた。何と言う残念な事を小田原では、長年してきたのか。こんな大切な地域の資源が、見過ごされてきている。何かと何かが組み合わされば、立派な名物が出来る材料だ。現在これが、川崎の方の韓国料理屋さんで、『アグチム』と言う料理にしようと企画しているらしい。確かにそれもいいけれど、何故、小田原でそういう取り組みが出来なかったのか。小田原にも立派な料理屋さんが沢山ある。韓国料理のお店もある。

地域の良い繋の、見直しががあれば、何かと何かの繋がりがみつかり、産業化できるものは、無尽蔵だと思う。東京を中心に暮す、2千万人が何処か週末散策しようと思ったとき、小田原は格好に位置にある。平塚や、茅ヶ崎では街の空気が、自分の暮している都会と似たような空気だ。小田原は違う。これが何より人を引き付ける、小田原の一番の材料。お城を見て、文学館から、海岸。街中の散策でも、沢山ある街角博物館のように、他の街にはない魅力があふれている。ちょっと外まで出れば、それは、本当の農村になる。一面の田んぼなど、見方を変えれば観光資源なのだ。早川のほうの山に登れば、これほどの海の景観は関東には他にない。(関東以外には沢山あるのですが。)風景を長年描いて、断言して良いと思う。これからの時代の求めている材料は、視点を変えれば、小田原にはあふれている。

私はどちらかと言えば、悲観的に物を見るタイプだが、小田原の環境要素の豊かさについては、可能性を十二分に感じている。しかし、その可能性は何かと何かの繋がりが、生まれてこそのものだ。現在、久野では「里地里山」つくりを行政、住民が集まり検討している。先日の集まりでは。行政が事業計画案を作るが、それで構わないかと、行政から提案があった。参加者の大半が、それでいいという事だった。お茶を濁して終わりになる結果が、おおよそが見えた。今までと同じ事だ。これでは、従来どおりの、ことになる。市民参加が自治会の行事と同じで、行政の作ったレールに従い、一応行いました。その先が見えて来ない。どんなにつたないものであれ、地域の住民が主体となって、事業計画を立てるようでないなら、そうした主体性がないなら、里地里山の再生などありえないものと、考えなくてはならない。

つまり、地域住民の本音としては、里地里山の再生など、不可能だと感じているのだと思う。少なくても、現在の行政のかかわり方では、とても出来ない。また、自分達の忙しさから、とてもこうした事にボランティア的に、かかわることにも限界がある。これが現実なのだと思う。だから幾らぶち上げても、活動として、成立する実感が出てこないのだと思う。結果、行政の顔が立つように、一応の活動は付き合う。又、それを利用して、困っている事の1つでも片付けばありがたい。それで終わりでも仕方がないのでは、このぐらいの気持ちなのだと感ずる。久野の里地里山の豊かな可能性が、まだ繋がっていないだけだ。それが見える形になれば、少なくとも未来に繋がる活動が出来るはず。そこで、「久野の里地里山の事業案」を私に書かせて欲しいと思わず発言せざる得なかった。既に書き始めている。ともかく当面、これを全力でやらなくては成らない。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

里地里山・行政の考え方

2007-05-16 04:22:22 | 里地里山
里地里山の保全に対する、県の考え方を示してくれる事を2月にお願いした、その返事が一昨日にやっと来た。近年、地域住民や市民活動団体などが、県内各地で里地里山に関するさまざまな取り組みが行われており、久野地域においても同じような活動が行われていると考えております。 そこで、県としても里地里山が農林業の場であると同時に、良好な景観形成など多面的な機能も発揮しているため、地域住民など多くの方々による取り組みを通じて、少しでも健康で心豊かな生活の確保を目指した支援策であると考えております。以上だ。これが県の方向性(考え方)だそうだ。分かったような、分からないような。でなく、全く内容がない。文章としても意味不明。

ちょっと不安になってしまった。この先これで大丈夫なのだろうか。話を何度聞いても意味が分からない。言葉が理解できない。そこで文章で戴けば少しは考え方が分かると思ったのだが。ますます、県が何故里地里山の保全をすべきと考えているのか。どんな手順でやろうとしているのか。県の役割、市民の役割、をどう考えているのか。理解不能だ。ワザとなのだろうか。行政の役割を明確にすると、やらなければならない仕事が出て来てしまうので、避けたいのだろうか。5月18日に7回目の勉強会があるが、これには出席しない。行政の考え方が、上記のように通り一遍というか、どうでもいいようなものとしか思えない。それを中心なって行えと言われて、実際に動く、すでに動いている市民の立場は、どうなるのだろう。

「里地里山が荒れる一方だ。これを何とかしなくてはならない。」この認識すら、本当に一致できているのだろう。もし、ここが一致できているのなら、先ず、荒れている理由を確認しなくては、次の方策が立てられない。里地で暮す人達も、里山を利用し、整備してゆくような暮らしを行えなくなった。里地での農業経営が困難に成っている。林業も困難になっている。当然後継者がいない。その結果、里地里山が、建設残土の捨て場や、廃棄物の処理場や、建設資材置き場や、無計画な住宅開発等で、混乱している。里地での暮らしを可能にする事、これが里山の再生の道だ。この考えが行政は厭なのだろう。たぶん、市民ボランティアが草刈をする。山道の整備をする。ゴミ拾いをする。この範囲にしたいと思っているのだろう。しかし、そんなことで里山が再生できる訳がないことは、薄々知っている。

そこで、上記のような訳の分からない言い回しで、行政言葉でお茶を濁そうとしているのではないだろうか。行政がやるべきことは里山地域に於いて、里山を保全できる法的な整理することが、第一の役割だ。新しく法を作るだけでないく、様々すでに出来ている法の枠のどれが、久野に適合するのか。利用できるのか。先ず、情報を集め研究する仕事だ。勉強会を7回、見学会もやりました。発表会もやりました。何かこれで仕事をしているようにみえると思っているらしいが、全く今のところ意味在る仕事はしていない。「やるのは住民だ。」事あるごとに言うのだが、行政が発言すべきことではない。行政は自分が何をすればいいか、何を出来るかを本気で考えればいい。そしてそれを行って示してくれればいい。皆優しいから、行政職員が仕事をしているように、見えるようにしてあげなければいけないなど、配慮して付き合っているのではないだろうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

みんなで学ぼう!久野里地里山

2007-03-19 06:51:35 | 里地里山
18日午前中小田原フラワーガーデンで、集まりが行われた。丹沢ドン会から、片桐さんが講師として参加してくれた。ドン会の活動は環境省の全国4つの里地里山保全の活動として選ばれ、注目を集めてきた。活動の断面は参加させていただいたりして、おおよそ知っていた。今回は全体を知る事が出来て、大いに勉強になった。市民参加の方法論。この辺りが講演の焦点として、聞いた。50名ほどの参加者で、農の会関係者の参加は2名過ぎなかった。お茶畑の肥料播きが、この日に当てられた事を含めて、最近の農の会は、周辺の事業に対する関心が薄れてきている。その辺の理由は、簡単には結論できないが、内向化とか、個別化とか、関心が内に向かう傾向は社会一般にもある。ともかく自分の農業の立ち上げに専念することは当然の事だが、それだけで大丈夫なのかな。

大変気持ちの良い集まりに成った。司会の小田原植木の近藤さんがすばらしく、配慮が行き届いていた事もあった。また、講師がドン会の片桐さんで、久野の状況をよくご存知と言う事もあった。事例発表の一寸木峯生さんの峯自然園、石綿敏久さんの自然農法園の紹介。どちらも久野の可能性を感じられる報告だった。結局久野の持つ自然の力が、まだ充分に生きていると言う事だろう。この残された自然をどのように活用し、より豊かな物に育ててゆけるのかは、ここに暮す一人ひとりにとって、重要性が益々高まる事だろう。里地里山の自然環境が市民全体に波及して行くことで、地域の暮らしの豊かさ、深まりに成るのだろう。行政が準備万端してくれて、下支えしてくれた事もありがたいことだった。休日にもかかわらず、多数の市の職員、県の職員が出てくれた。

行政からは小田原市の企画政策課の内野さんが、今までの流れを説明してくれた。17年9月の先進事例の見学。11月一回目の勉強会。その後6回の勉強会が開かれたこと。市から県に対し、久野地区を実施地区として要請をし、4月に県のほうで決定があったということらしい、初めて聞いた。久野での里地里山事業は小田原市の小田原ルネッサンス事業のふるさと原風景再生事業の中に位置づける事。その100選に久野の自然も選ばれている事。などが話された。今後の展開に対する考えは特になかった。行政・市民・地域農家。この三者の役割の分担がどうも見えない。今後行政は何を目指そうとしているのか、本当に聞きたかったのはこの辺だったが。

今回の「みんなで学ぼう!」で見えてきたのは久野には、多様な活動がすでに存在している事。但し、その位置づけが行政としても、地域住民としても、明確で無いこと。また、市民活動間の連携も無いこと。これを誰がどのような役割分担をして、統括し、進めてゆく原動力になるかが課題と考えてきた。秦野でのドン会のような役割を誰が担うのか。地域の農家の方にはすばらしい里地里山的営農形態で、進められている方が10名を越えて居られる。この方々が中心核だろう。そして、その周辺に市民活動が4団体ある。さらに、やる気のある行政がいるとするなら。この3者の役割分担は自ずと見えてくるはずだ。この先のストーリーを描き。コーディネートしてゆく潤滑油のような役割を、今まで行政に推進力としての役割があると考えていたが、どうもそうではないようだ。むしろ行政は指示待ちなのだろう。市民がこうしてくれと言うので、要望に対応する。そんなつもりなのだろう。今回はこのことが理解できたのが、一番の収穫だった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

久野里地里山発表会

2007-02-14 07:46:45 | 里地里山
3月18日午前10時から、諏訪の原のフラワーガーデンで久野の里地里山作りの発表会が行われる。昨夜、第6回目の勉強会で、詳細を詰めた。全体の里地里山の説明には丹沢ドン会から、片桐氏が講師として来てくれる事になった。当初、里地ネットワークの竹田氏、よこはま里山研究所の吉武氏を行政は提案していたが、久野で行う活動には適合しないので、むしろ活動としては、全国的である。丹沢ドン会が秦野にあるのだから、事情の似ている中での先行事例として、話をお願いした方が良いと言う事になった。里地里山の担い手の中心は、地域の生業として農業を行っている人であることは、間違いがない。先ず、その中心を固める事が、今の段階では重要だと思う。久野では生業に直結する活動を、里地里山作りの活動と位置づけたい。城山の事例の炭焼きだとか、古道の再生とか、言う活動はとかく遊びとか教育とか言う、二の次の事になる思う。こんな活動に、忙しい地域の人が狩り出されるのは、反対だ。

事例報告として、坊所で、長く自然農法をされてきた石綿さんを中心とした活動報告。石綿さんはあしがら農の会の顧問でもある。果樹の有機基準を日本で最初に取得した一人である。5つのグループの農業指導をされている。1、MOA自然農法小田原産地支部。 2、久野小学校学校田 3、CLCA子供と生活文化教会の田んぼ 4、旭丘高校の田んぼ 5、あしがら農の会の田んぼ こうした指導をしながら、有機農業農家を専業としてやられている。もう一人が、舟原で峯自然園を始められた一寸木さん。舟原から、久野川を上流に1キロほど登ったところで、川の自然を生かした。自然園をされている。小田原で最も美しい渓流がある。渓流釣りや、バーベキューで、それは大勢の人が楽しんでいる。

「みんなで花壇を作る、これが里山活動だ」と、昨夜の6回目の勉強会でも配布資料に書いている。それでいて、地域の農業とか、林業については、触れていない。感覚が少しづれている。6回の集まりで、「里地里山を守るのは地域の実業である。」全く同じ発言を繰り替えしている。例えば、諏訪の原には地域林業家、杉山林業がある。森林ボランティアの活動とは比較にもならない実績を上げている。杉山林業さんの活動に対し、きちっとした評価をしていくことが、久野の里地里山活動になる。それは、田中康介さんの茶業も同様だと思っている。お茶畑から、製茶工場まで一貫生産している。こうした活動で、どれだけの茶畑が守られているか。こうした事を地域で、あるいは行政が、きちっと評価しなければいけないと思う。

以上のような考えを、実は県と、市に事前に提出した。必ず返事が欲しいと、付け加えた。昨夜は何らかの話があるかと思ったが、触れられることすらなかった。勉強会では出来るだけ控えていたいと思うので、何も発言しなかったが。ちょっとひどくはないだろうか。正式に意見を出したかかわらず、触れもしないという事は、ルール違反でないだろうか。自分の意見だけが正しいとは思っていない。いろいろの考え方があり、それを自由な話し合いをする中で、合意できるところに進めればいい。ところが、行政が、里地里山をどのように再生しようと考えているのか見えない。これが出て来ない事には、本論に入れない。本論に入らないまま、フラワーガーデンのイベントをしてしまうのは、困る。どうも行政は3月中に一つイベントをやりたいらしい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

5回目の里地里山勉強会

2007-01-20 08:01:38 | 里地里山
昨夜は久野公民館で、里地里山の勉強会があった。行政の方達が何故、久野で里地里山つくりの事を言い出したのか、いよいよ見えなくなった。どうも行政はこれを仕事の一貫として手がけないといけないらしい。誰かの指示があるのだろう。しかし、個々の職員としては、それほど必要な仕事とは思っていないようだ。そうでなくて、そんな事はやらんでいい、と言う上司が近くに居ると言う事か。行政の思いと言うか、人としての情熱が感じられない。この辺が歯がゆくなる部分だが、里地里山は地域の者にとっては日々の生活の場だ。生計の場だ。他所から来た私のような者でもそうだ。解っているだけでも300年以上この地に暮してきた多くの人達にとっては、過去も未来もふくめて、大変大切なものとしての地域だ。仇や疎かに、仕事だからというレベルで口出しをすると言う姿勢に、怒ってしまわないか、心配でならない。

どうもそうした空気に耐えかねて、昨夜は言い過ぎた。行政が更にやる気を失くすと言うのも困るし。言い過ぎた後はどうも気が病んで眠れない。「里地里山のは住民が主体でやるのだ。」これを行政は繰り返して言う。今更そんな事ばかり念を押すなら、最初から言い出さなければ良かったのだ。言い出しておいて、逃げ腰ばかり繰り返す理由がわからない。提案した以上、覚悟を決めて欲しいものだ。私自身は、久野の里地里山の再生に全てを注ぐつもりだ。大したことはできないだろうが、やれる限りの事をやってみるつもりだ。かかわり始め、このことの重要性を深く認識してきた。久野地域には農業の継続の可能性はあると思っている。それは今の農業者のやり方に問題があるというのでなく。日本の農業のを取り巻く状況は必ず変わると考えているからだ。

今の農水の大規模化し、国際競争性のある農業を進める。と言う考えは、早晩失敗する。農政は失敗の連続だから、今更驚く事はない。しかし、そうした政治とはかかわりなく、農業は続く。それは農業には人間の生き方の根本があるからだ。日本人が日本人となってきたものは稲作であり、農業を取り巻く暮らしの在り様だ。文化と言うと貴族文化とか、武士道精神とか、特に際立った物に目がいきがちだが、当たり前の日々の送り方こそ、人間の文化だ。その大半のものが、農業によって生まれてきた。その暮らしが、久野地域には一定残されている。そのあり方はこれからの日本にとって間違えなく、貴重な物になって行く。

里地里山作りは環境保全の活動ではない。地域の暮らしの再生だ。地域の人への開発制限のような、発想があれば、これは成立しない。地域の人が暮らしを立て易い条件作り出す。里山地域だから家を建てていけないではなく。里山を守る為の、農業を継続する人ならば、むしろ、来てもらう為に家を建てられるように、法規制を取り払うような方向でなければ成らない。久野が久野らしい里地里山地区として、成り立つように、そうした開発はむしろ必要だと思う。同時に、里地里山らしくない、建設残土の捨て場のような施設が出来る事で、その価値が減ずることがないようにしてゆく事だろう。里地里山地域指定などというと、何か地域の暮らしが損なわれるようなイメージがある。そうでなく、地域の人が暮しやすくなるような地域指定でなければ、成り立つ訳がないだろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

里地里山づくり

2007-01-18 08:15:05 | 里地里山
昨夜は遅くまで、久野の里山について話した。プチピースカフェの「環境のつどい」として私の家で集まった。13名の人が集まった。舟原の地域の方も二人参加してくれて、内容のある良い集まりになったと思う。この集まりが里地里山の第一歩になるように思った。その時口々にいわれていたのは、結局は人しだいと言う事。昨夜の集まりが内容が深くなったのは、多様な活動をされてきた人がいた。やはり今のような社会環境のなかで、環境活動を続けてくるのは、普通の努力ではない。人間的な魅力も大きい。

桑原の農村環境の保全活動を支えてきた高橋さん。この活動の体験を聞かせていただいたのは、今回の成果だったと思う。結局は沖津さんといわれる一人の人が、どうしても子供の頃からの自然を守りたいと言う強い思いに、多くの人が出会って行った。そして長い年月をかけた、調査の継続。将来の展望がない中で、地道な活動を続ける辛さはあるが、その事こそ人を動かす物だろう。そして、2001年になってのメダカの希少生物の指定で、局面が変わる。地域の大半の人はメダカに対しては、冷たかった。農村環境の保全より、地域の開発。それでも、どうしても守ろうと言う一人の人の気持ちの方が強かった。と言う事らしい。

その個人の活動を、行政を動かし、全体をコウディネイトしてゆく。手がけたのが、山田純さんだった。昨日は山田さんから貴重なアドバイスを山ほどもらえた。最近忙しい山田さんとはゆっくり話もしていなかったが、こういう人に地域に戻ってもらわなければならない。日本森林会議の事務局長をされてから、地域の事にはかかわって貰えない。行政には行政の事情や仕組みがあるようで、これを熟知した上で、動かなければ行政との協働の仕方は開けてこないだろう。メダカと言うものを活動の中心に据えた着眼点。メダカがこの地域で将来どんな物になって行くかの予測。メダカの学問的位置づけ。そう言えば、何度も専門家を呼んでシンポジュームを行った。

その意味で、今回集まりに県に勤めていた、Sさんが来てくれた事はありがたかった。県がここで何をしようとしているのか。どんな気持ちを持っているのか。どうしても良く見えなかった事が、大分理解できた。Sさんは現在自分の農家を成り立たせる為に奮闘されている。このことでお誘いしたのではなかったが、自ら出向いてくれた。お陰で県の農政畑の考え方が、少し見えてきた。ストーリの描き方と言う話が、面白かった。どうもまだ行政では、そこが出来てないようだ。今のままでは何度集まっても形式的なことに終わりそうだ。今回の里地里山構想には、久野の未来がかかっている。今回の集まりだって、全体から見れば、何のための集まりだかまだ見えないだろうが。各自の思いを高め、煮詰めてゆく事には大いに役立ったと思う。

地域の、MさんとUさんも来てくれた。それが、すでに実際的に活動を始めている。こうした潜在している里地里山活動を、顕著化して大きな方向のストーリーに書き込んでゆくこと。そしてその意味をきちっと思想化する。何故、農業が必要なのか。食料安全保障や農業の環境調整力だけではダメだ。農業には人間の生きる本質的な価値が存在する。この点をいつも思い出しておく必要がある。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

久野里地里山つくり5回目の集まり

2007-01-07 08:33:55 | 里地里山
19日に5回目の里地里山づくりの相談会がある。今年はいよいよ具体的な活動に入る事になると思う。行政の役割、市民の役割、これを出来るだけ明確にして、協働してゆきたいと思う。もちろん両者が協力してやることもある。その一番が通信係ではないだろうか。

桑原地区のめだかと生息地を守る会の活動で、市民にとって、簡単そうで大変な事は情報を地域に伝える事だった。例えばめだか米の活動がある。桑原地区の農村環境を継続させる。その為には、めだか米に参加したい人を公平に募集しなければならない。一軒一軒歩いた。歩いて、このことを伝えた。しかし、伝えたにもかかわらず、俺は聞いてない、はずされている。どう言う事だという意見が出てき手慌てる事になった。これが回覧板を使わせてもらえれば、そう言う事は起きない。

回覧板と言うシステムも不可思議な物だ。以前、洋服の販売らしい物が、あった。行政からの連絡はフリーパスで廻すようだ。誰が、廻すか判断をしているかと言うと、自治会長だろう。だから、前例主義になる。新しい内容のものは、簡単に廻す事はできない。特に、メダカの保全と言うような、一歩立ち入れば利害にも触れてくる、厄介な事は基本的に廻さない。桑原で、冬水田んぼをやったことがある。極めて上手く行った。ところが、やはりそれを伝える事ができない。全員の農家が、冬季湛水などとんでもないと言う中で、メダカの環境を守る為には冬季湛水しかないと考えて、実行した。しかし、その成功も伝わらないまま終わった。

久野地域では里地里山をつくる活動を一緒にやりましょう。と、県、市から提案がされている。行政から出された住民と共同する、新しい方法を模索だ。なんとしても生かしたいと思う。里地里山が荒れてきてしまったのは、農業の形が変わった事と、経営ができなくなった事にある。それなら、農業が再生できるかと言えば、これは難しいと言うのが、今のところの大方の考えだ。私はそこがポイントだし、可能性はあると考えているが、これ以上その事を今の段階では発言できない。

そこで、都市住民のボランティア的参加を、求めたらどうかと言うのが、行政の考えのようだ。しかし、林業でわかるようにボランティアに効果的な活動は出来ない。参加したことがあるが、広大な森を本当に管理できるのは、林業の成立だけだ。それに、農村の側でも、信頼のない都市住民と良い関係が持てる自信はない。それならどうしよう、と言うのが今の久野地域の状況だ。

行政に出来る事とは何か、法的な整備や指定。久野地域を里山地域として指定する事。これが遅れれば、混乱した地域開発がつづく。里山に建設残土が捨てられることになる。農地がさらに荒れてゆく。この場合、土地の資産的価値を重視する地域住民に対してどう対応できるか。
もう一つ、情報の発信。住民に対しの啓蒙活動。行政職員は里地里山のエキスパートたる勉強が必要。少なくとも全国での成功事例は、見てきて欲しいものだ。

市民は実際に里地里山の保全活動を行う事。これに尽きる。その責任を担う覚悟が、市民にないとすれば、市民が行動を始めるまで、待つ方が良いと考えている。しかし、幸いな事にすでに久野にもいくつかの里地里山事業と言えるような活動が立ち上がってきている。これを同地域全体に伝えてゆくかが重要な事だ。そこで、通信係を引き受けたいと思っている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

久野里地里山づくり・第4回の集まり

2006-11-22 06:53:40 | 里地里山
昨夜は4回目の里山作りの集まりがあった。住民の参加者は少し減少したが、行政側がかなり練り上げた準備をしてきた。今回の事ではどうやって、行政と住民が共に事業を立ち上げて行けばいいか、新しいやり方を探したいと思ってきた。現在は有志が集まって、勉強会を開いていると言う事になる。こんなスタートの仕方でいいのかどうか。その辺も研究の必要を感じる。地域に在る問題が何処で発案され、行政との共同で、解決に進む。この仕組みの構築が大切だと思う。

今集まっている人間は、行政が地元の中でこうした事に関心のありそうな人を、ピックアップしてきた。公募したわけではない。久野には里山事業といえる活動が、すでに10ぐらいはある。県が主催して最近開催した、里山サミットの内容より、深いものがすでに多いい。それを膨らませてゆくと言う事が、実際的だと思うが、まだそことは繋がっていない。名古木でサミットをやりながら、丹沢ドン会の活動が入っていない。この辺に縄張り意識があるのだろうか。

昨夜の集まりは地域の人に伝えられているわけではない。と言って秘密という訳ではなく、関心があるという人が分かれば、参加してもらってという形で、メンバーが集められている。出来る限り早い段階で、今やろうとしている事を。住民全体に伝える必要があると思う。

しかし、メンバーにはもう少し固まるまで、この形で進めて、何をやるかが決まった段階で(ここが難しい)、募集する方が混乱が無い。こういう考えが強い。常識的な判断だとは思う。その範囲で、出来る限り早くする必要がある。これからは、こうした、住民、行政、合同の事業が増えるだろう。これが、自治会長や一部の人で構成される事は無理もあるし、良いことでも無い。初期メンバーを、それなりに住民から選択せざるえない事情はあるにしても、次段階への移行は早いほどいいと思う。やりたい人がやる。この形を早く見つけ出さないと、義務的な事業になってしまい負担感がかかってくる。

「里地里山」こういう言葉が出て来た。神奈川県が今制定しようとしている。条例で使われている。里地という言葉が新しい造語だろう。農水省では里山を取り払って、「里地環境づくり」という言葉を使っている。里山どころではない、住んでいる場所が、保全しなくてはならなくなってきた。こう言う事なのだろう。久野も同様だ。山の方も大変だけれど、今住んでいる周辺の美化運動から、始める必要がある。こういう声が多いい。

里地里山の範囲が気になる。農地、水路、ため池、雑木林、竹林、等とされている。ここで気になるのが、人工林がはずされている事だ。意図的にはずされているのだ、と感ずる。つい10年前まで、ミカン畑だった集落周辺が、杉檜の人工林に転換している。これをどう扱うか、久野では大きな問題になる。農政からの提案で、林業との関係が避けられている。

12月10日の自治会長会議で、行政から今まで行われて来た事が報告される事になった。そして、回覧に回る事になる。ここで新しいメンバーの募集がされるべきだと思うが、まだ早いというのが、大方の考えのようだ。3月ごろに、里地里山のイベントを開催し、準備会の立ち上げ、参加者の募集という辺りが、検討された。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

久野里山作り 第3回勉強会

2006-09-30 04:34:33 | 里地里山
昨夜、久野の区民会館で第3回里山作りの、勉強会があった。私は里山を再生するには、地域の農業が活性化するしかないという事を、繰り返し話させてもらった。同じことを言われる方は、何人か居たが、みなさん農業が盛んになることなど無い、と諦めてしまっていると言う事もわかった。

これは小田原市の農政課からの参加者ですら、「農業をこの地域で盛んにする事はできない。だから、環境問題として、市民的に、里山整備を行ってゆく。」こうした考えもあるのではないか、と言われていた。

久野という農業地域で、生業として農業を盛んにしてゆく事が、不可能なことだと、諦めてしまっている現実を、どう考えたらいいのだろうか。多くの方が国の農業政策、林業政策の誤りによって起きている、輸入製品偏重を言われていた。もちろん、私もそうだと思っている。

難しいのは、久野で農業は可能だ。この主張が、今、農業に携わってくれている人を、能力不足だと非難しているように受け取られることだ。もちろん、そんなわけはなく、今農業をされている人達は、すごい能力を持たれた、有能な方達だ。だから、こんな困難な社会状況にもかかわらず、農業を続けられている。

その人達を、どのようにバックアップするかが、里山再生には一番大切だ。その大きな骨格があって、その上で、何処の何をみんなで整備してみようか。と言うところに進まないと。里山作りが矮小化されてしまい。本質には迫れない。しかし、行政としては、そんなおおごとにしたくない、と言う気持ちがにじみ出ていた。どこかのため池でも、再生して、県知事にでも来てもらえば、仕事としては大成功。確かに象徴としては、それもある。しかし、里山作りの共通理念なく、ボランティアを受けいれる事は、大きな間違いにも繋がる。

私は久野の農業は可能だと考えている。私が知る限り、10名ぐらいの、すばらしい農業者が居る。その方達がやられていることを守り立てることが、久野の農業が活性化することになる。すでに、モデルはある。個人を守り立てることは、行政には出来ないだろうから。里山をキーワードに連携を深め、久野ブランドを作り出すことが、必要だ。

久野里山会で、里山の維持に貢献している田畑を認定する。そこでの農産物をブランド化し、販売協力する。具体的には、里山会認定の田んぼのお米は、全て買い上げて、有利販売をする。せいぜい現状では、田んぼ面積は10ヘクタールぐらいだろう。そこで販売にまわせるお米は、1割ぐらいのものだろう。4トン程度だろう。これを里山会で販売する。「このお米は、久野の里山を守る為に生産されています。」こう書く事が大切だ。

お茶もある。同じ販売方法で、有利販売が出来ることになる。同じことを、桑原のお米販売で行った。桑原のめだか米だ。「このお米を食べることが、小田原メダカを守ることになります。」このように販売した。こうした努力は、行政と住民の協力が会って始めて実現できることだ。これには農協や、生産組合や、行政の、協力が必要だ。この点に、是非行政は努力してもらいたい。

小田原の農業は、消費者が傍に居ると言う、極めて有利な条件がある。小田原の環境を守りたいと言う事は、市民共通の願いで、特別な事ではない。久野を里山地域と認定し、そこを守ることが、市民の利益であることが、共有できれば、久野の農業を盛んにしてゆくことは可能だ。中国から来た、農産物より、久野の里山ブランド農産物が少し高くても、選ぶ小田原市民がたくさん居る事を信じるべきだろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする