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地場・旬・自給

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鶏種の作出

2006-05-11 04:46:14 | 自然養鶏
中川昭一農相は「少数の外国に(鶏の)原種を依存しているのはリスク要因になりかねない」と述べ、日本独自に優良品種の開発を進める意向を示した。
 採卵用、食肉用に日本で飼われている鶏の大半は、海外から輸入したヒナを育てて交配した子や孫。優良な鶏の原種は欧米企業数社が流出しないように押さえているため、日本は輸入を続けるしかない構造だ。05年の生きた鶏の輸入は約100万羽で、輸入先は英国が約37万5000羽(37%)でトップ。フランス、米国、ドイツ、オランダが続いている。

 ところが、欧州で鳥インフルエンザが広がり、フランス、オランダ、ドイツからの輸入が相次いで停止。4月29日には英国からの輸入もストップし、輸入の約8割が止まってしまった。

「発酵利用の自然養鶏」を書いた時、私は3つのことを予測として書いた。
1、ワクチンで対応できない鶏病の流行。
2、有機畜産の世界基準が出来るに従い、卵の輸入が始まる。
3、種鶏の輸入が出来なくなる時が来るので、独自品種の開発を急ぐ事。

私自身にも恐ろしい事だったが、三つともが予測どおりだった。そのいずれに対しても、これも予測どおり、国は何の対応もしなかった。出来なかった。私のこの予測を立てた、根本とした考えでは、この先、日本が迷走飛行に入ると言う事。だから、不時着法を提案する事を考えていた。

問題は独自品種の作出である。いよいよ、輸入できなくなってから、取り組むと言う事が可能なのかどうか。農水省が、本当に品種の作出を理解しているのかどうか、怪しい気がしてくる。今からでも、気付いた点は悪くないのだから、以前国がやっていた、レグホーンとロードを交配して作っていた、国産クロスとよばれていた桜卵の二の舞にならなければいいのだが。

昨日も、長く養鶏を群馬で取り組まれてきた、Oさんから電話があった。鶏が突然卵を産まなくなったという相談。病気ではないという。エサや、状態を一通り聞いてみて、不自然な事何もない。Oさんのようなベテランが、私に聞いてくるというのだから、通例の事でもない。春には90%産んでいたのが、突然、殆ど産まないと言うのだ。ここで、鶏種の事に思い当たる。輸入できなくなり、国内で自給したのだ。それで調子が狂った。同じ飼い方では、エサ食いも、サイクルも違うはずだ。

種鶏の輸入が止まり、鶏が変化してきているのだ。10年前、アメリカの世界戦略で、種の独占と言う事が盛んに言われていた。世界中から、有用、無用を問わず、種を集めていると言う話だ。当然動物にも及び、世界各国、種鶏の保存と言う事が行われたはずだ。
日本と言う国は全く特殊な国で、こうした基礎的な努力は、放棄している。私の知る限りでは、種鶏を集めていると言う話は聞いた事がない。そんな悠長な事に、目を向ける人が、国の機関にいるはずがない。
そうした事はやると、研究費を趣味に流用している。こうした苦情が出る。

この間、主に行政関係の鶏の作出といえば、肉用の何とか地鶏の作出である。それを地域おこしに使えるとか、地鶏と言えば有利販売できるとか。土台地鶏のナンたるかも、確定しないまま、こうした事を行ってきた。一応仕事だから何かしない訳にいかないので、やっていたのだろう。
鶏には品種の登録制度すらない。特許とも何の関係もない。こうした中で行っている事、事態が、おかしいのだ。行政が整えるのは、先ず、制度を整える事だろう。

問題はどうやって、日本独自の種鶏の作出を行うか。ここに目を向けたのが、あまりに遅かった。日本国内にいる鶏から作らなければならないことにある。
何とか、短期的に考えればそれなりの鶏は、私でも、可能だ。問題は、その永続性と、状況の変化に対応できる能力のある鳥ができるかに在る。
作出の能力のある研究者がいないと言う事もある。国がそうした基本的な研究者の努力を、拒否してきた。本来、こうした基礎研究は大学が行うのだろう。しかし、産学協同とかが叫ばれる割には、大学での基礎研究の意味が捉えられていない。
農業系の大学で、そうした保存がされているとも聞いていない。

企業はそれなりにはやっているらしい。農水が、企業から、種鶏を出させる事ができるのか。これもおかしなことではあるが、日本的に可能なのかもしれない。
作出で一番大切な事は、大きな目標の立て方である。どんな鶏種を作り出したいのかである。まともに出来ないとなると、クローンやら、遺伝子組み換えやら出てくるのか。これまた心配な事になる。

いずれにしても、鶏に興味がある私としては、これからどのような事が起こっていくのか。着目してゆきたい。


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養鶏な日

2006-05-08 05:23:56 | 自然養鶏
養鶏に専念する時間は毎日1時間と火曜日の全日となっている。
どんな日々なのか、書き留めておく。多分、1年もすると、少し変わっているのだろう。

私は朝が担当だ。夕方は内の奥さんが担当する。朝は、子供の頃から早起きで、年寄りに褒められる子供だった。年寄りに近くなった今は、4時が起床時間で、8時に寝てしまう。朝早いうちに鶏の事をやるのが一番。朝の仕事は鶏のエサ作りや餌やりの時間だ。

落ち着いて観察する事が、何より大切に思っている。2匹の犬を散歩しながら、1キロ離れている、養鶏場まで歩いてゆく。
養鶏場に近づいたら、先ず、鼻を利かす。ニオイの第一印象が大切だ。発酵の組み合わせで、出来ている養鶏なので、発酵臭のわずかな違いを嗅ぎわける事が、最初の仕事だ。ニオイはすぐ分からなくなるので、最初の一発を注意深くクンクンやる。いい匂いがすれば基本的には大丈夫、なんか厭なニオイがあれば、要注意。
最初と言えば、養鶏場に近づいていくときのもう一つの観察は、動物や鳥の逃げてゆくのがいないか。空のカラスや鷹。あるいは犬や猫だ。うろちょろしていれば、注意信号だ。

電気柵の通電の確認。を鍵を開けながらする。そう、番号の鍵なので、これも確認、私にはこれで誰かが着たかがわかる。良く人が来るのだ。
それから、おもむろに、まだ、作業にしない。のんびり鶏を眺める。ああいいものだと、順番に眺める。どう眺めるかもあるのだが、これは別の枠で、鶏の観察法でまとめてみたい。
鶏の目線で、時間を先ず過ごす。異変がないか。調子がいいか。フンの常態は必ず見る。手で持って手につかない、ニオイがしないフン。触りたくない様なフンならダメ。

鶏の動き、エサ箱の状態で、その日のエサの量、比率を決める。嫌気は体調管理、好気は卵の味、量。エサはリズムを付ける。足りない日と余るぐらいの日の波を付ける事。卵の産卵数の流れも把握の上、その日のエサ量を決める。
そこで、エサ作りに入る。エサは当然発酵熱とニオイの確認から。嫌気発酵はすっぱさの状態を見る。いい発酵の状態を食べてみて覚えておき、気になるところがあれば、食べてみる。家に見学に来て、食べてみるような人は見込みあり。

好気発酵は必ず手でつかんで温度、湿度をみる。この時、昨日の状態からの変化、明日の状態の予測。流れの補足が必要。自分の予測どおりの状態が作られているかを、確認。

エサは朝夕の2回ほぼ同量。1羽100グラムから、200グラムの間。攪拌機に、バケツで、各エサの量を数えながら入れ込み、良く混ぜて、又バケツに戻す。この時、夕方の分もバケツに入れて、保存。攪拌の結果全体では熱のないものになる。シットリぐらいの状態になる。これも、夕方には熱が出ていて、普通。

大切なエサやり。満遍なくばらまく。食べれない鶏がいないように。エサをやりながら、鶏の状態を良く観察。一番鶏の状態がわかるときだ。雄同士の騒ぎも状態の確認。おかしな奴がいたら、別飼いの小屋に移してやる。

水の確認、補充をする。これで毎日の朝の作業終了。

肝心な「養鶏な日」は火曜日だ。
この日一日は鶏の日。卵の配達。エサ集め。エサ集めは、オカラと魚アラとくず米、米ぬかが中心。エサの仕込み。見学者の対応。草の管理。小屋の直し。その他、ありとあらゆる鶏に関することをこの日に集中して行う。
金曜にもう一度卵の配達はあるが、殆ど全てを火曜でこなすことにしている。手伝いの人も、この日の午後に来てもらう。3人でフンの袋詰めから、草刈、切りのないほど仕事がいつもある。だから、やり切れると言う事はないのだが、緊急性のあるものから、こなしてゆくと言う状態である。

この何となく遣り残しの在る、状態を。不愉快に思わないで、受け入れる事。
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鶏の自家繁殖・笹鶏

2006-04-07 06:21:58 | 自然養鶏
5歳の時小国鶏に熱中して飼い始めて、ちょうどその頃ラジオを聴いていると、日本の鶏が世界一になった。こんなニュースが流れてきた。1年の産卵数が365個に成ったというのだ。
当時はまだ敗戦後の脱力感のような空気が残っているなかで、世界に負けない技術という事が、今のギネス記録とは全く違う形で伝わってきた。よし、自分も世界一の鶏を作ってやるぞ。こう決意したわけです。
農学をやっていた叔父がいたので、どうやればいいのかを、詳しく教わった。目標を立てて、それに向かって選抜し、系統的の交配してゆく。基本的なことを教わりました。
まず、その時新たにもらった、黒チャボがいたので、これをどこからどこまで真黒んものにしてみようと考えました。今思えばこの辺が子供で、何でそんな事をしようとしたかよく解らない。真黒チャボという内種がいることなど全く知らなかった。最後には目の中まで黒いチャボになりました。
その後、「レオポン」に刺激されて、キジとバンタムの交配を試みたり、私の小学生時代は、鶏の交配に明け暮れる事になりました。

その頃からの夢が、自分の鶏を作り出すということでした。20年前、山北町の山中に暮らすようになったことをきっかけに、笹鶏の育種を目指すことにしました。日本が鶏の国であったはずなのに、いつの間にか、鶏種の輸入国になっていたのです。日本のどこで自然養鶏をやろうとしても、フランスやら、オランダやら、アメリカに、基種をお願いしなければならない。こんな情けない状況になっていたのです。当時、1社だけ、日本独自種の作出という事を目指していた会社はありましたが、これも日本の鶏種とはとても呼べない物で、私には納得がいかなかった。

その頃たまたま、青年海外協力隊でフィリピンに行って養鶏の手伝いをしてきた人が見えて、話すには、折角施設を作り、養鶏を始めるところまで進めても、雛を買う費用が無い為に、何年かすると、養鶏を止めてしまうという事を聞きました。
こういう形で、先進国と呼ばれる国に、種が独占されてしまうのかと、わかりました。それなら、自分でとった卵で、次の世代が、継続できる品種の作出は、大事な事だ、これをやってみようと考えました。

本来日本では各地にその土地の鶏がいたはずです。その各に鶏がいる状態が、一つの鶏種を継続してゆくのに、適当な状態だったのです。各農家が、鶏を飼い、自家繁殖している。そして、卵をよく産む鶏がいれば、羽色がいい鶏がいれば、ヒナや種卵をもらってくる。そうして、適度な距離間で、適度な交配と、又種の保存が行われて、一鶏種が確立されていた。

この状態は今望むべくも無いが、自然養鶏を行う者の間で、この状態の再現が出来れば、自分達の育種が出来るはずだと考えました。それでまず、自分なりの自家繁殖できる鶏を作り始めたわけです。

やはり日本の風土に適合している事は大切なので、比内鶏を1系統にしました。それにコマーシャルの産卵鶏を掛け合わせました。その後白系統と、赤系統に選抜してゆきました。実用的には2系統を維持し、その交雑で、実用鶏をとるようにする必要があると、考えたわけです。赤系統は割合早く固定できましたが、白系統はだいぶかかりました。
この間様々な要素が入り乱れましたが、その辺を又の機会に書きますが、ともかく7,8年したら鶏が弱くなってきました。最初の方針を決めてから、純系のみで交配しているわけなので、その性だと思います。産卵率、孵化率、育雛率、共に下がりました。しかし、その後も純系で進めてゆくと、何とか継続できる状態に戻りました。

今年も、4回目の孵化に入るところです。一台のフランキが不調で、一台のみで、孵化しているので、中々希望数に達しません。200羽孵すと、私のところの300羽程度の養鶏が継続できます。100羽の雌が毎年供給されると、適度な数が維持されてゆく事になります。問題は、実用鶏とは別に2つの純系を維持してゆく事です。これは正直負担です。営業だけ考えたら、継続できる物ではありません。一軒で続ける限界だと思います。

昔ヤマギシでも、自家系統を模索した事があるそうですが、挫折したそうです。農家一軒で出来る仕事ではないのですが、細々と、私が生きている間は続けてみようと考えています。
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鶏を飼い始めた頃の事

2006-04-05 06:39:25 | 自然養鶏
ブログを書き始めて1ヶ月が経った。少なくとも1ヶ月は毎日続けてみようと、思っていました。日記なら既に終わっていたので、不思議な気分です。
一ヶ月目には、鶏を飼い始めた頃の事を書いてみようと決めていました。

初めて飼ったのは「小国鶏」です。まだ学校へ行っていなかった、5歳の時のことです。年を取って、最近のことを忘れても、昔のことはよく覚えている、と言うのは本当で、始めてみた、小国の美しさは今も鮮明に思い出せます。

もう夜で遅かったと思うのですが。彫刻をやっていた叔父(笹村草家人)が突然やってきて、これをお前が飼いなさい。こういう命令がなされたのです。この叔父はその頃、東京芸大の彫刻科の助教授で、勤めで上野に行った際、上野公園でもらってきたと言うのです。この辺の年代と辻褄を合わせてみると、上野動物園で日本鶏の品評会が開かれていたのだと思います。
そこに行き合わせた、叔父は。その頃上野原のそれは山奥に住んでいて、猪や狸を飼っていた、相当に動物好きだったので。日本鶏の看板を見てそのまま、上野動物園に入ったのではなかろうか。

そこで見たのが、戦争中も大事に飼い続けられた、日本鶏だった。叔父は日本と特に土佐が大好きだったので、尾長鶏とか、東天紅には、惹きつけられた筈だ。そこで、是非譲って欲しいと言う事になり、もらったのではないかと思われます。叔父は飼う人を探していたと言っていた。
その下さった方は「小国鶏」も是非飼って欲しいと、言われたのだと思う。品評会の記録を調べると、どなただかわかるのかもしれない。
そこで、東天紅の方は自分が飼って、小国鶏をどうしようか考えた結果。私を思いついたのだろう。

叔父がそのとき私に言ったのは、「この鶏はきわめて貴重なものなのだ、失われそうに成っている。大切に飼わなければ成らない。これを飼う事をお前の役目にするので、しっかり飼うように。」こう宣言したわけです。私に目をつけた原因はよく解らないが、命令を守りそうに見えたのだろう。5歳の子供にそんな命令を下すのもよく解らないのだが、その間、父が私に何か言ったことはなかった。父は草家人に対し、強い対抗心を持っていて、突っ張ってはいたのだが、その時は何も言わなかった。

何が何だかよく解らないけれど、その鶏には強く惹きつけられた、ともかく美しい。貴重の意味もわからなかったが、こんな美しい物を自分の鶏として飼うことができるということが、嬉しくて、天にも昇る気持ちだった。
置いて行ってしまった以上、何とか飼わなければならないということになり。翌朝小屋を作ることから始めた。この後、たぶん100を越える鶏小屋を作ることに成ったが、初めてなので、誰かに手伝ってもらったのだろう。しばらくすると、父が小国鶏の載っている鶏の飼い方の本を買ってきてくれたので、父も私に飼わせたかったのかも知れない。

その鶏は、小国鶏でも、五色と呼ばれる物だった。今では五色小国を見かけることは少なくなったが、羽色の美しさは格別だった。胸の黒は差し毛は全くでない、美しい物だった。足色の黄色もすっきりとしたもので、鉛足が出る、というような事は考えもしなかった。

全く天から降ってきたような形で始まった鶏飼いが、私の生涯の暮らしに大きく影響していた事は、今思うと不思議なような気がする。結局、叔父に感謝しなければならないのだろう。
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「たまごの話」

2006-03-23 05:26:52 | 自然養鶏
江戸時代 鶏の改良では、日本は世界一の改良を行っていました。ニワトリはすべて、赤色野鶏1種から人が作りだしたものです。赤色野鶏と土佐の小地鶏は見た目では、ほぼ同一種です。天然記念物の日本鶏は17種いますが、どの鶏を見ても世界で類を見ない、交配の妙と言えます。今の技術力では再現すら出来ない高度なものです。

処が、不思議な事に江戸時代、産卵鶏を作り出す努力が全くされていません。大正期にウヅラの多産系を作り出したのも日本人ですから、充分技術はあったにもかかわらず、江戸時代産卵性に着目しなかったのです。宗教的な意味かと言うと、肉鶏のほうは比内鶏のようなものもいますし、鶏肉は4つ足で無いと言う事で、食べられていました。卵料理の本「卵百珍」が天命5年に出版されています。たぶん当時の暮らしの中には「多い事はいいことだ」と言うような感覚が、無かったのでしょう。

子供の頃、卵は乾物屋さんで売られていました。乾物屋さんの朝の仕事が、太陽に卵をすかして、悪くなった卵を選び出す事でした。有精卵の時代は1ヶ月ぐらいは平気で食べていたのです。いよいよだめだと言うのを、安く売るかごに入れました。たまごは、鶏の命をつなぐ循環の要ですから、実に上手くできていて、栄養的にも、保存の点でも、完全食品と言える物の1つだったのだ、と思います。

私のところのベスト記録では、70日保存してひよこになりました。これは室温で保存した種卵です。生命力の強い卵を産ませ、卵を9度ぐらいに保ち、日に1回は逆さに返し、中の水分が蒸散しないようにすれば、3ヶ月は生命を保つはずです。1年保存して、卵の状態が変化していなかった記録があります。

江戸時代、庭先で家族の数程度ニワトリを飼い、卵を産めば食べる。産まなければ食べない。こうした、自然を受けいれる暮らしの中で、より美しい鶏を作り出して行ったような、優れた感性を。私達の暮らしの中で見つけてゆきたいと思っています。そこで、私の作った笹鶏は私の暮らしを表していると思っています。
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今の農作業

2006-03-22 06:30:10 | 自然養鶏
3回目の雛を孵化しています。笹鶏の純系が赤と白二系統いるのですが、この雛達は既に2ヶ月になりました。その二系統をクロスして実用鶏を取るのですが、
この孵化が今2度目になります。フランキの一台が温度サーモが故障したらしく、
孵化を失敗してしまい、今は一台のみで、やっています。
今年は、4回目もやろうかと考えています。

畑にある作物は、大根、春菊、こかぶ、小松菜、たまねぎ、にんにく、じゃがいも、しいたけ、菜花、等です。今からの1ヶ月が、自給してゆく上では、畑は一番作物が不足する時期になります。菜花ばかりは充分にあります。
一方この時期になると、山には、山菜が一斉に出てきますので、これを楽しみに探して、行くと、食卓は豊かになり楽しみです。
しばらくは、ふきのとうやら、つくしでしたが、のびる、せり、と毎日1品を楽しむようにすると、あきません。
しかし山菜がおいしいのはたまに、ウドやら、タラの芽を食べる時で、これだけしかないと成ると、さすがに野菜には適いません。それでも春先はあくも少ないし、身体も苦い物が食べたくなるわけで、おいしさは格別です。

これからが、苗作り、種まきの最盛期になります。私はトマトに一番の興味があって、毎年挑戦しますが、上手く言った時がありません。上手くいくというのは、10段を越えるということです。一株で、50個以上取ると言う事です。踏み込み温床で作った、苗を友人からもらって、作って一度だけ、10段を越えました。

稲の種まきは、4月の9日が予定なので、そろそろ、浸種を始めます。こちらもいよいよと思うと、緊張してくるものがあります。やはりお米は格別な物です。
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鳥インフルエンザ

2006-03-16 05:28:47 | 自然養鶏
鳥インフルエンザと呼ぶ時、気おつけなければならないことがある。
人から人に感染が始まった時は、それはインフルエンザと変わるときである。
しかし、全ての情報が、鳥インフルエンザが、何百万人に感染する。
ごときに伝えている。
今、アフリカ、ヨーロッパ、そして来年にはアメリカに広がると予測される。
幸いに、東には向かってこない。渡り鳥というのは西回りなのか。
偏西風に乗るということはないのか。不思議。

以下鳥インフルエンザで今行うべき、事項を挙げてみます。

1、 鳥インフルエンザの弱毒のものは、強毒化さえ防げれば問題少ない病気と位置付けても良いのではないか。少なくとも抗体を獲得した鶏まで、淘汰する理由はない。ウインドレスで外に出ない確率が高いから、淘汰しないのでなく、ウイルスの存在がないことが確認されれば、抗体鶏淘汰はすべきでない。
2、 強毒化のメカニズムを詳しく調べ、現在の養鶏の中に確立を高めている要素、薬剤、飼料、何10万羽のケージ飼い、等を調査、研究しなければならない。
3、 人による二次感染の可能性を調査し、今後の防除に取り入れる必要がある。
4、 今回、感染の集中地帯の中で、感染を免れた養鶏場をつぶさに調査し、特に自然養鶏の抗病力を、研究しなければならない。
5、 ワクチンは強毒が発生し、手におえない場合のみ使うべきである。
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食品残渣の飼料化

2006-03-13 09:07:06 | 自然養鶏
あいらんどの自然養鶏は、地域循環の一環として行われています。日本の畜産は飼料の90%以上輸入して成立しています。このことは物が、狭い国土に大量に持ち込まれていることを意味しています。それをどのようにうまく処理したとしても、物の増加を止めることにはならないのです。
 その悪循環を断ち切るには、徹底した地域主義に戻る以外方法はないと考えています。
人間1人が食べ物を自給するには100坪の土地があれば可能です。4人家族としてなら300坪です。つまり400坪1反の土地で家族は家を建て暮らしてゆけます。
それに要する時間は、1日2時間です。これは土曜、日曜を食糧生産に当てれば、それ以外の時間を人は食べるということから開放され、自由に生きてゆけることを意味しています。これは私自身が一切の機械力を使わず、13年間行って見た結論です。
 このことは日本の国土で日本人は一切の食料輸入なく、生きてゆけることを意味します。信じがたいことでしょうが、安心できる事実がここにあります。
 私の個人的におこなったことを、小田原、足柄地域で地域循環という形をとうして、広く現実化するために「あしがら農の会」は活動しています。例えば、田んぼは1人で行うより共同で行うことの方に合理性があります。つまり農業には年寄りから子供まで、健常者から障害者までその力に応じた関わりが可能です。田植えを例に取れば、1列植えの人から6列植えの人までいていいわけです。さらに苗を運ぶ人から、食事を用意する人、さらに冗談をうまく言う人や、歌を歌う人も大いに場を盛り上げ役に立ちます。やってみると良くわかることです。そうした共同作業によって60坪で食べてゆける生活を楽しく、実現しようとしています。
 「あしがら農の会」では市民参加型の実践に向けて様々に活動しています。田んぼでは100家族ぐらいが、年10回の活動でお米を自給しています。お茶では150人前後が年2回の活動で自給しています。
 以上の考え方のなかで、「あいらんど」の自然養鶏も進められています。
私の目標はどこの家庭も鶏を飼っているという状態の実現です。その合理性の証明です。誰でもが家庭で鶏の飼える方法を、研究してきました。これは大規模化すると合理化されコストがかからないという,企業的論理と逆で、家庭で飼えばただになるという養鶏です。10万羽の鶏が狭いところにいるということは、病気の発病の機会は10万倍あるということで、たった一羽の病気が10万羽に波及する恐れから薬剤も必要になるわけです。
* 「あいらんど」養鶏の実際
「あいらんど」では地域ででる食品残渣を飼料にしています。みかんの絞り粕、おから、お茶殻はサイレージして利用します。米ぬか、青米、ふすま、そば殻、剪定チップ、カカヲのから、魚のアラ、くず炭、牡蠣がら、さつま屑などの農業残渣、以上は好気性の発酵をして利用します。
サイレージとは酸素を遮断して乳酸発酵することです。難しい技術ではなく,家庭でも出来ます。密閉できる器にぎゅうぎゅうづめにすればいいわけです。水分調整に米ぬかを加えます。出来てしまえば,1年経っても飼料として利用できます。
好気性発酵は米ぬかの発酵を利用して,餌になるものは何でも加えるだけです。米ぬかは水分を少し加えると発熱してきます。熱が出たら,魚の粗や,食べ残し,餌になりそうなら落ち葉や,お茶がら等,思いつくものはどんどん加えます。水分が多すぎると腐敗してしまうので,また米ぬかを加えて調整します。堆肥になるものならなんでも餌さとして大丈夫です。
2つのタイプの発酵を利用することが大切です。鶏の生理にかなっているのです。
さらに発酵を利用した重要技術は,床の発酵です。鶏小屋を堆肥小屋と考えます。堆肥の上で鶏が暮らしているようにします。むしろ鶏は堆肥製造係りです。足で堆肥の切り返しをします。ハエが湧くのを餌にして清潔を保ちます。さらに、鶏糞を加えて良い堆肥にしてくれます。あたりの草を飼料の半量にすると、残渣がさらに良い堆肥になります。近所の農家の人や、農の会の仲間が好きな時に持って行って利用してくれるようになっています。
もう一つの「あいらんど」の活動は家庭で飼い続けられる、鶏種の作出があります。今大規模養鶏で使われている鶏種は、家庭で飼うには欠点があります。これを以前はあたりまえにいた鶏に、戻してゆくことです。自分の種を持つことは、自給自足の第一歩でもあります。
*今後解決して行かなければならない課題
廃棄物の収集が法に触れてしまう点が、一番の課題です。食品リサイクル法ができれば、農業者は登録さえすれば法に触れずに、廃棄物を飼料として集められると考えていました。ところが、産廃業者の資格を同時にとらなければ廃棄物は扱えない、というのです。これでは食品リサイクル法が出来たところで、飼料化できる量には限界があります。それは飼料になる廃棄物の輸送コストです。飼料輸入港のそばに大規模な養鶏場は立地します。間に食品残渣を飼料化する業者が入る流通方式では、コストの上で限界は目に見えています。10円の卵にいくらの餌が利用できるか想像すればわかります。
養鶏業者が直接利用できてはじめて、食品残渣の飼料利用は可能なのです。私のところでのコスト計算では卵1個55円で売れて、今のやり方がやっと通用するというところです。
(但し、自給のための養鶏にコストはありません。犬や猫を飼うのにコストはありません。)
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自然養鶏

2006-03-07 05:15:03 | 自然養鶏
私は20年ほど前全国の鶏を飼っているところを訪ね歩きました。何処かにいい飼い方をしている人が居るはずだと思っていました。所が自然卵養鶏とは名ばかりで、工業的養鶏より悪い環境で飼育をしているところばかりでした。中途半端な飼育法は危険に満ちている、と痛感するところでした。中島さんの提唱した方法が平飼いをしていればいいとか。自家配合していれば価値があるとか。都合のいいように解釈されて、単なる有利販売になっている。しかし、「養鶏で生活していない者には、わからないよ。」と全く聞いてもらえません。それなら養鶏で暮らして見ようということもありました。その後、何とかかんとか、養鶏で食べてきましたので、少しは意見が言わせてもらえるようになったかと思います。
6本の柱
20年になろうとする、私のやってきた養鶏場「あいらんど」について、現況報告します。鶏を飼ってからは50年です。規模は成鶏200羽、育雛中240羽、600坪の敷地です。
「あいらんど」の自然養鶏は、 
1、 床の発酵
2、 飼料の2種類の発酵
3、 自家繁殖
4、 緑餌の多給
5、 草むら放牧
6、 湧水の利用
この6本の柱で組み上がっています。いずれもはずすことの出来ない、微妙な因果関係で結ばれた、不思議な骨組み。失敗に失敗を重ね、鶏に教わりながら進めてきた、自分の観察の結果のみを信じてやってきた、自然養鶏の今ある姿です。
私が自然養鶏をやっているのは、人間として自立して生きる為。
雛を買わなければ出来ないような養鶏では、私には意味がなかった。
ワクチンを不要と考えたら、使えなかった。
不徹底なものが私の生き方にあってはならない。どうしようもなくコダワルノガ私なのだ。むしろ、独立独歩に生きる為の技術として、自然養鶏に至ったと言った方がいい。
一人の人間が一人だけで生きる為の技術として、私は自然養鶏を選び、その技術を磨いてきた。養鶏を考える前に、自分がどのように生きるかを問いたい。全てはそこに始まる。自分の生き方にふさわしくないなら、養鶏をやる必要はない。
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