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地場・旬・自給

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種子法の廃止

2017-05-13 04:14:20 | 自給

種子法が廃止された。廃止された方がいい法律だったと思う。法の継続希望する動きもあるようだが、種子法を理解してのことなのだろうか。私はサトジマンの種子を使い稲作をしている。農研機構が作出の素晴らしい品種だ。これは、種子法の恩恵である。しかし、このお米を販売するときにサトジマンと正式には名乗ることは出来ない。何故だろうか。もちろん私が種子として種もみを販売することは違法行為である。

「種子法によって稲・麦・大豆の種子を対象として、都道府県が自ら普及すべき優良品種(奨励品種)を指定し、原種と原原種の生産、種子生産ほ場の指定、種子の審査制度などが規定される」「日本古来の原種や原原種の優良品種を都道府県が管理し、農家に提供せよ」「種」について、単純に「ビジネス」と化すことはせず、「農家に安価で優良な種を提供する。」

以上が種子法の目的だとすれば、全く現在においては不用な法律である。廃止して自由な種子作出にした方が良い。品種が農家のものになる。今まで種子法の恩恵は受けたことがないし、むしろ種子法によって制限を受けてきたように思える。自由に種子の売買が行われていないからである。日本の食糧安全保障、食糧自給、そして食の安全を考えたとき、種子法での制限は無意味である。種子法が無くなれば、モンサントの遺伝子組み換え作物のなだれ込みになるという意見を見かけたが、全く関係がない。モンサントは種子法があろうがあるまいが、政府が遺伝子組み換え作物を作りたいと思うかどうかにかかっている。政府は農産物の競争という意味で、遺伝子組み換え作物がやりたくてしょうがないのだ。種子法とはなんの関係もない。下手をすれば、遺伝子組み換え作物が種子法によって各県の奨励品種になりかねない訳だ。遺伝子組み換えの大豆を制限することを、非関税障壁だというのが、アメリカの主張だ。

原種の維持と種子法は全く関係がない。稲の原種の維持と言っても、そんなものはまだ見つかっていない。今ある稲のすべてが人間が作り出した品種だけだ。麦も同じであろう。大豆も同じであろう。それが作物というものだ。優良品種を作り出す努力を、今までは国の関連機関が補助金を使い作出してきた。素晴らしい品種が山ほどある。山ほどありすぎて何が良いのかわからないほどだ。たとえば、沖縄県の奨励品種が「ひとめぼれ」というのはどうなんだろう。1981年宮城古川農業試験場において、良食味と耐冷性を併せ持つ品種の育成されたものだ。なぜか亜熱帯の沖縄の奨励品種になっている。これが沖縄の普及すべき優良品種なのだろうか。その結果沖縄の稲作の収量は極めて低い結果になっているのではないか。確かに沖縄の稲作面積に対して、民間の種苗会社が新品種を作出すれば、相当高価な種子になるだろう。もしかしたらその種子は品種特許となるかもしれない。しかし、それを違う形で取り組むことができる。酒造会社と農家が共同して、インディカ米の泡盛品種を栽培して、販売展開もできる。そういうところに創意工夫が起こることにもなる。

沖縄では泡盛用品種が農業研究センターで栽培実験をされた。やはり農研機構で作られた楽風舞という品種だ。今までインディカ米の輸入原料で作られていた泡盛を、沖縄でジャポニカ米で生産しようというのだ。この作出の趣旨がよく分からない。インディカ米を泡盛用に沖縄で栽培すべきではないか。もちろん様々な考えがあっていいのだが、そういう自由な研究や販売を出来なくしているのが、種子法なのだ。品種を作ることはとても困難である。と同時に簡単なことでもある。簡単という事は人に品種として販売するのではなく、自分の田んぼに適合した作りやすい品種を維持するという事は、誰にでもできることだ。自家採取するということは自分の品種を作出しているという事である。困難という意味は県単位で変わらない品種を作るという事は極めて難しいという事だ。お米が統制されていた時代の名残で、県単位で奨励品種を作り、その購入種子で栽培し、農協出荷しなければ、品種名を名のれないよう制限がしているのが種子法である。

 

 

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5月の自給作業

2017-05-01 04:57:48 | 自給

穂が出てきた大麦

5月は後半には田植えがある。今から田んぼのことで頭が一杯である。現在苗床で苗を育てているところである。まあまあ順調というところだろうが気は抜けない。畑にはトウモロコシ、かぼちゃ、サツマイモ、いんげんを作るつもりだ。家の畑は2週間前に草を刈り倒し耕してある。今回は特に肥料はいれていない。土がかなり良くなっているので大丈夫とみている。現在成長しているのが、トマト、きゅうり、ナス、大根、ピーマン、ニンジン、キャベツ、カリフラワー、小松菜、玉ねぎ、ソラマメ、そして大麦。食べているのが、アスパラ、菜花、ニラ、ウド、フキ、最近の自慢は昨年のジャガイモを保存して食べていること。一年間を通してジャガイモがあるのは好物だから、嬉しい。ジャガイモはジャガイモの会でやっているのだが、昨年も今年も10キロ植えてある。10倍の100キロになれば、月に8キロも食べれる。そんなに食べるとイギリス人になるかもしれない。イギリス人はジャガイモが主食だそうだ。

寂しい玉ねぎ

自給の暮らしはそう難しくはない。いろいろ作れば、何かが出来なくても何かができる。去年はダメだったがタマネギもその前の年は1年間保存して食べた。保存が上手にできれば、自給の食事も豊かなものだ。今年のタマネギは、タマネギの会としてみんなで作った。玉ねぎは私には荷の重い作物である。草取りのようなまじめなことができない為でないかと思っている。草取りをしないとネギ科のものはどうもダメだ。それでもみんなと一緒だとある程度は草取りもした。暖かくなってこのところ何とか伸びて来ている。3か所に作っているから、200個ぐらいは取れるだろう。今年は家の大麦がすごい出来である。一粒の種から30本くらいの分げつが取れた。畑の土が良くなったという以外にない。一年一年で気が良くなってきている感じだ。特別の肥料をやったという事はない。ソバカスを繰り返し撒くくらいだ。と言っても反当りで年間1トンぐらいである。麦が終われば、ソバカスを撒いて耕運して、大豆を撒く。大豆が終わればソバカスを撒いて麦を蒔く。

きむら麹店から頂いた舟を畑の隅に設置した。湧き水が引いてある。

稲の苗は今年は苗床にすべて直播で作っている。4月22日に播種した。26日には発芽して、今日はすでに葉が開き始めている。26日が苗取りの予定であるが、4,5葉期の苗が目標である。昨年もそうだが、立ち上がりはセルトレーに少し負けていたが、後半盛り返して田植えの時には分げつまで始まっていた。今年は苗床の土に力を入れた。やはりソバカスを繰り返して蒔いた。荒起こし、代掻きは4月15日だった。1週経過して種まき。種は2週間川に浸けて丁度良い目出しが出来た。苗床は前日水を抜いておいて、種をバラ蒔きして、その上から燻炭をかける。さらにその上からソバカスで作った土ぼかしを振るってかけた。いつもより肥料分が多いいと思う。土が匂っている。ドブのにおいがするという人も居るが、この発酵臭の微妙な感じが大切である。稲の苗はすんなり成長することが大事だと考えている。厳しく育てた方が良いという考えもあるようだが、根が最初に出会う土の状態が稲が今後どういう姿で生育するかの性格を決めるような印象を持っている。

今朝の庭の様子

ビニールトンネルの中は大体35度までのようだ。暑そうで心配になるが、このくらいの温度なら大丈夫だ。この後、どの段階でビニールをとるかであるが、3週目くらいだろうか。雀が食べ無くなればとっても大丈夫だとみている。13日あたりがビニール取り除きか。この日には田んぼ全体にソバカスを撒く予定だ。田植え2週前がソバカスまきの適期だと考えて今年は早める。いつもは田植え直後に撒くのだが、それより分げつ肥料になると考えれば、田植え直後から肥料が利いた方が良い。田植え後にソバカスはまた蒔く必要はある。これは欲草効果である。ともかくソバカス農法と言ってもいいくらいなんにでもソバカスを使っている。ソラマメも130センチくらいの高さになった。結構分げつもしたから、かなりの収穫が見込めそうだ。これは草の中に埋もれた状態だ。草取りは一度もしない。今の時期草に埋もれているものは、キャベツとカリフラワーである。何とか採れることは採れるのだが、売られているような大きなものにはならない。

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春の楽しい農作業

2017-04-07 04:22:56 | 自給

シデコブシ満開。我が家では目立つ花。野生種はもっと小さい花で、白い。ホームセンターにあったので買った。いつの間にか大きくなった。邪魔になるほどで刈りこんだのだが、すぐ元以上に大きくなる。

春の農作業は快調に続いている。明るくなった何をやるかと思うだけで楽しくなる。上の畑には大葉、ニンジン、大根、と4月1日に蒔いた。下の畑にはほうれん草を蒔いた。順調に雨もあるのだが、まだ芽は出ない。苗はキャベツ、トマト、キュウリ、ナス、カリフラワーを植えた。こちらは安定して活着した。後はピーマンの苗がハウスにある。畑では大根、ケール、ブロッコリー、小松菜、がまだ十分に食べられる。奥のソラマメもずいぶん花が咲いてきた。今年は春が遅く、何しろフラワーガーデンの桜の開花が4月5日である。こんなに遅れた年は子供の頃以来である。寒いというほどでもないのだが、桜が遅れ、一斉に桃や、アンズ、プラムと咲き始めた。遅い年は何でも一緒に咲くことになる。今年はまるで北国の春のようだ。

イカリソウ 丈夫でもう30年自生している。これは山北に越した時に、植えたのが始まりだが、今も何もせずとも花を咲かせてくれる。これも外国のイカリソウなのだろう。3種買って植えたのだが、他の2種は少し遅れて花を咲かす。回りの草だけは取ってやる。最近そこにフキが広がってきた。これはもう少ししたら、まとめてとって食べる。フキの苦みが春の味だ。

 

馬酔木 この木は箱根にはとても多いい木だ。馬酔木だけの純林があるくらいだ。こんなに美しい花を咲かせる割には、便所の木などともいわれる。馬酔木の葉にある毒がウジの発生を抑えるというので汲み取り式便所では使われていた。だから便所の前に植えられることが多いいので、便所の木。私の家でも便所の前に有るのだが、越してくる前からそこに植わっていた。枯れもしないが大きくなることもない。

旺盛な大麦。今年はそれなりにとれるだろう。下の畑にある大麦、ずいぶん旺盛に生育をしている。麦は最初の頃に分げつして、その後は分げつをしてくるという事はないようだ。だから、播種後の生育で、真冬にどれだけ分げつがとれるかでその年の出来は決まってしまう。同じ播種器で蒔いているのに、なぜこんなに分げつしたのだろうか。このまま穂も大きくなるのだろうか。今年は楽しみだ。ジャガイモは今でも毎日何かしら食べている。イギリスではジャガイモが主食だという記事を、農の会通信にイギリス人が書いてくれていた。私もイギリス人の次位にジャガイモが好きだ。春のジャガイモが一年食べれる。男爵である。いま食べているものはそろそろ10か月目の保存になる。芽は出ているが何の問題もなく、美味しく食べている。収穫したらハウスで乾かす。良く乾いたら大きさ別に段ボールの箱に詰め込み、家の北側の軒下に積んでおく。そして必要な分だけ、台所に移して食べている。秋じゃがを作るという必要がない。

 

レモンはそのままならせている。レモンは丈夫で手間いらずだ。やはりホームセンターで見つけて、10年ほど前に植えた。大きくなったのだが実がつかない。負荷をかければなるだろうと考えた。紐であちこちに枝を引っ張った。その効果で毎年実るようになった。一度成ってからは何もせずとも必要な分は実る。消毒も肥料もやったことはないが、毎年実をつける。玄関前に有るのだが、パン屋のソラマメさんが使うくらいで、私はめったに使わない。塩レモンが作ってあり、焼き魚や、焼き肉の際に使う位だ。それでも玄関前に植えてあるのは、実りを感じる観賞用としてのようなものだ。それくらい美しいと思う。学生の頃はよく油彩画で描いたものだ。形も色も、硬さも面白い。

 

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4月の自給作業

2017-04-01 04:27:04 | 自給

春がきた。陽ざしが土をどんどん温めている。ジャガイモもやっと芽を出し始めている。今年は遅れていたソメイヨシノの桜もやっとというところだ。大根、こかぶ、小松菜、ブロッコリー、菜花。相変らず食べ続けている。畑では大麦が実に旺盛に生育を始めた。ざわざわと伸びている。こんなに勢いを感じる成長は初めて経験する。土が良いことと、土寄せをした効果ではないだろうか。同じ麦でも麦の会の小麦はどうも不調である。何故だろうかと思う。土壌分析に出したので何か分かることを期待している。それでもは色はだいぶ濃くなった。やはり小麦も春を感じているようだ。タマネギは伸びてきたとはいえ、不調である。今年もそうは期待できないのではないか。理由が分からない。この冬一番力を入れたのに難しい。土質が合わないのだろうか。残念である。残念と言えば、トマトが力を入れている割には今一つである。十分にできたというのは、窪川さんにもらった苗の時だけだ。食べる分はあるからいいと言えばいいのだが、何か物足りない。今年も挑戦するつもりだ。

春は畑の土づくりから始まる。ソバカスを撒いては耕す。上の畑は冬の間に2度撒いて耕した。元は竹藪だから、竹の根が残っていてまだ山ほど出てくる。今年充分に耕せば、もう大丈夫とみている。田んぼの準備も始まる。田んぼは緑肥がどんどん成育を始めている。苗代では4月22日に種まきである。4月8日に種籾を川に浸種する。今年は早すぎる発芽が怖いので川に浸ける期間を短くした。購入した種籾だからそう心配はないと考えている。4月15日が苗代づくりである。いよいよである。70歳まであと3回は田んぼをやるつもりでいる。最後の3回の内の1回がいよいよ始まる。大事に心を込めてやらせてもらいたい。田んぼの土づくりは腐食をいかに増やすかだと考えている。もちろん堆肥を作り入れるという事が出来ればいいが、何10トンもの落ち葉堆肥を作るなどという事は、不可能である。持ち込まず持ち出さず。この考えの中でほどほどの腐植の循環を作りたい。今年も目標は畝取りだ。

4月1日にすぐにトマトをハウスに植えてみる。4月初めに苗を地面に下して、脇芽から、新しい苗を作ってみたいと思っている。何故かというと、脇芽苗はどこか不調が多いい。その理由が知りたい。トマトはホーム桃太郎とミニトマト。どちらも病気には強くて、有機で出来る。今年はカリフラワー苗がある。どのタイミングで畑に植えるか迷う。小さいがこれも4月初めに畑に植えてみることにする。カリフラワーもよくできたことがないのであまりやらないのだが、試してみるつもりだ。畑のキャベツの方は少しづつ生育を始めている。球になる前に芋虫にやられるのだろうとは思っている。ネットでも被せてみるか。今年は、人参と大根を上の畑に蒔くつもりだ。竹藪を整地した新しい畑でどうなるかである。ここはイノシシが出て来るから、トタンで囲むつもりでいる。隣の竹藪がひどいからいろいろの動物の住処になっていて、どうしても防ぎきれない。

今できているのが、大根。トウが出てこないのでまだまだ食べれる。コカブはとうが出始めたがとうを食べている。菜花、小松菜は味が良い。大きくなってきているのが、ソラマメ。今年は50株くらいある。ソラマメほどおいしい豆はない。下田は結構ソラマメが作られているのだが、すでに花盛りだったが、家のそら豆はまだまだという感じだ。ソラマメも3粒入るようによくできたことはない。それでも一度は食べたいので、毎年作る。この後草に埋もれてしまうので、今年は草取りだけはしっかりした方がいいかもしれない。袋づくりの山芋は結構おいしかった。今年も作る準備はしている。食べて頭をまた植えたのだが、どうなるだろう。田んぼの土壌の採取も行いたい。春起こしをする前に土壌を取り、分析に出したい。

 

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朝の料理

2017-03-24 04:51:33 | 自給

朝は4時に起きる。年齢とともに早くなり、3時ごろに目が覚めることが多くなった。夜は8時に寝てしまうから、それ以上寝ていられないのは当然かもしれない。起きてブログを書いているのだが、実はその間やっているのが料理である。おとといは丸ごとロールキャベツ。今はぶり大根を煮ている。作ったものを朝と昼に食べる。家にいる日は大抵は同じものを食べている。飽きるという事もないし、外食よりおいしいので家で食べたいと思っている。朝作るのは煮込み料理である。スペアリブの煮込み。おでん。カレー。丸ごとロールキャベツ。ポトフ。牛筋煮込み。白菜と鶏の水炊き。重ね煮。まだまだ煮込みのレパートリーはある。要するに長時間煮込んで作る料理なら何でも挑戦する。何かレシピを見て作るのではなく、思いついたように自分流でやってみる料理だから、同じものが2度作れない。料理は工夫が面白い。美味しければ気分がいい。まずくてもそれはそれで納得して食べきる。

何故、ブログを書きながら料理ができるかである。ご飯は前夜の夜電気釜に仕込んである。朝6時10分に炊けることになっている。だいたいは毎日だが、ごはんが余っていれば、そのまま2日目のご飯を食べる。蒸気で温める電気釜の機能の為か、充分においしく食べることができる。朝起きるとパソコンを立ち上げ、まず、お湯を沸かす。コーヒーを入れるのだ。コーヒーを飲まないと頭が立ち上がらない。コーヒーを入れるお湯を沸かしている間に、何かをやりたくなる。ヨーグルトがなければ、ヨーグルトを仕込む。お湯が沸く時間内に終わっている。おでんを作ろうと思えば、コーヒーにお湯を注ぎながら作る。何でも平行に進める。時間がもったいないので、コーヒー、ヨーグルト、ブログ、おでんが同時並行に、今もブログを書きながら、ぶり大根をかき回しに行ってきた。このぶり大根は我が家の硬い2年大根を食べてみたくなって作っている。

コーヒー豆をミルで引く。この作業はお湯が沸くと同時でなければ嫌だ。引き立ての豆を沸かしたてのお湯で入れたい。水は今汲んできた湧水であれば直よい。それでいてコーヒーの味がよく分からないのだから、そういう儀式のようなものだ。その間におでんのお湯を沸かしている。おでんには昆布と煮干し出だしをとる。お湯を沸かし始めたらすぐ入れて、出来上がるまで取り出すことはない。当たり前だが全て食べてしまう。だしは取らないと自慢げにの賜った料理人がいたが、私の場合はだしのでる材料を煮込み料理の具材にするという感じだろう。そして野菜の皮をむいたり、刻んだりしながら、コーヒーを微妙に入れる。お湯をタラタラじょうろのように入れないと気が済まない。だから美味しくなる経験したことはないのだが、そうしないと気が済まない。おでん鍋のお湯が沸き始めるころには野菜やゆで卵など準備が終わる。コーヒーも終わっている。そこで、お湯で温めて置いた備前焼の玄明のカップにコーヒーを注ぐ。ここで、大根を見に行ってきたが、まだ堅い。大根は1時間以上煮ないと。

煮込むべきおでんの材料を入れ終わったら、電気コンロを弱にして、1時間のタイマーを入れる。途中で攪拌に行き、再度時間を調整する。そのまま冷ます。伊藤シェフによると、冷ます間に味がしみこむそうだからだ。後は良いタイミングで、煮込まない材料を入れて、10分程度のタイマーをかけておく。ご飯の炊きあがりに合わせて、だいたい6時30分には食べ始める。このおでんを、昼は煮込みうどんにするとか、変容させながら食べきる。それはどの料理も同じで、豚の煮込みがカレーに進化する。カレーから始まり、カレーうどんになることもある。いずれ、料理は鍋一杯に作り食べきるまで変容させて食べる。味噌醤油をうまく使い分けながら、味を変える。年齢を考えガスコンロは止めて、電気の調理器に変えてた。安心して煮込み料理ができる。焦がすという事が無くなった。一度だけ猫が踏んで着火させたことがあったので、消す時は必ず、元から消している。今見に行ったら、ぶり大根はあと16分で出来上がりであった。小田原港がブリで盛り上がった時代を想像して食べることにする。

 

 

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3月の自給作業

2017-03-01 04:01:46 | 自給

いよいよ農作業が始まる。楽しみは何を作るか考えている時が一番いい。種の準備。例年のことだが、お決まりのこととして有機農研から貰った、種まきカレンダーを見る。新しいことは何もない、1995年のカレンダーが農作業カレンダーになっている。大道あやさんのいい絵が載っている。3月は苗作りが始まる。ハウスの踏み込み温床の上で苗作りをやる。トマト、ナス、キュウリ、オクラ、ピーマン、キャベツ、春の野菜を考えるとわくわくしてくるものがある。これくらいは一応苗作りに挑戦してみたい。出来なくとも挑戦だけはいつもする。ごぼう、かぼちゃ、大根、ニンジンも作る予定。これは下の畑の空いたところに順次作ろう。一番上の2年目の畑は小豆を作るつもりで、耕してある。猪が来ているので、それをどうするか。毎年ごく普通のものを作るのだが、それだけで楽しいというのはおかしなものだ。できたり、ダメだったりの繰り返し。今年もトマトには力を入れたい。トマトの苗作りから。脇芽栽培。味の濃いトマトを作ってみたい。この欲がいけないようだ。

ジャガイモは舟原の田んぼの下の畑にすでに植え付けた。ジャガイモ同好会という仲間だ。畑は去年小豆を作ったところにした。ジャガイモは出来るだけ場所を変えた方が綺麗なジャガイモができる。全員が作り方が違った。出来たら味見の会をやる約束をした。2月の12日にソバカスを撒いて、すぐトラックターで耕運した。16日に種イモを10キロ購入した。すぐに植える大きさに切って廊下に干した。24日に畑に植えた。植穴に燻炭だけ蒔いた。9キロの男爵と、1キロのきたあかり。そして、昨年残して置いた男爵イモの種イモこちらはそのまま植えるつもり。昨年のイモは病気の気配もない。9キロの男爵が中心。購入の種イモと、保存の種イモがどう違ってくるだろうか。きたあかりは味の方の比較実験である。その辺を判断したい。いずれにしても、秋じゃがは作らないで、春じゃがだけで1年分作る。保存方法が大切。ジャガイモは丁寧に扱う。ぶつけただけでも持ちが悪くなる。陰干してから、段ボールに入れて冷暗所に保存。

いま食べているのは、ブロッコリーは一日おきに食べている。小松菜は毎日のごとくたべる、硬いが味は絶品、ほうれん草というのはこんなにおいしいものかと思う。こかぶの味噌汁も実にうまい。油げと煮るのが好みだ。大根はまだ小さいがおろぬきながら使う。冬野菜は味が籠っている。ケール、キンカン。キンカンは毎日2個食べる。犬の散歩でキンカンの前を通るので、行きに1個。帰りに1個。甘みがあってなかなかおいしい。今年は端境期向けに作った野菜が、順調に取れている。このまま、3月一杯とれそうだ。冬の畑は草取りが要らないから楽なものだ。草の間から、ホウレンソウが育っている。ホウレンソウは昨年までダメだった。それがやっと今年からできるようになった。美味しい。実に美味しい。小麦、大麦は順調な生育であるが、そろそろ草とりである。よく見ると相当に出ている。草はないようであるものだ。

大麦の下は、犬の散歩の際2作づつ草削りをしている。今年は十分に草対策をするつもりだ。ダメなのがやはり、玉ねぎ。玉ねぎはどうにも難しい。何故上手く行かないのだろう。タマネギだけでない、長ネギも良くできないが、こちらは良くできないくらいで、一応は出来る。田んぼは今年もサトジマンを作る。サトジマンは有機農業に向いていると思う。作り方で美味しいお米になる。丈夫で病気にも強い。悪天候にも耐える。収量も畝取りが狙える。南足柄ではサトジマンが献上米になったと言っている。今でも献上米などというものがあるのだろうか。今年はサトジマンの種もみを更新する。4月23日に苗代に直播をする予定。とすると3月末には川に浸種をするつもりだ。例年春分の日に籾洗いをしていたが、川の水の水温が上がって、芽が早く出てきてしまう。それで少し浸種の期間を短くするつもりだ。

 

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醤油の作り方(米袋方式)

2017-02-26 03:46:07 | 自給

朝4時30分に火入れ、緊張と高揚

今年は大麦で醤油を仕込む。写真は油のタンクを改造して作ったかまどに、大釜を載せてあるところ。大豆30キロぐらいは煮れる釜である。大麦にしたのは家の畑で作った大麦が余っていたからである。小麦も醤油のために10キロ残してあったのだが、初めて小麦を作りたいという人が、種がほしいというので、その人に小麦栽培を頑張ってほしかったので差し上げた。元気に育っていると言われていた。大麦は種用がたまたま余って残してあった。初めてのことだが、大麦でやってみることにした。大麦で仕込む醤油もある。アミノ酸が小麦の方が多いいとあるが味はどう変わるだろう。今まで作ってきた小麦の醤油が充分においしい。大麦で仕込んだ醤油は違った味わいになるといいのだが。少し冒険である。何しろ2年かかるから、細かいことは忘れてしまうので、記録しておく。樽に良く材料を書いておかなければならない。前回のやり方は2015年の醤油の作り方。自給の技術はそれぞれである。自分で作り出さなければ役に立たない。本から学びたいなら、10冊は読まなければ間違う。一人のやり方に従うようでは、自分の方法にたどり着くことは出来ない。だからここに書くものも、その他の事例程度に過ぎない。

陽が昇ってきた。鷲の鳥節を唄った。

24日に準備をした、大体1時間で準備完了。大豆を洗い。かまどの設置。大豆の浸し。浸しは20時間となる。道具の配置。朝9時にこれだけしておいた。そして、25日4時半には火入れをした。予定では12時まで煮るつもりだったが、6時間半の11時に完成した。後は残り火で水分を抜きながら1時間。煮上がりで水分がない状態にしたい。それでいて焦げずに、柔らかく柔らかく煮あげる。今回豆の煮方は上手く行った。昼ごはんの1時間で午後1時から仕込み。明るくなった6時30分頃に、大豆は泡立ち盛り上がった。慌てて水を足しながら、豆が釜の中でぐるぐる回るように、調整する。火が強いのもまずいし、火が弱くて沸騰せず豆が釜の中で回らないのも良くない。水を多くすると、出来上がりの時に水が残ってしまうので、仕上がりで水がない。しかも豆は形がありながらもトロトロに柔らかくなるように煮てゆく。一方で大麦を焙煎しているので、なかなか火の調整が難しい。行ったり来たりしながら、煮あがるのを待った。 

そのうえ三線の練習もした。朝の明けてくる空気の中で、八重山民謡を歌うのは、何とも気分が良い。すごい下手なのだが、上手い下手は関係がない。自分が気分が良ければ構わない。余り人前でやるようなことでもない。唄に熱中していて、ついつい大麦を焦がしてしまった。こげたぐらいの方が炒るのが足りないよりいいと思っている。醤油が濃い色になるのは、焦げ色でもある。三線のお陰絵でいい調子に焦げたという事にしておく。朝から麦を炒り、冷めるのを待って砕く。今年はコーヒーミルの一番荒いので麦を砕いた。この方法だと、1キロ5分かからないで出来る。今年は2キロの大麦なので、10分ほどで終わった昼休みに3年物の我が家の醤油の味見をしてもらった。美味しいと言ってくれた。この醤油は、火入れをしていない生きた醤油のままである。醤油が生きていれば3年たっても、常温で悪くなることはない。塩のとげとげした感じが無くなり、まろやかさ、甘みが強く感じられる。

 

少し吹いて泡が吹きこぼれた。今年は最高の出来に煮えたので。その後の作業も実に手際よく進んだ。大豆を冷ましながら、小麦の砕いたものを混ぜた。すでに取り分けたりしている内に、60度ぐらいになり、小麦を混ぜていたらそこそこいい温度になった。コーヒーミルで一番荒いメモリに合わせて砕いたものだ。湿度がいつになくいい状態だった。2時には家に持ち帰った。片づけの間は車の中に置いておいたが、日光で丁度良い温度が保てた。家に帰って仕込んだら、何と丁度36度。そのまま保つように袋に入れたままだ。本当は温度計を置いたところが36度で他はもっと上がっていたり、下がってえていたりする。然しそれほど細かいことは気にしない。特に保温はしていない。麹の塊を布でくるみコメ袋に入れる。それを木の箱のカバーをしておく。保温をしないでも温度は上がるので、上がってきたら、箱を動かして、温度を下げる。これが今現在の状態である。いつ一番手入れを行うかである。

奥にあるのが添い寝をした布団。白い線が温度計。4時現在、36度。気がかりで、ずーと付き切りである。それでもなるたけ静かに、静かに育てる。手の出し過ぎは良くない。

一番手入れ26日4時 袋の中の様子 すでに、白い麹菌が広がって良い匂いがし始めている。

手入れ後袋の中に麹を広げて覆いを取り払いこの姿で置いてある。奥の白い布が、くるんであった綿布。

★26日11時30分に40度に上がり2番手入れ、手入れ後27度に下がる。袋を切り開き、麹を薄く広げ、いくらか花道をつけ広げる。

★27日1時30に40度に上がり、3番手入れ、19度に下がる。木箱のふたを調整しながら、温度管理をする。温度を下げることが難しい。良い湿度で、麹菌を育てながら、温度を上げないこと。床の冷たいところに移動をさせると品温が下がる。

★27日13時 (仕込んで48時間)35度くらいで 4番手入れ。このまま出麹までゆくつもり。2か所で温度を測定している。一番高そうなところ、一番低そうなところである。もっと温度差が出ることもある。場所によって温度が違う事は、手入れの時にわかるので、冷たいところを高くなる中心のあたりに移動しながら、手入れをする。

最終段階の様子。

 拡大したところ。こうして広げたまま、出麹に進める。ところがこの後また温度が上がり、手入れをした。

★28日4時10度になっている。出来はまあまあ良かったのではないか。写真とさして変わりはないが、もう少し発酵が進んだ様子。仕込んでから60時間で完成というところか。今日の内に塩水に仕込むつもり。醤油麹は保存がきかない感じがしている。

★28日8時から塩水を作り醤油を仕込む 塩水は6リットルの水に塩を1,4キロ入れた。それを良くかき混ぜて溶かす。塩分濃度や水の量は好みだと思うが、塩水を調整しながら加え加えて全体量を決める。少し余らせてもいいくらいで準備する。

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2月の自給作業

2017-02-01 04:01:43 | 自給

あしがら農の会のみそ造りーー豆を洗う前日の作業

1月29日に味噌の仕込みを行った。いつものように農の会のみんなで大釜で、大豆を煮た。この眼の前の畑で作った大豆を、その畑のある場所で煮たわけだ。今年は初めて農の会の機械小屋で作った。大釜を移動するのが大変だし、機械小屋を片づければ、ここでもできるのではないかということになった。駐車場もそばの方が貸してくれることになった。麦畑の上の場所である。この場所は海から山までが広がって見えるなかなか気分の良い場所だ。私の養鶏場のあった場所である。小田原で一番美しい場所だからここで養鶏をやることに決めた。NHK朝の連ドラのまれに出てきた場面はちょうどこの大釜のあるところだ。28日の午前中にすべての準備ができた。大釜は5人で何とかここまで運べた。例年準備作業が結構大変だったのだが、今年は大した手間もかからず、上手く行った。小宮さんの旭ブルーベリーガーデンも良かったのだが。箱根の外輪山の西斜面だ。谷に久野川が流れている。水は100メートルの深井戸をくみ上げている。

 

豆が煮あがり袋に分けているところ

豆は10時にはちょうどよく煮えた。朝6時に火を入れてくれたそうなので、4時間で煮えてしまったという事になる。以前よりずいぶん早くなった。参加者が20数名で、以前の半数位だった。人が減ったという事が一番の理由だろう。何故、人が減少したのかはよくわからない。こんなに面白いものに参加しない理由が良くは分からない。今も、昔も、宣伝をしたわけではないので、少しづつ時代が変わってきているという事かもしれない。また、以前は全体で味噌づくりに参加していたが、今は自分達のグループでやるという事もある。農の会も主たる大豆の会の味噌づくり以外、各生産者が行う味噌づくりというのもあるということのようだ。各々の生産者が力をつけたという事もある。人間がみんなで何かをやる楽しさというものを、鬱陶しいもの、負担と感じるようになってきたことが、原因ではないかと考えている。一人でやるほうがいいという人が実に多くなった。

 

うどんを作り食べるところ、焼いているのは、根守さんの安納芋の焼き芋。残念がら食べ損ねた。

一品持ち寄りで、私はうどんを作り持って行った。ここの麦畑の小麦粉で作ったうどんをみんなにも食べてもらいたかった。ヌードルメーカーで作るので、12人前で、1250グラムの小麦粉。通常の半人前だったのだが、1時間30分ぐらいだったか。本当は山梨のおほうとうのように、煮込みうどんで作る方が好きなのだが、今回は家でゆで上げて持って行った。昼からのうどんを朝作るのだから、茹で上げたうどんの方が良いのかと思った。スープは伊藤シェフが準備してくれたので、すごい美味しかった。その他豚肉を甘酒と味噌を混ぜたものに漬込んだものもつくった。麹だけで作る甘酒で、味噌を解いてそこに石垣の島唐辛子をいれる。ビニール袋に蓋の骨付き肉を入れて、4日間冷蔵庫で漬け込んでおいた。本当は焼いて食べるとまたいいのだが、今回は後半のうどんに入れて食べることにした。焼くのが大変そうだったのでうどんに入れさせてもらった。とてもおいしかった。

私はいつものように、出来上がりで20キロになるよう2口申し込んだ。1口の人も多いのだが、10キロ食べきれないという人もいるようだ。5キロコースを作ってもいいのではないかと思った。2月の末には醤油づくりである。

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正月料理、けんちん汁

2017-01-03 04:43:34 | 自給

正月というとけんちん汁を思い出す。おじいさんは建長寺で作られていた精進料理であり、本来捨てる野菜の皮などを使っていたと言っていた。特に正月だから豪華なおせち料理を食べるという事でもなかった。お餅をついて、雑煮がある。あとはけんちん汁ぐらいだった。それでも十分過ぎるほど満足だった。お餅をいれたけんちん汁が大御馳走だったのだ。暮れになると陽だまりでおばあさんとまだ中学生だった保子おばさんが野菜を切る。むしろの上に座り込んで、ひたすら2日間ぐらいは野菜を切るのだから、すごい量だ。それを寒風に三日ほど干しておく。夜は取り込んだのだろうか。あまり記憶にが定かではないが凍らせたのかもしれない。記憶にあるのは、大根、ゴボウ、ニンジン、サトイモ、白菜、長ネギ、すべてを細かく切る。お豆腐屋さんになった、後はこんにゃく、油げ、お豆腐。お寺で育ったおじさんが必ず持ってきてくれるのだ。正月誰も台所には立たず、料理をしないで済ますという事になっていた。

けんちん汁づくりはおばあさんの役割だった。まず干し野菜をいためていた。菜種油は絞った記憶があるから、その油だったかもしれない。醤油味である。段々に足しては、食べ続けた。どの野菜も家で作ったものだ。伊達巻とか、昆布巻きとかいうようなものを食べた記憶はない。黒豆はあった。年ごとに何かが加わるようになった。勤めに出たおじさん達がお土産を持って戻ってきてくれるからだ。送ってくれると言えば、必ず新巻き鮭があった。お弟子さんという北海道のお寺から毎年送られてくれた。その新巻きの頭で、三平汁のようなものを作る。これこそごちそうだった。私は両親と正月をしたことはなかった。両親は子供どころではないほど商売に追われていた。そのおかげで子供時代の大半を山梨の山奥で暮らすことができた。両親は、その貧しいおじいさんから、お金を借りなければならないほど、困窮していた。つらかったことだろう。子供を預け続けていたこともつらかったのかもしれない。

私は親から離れて辛いと思う事もなかったが、夜になって布団の中で泣いていたことは何度かある。朝起きればさっぱり忘れているのだが、なぜか夜泣いてしまう事があった。家に帰りたいと言ったことはない。帰れないという事が分かっていた。今思えば、親元を離れて山寺で自給自足で暮らせたことは、何と豊かなことであったか。鶏の世話と、風呂焚き、庭の草取りが分担だった。子供だから、すべて遊びのようなものだったが、草取りだけは辛かった思い出だ。お寺の周りをぐるりと草取りをするのだが、一まわり終わるともう、最初に取ったところは草が生えだしていた。そうするとおじいさんから、根から採らないからこういうことになると怒られる。そのうち除草剤というものが出来て、除草剤を蒔いた後、庭の鯉が全部浮いていたことがあった。強烈な毒性である。それでも草取りから解放された方を家族全員が喜んでいた。

けんちん汁は竈で炊いている。薪は暮れの内に十分に薪小屋に積み上げたから安心である。この薪割が、12月の最大の行事だ。一年分の燃料を積み上げる。2週間ぐらい、全力でやらなければ終わらない。この作業が楽しくて仕方がなかった。近場の山の年はまだいいのだが、離れた山から降ろさなければならない年は、運ぶ作業が危険なうえに手間取った。子供でもかなりの太さの切り株を担いで山を下った。そして薪割、栗虫。小学生ながら、一日中働いても何ともなかった。いまなら、児童労働で処罰されるのだろうか。中当たり前に子供は当てにされた労働力だった。それを悪いことだっとは思えない。むしろ私にはありがたいことだった。けんちん汁醤油の味付けだった。醤油も味噌も当たり前に自家製であった。プロパンが来て、薪割が無くなり。醤油も味噌も仕込まなくなった。豊かになり、いろいろのことを失った。今年はけんちん汁を正月には食べて見るとする。

 

 

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12月の夏野菜

2016-12-17 04:07:04 | 自給

 

 

小田原久野舟原では有難いことに、12月16日でも夏野菜が実る。雪も降った。霜も毎朝降りている。0度以下まで気温も下がった。それでも、鶏小屋の前の陽だまりのシシトウはまだ実をつけている。葉も緑を残したままで、もう少し頑張れそうだ。下の畑は大麦が2枚目の葉を出そうかというところだ。特に凍りそうな感じではないが、昨年田んぼの川沿いの大麦はこのぐらいで凍結して枯れた。大根の葉は25センチくらいまで両手を広げている。小かぶは10センチぐらいの葉を立ち上げた。小松菜はそろそろ食べれそうな大きさだ。ほうれん草は5センチくらいの葉を出している。今年は弱ってしまう事なく生育を続けている。土壌がやっとほうれん草が育つものに変わったようで嬉しい。石灰を入れないで我慢した甲斐があった。ソラマメは30粒ほど撒いたのだが、全てが発芽している。春までこの調子でゆくことだろう。里芋は食べる時に掘ることができるだけ充分にある。

ケールは10本あるのだが、いつでも葉が取れるまでになっている。寒さにはびくともしない。ブロッコリーの方が生育が負けてきた。ハウスの中の正月菜は雑煮に使う頃にはちょうど良くなりそうだ。毎年雑煮の為だけに作る。そろそろハウスの中に踏み込み温床を作るつもりだ。落ち葉取りをやらなければと思う。ハウスの中には湘南ゴールドが2本ある。今年は実をつけなかった。来年はどうだろうか。実るものならそろそろ花がつきそうなものだ。一昨年は2,3個だけ実をつけたのだから、成らないのは何か状態に問題があるのだろう。ハウスにはドナセラがある。父がお店を新築した時に千葉のおじさんがお祝いにくれたものだ。60年は経っている。観音竹もある。これは大黒屋というおせんべいやさんをやっていた、浅沼さんが八丈島から持ってきてくれたものだ。八丈島で観葉植物の栽培が始まったころのものだ。これも60年は経っている。何度も引っ越したのだが、ここまで持ちこたえてくれて、古い友人のような感じがするまでになった。

枯れかかった、アロエがある。外に置かれていて、根を雨でやられてしまった。腐りかかっていたのだが、もしかしたら生き返るかと思い、ハウスに植えこんでみた。全く変化がない。枯れるでもないし、生き返るようでもない。春まで持ちこたえれば復活するかもしれない。いつもそうなのだが、生き物には未練が残る。私が居なくなれば、こういうもの達は枯れるのだろう。それを受け入れる以外仕方がないと思うのだが、私も土にかえり、私がかかわった植物も土にかえる。そのようにすべてが消え去るという事をまだ受け入れられたわけではない。無理に納得する気もない。半分腐ったアロエを見捨てることができない。夏野菜の片付けがどうしてもできないのは、まだ実らせるシシトウに気持ちが入り込むからだろう。有難く重ね煮にして食べさせていただいた。

自給生活を始めて、30年近くになってやっと毎年の作物の流れを体感できるようになった。田んぼなら、暖かさを感じると籾を川の水に浸けて、など自然に体が思い出す。麦や大豆、様々な野菜も、それぞれに蒔き時が来ると、思い出して蒔きたくなる。自分の身体的な循環の感覚と作物の生育とが、連動してきた。30年の繰り返しの長さを思う。きっと昔のお百姓さんは、いつも季節が身体の中にあったのだろう。ハエを見かけて、きゅうりを蒔く気持ちになったりしたのだろう。最近少しお百姓に近づけたようだ。年月が経つという事も悪いことではない。いよいよ寒さがきつくなる。しかし、タケきり、樹木の伐採。畔の土木工事。冬の作業は続いてゆく。これまたよし。

 

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ガソリンの値上がり

2016-12-14 04:09:30 | 自給

ガソリンは月に3回くらいは給油する。その度に3,500円くらい払う。その他、草刈り機やトラックターの燃料など、月一回ぐらいは買いに行く。出来るだけ使いたくはないのだが、結構使ってしまう感じだ。自給生活の生計の支出の中では小さいものではない。この3,500円が3000円になったり4000円になったりする。最近また値上がりを始めた。石油価格の上下動が世界情勢に繋がっていると感じさせる。ソーラーパネルで発電をしているので、総体としてはエネルギー自給はしているつもりだ。これがせめてものいい訳である。出来るだけエネルギーを消費しない暮らしが良いとは思うが、軽トラやトラックターを使う事は、エネルギーの総需要としては合理的だと考えている。例えば軽トラを使わないで、荷物の移動をするとすれば、10倍以上の時間と労力がかかる。これでは実際的ではない。30年前には水を山の上まで担いで上がる生活をしていた時期があった。山の上り下りが暮らしの負担として大きすぎた。50ccバイクの免許を取り、購入したときどれほど有難いものであるのかを実感した。

ガソリンの時代が終わろうとしている。産油国が増産を続けたので、ガソリンが値下がりしたと言われていた。しかし、それはエネルギーが石油だけに依存しているとした過去の時代の話だ。もう世界は脱石油に向っている。もちろん高いエネルギーである原子力ではない。薪だって同じことだ。ガソリンが高くなり過ぎれば、使えないのだから、薪生活だって選択枝になる。バイオ燃料であろうと、風力であろうと。単純な我慢生活であっても、暮らしのエネルギーは省エネルギー化し、多様化方向になる。ガソリンは一定以上に高くならない時代に入っている。そのうち、石油は枯渇するのではなく、使わない時代になる。石炭と同じ運命をたどることだろう。再生産できないエネルギーは基幹エネルギーから外れてゆくのが当然のことだ。

再生可能エネルギーへの転換を早くやった国が、次の世界のリードする国家になる。資源国が有利という競争はそもそも公正ではない。日本が最も得意とするはずであった、再生可能エネルギーへの転換が遅れている。原子力にこだわる姿勢に、そのみじめさがにじみ出ている。資源のない日本という国は技術立国しかない。再生可能エネルギーこそ、その技術力が問われる分野だ。日本が最も力点を置かなければならない分野であろう。ところが、フクシマ原発事故以降、本来であれば全精力で再生可能エネルギーに転換しなければならなかった。国民の大半がその転換を願うという、またとないチャンスであった。しかし、日本人にはどうもその能力と気力が失われているようだ。原発事故という惨事を受けて、日本は転換する大きな機会を得た。にもかかわらず、政府は原発にしがみ付く以外にはできなかった。

いま日本国民は原発の怖さを忘れ始めている。敗戦を忘れて、又再軍備を希望する人がいるように、人間というものは実に愚かなものだ。サウジアラビアのことを想像してみるといい。石油でたまたま豊かな国になり、この先どうなるかである。人間にとって大切なことが何か。自分の足で立つという事ではないか。たまたま自分の土地に資源が出たからと言ってそれに依存して暮らすことは、一時のことだ。日本という国は食糧自給もできない国であり続けることになりそうである。石油を売って食糧を買う暮らしより。その土地で自給できる食糧に応じて、人口があるという事が健全な姿だ。江戸時代のように、循環型社会を作り出すことが、世界の人類の幸せな未来の形だ。それを提案する能力がある国が日本ではなかろうか。これは幻想なのか。原発輸出を総理大臣がトップセールスして歩くような国は不幸を振りまく国だ。

 

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タマネギの植え付け

2016-12-11 04:33:00 | 自給

今年もまた、タマネギは苗が充分にできなかった。タマネギの苗作りは毎年失敗している。今年も原因がよく分からないまま失敗してしまった。原因が分かれば来年には何とかなるのだろうが、原因が分からないまま失敗だから、始末に悪い。苗箱方式よりもセルトレー方式が良いのだろうか。苗床の方は発芽は悪かったのだが、最終的にはそれなりにはできた。試しに苗床の脇に蒔いておいた、ブロッコリーは良く生育している。12月10日にみんなで苗箱を持ち寄ったのだが、岡本さんの苗だけは実によくできていた。何故だろうと思う。まったく理由がよく分からない。岡本さんは日当りのよい、雨の当たるところに出しておいたそうだ。来年はハウスの中に入れようかと思っていたのだが、どうもこれも違うようだ。近藤さんによると愛情不足だと言われていたが、近藤さんより岡本さんの方が愛情が深いという事になるのだろうか。何か科学的な原因があるはずだ。

今年はジョイファームから苗を分けてもらった。ずいぶん大きな苗だった。但し植え付けが少し遅れてしまったようでもある。玉ねぎ畑は舟原田んぼの下である。大豆を栽培していた後作になる。大豆をとってすぐに鶏糞を蒔いた。5m×40m=200㎡に鶏糞堆肥を500キロとソバカスを10袋ぐらいを入れた。そして、トラックターで良く耕して置いた。3週間経過したところで、玉ねぎの植え付けである。私の経験としては、タマネギの植え付けは11月中と考えていたのだが、みんなが12月でも大丈夫だという事で、遅れた気分はあるのだがこの日になった。玉ねぎは肥料が必要という事と、沢山いれた。しかし、堆肥がタネバイを呼び寄せる。だから、完熟たい肥を十分に土になじませて使う事にした。舟原あたりではそれほどタネバイの被害は聞かない。土の状態、匂いの様子では、堆肥の悪影響は感じられなかったが、果たしてどういう結果になるだろうか。

10日の植え付けは9時から始めた。まず75センチのベット、10メートル×11本作った。そこに5つの穴の並んだ黒マルチのビニールを敷いた。同時に、苗床の苗をとってきた。これは全部で1000本ほどか。一人100本程度分けて植えることにした。余り大きくはないが根は十分に張っていて、良い苗に見えた。別に分けて植えてみた。赤タマネギの苗を15本、みんなに吉宮さんが分けてくれた。一人は330本植えられるという事になる。残りの部分にジョイファームの苗を植え付けた。全員が終わったのが、12時だった。植え方はあまり深くならない様にという事だったが、これがいつも難しい、それほど気にしなくて大丈夫だという言葉で、ともかく植え込んでしっかりと押し込んだ。苗の今ある根は役にたたづ、新たに出る根が株を育てるという事だそうだ。稲の時もそういいながら田植えしている。

全部が植え終わると、なかなか壮観だった。午後には家の方の畑に、200本ほどジョイファームの苗を植えた。こちらはマルチを使わず、そのままやってみる。実はこちらは無肥料に近い。燻炭だけは入れたのだが、果たして大きな球になるものだろうか。今朝はもう霜が降る寒い朝だ。この寒空でタマネギたちは今大丈夫なのだろうか。冬育つ作物というものは、健気なものだ。この寒い中に葉物野菜が緑の色を増してきている。まだネギの苗が残っているので、タマネギの会の奥の場所に、マルチをやらないベットを作り、比較のために植えておくことにしよう。ともかく、寒いのでできるのかどうか。実験である。

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12月の自給畑

2016-12-01 04:23:57 | 自給

12月は麦と玉ねぎが中心である。もう雑草は伸びてこないので、その点はすこし楽になる。小麦の会では11月26日に播種をした。午前中まだ雪が残っていて、午後からの播種となった。畝間を1メートル、25㎝という事にした。家の畑の方は時間に追われて、作業が遅れ気味だ。29日わずかに乾いた畑に2条大麦を蒔いた。75cm間隔の畝間にした。この秋の天候は雨が強く降ることが多く、作業がおくれ遅れになった。大麦を家の畑にまくのは、例年より少し遅れた。それでも大麦はクリスマス頃蒔いたこともある。大豆の収穫が遅れたので、押せ押せになっている。12月にずれ込んだ作業をまず行う。エンドウの播種はこの後しておきたい。落ち葉を集めて踏み込み温床は作りたい。出てきている大根やブロッコリー、葉物には土寄せをしてみようと考えている。土寄せ効果が現代農業に書かれていたので試してみたくなった。木の伐採。田んぼの整備。はざがけタケの確保。そして3日が自給祭。10日には玉ねぎの植え付け予定。

玉ねぎは簡単にできるという人と、玉ねぎは難しいという人の両極に分かれる。タマネギは独特の生育をする興味深い作物だ。現在9月19日に種を蒔き、8週間が経過した。発芽が60%ぐらいである。成育したのはその半分くらいだろう。一人600粒がすでに、150粒になっているのではないだろうか。何とか300個の収穫は目指したいとすれば、苗を購入するしかない。種の劣化が早いという事があるそうだ。ずいぶん繊細なものだ。肥料がいるという人も居れば、要らないという人も居る。玉が大きくなるには温度がいるという意見もあれば、寒いところでもよくできるとい人も居る。土壌のリンが影響しているという意見も聞いた。ともかく虫が来て食べてしまうのが問題だ。堆肥を入れるなら完熟だ。いろいろの意見で勉強になる。聞けば聞くほど面白いものだと思うようになった。一年保存して食べる作物というところも面白い。今年は苗づくりにまた、失敗してジョイファームから分けてもらえることになった。

タマネギは今年は舟原の大豆畑の後に作る予定で進めている。場所がかなり寒いという事で、黒マルチを使う予定である。家の畑には例年通りベットで作ってみる。5m×25メートル=125㎡の畑に3600の苗を植える予定である。11月23日に鶏糞堆肥を軽く入れた米袋に30袋畑にまく。燻炭大袋4体を入れる。夜に雨になった。そして雪になって積もった。土が乾いて、トラックターで耕す。10日に植え付け予定だから、時間が少しあくので土も良い状態になるだろう。果たしてこのやり方で良くタマネギができるかどうかである。家の方のタマネギは大きな球になったことがない。小さくとも持ちが良いなどという人も居るが、私は普通の大きさのタマネギが作りたいと思っている。

現在畑には、北側から、大根2列、こかぶ2列、小松菜1列、ホウレンソウ2列、春菊半列。1か月経過して芽を出している。冬の作物はゆっくりしたものだ。大根が一番先に生育している。それでも10センチほどの葉を震えながら両側に延ばしている。苗を植えたものではケールが虫にやられていたが、なんとか持ち直した。畑全体をそばの芽が覆っている。これはもうすぐ枯れてゆくき、大根やホウレンソウだけが寒い中残る。そばは枯れる前に摘まんで食べることにしている。私の畑ではソバカスを撒くので、芽を出していることになる。ほうれん草も何とか芽を出している。いつもこの後伸びないのだが、本葉が良い色で出始めている。土が良くなれば伸びるのだろうと思い、その確認のつもりで毎年蒔いてみている。ハウスの小松菜もそれなりに芽を伸ばしている。しかし、生育が悪くこの調子では正月に間に合わない。ハウスのビニール張りを何とか終わった。こういう作業がどうしても遅れてしまう。

 

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大豆の収穫が終わる。

2016-11-25 04:07:20 | 自給

家の畑の2畝に植えられていた大豆は乾燥前で13,5キロの収量だった。自給用には足りる量だった。今年は農作業が追い付かず、だらしない状態だったが、自給分が出来れば大満足である。大豆は自給生活の要の作物になる。昨年は乾燥後16キロだったから収量は減少した。原因は手抜きである。播種した後油断をした。ハトに食べられてしまった。それで半分になってしまった。がっかりして手入れが今一つになってしまったこともある。後半は草の中に埋もれていた。それでも残った株自体の出来は昨年より良かったと思う。大豆の会のみんなが手伝いに来てくれて、枯草の中から拾い出して集めてくれた。一人でやれば何時間もかかる仕事を30分足らずで完了できた。大豆の会の活動はとても良い空気が流れている。今年は3か所の畑で大豆を栽培して、学ぶところが多かった。豆腐の分も出来たし、全体では145キロという事になった。まあまあというところか。

大豆を作るのは肥料ではなくやはり土づくりというのが終わっての総括。窒素肥料で作ると蔓ボケする。これは肥料の窒素で根粒菌がつかないという事らしい。実際に畑でそういう違いも見た。昨年の鶏糞を入れたために失敗したことでもわかる。株段階ではいいぞいいぞと思っていたが、収量が半減してしまった。株は出来ても、一株に2,3粒しか成らない様になる。どれほど大株になっても、幹が木のようになっても、成らないものはならない。それでは全く肥料なしで良いかと言えば、そういう事でもない。ここが難しいところだ。充実完成した良い土の畑の方が出来が良いことも見えてきた。大豆は芳醇な土壌が良い。やせた土地では大豆はダメだ。その充実完成した土壌の方向はどこにあるかだ。落ち葉草堆肥のような気がしている。これを作り入れるのは大変なことになるが、これお根気よく続けて来て、家の畑では大豆は以前よりは豆の付きは良くなった。わざわざ落ち葉堆肥を作るのは大変なことなので、畑を作りながら藁堆肥、草堆肥が入るような畑づくりではなかろうかと思っている。

麦と輪作で作り麦の藁をたい肥化して戻す。この形なら、連作障害が起こらないという、石渡説は継続する価値がある。また稲葉方式の断根挿し木、芽の除去も一定の効果はあるようだ。ある程度の効果ぐらいなら、時間がかかりすぎるので、畑を広げて収穫する方が正しい選択とも思える。今は畑が足りない時代ではない。自給で庭の隅で作るならいいのかもしれないが。庭の畑の株と、機械小屋下の株を比べると、一株当たりの実の付く数は庭の畑の方がいくらか多かった。それは、土の完成度の違いだろう。とすれば、機械小屋の下の畑もあと数年作れば、もっと実がつくようになるのかもしれない。大豆づくりも良い土を作ることが方向のようだ。大豆の場合、田んぼに作り水を入れる方式が、今までのところ一番確実であった。もう一度この方式は試みてみたいものだ。良いタイミングで水を入れることが、実の付けるためには影響が強い。

もう一つの観察は案外日照は影響少ない感じがした。今年の大豆の生育期間、後半は過去最低の日照時間だった。9月、10月の様子からして、これでも大丈夫なら日陰の畑でやってみる価値はあるかと思える。連作障害についてはあるのかもしれないが、克服できるような気がしてきたことも今年の結果にある。ハトやウサギにどう対処するか。これが現状では一番の課題になってきた。近くまでシカが出てきているから、これを防ぐには新しい対策がいるのだろうか。山の畑は諦めて、下の方の畑に移るしかないのか。来年は山の畑で作るにしても、下の方に予備の畑は作る必要がある。みんなで味噌づくりまで進めるとすれば、大豆が獣害で出来なかったでは済まない。ネットに大豆の有機栽培技術の研究が出ている。これを読むと大豆栽培がだいぶわかる。なるほどという事と、違うなという事はある。

 

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大豆の収穫

2016-11-14 03:59:03 | 自給

大豆の会の収穫を11月13日に行った。100キロの収穫だった。まだ乾燥しきっていないので、1,2割は減るかもしれないと思っている。それでも昨年よりは増しだった。今年の一番の問題は発芽直後のウサギと思われる動物に食害されたことだ。発芽してきた苗株の頭の部分を食べられてしまった。何だろう何だろうと思っていた、1週間ほどの間に4分の一ほどが食べられてしまった。慌てて電柵を下げて、侵入は防いで、追い蒔きをした。1か月遅れで追い蒔きしたようなことになり、結局その部分は充分な生育はせず、収穫はできなかった。残った、7割の苗で栽培したことになる。という事は土壌の連作障害を考えるうえでは、3割増しで考えなくてはならない。つまりきちっと成育した大豆が元気で生育したのかという事では、普通だったのではないかという事になる。畑の様子が悪かったので、やはり連作障害だったのかと、早合点していたが、もう少し冷静に考えてみると、去年が鶏糞肥料による蔓ボケだっただけかもしれない。

土壌が連作障害で問題が出てきているのかどうかは、微妙な結果になった。つまり、7畝の70%に植え付けて(ウサギの食害の結果)、5畝で90キロくらいの収量であれば、反収180キロとなる。これはほぼ全国平均程度で、悪い訳ではない。神奈川県は一般農家の収量は166キロとなっている。連作障害と判断することは早計にも見える。大豆畑の後はすぐ堆肥化した鶏糞を300キロと、ソバカスを10袋まいて、トラックターで耕した。小麦を26日に蒔く予定でいる。その時耕しながら土壌の様子を見たが、見ただけではわからないが、年々よくなって来ている気はしている。小麦を栽培しながら様子を見たいと思う。畑の隅に土壌の様子を見るために何か他の種も蒔いておくのも良いかもしれない。もう一年続けて大豆を栽培してみるべきか。畑を変えてみるかは、もう一つ判断材料がある。

舟原田んぼ下の3畝と私の家の2畝の方の収量である。私の家はきちっと管理されておらず、株自体がずいぶん減ってしまった。毎年こんなだらしない状態だが、昨年は16キロだったので、今年はどのくらいあるかが問題になる。また、舟原の田んぼ下の大豆は管理をきちっとされているので、良くできているように見える。23日の収穫の予定にしている。果たしてどういう結果になるだろうか。私の家の大豆はだらしない結果の叢生栽培である。草にやられて、半分は無くなってしまった。恥ずかしいことだが、生き残った株が何とか育った。今は草に紛れてはいるが、一応実をつけている。その実の状態は、案外に悪くない。むしろ良いと言えそうになっている。昨年程度はあるかもしれない。全く手をかけないダメ栽培の叢生栽培なのだが、それで一応自給分はあるのだから、良しとするしかない。

ダメな叢生栽培であるが、なぜか生き残った株は元気で見事に実っている。一株当たりの収量では100グラム越えでよいできだ。この畑は連作であるが、特に障害という兆候は感じられない。とするとやはり、上の大豆の会の畑はまだ土壌が出来てないだけなのか。もう一年頑張るか、畑を休ませるか。迷うところである。大豆の会の畑の良いところは、美しい場所だというところだ。NHKの朝の連ドラ「まれ」でも撮影に使われたような美しい畑だ。又作りたい思いはある。もしかして、連作障害を乗り越えて収量が回復する可能性も残されている。自農センターの石渡さんによると、小麦大豆の継続栽培では、連作障害は克服できるという主張である。また、その実践の見事な畑も、松本にあった。石渡さんは自農センターを止められたと聞いたが、あの畑は今もあるのだろうか。未練のある山の畑をもう一年継続してやるべきか、新しい畑にするべきか、大豆の会の皆さんに相談したい。

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