中野さなえ活動日誌

花には太陽を こどもらには平和を

募金活動をしました。

2019年10月18日 21時12分10秒 | 活動日誌


いったん事務所に行ったらお孫ちゃんのお迎えまで帰れなくなってしまう・・・・と思って、買い物など済ませて10時頃事務所へ。


そうしたらすでに事務所はてんやわんや。


緊急の炊き出しの要請があったのだ。


私の携帯にも野々村市議、原田さんから何度も電話が入っていたのだが気が付かなかった。


さて、炊き出しも無事すんで、11時過ぎにはスーパーツルヤ前で、被災者救援募金活動を行いました。

短時間で13342円の募金が寄せられました。


皆さん、ほんとに暖かい。


タクシーで買い物に来た方も、タクシーの運転手さんも「ごくろうさん」と募金してくれた。


大きな買い物袋を見って通り過ぎた方が、車に荷物を置いて戻ってきてくれた。


小さな子どもさんが、おばあちゃんにお金をもらって箱に入れてくれた。


「私も被災者。床下でした」と語りかけてくる人。


これから、毎日、条件のある時は午前中は現地の支援、もしくは炊き出しなど急な要請に応え、午後は時間の許す限り短時間でも街頭に立って募金活動をしていこうと話し合いました。


日々、毎日改善すべきことが見つかり、日々毎日要求が寄せられます。


例えばお風呂。

被災者の皆さんが公共のお風呂の無料券が配布されることになった。よかった!しかし、指定された避難場所にいる人だけという市の融通のきかない対応。

これは早速市議団が交渉して解決。ホッ。


そしたら今度は、お風呂は3時までというではないか。昼間、泥だらけになって家の掃除をしてくる人はどうするのか。

またまた、市議団に連絡。


被災者の立場に立てば「こんなこと、なんで気が付かないんだ」と思ってしまう。

最初から「被災された方はどなたでも。お風呂は夜まで解放します」と対応してくれれば、その交渉に使うエネルギーを他に向けられるのに。


それでも車のない人は市が送迎してくれるというので、ありがたいことです。


というように、一つ一つが大変ですが、市会議員、県会議員、国会議員と支部が、解決のため連携して頑張っています。

当面の避難生活の改善のほか、すぐには解決しない今後のくらしの再建問題も山積みです。

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被災者に寄り添って

2019年10月17日 21時17分54秒 | 活動日誌

被災者の要求が少しずつ、次々と実現していき、市議団の頑張りが心強いです。


それにしても、被災地のごみを弁別して捨てろとか、無料入浴は避難場所にいる人に限るとか、そのような融通の利かない市対応には驚いた。


それも市議団の申しれで改善された。


毛布も何枚使ってもいいようになった。ダンボールベッドも支給される。医療班も常駐させた。


今日は車販売をしていた方で、商品の車がすべて水没し、まだ名義がない車だから災害保障の対象にもにもならないし、保険は水害は適応しない。事務所もだめになり、再建をどうするか・・・との話がありました。


「融資してくれると言っても、返すお金。たくさん借りれば返済は出来ない」と深刻な話もお聞きしました。


住居と共に、生業の再建に国の力が相当にいる。

何をさておいても、国は被災者支援、復旧、復興のために奔走するときです。


井上参議院議員、武田参議院議員、藤野衆議院議員、そして県会議員団と市議団が、連日のように現場に入ってくれて、行政を動かし、国会では井上さんが早速質問に取り上げました。


私も、野々村市議団長と一緒に地滑りで被災者となり、また、間接的にではあるが、故郷石巻の震災にも遭遇した。

被災者の立場になった時に、困った時に本当に頼りになるのは共産党だと、つくづく思いました。


東北大震災で宮城に支援に入った時「共産党ののぼりを見ると、ああ、助けてもらえる、とほっとする」との被災者の涙の言葉に出会た時も、その言葉が心に浸みました。


私のできることは小さいけれど、明日は募金に立とうと思います。

被災者の皆さんの声を聞くため避難場所にもまた出向き、声を議員に届け、少しでもお役に立ちたい。

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刻々変わる状況

2019年10月15日 12時55分59秒 | 活動日誌

朝に電話あり。
 炊き出しの要請でした。

避難所としてされていないところに30~40人集まっていて困っているとのこと。


支部と連絡を取りお孫ちゃんを連れて事務所に行って準備しました。


武田庵議員議員が長野入りで、上野事務所に。


事務所のすぐ近くの昭和の森にあるフィットネスセンターも今は、長沼の方々の避難所になっています。


武田参議院議員、市議団といっしょに訪問して、被災者のご要望をお聞きした。


昼間は皆出かけていて、避難所もすいています。仕事の他、水が引いたので、自宅の泥掃除に行っている方も沢山出てきていると思います。


状況は日々変わる。


法律相談も出てきています。市議団として市には相談窓口設置の申し入れをしたが、すぐに準備されるとか限らないし、我々サイドからも無料相談の窓口を作れないか、相談中です。


炊き出しは、衛生面も考えて栄養士なり調理師なりの元に社協がボランティアを募集して行うことになった。

一般の炊き出は受け取らないことになった。

体制ができる前に提供することができてよかったと思います。


しかし、避難所だけではなく、被災者の皆さんはいろいろなところにちらばっていて、まだつかめいていない方も沢山います。



聞くところによれば、車で逃げた方でコンビニの駐車場を避難所にしている方もいるとか。

電気はついている、食べものも買える。トイレもある。

これから罹災届や補償の問題が出てくるときに、周知徹底するためには、かなり工夫しなければならないようだ。

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避難所へボランティア

2019年10月14日 21時51分36秒 | 活動日誌

医療生協若槻北部支部で、避難所2か所でボランティア。


午前中の医療生協常任理事会と並行して、地元でも支部の対策会議をしました。


避難所回りをしていた野々村市議団長から、即医療班が必用との判断で、今朝「緊急だ」と電話があった。


まだ、どこの医療班も対応できていないのだろう。


体調を崩した人が出てきているんだと、理事会と連絡を取りながら方針を待たずに、とりあえず2か所に行ってみようということになりました。


三才のスポーツセンターと豊野西小です。


スポーツセンターでは約300人の被災者。

私たちの到着後、日赤の医療班が入りました。

また、地元の開業医の先生方が対応してくださっていました。



豊野西小には、Dマットが入りました。


私達は、医療を日赤医療班やDマットにお任せして、要望をお聞きして回りました。


「元気だ」という方でも、血圧を測れば200以上もある。

「テレビで情報を知りたいが、理科室まで行かないと見れない」

「常備薬を忘れてしまった」という方はたくさんいました。

「もう水のついた家は捨てて、子どものところへ」

「こんな年になって何でこんな目に。絶望的だ」

「股関節を痛めているので、横になって眠れない。今夜は椅子に座ったまま寝る」

「話を聞いてもらっただけでうれしい」・・・・などなど。


お風呂にも入れていません。

近くの温泉「リンゴに湯」が水に浸からなければ何とかなったのに!!


トイレも遠い。夜は寒いし、人を踏まないようにしてトイレにたどり着くには誰にとっても負担だし、お年寄りはいっそうだ。


避難所生活は始まったばかりです。これからストレスもたまってきます。プライバシーがないことが最も大きいと思います。


仮設住宅をどうするのか。


先を見た深刻な事態は、生業を失った方が多いことです。

リンゴがダメになっただけでなく、農機具が全滅。

ご商売をされている方も多く、例えば車屋さんは商品の車を何十台もだめにしてしまった。


東北大震災で生業を失った方が再起するためにどれほどの大変な思いをしたか、また再起できずに諦めた方もいました。


共産党の国会議員もどんどん入ってくれる予定です。


ぜひ、自宅の損壊への保障額も増額してほしいし、生業を援助する制度も強化するためにがんばって欲しい。

写真は、我々に先立ち豚汁を届けた作業班と避難場所のようす。


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大変な被害です

2019年10月13日 22時37分03秒 | 活動日誌

こんなに大変な災害になろうとは!

明日、葬儀にも出れなかった姉のお参りに行く予定でいましたが、それどころではない。「姉ちゃん、ごめん。生きているものの方が今は大事」とすべてキャンセルしました。


ヘリがバリバリと音をたて飛び交い、QQ車が数台並んでピーポーピーポーといく。

その音が事の重大性を伝えています。


共産党の地元支部と後援会で20人ほど集まって、情報交換をしました。

今朝はおむすびの差し入れの要求があったそうで、私は行く前にすでに支部の皆さんが対処していました。

しかし、輪郭はつかめたが、まだ水が引かないし全貌がつかめない。

 

共産党の議員団の現地調査の知らせも聞きながら、被災者の要求をつかんで対処しようとなった。カンパだけは集めた。お金は必要だ。


私は夕方、老健ふるさとに出向いた。


夕方は浅川も千曲は川も、水が引き始めていましたが、老健ふるさとの回りは反対に上がってきていました。

そこで私は、自分の勘違いに気づきました。ふるさとの下水処理場が壊れたと思い込んでいたことです。そうではなかった。

つまり、市の下水処理場だったのです。


我々の下水も全部そこに行きつくので、我々が水を使うとその辺一帯の水が上がってきていたのです。

しかも、トイレの汚水で、近隣の方が悲鳴を上げていました。


夫が「市議団に連絡してくれ」と。


さすが市議団は敏速な行動力です。ほどなく「バキュームする。生きているラインにつないで解決する」と市の職員からの連絡が私の携帯にも入りました。


老健ふるさとのすぐそばの県リハビリテーションセンターは一階に水が入りました。

リハセンターの患者さん20数名、老健ふるさとの患者さん10数名が中央病院へ移りました。

受入れのため、娘も病院へ向かいました。

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被害甚大

2019年10月13日 06時25分46秒 | 活動日誌

おはようございます。

まさかの心配が的中し、千曲川があちこちで氾濫です。


長野でも穂保(長沼地区)で決壊しました。

あの辺の赤沼地域は内水対策地としても候補に挙がっていたところで、長沼一帯が低いところです。

昔は船が用意されていて、氾濫の時には船で逃げたとの話も聞きました。水が直に来ないような仕組みもあたっと。


しかし越水ではなく決壊してしまった。


友達も夜中に避難したそうですが、おそらく2階まで水が入っているだろうとのこと。


あっちもこっちも友人宅も含めて、被害が心配です。リンゴもこれからのフジもやられたと思います。


ともかく、とりあえずは命があったということで、これからです。


夫は起きるなり、老健ふるさとへ向かいました。

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災害が心配

2019年10月12日 20時41分18秒 | 活動日誌

嵐の音を聞き、ニュースを見っぱなしです。

また、大きな被害がでている。


ダム湖の水の放流の時期をどうするかのニュースもやっっていた。


ダムは、こんな時はむしろ災害を引き起こす原因にになってしまう、と、改めて長野の浅川ダム建設を呪った。



台風のため家族全員が夕方には帰宅し、一人住まいの娘も「一人でいないほうがいい」と呼びよせて、久々に8人揃って暖かい夕食を食べました。みんな揃うと心強い。


お孫ちゃんに「久しぶりに今晩、とまらない?」とさそってみたら「なんのじじょうもないのに、とまれない」と来た。


「事情」だってさ。


「千曲川が氾濫した」と音の声。どこだ。

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台風だ。被害が心配。

2019年10月11日 20時26分54秒 | 活動日誌


台風がやってくる。長野では、ほんの少し雨が降ってきたかな、というところです。


前回の被害から立ち直っていない千葉の様子をニュースで見るにつけ、心が痛みます。



長野は台風の被害は、他と比べて比較的少ないところです。


そうは言っても、農家の被害は死活問題になります。収穫を目前にしての被害は本当に切ない。


長野のリンゴ農家では、落ちるよりましと、しっかりと成熟していなくてもリンゴの収穫、人の命をはじめ家屋への被害、土砂崩れなど、心配です



K保育園の発達相談日でしたが、ちょうど保育園では脱穀の日でした。

 

子どもたちが育てたお米、年中さんと年長さんの仕事です。「今日の脱穀でよかった。危機一髪でした」と園長先生。

 

 

お孫ちゃんの小学校では、明日の運動会は延期、13日に予定変更です。もし13日もやれなかったら、17日の木曜日とのこと。

 

私は13日にお孫ちゃんを連れて石巻へ帰省する予定でしたが、13日の新幹線が走るかどうかわからないし、運動会が13日になったら、アウトです。


14日に一泊で帰省するにしてもお孫ちゃんづれです。水族館にも行けず、行って帰ってではお孫ちゃんがつまらなかろうと思うけど、15日は学校はもとより休みで家族はみな仕事、おいてゆくわけにはいきません。


そして、もし運動会が17日に延期になったら、だれ一人応援にいけない。


私も予定が詰まっていますが、「ここは何とか行ってほしい」と頼まれて、仕方がない。やりくりせざるをえないかな。


台風の被害を心配しながら、日程のことで家族も右往左往しています。

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高校は全入にしたい

2019年10月10日 22時06分05秒 | 活動日誌


今朝の新聞で、大学入試の英語のテストへの民間参入反対に立ちあがった大学生の報道です。

頼もしいことです。朝から元気が出ますね。


それにしても、受験地獄から子どもたちを解放してあげたいですね。

高校はもう誰もが進学する時代になっています。入試をなくして全入にしたい。


「15の春は泣かせない」は、革新自治体が発展した時の合言葉でした。黒田知事の言葉だったかな。


15才は多感な青春の時期、迷い悩みながら自分を探して、自分で自分を教育してゆく大切な時。


それをさせずに受験一本やりのくらしを強いられては、心が磨けないどころかくじけてしまう。15才の受験は子どもの成長を妨げます。


長野県は、一時は高校入試を小学区制にしようとしていました。過渡的な措置として、12通学区ができたのです。


しかし、その後、向かう方向が転換され、12通学区が4通学区になり、さらに厳しさを増してきています。


「12通を守れ」と大きな運動が起きました。


私は「通学区を考える会」の事務局長だったのですが、当時の信濃毎日新聞が一ページ全部を使って、私と当時の経営者協会の桜田会長との対談を載せるくらい、大きな問題となりました。


全県各地でみんなで頑張った歴史があります。


これが本当の「教育県長野」の姿です。


さて、今日はK保育園の発達相談日です。保育園にも受験競争の波が押し寄せてきているのですよ。実践が変化してきています。困ったことです。

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私の新しい生活リズム

2019年10月08日 21時06分02秒 | 活動日誌

 

10月から、義息子の勤務先が変わったことで、出勤時間が30~40分早くなり7時過ぎには出かけるようになりました。

 

そのリズムに合わせて、家族全員、朝の出発が早くなりました。


今までは私は全員出た後ちょっと家の雑用をして、大体9時ごろ家を出て、その日の仕事についていました。


ジム通いは、もろもろの仕事の合間を見て、都合のいい時間に行っていました。


でも、今回、私もリズムを変えました。


朝の30分は貴重です。8時ごろには家を出て、ジムに行けるようになった。それを願っていた!!


そうすると、9時過ぎまでには終わるようにトレーニングができる。そしてその日の仕事場所へと移動します。仕事に支障なくジムに通えるようになり、一日が有効に使えるようになりました。


ジムが地元にあって、近いからできるのですね。


私は夕方、お孫ちゃんを児童館から迎えればもう時間はとれませんので、朝しかありません。


もっとも、保育園の仕事は9時にはじまるし、移動時間がかるところもあるし、市外へ出る時もありますので、毎日とはいきませんが週3日くらいはと、めざしています


体をしっかり使っている暮らしならいいのですが、私のくらしではちゃんと鍛えないと老後が(今も老後?)が不安。週3日めざして、トレーニングに励むことにしましょう。


選挙もあったので、ジム通いを3か月休んだのですが、体の柔軟性や筋力が確実に落ちたことを実感したんですよ(●´ω`●)。おそろしや。


何より、汗をかくととっても気持ちがいいのです。

努力しないと、汗をかく生活から遠のくくらしになってしまっていますね。

 

 

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