医療生協若槻北部支部で、避難所2か所でボランティア。
午前中の医療生協常任理事会と並行して、地元でも支部の対策会議をしました。
避難所回りをしていた野々村市議団長から、即医療班が必用との判断で、今朝「緊急だ」と電話があった。
まだ、どこの医療班も対応できていないのだろう。
体調を崩した人が出てきているんだと、理事会と連絡を取りながら方針を待たずに、とりあえず2か所に行ってみようということになりました。
三才のスポーツセンターと豊野西小です。
スポーツセンターでは約300人の被災者。
私たちの到着後、日赤の医療班が入りました。
また、地元の開業医の先生方が対応してくださっていました。
豊野西小には、Dマットが入りました。
私達は、医療を日赤医療班やDマットにお任せして、要望をお聞きして回りました。
「元気だ」という方でも、血圧を測れば200以上もある。
「テレビで情報を知りたいが、理科室まで行かないと見れない」
「常備薬を忘れてしまった」という方はたくさんいました。
「もう水のついた家は捨てて、子どものところへ」
「こんな年になって何でこんな目に。絶望的だ」
「股関節を痛めているので、横になって眠れない。今夜は椅子に座ったまま寝る」
「話を聞いてもらっただけでうれしい」・・・・などなど。
お風呂にも入れていません。
近くの温泉「リンゴに湯」が水に浸からなければ何とかなったのに!!
トイレも遠い。夜は寒いし、人を踏まないようにしてトイレにたどり着くには誰にとっても負担だし、お年寄りはいっそうだ。
避難所生活は始まったばかりです。これからストレスもたまってきます。プライバシーがないことが最も大きいと思います。
仮設住宅をどうするのか。
先を見た深刻な事態は、生業を失った方が多いことです。
リンゴがダメになっただけでなく、農機具が全滅。
ご商売をされている方も多く、例えば車屋さんは商品の車を何十台もだめにしてしまった。
東北大震災で生業を失った方が再起するためにどれほどの大変な思いをしたか、また再起できずに諦めた方もいました。
共産党の国会議員もどんどん入ってくれる予定です。
ぜひ、自宅の損壊への保障額も増額してほしいし、生業を援助する制度も強化するためにがんばって欲しい。
写真は、我々に先立ち豚汁を届けた作業班と避難場所のようす。