不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

中野さなえ活動日誌

花には太陽を こどもらには平和を

訪問活動。石巻の様子の写真。

2011年03月20日 17時29分48秒 | 活動日誌

 

 連休も中日。今日も昨日に引き続き、Y地域の訪問活動をしました。みなさん、被災された方の心配でいっぱいでした。浅川ダムの危険性も、大きな話題となりました。地震、津波、加えて原子力発電がとどめを刺した経験したことのない大災害に、「国民揚げて応援するとき、選挙どころではない」との声も、たくさん聞かれました。共産党が国会で申し入れをしたが、公明党はじめ他の政党が反対した話しをしたら、ご存じない方もいました。

 「今度は共産党だなという人がけっこういますよ。でも名前変えてよ」という方に、「それは嬉しい。名前はまずは置いておき、中身で投票してください」とお願いしました。

 母が入院しました。もう一度、私たちの顔がわかってにっこりわらってくれれば、言うことはありません。経口で食事が取れなくなっていますが、家族で「もし、胃ろうを作るかどうかとなったらどうする?」との話しになりました。「作ろうと思ってもつくれないじゃん。おばあちゃん、食道ガンで胃を全摘したよ」「あ、そうだった!」

 長野に来るにあたっては、沢山のみなさんのご協力がありました。心から感謝すると同時に、避難させて安心しましたが、残らざるを得ない方のご苦労を思うと、申し訳ない気持ちもいっぱいなのです。被災地の病院や施設でがんばっているみなさんや、そこで辛抱しているお年寄りのみなさんの健康と、一日も早い復興を願って、私はこちらで救援活動でがんばります。

 夫が石巻で撮ってきた写真を紹介します。今度帰ったときは、きっと故郷は、まるで違った景色になていることでしょう。「故郷の廃家」の歌も過去のものになり、ノスタルジアが消えてしまいそう。切ない気持ちです。

ヨー素剤を飲んでいるところだそうです。福島の近くで。

シュラフでの睡眠。といっても2時間。

弟は一般車両で移動でしたから15時間以上かかったそうです。

 

北上川にかかっているうつみ橋です。船も建物も橋に乗りあげました。

町の中に船がゴロゴロとあったそうです。道だけは掃除して空けたのですね。

楽器屋さん

車がずっと向こうまで何台も倒れているのがわかるでしょうか。

ここは湊かな。

廃墟となった商店街。我が家の一本上の通りです。

我が家の通りにあるお地蔵さん。花だけが生き生きと。

 我が家の一本上の通りはメチャクチャだったのに、冠水はしましたが奇跡的に崩壊はそこでストップいました。右の花づつには、この写真ではわかりにくいのですが、「村松喜一郎」と寄贈した人の名が彫ってあります。私の父です。地域には地蔵講があって、父も母も一生懸命でした。地域のコミニュティにもなっていました。

お地蔵さんのお祭りの時は、格子戸を外して、地蔵講のみなさんが座り、お参りの人にモチをくばりました。子どもたちは必ずモチをもらいにいったものです。となりには舞台を作ってのど自慢大会、商店街からいろいろな景品が出て、大変なにぎわいでした。地域の子どもを見守る拠点でもあったような気がします。

 この惨事のなか、一歩手前でこの通りの家の崩壊を救えたと知ったら、母はきっとこう言うでしょう。「お地蔵さんが守ってくれた」と。ちょっとした差が、生き死にを左右した話しを聞く度に、胸が締め付けられます

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Y地域の訪問活動。母、石巻から長野への途中・・・。

2011年03月19日 19時26分08秒 | 活動日誌

 

ふきのとう

  Y支部と医療生協後援会が共同で「綿密に」計画した、Y地区の訪問活動でした。8人集まったので2人づつ4組できました。私はKさんと組みました。

 「被災された方を見ると涙が止まらない」「私は東京大空襲で生き残った経験があるから、良く分かる」「原発だってどうなるの」「浅川ダムはどうなのかな・・・・そうですか。下に活断層があるんですか。それじゃダメだ」・・・・などなど沢山のご意見でした。

 共通していたのは「選挙やる時じゃない。国民一丸となって救済活動だ」と、共産党の救済活動のチラシをよく見てくれました。「石坂さんはいち早く、栄村に行って村民を激励したんですよ」「栄村はどうですか?」などの質問も出ました。

福寿草

 今日は、石巻に行った夫と娘から、時々メールや電話が入りました。

 多賀城の坂病院に着いたのが朝7時頃でした。坂病院は、真ん中の娘が生まれた病院です。東北大学時代の夫の仲間が大勢います。

 「病院は野戦病院みたい」「町はすごい有様だった」

 実家はみんな無事でした!

 姪も看護婦で、I病院に勤めていますが、病院から帰って来れないそうです。2千人も3千人もの患者でごった返しているとのこと。もう疲れ果てていることでしょう。

 弟夫婦は、実家用に積んでいった食料と灯油をとても喜んでくれました。食料が手に入らないので、ひとつのパンを2人で分けて食べていたといいます。「灯油も友人と分け合っていたが、もう、自分の分もないから分けれなかった。寒いから助かった、本当に助かった。今日はたらふく食べた」と喜びの声をきいて、みなさんひもじい思いをしているのかと、涙が出ました。

 物資の集まっているセンターに行けば少しは手に入るのでしょうが、車がないから歩きで行かなければなりません。弱い人にはとても無理です。何とかならないものでしょうか。それに8時間も9時間も並んでも、ろくに手に入らないと言います。

 トイレも、水洗が使えませんから、新聞紙を敷いてやるんだそうです。弟は自宅の2階で寝れるのでそこに寝泊まりしていますが、「バッドを持って寝ている。留守宅に泥棒が入るんだ」そうです。

 病院から施設に戻っていた母は、具合が良くなったから退院したではなく「野戦病院」で優先順序があったのですね。施設はやはり電機も通ってないから暖房なしだそうです。お年寄りがかわいそう。

 3時に石巻を出発し、帰路につくとの連絡。母は点滴をしながら長野に向かっていますが、体が大変弱っています。でも、みんな母のように移動できればいいのですが、どうすることも出来ないお年寄りは施設で亡くなっています。私はそれも切ないです。

 車はそろそろ、東北道から磐越道に入るころかと思います。

 今日の写真は庭に見つけた春です。せめて写真だけでも明るく行きましょう。長野市の鷲沢市長が、性懲りもなくまた、権堂地域の一角を都市開発する案を出してきました。乱開発ではなくて、耐震など強くした計画的な町作り、普段から医療や介護、子育てを大切にしている政治が、災害時に強い町をつくります。選挙はそこを訴えたい。命を最優先すると言うことです。人を大事にする心です。

 

夫が植えたエンドウ豆

ホトトギス

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

石巻と携帯が通じた! 栄村、部落仲間は離れずに住みたい。御弁当に昆布。

2011年03月18日 21時47分52秒 | 活動日誌

                                                   

悲しくも食べればおいしい桜餅  さなえ

人間って強いですね。

 

 朝7時に家を出て栄村へ向かいました。現地の共産党の災害対策本部の会議で、住民のみなさんの切実になっている要求をまとめて、「何とかしよう」との相談会でした。 

 相談会の前に、被災者のみなさんをまわって健康状態などをお聞きしました。

 「東北の人と較べれば、避難所もあったかいし食べ物もいっぱいあるし、言うことないすけ」「家にいれば一人っきりだども、ここではおしゃべりできる、楽しいよね」などと言われます。「でも、ちゃんとした部屋でゆっくり寝たいでしょう?」とお聞きしたら「そうしてもらえたら、どんなに有りがたいか」「二日三日はいいだども、長くてはつかれるなあ」「煮物もたべたいなあ」と。下着が足りなくなっているようでした。支援物資では、下着をお願いしたい。

 本当に辛抱強い、人柄の優しい栄村のお年寄りです。住宅は、心のケアにとっても、今、一番の切実な要求になっています。栄村はまだ雪の中にいます。今日も吹雪の中、車を走らせました。だから、仮設住宅建設は1ヶ月や2ヶ月はゆうにかかってしまうと思うのです。それまで、避難所生活では、あまりに酷です。

 現地対策本部でもそれが緊急の課題として話し合われました。さらに、「県は空いている県営住宅を数あわせで機械的に斡旋してくるが、それでは困る。バラバラでは心細くて暮らせないんだ。まとまって交流があるからこそがんばれるし、また栄村へ戻ってこようという気持ちにもなるんだ。みんな、本当はここに住みたいんだ。山古志村はそれでがんばれたんだ」との話しが飛び交いました。

 横倉でも、住民の話し合いで「飯山の雇用促進住宅ならまとまってはいれる戸数がある。みんなで希望を出したらどうか」との意見も出たそうです。

 対策本部は、住民との話し合いを持ちみなさんの意見を聞いて、近所となりが一緒に住めるような緊急の住宅対策を要求しようとなりました。仮設住宅も、が一緒に住めるように建てようとの意見も出ました。「こんな時がんばるのが共産党」「そうだね」「職員だって目一杯。自分も被災者なんだ。そのうえ住民のために働いてくれるんだから、大変なんだ。共産党もがんばらないと」・・・これからどんどん変化する要求に応えて、実現のために働こうと気持ちはひとつです。

 

     

松本市議団と両角県議予定候補の一団と偶然出会いました。   

 午後は井上参議院議員が栄村入りでした。会ってお話もしたかったけど、私は会議のあと急いで長野市へ戻りました。それは石巻の母を長野に連れてくると決断したので、その準備があったからです。

 石巻に入った弟と連絡が取れました!続いて、石巻の友人からの電話も入ってきました!!あああ、良かった。やっと携帯が通じました。霧が晴れて、向こうが見えてきました。話しの中身はあまりにも深刻ですが。

 母がだいぶ弱っている様子です。一時は脱水と尿路感染症で意識不明だったそうです。家族会議の結果、「被災地においておけない。年寄りには過酷だ。迎えに行こう」となりました。

 しかし、個人で行くには困難が多すぎます。おりしも、長野医療生協では今、連日のように宮城に支援物資を送る救急車両が出ています。夫と娘はそのうちの一台のメンバーに加えてもらいました。先ほど21時に出発しました。足も伸ばせず座るスペースがないほどの支援物資に埋もれて、出発しました。

 ちょうど帰ってきたばかりの先発隊と、ルートや現地の様子の交流をして、実態をつかんでからの出発です。

 「ガソリンは、こことここで入れないと、この先は困難」「治安が悪くなっている。宮城県外ナンバーはねらわれる。水も物資もお金も持っている。ガソリンではたった5リットルで暴動が起きそうだ」「自分の食べ物はたくさん持って行かないと。腹がすいても何もない。被災者のものをもらうわけにはいかない」ガソリンの補助タンクも、見えないように隠しておいた方がいいと言うのです。

 弟からも連絡がありました。「夜中に着かないように。治安が悪い。危ない、何が起きるかわからない。灯油がない。食べ物がない」と。

 さて、支援物資の他に車に乗り込む3人分の食料も用意。それだけでも大荷物。シュラフやガスバーナー、ペットボトルの水、ガソリンの予備タンク・・・「登山の用具が全て役に立つね」と娘。本当にその通りで、文明の利器が何もない山に行くのと同じです。全く違うのは、景色ですが。

 無事に役目を果たし、帰りの車には母を乗せて何事もなく帰ってきて欲しい、と願うばかりです。

 石巻の友人の一人は「水をもらうのに9時間並んだ。食べ物を手に入れるのにも何時間も並ぶ。やっと給水車がふえたが」と。「とにかく、今日を生き延びるので精一杯なんですよ。その上、原発、頭にきますよ」

 私は、明日からの3日間の連休、長野市でがんばってみなさんのご苦労に応えたいと思います。

 私はこのところ御弁当に意識的に昆布の煮物を入れるようになりました。救急車両に乗り組む人には、「ヨード剤」がくばられました。福島県を通過するからです

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

会議と訪問。選挙実行と原発への怒り。

2011年03月17日 19時55分23秒 | 活動日誌

春よ来い!すぐに来い!ホントに来い! 待ちきれない!

 K地区の訪問活動をしました。、まずは災害のお話です。「共産党はみなさんと一緒に救援ににがんばります」と。

 「本当にひどい災害だった。幸い私には知り合いはいないが、みんなで助けなくては」「やっぱり選挙になってしまったのかい。こんな時にやるものではない。おかしいよ。原発はどうなってしまうか。ヘリで水をかけたって、ダメじゃないか」「こんなに寒くなって避難所では大丈夫か心配・・・」と、国あげて支援しなければならないときに選挙をするときめた政府へと原発への怒り、被災者へのいたわりがあふれる訪問でした。

 みなさん、募金にも快く応じてくださいました。年金暮らしの方の千円は、どれだけの重い価値があることでしょう。

 「こんな時だけど、私たちは反対なんだけど、選挙になってしまったんです。和田さんをお願いします。共産党を大きくして災害に強い町作りをしましょう」と言えば「そうだよ。浅川ダムなんかやめさせればいいんだ。危なくてしょうがない」と。「いま、中断させれば砂防ダムとして利用できるし、もうお金をつぎ込まなくてもいいのです」「がんばってな」と励ましていただきました。

                          

 会議は、Y地区の連休の作戦会議でした。よしよし、いい計画が出来ましたよ。「みんなで集まって計画立てただけでも、元気が出たね!!」それまでの準備の分担もしました。

                           

 本日の赤旗の日刊紙で友人の写真を見つけて、「あ、大沼さんだ!!無事だったんだ!!」と嬉しかった。大沼宗彦さんは名取市の市会議員、大学時代の先輩です。もっと言うと、私を民主青年同盟に誘ってくれた先輩です。高橋ちづ子衆議院議員の現地視察で一緒に映っていました。連絡つかないし、名取市は被害が大きかったので、とても心配していました。よかった!

 こんなふうに、いいことばかりだといいんだけど。被災地のみなさん、明日もお元気で、一日一日を気を強く持って過ごしてください。今日を生き延びてください。ああ、こう書いても、被災者のみなさんには届かないんだ・・・・。

 明日は、朝一番で栄村へ行きます。9時には着いてないと・・・・。今日はこれにて失礼します。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

放射能の測定値が長野でも上昇。雪しんしん。

2011年03月16日 20時03分54秒 | 活動日誌

4日、庭の梅はまだ堅いつぼみだった。今は?よく見ていない!                        

                

 福島原発の事故が、いよいよ深刻な事態を招いています。今日は、長野での測定値が平常の2・8倍にもなっているとの発表がありました。「健康には害は全くない」と言われても数値が上がっていること自体が問題だし、不安はつのります。明らかに福島原発の影響しか考えられません。枝野官房長官も「人体には影響はない」の一点張りで、どんな危険なことになっているのか、良く分かるような説明がされていません。つじつまの合わない説明にデータを隠しているかとしかおもえません。東京電力もそうです。

 長野にいてさえ不安なのに、現地の方々の不安と怒りは大変なものだと、容易に想像します。だって、東電はあれだけ「安全だ」と「神話」を宣伝しまくってきたのですから、うそをつかれた思いでしょう。しかも、避難も満足に出来ない状態です。うそのために、万が一、病を得るようなことがあったならどうするのか。危険な現場で働くみなさんとその家族の方は、どれだけ不安であるか。

 フランスでは、在日のフランス人を帰国させています。福島原発の事故を受けて、アメリカでもフランスでもスイスでも、原発の計画をとりあえずいったん中止する判断をしています。政府が東電と統一対策本部を作ったのは15日、本家本元の対応が遅すぎます。テレビでは、いろいろな専門家がコメントをしていますが、原子力委員会を始め、そう言う専門家を集めてチームを作り、英知を集めて危険をくい止める対策を取るべきです。

 チェルノブイリに事故の時、喉頭ガンの子どもたちの診察のもあたってきた松本菅野谷市長は、深刻な事態であるとして「チェルノブイリに学んで対応すべき。ヨード剤で予防を」とテレビで言っておりました。医療専門家と相談し、投与の判断も即刻やるべきでだと思います。

                                           

 さて、私事の報告ですが、弟の家族の避難場所と状態がわかりました。緊急に設置された避難所の電話で弟に連絡が来ました。安心しました!とても短時間しか話せなくて、元気なことしか確認できなかったと。そしてこの先かける順番がなかなか回ってこないかも。こちらからはまだ通じません。でも、良かったよかった!みなさんにもご心配おかけしました。毎日沢山の電話とメールをありがとうございました。「どうなっているのか、聞くのが恐ろしくて聞けなかった。でも、今日は思い切って電話した」と言ってくださった方もいました。本当にありがとうございました。

 ただ、母の施設の様子がどうしてもわからないのです。 またしても冬の到来です。降りしきる雪をみて、被災者の方々を思いました。今晩も冷え込んでいます。母は施設で暖は取れているのか、食事は柔らかい物でないと食べれないから、どうしているか。まいっているのでは・・・と心配です。仙台までは電話が通じるのですが。ただし、石巻までの道が開いたとのこと。インターネットで我が家のまわりの水も引いたとの映像も手にしました。

 直江津に出張中で被災しなかった弟が、避難所がわかった家族が心配で、また、母のことがわからないからと、今朝、石巻に出発しました。軽油の予備のポリタン積んで車で寝る用意もして出かけると連絡がありました。無事、たどり着くかどうか心配です。昨日までは「まだ行ってもじゃまになるだけ。危険が多い」と反対していたのですが、反対しきれなくなりました。今は、「何とか情報を」と期待をかけています。

 我が家はまだ命があった。たくさんのかたが、過酷な避難生活を送り、身内の命も奪われ、またいまだに安否がわからず、切ない思いをしています。テレビの映像に胸が痛みます。一日も早い人命の救済を。栄村、もちろんです。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

選挙は予定通りになりそう。「栄村の震災対策についての緊急用要望書」で県と懇談

2011年03月15日 14時34分22秒 | 活動日誌

 

 「今は災害の人命救助、救済に全力を尽くす時」と、共産党は昨日「いっせい地方選挙の延期」を申し入れましたが、予定どうり行なうと決まりそうです。自民、特に公明党の強い反対です。こんな時、自分の党の都合を優先に考えるのはどうかと思います。国民の立場にたっての決断が大事ではないでしょうか。

 今日は小学校の同級生で宮城県から出ている友人に電話しました。石巻にいる妹さんが車で流されたかもしれないと、「死亡欄を確認している。何もできずもどかしい」と泣かれました。「南浜町は全滅、Hさんはどうしているだろう」などと友人の心配もし合いました。「私も、地震が起きてすぐだったから電話が母の施設につながったが、その後は連絡つかず、高年だから過酷な避難生活には耐えられないかもしれないと心配。姉、甥や姪、実家ともまったく連絡が取れない」と、でも「あきらめずにがんばろう」と励ましあいました。

 今、東北に向って医療分野をはじめさまざまな分野で全国的支援が始まっています。中国などからもレスキュー部隊が応援に入っています。

 こんな時には政府は人命救助に総力を挙げてほしい。福島原発も大変危険で、冗談ではなくチェルノブイリのようになってしまうような状況ではありませんか。日本の問題だけにとどまらない。ここでも人命尊重で全力を挙げるときではないでしょうか。

 それでもやると言うのです。でも、選挙はやると決まったからには、私たちは、災害救助活動にも力をいれ、命を守る政治のためにも選挙戦も全力を挙げてがんばります。

             ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 地震被害にあった栄村もになさんからお聞きした緊急の要望をまとめて、県と懇談しました。県議団から石坂、和田県議、県委員会から私、、栄村の渡辺議員と元議員の広瀬さんが、和田副知事と懇談しました。

 緊急要望は ①ライフラインの復旧で3項目  ②被災住宅の復興に対する支援について4項目 その他いくつかの要望を出しました。

 渡辺議員は切実な現地の様子をはなし、「もっと水がほしい。野菜が不足している。年よりはとても我慢つよい。つらくても我慢しているが、精神的に疲れている。心のケアをする体制を強めてほしい。住宅に帰る見通しがほしい」など、切々と訴えました。

 

 副知事は、「できるだけ要望に応える」と応じました。

 現地の代表が大変な中、一生懸命出てきたのですから、私はてっきり知事が対応してくれるものと思っていました。ま、百歩譲って副知事だとしても、関係部署がどこも出てこなかったことにも、驚きでした。いまだかつてこんな交渉はしたことがありません。非常に残念です。現地の皆さんを励ますためにも、対応してほしかった。

 明日は県議団全員と予定候補が栄村に入って、住民の皆さんを激励し、要求の強い生野菜を届ける予定です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

会議が2つありました。被災者にどんな支援が出来るのか。

2011年03月14日 21時16分17秒 | 活動日誌

 

少し前に描いたイヌフグリ。気持ちを明るく持ちましょう。

 

 県委員会の会議と長水地区委員会の会議がありました。どちらも課題は2つです。ひとつは災害支援のこと。もう一つは選挙の対策です。

 大変な災害で「まるで地獄」(訪問先の方の言葉)です。栄村も大変です。今できることは何かを話し合い、すでに行っている救済募金活動の交流もしました。全県各地で行っている募金活動、あるところでは「近くのお店のみなさんがでてきて、一緒にやってくれた」そうです。また「駅前で次々に募金をする団体が来て、まるで募金活動のリレーだった。誰もが心を痛めている」「いったん行きすぎた青年が戻ってきて、ざら玉の入ったビンを持ってきた」など、尋常でない事態の中で、人の温かさを感じる報告ばかりでした。

 私たち共産党でも、佐久の藤岡候補はスーパーの前で8時間も立ち続けて40万円も集めたとの報告には驚きました。何とか被災者のみなさんのお役に立ちたいとの思いが伝わってきます。各地で議員や支部のみなさんがそれぞれのやり方で、沢山の募金を集めています。共産党も、心痛めているみなさんと一緒にがんばる仲間です。私たちの立党の精神は「国民の苦難を取り除くために働く」ことだから。

 明日は、県議団と県委員会とで県交渉をします。

 栄村のみなさんからお聞きしてきた要望をまとめて実現して欲しいとの話し合いです。鳥取県でやっているように、個人の住宅にも再建の保障をつけさせたい。私は個人的には、お年寄りには避難所生活はそう長くは無理だから、だからといって公営住宅を建てるにしても個人宅を再建するにしても時間はかかります。一時的な仮の住まいに、近くの温泉宿や空いているアパートに移る手だてを取らなくてはならないだろうと思っていますが。もちろん、行政の保障で。

 会議では、栄村も落ち着いたら、今度は片付けのボランティアが必要になります。その募集登録も始めなくてはとも話し合いました。

                   

 愛知市議選、5人当選。どこの党も減らしてしまって「減税日本」が28議席、だけど単独過半数には至らなかった。民主党は大幅に後退。共産党も8から5へ。うーん、だけど、共産党はよく踏みとどまった。

 北区から当選した岡田ゆきこさんは、前に長野に住んでいて、ご主人は中央病院の職員でした。お子さんは重い障がいを持っており子育てには力を合わせてきたご家族です。初当選、嬉しい。弱い人の立場でがんばれるゆき子さんだから。

 夕方、与野党の幹事長、書記局長会談で、共産党もいっせい地方選挙の延期を提案したとのニュース。今は災害救助復興に全力を尽くすとき、充分な論戦を保障するためには全国的に選挙の延期が必要だろうと。私も賛成です。世界中から支援を受けている大災害、一部の地域だけの延期ではすまないでしょう。今は国民一丸となって救済、復興のために力を尽くすときと、私も思っていました。私自身、家族の安否がはっきりしないとスッキリした気持ちでたたかえません。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

栄村へ行ってきました。沢山の募金に感激です。

2011年03月13日 21時58分52秒 | 活動日誌

 午前中は支部のみなさんとG地域で訪問活動、11時半から長野駅頭での募金活動。その場所から栄村へ出発。お昼は移動の車の中でコンビニのサンドイッチとおむすびをほおばりました。

 和田県議、中野市議の青木さん、飯山市議の小林さん、渡辺さんら総勢9人で栄村にはいり、栄村議の鈴木さん、山本さんと合流しました。

長野駅前での募金活動

 小1時間だけだったのに、次々と募金に応じてくださって8万8千円を寄せていただきました。みなさんの暖かい気持ちが嬉しかったです。若い方がお札を入れてくれたり、中学生がお小遣いを入れてくれたり。「栄村のお年寄りが心配です」との若い方の言葉には、励まされました。本当に優しい。募金はまた続けて行います。

 同じく長野駅頭でバスケットのプロチームも募金活動をしていました。全国の被災者への支援と災害復興には、日本国中のみなさんが「何かしなくては」と支え合っていこうとがんばっているんですね。共産党も仲間入りでがんばります。

 今日はみかん、バナナ、歯ブラシ、ほっかいろを持って、募金は取り得ず北部地区で集めた分を第1回目として島田村長さんに託してまいりました。

避難所の住民のみなさんを訪ねました。

 「遠いところよくきてくれました」とみなさんに歓迎されました。話しているうちに涙ぐむ方もいました。私の方も、お世話になったみなさんとお会いできたり、宮城の母や弟の家族とも重なって、涙ぐんでしまいました。みなさん、被災生活で疲れが出ている様子でした。ドクターの前には住民が並んでおり「血圧は大丈夫だった」と安心した方もいました。

 被災されたときの恐ろしかった状況を話してくれながら、思いを語ってくれました。タンスが倒れてきて危うく下敷きになるところだったと言う方もいました。「こんな年になってこんな目にあうなんて」

 「うちに帰りたい。でも帰れるかどうかわからない。耐震審査で赤紙貼られたらどうしよう。家を壊さなくてはならない」

 「家にはもう住めない。これからのことを考えると絶望的になるけど、全国の被害を考えると命があっただけ良かったと今は思っています」

 「片付けを考えると気が遠くなる。手伝ってくれる人が欲しい。年寄りには何も出来ん」

 「もう家を建て直す元気なんかない。お金もない。子どもに世話になるのも気遣ってしまう」

 「昨日よりずっと(避難者が)減った。子どもたちが迎えにきて連れて行った。家の再建も難しいから、たぶん人口が減るかも・・・でも都会で住むことが出来るかなあ」

 「子どもが心配して携帯が鳴りっぱなしだ。でも、こなくていいと言ってるんだ。こんなところへきてどうする。心配かけたくないしな。大丈夫だ」

 「飯山線が壊れてしまって、高校生が学校に通えない。足が欲しい」

 「顔を洗いたい。ここは気づかれしてなあ。でも我慢しなくては」

 「命が助かったんだ。それだけでいい。だから共産党はどうしてもがんばって欲しい。国の政治も何とかして欲しい」と言われる方もいて、「がんばります。家の再建にも保障がちゃんとされるようにもがんばります。個人の力ではどうにもならない」と堅く手を握りあってきました。

元村長の高橋彦芳さんと。真ん中は和田県議。

 高橋彦芳元村長さんも、みなさんと一緒に避難生活をしておられました。お元気そうで安心しましたが、きっと疲れていらっしゃると思います。

 住民のみなさんは共通して、全国災害の被害と較べて「私たちは命があって良かった」と考え、それを心の支えにしているように思えました。「何もなくなったが命はある」と。亡くなられた方の無念さを思いながら、ここからが出発と、私も心を強くしました。

栄村は、まだ雪の中です。

  福島原発の放射能が宮城県女川原発まで流れてきているとのことです。「女川原発の放射能漏れではない」との政府の説明ですが、これは安心なのか、不安なのか。福島原発の放射能だったら、それ自体がまた不安です。女川原発は石巻のすぐ近くです。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

全県で募金活動、栄村へ行きます。原子力発電の不安増大。

2011年03月13日 07時27分28秒 | 活動日誌

 

 おはようございます。昨日は、共産党長野県委員会の「災害対策本部」を立ち上げ、今井県委員長本部長の代理をわたしがやることになりました。副本部長は石坂、和田両県議です。

 昨日、石坂団長を中心にして、飯山市議団の3人、須坂市議の竹内さんらが、栄村に入りました。飯山ルートが遮断されているので、通常1時間半あれば行くところ、新潟県まわりで5時間半かかて到着したとのこと。

 石坂報告では、青倉というは壊滅的打撃で、家はほとんどが全壊。私がお世話になった方のうちもぺっちゃんこになったと聞き、言葉が出なかった。みなさんのうちの再建はこれから取り組む重大な課題ですが、まずは命が安全だったことで安心しました。

 役場に避難していた100人の住民のかたが、石坂さんらの激励に涙を流して喜んでくださったとのこと、どんなに不安だったことでしょう。救急車が飛び交って、体調を崩す方が出てきています。今日のところは、小学校や「北の天満宮」(村営温泉)などに分散して宿泊すると聞き、ちょっと一安心。避難している住民は総勢800世帯、危険なので基本的には外出は控えるようにいわれているそうです。

 島田村長さん、元村長の高橋彦芳さんは、食事も取らずに必死の活動をしているとのこと、共産党栄村支部のみなさんもがんばっているとの報告でした。

            ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 今日は、街頭から災害募金を訴えます。長野市だけでなく、全県の党地区委員会が取り組みます。集まった募金は、石坂さんから聞いた現地の要望に応える物を準備して、午後から、私と和田県議が栄村へ第2段の支援にはります。飯山からのルートは仮復旧で、道に鉄板をしいて通行可能になったと聞きましたから、5時間半もかからずにいけるかと思いますが、夕方帰れないかもしれないので、朝、夕飯の準備もしておいたところです。

 私の実家にはまだ連絡が取れません。地震が起きてすぐに、母のいる施設に電話して良かった。そのあと、全く通じなくなりました。その後、施設のある地籍で火事が広がっているとのニュースでしたから、心配でなりません。娘たちも「停電で暖が取れないのでは。食事はどうしている」と心配していますが、全国のみなさんと同様に、心配するだけで何もすることが出来ないもどかしさを実感しています。「命だけは助かって欲しい」今は、そんな思いです。

 福島原発の不安が現実のものになてきて、チェルノブイリのようにならないか、不安です。安全神話は見事に崩されて、共産党がずっと指摘してきたとおりになってしまった。過酷事故にならないように、国は全力を挙げてと必死な気持ちです。

 1999年2月18日の赤旗には、読者の質問に対して党は次のように答えています。

 「・・・・・また大きな揺れを感知すると原子炉が自動的に停止する設計になっていますが、それで、大地震の際に原子炉が止まる保障があることにはなりません。自動停止システムが破壊される恐れもあります。仮に、原子炉が止まったとしても、それは核分裂反応が停止しただけであって、それまでの核分裂反応で生成された「死の灰」が出す崩壊熱を冷却できなければ、過酷事故(シビアアクシデント)にいたることは必至です。日本列島周辺の地震が本格的な活動期に入ったとされる折から、日本列島各地の既設原発の耐震性をはじめとする総点検は急務です」

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ご心配かけております。災害対策本部設置しました。

2011年03月12日 11時49分50秒 | 活動日誌

 沢山の皆さんから、私の実家のご心配の電話やメールをいただき、本当にありがとうございます。心からお礼を申し上げます。

 その後も連絡がつかない家族の心配をしながらも、全国に広がっている被害に皆さんと同様に胸を痛めています。長野県では栄村はじめ北部地区に甚大な被害が出ました。私は栄村には、お世話になった方が沢山います。とても心配でニュースにかじりつきです。

 本日、共産党県委員会としても「対策本部」を設置しました。

 対策本部長は今井誠県委員長 副本部長に石坂ちほ県議、和田あき子県議。私は本部長代理を務めます。

 先ほど、栄村に向けて、石坂ちほ県議、須坂市議の竹内勉さんを中心に第一便の救援班を送りました。栄村まで行けるルートがあるかどうかどうかわかりませんが、とにかく行かなくてはと、新潟十日町経由でいってみようと出発しました。まずは現場の状況と要求をつかんで、何ができるか検討します。私も次の計画でいくつもりです。

 大勢の方が、全国に各地にお住まいのご家族やご親戚、友人知人の安否の情報が入らずご心配されていらっしゃると思います。原発も本当に安全なのか、不安もあります。

 救援のために、できる限りの力を尽くします。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする