中野さなえ活動日誌

花には太陽を こどもらには平和を

娘たちが寄ってきた

2016年12月04日 21時20分58秒 | 活動日誌

 今年の我が家のクリスマスツリーは変わっています。カポックの植木に、孫が自分の絵をツリーの飾りとしてつるしたものだから、3女が電気のともるきれいな球を作ってきてくれました。

 

 さて、クリスマスまで、我が家は今一つ落ち着きません。

 

 次女が長野に住むことになって、引っ越しで何かにと雑用があります。アパートを契約しました。その他諸々、引っ越しはごたごたしますね。

 

 娘3人、大学在学中はそれぞれちりじりになって、一時は夫婦二人の気ままな生活でした。

 

 まず、長女が戻ってきて長野市に勤務、やがて3女も他職場を経験したのち、やはり長野市に戻ってきました。

 

 そして、次女が、来年1月からやはり長野市で働くことになりました。

 

 期せずして、3人とも、実家の周りにうろうろすることになりました。ですから、ほとんどの週末には全員が集合します。まあ、長女以外は一人暮らしなので、まともな食事のある楽しい食卓を囲みたいという、当然の要求だと思います。

 

 大学に出した時は、あとは帰ってこなくても仕方がない、と思いましたし、気にすることでもありませんでした。

 

 でも、今は、よかったなあ・・・と思っています。家族がたくさんいると楽しいし、きっとこれから私ら夫婦が弱ってきたときに、頼りになるんだろうなあ・・・・と考えるようになりました。

 

 でも、遠くに子どもさんを離している方や、親と離れて子育てで頑張っている方々には、申し訳けないなあ・・とも思います。

 

 昔、宮城県の民医連での研修を終えた夫と長野に来ると決まったとき、母がぼそっと言いました。「友貴さんは兄弟が5人もいるじゃないの。こっちにいてはいけないの」

 

 その時は「外国に行くわけではあるまいし」と気にも留めなかったのですが、今になってあの時の母の気持ちが分かるような気がします。

 

 しかし、一方では、故郷に帰りたい、残りたいと願っても、田舎では仕事がないということも事実ではないでしょうか。地方を切り捨てる政治では、過疎だけが進みます。

 

 地方行政も福祉予算や教育予算をたくさん組めば、仕事が増えると思います。

 ドイツのフライブルグに行ったとき、さして産業はないのに、町でお金が落ちる仕組みで経済が回っていました。公務員がずいぶん多かったですね。大手の企業の参入は規制していましたね。

 

 アメリカの悪いところのまねばかりしないで、世界の進んだやり方を学んで、日本流に実践すればいいのにね、と私は思います。

 

コメント
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