蛙と蝸牛

本の感想。ときどき競艇の話。

擬似エスパー

2006年12月12日 | Weblog
11月の初め頃、新聞に、頭の中でたし算や引き算を繰り返すと、その際に脳内の血流が増えることを利用して(それを電気信号に変換する装置を通して)模型電車を手を触れずに動かすことができた、という記事が載っていた。早ければ5年後にも身体に障害のある人が、頭で考えただけで家電機器を動かすことができるようになるという。

これって、見た目は超能力者そのものだなあ、と思った。
私は、超能力者と聞くと、マンガの「バビル2世」が真っ先に思い浮かぶ。テレポーテーション、サイコキネシス、テレパシーなんて言葉にあこがれた。手をつなぐとエネルギー波がほとばしって、つないだ相手をバーベキューにしてしまう、というのが極めつけの技だったかな。今では「エスパー」という言葉もめったに聞かなくなった。

どんなに科学が発達してもこうした超能力は解明されたり身につけることはできないんだろうな、と思っていたが、考えてみると、CTスキャンとか携帯電話、音速に近い旅客機なんていうのは、機能だけみれば超能力を実現させたものといえなくもない。

冒頭の例のように、脳内の何らかの動きを物理的・化学的な差異として抽出する技術が開発されつつあり、これを突き詰めていけば、意外と近い未来に「○○物質が分泌された。今この人は怒っているぞ(顔は笑っているけど)」などという調子で、人間の考えや感情が簡単に読み取れるようになりそうだ。

しかし、これは禁断のテクノロジーじゃないかという気がする。人間関係は原則としてタテマエで動いているわけで、本音が常にあからさまになってしまっては、現状のコミュニケーションがすべて崩壊してしまいそうだ。
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照柿

2006年12月10日 | 本の感想
照柿(高村薫 講談社文庫)

合田刑事は幼少期の大家の息子である主人公(野田)と久しぶりにめぐりあうが、お互い日常生活に行き詰まりを感じている。合田は野田の愛人に一目惚れして、野田の周辺をさぐったり、たいして縁もないのに野田の父親の葬式に出席したりする。野田は勤務する工場のトラブルがきっかけとなって自暴自棄に陥り、父親の旧友だった画商を殺害する。
刑事が登場して殺人事件もおこるが、ミステリの結構にはなっていなくて、合田と野田それぞれが自分自身と葛藤するさまを描く心理小説みたいなものか。

ハードカバーが出版されて12年たってからようやく出た文庫版。例によって文庫化にあたって全面改稿されている。12年も経過していると元のまま文庫にしても(大半の読者はその内容を覚えていないはずで)それなりに売れそうな気がする。そこをあえて最初から最後まで手を入れるというのは著者が極めて良心的もしくは執念が強烈、ということだろう。

上下巻あわせて700ページくらいあるが、物語のなかで経過するのは一週間くらいで、登場人物の行動や感情が、これでもか、というくらい詳細に語られる。悪く言うと粘着性のあるくどい描写が延々と続く。この種の小説が好きでないと読み通すのはけっこう辛いと思うが、私にとっては、さらにどんどん続いてほしいと思えるような中毒性の津洋作品であった。

12年前にハードカバー版を読んだ時は、後半は読み続けるのが苦痛だった。今回そうでもなかったのは、年をとって先を急ぐ性急さみたいなものがなくなったせいかもしれない。
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レストア

2006年12月09日 | 本の感想
レストア(太田忠司 光文社)

一般に「レストア」というのは、古くて動かなくなったあるいは調子が悪くなった機械などを修復すること。古くなっているので壊れた部品などを調達できない時には自作しなければならず、手作りで一からその機械を作り上げることができるくらいの技量がないとできない作業です。

私は、できたてのピカピカの作品より、使い込まれた古い機械、道具が好みです。壊れた機械や道具を修理して使用するのも、なんというか、一種の快感があります(ケチだからでしょう)。しかし、手先が不器用なので、とてもレストアなんてレベルではありません。
のべつしゃべりまくる必要がある仕事に従事しているので、一日中、誰ともしゃべらず、黙々と細かい作業を続ける職業、というのもあこがれがあります。

この本の中でのレストアとは、オルゴールの修復師のことです。主人公の修復師は、うつ病で人ぎらい。主な依頼主である金持ちの婦人以外とはほとんど会わない、という設定なのですが、それでは話がすすまないので、けっこういろいろな人と会って話しをし、その悩み事を(おせっかいにも)解決してあげる。そしてその過程で病気が治癒されていく、というのが筋です。

この小説の当初設定は気に入ったのですが、私としては、ハードボイルドにつっぱり通すキャラ(高村薫さんの小説の主人公のイメージ)、反対に表向きはチャラチャラしているけど、芯のところでは頑なで閉鎖的というキャラ(ドン・ウインズロの「ストリートキッズ」シリーズの主人公ニール・ケアリーのイメージ)が好みで、ストーリーが展開していくに従って、ちょっと甘味がきつすぎるかなあ、という感じがして、残念でした。
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ブレイブストーリー

2006年12月07日 | 本の感想
ブレイブストーリー(宮部みゆき 角川文庫)

主人公の少年の父親は昔の恋人とヨリが戻って、少年と母親を捨てて家を出てしまった。母親は絶望し少年と心中をはかる・・・という現実世界の話が全体の三分の一くらいの分量をかけて語られる。(少年は人間の空想力が生み出した別世界「幻界」に君臨する女神に依頼すれば現実世界の状況を変えられることを知り「幻界」へひとり旅立つ。ここから先はRPGのお約束に忠実に従ったストーリー展開となって、この部分はあまりおもしろくなかった)

主人公の少年にふりかかった不幸は、世間のどこにでもある「ありふれた不幸」ではある。その渦中にある本人には非常に辛くて、そんな世をはかなんで命を絶つ人もいるわけだが、しかし、他人からみれば「よくあること」にすぎない。
「名もなき毒」の感想でも触れたことだが、そんな「ありふれた不幸」も宮部さんの筆にかかると、体験している本人のように、読者はその辛さ、絶望感を味わうことができる。

そんな絶望的状況にあった少年は、「幻界」の旅の果てについにめぐりあった女神に自分の家族の再生という当初の願いをかなえることを望まなかった。
「ありふれた不幸」はいつでも誰にでも起こる。その度に他人の力に頼っていては、自分の人生や運命を切り開いていくことはできないことに、旅の過程で気づいたからだ。
(以下、文庫下巻435ページより引用)
「そして、ようやくたどり着くことができた今、わかったんです。幻界の旅は、運命の塔というゴールにたどり着くことに、意味があったのではなかったと。この旅そのものが、僕にとってかけがえのないものだったと。この旅が、僕に教えてくれたのです。女神さまのお力にすがり、運命を変えることができようと、所詮それはひととき限りのものだ。僕はこれかも、喜びや幸せと同じように、悲しみにも不幸にも、何度となく巡り合うことでしょう。それを避けることはできない。ましてや、悲しみや不幸にぶつかるたびに、運命を変えてもらうわけにはいかないのです」
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裁判長!ここは懲役4年でどうすか

2006年12月05日 | 本の感想
裁判長!ここは懲役4年でどうすか(北尾トロ 文春文庫)

雑誌連載のネタとして裁判傍聴にでかけた著者が、やがてその面白さに気づき、数々の裁判を傍聴した記録。
といっても堅苦しいものではなくて、フランクにというか、有体にというのか、「そんな書き方して大丈夫か」と思わせるような正直・率直な内容。
例えば「こいつ絶対やってるよ」とか「慣れると「なあんだ殺人か」って感じになっちゃいますよね」とか。

このため深刻なはずの裁判内容もエンタテイメント化されてしまい、気楽に読み進むことができる。
ただし、「かくも不幸な人生」の章は、「世の中って、そうは言っても厳しいもんだよね」と思わずタメイキをもらしたくなるような内容だったが。

巻末の傍聴マニアとの対談が特に面白い。傍聴を続けるうち、最大の関心事は法務省(裁判官)の人事になってしまった人、なんていうのは「あるよね、そういうの」と深くうなずけた。

通勤途中にある本屋の文庫本ベスト10に入っていたのを見て、最新版の奥付を見ると、文庫発売が7月なのにすでに8刷だった。地味な内容のわりの読まれているのは、タイトルと親しみやすい表紙のデザインのおかげだろうか。それとも裁判員制度導入の影響?(ってことはないわな)
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