蛙と蝸牛

本の感想。ときどき競艇の話。

この世界の片隅に(映画)

2018年01月30日 | 映画の感想
この世界の片隅に(映画)

広島の海苔養殖?業の家に育った主人公はは、絵を描くのが大好き。呉で海軍に勤務するサラリーマン兼業農家?に嫁ぐ。やがて太平洋戦争がはじまり、大軍港である呉はたびたび空襲にあう。主人公も右手を失って絵を描けなくなってしまう。広島に原爆が投下され戦争は終わる。主人公夫婦は広島の戦災孤児?を引き取ることにする・・・という話。

太平洋戦争時代に(今でいうと)小中学生だった(私の)父母によると、戦争が生活に深刻な影響をおよぼしたのは昭和19年後半からで、本当に苦しかったのは1年くらいだったそうだ。それまでは、少なくとも内地の生活は、それほどひどくなかったという。戦争もののノンフィクションを読んでも同様の感想を持っている人は多いように思えるし、本作からも同様の印象を受けた。

本作は、戦争の惨禍を描くという側面よりも、その時代の普通の家庭生活を淡々と描写することを目的としているように見えた。
もちろん負け戦が続いていたわけなので、主人公の家族も戦死したり空襲で焼け死んだりする。そうした悲しみや苦しみを味わいつつも、義父や夫は(多分)廃墟と化した役所へ出勤していき、毎日3回(じゃなかったかもしれないが)食事の用意をしなければならない。そうした日常があるからこそ、苦難をなんとかやりすごすことができた面もある、そんなことが言いたかったのかなあ、と思った。

私は、戦中・戦後の混乱期に生きたわけではないのに、本作を見ると、ある種のなつかしさを覚えた。
閉塞感漂う世相にあって、生活物資は不十分で。死が身近に迫っていても、家族同士が思いやりをもって助け合い、日々の生活を着実にていねいにこなしていくことで乗り越えられる(こともある。乗り越えられないこともあっただろうが)。
豊かで幸福な社会で生きる私が、なつかしさを感じるのは、そういった家族の連帯が失われつつあるためなのだろうか。(逆さまに言うと、家族が連帯しなくても生きていけるほど社会が豊かになったのだろう。いやしかしそういうのを豊かというのか??)

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