蛙と蝸牛

本の感想。ときどき競艇の話。

紳士と猟犬

2018年02月03日 | 本の感想
紳士と猟犬(M・J・カーター  ハヤカワ文庫)

19世紀中盤、東インド会社が組織する軍の少尉である主人公エイヴリーは、イギリスの実家で居場所がなくなってインドに来たものの目標を見出せずにギャンブルなどで借金まみれ。インド中部で行方不明になったベストセラー作家の探索を命じられ、「探偵」と呼ばれ長年インドで暮らすベテラン軍人のブレイクと同行して旅にでるが・・・という話。

著者によるあとがきを見ると、登場人物の一部(東インド会社軍の幹部フリーマンなど)は実在の人物のようだし、ストーリーの中核の一つであるインドの盗賊団:サグも史実のようである。
もしかすると、イギリスの人にとっては、フリーマンとかサグというのはとても有名(日本で例えると石原莞爾、伊賀者みたいな???)で、そうした知識がある人が読むと虚実入り混じった歴史ものとして楽しめるのかもしれない。

これは独りよがりな見方だと思うが、日本人の近代の歴史観には大きな断絶ポイントが二つ(明治維新と太平洋戦争での敗戦)あって、そのポイントの前と後では全く別の国、社会、歴史が存在しているかのように認識されているように思える。
先にあげた例でいうと、明治にはいったとたんに忍者は一人もいなくなり、戦争が終われば(戦時中はモンスターのようだった)石原もただの人みたいな・・・どうも、私には、服部半蔵(維新前の人)とか乃木希典(戦前の人)って、日本人ではあっても異なる種類の日本人のように感じられてならない。
しかし、イギリスの人の歴史観には、そういう断絶ポイントはなくて、セポイの乱もアヘン戦争も2つの世界大戦も一つながりのオビのように感じられているのではないか、と想像する。
なので、東インド会社社員たちの活躍(や暗躍)も、現代に生きる自分たちと同じバックグラウンドを持つ人間の物語としてシンパシーを持ちつつ読めるのではなかろうか。

私にはイギリス支配時代のインドに関する知識の持ち合わせはないが、単純にエイヴリーとブレイクの弥次喜多道中もの、あるいは師匠ブレイクに鍛えられる弟子エイブリーの成長物語としても十分に楽しめ、分量(約550ページ)の多さもあって、ラストで二人が別れを告げるシーンはけっこうジーンときた。(もっとも訳者の解説によると、すでに本作の続編は2冊出版されていて二人はこの後もペアで活躍するようだが)


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