蛙と蝸牛

本の感想。ときどき競艇の話。

帝国のシルクロード

2008年09月09日 | 本の感想
帝国のシルクロード(山内昌之 朝日新書)

「帝国」という日本語訳の不適切さを指摘したところが興味深い。(以下引用)
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「もし「ライヒ」に託された意味を尊重するなら、国民国家を想像させがちな「国」でないほうがよかったかもしれない。天下や広がりのある地域を包み込んだ宇宙的な政治統合体の意味で「帝域」や「帝圏」の訳も考えられたはずだ」

「だいたい、多民族国家は歴史的には帝国として現れることが多かったのだ。帝国という名はともすれば暗く歪んだイメージを与えがちで専制や抑圧や強制をすぐに想像させがちだが、これは当て推量や思い込みというものだ。むしろ帝国には、多くの宗教と民族の平和共存を可能にしてきたメカニズムもあったことを忘れてはならない。最盛期のオスマン帝国では、軍人としてトルコ人、宗教者にはアラブ人、行政官として出世したバルカンやカフカースの出身者といった得意分野の分担に加えて、金融業や通商貿易ではギリシア人、アルメニア人、ユダヤ人にも活躍する場所が与えられていた」

「結局、地域や民族を超える国家や、通常の国家を上回る規模なら、すべて「帝国」と呼べる曖昧さがこの言葉につきまとっている。君主制をとらず共和制を採用したアメリカを今でも「帝国」と呼ぶ学者が多いのは、この融通無碍な性格をよく物語っている」
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「帝国主義」とか「第三帝国」なんて言葉がすぐに思い浮かぶせいか、私が「帝国」に対して持っていたイメージはまさに「専制や抑圧や強制」だった。
「帝国」という訳語が正しくなくて、むしろ肯定的な語感もある言葉なのかもしれない。

もう一つ印象深いのが、美男美女ぞろいのチェルケス人のエピソード。(「チェルケス人の美女と泥棒」の項、その他の項にも時々登場する)

この本のタイトルや目次(例えば「ヨハネス二世と帝国病院」「英雄サラディン、二つの欠陥」「バクダードの「かぞえびと」」)はとても魅力的で、それに引かれて読んでみたが、雑誌などに寄稿した短い文章をまとめたものであるせいか、一項目ごとの分量が少なすぎて、今ひとつ食い足りない感じだった。

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