あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

新緑の将軍塚から水天宮、荒幡富士などを巡る(埼玉・所沢)

2017-04-24 21:31:09 | ウオーキング
 2017年4月23日(日)

 爽やかな快晴なので、狭山丘陵周辺の新緑や花に期待して出かけた。コースは、所沢市
発行の「ところざわウオーキングナビ2 中央エリア」の「荒幡富士・市民の森と史跡探
索コース」である。

 自宅を11時37分に出て、コースの出発地・西武池袋線西所沢駅からコースに入る。

 線路の北側を並行する道を1㎞ほど進む。踏切を渡り、南陵中の南側十字路を左折して
久米(くめ)の住宅へ。畑のハナミズキが花盛りで、畑の向こうの屋敷林の新緑がみずみ
ずしい。


 台地を下って、別の車道に合したところにある時宗の長久寺へ。開山は鎌倉末期の元弘
3年(1333)前後のよう。


 山門を入った左手のお堂に、江戸中期の廻国(かいこく)行者、平塚常陽が安永3年
(1774)に建てた廻国供養塔があり、所沢市指定文化財になっていた。
       


 本堂の右手に一遍上人(いっぺんしょうにん)像が立ち、背後の大きなドウダンツツジ
が開花していた。
    

 境内南東側には、愛知県の豊川稲荷から明治44年(1911)に分神されたという、
豊川稲荷神社も祭られている。

 南東側近くの三差路を南に少しで、柳瀬川の勢揃橋(せいぞろいばし)を渡る。橋は、
新田義貞が鎌倉攻めの時に数万の兵を勢揃いさせたことから名付けたとされるとか。流れ
には、ナノハナがたくさん花を見せていた。


 松が丘東交差点の先で松が丘一丁目の住宅地を南に抜けて木の段を上がり、狭山丘陵の
東端に位置する八国山緑地の、うっそうとした落葉広葉樹林帯の遊歩道へ。
     

 少し先に「元弘青石塔婆所在痕」碑があり、背後の盛土上に「将軍塚」碑が立っていた。
新田義貞が鎌倉攻めの時に陣を敷き、指揮をとったとされる場所。
       

 かつてはこの辺りから駿河、甲斐、伊豆、相模、常陸、上野、下野、信濃の八か国の山
々が望めたことから八国山(はちこくやま)と呼ばれたという。

 東京都と埼玉県との都県境となっていて、稜線上の遊歩道の両側には豊富な広葉樹林が
続く。みずみずしい新緑のこずえでウグイスが元気にさえずる。


 送電線下を過ぎた左手に、上空に青空の広がる広場があった。その名も「青空広場」で、
木の下で憩う人も見える。

     
 再び新緑に覆われた林間となり、ところどころにヤマツツジが咲いていた。
    


 左手に「ほっこり広場」に下る道を分け↑、木漏れ日の続く林間を進む。
     
 道標に従い木の段を下って松が丘の住宅地の急な階段も下る。傍らの民家の、シャクナ
ゲやムラサキモクレンが咲き出していた。
    

         

 松が丘中央バス停のそばにある松が丘中央公園に13時13分に入り、ベンチで昼食を
した。


 バス道路の北側の細道を入ると、すぐ先に佛眼寺がある。門前に寛政元年(1789)
の青面金剛塔と文政3年(1820)の三十三度供養塔が並ぶ。
     


 本堂の前に金色の一願観音像が立ち、左手には花の残るシダレザクラがある。
     



 庫裡(くり)の横では、キクモモが鮮やかな花をいっぱい見せていた。
     

 その横から坂を上がり、西に延びる稜線の樹林下に祭られている久米水天宮へ。壇ノ浦
の戦いで幼くして亡くなった安徳天皇を祭る宮で、安産・繁栄・商売繁盛に御利益がある
という。


 1月5日の初水天宮にはだるま市が立ち、多くの参拝者が訪れるとか。拝殿の扉の前に
は、奉納された小さなだるまが20個余り並んでいた。
 

 林間に接した北側は鳩峰(はとみね)八幡神社。延喜21年(921)に京都・石清水
(いわしみず)八幡宮を分祀したと伝わり、本殿は県内に少ない室町初期の建築で、埼玉
県有形文化財である。


 元弘3年(1333)に新田義貞が鎌倉討伐の折、参拝して戦勝を祈願したと伝えられ、
参拝時に兜(かぶと)をかけたという「兜掛けの松」があったようで、その史跡碑がある。
       


 東側の道路に戻って北に下り、久米の住宅地や畑の間を西進する。独特の造りの、市の
吾妻支所や吾妻まちづくりセンターの東側から南側に回り、樹林に沿って西進する。


        民家の庭のモミジがやわらかな彩り。
       

 西武園に至るバス道路を横断して次のT字路を左折して南へ、荒幡(あらはた)の住宅
地を上がって行くと、東側に近くの光蔵寺や浄水場のタンクなどが望まれる。


 路傍の民家のシダレモモが、きれいな花を残していた。


 荒幡小の校門前に出て北西に上がり、南西へと回り込む。高台なので北から西への展望
が開け、霞む奥武蔵の山並みや小手指(こてさし)方面の家並みなどが一望できる。


                           武甲山 



 ピークの北側斜面一帯に、広い草地が現れた。「ドレミの丘公園」で、平成17年
(2005)に寄贈されたこの丘一帯を、市が整備して公園としたよう。

 今日のコースの中で、このような気持ちよい展望地があるとは知らなかった。

     
 その先左手は再び新緑の広葉樹林が続き、右手斜面には大きなヤマツツジが咲いていた。



 間もなく荒幡富士で、山ろくには浅間神社が祭られている。明治17年(1884)か
ら15年かけて、荒幡村の住民や近隣の村々の有志などが造った人工の小富士で、富士塚
としては最大級とも言われているよう。



 ツツジ咲く登山道を1合目から10合目山頂へと上がると、狭山丘陵をはじめ、新宿の
高層ビルや所沢市街中心部、小手指駅周辺などが望まれる。
    

         





 見通しの良い冬期などは、大山や丹沢山塊、富士山や奥多摩、秩父の山々も望めるよう
だが、今日は好天ながら遠望は利かなかった。


 そばの林間にある「狭山丘陵いきものふれあいの里センター」↑に入り、狭山丘陵に生
息する動物や植物などについての展示を一巡して観賞した。




    
 周辺は「荒幡富士市民の森」と呼ばれ、さらに広葉樹林が続く。萌芽(ほうが)更新中↑
で青空の見える樹林横を進んで東屋(あずまや)で最後の休憩。そばのモミジもみずみず
しい新緑の彩り。
    

 北に下った住宅地は何本かの道路が入り交じって迷い、東に少し回り道した。コースの
ゴール、西武狭山線の下山口駅に15時42分に着いた。

 この先も自宅まで歩くことにして県道55号を東へ、400mほどで北側の仏蔵院に上
がる。
    
 門前のシダレモモが見頃、本堂前のヤエザクラもほぼ満開になっていた。



 山門を入り左手のモミジもよい彩り。近くには、江戸期のものらしい石塔が数基並んで
いた。


 西側の道路を上がって三井団地を東に抜け、県道4号の梨子ノ木戸(なしのきど)交差
点を横断し、16時33分に帰宅した。

 今日回ったところは、何れも何度か訪ねていたがこの時期は初めてで、豊富な新緑と花
の彩りを充分に楽しむことが出来た。

(天気 快晴、距離 11.5㎞、地図(1/2.5万) 所沢、歩行地 所沢市、
 東村 山市(少し)、歩数 22,800、累積標高差 約350m)




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