2010年5月23日(日)続き
午後の、世界遺産イスタンブール歴史地域の訪問は、歩いて回った。観光客で
にぎわう公園を横切ると、次に訪ねるブルーモスクが見えてきた。
これは、別のモスクのようだ。
噴水の先まで回ると、いま訪ねたアヤソフィアが全容を見せてくれる。
ここがブルーモスクの入口。広さ約2,700㎡、高さは約43m、ドームの直径は
約22.5mある。
ブルーモスクは、オスマン帝国時代のアフメット1世により1616年に完成した。
神学校、貧民救済のための簡易食堂、隊商宿などを兼ねた総合施設だという。
中に入ると、大ドームの下の低い位置に、たくさんの照明が灯っていた。当時は、
ここにロウソクが点されていたとのこと。
ドームの上部の細部までタイルが使われていて、使用されたタイルは全体で2万
1千枚余りになるという。
壁面にはいろいろなデザインのステンドグラスがはめ込まれ、これはその1枚。
現在も礼拝用のモスクとして使われていて、柱の下に座っているのは礼拝者で、
メッカの方向に向かって礼拝する。
1日5回の礼拝の時間には見学できず、いま礼拝している人は、その時刻に遅れ
て後から礼拝に訪れた人らしい。
ブルーモスクを出て、ディキリタシと呼ぶオベリスク(古代の祈念碑)の前に行く。
イスタンブールで最も古い祈念碑で、紀元前15世紀にエジプトのファラオ・トトメス
3世が、メソポタミアの勝利を記念して造らせたものという。 うっかりすると通り過ぎ
てしまいそうだが、3,500年も前のものなのだ。
ピンク色の花崗岩製で、重さは約300トン、現在の高さは20mとのこと。
歴史地域の観光を終えて再びバスに乗り、旧市街から新市街に回って、新市街
の中心地であるタクシム広場で下りる。
広場の中心には、トルコ革命の勝利を記念して1928年に完成した、高さ12m
の「共和国の記念碑」が立っている。
ここで自由時間となり、イスタンブール随一の繁華街であるイスティクラール通りを、
1時間余り散策することとなる。
タクシム広場からは、イスティクラール通りを往復する、レトロな市街電車が走って
いた。
イスティクラール通りは、タクシム広場から南西に約1.5㎞伸びている。広場から
通りに少し下ると、まず、その人の多さに驚かされる。
前に進もうとしても、向こうから来る人とかち合ったりして、急いで歩くことはでき
ない。ここは、流れに任せて歩くしかない。
もらった地図よりかなり先まで行ってしまい、時間を見て折返したが、現地確認が
できず、一時あせった。でも、同じ通りを戻ればよいのだから心配はない。
通りの両側には、かなり歴史を感じさせる建物も、幾つも残っている。
20時過ぎ、タクシム広場からバスで少し移動して、最後の晩餐は、トルコの伝統
舞踊とベリーダンスの鑑賞となる。
400~500人くらい入っているかと思われる、広いホールにいっぱいの観光客が
食事をしながら、ステージでの民俗音楽の演奏と踊りを鑑賞する。
この日は、アラブから150人の大団体客が来たとかで、特別に「セマー」と呼ぶ、
メヴラーナ教団のくるくると旋回する、祈りの儀式という舞踊を見せてくれた。
後半は、呼び物のベリーダンス。激しく妖艶な踊りを、2人のダンサーが熱演した。
ショーはこのあともまだ続くようだが、22時を過ぎたのでホテルに向かった。
ツアー最後の宿は、ボスフォラス海峡を見下ろす新市街の高台にあるコンラッド
ホテル、アメリカのオバマ大統領も最近泊まったという。
ホテルに入ったのは23時近い。 この日は朝9時に出発して14時間近い観光、
オプショナルツアーに参加した人は5時前からだから、さらに長い観光に明け暮れ
た1日だった。
午後の、世界遺産イスタンブール歴史地域の訪問は、歩いて回った。観光客で
にぎわう公園を横切ると、次に訪ねるブルーモスクが見えてきた。
これは、別のモスクのようだ。
噴水の先まで回ると、いま訪ねたアヤソフィアが全容を見せてくれる。
ここがブルーモスクの入口。広さ約2,700㎡、高さは約43m、ドームの直径は
約22.5mある。
ブルーモスクは、オスマン帝国時代のアフメット1世により1616年に完成した。
神学校、貧民救済のための簡易食堂、隊商宿などを兼ねた総合施設だという。
中に入ると、大ドームの下の低い位置に、たくさんの照明が灯っていた。当時は、
ここにロウソクが点されていたとのこと。
ドームの上部の細部までタイルが使われていて、使用されたタイルは全体で2万
1千枚余りになるという。
壁面にはいろいろなデザインのステンドグラスがはめ込まれ、これはその1枚。
現在も礼拝用のモスクとして使われていて、柱の下に座っているのは礼拝者で、
メッカの方向に向かって礼拝する。
1日5回の礼拝の時間には見学できず、いま礼拝している人は、その時刻に遅れ
て後から礼拝に訪れた人らしい。
ブルーモスクを出て、ディキリタシと呼ぶオベリスク(古代の祈念碑)の前に行く。
イスタンブールで最も古い祈念碑で、紀元前15世紀にエジプトのファラオ・トトメス
3世が、メソポタミアの勝利を記念して造らせたものという。 うっかりすると通り過ぎ
てしまいそうだが、3,500年も前のものなのだ。
ピンク色の花崗岩製で、重さは約300トン、現在の高さは20mとのこと。
歴史地域の観光を終えて再びバスに乗り、旧市街から新市街に回って、新市街
の中心地であるタクシム広場で下りる。
広場の中心には、トルコ革命の勝利を記念して1928年に完成した、高さ12m
の「共和国の記念碑」が立っている。
ここで自由時間となり、イスタンブール随一の繁華街であるイスティクラール通りを、
1時間余り散策することとなる。
タクシム広場からは、イスティクラール通りを往復する、レトロな市街電車が走って
いた。
イスティクラール通りは、タクシム広場から南西に約1.5㎞伸びている。広場から
通りに少し下ると、まず、その人の多さに驚かされる。
前に進もうとしても、向こうから来る人とかち合ったりして、急いで歩くことはでき
ない。ここは、流れに任せて歩くしかない。
もらった地図よりかなり先まで行ってしまい、時間を見て折返したが、現地確認が
できず、一時あせった。でも、同じ通りを戻ればよいのだから心配はない。
通りの両側には、かなり歴史を感じさせる建物も、幾つも残っている。
20時過ぎ、タクシム広場からバスで少し移動して、最後の晩餐は、トルコの伝統
舞踊とベリーダンスの鑑賞となる。
400~500人くらい入っているかと思われる、広いホールにいっぱいの観光客が
食事をしながら、ステージでの民俗音楽の演奏と踊りを鑑賞する。
この日は、アラブから150人の大団体客が来たとかで、特別に「セマー」と呼ぶ、
メヴラーナ教団のくるくると旋回する、祈りの儀式という舞踊を見せてくれた。
後半は、呼び物のベリーダンス。激しく妖艶な踊りを、2人のダンサーが熱演した。
ショーはこのあともまだ続くようだが、22時を過ぎたのでホテルに向かった。
ツアー最後の宿は、ボスフォラス海峡を見下ろす新市街の高台にあるコンラッド
ホテル、アメリカのオバマ大統領も最近泊まったという。
ホテルに入ったのは23時近い。 この日は朝9時に出発して14時間近い観光、
オプショナルツアーに参加した人は5時前からだから、さらに長い観光に明け暮れ
た1日だった。
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