2021年10月16日(土)
昨年2月以降、新型コロナウィルスの感染拡大で例会を中止しているカントリークグル
ープメンバーのひとり土田さんから、久しぶりの水彩画展の案内をいただいたので、最終
日になったが出かけることにした。
JR埼京線の南与野(みなみよの)駅に10時56分に着いた。
西口を出て、そばの鈴谷西(すずやにし)公園を北西に抜ける。
公園からすぐ近く、このビルの1階、「ギャラリー カフェ ラルゴ」が会場。
土田さんは、セカンドライフの趣味として水彩画を始めて20年になるとか。現在は、
「水繪会」「大宮スケッチ会」のメンバーとして定期的に作品を発表しており、発表の都
度私も観覧に訪れている。
今回は5年ぶりの個展のようで、風景画を中心に約30点が展示されていた。
作品は埼玉県内を中心に関東近郊の風景画なので、ウオーキングなどで訪ねたところも
多く、懐かしく拝見した。
入館して間もなく、同じ区内にお住まいのカントリウオークメンバー、Kさん夫妻も来
られたので、観覧後にカフェで近況などを交換する。
12時10分頃ギャラリーを出た。館前にあった彫刻。
曇天で薄寒いが雨の心配はなさそうなので、近くの寺社などを巡りながら与野公園のバ
ラを見に行くことにした。
ギャラリー前の通りを北へ、所沢に通じる国道463号線を横断して間もなく、鈴谷4
丁目の妙行寺へ。
山門を入る前に、南側の金比羅堂のそばに立つ大カヤを見に行く。
「与野の大カヤ」と呼ばれる国指定天然記念物で、樹高21.5m、幹回り13.5m、
目通り7.28mあり、推定樹齢は約1,000年という。
応永年間(1394~1427)には関東随一の巨木として知られていたようで、「榧
木金比羅(かやのきこんぴら)」とも呼ばれ、古くから信仰の対象でもあったという。
そばの金比羅堂
山門を入り、正面の本堂に参拝して、いつものように新型コロナウィルスに感染しない
よう、そして早い終息を祈願した。
妙行寺は、鎌倉中期に鎌倉建長寺派の寺として建立されたと考えられるようだが、室町
時代の応永15(1408)年に守護神・金比羅天の霊感があったと言って、下総中山
(千葉県市川市)の法華教寺から来た日英上人により日蓮宗に改宗されたよう。
その後、3回の火災にあったり無住の時もあったが、そのたびに復興して今日の隆盛に
至っているという。
本堂も堂々としているが、右手の新しい庫裡(くり)もりっぱな建物で、その隆盛ぶり
しのばれる。
本堂の背後には、幹回り3.5m、高さ約7m、樹齢600年余りと推定され、県指定
天然記念物になっている「妙行寺のモッコク」が立っていた。
寺の東側、かやの木通り通りをさらに北へ400mほどで、墓地の中に立つ鈴谷大堂が
ある。
鈴谷大堂の建立時期は不明のようだが、大堂の手前に並ぶ六地蔵↑の銘文から、江戸前
期の寛文7(1667)年には存在していたことが分かるとか。
現在の本堂は、平成4(1992)年の改築という。
本堂内を正面の格子戸の間から拝観すると、本尊阿弥陀如来像が確認できた。
鈴谷大堂は、与野七福神の毘沙門天の寺。与野七福神には、この鈴谷大堂をコースの最
初にして3、4回回った記憶がある。
鈴谷大堂の墓地の西側の通りを北へ、近くに咲き残るアサガオの一種。
次の十字路の西北側には鈴谷天神社があり、鳥居の前に「稲垣田龍先生の碑」が立って
いて、傍らにその碑文の内容が刻まれていた。
背の低い石鳥居を入ると正面に拝殿と本殿が、右手前には赤鳥居の小さい社殿もあるが、
由緒などを記したパネルはない。
西方のさいたま芸術劇場方面に向かう。県道165号・大谷本郷さいたま線を横断した
近くに、ジュウガツザクラが咲き出していた。
さいたま芸術劇場の南側をL字状に回る。入口とは反対側なので、壁面しか望めない。
芸術劇場の北側を回ってきた県道165号線を横断し、細道を北へ少しで、与野七福神
の布袋尊を祭る円福寺へ。
この境内も、墓域が本堂や鐘楼などの周辺まで迫り、植栽は少ない。
本堂に安置されている本尊
本堂前に立つおそうじ小僧さん
(続く)
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昨年2月以降、新型コロナウィルスの感染拡大で例会を中止しているカントリークグル
ープメンバーのひとり土田さんから、久しぶりの水彩画展の案内をいただいたので、最終
日になったが出かけることにした。
JR埼京線の南与野(みなみよの)駅に10時56分に着いた。
西口を出て、そばの鈴谷西(すずやにし)公園を北西に抜ける。
公園からすぐ近く、このビルの1階、「ギャラリー カフェ ラルゴ」が会場。
土田さんは、セカンドライフの趣味として水彩画を始めて20年になるとか。現在は、
「水繪会」「大宮スケッチ会」のメンバーとして定期的に作品を発表しており、発表の都
度私も観覧に訪れている。
今回は5年ぶりの個展のようで、風景画を中心に約30点が展示されていた。
作品は埼玉県内を中心に関東近郊の風景画なので、ウオーキングなどで訪ねたところも
多く、懐かしく拝見した。
入館して間もなく、同じ区内にお住まいのカントリウオークメンバー、Kさん夫妻も来
られたので、観覧後にカフェで近況などを交換する。
12時10分頃ギャラリーを出た。館前にあった彫刻。
曇天で薄寒いが雨の心配はなさそうなので、近くの寺社などを巡りながら与野公園のバ
ラを見に行くことにした。
ギャラリー前の通りを北へ、所沢に通じる国道463号線を横断して間もなく、鈴谷4
丁目の妙行寺へ。
山門を入る前に、南側の金比羅堂のそばに立つ大カヤを見に行く。
「与野の大カヤ」と呼ばれる国指定天然記念物で、樹高21.5m、幹回り13.5m、
目通り7.28mあり、推定樹齢は約1,000年という。
応永年間(1394~1427)には関東随一の巨木として知られていたようで、「榧
木金比羅(かやのきこんぴら)」とも呼ばれ、古くから信仰の対象でもあったという。
そばの金比羅堂
山門を入り、正面の本堂に参拝して、いつものように新型コロナウィルスに感染しない
よう、そして早い終息を祈願した。
妙行寺は、鎌倉中期に鎌倉建長寺派の寺として建立されたと考えられるようだが、室町
時代の応永15(1408)年に守護神・金比羅天の霊感があったと言って、下総中山
(千葉県市川市)の法華教寺から来た日英上人により日蓮宗に改宗されたよう。
その後、3回の火災にあったり無住の時もあったが、そのたびに復興して今日の隆盛に
至っているという。
本堂も堂々としているが、右手の新しい庫裡(くり)もりっぱな建物で、その隆盛ぶり
しのばれる。
本堂の背後には、幹回り3.5m、高さ約7m、樹齢600年余りと推定され、県指定
天然記念物になっている「妙行寺のモッコク」が立っていた。
寺の東側、かやの木通り通りをさらに北へ400mほどで、墓地の中に立つ鈴谷大堂が
ある。
鈴谷大堂の建立時期は不明のようだが、大堂の手前に並ぶ六地蔵↑の銘文から、江戸前
期の寛文7(1667)年には存在していたことが分かるとか。
現在の本堂は、平成4(1992)年の改築という。
本堂内を正面の格子戸の間から拝観すると、本尊阿弥陀如来像が確認できた。
鈴谷大堂は、与野七福神の毘沙門天の寺。与野七福神には、この鈴谷大堂をコースの最
初にして3、4回回った記憶がある。
鈴谷大堂の墓地の西側の通りを北へ、近くに咲き残るアサガオの一種。
次の十字路の西北側には鈴谷天神社があり、鳥居の前に「稲垣田龍先生の碑」が立って
いて、傍らにその碑文の内容が刻まれていた。
背の低い石鳥居を入ると正面に拝殿と本殿が、右手前には赤鳥居の小さい社殿もあるが、
由緒などを記したパネルはない。
西方のさいたま芸術劇場方面に向かう。県道165号・大谷本郷さいたま線を横断した
近くに、ジュウガツザクラが咲き出していた。
さいたま芸術劇場の南側をL字状に回る。入口とは反対側なので、壁面しか望めない。
芸術劇場の北側を回ってきた県道165号線を横断し、細道を北へ少しで、与野七福神
の布袋尊を祭る円福寺へ。
この境内も、墓域が本堂や鐘楼などの周辺まで迫り、植栽は少ない。
本堂に安置されている本尊
本堂前に立つおそうじ小僧さん
(続く)
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