あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

関東百駅巡礼歩行・養老渓谷(千葉県)

2007-07-07 23:46:35 | 関東百駅巡礼歩行
 カントリーウオーカー・やまさん企画の関東百駅巡礼歩行、
第36回は、今日7月7日(土)、房総半島の中ほど、小湊
鉄道の養老渓谷駅周辺を歩いた。



 JR内房線五井駅から2両の小湊鉄道に乗り約1時間、
10時23分に養老渓谷駅に着く。

 今日のメンバーは、やまさんのほか、藤沢市のIさんとMさ
ん、それに私(カメラマン)、いずれも常連である。


 駅の東側踏切を越えて南側に回り、まず近くの宝林寺へ。
入口に、十二支の干支を侍らせた地蔵さんが並んでいた。


 戦国時代の館山城主や久留里城主だった里見義堯公の長
女、里見種姫が、大多喜城主・正木大太郎に嫁したが、第2
次国府台合戦にて25歳で戦死したため、種姫は22歳で尼
僧となり、永禄7年(1564)8月、宝林寺を開基し、生涯を送
ったという。

 墓地には、代々の住職の墓と並んで里見種姫の墓がある。


 大きな本堂は、寛政2年(1790)の再建とか。緑あふれる
境内は、約2000坪あるという。

 西側の車道に下り、さらに並行するもう一つの車道に回り、
深い渓谷の養老川にかかる朱塗りの渓谷橋を渡る。

 最初横切った車道にかかる、宝衛橋が左下に見下ろせる。


 すぐ先、垂直に立つ岩をうがって、延命地蔵堂があった。


 十数戸の集落を下り、宝衛橋の延長上の車道に出る。緑
あふれる沼が、小雨にしっとりとした風情を見せる。


 その先を流れる養老川の支流の地図上、1km足らずの中
に、流れのトンネルが3つも記されているので確かめることに
した。



 最初のトンネルは、坂を上がる別の車道の下にある(上の地
図の1の位置)ので、その道を上がってみたが、木が茂ってい
て分からない。

 もとの車道を先に少し進むと、そばまで行けないが断層の下
がくり貫かれている様子が見えた。この下を流れているらしい。


 次のトンネル(地図の2の位置)を見ようとさらに進む途中、
「七色滝」の案内板があったので、流れまで下りてみた。

 対岸の垂直の岩から、細い流れが落ちていたが、小雨模様
で薄暗く、色の変化は分からない。太陽にでも当たると七色
に見えるのだろうか…。 


 次の川のトンネルは、車道が川の上を横切り、水道施設の
立つところにあった。

 上流側に、流れまで下れるハシゴが置いてあったので下っ
てみたら、確かにぽっかりトンネルが空いていた。

 江戸時代にでも掘ったのだろうか。手堀りである。この辺
りの地形図を見ると、ほかにも幾つも流れのトンネルがある。

 なぜこのようなトンネルを掘ったのか。興味深い謎だ。

 流れのトンネルが確認出来たので、もとの道を途中まで
戻り、十数戸の集落を抜ける細道を進む。

 雨に濡れたルドベキアが、緑の中に鮮やかな彩り。


 宝衛橋近くまで戻り、ヘヤピン状に折れて坂を上がり、さらに
2回ヘヤピン状に下って、養老渓谷温泉街の近くにある釣り橋
を渡る。

 近くの日枝神社で昼食にした。

 小さいが、なかなか趣のある社殿。境内も狭いが、太い杉が
何本か並んでいた。

 近くの民家の作業場で、小鳥の巣箱のようなものを作ってい
る人がいた。FKさん(72歳)で、8月に新盆の家があり、その
家で新盆法要に使う、ローソクを点すものだという。 

 「岩風呂」と記された建物など、数戸の温泉施設が並ぶ付近
から、飛び石を渡って養老渓谷の中瀬遊歩道に入る。


 この付近の養老川は1枚岩が続き、左岸の遊歩道沿いには、
モミジが多い。休憩所のポスターを見ると、11月下旬から12
月上旬にかけて、養老渓谷は深紅の紅葉に彩られるようだ。


 遊歩道を900mほど進むと、養老川にもう一つの支流が
合流しており、「弘文洞跡」の説明板が立つていた。

 正面が支流で、ここは約140年前にトンネルをうがったが、
昭和54年(1979)5月に崩壊して、このような景観になっ
たのだという。

 遊歩道をもとに戻り、温泉街を抜ける車道を上がり、峠を
下って小湊鉄道の踏切を越える。

 駅周辺の朝生原集落に入り、カーブ点の三差路を少し進ん
だところにある、窯焼きパンの店「酪」で休憩し、15時ちょう
ど、養老渓谷駅に戻った。

 15時9分発五井行きで帰途につく。

(天気 小雨後曇り、距離 9km、標高差累積 700m、
 地図(1/2.5万) 大多喜、歩行地 市原市、大多喜町)

コメント
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