先日夜。大学生四、五人とすれ違った際、女の子が笑いながら、「歯を食いしばれ!って?・・・」と、男の子に相の手を入れるのが聞こえた。
思いがけない言葉に、一人で歩きながら、笑いをこらえきれなくなった。
何の話をしていたのか分からないが、こういう状況、こういう言葉を、現代の若者が知っていて、日常会話の中に出てくることに、意表を突かれた。言葉の調子から、どんな会話が交わされていたのか大方の想像がつき、楽しそうな雰囲気が伝わって、「もらい笑い」をしてしまった。
「歯を食いしばれ!」と聞けば、アラウォー(第二次大戦前後生まれ)にとっては、戦争の、非人間性を思い起こす言葉だが、歴史でしか戦争を知らない世代にとっては、おそらく、漫画やアニメ、あるいはお笑いで知った、滑稽な死語の一つなのだろう。
時代は時代の子にしか分からない
「灯台もと暗し」で、その時代、その土地で生きていると、案外、自分たち自身のことが見えなくなっているものだが、逆に、その場にいる人間にしかわからない、皮膚感、空気感というものもある。
日本の過去を執拗に追求する韓国は、慰安婦に続き、徴用工問題に集中し始めた。
軍艦島の生き残りの証言として、「殴打は日常だった」と、刺激的なタイトルの記事があったが、現代人からすれば刺激的かも知れないが、戦中派は、「それがどうした」と思うだろう。確かに日常だったからだ。
慰安婦や徴用工の実体や、朝鮮人は日本人だったか、と言った、ややこしい話とは全く関係なく、戦時中の日本の日常には、誰彼かまわずの殴打があり、体罰、体罰とニュースで騒がれる現代からすれば、全く想像を絶するような空気が流れていた。
今や、日本がアメリカと戦争したことさえも知らない人がいるような世代には、賛否以前に、戦争とはどんなものなのか、その空気さえ理解できないだろう。
戦前の日本軍では、人権など辞書に無い「真空地帯」で、新兵は「お前らの代わりなど一銭五厘(召集令状)で幾らでも補充できるのだ!」と宣言され、「可愛がってやる」と、朝から晩まで、拳や棍棒で殴られた。
それが社会の隅々にまで蔓延し、学校、職場、時には家庭にまで、入り込んできた。
結核で寝込んでいる長男を、軍隊から休暇で帰ってきた義弟が、「精神がたるんでいるから病気になるんだ、この非国民!」と袋叩きにしたことを、妹が涙ながらに回想していた。結核の兄は間もなく亡くなったそうだ。
こうしたことに、当時は誰も抵抗できなかったのだ。
戦争の記憶の無い親から生まれた昭和40年代以後の人は、戦争当時の空気、風景を先入観を持たずに、想像して見る必要があるだろう。また、もっと手っ取り早いのは、その空気のままで語られた、戦後間もない頃の小説や映画で疑似体験をすることだ。今では、理解できないシーンばかりだが、風景としては現実だった。さらに上級者には、戦時中の国策映画を客観的に観ることによって、思想までが見えてくる。
歴史や国防を語るのはそれからだ。