魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

果たして

2017年06月06日 | 日記・エッセイ・コラム

言うまでもないが、「果たして」とは、「果たし合い」のように、決着を付けることだが、決着を付ける前に使われる。後で言う場合は、「果たし合いの末」と、わざわざ「後」であるとことわる。本当に「結果」を出せばどうなるんだろう。果たして、いかなる結末と相成ることにござりましょう・・・

韓国

北朝鮮危機のために、日米韓の連携が不可欠と言われ、何かと韓国に気を使い、過去には様々な譲歩をしてきた。安倍政権、トランプ政権でも、表面上はその前提で動いている。
しかし、もし北が、韓国に対し、「同胞よ、共に日本と戦おう」と言いながら、日本だけに大量のミサイルを撃ち込み、各地の原発を始めとして日本だけが『火の海』になったら、
果たして、無傷の韓国が、北を攻撃するだろうか。

韓国は、日本に核攻撃をする小説がヒットする国だ。過去の韓国の言動、国内感情からすれば、安保のために、どんなに韓国に気を使っても、砂上の楼閣だ。どうしてもと言うなら、日本が一億総懺悔して、韓国に隷属するほか、答えが無いように思える。

米国
同様に、日本に核が落とされた場合、果たして、アメリカは本当に日本のために核で反撃するだろうかと不安視する見方もある。
しかし、この不安は、韓国の寝返りより、よほど小さい。
アメリカは、「同一民族」の立前で結束している国ではない。利害と信頼で生まれた国だ。今日までの日米関係を見ても、日本は事実上の属国であり、日本を失うことは、アメリカにとって、経済と覇権の大きな打撃となる。従って、日本が核攻撃される以前に、それが起こらないための行動を取るし、その上で、日本が核攻撃を受ければ、アメリカ自身の問題として反撃せざるを得ない。
ただし、日本が、完全な独立国のつもりで、アメリカに不利益な行動を取った結果の核攻撃なら、当然のことながら、アメリカが反撃することはない。

中国
中国は、日本の世論が気に入らないと、日本はメディアの論調を押さえるべきだと言う。いかにも中国らしい論理と、目の付け所だ。
一党独裁で、メディアを手足のように使っている中国には、報道の独立性などまったく理解できないようだ。
日本の政治家だって、三千世界のカラスのように、うるさいメディアを殺して、安穏と朝寝をしたいだろう。しかし、そうはできないのが民主主義だ。
大衆と選良(?)を取り持つ情報は、言わば身体の神経のようなもの。痛みも伴うが、民主主義が機能するには、無くてはならないのが情報だ。
脳からの指令を伝えるだけの神経では、身体は機能しない。
果たして中国は、生き延びることができるだろうか、それとも民主主義に進化するのだろうか。

興亡
民主主義に欠かせない、双方向の情報伝達を担ってきたメディアは、自らの影響力の大きさに、自分こそが本体であると勘違いしてしまった。
しかし、必要なのは情報であって、手段のメディアではない。
ネットという新しい情報回路が生まれたことで、メディアは急速に存在理由を失い、質も劣化していった。これは、問屋と同じで、仲介の問屋やデパートが、経済の中心のような顔をしていた時代が、ネットで終了しつつあるように、メディアの役割は終焉を迎えつつある。

トランプ大統領は、発足以来、火の手が上がり続け、今や火ダルマとなり、最早、辞任が決定的としか思えない。
しかし、この大火事は一体何なのか。重要なことは、我々はこれを、メディアを通して知っていると言うことだ。
メディアを敵として誕生したトランプ政権を、メディア総掛かりで、倒そうとしていることを念頭に置いて、情報を読む必要がある。
未だ、世界を支配するメディアの総攻撃に、トランプ艦はあえなく撃沈されるかも知れない。あるいは、堪えに堪えたトランプがメディアを自滅させ、情報世界を変えるかも知れない。
果たして、トランプの出現が、メディア時代を変えることになるのだろうか。