魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

孤独の人

2017年03月02日 | 兄弟関係

NHKの「ファミリー・ヒストリー」を観ていると、顕著に兄弟関係が表れる。
タレントやスポーツ選手の有名人の多くが弟妹だが、それだけに、家族の話しを聞かされると、ほとんどが知らなかったり、違う話を信じていたりする。
ところが、数少ない長子の出演者は、細かい話や遠い先祖の話には驚くものの、大体の系譜は知っている。実際、弟妹の出演者の場合、調査の過程でも、実の兄姉が語っていたりするから、やはり長子は、家族の歴史を把握している。

これは、長子と弟妹の年が違うからではない。物事への関心の持ち方が始めから違うからだ。親兄姉に早く追いつこうとする弟妹は、形を早く身につけようとするから、物事の拠って来たる成り立ちや、自らのアイデンティティの背景などには、関心が無い。
それもあってか、親への仕送りや介護、葬式など、良きにつけ悪しきにつけ、過剰に親子関係を保ちたがる。また、葬式や結婚式に参加したがるのも、弟妹の形・形式に対する関心の強さからだ。
逆に長子の多くは、できるだけ親子関係から離れたがる。介護も葬儀も、見るからに渋々で、弟妹からは無責任と非難される。自分の葬式も要らないと言い出すのも、長子に多い。

長子が、親子関係から離れたがるのは、親の生い立ちを知り、親を一個の人間として見るからだ。言わば対等の人間であり、その対等の人間に、特別に親として接しなければならない理由がない。親との関係は、対等の友達関係であり、友達に対する愛情は相手からの愛情に比例する。親子という道徳形式ではなく、人と人との付き合いだ。

親も長子なら、互いに尊重し合うが、親が弟妹の時には、長子の成長期に溝ができることがある。弟妹の親は、長子の成長過程が理解できず、可愛がっているつもりでも子供を追い詰め、やがて、子供の心が離れていく。
弟妹の親は子供が成長しても変わらない関係を期待するが、親が長子の場合、子供の自立を尊重しなるべく関わらないようにする。ただし、長女の中には、子供を自分の分身と考え、自己研鑽と混同し、過剰に干渉する場合がある。
なお、こうした、親の兄弟関係の生い立ちと、子供への接し方は、夫婦の関係にもよるので、一概に片方だけで決まるわけではない。

一か八かの有名人
ところで何故、弟妹の方が有名人になりやすいか。長子は自我が強いから自分を捨てて思い切ったことができない。常に、完成形なので、スケールを広げにくい。
弟妹は、外部対応で生きるから、中途半端なままでも他人や組織の力に乗りやすく、成り行きに乗りやすいから、社会的部品として、大きなスケールに関わり、時にはその先端部に位置する。これが有名人だが、他者に依存する立場は、逆に、スキャンダルにも巻き込まれやすい。波に乗って動けば振幅が大きく、成功もしやすければ、恥もかきやすいわけだ。
また、スポーツなど、外的な形や仕上げが重要な分野では、幼少期、兄姉がようやくたどり着いたレベルと、同じレベルでスタートできることが大きい。ことにサッカーなど、能力の勝る相手と対等に競い合っていると、それを出し抜く「勘」が身につく。これは長子にはできないことだ。

長子の気の毒なところは、常に自分に頼ろうとするため、甘え下手で、可愛げが無い。
これに対し、強者の下で育った弟妹は、生存のため自然に甘え上手になるから、実力者に気に入られることが多く、それだけチャンスが広がる。弟妹は、上手く話せない時から年長者に対応するため、泣いて訴える。このため、被害者意識が育ち、わざわざ誰かを加害者にしたり、自分の手柄をアピールする傾向がある。自分はひどい環境の中からこんなに頑張ったと、誰かに認めてもらいたい。この自己顕示も出世につながる。
今話題のトランプ大統領も、安倍総理も弟妹だ。ことに、抜け目ない中間児は、政治家で出世する。